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2026-02-27 28:27

20260/02/02 山と森と旅と #41(長沢洋)

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FM八ヶ岳 デイ・イン・ライフ 山と森と旅と お話しするのは長沢洋です。
北斗市大泉町で山宿を営んでおります。 寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
去年の暮れから年明けにかけては晴天が続き、 さらに一月中もほぼ晴れという日が続きました。
思い出してみると、正月に山梨県ですごく凄いになってから、 ことに元日が悪天だったという記憶があまりないんですね。
まあ、初日の出を毎年拝むことにしている人なら 記憶ははっきりしているのでしょうが、
僕は初日の出を拝もうなんて気持ちはこれっぽちもなくて、 まことに無粋なもんです。
昔三鷹峠で働いていた頃は、元旦には 夜明け前から店を開けて仕事をしていました。
もっとも三鷹峠は初日の出を拝むといった位置にはなくて、 初日に照らされる富士山を眺めるところなんですね。
それでも夜明け前から御安佐と人が来ておりましたよ。 それを目当てで営業していたわけです。
僕としては富士山なんか毎日見ているんですし、 元旦の富士はどうかなんてことは全く興味がなかったですね。
これも無粋の一つかもしれません。
そもそも冬には晴天の多いこの地方ですから、 元日も天気の良いことが多いのでしょう。
晴れ晴れと新年を迎えることができるのは ありがたいことだと思います。
それともかく、僕の記憶では一年で最も寒い月は 2月だったように思うのですが、今では1月のように感じます。
2月も半ばを過ぎると、もう春めいてくるように思うんです。
こんな印象が統計的に裏付けられるのか調べてみたんですけど、 統計的には以前から1月が最も寒い月だったそうです。
しかし、統計上の平均最低気温は1月ではあっても、 その寒さが2月半ばまでは続くので、寒さ疲れがピークに達するのが2月だったと言えるかもしれなくて、
それが2月を最も寒く感じる原因になっているかもしれないということで。
もっとも、1月も2月も平均気温がだんだん上がっていることは間違いなく、 2月後半の気温の上昇が早くなっている、つまり春めいてくるのが早くなっているのも事実で、
それが2月が寒いよりも暖かくなったように感じるようになった原因でもあるようです。
さて、僕の新しい山歩きの話題と言っても、 以前のようにせっせと出かけることがなくなって、はなはだ話題が乏しいんです。
それで、去年の秋の出来事も話題にすることにしますね。
去年の秋に何回か交付に用事があって、その都度空き時間が結構あったんですね。
それで時間つぶしに市街地から近い山を探して歩いてみたんですが、
その一つがこれまでに何度も話題にしたことがある交付市街地の北にある片山野、さらに北側にある名もない山でした。
まずその話をしましょう。
というのは、去年の春先に片山の北の巣を通じる道を歩いている時、
帯長をひでたた北側の山のてっぺんの林の雰囲気が良さそうだったので、いつか行ってみようと思ったのを実行したというわけだったんです。
この山は交付市千塚から小仙峡に向かう車道から少し登った高台にある交付市平瀬町という集落から見て南側の山です。
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典型的な里山というやつですかね。
平瀬町というのはちょっと高台にあるので、小仙峡ラインを車で通るだけでは知らないまま通り過ぎてしまう集落です。
僕も初めて入りました。大通りからほんのわずか登るだけなのに、何か隔絶された感じがして、なかなか雰囲気の良いところでしたね。
集落内に神社記号があるので調べると細草神社というんですね。細い草です。
そこでこの神社から登ってみようと計画を立てました。
山裾に神社があることは多くて、その神社からは山に向かって道があることもとても多いんです。
これには当然意味があるんでしょうね。
集落を歩いている途中で高齢の女性が作業をしていたので、この山の名前を尋ねましたが知らないとのことでした。
これまでの経験上、地元に住んでいる人がこういった里山の名前を知っていたことはまずありませんね。
もう山と生活が切り離されてしまっているからでしょうね。
ひょっとするとそもそも名前なんてないのかもしれません。
それで仮に平瀬山と名付けることにしました。
この平瀬山を航空写真で見ると山の稜線の西側には畑のようなものが見えるので、おそらく車が通れるような道が通じているんだろうと思っていたらその通りでした。
なかなかの車電を持つ神社の裏手から頂上地方線までその道を登りました。
途中でもう廃堂と思われる車道やら作業堂やらも縦横に交わってかつては生活に密着していた山だと思われました。
車道の行き着いた先には畑ではなくて収穫が終わった小さな田んぼがあって、こんな山の上で水はどうしているんだろうなと思いましたね。
どうやらこの山で今でも耕作されているのはその田んぼだけのようでした。
田んぼから東へもう廃堂に近い車道が頂上近くまで通じていました。
辿り着いた頂上登坊式場所は想像していたほどの雰囲気が良いところではなかったのですが、小さいといえども一つの山のてっぺんに初めて立ったという満足感はありました。
最近では滅多に新しい山に行くことなんかありませんからね。
全く野望をあげることもなく歩けたのは頂上までで、東に下ると道は不明になりました。
途中には甲府北部の山ではよく見られるダンダン畑の石垣がたくさん残っていました。
航空写真で見るとこの山の東の端はソーラー発電所になっていて、そこを迂回して野望を超えたところが一番手ごわかったのは皮肉というものでしたね。
元の山のままだったらおそらくキリエの林をぶらぶらと歩けたことでしょう。
なんとか千代田湖から小仙峡へ向かう車道に出て、千代田湖で尾びな川の左岸に移り、去年このひらす山を眺めた片山の北側に通じる道をたどって出発点に戻りました。
つまり周回コースだったわけです。
これを聞いてひらす山に行ってみようと思うなんて人はいないと思いますが、片山については何度でも紹介したいと思いますね。
一言で言えば、僕たちのような中高年のうちでも高のほうになった人に最適な散歩の山です。
甲府近辺の配下の皆さんにとっては、みどりが丘スポーツ公園から始まる湯村山や八王子山、そしてこの片山へと続く山域なんておなじみすぎるくらいでしょう。
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これらの山々は市民また県民の宝ぐらいに僕は思っています。
片山は甲府の北山の中でも最も市街地に近いところにあって、中央線の竜王駅と甲府駅の間から、また甲府の北パイパスなどから見てもすぐそこに見えている頂上がまったいらない山です。
山宮ハイタウンという雛壇に造成された住宅地が山の中腹にあるので、それでもわかると思います。
甲府市が赤い富500年を迎えた2019年に、それを記念して甲府25山が選ばれたときにこの片山も入っています。
下から見たら山というより丘のようにも見えますね。
登る意欲が湧いてくるような姿でもありませんが、少し高いところに登っただけでも展望がぐんと広がって驚かされることはよくあることで。
片山は600mを超えていますから、標高が300mくらいの甲府分地を東京タワーの高さから見下ろすようなもんなんですね。
実に広大な展望です。
ちなみに今は山全体を片山と言っておりますが、厳密には西の端のそれこそ人間の肩のようにがくんと荒川に落ちるあたりが片山で、東の端ぴょこんと飛び出たところが大宮山だとは山村雅光さんの本に教えてもらったことでした。
最高点はこの大宮山で665mあります。東京の高尾さんが600mを切っていることを思うとなかなかの高さなんです。
まあでも高さからすると夏に行くところではなくて、晩中からせいぜいか5月ぐらいまでに出かける山歩きとしては適期でしょうね。
今この大宮あたりは武田健康の森の施設がいくつもあって、ほとんど頂上近くにまで車が入ります。
本来の片山は西の平と呼ばれており、ここは実に海での美しいところです。
駐車場からこの西の平まで、ふもとから見たとおり全く平坦で、車椅子でも問題のない道が整備されています。
そんなことで車を使えば登山はおろか、山歩きというにもちょっとはばかられますね。
要するに頂上一帯はただ公園そのものなんです。
ただしふもとから登るルートもたくさんあるので、工夫次第で工程を調整できるのもこの山の良さなんです。
この山のことはもちろんずいぶん前から知っていたんですが、
公園の山だということは知っていましたから、若い頃には山歩きの対象としては考えもしなかったわけです。
武田の森といってもかなり広くて、要するに工夫駅の北側を取り囲んでいる山々に通じる道は疎連続していて、
例えば、後院寺山とか淡雪山、また洋外山から伊沢の大東京寺山に至る稜線の途中から武田神社の東側に下ってくる稜線とかですね、
この辺りはずっと前から歩いていたんですが、公園の本拠地の片山に行ってみることはなかったんです。
ところが10年ほど前、ちょっと足が不自由な人に付き合って軽い山歩きをしようというこの片山はどうかと思い出したわけです。
それで調べてみるとものすごく多くの道がこの山には通じていたんですね。
これは後でわかったことですが、片山は昔は石を切り出して、その用途がなくなった後、その時の作業道をそのまま歩道として流用したということだったらしいですね。
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したがって山の中に通じる道は歩道というよりは林道と言った方が適当で、しかし今では一般車は通れませんから、しかも車道だけに軽車は有力なので実にのんびりと歩くことができるんです。
この時、住宅街からほんのわずかに入っただけで美しい伊豆桶林があることに感銘を受けましたね。
それを知らずにいたのももったいなかったなと思いました。
もっともある年齢に達したからこそわかる良さというのもあるのかもしれません。
登る途中からも頂上路線からも所々に幸福盆地が見渡せる展望地もあって、むろんそこからは富士山や南アルプス、八ヶ崎や奥地基の山やを眺めることができます。
この展望も実に素晴らしいと思いましたね。
それから片山には軽い山歩きをしましょうという時に通うようになりました。
これだけの紅葉地の林があるのだからと、紅葉の時期にも出かけた時、本来の片山、公園の地図では西の平と呼ばれている場所の、
これは植林されたものだとは思いますが、その紅葉には驚かされました。
規模といい色の良さといい、おそらく山梨県下随一の紅葉の名所だと思います。
紅葉が良ければ新緑が良いのは当然で、新緑の頃に行ってみて、淡い緑に山桜の花が混じる、いかにも優しい美しさにも感激しました。
これはだいたい4月の末あたりが良いと思います。
この放送を聞いた人は早速この春にでも散歩されてはどうでしょう。
4月上旬にはソメイヨシノが大宮山あたりで素晴らしくて、なおかつ都会の桜の名所のような桜を見に来たんだか人を見に来たんだかわからないような混雑は皆無ですからね。
西の平の楓の紅葉を一度見て以来、秋には毎年のように出かけています。
だいたい11月の末あたりが見頃でしょうか。
こういった植林の楓はまずきちんと赤くなるし、ちょっと時期が遅くなったとしても、今度は地面に落ちた葉が美しいので裏切られることはないでしょう。
さてここらで一休かけましょう。
今回は僕としては珍しくクラシックでバイオリンが綺麗な音楽を選んできました。
まずはオルフェウス室内歓迎楽団の演奏でおなじみパフェルベルのカノンです。
今回珍しくクラシックの曲を選んできたのは、今年に入ってすぐ県民会館で高島千作さんと12人のバイオリニストのコンサートに出かけたからなんです。
僕は山歩きに出かける以外は滅多にどこへも出かけることもないインドア派で、
インドアといえば聞こえはいいんですが、要するに引きこもりなんです。
体がデブな上にレブ症というわけですね。
それで音楽は好きだけれども、これもインドアでオーディオを楽しむだけでライブコンサートに自ら進んでいくことはまずないんですが、
家内がこんなことではあの世に行ってから社会生活に支障が出るんじゃないかと心配してくれたんでしょうか。
高島さんたちのコンサートのチケットを予約したからと誘ってくれたというわけなんです。
それが1月7日のことでした。
余裕を持って会場よりかなり早く着いたんですが、すでに県民会館の駐車場は満車で、駐車場を探して周辺をうろうする羽目になりました。
ちょっと鷹をくくっていて、そんなに人なんか来ないだろうと思ってますね。
僕はテレビをあまり見ませんし、新聞はもう30年前に読まなくなったんです。
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ネットニュースというのも結局はテレビや新聞由来の話題を取り上げていることが多いですから、
在宅の仕事でパソコン付けのようになってしまった現在、むしろ何かと助け焼き場的な事情通になってしまって、
高島さんがテレビ出演で知名度を上げていることは知っていたんです。
この人手の多さからテレビで皮を打って地方巡業をするという、芸能人のビジネスモデルは未だ健在だと思います。
しかし満席のホールを見渡すと、子供を除けばやはり20,30代の若い人は少なくて、
要するにテレビを一番よく見ていそうな年齢層が多いと感じました。
だからこのビジネスモデルがいつまで続くのだろうかとは思いましたね。
それはともかくステージはきらびやかだったし、バイオリストたちは多芸だったし、
高島さんのトークもテンポよく軽妙で楽しめました。
そしてオーディオ好きの僕としては何より生のバイオリンの音には打たれましたね。
と同時に家で再生する音楽はこの音とは別の方向を目指すべきだろうなと思いました。
弟といえば僕の娘がジャズダンスのダンサーや振付をしていましてね、
公演があるときには枯れ木も山のにぎわいと見に行くことがあるんですが、
音楽はもちろん生演奏ではなくスピーカーからの音で、
その大音量といったらよくこんな音を我慢してくるなといったレベルで、
これは今まで行ったホール全てと、それで最近では僕は必ず耳栓を持ってきて、
それでもうるさいくらいです。
でもこのスピーカー出てくる音は家で聴く音と同じテクノロジーです。
最も家で聴く音はずっといい音ですけどね。
一方高島さんたちのクラシック系のコンサートですから、
演奏にマイクなどを使います。
高島さんを含めて13人のバイオリニストにピアノが加わって、
彼女らが一斉に演奏するとかなりの音量になります。
僕らはかなり前の席に座っていたんですが、決してうるさくは感じないんです。
こんな話をしていたら長くなりました。
要するに今年初めのコンサート経験から、
今回は僕が疎いクラシック音楽の中で、
割と聴くことがある曲を選んできたという。
さて片山の続きで、これは去年の晩春のことです。
11月の末、もみじ狩り目的で山中の仲間と2人で行かけたんです。
去年の秋は木々が一気に色づいた後に一気に落葉したので、ちょっと心配だったんです。
こんな秋では枯れでもダメかなと思って、さすがにこの木は裏切りませんね。
麓の方で他の木はすでにかなり裸になってしまっていたのが、
頂上の枯れでは盛りは過ぎていたので、なかなかの色を見せてくれました。
落葉が地面を埋めているのも美しいんです。
全国で相次いだクマ騒ぎのせいか、ただでさえ静かな山がさらに人ではなくて、
この広大な山城公園で、しかももみじもまだ見頃だというのはたったの3年しか人影を見ませんでしたね。
西の平からちょっと下ると、ほとんど人の行かない大展望の奥座敷がしてね。
ここにも立派な楓があるんです。
そこから幸福盆地を見下ろして昼休みとしましたが、まあ気分はいいです。
気軽に行ける距離にこんなところがあるんですが、なんとも贅沢なもんで。
毎年のように出かけてほとんど歩けそうなところは隅々まで歩いてしまった片山なんです。
わずかに残った道の部分があるんです。
そこを経由して下ってみようと思ったんですが、結構でごわくて、
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つりむいたので安全第一と一般道に戻りました。
この山は一見ふかふかの落ち葉で歩きやすいかと思いきや、
かつての石切り場の跡なので、場所によっては落ち葉の下無数の石が隠れていて非常に歩きにくく、
また採石跡の崖もあったりして油断はならないんです。
この最後に残った道の場所に行っては、また幸福での所要内を一人で再び出かけてみることにしたんです。
それがね、そこに全く予想すらしていなかったものがあったんです。
何しろ山の中だからということを考えれば、おそらく誰にも想像はつかないと思う。
久しく人の訪れがないような古い道を歩いていると、
ほら、公園とか学校の周りに淡い緑のような鉄線をひし形に編んだフェンスがよくあるじゃない。
あれが行く手に現れたんです。
しかも世田谷の倍以上もあるえらい高いフェンスです。
これは何だとそのフェンスに沿って歩いていくと、これが延々と続くんです。
すると行く手にバックネットが現れたんです。
そう、野球場だったんです。
フェンスやバックネットには育った木やツタが絡まっていて、
グランドはダイヤモンドだけがなんとなくそれらしいけれど、
ガイアはもう林かよびになっています。
花を押した時期でしたからグランドのように見えますが、それ以外の地質なら地面もよく見えないのかもしれない。
山の上ですから周りの木を切れば展望は抜群です。
使われていた当時は南アルプスに向かってカットバスといったような爽快な野球場だったんでしょうね。
整備すればまだ使えそうでしたが、そういうことはないでしょう。
そのまますます木々に埋もれていました。
散らかった空き缶などから察するに、1980年代頃までは使われていたようです。
おそらくこの辺りで採石をしていた会社が社員のために作った球場だったんでしょうね。
その意味では仕打ちかもしれませんから、詳しくは説明しない。
この日は片山から下ってもまだ時間があるというのを見てみたのが甲府城だった。
つまり舞鶴城公園ですね。
山梨県に半世紀も住んでいるから、当然今まで何度となく外から見ているので、中に入った記憶がないんです。
20年がかりだったという整備が終わって、既に10年以上経ちに行くことがなかったので、不思議と言えば不思議ですが、
そもそも工具駅に行くことがあまりありませんからね。
これがとても良かったんです。
冬の快晴の日でしたからなおさらでした。
山好きの人であれば、不凡地を巡る山々を並みつつ、弁当でも食べれば、
高い金を払ってレストランなんかで食べれるといいなと思いました。
もっともこれは僕の好みなので、野外で飯を食うのが好きなんです。
山歩きに行くのも、野外で飯を食いましょうということが結構あります。
したがって、大体が山の頂上で昼時になるように計画を立てますね。
去年の夏、たのまえて運転手役で松本城に行ったんです。
まあ、とにかくすごい人手でした。
周辺の駐車場は全て満車で、仕方がないので、僕は車に乗ったままで、お客さんだけ城内に入ってもらいました。
もっともお客さんたちも行列を見て天使閣に登るのを諦めた。
もう何十年も前、何度か天使に登ったことはありますが、行列したなんて記憶はないんですけどね。
松本城が国宝だから叶うはずはないとは言いながら、それに比べて甲府城のいかに寒酸としたことか。
ゆっくりと城跡を隅々で歩いてみたんですが、冬の平日とはいえ、せいぜい十人くらいの人影しか見なかったですね。
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やはり天使閣がないのが、我良天使を書くので良いかね。
まあ、でも寒酸としている方が、こういった歴史的遺物を見るには、地外不快という利点もある。
一概にそれが悪いと言えます。
おすすめの場所だと思います。
こんな数え切れないほど近くを通過しているのに、立ち寄ったことがないところなんていくらでもあるわけですけど。
その中でも大きな公園でというと、山梨県立広報博物館の曽根丘陵公園が、中央道の甲府南インターを出てすぐなのに立ち寄ったことがなかったんですね。
甲府での所要のとき、次にはここにも立ち寄った。
この丘陵内に多くの古墳があることから、博物が、後に古墳を含む丘陵が公園化されたという。
僕は甲府学にはほとんど興味がないんです。
甲府本地を巡る山や山ながらのんきな歩くには、実に良いとかと思いましたね。
甲府は北に、さっき話した片山のある武田県、南は曽根丘陵が良いだなと思いました。
もっとも、曽根丘陵の方が設備は格段に整っていて、いかにも公園らしい。
随分とお金が積み込まれているんですよね。
公園は昭和61年の開設だというので、まだまだ家系の時代だったんでしょうかね。
歩道はすべて石畳で、土の上を歩くことがほとんどないので、自然公園といった趣味ではあります。
その意味では片山のある竹田の森の方が山歩きに近いさん。
冬の平日の成果はほとんど人影を見ませんでしたが、遊具などがある給料の一番高いところは、小連で少々。
給料の重複は、大都会の公園のような込み方をすることはまずないと思いました。
僕は園内の隅から隅までのんびりと散歩して、1時間くらいでした。
公園内にはベンチや済ま屋も多くあって、好天の辺にランチで思って散歩するには最適でしょう。
この時は甲府学博物館には寄りませんでした。
その観覧を超えたら、阪西の地的なハイキングになると思います。
位置的に富士山を眺めるというわけに、知らねさんざんやつが立って、銀布山方面からだいぶ差すと、贅沢な眺めです。
公園の上部まで登ると三坂の山々がすぐ近くに見えて、この山地によく通った僕には嬉しい風景でした。
さて、ここで今日の2曲目とします。
ヴィバルディの長和の霊感から第8番、イタリア合奏団の演奏でお聞きします。
実に美しい曲だなぁと聞き惚れるんですが、こんなにバイオリンが素晴らしいのに、
ジャズでバイオリンっていうのはまずマイナーな楽器なのはなぜなんだろうと考えさせられますね。
クラシック曲にバイオリンがほぼ欠かせないことを考えると、これらのジャンルの際立った違いが表れているように、
クラシックではコントラバスの弦を指で弾いているのを、ジャズでは指で弾いている。
要するにリズムの違いなんだと。
現代のポップスの源にはジャズがあるとも、結局は歯切れのいいリズムから生む強烈なビートが、
せばしない現代人にマッチしたんだろうなぁと感じて、
耳というよりは体が感じているところがあるんですね。
音楽の話ついでに、今日の最後は山手の音楽についての話題としましょう。
どんなに美しい調べや音色を持つ音楽でも、聞く気のない人にとっては騒音の一種だ。
聴覚は視覚と違って、そう簡単には遮断できませんから、騒音によるトラブルが人情沙汰にまでなってしまう。
レストランや喫茶店に流れるBGMには音を持って音をせず側面がある。
周りの雑音をかき消す高揚音もあります。
それにしても、内輪の替え合いを邪魔するような音量の設定は難しいものです。
21:01
音楽喫茶でもないのに音量が大きすぎる店は僕はいたまいないです。
聞くともなく耳に入ってくるぐらいがちょうどいいのだと。
霧雷は車山の方に山小屋、コロボックルヒュッテの先代主人、
2012年に亡くなった手塚宗康さんが書いた山小屋と音楽という文章があります。
コロボックルヒュッテは早々期ですから、昭和30年代初頭のことですね。
小屋を訪ねてきた串田孫一さんに手塚さんは
なけなしのお金を与えて手に入れた古いチコ、繰り返しバッハを聴く。
もろん手塚さんが串田さんがそういう音楽を好むことを知っていたからでしょう。
後に串田さんはその時のこと、もう沢山だという気持ちにさえむしろ義理で聞いていたが、
山へ来て音楽と聞くというのはどう考えても場違いなのだと本に書く。
それを読んだ手塚さんは、音楽とは決して人に聞かせようとするものではなく、
自分が人の迷惑にならない範囲で控えめに傾聴すべきものだと自らを読みますめる。
端折って言えばそんな話なんです。
コロボックルヒュッテの立つ古山山方は、ビーナスラインの開通以前は陸の古塔のような場所だった。
手塚さんの著作を読めば、小屋を建てる前から彼が文学に傾倒していたことがある。
そんな偏地で暮らすことで、さらに芸術性の飢餓が募ったのではないかと僕は想像しています。
なぜなら山外の客の大多数は都会人ですから、
彼らからもたらされる華やかな都会の文明文化やの話題への憧れもあったでしょう。
芸術は文化の象徴で、都会でこそ花開き、偏地は文化を発する場所と考えていただろうからです。
過去形で書いたのは、現代では情報網の発達によって必ずしも創作に関して都会が優位とは言えなくなったからです。
芸術作品が商品である以上、大小知費としては都会の優位は私も今も変わらない。
手塚さんにとってはたった数枚のレコードであっても、それだけに尚更宝物。
敬愛する田口田さんにぜひ聴いてほしいと思ったのは素直な歓迎の気持ちだったに違いなんです。
こんな山小屋でも音楽が聴けるんです。
一方、東京に住まう田口田さんにとっては文明から束の間でも逃げた気分になることこそが山へ向かう理由ですから、
音楽はやはり場違いに感じられたのでしょう。
手塚さんのように自分と相手の隔たりから生じる行為の絡まりに早々と気づく人はそう多くあります。
そのため、全国津々浦々にまで音楽とは名ばかりの善意の騒音が垂れ流されるに至ったわけです。
付け加えて言えば、これまで書いた音楽とはほっぱら再生音楽のことを指しています。
レコードその他のパッケージによって個人が音楽を手に入れ、自由に再生できるようになっています。
音楽は大きな産業です。今や天文学的な数の楽曲が巷にあふれ、さらに増え続けています。
音楽を志す者も比例して増えるため、作品も次々に生産されます。
まあ、これ音楽に限った話ではありませんが、日々新しい商品が伝統に並ぶ様は、
生鮮食料品とか、街のいたるところで食品が売れているように音楽が流れているので、
人は音に不干渉になるか、そのフリをせざるを得なくなって、
いちいち気にしていたら、どこへも行けなくなってしまいます。
前日の串田さんの文章には続きがあるんです。
最初の版にはギリで聴いていたバッハを、ある版には自ら干して蓄音機能を回そうとします。
24:01
この音楽で自分は救われようとしているのではかと、ふと考えます。
そして結局書けるのが、バッハは必ずしも私を救わないだろう。
それよりも、もう一日でも二日でもこの小屋にいて、雪の消えた草原を丹念に見て歩く。
と串田さんは書いている。
僕はこのくだりを読んで、もうずいぶん前、新聞で目にして、
一読、すっと頭に入ってきた清香孝之さんの
耳を通じてという四行詩を、こういう詩なんです。
心が裏ぶれいた時は音楽を、空気と水と思考しかないところにそっと沈黙を度に、
遠くから生きるための言葉がこだましてくる。
実は覚えていたのは、この詩の前半くらいまでで、
この話をするにあたって、改めて調べ、後半を再読することになります。
今読むと、最後の遠くから生きるための言葉がこだましてくるからは、
蛇足のように感じられますが、年齢を重ねれば感じ方が変わるのは当然です。
僕は音楽が大好きで、家にいるときはほとんど音楽を流しっぱなしにしている長良族で、
でも山で音楽と聞きたいことはないんですね。
僕が学生だった頃、ウォークマンにあった音楽を携帯して歩くことにも全く馴染みませんでした。
要するに、僕にとっては音楽は室内の慰安であり、山歩きは屋外の慰安なんです。
再生音楽も山歩きも文明の初産です。
しかし、再生音楽が文明から素直に開花した文化なのに対し、
山歩きは反文明的な矛盾に満ちた側面を持つ文化だという点が、
山で音楽を聞きたくない理由に関わっているんじゃないかなと、理屈をこねてみた。
しかし結局のところ、好んで山という人外郷に来たのに人工の音を聞きたくない。
山では様々な天然の音に慰められるから、さらに音楽まで必要としない。
ただそれだけのことなのではないかと思います。
コロボックルフュッテでの串田真吾さんもそうだった。
そして音楽だろうが山だろうが、これは言葉では甚だ説明しづらいことではあります。
それによって人間の魂が救われることはないとも僕は思います。
山は静かに限るとは言うものの、僕も現代的不干渉の例外ではありませんから、
山人の集う山小屋でクラシック音楽が静かに流れている程度であれば、さほど身に障りには感じないでしょう。
しかし昨今目につく救済したがっている音楽家が救済されたがっている聞き手のためにつく幼稚な歌詞の曲については耳栓をしていますね。
さて、今日最後の曲はモーツァルトのピアノ競争曲第21番です。
アカデミー室内歓迎楽団の演奏を選んできました。
今回は高島志作さんのコンサートでバイオリンの綺麗な曲を選んできました。
最後はピアノが主役の曲。というのも高島さんたちのバイオリンのバックには常にピアノ伴奏があって、改めてこの楽器の感じだから、僕はジャズでも聴くのはほとんどピアノ。
それはやはりこの楽器の持つ優遇無限の能力にあるんだと思いますね。
映画好きにはスウェーデン映画、短くも美しも萌えの創入曲と知られている曲ですね。僕もそれで知った一人です。
かなりこの映画と音楽は密接に結びついていたらしく、ヨーロッパではこの曲を映画の現代になっているヒロインのエルヴィラ・マディガンと呼ぶこともあるんだったと。
この秘伝物語は日本なら明治時代にあった実話で、カノスではそもそも映画以前にも有名な話であるようです。
27:06
日本ではエルヴィラ・マディガンなんて現代のことはあまりないように思います。
放題を短くも美しも萌え、なんと、いかにも日本的なものにした。
まあでもちょっと気恥ずかしいところがあるけど、よくできた題名だと思います。
この題名がなければ、あそこまで長く人の印象には残ることがなかったと。
この放題って作詞家の岩谷敬子さんによるものなんですかね。
僕はこの秘伝映画を中学生の時にテレビの映画劇場で見て痛く感激したもんだ。それ以来見ています。
中学や高校生のとこ見て、大感激した映画を後年見直して、なんでこんなものに感激したんだろうと、多いからなんです。
まあこの映画も多分見たら厳密するんじゃないかなと思う。
思い出なんて美しいままがいいじゃない。
映画に限らず芸術的なものには、それが自分にとって何であるかということは、旬であるかですね。
旬であるかどうかっていうのはとても重要だと思います。山歩きもそうかもしれない。
さあ、そろそろ時間となりました。
また来月となりますが、来月は3年半にわたってお聞きいただいたこの番組が最後になります。
まだまだ寒いより皆様どうかお元気で。
FM八塚岳、Day in Life、山東、お話は長さ。
28:27

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