人生がジェットコースターのように浮き沈みの激しい方というのは感情に脳が支配されるタイミング回数というのが少し多いのかなというふうに個人的には解釈をしたり思ったりしております。
自分の人生をコントロールするにはよく考えて感情をコントロールして感情と上手に向き合っていくことが必要なんじゃないかなというふうに僕は思っているんですね。
最近ですね、僕だけでなく1年以上お付き合いされている比較的長続きしているようなゲイカップルが次々と発狂しておりまして、新たな出会いを探している方なんていうのも僕最近よく耳にするんですけれども、
僕自身もそういう恋愛史上に出て体験しているのがこの好きなタイプを教えてという質問ですね。よくされるんですよこれ。
この質問なんですけれども、結論から言いますとものすごく意味がなくてこれほどにくだらない質問あるっていうふうに僕は思っているんですよ。
こんなにあっさい質問ある?こんな明けすけな質問してたらあかんよって僕は思うんですよ。
気になる方はしていただいて結構なんですけど、僕個人的にはこんな明けすけな質問してくる人ちょっとごめんなさいって思っちゃうんですよね。
というのもこの質問って言ったら言い換えると自分は君のことがとてもタイプに思うけれども君は僕のことをどう思う?僕のことタイプですか?ってすごく遠回しに聞いているのと同義だと思いません?
そう考えるとめちゃくちゃめちゃくちゃくない?こんなふうに思ってるのは僕ぐらいかもしれないんですけど、こんな感じでですね僕は気持ちではなくその言葉をそのまま受け取るでもなく
脳みそで恋愛していくタイプなので一つのセンテンスに含まれる言葉の意味とかもロジックもその場でしょりして考えて恋愛を進めていくタイプなんですね。
かなり効率を重視しながら恋活をしてしまうんですね。なので短期間に結構な数の人と出会ったりするんですよ。
どういう人がタイプですか?っていう質問をお会いする前の事前のやり取り、お会いしてからのやり取り含めて体感で6、7割ぐらいの人が聞いてくるんですよ。
その度に僕は答えに困ってふと思うんです。僕にこの質問をしてくるこの人の意図ってなんなんやろうなというふうに度々思うんですよ。
そもそもこのどういう人がタイプかという質問なんですけれども、言い換えるとあなたはどういう人を好きになる傾向がありますかという質問なんですよね。
言い換えるというかまんまか、まんまなんですけど、人によってはこれを聞かれた時に顔の特徴を答える方もいらっしゃるでしょうし、
体格や性格あるいはその人の経済力とかっていうような能力をタイプとして答える人もいるでしょう。
聞いてきた本人にありのままこういう人が好きよっていうふうに伝える人もいれば、
僕のように本音を隠して効率よく恋活を進めていくために狡猾な答えを用意する方というのもいらっしゃるのでしょう。
で、その答えを聞いた人はできるだけ相手のタイプあるいは好みに合わせて自分を変えようと頑張ったりするわけですよね。
例えば、男らしい人が好きって言われたらリーダーシップを発揮しようと頑張ってみたり、ひげを伸ばしてみたりとかね、なんかそういうことですよ。
そういうことも含めて今から言うことは、私のどこが好きって聞かれて答えられる好きは本当の好きじゃないみたいなことを言ってくる人にも共通してくるような話なんですけれども、
私のどこが好きに対して答えられるような恋も、すのびして頑張る恋も結局最終的にはうまくいかないというのが僕の結論なんですよ。
理由はとっても簡単なんですよ。その好きっていう気持ちの向いている方向が外的要素を向いているからうまくいかないんですよ。
ちょっと難しい言い方をしたんで、もう少し噛み砕いて言いますと、人間というのは様々な外からの刺激によっていかようにでも変化をしていく生き物なんですよね。
例えば、めちゃくちゃわかりやすいところで言うと、僕の容姿も言うてしまえば時間という外的刺激によって衰え、シワが増え、老けていきます。
髪も抜けてしまうかもしれません。もうそれ自体はどうしようもないことなんですよ。
メリル・ストリープ主演の黄年の名作映画、永遠に美しくのような不老不死の飛躍というのはこの世に存在しておりませんから、時間という外的要因を避けて通ることは皆さんができないはずです。
他にもですね、前回のバースデイイブ会でお話をいたしましたけれども、昔の僕はビビリで気持ちいさい病みがちな男の子という感じだったわけなんですけれども、
これも人との接触や環境の変化、はたまた本や情報といったメディアを通じて身につけた知識によって割と何事にも動じない。
下手すると感情は厄介なものというような解釈をするような悟りでも開き始めてんじゃないかというような人間に変わったわけですよね。
このことから言えるように人の姿や性格といったようなものというのは一定ではないんですよ。
ホエパの皆さんは僕の話を自分でご自身で咀嚼して考えて、僕の話聞いた話にですね、自分の価値観を付け加えて自分の考えとして取り込むことができる人ばかりなので、
皆まで言う必要はないかもしれないんですけれども、念のため具体例も出してみたいと思います。
例えばとある2人の男性、AさんとBさんという男性がですね、道端に咲く同じ花を好きになったとしましょう。
男性Aはその花の見た目の美しさに心を奪われてその花を愛しく思いました。
しかしこの花というのは永遠に美しく咲き続けることができるんでしょうかというところですね。
残念ながら普通の花なのでいつかは枯れてしまいます。
この花が枯れたときもしかするとこの男Aは枯れた花のことを忘れてまた新たにつぼみをつけてこれからきれいな花を咲かせようとする美しい花を咲かすという可能性があるんではないでしょうか。
ではもう一人の男性Bはどうだったのかと言いますと、この花が好きになったのはとてつもなく荒れ果てた地で嵐の中でも懸命に美しく咲こうとし続ける姿を好きになったという場合。
同じようにこの花は永遠に美しく咲くことはできないんですよ。
だけれどもこの男性Bは枯れた花のことをこんな枯れた花になんか興味ないわ新しいきれいな花を探そうってなると思いますかっていうところでしょう。
多分ならへんよねっていうふうに僕は思うんです。
例に出した男性Aと男性Bには決定的な違いがあるんですよ。
Aが好きになった花の姿というのは外的要因つまり外からの刺激によって変化する部分が好きになったんですよね。
しかし男性Bが好きになった部分というのは外からの刺激に左右されにくいあるいは全く左右されないその花の本能性質的な部分を好きになったんです。
どんな過酷な環境でも諦めずに精一杯花を咲かす姿を好きになったんですよね。
Bにとっては他の場所で同じ品種の花を見つけたとしてもその好きになった花っていうのは唯一無二の花のはずなんですよ。
この話、花の話を人に置き換えるとめちゃくちゃわかりやすいんじゃないでしょうか。
その人を構成する外の部分、わかりやすい見た目や言葉で表現のしやすい性格、数値化しやすい能力といったものを好きになったりタイプとするのではなく、その人のあり方、その人のスタンスというような人生に対して向いている方向が好きになった場合の方が長続きしやすいよというふうに僕は思うんですね。
好きなタイプっていうのはいわゆる小手先のテクニックのようなもので、それはその人の本質ではないからいろんなテクニックをいろんな引き出しを身につけたところでそのテクニックがもたらす力というのはあまり長続きするものではないと僕は思っているんですね。
その人の向かっている方向が好き、その人の言葉にできない本質や人生との向き合い方が好きという場合は、その人に依存をしたり束縛をしたりするようなことも自然となくなるんじゃないかなというふうに思うんです。
その人をコントロールする必要がないからそういうことをしなくて済むんですよね。
僕のスタンスというのは基本的に一人でも全然生きていけるっていうのがベースにあるんです。
どちらかというと何なら孤独を好むタイプの人間だったりもしますので、誰かに対してこの人がいないと生きていけないなんて思うことはほとんどないんです。
でもそんな僕なんですけれども、この人の横で一緒にこの先の人生を歩んでいきたいなと思う人がごくごく稀に現れるんです。
そういうふうに思ったとき、同時に僕はこんなふうにも考えるんです。
今この人と自分の人生を肩を並べて一緒の歩幅で歩いているけれども、仮にこの人との人生を一緒に歩めなくなる日が来たとしても、それはそれで別にいいやというふうに思っているんです。
基本的にね、えーってなる方もいらっしゃるかもしれないですけど、別に付き合っているタイミングからいつ別れてもいいやっていう覚悟は僕の中で常にあったりするんです。
だってね、いつか一人になるような日が来たとしてもその人と悲しいお別れがやってくるんだとしても、僕が好きになることができた相手と過ごした時間というのは、
その別れの悲しみや辛さを上回る素敵な経験や思いを連れてきてくれる相手というふうに確信してくれるからなんですね。
だから別にその人との別れが怖いとか悲しいとかっていうのはあんまり感じないし怖くもないんですね。
もちろん関係性が変わることへの寂しさというのはあるかもしれませんけど、そこまでに培った経験やいろんなものが消えてなくなるわけではないので、
別に何の問題もない別れる日がやってきてもそれはそれでいいっていうふうな覚悟を常にしてるんですね。
だから僕は基本的に相手のことを束縛したりとかコントロールしようというふうには全く思わないですし、コントロールされるのも本来はめちゃくちゃ嫌なんです。
束縛も依存もマジで無理っていうタイプなんですね。
だってよく考えてみてください。相手をコントロールしないともっと具体的に言いますと相手に自分の理想やタイプこうあってほしいという希望を押し付けてコントロールしなきゃいけないと保たれへんような好きな相手ってその人の何が好きなっていう話じゃない。
コントロールできるからその人が好きなんですかっていうふうにしか僕には思えないんですよ。
これからいくつか皆さんに意地の悪い質問をするので実際に皆さんもイメージしてみてください。聞いて感じて考えてみてください。
今恋人がいる人結婚してパートナーがいる人あるいは僕のように今は好きな人がおらんけれどもかつては恋人がいた人その人のことを愛しているあるいは愛していたと皆さん答えることができるでしょうか。
愛している愛していたというふうにお答えいただいた人にさらにお伺いいたしますがその愛しているあるいは愛していたという事実を僕東風邸ウルフに証明をすることはできますか。
少し脱線するんですけれども7年前モーニング娘。18の頃にリリースされたアーユーハッピーというツンクさんプロデュースの楽曲があるんですけれども僕この楽曲がものすごく好きでいまだにちょくちょく聞く僕にとっての普及の名曲があるんですね。
でその楽曲の歌詞のAメロにもっと私だけ愛の証拠を見せてもっと私だけ愛に保証をつけてって連呼するフレーズがあるんですよ。
これね冷静に考えて普通に無理ですよね愛の証拠なんてものも愛の保証なんてものもないんですよ。
愛の証拠や保証を証明しようとするとまず愛というものの基準となる指針が必要になります。
その基準指針を満たした時に君を愛しているよ私は愛されているよという風に証明することができるのでしょうけれど愛っていうのは哲学的なものですから理屈で説明するのは相当難しいものだと僕は思います。
恋人やパートナー元恋人と初めて会った時大半の人がおそらくまあ99%ぐらいの人はですねその相手のことを愛していないはずなんです。
初めましてって言った時から愛しているなんていうことはほぼないと思います。
でも愛しているあるいは愛していたという風に答えられた人っていうのは今あるいはかつて愛し合っていたからこそその関係性が成り立った今こうやって愛しているあるいは愛していたという風に答えることができたと思うんですよね。
それこそが愛の証明ですという風に言えるかもしれませんけれどもじゃあその愛というのはいつから始まったんですか。
これも答えられるわけのない無理な質問ですよね。
あなたがその人を愛するようになったのはあるいはその人が相手の方があなたを愛するようになったのはあなたの誕生日を覚えていてくれたからですか。
クリスマスやバレンタインといった恋人同士のイベントに贈り物を贈り合ったからですか。
ちゃいますよね。
人によっては朝目を覚ました時に隣にその人がいてくれてスマホを見るよりも先にあなたにおはよって声をかけてくれた瞬間に愛が始まったのかもしれへん。
あなたとその人の愛が始まったのはもしかしたら何でもない日にこれ好きでしょって好きなキャラクターのぬいぐるみを買ってきてくれた日かもしれへん。
もしかしたら冷蔵庫に自分の飲み物を取りに行くときに一緒に相手の分も持ってきてくれたからかもしれへん。
もしかしたらあなたたちが出会って恋に落ちて愛が生まれた日というのはあなたが素晴らしい1日を過ごして対照的にパートナーの方が最悪な1日を過ごして家に帰ってきたときにあなたがねえねえねえ聞いて今日こんなめっちゃいいことあったんって言わずに落ち込んでいるパートナーの話をじっと聞いて寄り添ってあげて
自分に起きた思わず飛び上がるような嬉しくて聞いてほしい素敵な嬉しい出来事っていうのを一切話さへんかった日かもしれへん。
何が好き何が恋何が愛かなんてことは僕にはあんまりわからないです。