これが今日のハイライトだ。よく聞け。
そもそも、人の幸福度ってどう測るんですか?
吠えラジオ
理不尽な社会にもんやり
こんなんおかしいやろ
と思うのは私だけ?
そんなストレス社会を生き抜くあなたのために
愛と勇気のエールをお届けする
知った激励考察トークプログラム
アラサーゲイの吠えたいラジオ
社会の闇を
ほえっぱに代わってお仕置きよ
はおー
本日のテーマはこちら
トロッコ問題とオメラスが問う現代の価値観
哲学と倫理の狭間
今回はちょっと難しい話をしようと思っております
なのでできるだけ紙砕いてわかりやすいように
お伝えしようとは思っております
また結構な方がね
こう嫌悪感を抱くような内容も含んでおりますので
再生回数に貢献しなきゃとか思わなくて良いので
今回ちょっとしんどいわってなったら
もう遠慮せずに離脱しちゃってください
かなりもしかすると後味は悪いかもしれないです
もんやりしたまま終わる回となる可能性がございますので
ご注意ください
というのもですね
僕哲学とか倫理学っていうのが大好きなんですね
そもそも哲学って何と言う方もいらっしゃるかもしれないので
めちゃくちゃ簡単に平たく説明をしますと
実体のないものについて概念みたいなものについて考える学問を哲学と言います
例えば人生だとか愛だとか正義だとか
そういう抽象的な概念について考える学問のことを指しております
なので実体があるものよりも上位の存在について考える学問なんていうふうにも言われておりません
こういった哲学やモラルを問う倫理学も言うたらもう正解がない学問なんですね
ホエラジも実はめちゃくちゃ哲学的な番組やなというふうに
僕自身は勝手に思っておりまして
僕の中の正義を中心にお話ししている番組なので
結構哲学とか倫理のお話を僕はしているつもりなんですね
でね先ほども僕は申し上げましたけれども
哲学だとか倫理というのは絶対的な答えがない学問なんです
ということはですよ
例えば僕がホエラジで発信しているような正義だとか正しさというのは
誰かにとっては正しくないとか
それはおかしいんじゃないかっていうふうに感じる方が現れて当然なんですよ
だって実態がなければ絶対的な答えもないので
それじゃないんじゃないかなって思う人がいて当然なんです
これまでねいろんな哲学者って世の中に存在しましたけど
やっぱり同じようにこの哲学者が言ってる哲学はおかしいんじゃないかという思う人たちが
当然現れてくるんですよ
そしたらそうおかしいなって感じた人たちが論理的に今度否定するんですよ
このAっていう哲学を提唱した人に対してBという哲学をぶつけて
おかしいぞお前の言ってる哲学はおかしいぞって殴り込みをしてくるんですよ
だがしかしですよ有名な哲学者にはお弟子さんなんかがいらしたりもするので
例えば僕が有名な哲学者だったとしたら
東風天の哲学はおかしいという人が現れるんですけれども
結局そのまた東風天チルドレンがですね
いやいやいやいやお前は矛盾をこういうふうにしてきてるけれども
これはこういうことでそもそもお前の提示してきた理論は
ここがおかしいぞなんつって殴り返したりもするんですよ
言うたら学問の天下一武道会みたいなことをやるのが哲学なんですね
答えが永遠に出ない問いに対して人生をかけて
文字通りそれぞれの学者が一生をかけて考え抜いた答えで殴り合うというのが
哲学という学問なんですね
なので僕は結構暇になると脳みそ暇やなってなると
僕は僕の中の哲学について考えることが非常に多いんですよ
正義ってなんだとか愛ってなんだとか人生ってなんだとかね
そういうね途方もない人によってはくだらないとか
こういう考えを不特定多数に例えばxとかで発信すると
大丈夫病んでるなんていうふうに誤解をされてしまうことも多い内容について
ボーッとあてどなくオチもなく考えるのが好きなんですね
でようやく本日の本題でございます
今日はね日本でも有名なトロッコ問題について考えてみようぜというところが主題でございます
念のためトロッコ問題という問いについて簡単に説明をいたします
ブレーキのぶっ壊れたトロッコが猛スピードで暴走しています
トロッコの進む先には5人の作業員がいます
あなたの目の前にはトロッコの進路を切り替えるレバーがあります
進行方向を切り替えると別の軌道にトロッコは進みますが
その先には1人の作業員がいます
この6名は自分たちの方向に暴走トロッコが突っ込んでくるということには気づいていませんし気づくこともできません
あなたがトロッコを切り替えなければ最初に申し上げた5人の作業員が引き殺され
レバーを切り替えれば5人の作業員は助かるけれども1人の作業員が引き殺されてしまいます
さてあなたはどちらの軌道を選択しますか
5人の命を助けて1人の命を犠牲にするか1人の命を助けて5人の犠牲を払うかというような問題ですね
このトロッコ問題に嫌悪感や不快感を抱く方っていうのもやっぱりいらっしゃると思うので
そういった方は別に自分ならこうするとか考えずにこの後の話を適当に聞き流していただけたら嬉しいなというふうに思います
で僕はこのトロッコ問題が提示する公理主義と義務論のジレンマについて考えるのが結構好きなんですね
またこいつは難しい言葉使い上がってって思われた方いらっしゃるかもしれないんですけれども
公理主義というのはイギリスの哲学者ジェレミーベンサムが唱えた原則最大多数の最大幸福というものを指します
社会の最大多数の人が最大限の幸福を得られることが望ましいという考え方ですね
できるだけ多くの人たちがたくさんの幸せを得るのが一番いいことじゃないかっていうのが公理主義
で義務論というのはもっとシンプルでたとえ自分や他の人が幸福になろうとやってはいけないことはやっちゃいけないんだよと
義務論とは義務を守る行為そのものが正しくってそれに違反する行為は不正でありますよと
ドイツの哲学者イマヌエル・カントが唱えた理論でございます
これさっき申し上げたような天下一武道会みたいな感じですよ
一つの哲学に対してもう一つの哲学がお前それはおかしいんじゃねーかっていう風に殴り込むような感じですよね
これが殴り合いの学問哲学でございます
ジェレミー・ベンサムが唱えた公理主義の原則を基準に考えると
このトロコ問題の答えというのは一人の作業員を犠牲にして5人を救うのが良いという風になるわけですよね
しかしですよカントが提唱する義務論では5人の命を救うために一人を犠牲にするようなことがあってはならないという風にしてるんですよね
これだけの条件やったらどっちかどうしても選ばなあかんっていうことであればよ
選びたくないと思いますけど皆さんそんな状況になりたくもないし嫌だと思いますけどどうしてもそういう状況になりましたという場合は
ジェレミー・ベンサムが唱えている公理主義社会の最大多数の人が最大限の幸福を得られることが望ましい
なので5人の人を助ける一人の人には申し訳ないけど犠牲になってもらうという選択肢を選ぶ人が多いんじゃないかなという風に僕は思うんですけれども
これに条件を加えるとまた内容が変わってくるんですよね
このトロコ問題というのは答えのない試行実験なのでいろんな応用ができるんですよ
ここからがこのトロコ問題という試行実験の悪趣味なところであり本質であり醍醐味であると僕は考えているんですけれども
仮にですよ仮に今ホエラジオを聞いてくださっているあなたが一人の犠牲を元にですね
5人の命を助けるという風な選択肢を選んだとしましょう仮にね
ではこの今選んだ一人の犠牲者にとある条件を加えた場合
例えばこの一人の犠牲者というのがあなたの恋人だったり親だったり親友だったりあなたの大切な人だった場合
あなたは同じ選択をしますかっていうところになってくるんですよ
そんな選ばれへんくない他にもいろんなシチュエーションがあって別バターンとして有名なのがジョンハリス
イギリスの哲学者が行った試行実験で臓器くじというものがあります
これもねトロッコ問題とだいたい同じようなものです
臓器くじについても簡単にご説明をいたしますね
あなたはお医者様ですあなたの目の前には5人の臓器移植が必要な患者がいます
この患者が必要とする臓器はそれぞれ異なります
あなたが臓器移植を決断しなければこの5人はこの世を去りません
そこで公平な条件でくじで健康な人をランダムに1人選びその人を殺害した上でその人の臓器をそれぞれ臓器移植が必要な人に配るか否かというような問題ですね
申し訳ないけれどもこの5人には臓器移植はできないという風に考える方も多いと思うんですよ
このパターンやと僕もそうなんですよね
生きてる人を殺害して5人の人を助けるっていうのはちょっとできへんなって思うんです
ただこれもやっぱり設定をいろいろ付け加えることができるんでしょうね
例えば5人の臓器移植が必要な人は見ず知らずの人なんですけれども
今回ランダムで選ばれた臓器移植の提供者は私トーフテウルフであるだとかっていう風に考えることもできるし
例えば選ばれる1人っていうのは死刑囚の中から選びますとかっていう方法になるとまた話は変わってくるかもしれへんし
5人を救うために1人を犠牲にするわけにはいきません
こんな制度廃止しますなんて言った場合
制度を廃止した結果助からなかった5人にはそれぞれの5つの人生があったはずで
家族がいて友人がいたはずなんですよね
この制度をやめるというのはそういった残された人にですね
私がこんな制度はおかしいと関心したのでこの制度を廃止にしました
結果あなたの大切な人はこの世を去ることになりましたっていう
残された人たちに説明をする義務も発生すると思うんですよ
いろいろ考えていくとこのトロッコ問題も雑木くじも地獄みたいな試行実験だと僕は思ってるんですが
ただいずれのものにしてもジェレミーが提唱した公理主義の原則の上では
1人の尊い犠牲というのは良い行いとされるんですよ
善とされるんですよ仕方のない犠牲やというふうに言われるんですよね
なんかおかしくないですかなんかおかしいと僕はこの時点で思うんですけどなんかおかしいよね
トロッコ問題にしても雑木くじにしても極論であなた自身がアクションを起こすあるいはアクションを起こさないことで人が死ぬという究極の二択を迫る内容なんですね
1人を犠牲にする積極的な殺人を選ばされるかあるいは5人を犠牲にする消極的な殺人を選ばされるかというね
極限状態でどちらがより倫理的であるかという問いを自分の中で問いかけることで自分の中の倫理観と向き合うことができるというような試行実験なんですよ
まあ平たく言うと5人を助けるために積極的に人を殺すのか1人の人の命を尊重して何も起こさずに消極的にもう運命やという風に受け入れて5人を殺すのか見殺しにするのか
積極的に人を見殺しにするのかというような内容なんです
でこれはいずれにしても正解がある問題ではないのでそれぞれにご自身が納得いく答えが見つかればそれがご自身の中での正解となるんですよ
条件によって答えが変わっても僕はいいと思うんです
相手が家族だったらとか相手が友達だったらだとか相手が嫌いな奴だったらとか相手が死刑囚だったらとか
もうなんかそういう条件によって変わっても僕は別にいいんじゃないかなというふうに思うんです
それがあなたの中の価値観や倫理観として成り立つわけなので絶対的な答えブレへん答えが見つからないっていうもの別にいいと思うんです
でねこのトロッコ問題にしても雑木くじにしてもものすごく極論の話なんですけれども
これまたすごいのがアメリカの小説家アーシュラ・ケイ・ル・グウィンのオメラスから歩み去る人々という小説ではもっと身近に感じられる問題として取り扱われてるんですね
あくまで小説のお話の中なので問題提起しているわけではないんですけれども
この小説読むとだいたいトロッコ問題と雑木くじみたいな話をされるをベースに作られていてやっぱりねなんかこういろんな倫理とか哲学みたいなものを問いかけてくるような内容にはなっております
このオメラスから歩み去る人々という小説の内容も簡単にお話をいたしますと
世界のどこかに存在するオメラスという街が舞台のお橋でございます
この街は治安も良くて経済的にも豊かで全てにおいて理想的な街となっております
貧困も人種差別の暴力もありません
戦争や犯罪というのもありません
まさに理想的なユートピアのような世界なんですけれども
この街にも一つだけ暗い闇というのがあります
街には一人虐待されている子供がいるんですね
この子は暗く不潔な地下に閉じ込められています
生き残るための最低限の食料だけが与えられて日常的に殴られています
オメラスの幸福オメラスという街にある幸福は
この子をひどくいじめることを条件にして維持されているんですね
この子を地下室から救い出せば街の幸せは全て水の泡のように消えてしまいます
物語は一群の人々がその子の姿を見た後
オメラスから歩み去るというところで終わっています
彼らがどこに行ったかというのは描かれてないんですね
この話の方がかなり現実的というか
トロッコ問題や雑木くじよりも身近に考えられるような内容なんじゃないかなというふうに僕は思うんですね
割とねこれ僕らの生活とも近いんじゃないかなというふうに僕は思ったんですよ
というのもオメラスという街では不遇な子供の虐待によって多くの幸福がもたらされているんですけれども
これね現代の日本で生活する僕たちが食べるものを着るものとかは
もしかしたらどこか貧しい国の人たちが不当な労働の成果の上に成り立っているという可能性はないかなというふうに思ったんですよ
で僕らもそういう国があるかもしれへんということを知っていながら
どこかで見てみぬふりして生きてないですかっていうところなんですよね
別にそういう貧しい国の人たちのために何かできることを考えろだとか事前活動をしろったとか
そういう浅いことを僕はこのホエラジュの中で言いたいわけではなくてですね
どちらかというと果たして僕は公理主義の原則を否定することができるのかみたいなことを話したいんですよね
状況的にはオメラスの街の人々と日本人の生活っていうのは似てると思うんですよね
そこまで不当な労働を強いられてるかどうかっていうのはわかんないんで
あくまで僕の想像の範疇は出ないんですけれども
もちろん労働の対価を彼らも得てはいると思うので
そこまでひどくはないよって今来てるものにしても食べるものにしても
そこまで不当な労働の結果の産物ではないよっていう可能性もあるんですけれども
もしかしたら児童労働とかさそういう不当な労働ってやっぱり世界中にあるから
意図せず僕らの幸せには裏でそういう不当な労働を頑張ってくれてる人って言ったらおかしいんだけど
そういう強いられてる人たちがいるんじゃないかなっていう風に僕はこれを読んだときに思ったんですよね
そういう不当な労働の強いられてる人たちの数の方が世界的に見れば多分マイノリティやから
最大多数の最大幸福という観点で言えば僕ら日本人は幸福を受け取ってる側の人間やと思うんです
ここで義務論を振りかざすのであれば不当な労働をやめさせるために不当な労働の産物を我々は使用しませんみたいな
もう食料品とかも輸入に頼らず日本だけでもう完結させますだとか
衣類にしても海外の輸入製品は使いませんみたいなとか
分からへんけどそういうちょっと貧しい国のものは使いませんみたいな
運動することになるのかなとかちょっとまぁわかんないですよ僕そこまで賢くないので
イメージなんですけどそういうふうになるのかなというふうに思ったんですね
ただですよただこの最大多数の人間の最大幸福っていうのは
曖昧なものやと僕は思うんですというのもそもそも人の幸福度ってどう測るんですかっていうところなんですよ
例えばですよオメラスの町の幸福度の総計もオメラスに住んでいる町の人々の幸せの幸福度の総計がプラス1だったとしましょう
当たり前の幸せですからそれが当たり前やから自分たちが恵まれているなんて思いもしないわけですよね
他の現状知らんわけですかだから総計でプラス1でもオメラスの町の地下牢で虐待されているこの幸福度
マイナス1000万とかっていう可能性はあると思うんでしょ幸せな暮らしがあることを彼は知っているそれを知りながら自分は十分な食事も与えられず
殴る蹴るなどの虐待を日々受けているプラス1を感じている人間どもが憎い羨ましいねじゃましい
苦しい辛い幸福度としてはマイナス1000万でももしかしたら足りへんかもしれへんよね
幸福という概念も幸福を享受する人間あるいはその人が置かれている立場や状況によって変わりそうな気がするので
最大多数の最大幸福という理論はかなり曖昧でかなり破綻しているんじゃないかなというふうに僕は考えているんですね
オメラスの町というのはあくまで一部の社会会社や学校の宿主みたいなもんやと僕は考えてるんでしょ
平たく言うといじめですよねかなり軽い言い方になっちゃうけどいじめっていうところやの場合はね
誰かがいじめられてたりとか誰かの不幸があるおかげで自分がいじめられずに済むだとか
周りの人間の団結力や結束力が固まるとか逆にこんな環境おかしいやろうって声を上げることで自分が次のターゲットになるリスクを払ったりとか
これいじめもオメラスの町の人々も同じじゃないかなというふうに思うんですよね
実際に僕も人生三十四五年生きてますのでいじめられたりとかいじめたりとかいじめてるのを遠くで見てたりとかいろんな経験してきてますそれなりにね
そのたびに僕も嫌やなおかしいなしんどいなって思いながら実際はこんなことやめようよって言い出せなかったし言い出せない気がするんですよ
オメラスの町の住人やったとしても子供が虐待されてるっていうのを気づいたとしてもこれはおかしいよやめようよってなかなか言い出されへんのちゃうかなというふうに情けないけど思いました
そこまで僕は強く清く正しい人ではないので見てみぬふりしかできへんのちゃうかなと実際のところ思ったんですよね
逆によむしろこのオメラスの人々のことを正当化するというのはとても簡単なことだと僕は思うんですね
社会的に見ればこの一人の子供の犠牲によって社会全体が幸福であるのであればそれは意義のある尊い犠牲なのではないかと
社会が停滞するよりかはいいのではないかと考える人がいるのも何となくわかる気がします
それも一つの考え方かなというような気がします
それでもオメラスも一人の子供を守るために社会全体の幸福のあり方について反省をしてそれを変えていく努力というのが必要なこともあるんじゃないかなというふうに僕は思うんですよね
ソクラテスはよく生きることと美しく生きることと正しく生きることとは同じだというふうに定義してるんですね
このソクラテスという人間も哲学者なのでこれ言葉自体も哲学的なものなので正解というふうに断言することのできない話ではあるんですけれども
少なくとも僕にはこのオメラスの人々がやっていることというのは社会的に意義のあることなんだとしてもですよ
僕はこんなことがあってはならんのちゃうかなというふうに思うんですよね
皆さんはどうでしょうかどう思いますでしょうか
トロッコ問題雑記くじオメラスの人々
いろいろと今回例を出しましたけれどもどう思います
アバウトどう思います
僕は仕方のないというふうには片付けたくないなと思うんですよ
あんま正しくないんじゃないかなと思うんです
トロッコ問題にしてもトロッコ問題雑記くじについてはかなり極論に振ってるんですけれども
やっぱりいずれの問題オメラスの人々の問題にしてもそうやしトロッコ問題雑記くじにしてもそうなんですけど
全部やっぱそんなことあってはならんのちゃうかと
僕はどっちかというと義務論を注視するかなっていう気がするんですよね
正しくないことはやるべきではないと
そうなると僕は消極的な殺人難しいんですけど
僕やったら義務論優先するかな正しくないことはやりたくないなと思っちゃうな
消極的な殺人になっちゃうのかななんていうふうに思うんですけど
まあ未だに僕はこれやっていう答えが未だに出てないので
皆さんの答えもぜひお聞かせいただければと思うんですけれど
真剣に考えるとXでポストできるような140字じゃ絶対収まらないような気がしますね
皆さんいかがでしょうか
というわけで本日のホエラジはいかがだったでしょうか
本当はね本当はね今回のオチというか着地点というのは
全然違うところに行き着く予定で話し始めたんですよ
トロッコ問題とか雑記口の話に対してね
こんな問いかけ無意味だと考えてる人とかメタ的なツッコミ
例えば暴走トロッコに作業員が気づかないわけないとかさ
そういうツッコミを入れる人たちに吠えたかったんですよ
そうじゃないねんとかそういうへ理屈を言うんじゃねーよ
問題の本質はそこじゃないねんっていうところを吠えたくて
このトピックス選んできたんですけれど
台本を用意したりとか自分の中で話を整理してたりとかすると
この試行実験に嫌悪感を示す人たちの気持ちが少しだけわかったし
それ故にへ理屈っていうんじゃないけども
んーなんかツッコムことで試行実験からちょっと距離を取りたい
っていう気持ちが少しだけわかったんですよね僕も