00:05
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社FFRI代表取締役社長)様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1973年、徳島県生まれ、CODAC研究開発センターにてデジタルイメージングデバイス研究開発に従事した後、
2003年に都弁、iデジタルセキュリティ社に入社。
その後、2007年7月にFFRIを設立、2014年9月にはMothersに上場されていらっしゃいます。
上場企業の社長様ということで、大変楽しみにしております。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問で、ご出身は徳島県ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?
小学校時代は小学校5年生からパソコンを触り始めたので、今はオタク少年みたいな感じだったのではないかと思います。
当時のパソコンだと98シリーズとかそんな感じですか?
そんなに高級なものは買えなくて、当時親が買ってくれたパソコン、MSXというパソコンですが、それでも結構高くて、98は夢のパソコンでした。
徳島県でそれを買える家庭というのはご裕福な家庭でしたか?
全然そのことはなくて、普通の家庭で、親がたまたま電気屋で電気の修理をやっていたのですが、もともと親もそういうのに興味があったので、たぶん買ってくれたのだろうなというところです。
その後、高校にお住まいになっていると思いますが、高校も徳島県の高校でしたか?
普通の高校ではなくて、いわゆる高専というやつで、これは香川県なんです。
徳島県の中で、高専でもあるのですが、情報工学家というコンピューターをやる専門学科がなくて、香川に行ったというのが経緯です。
小学校の5年の頃から、パソコン系、コンピューター系、今のお仕事につながる情報系に進むというのは早い段階でお決めになっていますか?
そうですね。たぶん中学校1年生ぐらいのときは漠然とですが、コンピューターに関わる仕事がしたいというのはずっとあって、2日高校に行かずにコンピューターの道に進もうということで、高専に行ったということです。
高専に進まれることは、頭の勉強もすごいできた?
いや、そんなことはなくなりました。結構苦労して、でも逆に言うと文系が全然ダメで、今思えばもうちょっと文系も勉強しておけばよかったなというところです。
その高専の後は大学にお勧めになったんですか?
大学はどちらのほうでいらっしゃったんですか?
これは徳島に戻ってきて、徳島大学です。
国立大学でいらっしゃいますね。そちらはどんな学部にお勧めになったんですか?
これはまさに情報工学科で、知能情報工学科という学科ですね。3年生に実は編入して、3年生からなんですけれども。
03:06
なるほど。高専なので3年に編入できちゃうということですね。
そうですね。5年間行けば、編入試験を受けて3年に編入できるという感じです。
なるほど。大学時代はどんなふうに過ごされました?
大学時代は実は結構勉強して、小学校、中学校であまり勉強しなかったんですけれども、大学は結構真面目に勉強した記憶があります。
ほぼほぼ、学校の勉強もしていましたけれども、自分のいわゆる個人的な勉強であったりだとか、
あとはプログラミングでアルバイトとか仕事もしていましたので、そういう専門教育を受けながらそれに関わる仕事をしていたというところです。
なるほど。その後、ご就職は子だと言っていらっしゃいました。
そうですね。はい。
これは選ばれた理由というのは何かありますか?
実は大学院に進んで、そこでサイバーセキュリティに興味を持ったんですけれども、
サイバーセキュリティの会社というのが日本にはいくつかあって、いいなとも思ったんですけれども、やはり研究開発をやりたいなという思いがあって、
日本のサイバーセキュリティの会社というのもあったんですけれども、研究開発をやっているわけではなくて、
海外の技術を日本に持ってきて展開するような会社が非常に多かったので、やはりそういうところに急では研究開発をやりたいということで、
コダックはちょうどデジタルイメージングの研究開発をやっていましたので、そちらに入ったというのが実は経緯です。
なるほど。何年ぐらいコダックにいらっしゃったんですか?
約3年ぐらいですね。
3年でもうお辞めになろうと思った理由は何かありますか?
そうですね。実は大学時代、セキュリティの研究というのは個人的にやっていたので、本当はセキュリティの会社に行きたかったんですけれども、
入った直後ぐらいにちょうどサイバーセキュリティのビジネスというか業界が急速に大きくなり始めて、特に北米で大きくなって、
コダックに入った直後から実はいくつか海外のベンダーからオファーをいただいてこないかということで言われていたんですけれども、
入ってすぐだし、まだまだデジタルイメージングでもいろんな研究も開発もできるなということでしばらくいて、
行きたかったけれども海外の会社なので名言もしゃべらないといけないしというのを3年ぐらい悩んで、
やはりサイバーセキュリティに行きたいなということで実は海外のベンダーに就職したというのが経緯です。
なるほど。都米をして海外の会社に就職するというのはかなり勇気がいるんじゃないかなと思うんですが。
いやもうおっしゃる通りですね。それで実は3年ぐらい悩んで、
逆に言うと3年ぐらいずっとお声掛けをいただいて、相当悩んでいったというのは実際ですね。
なるほど。アメリカの会社に勤められて何か勉強になったとか覚えていることとか何かございませんか。
そうですね。やはり念願の研究開発がやれるということで、それは非常に環境としては良かったかなと思います。
06:00
2003年に都米をしたんですけれども、当時もやはり日本ではそういったサイバーセキュリティで研究開発をやっている会社もなかったものですから、
選択肢は必然的に海外ということだったんですけれども、ちょうど前職の会社というのはベンチャー企業なので大きな会社ではないんですけれども、
世界中からいわゆる名打てのサイバーセキュリティエンジニア、いわゆるホワイトハッカーみたいな人たちがたくさん集まっていて、
まさに本当にトップレベルのエンジニアがたくさんいる環境の中で切磋琢磨しながら仕事ができたというのはものすごく環境としては刺激的だったし、非常に良かったなと思っているところです。
3分コンサルティング。ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはA様、20代男性、企業を考えているそうです。いつもフォトキャストインタビューを楽しく拝聴しています。ありがとうございます。
皆様が皆様様々なバックグラウンドを持ちで一人として同じストーリーではないこと、それがとても興味深いです。本当ですね。先ほどもインタビューしていたんですが、なかなか皆さん面白いですね。
恥ずかしいのですが、社長にインウィズビは毎週聞いているうちに起業してみたいと考えるようになりました。ぜひ起業してください。
自分のようなものでも一度きりの人生チャレンジしてみることはできるだろうという気持ちにさせてくれた番組です。これは皆さん方のおかげですね。いろんな社長さんのおかげです。
両親も親戚も教員だけですし、周囲に起業家がほとんどいないため、最後の勇気が出ていない状態です。
番組では特にインタビューの最後、成功の秘訣を聞けるのがとても参考になっています。この成功の秘訣を新谷さんにもお伺いしたいと思っています。
授業内容も何も考えていないので教習ですが、新谷さん自身が起業してよかったと思うことなどもあればお聞かせいただけないでしょうか。チャレンジの成果を知っていただけるとうれしいです。
皆さん方成功していないというふうにお答えいただいている成功の秘訣ですが、私自身もまだ全然成功していないので、成功の秘訣なんて私はわからないというのは正直なところでしょうか。
ですし、いつ成功するんだろうなと思いながら考えています。
でも昔、勇気の新谷さんのセミナーを聞いたときに、新谷さんが富士山まで登ると8号目ぐらいまでしか行かないんだよ。そこで富士山を登るよりもっとエベレストを登らなきゃと思い始めた。
エベレストの8号目ぐらいまで来ると今度は宇宙に行かなきゃと思う。
常に80%ぐらいか90%ぐらいで次の目標が出てくるから、成功なんていうのはいつまで経っても来ないんじゃないか。後悔ばっかりして後悔したまま死ぬんではないかみたいなことをおっしゃっていたのを記憶しています。
私はそれにものすごい共感しまして、ビジネスというのは常にもっとこうしたい、もっとああしたい、もっとこうよくしたいと思うからこそビジネスが発展するし良くなるので、結果的に周りと比べたら成功しているというふうになるのかなというふうにそのときは思いました。
09:05
実際私も体感しているわけではないので、いろんな人のお話を聞いているとそうなのかなと思いますので、成功とかそういうのではなく諦めないというかやり続けるというかもっともっとといいますか、そんな感じが本当は成功の秘訣なんじゃないのかなというふうには思います。
一方でどうやったらチャレンジできるんだろうかというご質問なんだと思うんですけれども、私の場合はうちの父も国家公務員でしたから、社長をやるときにうちの母にはバカかお前はとこういうふうに言われまして、あんたには無理だと言われましたので、
ちなみにうちの母はひどい人で、私は当初一部常務になったときも、あんた常務にする会社なんで潰れるわよきっとと言って、半分本気なのかわかりませんが、そうしましたらその会社も本当に潰れて、ちょっと笑える話ではあるものの、そういうことを言われているのでちょっと不安になったというものの、それを無視して起業しています。
結果的に私は流れで起業したので、幸せかどうかというのはよくわからないですけれども、一つ言えることは、起業はやっぱり自由ですし、自分の自己責任ですし、人のせいにできないので、それが一番よかったですね。
さらに今んで、当初一部常務で部長、執行役員、常務なんてやってますと、上の意見も聞きの、下の意見も聞きの、なんとなく中間管理職というのは両方にいい顔をしなきゃいけなくて、大変めんどくさいというか、何をやってるんだな、これはというようなことにもありますし、そんなことやっててどうするんだろうと思う瞬間もあるわけですよね。
だし人のせいにしたくもなりますし。だけど社長やってることを誰のせいにもできないですね。全ては自己責任なんで、それは正直言うとつらい面も多々ありますし、重い面もありますし、泣きたくなるときも、うさばたしたくなるときも、愚痴を言いたくなるときもある。
もちろん心配事もいっぱいだし、不安もいっぱい。だけど全ては自己責任なんで、自分の能力がこの程度なのかしょうがないかというふうに全てを日焼け直れる部分もある。そういうふうに考えますと、自己責任というのはある意味本当の意味での自由なんだろうな、もちろん責任は自己責任なんで責任はすごい重いわけですが、本当の意味で自由になりたいと思ったら起業する以外は道はないんじゃないかなと。
こういうふうに思えるほどなんですね。そういう意味でいくと、この起業する社長になるということは、自分を本当の意味で自由にさせることなんではないかなというふうに思っています。
まだ20代ということですので、考える時間はまだまだあると思いますし、とはいえもし思い方がきちじつじゃないですが、早い段階で起業していただいてもよろしいんではないかなと思います。ぜひチャレンジして、日本社会のため、世界社会のために起業を成功していっていただければなというふうに思っております。
12:12
本日の3分ソングファイティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。本日のポッドキャストはここまでになります。また来週お楽しみに。