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2026-03-07 31:08

2026/03/02 山と森と旅と #42 最終回

長沢洋

サマリー

この番組は、パーソナリティの長澤博史さんが、自身の経験を交えながら山や森、旅について語る最終回です。長澤さんは、名古屋での少年時代や、都会でありながら緑豊かな住宅街での思い出を振り返り、それが現在の山への執着に繋がったと語ります。また、帰省時のJRでの乗り換えの苦労や、名古屋の実家から見える天白公園の散策、そしてそこで感じた都会と自然の共存について触れます。番組後半では、ジャズミュージシャンのチャーリー・パーカーの楽曲「Confirmation」にまつわるエピソードを紹介し、その演奏について語ります。さらに、甲府近辺の北山や三竹古道といった山歩きの経験を詳細に語り、トレイルランニングの普及や、古道の整備、そして自身の山歩きに対する考えを述べます。最終回として、3年半にわたる番組制作の裏側や、ラジオというメディアでの表現の難しさ、そして「山を語ることは人間を語ること」という自身の哲学を語り、リスナーへの感謝と共に締めくくります。

パーソナリティの自己紹介と冬の思い出
FM八ヶ岳 デイ・イン・ライフ 山と森と旅と お話しするのは長澤博史です。
北斗市大泉町で山宿を営んでおります。 皆様いかがお過ごしでしょうか。
2月の放送でもお話したことですが、この冬は割と寒い日が続きましたね。
僕のところでは、2月の初め、この冬一番の冷え込みになるという日には、マイナス12度にまでなって、うっかり水道を凍らせてしまいましてね、痛い湿気となってしまいました。
当然保温はしてあったんですが、修理を頼んだ業者に聞けば、そのヒーターが故障していたというわけで、これではお手上げです。
さて、先月は僕の生まれた大阪の話をしたんですが、中学生となった時に名古屋に引っ越して、それ以来実家は名古屋です。
ですから僕自身は中学と高校時代を過ごしただけとはいいながら、大阪よりは名古屋の方にずっと親しみがあります。
およそ平坦なところが多い名古屋市でも、市の東側は徐々に奥見川の山地へと盛り上がっていく休養地になっていましてね、
僕の住んでいたのはその給料部の始まる昭和区の東で、大体がそういうところは山手と言われて、大抵は高級住宅地なんですね。
やっぱり人は上から下を見下ろしたいという本能があるんでしょうかね。山手に対して下町なんて言い方もありますからね。
山に登る理由には高いとこから下界を見下ろして、ざまあみろと思う快感にもあると話したこともありました。
もっとも僕の家は古い貸し屋だったんですけどね。
名古屋での少年時代と緑豊かな街並み
家から中学校までは名古屋でも有数というよりは一番のお屋敷街を抜けて通学しました。
これは東京のいわゆる高級住宅街とは全く違った雰囲気で、その違いは家々の密度の違いでしょうね。
林の中にあって外からは大もやが見えない屋敷なんてたくさんありました。
そもそも東京は高級というには道が狭すぎます。
台が変わってこんなお屋敷街が姿を消すのは日本中どこでも同じで、
今では以前に比べるとかなり緑が減ったように思いますが、
僕がいた頃は道を選べば都会ながら森の中を歩いていくような感じで、
5月あたりの最も美しい季節、半日で学校が終わった後の帰り道、土曜日の午後のウキウキした気分で歩く、
木々の葉がキラキラと光る緑の道の美しかったことを今でも覚えています。
そんな経験が今に続く新緑の美しい山への執着のきっかけになったのかもしれないと思うことがあります。
帰省時の鉄道トラブルと実家周辺の散策
1年ぶりにこの1月に帰省しました。
帰省というと都会から地方へといったイメージですが、その反対です。
大抵はマイカーかバスで行くんですが、今回は学生時代を除けば2回目となるJR線での帰省となりました。
1人だと車は割高だし、バスの本数は1日3本だけなので時間の自由度がないんです。
JRだとドン高で行くとすればどんな方法より安らかになるんです。
しかし少なくとも塩尻・中津川と2回の乗り換えがあって、
うまくつなげないとバスより大して安くもないのに時間はかなり余計にかかってしまうんですね。
それで時刻表を眺めてみると、2回の乗り継ぎに各々5分待ちという理想的な列車が見つかったんです。
でも乗り継ぎの余裕が5分だけというのは危険ですね。
塩尻では電車が3分遅れで到着してヒヤヒヤしたし、
中津川へは15分遅れての到着で乗り換えるはずだった電車は情けようじゃなく去ったとでした。
結局名古屋まで特急に乗る羽目になってもっとも朝帰りできると思った計画は崩れてしまいました。
しかもその遅れが特急料金を保証してほしいくらいの理由だったんですよ。
というのも塩尻川の各駅停車の列車はワンマン運転なんです。
それでほとんどの駅は無人ですから、下車するときはバスのように運賃を運転席の横で払うわけなんですが、
途中の駅で降りる客が1万円しかなくてお釣りがないとなったんです。
それで運転士が電車内を回って両替できるお客を探していたのが送りの原因だったのですから、
牧歌的というか無限にお釣りを用意することはできないでしょうけど、
列車を送らせることのない体制ぐらいはできるだろうと思いましたね。
それはともかく名古屋の実家といってももう僕の住んでいた小学ではなくて、
その東隣の天白区というところにあるマンションの6階にあるんです。
ここに引っ越して40年になります。
ベランダから照明に見えるのは緑なす給料地なんですね。
ご多分にもれずベランダから見える建物の風景は既成の旅に変わっていますが、
その給料の緑地はあまり変わりません。
それはつまりそこが天白公園という名古屋市立の公園だからなんです。
そのことを知ってはいたんですが、40年も既成の旅に見ていながら
公園まで行ってみたことはなかったんです。
去年の秋から今年にかけて甲府近辺で舞鶴城公園とか松根給料公園とか、
横をなんととなく通り過ぎていながら行ったことのないところへ行ったという話をしましたが、
名古屋でも同じようにさっき言ったこの40年間も実家の窓から見ていたのに
行ったことのない天白公園を歩いてくることにしました。
都会の公園での静かな山歩きと都市の魅力
実家から歩いて公園をぐるりと回って帰ってくるのに
3時間近くかかったのだからなかなかの散歩でしたね。
もっとも半分は公園までの往復にかかった舗装裏歩きの時間です。
公園には北側以外に標高60mくらいの3つの小さな山があって、
公園の下へはこれらの小山に囲まれた池をめぐる平坦な部分です。
僕の実家から見えている緑はこの山々なんですね。
僕の場合はその小山に興味があって
3つすべてを大げさに言うと重数するように歩いてみたら
これがとても静かでよかったですね。
平日でも公園には多少の人はいましたが
一歩山に入ればまるで人気がありませんでした。
すぐ下が大都会の住宅地だと思うと
歩いていてなんだか奇妙な気分でした。
この公園、春は桜の名所となるらしいです。
こんな山を散歩して下ったところにある
洒落たカフェで一休みなんて都会らしくていいなと思いましたね。
名古屋市は市の隅々まで市営の地下鉄やバスが通じていて
65歳以上は名前にセンスはありませんが
経路パスなんていうのが安価に使えるんです。
それを使って市の隅々まで散歩すれば
一生かかっても行ききれないほどではないですかね。
名古屋在住の僕の友人なんかは使いまくってると言いました。
そんなことも含めて都会が人を引きつけ
結果としてさらに人が多くなっていく理由でしょうね。
ちなみに言えば名古屋市の面積は
我々の住む北都市の約半分しかありません。
山また山の地形とは比較にはならないでしょうけどね。
ついでに言うと北都市は東京23区とほぼ同じ面積です。
もう一つついでに前にも話したこと
これは僕のお気に入りのお話なんでもう一度言うと
僕の住む北都市大泉町
つまり旧大泉村と東京の世田谷区がだいたい同じ面積です。
そして世田谷区の人口は
山梨県より20万人近くも多いんですね。
まあ余計な説明は不要でしょう。
想像するだにこれはとんでもないことだと思いますね。
ジャズ「Confirmation」とモダンジャズカルテット
さてここからで一曲かけましょう。
この番組では僕の好きなジャズを流すことが多くて
もちろんそれは学生時代以来膨大な量のジャズを聴いてきたので
話がしやすいという理由です。
今はもう山歩きもジャズを聴くのも惰性になった気がしますが
若い頃はずっと熱心でしたね。
その頃これが入っていればそのアルバムを買ってしまうという曲があって
それがConfirmationっていうチャーリーパーカーの曲なんです。
日本語に訳せば確認とか承認なんて意味らしいんですが
ジャズミュージシャンがつける曲名は符号みたいなものなので
深い意味や意味合いなんかないんじゃないかと思いますね。
ビブアップと呼ばれるモダンジャズの早々期
チャーリーパーカーがジャムセッションでもしているうちに
思いついたフレーズを
これはなかなかいいのができたぞと他のミュージシャンに示したものに
題名がないのも困ると思って適当につけたのではなかったかと想像しています。
いかにもアイデア一発といった曲で
要するにアドリブを誘発させるためのテーマといった感じなんですね。
短くてリズムの変化に富んでいて殺草としています。
多くのミュージシャンが取り上げていて
今ではスタンダードの一つといってもいいでしょう。
今日は中でも僕好みのこの曲のアグレッシブな
雰囲気が感じられる演奏を選んできました。
まずはモダンジャズカルテットのラストコンサートでの演奏からお聴きください。
MJQでのミッドジャクソンは
彼がこのグループ以外で演奏するときに比べて
おとなしいという話を聞くことがあります。
しかしこの演奏を聞くとそんなことはないですね。
およそ情熱的という形容詞が似合わないジョン・ルイスまでが
ノリに乗ってピアノを弾いているのは
この曲のおかげかと思いました。
さて、山歩きの話に戻りましょう。
甲府北山での山歩きとトレイルランニング
1月の末にルッジ・ヤマタビギャラリーの出展画家で
この番組も過去2回出てもらった中村佑星さんと
甲府の北山を歩いてきたんです。
この放送でいつもお話するように
冬から春にかけて
天気が良く、紅葉樹が多くて山が明るく、
新緑がいち早くやってくる
甲府盆地をめぐる山々に出かけることが多くて
最近ではことに気軽な
甲府の北山を歩くことが多くなりました。
中村さんと会うのは去年の晩週に
長野県の大鹿村に行ったとき以来
3ヶ月ぶりだったので
お互い近況を話しながらの山歩きとなりました。
そんな息を切らすほどではない
のんびりした山歩きには
ぴったりの山道がこの後やには多いんですね。
その時歩いたのは
甲府の北山の大定番ともいえる
みだりが丘スポーツ公園から
湯室山と八王子山をつなぐ山道でした。
このコースはほぼ人出かけに歩けて
何より大駐車場があるのが
前川登山にとってはありがたいんですね。
人に出会うことが珍しい我々の山歩きとしては
かなりの人数とすれ違いました。
平日のことですから
それでも20人には満たなかったでしょうね。
そのいずれもが話し声で
前や後ろからやってくることが分かりました。
つまり、すけん話をしながら歩ける
またはそうしたい人たちが
やってくる山道ということなんでしょう。
湯室山から一旦下って
八王子山の上にかかると
途中でいつしか道が白くなっているから
歩くところが面白いんです。
途中から花崗岩の山になるんですね。
八王子山は頂上に八王子神社があることから
そう呼ばれるわけですが
白い山、すなわち白山と呼ぶ人も多く
こちらの方がきっと古い名称ではないかと思います。
八王子山の南側の暗部に
甲府盆地を見下ろす長めの岩積みがあって
そのあたりから見上げるこの山は
ミニラカンジ山という感じがします。
ここで中村さんのスケッチタイムとなったので
彼女にとっては花崗岩がボコボコしたような
岩山は描くのが苦手だということでした。
頂上まで登った後
頂上直下の花崗岩の上に陣取って
昼休みとしました。
その頃には午前中には見えていた
南アルプスが雪雲に覆われ始めていましたが
それでも日差しはまだあって
風もないとなれば
甲府盆地を見下ろしてのお山の対照気分は
何とも言えませんでしたね。
中村さんは去年の春に七面山に登ったという
遠く見えるこの山をスケッチしていました。
甲府から七面山がよく見えるというのは
山好きの人でない限り知らないかもしれませんね。
ちなみに中村さんがその時に
七面山の刑事院に泊まったとき
なんとあの大きなお寺に
泊まる客は中村さんだけだったそうです。
そんなことってあるんですね。
この八王子山へのルート
僕にとってはおよそ5年ぶりくらいだったんですが
以前道標がなかったところに
施設の道標があって
立派な踏み跡ができていたのは
この山でトレランの訓練をする人が
増えたからではないかと思いました。
歩くと走るでは踏み跡のでき方が
全然違うと思うんです。
台中車場完備で気軽に走れるような山は
あまりありませんからね。
実際竹田の森の不動では
毎年トレラン大会があるようです。
三竹古道と羅漢寺山海
2月に入ってすぐ、今度は三竹古道を歩きに来ました。
三竹古道というのは要するに
金風山への宗教登山の時代の道ですね。
まず里宮の金桜神社へ参るわけですが
そこへと県内各地から道がありました。
その中ではやはり県の中心部
神戸からの道がメインだったはずで
今でこそ小仙峡の道がありますが
これは意外と新しい道で
江戸時代末期に通じた
要するに三竹神道です。
小仙峡というのは明治になってから
付けられた観光需要のための名前なんですね。
つまり三竹古道というのは
この神道に対しての古道というわけなんです。
我々の住む北都市側から北都市側からは
下間町の江草から観音峠を越える山道があって
この経路を探索した話も
この番組でしたことがありました。
薄い踏み跡を同表を兼ねて
点々と描いた観音像を探しながら歩いたのは
実に面白い経験でした。
今回歩きに行ったのが
さっき言った小仙峡の道ができて
伝えてしまった古道で
かつてのメインルートです。
これは貝市の喫茶に始まって
金桜神社へと続いています。
吉沢と書いて喫茶と読みます。
この道を下道と言って外の道と書きます。
この下道は途中までの同表はないものの
かなり上まで車道が通じているほどの道で
少々地図が読めれば歩くのに支障はなく
途中の部分は何度かたどったことがありました。
沢沿いをたどる下道に対して
その沢の西側の尾根に通じているのを
上道、上の道ですね。
これらの道は北の方で合流します。
尾根道を上の道とするなら
沢沿いは下の道なので
もともと下道というのは
下と書いた下道ではなかったんでしょうかね。
この辺りどうなんでしょうか。
今この尾根道の方の上道に入るところには
原川から神賀沢川が分化するところより
少し上のところにあるんですが
そのずっと下の田んぼに倒れていたのが
市の鳥居という鳥居で
これは今四季島総合公園の
グラウンドの横に移設されています。
要するにこの鳥居をくぐって
かつては上道に入っていたのでしょう。
その場所で神賀沢川にかかっているのが
その名も鳥居坂橋というんですね。
これらの道は
羅漢寺山海を南北に縦断する道です。
羅漢寺山海というのは
僕がこの山地を自分が担当している
ガイドブックで紹介するにあたって
名付けた名前で
不思議なことにこのままで
この顕著な山域全体を表す名前が
なかったんですね。
山地の最高点は安保老田家のある
羅漢寺山で
これは地形図に名前が入っています。
それに因んで付けたんですが
誰が付けてもそれしか考えられないでしょう。
羅漢寺山地というよりは
羅漢寺山海といった方が
雰囲気が出ると思います。
この山海の北の端は
金桜神社の南西にある峠としました。
地形図を見て
それが妥当かと思ったからです。
この顕著な峠に名前がないのは不思議ですが
三丈峠とでもいいのが
ふさわしいと思います。
したがって南端から上道
三丈峠までたどり
金桜神社に達するのは
羅漢寺山海全山重層となるわけです。
三竹古道トレラン大会と道迷い
この熱帯の道を上道というとは
数年前にこの道が整備された時に
新たに作られていた道標を見るまで知らなかったのです。
羅漢寺山海には
一時期頻繁に通ったことがあって
整備される前にもこの尾道を
二度歩いたことはあったのですが
もろん道標なんかは全くなく
しかし野望をわけるほどのこともない道から続いていました。
尾根状に畑の跡と思われる場所もありましたね。
整備されたとしてどのようになったんだろうと
改めて歩きに行ったのは
二年前のことでした。
入口は途中にわずかではありますが
道標がつけられていて
倒木なんかも片付けられていましたね。
それ以来は歩いたことはなかったのですが
今年の初め
三竹小道初モードレースという
トレランの大会があったというニュースを見て
思い出したというわけでした。
そんなことをするところになってしまったんだな。
何もあんなところを走らなくてもいいんだろうと
あまり気分としては良くなかったのですが
そのレースの日以外に
それほど人が来るところでもないでしょうし
レースの起点となる喫茶の
常設寺というお寺からは
今では歩走路歩きだろうと
歩いたことがなかったのです。
ですがそもそも喫茶からの
下道の出発点というのは
この常設寺だったということだし
レースするぐらいなら
新たに道標もできているのだろう
という興味ですね。
一体どんな道筋を辿るんだろう。
それで計画が立ったのです。
ちなみに甲府から喫茶に至る
三竹山道というのは和田峠を超えて
平瀬を経由していたそうで
現在合理的に思える道筋とは違います。
平瀬という地名が出たところで
先月の番組で話したことの訂正なんです。
登りに行った無名の山を
甲府市平瀬町の裏山だから
平瀬山としておいた
という下りがあったのですが
古い地図で調べると
今でこそ平瀬町の一部になっていますが
この山のふもとはかつて
上野という地名で
となると上野山としたほうがいいと思ったのです。
こんな細かいことを覚えている人は
いないとは思うんですけどね。
ちなみに上野という地名は
上野入口というバス停の
名前に残っていますが
現在の地図には上野という文字が
見当たらないので不思議には思っていたのです。
だいたい高台にあるこの集落は
上野ならぴったりですが
平瀬という名前はすごわないのです。
本来の平瀬町は
上野の東側の
文字通り荒川沿いの平瀬です。
地名は古い地図を渡るべきという教訓でした。
話を戻して
上瀬寺からの道は
道路工事のせいで
途中で断ち切られ
道標も的確とは言えず
初心者では戸惑うだろうと思いました。
僕は道標に従って疑問にも思わず
歩いて行ったのですが
そのうちあれ?おかしいなと思い始めました。
それで自分の位置を確かめて
やっと勘違いに気づいたのです。
というのも下道と上道
混同していたのです。
上瀬寺から始まる古道の道標は
下道を案内していたのです。
ところが僕が歩きたかったのは
上道だったのです。
沢沿いに続く下道は
かなり山で細いので
そんなところよりはお値道を歩きたかったのです。
上瀬寺から始まる
下道の道筋が確認できたのは
正解だったのですが
そんなことでルートを修正するのに
少々遠回りをするはめになりました。
修正したルートも
ちょっと思惑とは違っていて
でも山が小さいから
そんなときでも気楽なもんです。
大した苦労もせずに
上道の続いるお値入れました。
上道からの眺望と集落の変化
お値道入れてみると
明らかに踏み跡が濃くなっていましたね。
後で調べたら
普段のレースの袋はこのお値だったようです。
数十人もの人が知って
一月も経たないなら
まだ名残はあるでしょう。
こちらは男3人の
気楽な山歩きでした。
お値歩きになってしまえば
左右の枝越しには
富士山や南アルフスの
豪華な眺めもあって
上り下りもあまりなく
実にのんびりいただきました。
その昔、見たけ迷いの多くの
前男前女がここを歩いたと思えば
趣も深まるというものです。
この日は最後まで
一人の人も見かけませんでした。
このときは上道の途中にある
開拓地跡から下道の方に回って
最終的には長寅橋まで歩いたのですが
その途中から仙田という
今は数軒しか住んでいない
集落が見下ろせるのです。
この集落を何度も通過した
山に入ったものですが
その集落の真上の林が
まるはだかに伐採されていて
驚きましたね。
また、建設中の新しい長寅橋は
もうかなり出来上がっているようです。
完成後にはこの辺りの景色も
変わることでしょうね。
ちょっとご無沙汰しているだけで
いろいろと変化があるものです。
建設されて100年の
古い長寅橋は
大型車がすれ違いませんから
秋には渋滞が発生したりして
前々から新しい橋が計画されていたのが
やっと実現したということでした。
100年たって
すっかり風景の一部になっているような
今の古い長寅橋も
昭和の初めに
この辺りのことを書いた
原善京という人の文章を読むと
こんな橋は失敗で
コンクリートなんかで作ったのがよろしくない
花崗岩でも使って
日本情緒を出すべきだったと気なしているんですね。
それが今や
山梨県最古のコンクリートの橋として
土木遺産になっているって言うんですから
面白いですね。
新しい橋の完成後は
歩道としてでも使われることになるんでしょうか。
さて
二つの「Confirmation」演奏と番組終了の挨拶
今日の1曲目としましょう。
と言っても同じ曲ですが
ピアノトリオでのカンファーメーションです。
しかしピアノトリオと言っても
そう言っていいかよくわからないところがあるんです。
というのもこの演奏では
バリー・ハリスとケニー・バロンという
2人のピアニストが弾いているからなんです。
彼らがカール・ガールと言われて同時に弾いているんですね。
こんなことはあまりないことで
僕のコレクションにもなかったと思います。
ニューヨークでの
ライブ録音だというのですが
ライブならではのパフォーマンスではないかと思いますね。
録音を聞くと
2台のピアノは
ステレオの左右に配置されてはいるんですが
映像がないとどちらがどちらかよくわかりませんね。
彼らのピアノに詳しい人なら
わかるのかもしれませんが
僕なんかはそこまでの意味はありません。
しかしそんなことが
わかる必要もないと思います。
出来上がったものが良ければ
それで良しでしょう。
さて前回の放送でお伝えしたように
3年半近く
回収にすると40回ほどになった
この番組は今回で終わりとなります。
それで本で言うと
後書きみたいなことを
喋って終わりにしたいと思います。
ラジオ番組制作の苦労と表現の難しさ
F4八ヶ岳の番組本には
この山と森と旅人の案内に
山登りや自然に親しむ術を
わかりやすくガイドします
と書いています。
これは僕が書いたことではないんですが
結果的に看板に偽りありでしたね。
いつそんな内容になるのかと
看板通りを期待していた人には
申し訳ないことでした。
とにかく
ラジオで語るなんて人生で初めてのことで
もう普通の定年も
とっくに過ぎた年になって
こんなことをするなんて
夢にも思ったことはありませんでした。
番組を頼まれたとき
よくも自らを顧みず
警察に承諾したもんだと思います。
でも今は面白い経験を
させてもらったなぁ。
よくも続いたもんだなぁと思っています。
最初の頃は
ラジオから流れる自分の声を聞くのが嫌で
それでも多少は人が聞きやすいように
喋らなきゃと思うと
勉強のために聞かないわけにもいかず
聞こえるか聞こえないかの
小さな音で聞いていたものですが
今はそれほどではないものの
それでも自分の声を聞きたいとは思いません。
しかしそうやって聞いて
直そうと思ったところが
いつまでだっても直っておらず
こと、アナウンス術に関しては
全く上達しなかったなぁというのが本音です。
その手の才能がないんでしょう。
一回の放送で
30分くらいは喋るわけですが
こんなに長い時間
一方的に自分が喋るなんてことは
これまでの人生にはなかったことです。
これからもないでしょう。
遠い側苗に
話がポンポンと出てくればいいんですが
そもそも遠い側苗というのは
相手があって初めて生じるものです。
相手があってお互いの興味が一致し
話が話を生んで
談論風発といった状態になることがあります。
でもそんな時でも
結構会話というものには間があるんですね。
酒の席だったら
採出さされず飲んだり食ったり
また駐座したり
それでいいわけです。
それがラジオとなると
間をつくわけにはいかない。
しかもこちらはほとんど一人堅いです。
ところが僕には
とにかく何でもいいから言葉を発するという
芸能人的な才能はないし
でもそんな才能がある彼らにしても
話し言葉はさちせつな的に
ならざるを得ません。
無論放送なんて
絶えず流れている川のようなものですから
せつな的でも構わないのかもしれません。
しかし僕は考えというものは
文章にして初めてまとまるものだと
思っているような人間で
せつな的では気に入らないところなんですね。
なぜなら文章は
残すためにあるものですから。
小説家のマリア・サイシさんは
講演を頼まれた場合
必ず原稿を書いていたそうです。
あれだけの文章を書く人ですから
講演という絵でも大阪にはできなかったのでしょうね。
実のところ彼は
当たり前のことで
芝居でも映画でも最も大事なのは
脚本だと僕は思っています。
ということで
せつながらもせっせと台本を書いてきました。
最初はどのくらい書いたら
時間にうまく収まるかというのは
分かりませんでしたから
さすがにそれはだんだん分かってきて
時数にすると
1万2、3千字になります。
原稿用紙は普通400字ですから
およそ30枚ほどです。
短編小説ぐらいの長さですね。
それを40回書いとったのと
1200枚でこれはえらく分厚い本になる分量です。
さっきこんなに喋ったのは
後にも先にもないと言いましたが
こんなに書くことは思うのはずないでしょう。
かつて
山の本という旗艦誌に10年ほど
連載していたことがあって
旗艦ですがら3ヶ月に一度
原稿用紙で5、6枚の文章を書いておりました。
それが1月に30枚
しかも書くのが遅いできているから
この3年半
絶えず頭の中にはこの台本書きのことが
わだかまっていました。
ちなみにさっき言った
山の本に書いた文章を番組用に再構成して
台本に書いたことも多くて
しかし話し言葉に書き直したとはいえ
これはやはり読む文章なんですね。
二度三度と読むに耐えるようにしたい
という考えで書いた文章であっても
目で読む文章と
耳で聞く文章とは違いも
違うもので
番組を聞いた人から
話が分かりにくいと言われたこともありました。
ある程度の広さを見渡せ
後戻りもできる
活字の文章と違って
その場では後戻りできない放送では
そもそも表現を変える必要があるとは
わかりましたが
これが難しくて改善できないままでした。
ことに字面で一瞬で
理解することのできる漢字農業
日本語では難しいんですね。
今日話した三丈五道の話も
その場所の地理的な知識が
少ない人には理解が
相当難しかったかと思います。
名文化で知られる人の文章を
山を語ることと人間を語ること
一流の俳優が朗読するのを
聞きに行ったことがあるんですが
これがちっとも頭に入ってこなかったんです。
同じ言葉だからと錯覚しがちですが
良い文章が必ずしも耳で聞いて
よくわかるということはないんです。
逆に落語や講談を
文章にしたときとしても
それが面白いわけではないのは
想像がつくでしょう。
念のために言いますと
二度三度と読むに耐えるような内容にしたかったというのは
役に立つからといったことではないんです。
この番組にしても
山は楽しいですよね
あそこの山はいいですよ
あの山にはこうして登るのがいいですよ
といった実理的な
つまりガイドブック的なばかりの
内容にはしたくないというのが
僕の最初からの方針でした。
登山家の原誠さんという人は
山のことを語っても
同時に社会費用になっていなければ意味がない
といったようなことを書いておりました。
僕もそう思いますね。
美しいもの醜いものだという感覚は
人間の頭の中で
生み出されているだけで
山が美しいとするなら
人間が勝手にそう思うだけのことと
となると山を語ることは
人間を語ることに他ならないんです。
つまり人間のことを
話そうと思ったわけです。
まあそれがうまくいったとも思わないんですが。
それと僕は山のぼりとか山歩きなんて
人に啓蒙するものではないと
前々から思っていました。
もちろん強制することではないんです。
僕が思う山のぼりとは
ひたすら自由を求める遊びだからです。
自由な精神に属すると
言ってもいいかもしれません。
ですがそんな自由な精神が
登山にばかりあるはずはなくて
ほとんどの人が山のぼりなどとは
無縁なまま立派な人生を
送っていることに注目しなければなりません。
今回でこの番組は終わりますが
こういうコミュニティ放送局ですから
喋っている人は地元の人間です。
ことに僕なんか客商売で
この番組にゲストに出てもらった
三人の画家のギャラリーをしていたり
喫茶もできますから
気軽に話をしにおいでください。
もっとも声だけというのは
余計な想像を膨らませますから
期待をして行ってみたら
軽薄に足が生えているような
変なおじさんが出てきて
夢も希望も寄与していたともなりかねません。
その点は覚悟してくださいね。
最後の楽曲とリスナーへのメッセージ
さあこの3年半の鳥になる演奏は
渡辺貞雄のカンファーメーションです。
渡辺貞雄が
グレートジャズトリオをバックに吹きまくります。
この録音が
1976年で
その反石後同じ人がいまだに
現役でステージに立っているのですから
驚くばかりです。
ではお聴きください。
こんなハツハツとした演奏を聞くと
燃えゆずる春を迎えるこの時期
ますます気分が
おきゆきとしてくるような思います。
どうかみなさんこれからも末永く
山や森や旅を楽しみください。
3年半
どうもありがとうございました。
FM八ヶ岳
Day in Life
山と森と旅と
お話は長澤博史でした。
31:08

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