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  2. #295 自分自身を作品として考..

自分自身を作品としてとらえていることに気づいた今、あらゆるインプットとアウトプットに対し、もっと自覚的になれそうな気がしている。それらは作品に影響するどころか、そのまま作品に組み込まれてしまうのだから。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください!  https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5  マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント!

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、自分自身を作品として考える、という話をしたいと思っています。
先日散歩をしながらですね、いろいろ考え事をしてたんですけども、
自分の人生を通じて、表現活動というか、そういうものをですね、振り返ってみたところ、
今、自分は自分自身を作品として捉えている、考えているんだな、ということを自覚したので、
認識の変化というか、そこにたどるまでのですね、人生を振り返っていきたいな、
簡単に振り返っていきたいな、というふうに思うんですけども、
僕はですね、物心ついたときから、こう想像する、妄想することがすごく好きで、
頭の中の世界に生きていたんですね。
多分それは少なからずですね、絵に描いたような貧困母子家庭に生まれて、
現実の世界というか、リアルの世界がそんなに物質的にとか、
いろんなもので恵まれていなかったところもあったので、
頭の中にいた方が楽しいというのが単純にあったのかなと、
今、ドライに振り返ってみるとね、そういうのがありますね。
本がたくさんあるとかでもないし、遊び道具がいっぱいあるみたいな家でもなかったので、
お出かけするとか家でもなかったので、やっぱり頭の中で遊ぶみたいな感じの
幼少期だったのかなと思いますね。
そんな感じで想像する癖が、頭の中に映像を思い浮かべる癖が、
ちっちゃい頃から育てられてきたというか、結果として育ってきたところがあって、
小学校ぐらいからですね、絵を描いたりとかね、絵を描くっていうのも何ていうのかな、
授業中にノートとか教科書とかの隙間にね、イラストを描くっていう、
イラストか、イラストを描くのが好きでしたね。
みんなそういう落書きする人はするから、別に特別その絵が上手かったわけでもなければ、
絵にのめり込んでたわけでもないんだけども、最初は絵を描くってどこから始まりました?
で、中学校に入ったぐらいから、何かわかんないけど、作詞、詩を書くようになって、
結構その授業中とか暇な時間、授業中は暇じゃないけども、本来ね、
大学3授業とかの時には、詩を書くみたいなことをやってました。
で、中3からバンドをするようになって、そこからですね、作詞作曲をするようになって、
中学校のことを書いた詩、プラスね、音楽も作るって感じで作詞作曲をするようになった。
で、そこからもうバンド活動をずっとやってたので、
作詞作曲っていうのが自分の表現活動みたいになってたんですけども、
それこそ30代前半、一昨年ぐらいかな、そのノートをね、エッセイを毎日書き始めて、
そこからですね、今度作詞作曲がもうピタッと止まって、
そういう毎日文章を書くとか、去年からはですね、この毎日喋るというのもあるんですけども、
文章をもとに喋っているので、毎日ね、エッセイを書くようになったっていうのが、
最近のここ数年の僕の表現活動なのかなというふうに思っています。
で、その時に、自分は文章の人になったのか、
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その表現をするという意味で文章を書いている人になったのかって思うと、
違うなーってずーっとなんか違和感があったんですよ。
別に文章を書く人でもないし、
そういうあんまり感覚がないと。
でも、じゃあ実際ノートの有料マガジンとして販売しているのは、
そのエッセイを販売している形になっているので、
文章を売っている人になっちゃってるなと思って、
なんか違うんだよなーってずっと考えてたら、
結局たまたまそのエッセイという形で発表しているだけであって、
自分が何を考えたかっていう、自分という存在をたまたまエッセイという形で表しているというかで、
なんか書いていることが重要じゃない。
例えばこのボートキャストで喋ることと書くことは僕の中ではあまり違いはなくて、
もっと言うと作曲することもあまり違いはなくて、
基本的に自分が考えたことを作品というかに落とし込むということをやってたんだなと思うんですね。
今の感覚、現在の感覚でいくと、
その文章を残しているという感覚があまりなくて、
自分の考えを整理している以上という感じなので、
どっちかというと自分自身を作品と捉えていて、
その何を考えたかというポイントとして文字にたまたましているというだけで、
メモを書いているに近いんですよね。
だから文章を書いているって言ったら文章が作品っぽくなるけど、
メモを書いているって考えた時に、作品何も残してないじゃんっていう状況に近いと。
で、その時に自分自身が作品ですみたいな感覚にちょっと最近はなっているんですね。
なので、別にオシャレとかではないけども、自分がこだわった服を着る。
今サムエを着てたりするんですけども、自分が着たい服を着る。
なぜなら自分は作品だからとか、もちろんこういった言動もそうだし、
しゃべり方もそうだし、ツイッターのつぶやき一つ取ってもそうだし、
自分自身が作品だと捉えた時に、
生きているすべてのコマがやっぱり作品としてどうあるべきかっていう感じに
最近はなっているなという気がするので、
最近ちょっと文章を書いている人じゃないんだけどなっていう違和感が晴れたというか、
自分自身が作品なんだという感覚。
あくまでエッセイはメモ書きに近いんだってことが分かったので、
自分の中ではスッキリしているんですけども、
今度ですね、そうなってくると周りからの見え方としてはやっぱり分かりづらくなっていくんですよね。
何かができる人、マーケティングができる人とか経営ができる人とか、
文章が書ける人、作曲ができる人みたいな何かができる人ってなると、
そこに価値みたいなものをつけやすい、値段をつけやすいから、
人はその価値を認識しやすいんだけども、
自分自身が作品ですとか言っちゃうと、
じゃあ何ができる人なんですかみたいな、
じゃあ具体的に作品見せてくださいみたいになっちゃうんだけど、
いやいや僕が作品ですとか言っても、
何言ってんだよみたいになるじゃないですか。
なのでその辺の難しさはあるんですが、
少なくとも自分自身はそこにすごく今腑に落ちていて、
自分なんか別の回で言ったのかな、
存在で飯が食えるかみたいなことをすごく僕は今人生をかけた一つ実験としてやっているんですけども、
いわゆるできることに対して対価が支払われるのではなくて、
存在に価値がついて、
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存在に何か物を与えられるのかお金を与えられるのかわからないけども、
存在で生きていくことができるのか、
みたいなことにすごく最近は興味があって、
それの意味も何となく自分自身を作品として捉えるっていう風に考えていくと、
そこに落ちてくるなという風に思っているところでございます。
自分自身を作品として捉えるっていうのは、
株式会社ブック代表の樋口さん、
コテンラジオプロデューサーの樋口さんとかが、
よく自分自身の人生を一個の本とか映画みたいに考えている、
みたいなふうにおっしゃっている場面とかがあるんですけども、
僕のそれはですね、
確かにそれも一つ作品として、
作品の一つとして映画、本という捉え方ができると思うんですけども、
僕が捉えている自分自身の作品っていうのは、
ちょっと映画とか本とは違って、
というのも映画とか本っていうのは、
始めにがあって終わりにがあるというか、
時間軸の作品だと思うんですよね。
けど僕が持っている作品っていうのは、
今この瞬間が結果として作品である、
みたいな考え方をしているので、
毎日作品がアップデートされているというようなイメージです。
なので自分が35年間生きてきた、
今これが作品であり、
そして明日またその1日分が上塗りされた、
それが新しい作品としてって感じで、
作品が常にアップデートされているみたいな感覚で、
常に完成形、常に発展途上みたいな感じのイメージで、
自分自身の作品と捉えているという感じですね。
なので銅像、銅像でもないね。
何だろうね。分かんない。
何だろう。日々塗り替えられていくので、
アプリに近いかもしれないですね。
アプリに近いかも。日々アップデートできるみたいな。
アップデートしているのか退化しているのか分かりませんけども、
日々変化していく。作品として変わっていくみたいなところで、
僕は考えているので、
ちょっと映画とか本とは違うけれども、
自分自身を作品として捉えているというところは、
あるかなというふうに思いますね。
ひるがえって皆さんは、
自分自身の表現活動みたいなところは、
どんなところで表現されているでしょうか。
例えばそれはアートみたいなことで、
何だろう。絵を描いたり、音楽を奏でたりとかする方も
いるかもしれませんけども、
それは仕事の場面で表現されている方もいるかもしれないし、
家庭の中でとか、分かんない。子育ての中で表現されている方も
いるかもしれないけれども、
自分自身がどんな表現活動をしているかっていう、
自分を表現者としてですね、
考えてみたときに、
自分はどんな表現者なのか、
何を表現している人なのかみたいなことをですね、
改めて考えてみてもらえると、
ちょっと面白いんじゃないかなというふうに思います。
僕自身はですね、
イラストを書く、そして詩を書く、
作詞作曲をする。
そして始まりにはですね、
自分自身が作品とか言い出している、
ちょっとよくわからない感じに到達してしまったので、
ここから先の人生がですね、
またどうなっていくのか。
今度自分自身の作品とか言っている人間が、
来年とかに文章を書いている人なんだとか、
突然言い出すかもしれないし、
またその変化も含めてですね、
またご報告できればいいかなというふうに思っています。
人は誰しもですね、
何かを表現しながら生きているんじゃないかというのが
僕の考えですので、
皆さんがどんな表現者なのかということをですね、
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知れたら嬉しいなというふうに思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。
さよなら。
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