2023-02-06 33:44

2022-12-31 - 【サロン対談コンテンツより】美容医療における“変わるもの”と“変わらないもの”第一章

2022-12-31 - 【サロン対談コンテンツより】美容医療における“変わるもの”と“変わらないもの”第一章

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それではですね、早速始めていきたいと思います。美容医療における変わるものと変わらないものということでお届けしていきたいとおもいます。
突然ですが、皆さん美しくありたいと思いますよね。これコメント送ってない?あの、このコメントもちょいちょい拾いながらやっていきますからね。
例えば、あの、キャワイイとかさ、小顔かわいいねとかさ、
あ、なんか綺麗な感じ、鼻ラベ綺麗みたいなさ、あの、えー、とかさ、この、なんかかっこいいな、この人、みたいな、とかね、あるじゃん?
とかさ、なんかあれ、なんかすげーイケメンでもないんやけど、なんか、かわいい、なんか、なんか、装飾系?みたいな、はははは、だから、
で、こういう綺麗とかかわいいとかキレカワとかイケメンとかまあいろんなこと言いますけども、
これはそもそもですね、こういう感覚っていうのはどうしてこうありたいと思うのでしょうか?という話なんですよ。
で、例えばよく言う自己肯定感とか、異性へのアピールとか、若さへの憧れとか、ね、まあこういうのがありますけども、
この感覚はそもそも人だけに備わっているものなのか?っていうところでいきますと、
例えば動物ではどうなのか?これは前ライブでもちょっと話しましたね。
えー、このクジャック、インドクジャクですけども、派手な羽があったり、これマンドリルですね、お花がこう真っ赤になって、かっこいいね、綺麗な毛並みやね、っていうのがあったり、
これはあのね、あのー、アカガザエイフーチョウっていう鳥なんですけど、尻尾がね、すごく長くて綺麗なんですよね。
で、こういう鳥、動物はですね、色とりどりの派手な個体の方がモテるんですって。
で、これがね、誰にモテんねん?って言うとですね、実はオスがメスにモテんねん?と、これもライブの中でも話しました。
全部ですね、実はね、オスの方が派手なんです。オスの方はしかも体が大きいんですね。
で、これはなんでなの?っていうところなんですけど、実は動物界ではですね、オスの方が派手なんですよ。
で、なんでそうなの?ってところなんですけど、これ進化に有利だったから?って話なんですが、あのー、ダーウィンの進化論的な話でいきますと、
自然選択説って言うと、見つかりやすい羽の色を持っていれば、持っているほど他の敵に狙われちゃうわけですよ。
当然、派手な色のさ、動物はライオンに食べられたりとかさ、あのー、クジャックとかもさ、羽でかいねんけど飛ばねへんから、あのー、襲われちゃうじゃん?っていう話になっちゃうんだよね。
そう、なので、しっかりここにも論争があったんです。
えー、メスよりもオスが派手な動物が多いのはなんでなのか?っていうところで、この自然選択説っていうのと矛盾する性選択説っていうのを、ダーウィンは実はこの1859年の時にですね、もう話をしてます。
で、あのー、えっとー、この59年の時ですね、ダーウィンとウォーレスという方が、まあ皆さんあまり知らないと思いますけども、
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ウォーレスっていう人は、自然選択説に関してはイエス。で、自然選択説をウォーレスも提唱したんですけども、
えーと、性選択説に関してはダーウィンはこれを言ったんですけど、ウォーレスは反対をしたんですよ。で、しばらくここで論争があったんです。
で、その後、結果的にはですね、ダーウィンの説論が正しいんじゃないかということになったんですけど、どういうことかというと、
性選択説というのは、この他の動物との関係で生き延びやすくなるからそうなったわけではなく、より効率よく同種で勝ち残る戦略だったということなんですね。
つまりどういうことかというと、その他の動物に見つかりやすいとか見つかりにくいじゃなくて、子供を作る、自分の子孫を残すっていう意味で、
その異種の性別から自分を選んでもらいやすくするというのが性選択説だったわけですね。
なので言ってしまうと、自分自身を危険にさらすことで勝ち残る賭けを取ったんです。
はい、面白いですね。なのでその動物の間ではですね、この性別感のアピール合戦というのが存在しているわけでございます。
で、その中でじゃあ人間はどうやねんという話なんですけども、もちろん存在しますよね。
例えばこれね、ムキムキワンチョダンスギヨンみたいなゴリゴリちょっと怖すぎるみたいな、もうなんかこれはもはや宇宙人ですかみたいな顔とか、
で、背が高くて顔がちっちゃくてイケメンダンスインみたいな、ダンスインみたいなとか、あの皆さんやっぱり貧乏と金持ちだったらどっちが好きですかって言ったら金持ちの方が好きですよみたいな、金に物言わせやついますね。
えーと汗かきましたから一万円撮影を吹きますみたいな、まあそういう芸人いますね。
で、一方女性もいろいろ言いますね。キャワイーンとか言って、ね、あのーこうなんかあざとい系の顔を出したりとかですね、もうすぐおっぱいアピールしちゃうみたいな、あのー銅鑑やのにおっぱいアピールするとかですね。
失敗なんですけどもセクシーさをアピールするみたいなんですね。こういうのをですね、あのアピールとしてありますね。この筋肉むきむきのお兄さんが寄ってくるみたいなそうありますね。
で、この性選択の結果じゃあ私たちは美しくありたいのって話になっちゃうわけですよ。この話していくと。
つまり僕たちは性別を、それぞれの性別に対して関心を持つために美しくありたいとかかっこよくありたいとかって思っちゃうのっていう話なんですよ。
この辺の話をですね、今日はですね、3つ掘り下げてお話をしていきたいと思います。
まずですね、この3つお題としましては、この美容医療の歴史。これは実際に僕らが使っている美容っていうものがどういう歴史の中であったのかという話をします。
その後に見た目が表してきたものっていうものを話します。そしてこれからの美容に求められるもの、この3つのお題を話していきたいと思います。
これは自己紹介はいいですね。山口のことはみんな大好き知ってますよね。
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これ大事だよ。この美しさを求めたその先にある幸せ。これね、美しくなったらゴールじゃないよっていう。これはリゾナンスのテーマですからね。
うちでいろいろ治療してますよーってやつですね。治療してますよーっていう紹介をして、私こんなやつですよーみたいな話をここではしました。
で、スキップスキップ。ということで、わちくそガチの美容外科医なんですが、もう一つの顔っていうのがこれですね。
私が学会活動でいろんな話をしてますと、なぜならそれをすることがミッションだからこういろんなことをしているわけですよね。
様子にちょっと変わった美容外科医なんですけど、その変わった美容外科医がですね、今日お届けする内容というのはこの3つなんですが、まずこの美容医療の歴史。
これをですね、まずお話しします。その先にですね、見た目が表してきたものとこれから意味するものが全く違うという話ですね。
なんかその異性のためじゃないという結論になってくるんですけど、それは後ほどお話しします。
まずですね、美容医療の始まりとは何ぞやというところですが、この辺はですね、インスタグラムの一部で出してます。
3000年以上前のエジプト時代にも存在しましたということで、例えばですね、クリオパトラの話なんか皆さんもご存知ですよね。
絶世の美女というところで、エジプトの国から当時、彼女はエジプトの女王なんですけども、カエサルとアントニウスというローマ帝国の2人の英雄、皇帝に愛されて子供を作るというですね、それでエジプトを守ると。
最初に行った時にはですね、荷物の中に包まれて隠れてた。賢状された女王の中からパッと美しい人が出てきたという話があって、このクリオパトラの花がですね、ちょっと低かったら歴史は変わってたかもしれないよっていうみたいな、そんな話が残ってる。
美しかったということですね。
こういう歴史の話をですね、今日は外科系の話とノンサージカル、外科系じゃない話で分けて考えていきます。
全部の話はしませんけども、ちょっとずつ話をしていきますと、例えばですね、これは以前ですね、お話をしました。
これもインスタグラム上げましたね。紀元前6世紀のシュシュルタという方がですね、当時のインドというのはえぐくてですね、悪いことをすると鼻を削がれるというですね、恐ろしい罰則があったわけですね。
その罰則があったせいで、待ち行く人たちがですね、鼻がなくなっていると、あいつ犯罪者やなという風になってたので、命を懸けてでも鼻直そうぜみたいなのがあったんです。
この紀元前6世紀ってまだ後世前も存在していないので、要は命がけだったわけですけども、この傷跡がありますね。このおでこから鼻を作り直したというのがあります。
このシュシュルタというのはすげー細かいやつでして、自分の道具をむちゃくちゃ作ってるんですね。これ今にも残ってるんですけども、まさに自分の畑耕やしまくったやつなんです。これ天才ですね。
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で、こんな紀元前6世紀からですね、いろんなことが行われたんですけども、時代が一気に下りまして、その後の手術って大した美容的なものとは思われてないんですけど、
14世紀の時にですね、この梅毒ですね、今でもこの新宿方面でですね、ものすごく流行ってるというのに皆さん気をつけていただきたいんですけども、梅毒が流行ったんです。
で、この梅毒というのは何が恐ろしいかと言いますと、進行が非常に感情、遅いんですね。で、目立たないんです、最初。
で、進行が進んでいきますと、ゴム酒と言いまして、このいろんなところで腫瘍ができて、それが溶けるというのが起きます。で、この鼻がなくなっちゃってるやつですね。
3期梅毒と言いますけども、1期2期3期4期とあります。4期は神経梅毒で、最後痙攣を起こして死んじゃうみたいなのがあるんですけど、
3期の時にはこうやってね、鼻骨、鼻の骨に出たりとか、軟骨に出てきて溶けちゃうんですよね。で、へこんじゃったり。
で、そのお母さんから生まれた先天性梅毒が残ってる。生まれた時からお母さんが欠損してるなんていうのも当然起こる可能性があったんです。
で、インドと違いますのは、この、えーとですね、えーと、インドと違うのは、白人種の間でこの梅毒が広まったものですから、
えーと、白人のお鼻っていうのは皮膚が薄いんですね。なので、猫の皮膚よりももうちょっと薄い鼻を作りたいっていうので、
ここでですね、出てきたのがこれ。超えぐいですね。腕からですね、皮をですね、作ってですね、この鼻をですね、鼻に縫うっていうですね、これ腕繋がってるんですけど、
ここで作ったチューブ状の皮膚で鼻作ってるんですよね。で、しばらくこれ、体止められてるんですけど、見て、この鎖が付いてるでしょ。
この姿勢でしばらく生活をするっていうのを強いられるんですね。で、血が通って2,3週間したらこう切り離すっていうのをしてですね、
作ったこれインド、インドじゃない、あのイタリアンメソッドっていうのがあるんですけども、14世紀にこんなことも行われます。
はい。恐ろしいですよね。腕このままでね、2,3週間いるってもう死にますよね。ほんまに。肩痛いとかいうレベルじゃないですかね。
で、ちなみにこの頃にはもう実はそのヨーロッパの貴婦人というのも生まれてましたので、中世ルネサンスになりますから、
えーと、ベラドンナというですね、植物の液をですね、絞りまして、これを目に垂らすというのをイタリアで、まあ、あのヨーロッパで流行ってたんですね。
で、どういう効果があんのっていうと、えーと、その液を垂らすとですね、あの目がグッと大きくなると。
で、今で言うと、実はアトロピンと言って眼科に行ってですね、眼底の検査をするときに点眼をしたりしますけども、アトロピンというものを点眼をすれば、三胴と言ってですね、胴骨が開いちゃうんですね。
で、それに伴ってこの目が大きくなったように見えるよっていうのを、この14世紀から16世紀くらい、もうノンスタージックの世界でもこういうものがどんどん出てきたんです。
で、この後、えーと、何が起きるかというと、ここですね、170年前、今から170年前にイギリスとフランスにいて注射器と飛沫線芯が発明されました。
これがですね、今で言う注入療法の、言ったら、えーと、何でしょう、こう、種が生まれた瞬間みたいなところですね。1853年にこれが生まれたんです。
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これに伴って注射、注入をするということができたわけですね。
で、この後ですね、実は160年前に、えーと、上顎の手術というのがもう行われています。
これはですね、超面白いから一応皆さんにもシェアしておきますと、ポンランゲンベクっていう方なんですけども、この、この方がですね、上顎の手術をするんですけども、
なんとですね、今の療法と違いまして、えーとですね、ここ、皮膚をですね、真ん中切ってパカーンと口開いて、両脇も皮膚切って、こう、皮膚をですね、観音開きにビローンって開いた状態で骨を切るっていう療法をやったんです。
地獄かよって感じだよね。
で、しかも皮膚むちゃ、今はここ切らないですよ、口の中だけ。
しかもこの人、えー、まあえぐい手術なんですけど、この後のお弟子さんで、ランツさんという人がですね、1893年にこういう文章を残してるんです。
で、面白いのがですね、この療法の手術っていうのは、術中患者はおぞましい状態となり、この手術は、下階がね、冷血でかつ出血をコントロールできる、
技術を持ち合いした下階じゃないとダメですよっていうのを書いてるんですよ。
で、どういうことかというと、多分結構死んだんやと思う。
要するに、電気のこぎりもないのでのみでパンパン割ってたやろうし、で、皮膚もビローンってひっくり返してたやろうし、あの、恐ろしい治療。
しかもですね、今と違ってですね、その手術の目的は、鼻の奥にある腫瘍を取るという風な手術やったんですね。
これが下階、ルフォーの元祖なんです。
だからすでにこの、160年前にルフォーの元祖っていうのも生まれてるんですね。
で、この後、実は下階の中で、むちゃくちゃ大きな発見があります。
これが155年前、このジョセフ・リスターさんという人が出てきます。
で、この人、実はもともとめちゃめちゃ無名な普通のお医者さんやったんですけども、
この発見があったからこそ、今の全ての外科学が成立したといっても過言ではないぐらい有名というか、今ではね、貢献された方です。
で、この何をしたかというとですね、この開放骨折といってですね、脚が折れて骨がビョーンと飛び出るっていうのは開放骨折といって、
実はこの時代はその開放骨折になると結構の人が死んだんですよね。
で、骨が出ちゃうとですね、そこに感染して骨髄に培菌が入ることによって肺結晶になって死にましたっていうのがあったんですけど、
結構死んでたのに、このジョセフ・リスターっていう人がフェノールっていうものをしたしたガーゼでその感染症をコントロールすると、
感染性変で治ったやんっていう人がバンバン出てきたわけです。
えっ、何これ?みたいな。フェノールっていうものをガーゼにしませるだけで何か起きてるけど、みたいなところから細菌という発想と、
そして除菌、無菌っていう風な、要は抗生剤じゃないけども消毒という考え方がこの時に生まれたんですね。
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で、これに伴って今までは怪我をした人とか、もしくは何か腫瘍でどうしても手術しないといけない人が命がけでやるという風な治療だったのが、
元気な人に対しても手術をしても死なない、感染で死なないようになってきたと。
で、これによって肺結晶の劇的な減少というのができるんだったんです。これが19世紀です。
で、これによって外科治療というのはグッと広がるわけですね。
だから、このジョセフ・リスターさん、これ知ってるとですね、もう医者もびっくりしますけども、
150年、この150年ちょっと前ですね。で、実はこのフェノールがあったからこそ皆さん今知ってます。
ケミカルピーリングというのが生まれます。
ケミカルピーリングというのは、実はですね、この1967年のこのジョセフ・リスターが発見したフェノールの消毒法で、
なんか消毒してたら皮膚白くなったけど、みたいなことが起きたんです。
え、うぜえやん、なんなんこれ皮膚白くなるけど、みたいな話があって、え、なんなんなんなんって調べてると、
あ、そうか、これは、いわゆるその皮膚を白くするピーリング作用があんねん、みたいな話になったんですね。
で、実際それを調べていきます。フェノールは、あの、ここに入ってる黒トーンオイルという歯水があるんですけど、
これがピーリングの主材で、フェノールというのはまあ機材でしかないんですけども、
当時はこれでお肌を白くできるじゃんっていう風になったんですね。
まあ中毒症状があるので今ではですね、制限されてますけども。
で、ここでですね、ノンサージカルの方で、えっと、さらに発見が続きます。
ここから10年くらい下ってですね、140年前、この時にもう皆さん知ってますね。
これ今でも使ってるものですけども、あのハイドロ機能の異性体ですね。
こんなんもう140年前からあるんです。
ピーリングっていうものが生まれたのは、このフェノールのきっかけからですね、
肌の状態を変えれるじゃんっていうふうに、140年前から行われてるってことなんですね。
で、続きまして135年前、130歳くらいまで生きてる人いますから、
もうこの頃生きてる人、ね、あり得るんですけど、
この絵が鼻、現代の鼻手術、さっきのおでこビローンの鼻のじゃなくてですね、
このジョン・オーランド・ロエっていう方がですね、1887年にアメリカのジビカの先生なんですけども、
今と同じような手術の仕方をして鼻の手術っていうのを始めました。
はい、で、私はですね、この方がすごいなと思うのは、
実はその怪我とか、外傷、腫瘍とかじゃなくてですね、心の病、豚バナで見た目がコンプレックスで
って言ってた人たちに治療をしたっていうところがすごくてですね、
今と同じような考え方で治療してるんですよね。
で、この後、ちょっとだいぶ飛ばしましたけども、
実はこの後フィラーが初めて生まれましたとかですね、
あのさっきの骨切りの仕方がちょっと変わりましたみたいな話があるんですけども、
120年前にですね、ここで例の、これもインスタの方にあげました。
問題が起きます。ノンサージカルの方に注入療法、要は戦争がたくさん起きたものですから、
18:00
戦争で顔壊れた人たちに何か良い方法ないの?と。
脂肪注入があったんですけど、この当時は脂肪注入はですね、脂肪を取るのも針みたいなとんがったものに取るからですね、
取るっていうのがまた命がけで、いろんなガッペ所を起こしたんですね。
しかも取ってきた脂肪をそのまま入れるものですから、全然使えへんし、
精着率悪すぎて、脂肪やっぱあかんやん、もっとええのないの?って言って出てきたのがこのパラフィンだったんです。
石油の開発が進んでいく中で、パラフィンとかワセリンっていうのが出てきまして、
これを混ぜることによって注入したらなんかむちゃくちゃ良くなるやんみたいな。
むちゃくちゃ良くなるやん。だから脂肪とかじゃなくて、やっぱりパラフィンとワセリン混ぜたやつを注入するのがいいやんみたいな感じでめっちゃくちゃ流行ったんですね。
ところが、当然こういうものには落とし穴がありまして、
パラフィノーマといってアトイナってですね、肉下種。いろんなトラブルを起こしてきてですね、
めっちゃ腫れるやんみたいなとか、定期的に赤くなるやんとか、なんかこの辺穴空いてきたやんとか、
ドロドロ海出てくるやんとか、今でもいますね、アクアミドの人とかね。
ちょっとお茶飲もうかな。よく喋るね、山内。
だから注入剤系の歴史っていうのはこうやって新しいものが生まれるとですね、一旦めっちゃ流行るっていうのがありまして、
今だからそれこそ出てきた時に、
みんなスネコスとかさ、
何だっけ、
これ上げたやん、スネコスとか、
なんとか忘れてるけど、
パッと売っちゃうけど、何年か後かに出てくるからこういうのがアプロファーやん、それそれ。
なので気をつけて見ないと何とも言えへんよって話なんですね。
で、115年前、時代はさらに下りまして、
ちなみにこの1901年、ここでですね、ルフォーという方が、
骨にですね、キャノン砲を、
これをね、キャノン砲を顔面にバーンと当てて、割れた時の骨の割れ方でルフォーの分類っていうのを作るんですね。
この時初めてルフォーって言葉が出てきます。ルフォー123型の骨折の名前なんですね、もともとね。
はい、なので、乾いた骨にですね、
この大砲の弾をぶつけてですね、割れた時の割れ方でルフォー123というのを決めたのが1901年です。
はい、面白いですね。で、そこからルフォーというのが出てきます。
で、115年前ここでですね、フェイスリフトが始めて教科書上に出てきます。
はい。
あの、この時のフェイスリフトっていうのはすごいシンプルですね。
これね、ドイツの貴婦人なんですけども、
先生、私のシワをなくして、私の頬を上げてって言って依頼されたんですって。
この先生の名前、なんていうのかな。
あの、ユーゲン・ホーランダーという人。
ユーゲン・ホーランダーという人に、私の頬を上げてって言って、
うむ、じゃあ何とかしましょうみたいな感じで、
21:00
この防水状にいろんなところの皮膚を取っていくっていうことを思いついたんです。
これが一番最初のフェイスリフト。
はい。
で、この時は当然スマッシュなんて意外ではありませんから、
皮膚をこう防水状に切ってですね、
ああ、これなんか切っとったらですね、
ああ、針が出るやんみたいな話になったんですよね。
これがフェイスリフトの始まり。
で、今度100年前、ちょうど100年くらい前にですね、
埋没法が実は日本で生まれます。
日本で生まれます。
もともとは坂まつ毛の地上として日本で生まれたんですね。
この記載がですね、原著を渡ったんですけど見つけられなくて、
1920年からそれが始まったというふうにされています。
で、その後もまあいろいろあるんですけども、
ここ1942年、80年前に実は今と同じルフォーの手術には確立しています。
なので、一番年を取っている人っていうのが、
この手術をしたのが例えば20歳だとすると、
今100歳まで経過は見れているというところですね。
はい。
続きまして、ここ1943年。
まあ終戦直前ですね。
ここでも問題が起きます。
これも皆さんにシェアはしました。
ダウコーニング社による世界初のシリコンオイルDC-200というのが製造されます。
で、これが実はそのシリコンというのが世界で初めて注入されたのは日本人だったよと。
で、これがそのアメリカの駐留軍がいたですね、
横須賀の基地の周りにおられたですね、バイシュンフなんですけども、
その人たちのお胸に注入されたり体に注入されたっていうのがありまして、
このシリコンオイルがですね、横浜の港から盗まれてまして、
工業用のシリコンだから有毒なんです。
いろんな重金属が入っているんですけども、
体の中に注入されることによって、
感染を起こしたりとかアレルギーを起こしたりとか、
穴が出たりとかして、
なくなったんですね、たくさんの人がね。
まあ、バイシュンフの方ですから、
やっぱり新しい治療に対して胸が大きくなるよと言われて飛びついちゃった。
今でもいますよね。
なんとなく新しい治療が出てきたらすぐやりたいという人いますよね。
なので、こういう犠牲者がいて、
しかもそれはね、黒歴史の中に封殺されてたんですね。
これ海外の話として伝わっているという話なんです。
なので、皆さん気をつけないといけないんですけども、
この後ですね、この辺はちょっと発表ではスキップしたんですけども、
シリコンの注入法っていうのがですね、
結局1965年ぐらいですね、
注入療法というのが流行るんですね。
ただ実際には液体として注入すると、
シリコンが移動したり、皮膚に穴が開いたり、
感染症が起きたり、やっぱりね、これも流行ったんですけど、
むちゃくちゃトラブったんですよ。
で、これで実はFDAの認可取れなかったんですね。
流行ってたんですけど、アメリカはこのシリコンを
ダウコーニング者の人体に注入していい、
シリコンだという風に発明をしたんだけども、
FDAの許可を出さなかったという経緯があります。
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で、その後、時代は下りまして、
ここら辺、50年前、シリコン、L型シリコンが流行りますよってありますけど、
実はアジア人の花の歴史っていうのをまた今度出しますけども、
シンガポールのクーブーチャイさんという方がですね、
アジア人の花形成っていう本を1967年に出してます。
で、この後にですね、L型のシリコン、
シリコンの話というのが出てくるんですね。
これはまたインスタグラムで後日投稿しようかなと思ってます。
なのでL型のシリコンが世の中に登場してきたのは、
わずか50年前なんですね。
逆に言うと、20歳の時にやったらやっと70歳になってるってところなので、
まだまだですね、歴史は非常に浅いということを認識しておかないといけません。
一生物なのって言われたら分かりませんっていうのは正確なんですね。
ただ、他の新しい素材に比べると、
やっぱり長い歴史があって、数をたくさんやってるので、
シリコンに関する歴史的な時間の経過に伴う変化というのは、
今人類は一番詳しいと言っても過言ではないかなと思います。
一方ですね、レーザーとかが出てくるのが1965年。
ここでですね、初めてレオン・ゴルドマンテ先生が
ルビーレーザーによるタトゥーの治療というのをするんですけども、
最初レーザーというものが工業的に発明されたものを皮膚に当てたんですけど、
散々たる結果だったんですね。
飛行性ハンコンで傷盛り上がるし、色素沈着で色真っ黒になるし、
めちゃめちゃトラブったんです。
なので15年くらい使われなくなるんですよね。
今でも例えばレーザーの流行りでさ、
旧スイッチからさ、
何だっけ、何レーザーって言う?
ヤグレーザーじゃなくて一番新しいレーザーなんて言う?
ピコレーザー。
流行りのようにみんなピコやりまくってますけど、
同じ同じと思いながら新しいの出てきたら飛びつくの。
みんな同じやでと思いながら、
新しいの出てきてほんまに大丈夫かどうかって
数年経たないとわからへんから、
これ15年間やってるからね。
15年やってやっと使われなくなってるんですよ。
要はトラブったからね。
この1970年、今ではもうあんまりやられないですけど、
動物由来のコラーゲンが始まります。
牛とかですね、取ってきたコラーゲンを人体に注入すると、
え、めっちゃええやんと。
クシリコンとか、やっぱり工業的に開発されたものはダメだったし、
パラフィンもダメだったし、
やっぱり動物から取ってきたやつがいいかもしれないよね。
っていうのでこの動物由来のコラーゲンが流行るんですね。
で、バシバシ注入するんです。
ところがバシバシアレルギーが起きるわけですね。
またこれもですね、さまざまなトラブルが起きるんですよね。
はい。
続いて、
FDAは液体シリコンの注入療法を禁止する。
これはさっきは開発するも許可しなかっただけじゃなくて、
今度は禁止したんです。1976年。
トラブルが多すぎたんですよね。
で、この頃に
ドイツでですね、このキュレット法で
子宮のですね、いわゆるあの
強制打退ですね。
妊娠中絶をするときに子宮の中を掻き出すような
この先の尖った道具があるんですけども、
こういう道具を使ってですね、
脂肪を掻き出す。
今でいう脂肪吸引に近いようなものなんですけども、
掻き出し術というのが生まれます。
27:01
ジョセフ・スクルードさんという人がやるんですけど、
この先があまりにも尖っていてですね、
リンパローといってリンパ菌も漏れるし、
血が溜まるし、皮膚も死ぬみたいな
すごい恐ろしい脂肪吸引の始まりってのがあります。
ここにね。
怖すぎるよね。
時代は逆にいきまして、
FDAは牛コラーゲンの顔面の美容利用を承認します。
これ僕の生まれた年ですね。1981年。
この時にコラーゲンの使用を承認はするんですね。
トラブリーますけども承認はするんです。
この後1977年、
ここで脂肪吸引システムが初めて生まれます。
この後に爪線とほうとか、
先がドンですね。
先は丸いカニウレとか出てきてですね、
合併症が激年。これが今と同じスタイル。
僕が生まれた年ぐらいのところで
美容っていうのがだいたい揃ってきたんですね。
この後にですね、
急スイッチレーザー、パルスダイオードレーザー、
CO2アブレーション、
今でよく聞くようなヤグレーザー、
レーザーの進歩っていうのが出てきます。
いろんなものの波長のレーザーが出てきまして、
これを臨床療養できるじゃんっていう風になってきたわけですね。
一方ですね、
糸の治療っていうのはここで始めていきます。
35年前にスレッドリフトアプトスというのがですね、
今日本人でもアプトス入れてられる方おられますけども、
35年ぐらいですね、今で歴史は。
だから一生文化ってわからない。
で、皆さんお気づきかと思いますが、
ここ実はまだ35年前の段階でも
ヒアルロン酸もボトックスも存在してないんですね。
まだ話出てきてないです。
臨床で使えるような配布の話もまだ出てきてないんです。
じゃあいつできたの?
という話ですけども、
これがですね、なんとですね、
ここ、ボトックスが出てきたのが
まだ30年前です。
この時に眼科、
カナダの眼科医と皮膚科医が
没輪酢トキシンをみけんの島に初めて
使ったというところから、
このボトックス、没輪酢トキシンというものが
臨床用意されることになります。
わずか30年前ですね。
一方、ヒアルロン酸に関してはですね、
1998年、24年前です。
この時にスウェーデンで
初めて
ヒアルロン酸というものを
整合性しまして、
このヒアルロン酸がさっき流行ってた
コラーゲンみたいにアレルギーが少なかったんですね。
コラーゲンって動物のものだから
アレルギーが多かったので
トラブルが多かったんですけども、
ヒアルロン酸のエイアンというところで
一気に変わったんですね。
コラーゲンからヒアルロン酸に
グルッと変わったと。
ちなみにこの後ですね、
PLLAという合成ポリマーが
まだ諦めてないですね。
顔に注入して終わりとエイアンみたいなのが
これ今でもあるんですけども、
開発されます。
あんまええと思わないですけどね。
20年前にやっと
微中核延長とアイガラプロテイルが出てきます。
20年ですまだ。
だから微中核延長一生大丈夫なんですか?
っていう質問に対して
20年間の経過は分かりますけども、
おそらくこうだよということしか
言えないということですね。
この後、
この
30:01
ホスファチルコリンをガンカラーに絞って
いろんなものを注入するっていうのは
ノンサージカルの方って
レーザーもそうですし物質もそうですし
いろんなものを探してですね
打ちたがるんですよね。
ボトックスがアメリカで承認
この時2002年ですこれ。
むちゃくちゃ最近やん。
ヨーロッパでヒアルロン酸の注入が承認
2003年。むちゃくちゃ最近やん。
ちなみにオステオポールが
人体で初めて使われたのはこの2002年
シンガポールです。これも散々
今問題を起こしてますけど2002年からやってますからね。
はい。
なので
ボトックス30年、ヒアル24年、
美術学園長20年という意味で言うと
まだまだ歴史は浅いんですけども
あんまりこういう事実を伝えられて
ないんですよね。
僕らはですね
割と浅いやん
という話を皆さん知っておいた方が
いいと。だから経過を見ていかないと
いけないという話なんですよ。
歴史の中で
言えばですね、当然外科系の
治療の方が昔からある治療が多いので
割と歴史が長くて
長期的な経過っていうのは見ていってるから
進化もしてきてるっていうのはあるんですけども
ノンサージからで皮膚系の方で
いきますとめちゃめちゃ最近なんですね
このクルスカとか出てきて
まだ13年前とかですね
スネコスプロファイルはこの辺です。
むちゃくちゃ最近。
ちなみにここで人類、人口の話も書きました。
起源前1000年で
大体3億人しか地球上に人間いませんでした。
1800年代で
10億人後到達。
1927年第一次世界大戦後ですね
20億人。
1999年に60億人達成。
2022年に
80億人。
この人類の人口がどんなに増えてるのか
考えてみてほしいです。
要はこのフェノールが発見された時
人類はまだ10億人ちょっと
しかいなかったんですよね。
それが今80億人いますからね。
世界が変わってきてます。
チェンジしてますね。
要はこういう時代の流れの中で
移ろうもの、移ろうざるもの
っていうのがやっぱりあるので
私たちっていうのが全て知ってるかというと
そんなことはないというところで
僕らはある意味
伝導者としての今という立ち位置で
今判断できる正しいこと
もしくはこれは正しくないんじゃないかというところを
判断していかないといけないし
逆に今正しいと思ってることが
5年後10年後には正しくないと
評価をされる可能性もあるという
意識を持っとかないといけないという
話になってるわけですね。
だからよく最新治療があるで
効果があるでって歌ってるその治療は
客観的なエビデンスがどれぐらいあるの?
というところですね。
それはもしかしてむちゃくちゃやばいんじゃないの?
っていう感覚を持っとかないといけないです。
例えば効果がないだけだったら
別に元に戻りましただけだったらいいんだけど
元に戻りました
じゃなくて変なことになっちゃいました
ってなるようなものを
使ってませんか?というのが大事なわけですね。
ですね、色々な歴史において
変わるもの、移ろうもので
変わらぬもの、本質的なもの
つまり変わらない本質的なものっていうのを
探していかないといけませんよね。
という話ですね。
33:03
ここまで第1弾なんですけども
ちょっと一回これをですね
こっちにこうやりまして
33:44

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