とりあえず月曜日、 今日水曜日なんですけどね、月曜日火曜日はランニングをすることに成功いたしました。
月曜日は毎週
丸の内なるオフィスに行くんですけど、そこで会社の仲間たちとソーシャルランと目を打って、
まあ目的は仲良くなること、交流することだよっていうことで、 すごくカジュアルなソーシャルなペースで、
皇居一周、もしくは皇居からちょっと伊田橋の方まで足を伸ばす10キロ、
この2パターンのルートを走るっていうランをやっているんですけど、まあそれ最初に2,3年前に俺を呼びかけて、今では自然発生的にみんなが集まってくれるようになって非常にいい感じの集まりになっているんですが、
まあその中で、ここ3,4ヶ月前に参加するようになってくれた台湾の人がいて、
その彼がね、今回初めて10キロ走れたんですよね。途中でちょっと歩いちゃったりとかしましたけど、最後まで頑張って走ってくれて、
俺たちはその一番遅い人のペースに合わせますよっていうことをやっているので、全然許すことないんですけど、やっぱりその周りの人たちを若干待たせてしまうような感じになると恐縮するわけですよね。
いや、マジそういうの全然気にしないでほしいんだけどね。 なのでそのメンバーのみんなにも自然とゆっくりな人に合わせるようにして欲しくて、
先に行っちゃって待ってるのって、まあ本人がどう思うかわからないんですけど、俺から見るとあんまり感じよくないなっていつも思うんですよね。
まあ登山とかでもそうですけど、先に行って待たされて、でまた合流して、で先に行って待たせちゃって合流してって、
その遅い側の人からすると俺プレッシャーなんじゃないかな、それどうでもいいと思う人は相当魂強いと思うんですけど、
もちろん最初でそういう心理的なハードルは全部取ってっていう約束でこのソーシャルラウンをやってるんですけど、
それでもまあ一般的な知観の人だとちょっと申し訳ないと思っちゃうと思うんですよね。待たせちゃって申し訳ない、足で待ってて申し訳ないみたいな。
なので本当先行くんじゃねえよお前らって思うんですけど、まあまあまあいいんですけど、とりあえずね、その彼が10キロ走れたのはすごく良かったなあ。
いやー素晴らしいよランニング。ということでそこでですね、ゼロだった自己肯定感が5ぐらいになりまして、それが月曜日の夜の話ですね。
でその後、先にランニングに話しちゃうと火曜日の朝、つまり昨日の朝はちゃんと10キロ走りましたね。
いやしかしマジ全然ダメだな。あのジョグが普通の通常運行の時は、ちゃんといつも走ってる時はジョグしてると自然にキロ後前後に収束していくんですよね、ペースがね。
特に意識しなくてもね、鼻呼吸で全然余裕のあるペースでキロ後に収束していくんですけど、あんま時計は見てなくて、その後でストラバとか見た時に平均のアベレージの、なんて言い直した?平均のそのペースを見てね、なるほどって感じでよしよしいつもと一緒だぞみたいに思ってるんですけど、
昨日とかマジで全然1週間以上走ってなかっただけあって、しかもスーパーデブな時刻固定感ゼロなだけあって、全然ペースも上がらなくてね、まあちょっとずつ習慣取り戻していこうよって感じですよね。
あとで走って昼飯でも食いに行こうかなって感じですね。そういった感じでしたと。
それで全然関係ないんですけど、近況多いな。
昨日の昼飯で町田の駅前にあるミートルっていうお肉の料理を出してくるお店があるんですけど、このお店がまた最高なんだわ。
最近俺の中でこの近辺、今昼間働いてる町田の俺の事務所から行ける範囲でいいなと思ってんのは、当然クリティカルホットですよ。
そして町田商店。町田商店はチェーンがいっぱいあるんですけど、本店が近くにありますからね。
あとはミートルですね。ミートルがこの中で比較的新しく行くようになったお店なんですけど、カウンターで5席か6席くらいない個人マリーとしてのお店なんですけど、すごく面白いんですよ。
肉肉しいんですよ。肉肉しいっていうのはミートルが出してる肉肉しいご飯っていうメニューがあったりして、それもすごくいいですし。
ただ毎日日替わりみたいな看板メニュー、黒板メニューみたいなのがあってね、それが行くたびに違うのがあってめちゃくちゃ面白いんですよ。
で、昨日おまかせ定食っていうのを食べたんですけど、もうね、これ私のこのボキャブラリーで音声がどこまで届きられるかわかんないんで適当にしますけど、
とにかくね、その提供された瞬間にもうね嬉しくなる、笑っちゃう、ワクワクするみたいなね食い物なんですよね。
うわ、こんないろんな種類の肉があってめっちゃ美味そうみたいなね。そういう飯ってあんまないですよね。出てきたときに楽しくなっちゃうみたいな。
そういうところがあって、まあ飯食うっていうのはエンターテイメントだよなって思いますし、まあ俺そんなにすげえ食い物にこだわりなくて、食い物の評価ってあ、うん、好き、嫌いぐらいしかないですね。
あ、うまい、普通ぐらいしか。まずいもんってそんなに世の中で提供されないじゃないですか。
それってまずいんじゃなくて、たぶん味が嫌いなだけですよね。
例えばセロリとかの味が嫌いな人、パクチーが嫌いな人いますけど、それをどうだった美味しかったって言われてまずかったっていうのとはまた違うと思っていて、
世の中で提供されるものでまずいものってそこそこ滅多に出てこないと思うんですけど、なのでうまいか普通かぐらいしかないんですけど、まあうまいし楽しいしすごい良いお店なんで、結構月に1回か2回ぐらい行ってるんですけどね。
まあとにかくそんな素敵なお店がありますよっていうお話でした。
まあ近況はそんなもんかな。
あと何やってんのいつも俺。
京平さん何か本読んだのコーナーか。
本はこの2日では新しく読み始めた本あるんですけど、特に何も読んでないですね。
ただ前回話すの忘れたんですけど、話すの忘れたっけ?これ話したっけ?
韓国ドラマはいくつか見まして、で2つ見てるんですけど、それすごい面白かったですね。
これ前回喋ってたらマジバカなんですけど、ちょっと覚えてないんでもう一回喋りますね。
もう一回なのか始めてたのかわからない。
まず一つ目はね、トリガーってやつですね。
これもね面白かった。
これはどういう話かというと、警察官が出てきて、韓国の話なんですけど主人公は警察官なんですけど、
元韓国軍の特殊部隊にいて中東とかにも派兵されてたような設定なんですけど、
そこに対して韓国国内で銃器を不法に流通させて国内に混乱を招いて、
さらには遠大の目標としては銃を合法化させて自分たちの銃をうまくばらまくみたいな悪いやつらが出てきて、
それを鬱屈している人たちに銃器を配っていくというところから始まるストーリーなんですけどね。
それで銃を手に入れた人たちが乱射を起こしたりとかっていうところで、
いやーこれ結構面白かったんだよな。
なんかそのストーリーもいいですし、結局その人たちは幸せなふうにはならないんですけど、
鬱屈していた人たちが、自分を虐げてきた人たちに対して復讐していくっていうところも若干スカッとしますし、
それで復讐を思いとどまる人たちも出てきたりとかして、結構面白いドラマなんですよね。
で、10話でスパッと終わってなかなか良かった。これはおすすめですね。
なかなかテーマ、難しいテーマだなと思いましたけど、これはよくできてましたね。
もう一つ見たのが、ミスタープランクトンってやつですね。
逆にこれ両方ともネットフリックスにありますね。
話はそれますが、ネットフリックスで韓国語ドラマを見るときに、
俺が優先する基準ってちゃんと日本語がされてるからですね、
いやめんどくさいっす字幕読むの、ほんとに。
ずっと画面見てますよ。でもやっぱり字幕めんどくさいっす。
しかもニュアンス削られちゃうし、
まあ吹き替えあるなら吹き替えを見た方がいいっす。
この話をすると字幕原理主義の皆さんに怒られるかもしれないですけど、
英語話者の席をよこす私からしゃべらせていただきますと、
英語の映画見るときに字幕がいいって言ってるやつは、
マジで全員クソマヌケっすよ、はっきり言って。
よく言うのが、知らんけど、俺のイメージで言うと、
役者の声が聞きたいから?とかなの?知らんけど。
知らねーよ、声なんて聞いてねーだろ、わかんねーだろそんなのよ。
お前何度もこの話してるかもしんないけど、
字幕ってお前何割翻訳されてると思ってんの?
知らんけど3割とか4割くらいだよ。
ちゃんと英語が聞ける人が日本語字幕見てればわかりますけど、
たまに訳間違ってたりするし、ニュアンスだいぶ削られたりしますし、
まあそんなわけでできれば吹き替えがいいですよ。
吹き替えだったら俺の感覚では8割9割が訳されてるんじゃないかなと思いますよね。
え、何?外人が?日本語喋ってるのおかしい?
うるさいよ、映画なんて全部おかしいもんだろ。
まあそんなわけで話を戻しますと、
ネットリックス映画じゃなかった、
韓国ドラマ見るときはなるべく日本語がされてるのがいいですね。
どうしても見たいやつは字幕で見るけど、
まあ自分の耳から理解できる、あれ?何て言うんですか?
耳から理解できる情報が時刻語で入ってきたほうが多分、
感情に訴えかけやすいんじゃないかなって今ここまで話して、
今日この後読書の話をしようと思ってたんで、
読書の話っていうのは視覚的メディア、
視覚的というか自分で読むメディアの素晴らしさみたいなのを
今喋ろうと思ってたんだけど、
え、じゃあ字幕ってそうなんじゃねえの?って今思って
自分の中に矛盾が発生してしまったんだが、
ただ映像メディアっていうのはそもそも視覚というか、
語感のうちの視覚と聴覚を使って、
感覚に直接訴えてくるものだと思うんですよね。
解釈の余地が少ないものだと思っていて、
その没入体験の中に、
さらに読むっていう処理を発生させるのが、
俺としては合理的じゃないんじゃないかなって思いますよね。
脳みそがどういう仕組みか分かりませんが、
多分映像を見た瞬間にその映像の情報を理解するわけじゃないですか。
例えば爆発が起きているときに、
うわ爆発が起きているなっていうのを見た瞬間にパッと分かるわけじゃないですか。
そこに何かセリフが文字で出てくるっていうのが、
なんとなくチグハグな気がしませんか。
2つの処理の仕組みが両方プロセスを走らせているのがなんとなくもったいない。
いやこれ今考えたんですけどね。