はい、ワーク・ライフ・ラン始めたいと思います。 本日のゲストは芦澤伸)さんと寺崎俊之)さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速ですけども、自己紹介の方をまず芦澤さんの方からお願いいたします。
今日はお招きいただきありがとうございます。 私、芦澤伸と申します。
辻風アスリートクラブで運営員をやっておりまして、担当は練習会一般の運営とかを任されております。
一応、うちのチーム、本名で呼び合う習慣がなくて、必ずあだ名、ハンドルネームって呼んでるんですけども、
私、アッシーって呼んで、ちょっと芦澤さんとかって呼んでるとくすぐったいので、このからさっきアッシーで大丈夫ですので、よろしくお願いいたします。
自己紹介っていうと、今日は私、おそらくランさほど早くもなく、特徴、長い距離を走るわけでもなく、
こうやってお招きいただいたのは、たぶんチームのことを、今後の歴史とか、一番私が詳しいので、その辺で呼ばれてると思うので、
自分の自己紹介はそこそこでいいかなと思うんですけれども、
一応、ランは始めたのが大体17年になります。
辻風始めたのが16年になるので、私、ラン始めてから1年で辻風を立ち上げてきたっていうことなので、
プラス1になるので分かりやすいんですけども、そこからずっと辻風と共に歩んできたって感じですね。
一応、ずっとサブスリー目指して頑張ってきて、1回だけ達成しております。
それをきっかけに、もうラン、レースに興味をなくして、以降ほとんどレースを走らず、
もう気がつくと10年近く走ってないような状況になってるんですが、
そのおかげで練習は頑張ってやってるんですけども、一切レースじゃないという、そういうちょっと変わったランライフを送っております。
そんなとこです。
ありがとうございます。じゃあ、またいろいろお話を聞いていければなと思ってます。
では、寺崎さん、自己紹介をお願いします。
はい、寺崎敏行です。ハンドルネームはSHOWATCHです。
ウルトラマンのSHOWATCHではなくて、会社で聴覚障害の人たちがいっぱいいるので、
そこでSHOWを使ったりとかするのが、ハンドルネームの成り立ちということになります。
私は元々近所で2、3キロ走ってたんですけども、10キロ走れるようになったので、どっかクラブに入ろうと思って入ったのが玉川クラブ。
そこでいろいろ練習をしたことによって、10キロハーフフルマラソンというふうにチャレンジしたんですけども、
初フルマラソンでやっと3時間半を切れたんですけども、それから半年後、実は脳梗塞でちょっと倒れてしまって、
医者からはフルマラソンはやめた方がいいかな、みたいなことを言われたんですけども、3年後もう一度フルマラソンを走って、
それから、どうせ走るんだったらサブフォー目指す人たちの練習に付き合ってあげようかなというところから、
ベーサーをずっと始めたというのが現在のランの状況です。
私自身が他にレース記録を目指すというよりも、みんなと楽しく走りたいなというのもあって、
いろんなイベントを私自身も立ち上げてやっているという感じです。
以上です。
ありがとうございます。
私も、今日のアッシーさん、スタッフさんとは、去年から辻風の方に私が参加させていただいて、
そこで本当にいろいろと参加している中での人とのつながりなんかもいろいろサポートしてもらったりして、
楽しく一緒に活動させていただいています。
今日は辻風アスリートクラブの歴史や歩みなんかもお聞きできればなと思っています。
なので、今日はアッシーさん、しゅわしゅさんとお呼びしながら会話していきたいと思っています。
よろしくお願いします。
ちょうど振り返るのによくて、ずっと新しく入ってきた人が多くて、
古いメンバーが分かっていることだと思うんですが、大半が新しくなったから、
どうして辻風ができたのとか、なんで辻風というのかというような疑問がたくさん投げかけられてくるようになったので、
これを聞いてもらえば分かるようになるかなと思うので、ちょうどいい機会なのでよかったなと思いました。
では、今日は辻風の歩みを中心にお聞きできればなと思っています。
アッシーさんに、なぜ辻風が立ち上がったのかとか、
その初期の頃のお話をお聞きできればなと思うんですけれども。
辻風、先ほどしゅわちさんが玉川クラブの話をされていたと思うんですけれども、
もともとは玉川クラブ、私もしゅわちさんも他の古いメンバーもみんな玉川クラブのメンバーだったわけですね。
玉川クラブに入って、今私年表を作ってきたんですけれども、2008年に玉川クラブに入会したんです。
だいたい冬ぐらいだったかな。そこの何も分からず、とりあえずランもまだ右も左も分からない状態で入って、
それでいきなり入ってから、もともと玉川クラブって川崎の下流域、川崎に近い古市場というところで練習拠点があったんですが、
私自身が読売ランドのあたりに住んでいるので、行くのにすごい遠くて時間がかかるんですよ。
それで毎週土曜日練習会出るって、当時は日曜にも練習会があったりして、土日2回出るのすごい大変だったっていうのがまず一つあって、
漠然と土曜日は一生懸命トラック練習を古市場でやって、それで日曜日のロング練習はこっちの方でできないかななんて考えてはいたんですね。
その時にたまたまこの年表で2008年の12月に、玉川クラブで玉リバーって今でも辻風ついている玉リバー50っていう、
よくハネハネっていう羽村から羽田まで走るイベントをちょっとやろうかっていう話になって、
その時にピンキー、大江健一っていう一緒に立ち上げるやつがいるんですけれども、ピンキーって言うんですけれども、
ピンキーがまず条例域に住んでるから、羽村近いからピンキー運営員、実行委員やってよみたいな話になったらしいんですよ。
ピンキー一人だとちょっと大変なんで、アッシーさんちょっと一緒に手伝ってくれないっていう当時の代表から言われたのが、
この直接の辻風につながってくるんですけれども、それでじゃあ二人で試奏しようっていう話になって、
その時に僕がさっき言ったようにこっちの方で練習会やりたいんだよねっていう話をピンキーとしてて、
だったらこっちでちょうど小前、多摩川の河川敷、小前市に距離表示のゼロ地点っていうところがあるんですね。
ゼロメートルから4.4キロかな、府中の境まで行っていくっていうコースがあったんで、
ここら辺でやったらいいんじゃないかなんていう話をちょうど試奏してるとこ、そこ通りかかった時にそんな話をして、
そこが辻風を結成するきっかけになったっていう感じですね。
それが2008年の12月のことで、試奏ピンキーと一緒に2回3回ってやってたんですけれども、
だんだん最初はやったらいいねえが、実際ちょっと近くにちょうど初代会長を務める中野さんっていう、
タコ中さんって私たち呼んでるんですけれども、タコ中さんがちょうど小前に住んでいて、
タコ中さんちょうど近くにいるから、タコ中さんにもちょっと巻き込んでちょっと練習会やろうよなんて、
そういうまず最初は洒落のような感じで話してたのが最初のきっかけになります。
じゃあ最初はなんか自分たちが走りやすいコースを探してたみたいな感じですか?
まあそういう、言うても僕あれラン始めてまだ半年で、まだその後でキロ後でも走るかどうかのまだペーペーで、
しかもクラブでまだ新参者で在籍2ヶ月かそこら辺だったんですよ。
それがいきなり別で練習会っていう今みたいにSNSもない時代で、
そこでこうやるっていうのはまずちょっとね、クラブの他の先輩方にちょっとなんて思われるかとかいろいろビクビクした部分もあったんですけども、
でもなんかちょっとやりたいという情熱がちょっと勝って、しかもその後に結局思想を3ヶ月くらいやって、
実際そのタマリバーが翌年の2009年5月にやった時に結構大盛況だったんですよ。
今みたいに大規模な大規模なイベントとかってタマがクラブはもうガチでしかやらないんでやったことないし、
今みたいな状況もLINEもFacebookも何もない状況で、
そういうイベント、マラニックって言葉自体もまだなかった頃にそういう大きいイベントをやったっていうのがちょっとかなり自信になったんですよ2人で。
それでじゃあちょっと次はこれやろうあれやろうとまた盛り上がってきて、
それでそこからいろんなイベントを打っていくんですよ2人で。
今みたいにしわしさんがやっているようなことなんですけども。
それをずっとやっていて、中でその例の練習会、そのタマリバーが5月だったんですけども、
その後で今運営やっているのじさんとか結構近場の人たちがまたメンバーも増えてきて、
さっき言ったけど初代会長タコ中さんとかを巻き込んでいろんな企画をちょっとこっちで立てて、
イベントがいくつかやっていく中でその練習会にこぎつけると。
そこの時はまだ上流支部っていう形で、僕らタマが川崎の古市場からするとかなり上流域のスタッフが多かったんで、
上品というのは上流ではないんですけども、上流支部とかって何かいつしか言われるようになって、
上流支部の練習会をやろうということで、そこで2009年の9月の第1回のコマイゼロ地点練習会と言っているんですけども、
そこにこぎつけたっていうのが感じです。流れになります。
なるほどです。ありがとうございます。最初の頃の流れがよくわかりました。
アシーさんがタマがらクラブを走っていた時のモチベーションというか。
僕はもともとはランとかってあまり興味なかったんですけど、山をやっていたんですね。
1人でずっと登山を4,5年ぐらいずっとやっていたかな。40歳になってから。
その時の体力がつくので、ちょっとジョギングでも始めようかなと思って、軽い気持ちで始めたら、
時にちょうど東京マラソンが始まって、マラソンというのが盛り上がっている時期だったので、洒落で申し込んだんですよ。
したら一発で引き当てちゃって、それでこれちょっと走るからには感想したいなと思ってタマがらクラブに入るわけなんですね。
それで入って、東京マラソンがあの当時2月だったか確かぐらいだったと思うんですけど、
入ったのが多分11月とかそのぐらいかな。
2008年の11月に加入して、その1月後にさっき言った実行委員にピンキル氏に選ばれて、
それでその3ヶ月後にイベントを成功させて、それで常理支部を作ってしまうという。
半年に、いきなり何やってるんだって感じなんですけど。
これは完全に非公認ですね。
玉川クラブの方は全く関係なしでやってましたね。
この頃に参加されてる皆さんは参加しやすさとかあると思うんですけど、
みんなどういうモチベーションどういう雰囲気だったんですかね。
今の火曜と火曜は全く変わんないですね。
結構早い人が来てはいたんですけども、
それの内容を当時は玉川クラブ掲示板あるじゃないですか。
昔のティーカップ掲示板って今なくなっちゃったんですけど、
フリーの掲示板があって、あそこにこんな練習した、あんな練習したとか、
レースコーダーとか結構活発にやってた。
今LINEとかなかったんで。
そこに一応火曜日こんなことやってますみたいにバンバン書き込んで。
辻風の方にも掲示板作って、別だったんですよ。
だからああいう土連は、土曜練習会は土連って言ったんですけども、
土連は玉川クラブの掲示板で、火曜連はこっちのメイン練習会として、
キヌタとかこっちは辻風の掲示板に書き込むみたいな、
二足のわらじで活動しましたね。
だんだんでもこの頃から拠点が固まってきたみたいな感じですか?
そうですね。先ほど言った駒井ゼロ地点が、
後椅子とかもないし、非常に行きづらいかったんですよ。
駅からも遠いし。
1回だけで終わっちゃったんですよ結局。
何か行きづらいから、この辺でやるんだったらどこがいいって、
ピンキーといくつか駒沢走ったり、キヌタ行ったりしたら、
キヌタがいいんじゃないかっていう話になって。
それでキヌタで始めたら、何ですか人が集まるようになったって感じですね。
でもその当時はまだね、僕らも玉川クラブの中でやってるんで、
ほとんどが玉川クラブのメンバーだけですね。
新しく入ってくる人も、一応辻風に入会というよりは、
玉川クラブに入会という形で、ずっと活動してましたね。
しわちさんが2010年の6月に、玉川クラブに入会するんですね。
しわちさんは、玉川クラブに入った心持ちみたいなのはどんな感じだったんですか?
あの頃は本当に全然走れなかったんで、
逆に走り方を教わったというか、いうのがあるんですね。
私がすごい感激したのは、トラックですから一周400じゃないですか。
同じペースでみんな走るっていうのが、すごい驚きだったんですね。
しわちさんは最初は小田からですか?
最初はドレン。
ドレンからキヌタ公園の練習会行ったり、小田間練習会行ったりとかっていう感じですね。
あの頃結構増えたんですよね。
もっちゃんとかウィンウィンさんも同じくらいですか?