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2025-08-06 40:50

092 - 本を読むとはどういうことか

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「読書の時間を作ろう」みたいな話がピンと来ないまま、読書ってそもそも何なのかを考えてみました。人はなぜ読めば読むほど読めるようになるのか、そしてそれってランニングとまったく同じ構造なんじゃないか?というような話もしたかな。相変わらず適当な内容ですが、お暇なときにどうぞ。

**⁠⁠⁠⁠⁠コメント、リクエストはこちらへ!!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠**

**Tシャツのプリント依頼は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠のフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠へ**

サマリー

今回のエピソードでは、ランニングや友人との交流、故障した革ブレスレットの修理と愛着について話されています。また、町田の美味しい肉料理店での体験も共有され、食事の楽しさやエンターテイメントとしての側面が触れられています。このエピソードでは、視覚的メディアと読書の関係について探求し、映像と字幕の相互作用とその意味について語られています。さらに、韓国ドラマ「ミスタープランクトン」の魅力や、登場人物たちのドラマ性についても言及されています。著者は、読書が日常的な行為であり、特別な時間ではなく生活の一部となっていることに触れています。また、読書が能動的な行為であり、自分のペースで自由に進められることの楽しさについて考察し、オーディオブックとの違いについても意見が述べられています。このエピソードでは、読書とは何かを掘り下げ、自らの読書体験やその意味について考察されています。さらに、読書が持つ鍛錬性や聴覚と視覚の違いについても議論が行われています。また、読書の重要性や教養についても語られ、文字メディアの強さについて触れられています。

00:08
はい、みなさんこんにちは。無題のなんちゃらキャストのキョウヘイです。 このポッドキャストは、私キョウヘイがあることないこと、知ったかぶって喋る、ただそれだけの内容になっています。
ハッシュタグがございます。ハッシュタグはなんキャスですね。 そのままですが、なんはひらがな、キャスはカタカナ。 これでツイッターなどに書いていただけますと、全て読んで喜んでいます。よろしくお願いします。
あとお便りフォームございます。 これはですね、スポティファイなど各ポッドキャスト配信プラットフォームのエピソード詳細のところにリンクが貼ってありますので、確認してみてください。
あと何がある? あとね、プリント依頼フォームも同じくそこにありますので、プリント依頼とは何ぞやっている人は見てみてください。よろしくお願いします。
さて今回は何回目でしょうか。92回目でございます。 前回はおとといぐらいにやったような気がしますが、
自己肯定感がゼロでございますよっていう話などをしたんだっけ? なんであれは
メイントピック的なことを話せないで終わっちゃったんだっけ?俺は一体何に盛り上がってしまったんだっけ? ちょっと覚えてないんで、まあいいか。
今度紹介をしたんだっけ? まあそんな感じでございましたと。
近況ですかね、まあ近況といってもおとといの今日なんでこの2日間に何があったかって話なんですけど、
ランニングと交流
とりあえず月曜日、 今日水曜日なんですけどね、月曜日火曜日はランニングをすることに成功いたしました。
月曜日は毎週
丸の内なるオフィスに行くんですけど、そこで会社の仲間たちとソーシャルランと目を打って、
まあ目的は仲良くなること、交流することだよっていうことで、 すごくカジュアルなソーシャルなペースで、
皇居一周、もしくは皇居からちょっと伊田橋の方まで足を伸ばす10キロ、
この2パターンのルートを走るっていうランをやっているんですけど、まあそれ最初に2,3年前に俺を呼びかけて、今では自然発生的にみんなが集まってくれるようになって非常にいい感じの集まりになっているんですが、
まあその中で、ここ3,4ヶ月前に参加するようになってくれた台湾の人がいて、
その彼がね、今回初めて10キロ走れたんですよね。途中でちょっと歩いちゃったりとかしましたけど、最後まで頑張って走ってくれて、
俺たちはその一番遅い人のペースに合わせますよっていうことをやっているので、全然許すことないんですけど、やっぱりその周りの人たちを若干待たせてしまうような感じになると恐縮するわけですよね。
いや、マジそういうの全然気にしないでほしいんだけどね。 なのでそのメンバーのみんなにも自然とゆっくりな人に合わせるようにして欲しくて、
先に行っちゃって待ってるのって、まあ本人がどう思うかわからないんですけど、俺から見るとあんまり感じよくないなっていつも思うんですよね。
まあ登山とかでもそうですけど、先に行って待たされて、でまた合流して、で先に行って待たせちゃって合流してって、
その遅い側の人からすると俺プレッシャーなんじゃないかな、それどうでもいいと思う人は相当魂強いと思うんですけど、
もちろん最初でそういう心理的なハードルは全部取ってっていう約束でこのソーシャルラウンをやってるんですけど、
それでもまあ一般的な知観の人だとちょっと申し訳ないと思っちゃうと思うんですよね。待たせちゃって申し訳ない、足で待ってて申し訳ないみたいな。
なので本当先行くんじゃねえよお前らって思うんですけど、まあまあまあいいんですけど、とりあえずね、その彼が10キロ走れたのはすごく良かったなあ。
いやー素晴らしいよランニング。ということでそこでですね、ゼロだった自己肯定感が5ぐらいになりまして、それが月曜日の夜の話ですね。
でその後、先にランニングに話しちゃうと火曜日の朝、つまり昨日の朝はちゃんと10キロ走りましたね。
いやしかしマジ全然ダメだな。あのジョグが普通の通常運行の時は、ちゃんといつも走ってる時はジョグしてると自然にキロ後前後に収束していくんですよね、ペースがね。
特に意識しなくてもね、鼻呼吸で全然余裕のあるペースでキロ後に収束していくんですけど、あんま時計は見てなくて、その後でストラバとか見た時に平均のアベレージの、なんて言い直した?平均のそのペースを見てね、なるほどって感じでよしよしいつもと一緒だぞみたいに思ってるんですけど、
昨日とかマジで全然1週間以上走ってなかっただけあって、しかもスーパーデブな時刻固定感ゼロなだけあって、全然ペースも上がらなくてね、まあちょっとずつ習慣取り戻していこうよって感じですよね。
あとで走って昼飯でも食いに行こうかなって感じですね。そういった感じでしたと。
それで全然関係ないんですけど、近況多いな。
革ブレスレットの修理
ツイッターで知り合ったランナーのゴータ君っていう友達に、俺のずっと使ってる革ブレスってのがあって、右手にずっと俺は20年以上2つリング状の鴨のブレスレットをつけてるんですね。
これは我々浦原塾育ち浦原キッズ浦原前世華やくなりしコロニーゴローズという皆さんもご存知かと思いますけど、お店で買った革ブレスなんですけど、これもう20年以上確実につけてるんですよね。
ちょっとツイッターとか25年って書いてたのは後で写真を検証してみたら嘘っぽいんですけど、23、24年もつけてるんですよね。
そのうちの一つが2年くらいまでちぎれちゃって、ミサンガじゃねえんだからちぎれんじゃねえよって感じなんですよね。
6mm、7mmくらいある太いレザーでできたブレスレットなんですけど、それ一個切れちゃってて、ずっと俺右手に2つつけてたんで、すごくなんかずっと欠落感を感じてきてたんですけど、
それをリペアしてもらって、糸を使ってうまくつないでもらったんですよね、月曜日の夜に。
今は私のこの右手には2つ革ブレスがついてるんですけど、なんというかすごく完全体に戻った感じ、やっといつも通りに戻れたみたいな感じですよね。
もうね、こうなってくると体の気管と一緒ですよ、ずっとついてるんで。
これって着脱ができないんですよね、手の大きさよりも小さい直径しかないリングなので、入れるときにとてつもない痛みを伴って入れるんですけど、
そもそも転売防止で、店舗で買うときにその場でスタッフに無理矢理つけられるんですよね。
で、俺の悪い仲間たちはそれをすぐに外してヤフオクで売ったりしてたんですけど、俺はそれをせずにずっとつけてたんですけど、
いやそれがね2つになったら嬉しいんですよね。なのでもし俺と会う人は、なんか右手に2つついてんなみたいな、で思ってみてください。
これまたね、ずっとつけてるんで、この夏、今ぐらいの季節になると若干臭うんですよね、自分でも気づくんですけど。
ただまぁしょうがない、しょうがない。でね、面白かった。ゴータ君に直してもらったらすごい感謝してるんだけど、
こんな20年以上使ったレザー初めて見ましたみたいなこと言われて、彼はちょっとその革を取り扱うようなことを普段してる人なんですけどね。
まぁとにかく素晴らしい。なんで嬉しかった。
この物を直して使うっていうのは本当にいいよね。例えばパタモニアとかで、俺バギーズショーツとかすごいたくさん持ってるんですけど、
リペアしちゃい履いてリペアしちゃい履いてで、3,4回リペアに出してるやつとか、もう生地がテロテロになってきてるけど、叩いてもらって何度も直してるやつとかあるんですけど、
やっぱり愛着湧きますよね。
もちろん新品には新品の面白さもありますけど、ずっと使ってる物っていうのは物語ができますよね。自分にしか分からないコンテキストが増えていって、
そういうのっていいよなって思いませんか。
なんで問いかけた?そんな感じでしたと。
あとは近況か。
町田の食体験
昨日の昼飯で町田の駅前にあるミートルっていうお肉の料理を出してくるお店があるんですけど、このお店がまた最高なんだわ。
最近俺の中でこの近辺、今昼間働いてる町田の俺の事務所から行ける範囲でいいなと思ってんのは、当然クリティカルホットですよ。
そして町田商店。町田商店はチェーンがいっぱいあるんですけど、本店が近くにありますからね。
あとはミートルですね。ミートルがこの中で比較的新しく行くようになったお店なんですけど、カウンターで5席か6席くらいない個人マリーとしてのお店なんですけど、すごく面白いんですよ。
肉肉しいんですよ。肉肉しいっていうのはミートルが出してる肉肉しいご飯っていうメニューがあったりして、それもすごくいいですし。
ただ毎日日替わりみたいな看板メニュー、黒板メニューみたいなのがあってね、それが行くたびに違うのがあってめちゃくちゃ面白いんですよ。
で、昨日おまかせ定食っていうのを食べたんですけど、もうね、これ私のこのボキャブラリーで音声がどこまで届きられるかわかんないんで適当にしますけど、
とにかくね、その提供された瞬間にもうね嬉しくなる、笑っちゃう、ワクワクするみたいなね食い物なんですよね。
うわ、こんないろんな種類の肉があってめっちゃ美味そうみたいなね。そういう飯ってあんまないですよね。出てきたときに楽しくなっちゃうみたいな。
そういうところがあって、まあ飯食うっていうのはエンターテイメントだよなって思いますし、まあ俺そんなにすげえ食い物にこだわりなくて、食い物の評価ってあ、うん、好き、嫌いぐらいしかないですね。
あ、うまい、普通ぐらいしか。まずいもんってそんなに世の中で提供されないじゃないですか。
それってまずいんじゃなくて、たぶん味が嫌いなだけですよね。
例えばセロリとかの味が嫌いな人、パクチーが嫌いな人いますけど、それをどうだった美味しかったって言われてまずかったっていうのとはまた違うと思っていて、
世の中で提供されるものでまずいものってそこそこ滅多に出てこないと思うんですけど、なのでうまいか普通かぐらいしかないんですけど、まあうまいし楽しいしすごい良いお店なんで、結構月に1回か2回ぐらい行ってるんですけどね。
まあとにかくそんな素敵なお店がありますよっていうお話でした。
まあ近況はそんなもんかな。
あと何やってんのいつも俺。
京平さん何か本読んだのコーナーか。
本はこの2日では新しく読み始めた本あるんですけど、特に何も読んでないですね。
ただ前回話すの忘れたんですけど、話すの忘れたっけ?これ話したっけ?
韓国ドラマはいくつか見まして、で2つ見てるんですけど、それすごい面白かったですね。
これ前回喋ってたらマジバカなんですけど、ちょっと覚えてないんでもう一回喋りますね。
もう一回なのか始めてたのかわからない。
まず一つ目はね、トリガーってやつですね。
これもね面白かった。
これはどういう話かというと、警察官が出てきて、韓国の話なんですけど主人公は警察官なんですけど、
元韓国軍の特殊部隊にいて中東とかにも派兵されてたような設定なんですけど、
そこに対して韓国国内で銃器を不法に流通させて国内に混乱を招いて、
さらには遠大の目標としては銃を合法化させて自分たちの銃をうまくばらまくみたいな悪いやつらが出てきて、
それを鬱屈している人たちに銃器を配っていくというところから始まるストーリーなんですけどね。
それで銃を手に入れた人たちが乱射を起こしたりとかっていうところで、
いやーこれ結構面白かったんだよな。
視覚と聴覚のメディア
なんかそのストーリーもいいですし、結局その人たちは幸せなふうにはならないんですけど、
鬱屈していた人たちが、自分を虐げてきた人たちに対して復讐していくっていうところも若干スカッとしますし、
それで復讐を思いとどまる人たちも出てきたりとかして、結構面白いドラマなんですよね。
で、10話でスパッと終わってなかなか良かった。これはおすすめですね。
なかなかテーマ、難しいテーマだなと思いましたけど、これはよくできてましたね。
もう一つ見たのが、ミスタープランクトンってやつですね。
逆にこれ両方ともネットフリックスにありますね。
話はそれますが、ネットフリックスで韓国語ドラマを見るときに、
俺が優先する基準ってちゃんと日本語がされてるからですね、
いやめんどくさいっす字幕読むの、ほんとに。
ずっと画面見てますよ。でもやっぱり字幕めんどくさいっす。
しかもニュアンス削られちゃうし、
まあ吹き替えあるなら吹き替えを見た方がいいっす。
この話をすると字幕原理主義の皆さんに怒られるかもしれないですけど、
英語話者の席をよこす私からしゃべらせていただきますと、
英語の映画見るときに字幕がいいって言ってるやつは、
マジで全員クソマヌケっすよ、はっきり言って。
よく言うのが、知らんけど、俺のイメージで言うと、
役者の声が聞きたいから?とかなの?知らんけど。
知らねーよ、声なんて聞いてねーだろ、わかんねーだろそんなのよ。
お前何度もこの話してるかもしんないけど、
字幕ってお前何割翻訳されてると思ってんの?
知らんけど3割とか4割くらいだよ。
ちゃんと英語が聞ける人が日本語字幕見てればわかりますけど、
たまに訳間違ってたりするし、ニュアンスだいぶ削られたりしますし、
まあそんなわけでできれば吹き替えがいいですよ。
吹き替えだったら俺の感覚では8割9割が訳されてるんじゃないかなと思いますよね。
え、何?外人が?日本語喋ってるのおかしい?
うるさいよ、映画なんて全部おかしいもんだろ。
まあそんなわけで話を戻しますと、
ネットリックス映画じゃなかった、
韓国ドラマ見るときはなるべく日本語がされてるのがいいですね。
どうしても見たいやつは字幕で見るけど、
まあ自分の耳から理解できる、あれ?何て言うんですか?
耳から理解できる情報が時刻語で入ってきたほうが多分、
感情に訴えかけやすいんじゃないかなって今ここまで話して、
今日この後読書の話をしようと思ってたんで、
読書の話っていうのは視覚的メディア、
視覚的というか自分で読むメディアの素晴らしさみたいなのを
今喋ろうと思ってたんだけど、
え、じゃあ字幕ってそうなんじゃねえの?って今思って
自分の中に矛盾が発生してしまったんだが、
ただ映像メディアっていうのはそもそも視覚というか、
語感のうちの視覚と聴覚を使って、
感覚に直接訴えてくるものだと思うんですよね。
解釈の余地が少ないものだと思っていて、
その没入体験の中に、
さらに読むっていう処理を発生させるのが、
俺としては合理的じゃないんじゃないかなって思いますよね。
脳みそがどういう仕組みか分かりませんが、
多分映像を見た瞬間にその映像の情報を理解するわけじゃないですか。
例えば爆発が起きているときに、
うわ爆発が起きているなっていうのを見た瞬間にパッと分かるわけじゃないですか。
そこに何かセリフが文字で出てくるっていうのが、
なんとなくチグハグな気がしませんか。
2つの処理の仕組みが両方プロセスを走らせているのがなんとなくもったいない。
いやこれ今考えたんですけどね。
ミスタープランクトンの魅力
まあいっか、そんな感じなんですけど、
とにかくね、トリガーもね、
もう一個ミスター・プラクトンってやつですよ。
ミスター・プラクトンね、これはなんていうか、
ラブコメなんですけど、
主人公が便利屋やってて、
そいつがちょっと、
あと何ヶ月で死ぬみたいに余命戦国系ですよ。
もう余命戦国系もね、やめろよと。
余命戦国系嫌いなんだ、俺。
でもね、見ちゃったんですけど、
俺がね、余命戦国系見る時は最後に、
やっぱりなんか知らんけど全然説明つかないけど、
スーパーミラクルな理由で病気治っちゃいました、
みたいな展開を期待してるんですけど、
まあほとんどそうなんですよね。
それやっちゃうとなんか作者怒られるしね。
でもいいの?俺はそれでもいいの?最後幸せになってほしいの?
と思いながら最後もね見て、
ああやっぱりか、ってなるんですけど、
まあね、ミスター・プラクトン面白かったです、これ。
どういう話だったかっていうとですね、
まあその、余命戦国系今言ったけど、
なかなか面白かったんだよな。
何が面白かったか。
まずですね、その主人公がね、
以前に見たブラッドハウンドっていうのに出てきた、
そのボクサー役のやつだったんですけど、
またちょっと違う雰囲気でかっこよかったですね。
あとそのヒロイン役がですね、
力の強い女、カムナムスンだっけ?
のヒロインで、
まあその子好きなんで面白かったっていうとこありますね。
はい、あとなんか俺感想を喋ってたな。
ああそうそう、まあでもとにかく泣きどころいっぱいあるんですよね。
で、出てくるキャラがみんな結構しっかり造形されてて、
愛する人たちでですね。
でまあラブストーリーなんですけど、
家族とは一体何ぞやみたいなのを逆の視点から結構浮き彫りにしているなっていうところ。
あとそのやっぱり余命戦国系なんで、
生と死みたいなのをうまく描いてたなって思いますけどね。
まあ面白かった、面白かった。
あとねサントラがよかった。
これおすすめです、ミスター・プランクトン。
リスナーとの交流
はい、そんな感じでございましたと。
それでは、あ、
Twitter、歌えるフォームなどコメント紹介をしてから
メイントピックに入っていこうかな。
Twitter見てみましょう。
えーっと、どんなっけ?
ハッシュタグで検索。
えーっと、チェールさん。
昨日初めて山でハット被ったけど、
ハノイナイツで配ったハットですね。
これが思った以上に快適だった。
昼間の日差し、自分みたいな黒い人でもあれなのに、
普通の人だとやばいね。
なるほど。
俺、その山でハットはハイキングの時は被りますけど、
ランニングの時はなんとなくこの風を切る感じと、
その頭の全周囲にツバが出ている感じが
どうしても俺の中で納得いかないんで、
走る時にハットは被らないんですけど、
まあでも最近流行ってますよね。
うん。
なんで、よかったですね。
配ったからよかった。
はい、チェールさんありがとう。
そしてまるまもさん。
この前の土曜日、
鏡平山須王から少し登ったところで下山してた
ナンキャスリスナーの方に会った。
で、シャツを着てたということですね。
いやすごいなあ、この山で
あのナンキャスのシャツ着てる人と会うとか
マジすごいなあ。ありがとうございます。
で、この方は誰だったんでしょうか。
俺ですっていう方。
しかもテラコッタのね、ナンキャスのシャツ着てますね。
俺ですって方いたらお便りください。
そして、まさきさん。
あ、せかすぎね。
かなり久しぶりのナンキャス。
そしてこれも久しぶりに鏡平さんの自己紹介を
駅のホームで大公開した。
またかよ。
こいつはいつも私を恥ずかしめるために
イヤホンつけないで
このポッドキャストを駅とか電車の中で再生する
ということをやって
俺は恥ずかしめるんですけど
まあ聞いてくれてありがとう。
せかすぎ。たまに会いましょう。
次。オーツミールさん。
朝から鏡平さんの話を聞いていると
凝り固まった頭や考え方がほぐされた気持ちになって
爽快である。
これはね、めちゃくちゃ嬉しいですけど
それ多分勘違いです。
騙されちゃいけませんよ。
私の考えはあくまで私の偏った偏見かつ
失格ぶりでございます。よろしくお願いします。
そしてもう一つ。
お便りホームの方で。
あ、ロードしか走れませんさん。ありがとうございます。
久々の配信ありがとうございます。
人事に向けるものって継続していくことって
簡単ではないですよね。
気分が落ち込むこともあるし
引きこもりたい時もあるし
そんな時に収録とかいつでも明るくなんて
やってられないと思います。
走れないことだって誰だってきっとあるんだろうけど
私は自分が走れない時期って
周りの人のキラキラ投稿を見て
勝手にしんどくなって
ソーシャルメディアから離れてしまいます。
他人と比べることが一番愚かだとは
分かっているんですけどね。
いやーその通りだよ。素晴らしい。長い。
でもね、これはありがたいですね。
ただ別にプロのスポーツ選手でもないのに
あくまで社会人として
親としての自分がいて
走ることって趣味であり
人生を豊かにする一つのツールでしかないと思うので
走れない…
走れりゃ走れりゃこだわらなくていいよねって
私はいつも自分に言い聞かせて
自分を甘やかしてます。
以前、京平さんが
自分が自分に一番優しくていい
みたいなことを言っていたのに
私は少し救われています。
はい、そうですね。
俺もなんか自分に甘やかす
自分を甘やかすことに関しては
大変自信がありますね。
まあ、そんなわけで
常に元気じゃなくてもいいと思います。
そりゃそうですよ。
俺基本的にめちゃめちゃマイナー思考で
常に何が起きるかってなったら
一番悪いことを想定します。
じゃあ、例えばですよ。
えーとですね
友達と待ち合わせしたら
待ち合わせ場所に来ないと
そしてLINEで
お前となんか会うかよブロック
っていうところを常にちょっとぐらい考えますね。
あとですね、友達と飯食った帰りに
あのー思うのは
あー楽しかったって思いますけど
あー
もうあいつと会いたくねーな
うるさかったー
一人でずっと喋ってたなー
って友達が思っていて
連絡を絶たれるみたいなことも
常に想定している
スーパーネガティブ思考なんですけどね。
まあそんなわけで
読書の習慣
で何だっけ
第8回の時に
アスヘイさんかジャクヘイさんか
ブキヨウヘイさんか
また新しい兄弟に来ていただけることを
密かに期待しています。
なるほどね。
あのーひできさんこれ聞いてたら
ぜひよろしくお願いします。
そんなわけでお便り
ロードしか走れませんさんありがとうございました。
では
本題に入っていきましょうと。
本題というか
前回話すやつで話せなかった内容があるので
ちょっとこれを話しておきたいなって思って
話しておきたいなって
お前は一体誰に向けてなんだ
って言うんですけど
虚空に向けてですね。
はい。
でー
まあ
俺は本読むのがすごい習慣になってるんですけど
それに関係する話ですね。
何でこの話をしようかなと思ったかというと
ちなみにこのー
これちょっと今度
ポッドキャストで
喋ってみようと思った時はですね
あの簡単に作っているネタ帳みたいなやつがあってですね
そこに
パッとメモっておくんですけど
でそのネタ帳は
あのーちゃんと喋る内容を過剰書きにしている時もあれば
本当にヒントだけって時もあって
であんまり過剰書きを詳しくしちゃうとですね
それを読み上げる感じになっちゃうんで
なんて言うんでしょう
瞬発力生まれないなーって思いながらも
そのー
すごくぼんやりとしたことしか書いてないと
あのー
どうしても言いたかったこととか忘れちゃったりするんでね
よしよしなんですけど
とにかくネタ帳に書いてあったんでね
喋っていきますと
でー
たまにそのー
ツイッターとかで見かけるんですけど
最近本読んでないなー
本読む時間作んなきゃ
とか
読書の時間確保しなきゃ
みたいなこと
見かけるじゃないですか
これね
あのいきなり的
しか作らないかもしれませんが
俺全然わかんないですよ
全然ピンとこないですよ
なんでかというと
俺自身は本当に1分でも5分でも空いていれば
読むわけ
本をね
あのいつも傍らに置いてありますし
能動的な読書
時間を作って読むっていう感覚が全くわからなくて
あのー
例えば
あなた今スマホをいじってると思いますけど
そのスマホをいじるのに
ツイッター見るのに
時間作ろう
時間作ってスマホをいじんなきゃ
なんて言いませんよね
それと同じじゃないの
って俺はすごく思うんですよね
なので俺は
俺にとってその本読むっていうのは
全然そのスペシャルなことじゃなくて
完全にこう日常の動作の一つになってるわけですよね
でまぁ空き時間でどのくらいの感じで本読むかっていうと
例えば俺
常に本を置きっぱなしにしてて
そのトイレでちょっとでちょっとで読み進めてる本とか
もう何度も読んでる本とかねあるんですけど
とにかくなんていうかその
何かしてない時間には何かしたいんですよね
何を言ってるかわかんないと思うんだけど
まぁそんな感じで
でね
で考えていくと
その俺にとってその読書っていうのは
自分主導で全部進めていくことができる
大変能動的な行為なわけなんですよ
その
どこで読めるかとか
どう読むか
どう読むかっていうのは
その順番ですらそうですよ
日常から読もうってこともできますし
なので
映画とか動画とかと違って
こっちからこう
こっち主導で操作できるっていう
メディアだと思うんですよね
さっきも言いましたけど
シーケンシャルじゃないメディアなわけですよ
シーケンシャルなメディアっていうのは何かというと
映画とかみたいに最初からその作り手の
想定した順番で見ていくものですね
まぁもちろん変わった人の中で
映画を20分どっから見て
次60分どっから見て
最初に戻るみたいな人もいるかと思いますけど
これ一般的じゃないと思うんですよね
まぁ読書
本っていうメディアは
そういう順番変えてもいいし
戻ってもいいですし
早く読むこともできるし
そういうことですよね
まぁその非シーケンシャルレート
俺がよくやるのは
例えば最初の方にその
その人物が初めて出てくる場面とか
あと最初の方にその地図がある
本とかあるじゃないですか
あそこをこう行ったり来たり
行ったり来たり戻ったりして
指挟んどいたりとか
しおりをもう一個挟んどいたりして
そうやって読むパターンもありますし
あと何度も何度も読んでる好きな本とかは
勝手に自分で構成変えて
その後半の章から読んで
最初に戻ってみて
でそれによって
この上手い伏跡とかを
さらにこう咀嚼したりとかね
そういう読み方したりするんですけど
まぁそういう
非シーケンシャルレートっていうのが
面白いなぁと思うんですよね
その自分で時間を支配できるところ
自分の時間の使い方に応じて
好きな形で進めていくことができるのが
本の読書の素晴らしいところだと思います
なので
最近はオディブルとか流行ってますけど
これはオディブルを否定するつもりは
一ミリもないんですけども
俺がちょっと
は?って思うのが
は?って言っちゃったね
オディブルみたいなオーディオブック的なもので
読書だっていうのは
ちょっと違和感ありますね
聞く読書とかって
読んでねえだろって思いますし
それはね
明確に読書とは区別してほしい
同じコンテンツを
咀嚼したかっていうところに関しても
なんでかっていうと
さっき言ったような読書っていうのは
完全に自分でコントロールできるメディアですけど
それがオーディオブックになった瞬間に
時間も相手にコントロールされます
もちろん再生スピードは変えられると思いますけど
ただ
慣れたの
朗読者の読み方だったり
抑揚だったり
テンポ
なんなら声の質とかに
全てが委ねられていて
ちょっと
俺が本来期待している読書体験に比べると
オーディオブックの体験
受け身になりすぎますよね
なので
自分が
自分で読んでいるときに
持っているコントロール
制御が
全部はできないじゃないですか
俺の考えかもしれませんが
聴覚っていうのはやっぱり
流れを止めにくいと思うんですよね
なので読むっていうよりは
俺はね
聞かされてるっていう感じが
あるような
気がしますね
あとその俺
流れ
流れ読書も全然するんですけど
ただね
一言一句追いかけたいんで
他のことをしながら
その
ちょっと今聞こえなかったみたいなのがね
あんまり好きじゃないんで
まあそういうこともあって
俺はそんなに好きじゃないんだけど
まあとにかく
別種の体験なんじゃないかなって
俺がすごく強く思うんですよね
その
オーディオブックは
慣れた読みの解釈っていうのが
そのまま丸ごと受け取る体験になるじゃないですか
なのでその
読書っていう自分から
言って
その情報
なんて言うんですか
この
受け入れて
創作していくっていうよりは
再生された読みを聞くっていう行為ですよね
なのでその
ちゃんと読んでいくことに対する
主導権っていうのが
そこにはないんじゃないかな
と俺は思っていて
なのでその
読書としては
本質的には全然
違う体験なんじゃないかなって
思うんですよね
これあの
前に
その視覚障害者の話とか
をちょっとしたことがあると思うんですけど
その人たちが見ているものと
俺たちが見ているものって
その
うまく比較できないと思いますけど
本質的に違うんじゃないかなと思っていて
あと俺はちょっと脳科学者とかじゃないんで
わかんないですけど
その耳から入ってきた情報と
目から文字を解釈するときの脳の動きって
なんか違うんじゃないのかなと
なんとなく直感的に思うんですけど
そういうところで
なんて言うんだろう
全く別種の体験ですよと
同じ内容をね
最終的には理解する
ようやくしたら同じことを
理解したらと思いますけど
その体験が全然違うんじゃないかと
情報はもしかしたら同じかもしれないけど
俺はその読者の体験というのを
非常に好きでやっているので
なんて言うんだろう
単に同じ情報を得たいんだったらね
それでいいと思うんですけどね
そこがちょっと違うんじゃないかなって
思っていて
みんなどうなるかわからないんですけど
本を読んでいるときって
この前もソーシャルメディアで見たんですけど
頭の中で声を出しながら読んでいる場合が
あると思うんですよね
俺もこれちょっとつぶさに観察したことが
ないんですけど
一定のリズムで読んでいるときは
いちいち全部声にはしてないと思うんですけど
ただ
漫画とかって特にあると思うんだけど
登場人物に明らかに声を当ててるじゃないですか
なので俺子供の頃
ドラゴンボールがアニメ化される前から
読んでたんですけど
ノーザンマスコンの声になった時に
最初すごく違和感あったんですよね
なので
でもなんかこれもまた一緒に
喋れるテーマになっちゃうんだけど
子供の頃の方がその感覚が大きかった気がするな
最近はいちいちアニメ化されても
声が違うってそんなに強烈に思わなくなったから
この感覚は何というか
成長していくにつれて
鈍っていくものなのかな
これも面白いですね
全部が音声化されているかどうかまで
俺も自分の読書を常に観察できていないので
分かんないんですけど
難しい文章とか会話文とかで
たまに気づいている
音がついているなって気づく感じがあるわけですよね
それで
読書体験の質
視覚っていうのは
いつでも止められるし戻れるし選べるわけですよ
能動的ですよね
聴覚はどっちかというと
流れているものを受け取るということで
受動的な認知だと思うんですよ
この違いっていうのがやっぱり
さっきからずっと同じこと言ってますけど
読書っていう体験の質
読書っていうのかな
情報を摂取した時の体験の質に
関わってくるんじゃないかなと思いますので
俺はそういう意味であんまり聞く読書
聞く読書ってみんな言ってるかもしれませんけど
そんなに合わないなと思っているし
メディアのスタイルとして興味がないんですよね
じゃあ何でそんなに読むのが好きかという話になるんですけど
そのことについてしゃべっていきたいんですけど
自分のペースで作者が考えた構成の中に
入っていけるっていうところですよね
特にこの場合は私物語小説とかの話をしていますけど
読書という行為は単純に意味を拾っているだけではなくて
全体的な構造に対して触れていく行為でもあるんじゃないかなと
今考えましたけど
たぶんですよ
聞く読書とは構造に対する手触りみたいなのが
違うんじゃないかなと思いますね
書かれた順序読まれた順序で単に受け入れるわけじゃなくて
自分の順序とか自分のテンポで
頭の中で音を鳴らしていくっていうことができないのかなって
思いますけどね
そんなわけで
鍛錬と読書
これは今全面的にオーディオブックを否定したかったわけではなくて
それを対比として捉えつつ
なぜ読むほうが好きかっていう話をしていきたいんですけど
俺は割と本好きの子供で
今の記憶だと小学校1年生2年生くらいから
もう学校の図書館の本とかを
陶芸講習に読んでたガキだったんですよね
今って歩きスマホ危ない危ない
スマホ危ない危ないとかって言われますけど
俺ガキの頃からずっと本読みながら歩いてたり
電車の中でもいつも本読んでたし
今もだから丸の内の会社に行くときに
東京駅の中央線のホームからずっと本読みながら
会社の自分の席まで行くんですけど
なんでそんなことするかというと
中央線1時間以上乗ってると
読書をはかどって楽しくなっちゃってるんですよね
なのでそのまま仕事が始まる直前まで
読み続けたいみたいになって
俺にとってはすげー自然なことで
何がながらだよ歩きスマホ危ないとかって
うるさいわって思うんですよね
大体皆さんの小学校にも
二宮金次郎の銅像があったでしょう
石像銅像があったでしょう
あのようにして働きながらいつも
読みながら歩いてた二宮金次郎さんがね
昔はもたやされてる
今は歩きスマホやめろって
追い越っちゃった話なんですけど
とにかくそれくらい自然な行為でですね
時に嫌になったりとか
リズム的に全然本いいや
なる1週間とか1ヶ月あったりしますんですけど
読んでないっていうことがあまりあると不自然なぐらい
俺にとっては日常的な行為なんですよね
そこっていうのは
やっぱりコンテキストスイッチの能力を
鍛えたからだと思うんですよ
コンテキストスイッチっていうのは
時間を作らなきゃ本を読めないっていう人は
集中したりとか没入したりとかっていうところに
俺の勝手な想像ですけど
時間応用するのかなって思うんですよね
俺は本当に一行とか二行とか読んでも大丈夫ですし
さっきまで人と話してすぐ本読んで
物語に戻っていったりできるので
切り替えの能力っていうのが非常に
強化されてるんだと思うんですよね
読書っていうのは今訓練って言いましたけど
そういう鍛錬性が関係してくるメディアなんですよね
そこの話もしたいですね
その鍛錬性が必要になってくるので
時間を作らないと本を読めないみたいな方たちも
いっぱいいるんじゃないかなと思うわけですよ
じゃあどうやったらその鍛錬性
その読書を身近にできるかっていうのはね
俺もまだちょっとよくわからない
全然わからないんですよ
なぜなら俺の家に本めちゃくちゃ大量にあって
吹き抜けの壁一面本で埋め尽くされてたりするんですけど
そんなに俺の子供たちは手に取らないんですよね
想像力と読解力
なのでこれは周りに本があるとか
環境とか量だけではないなって思うんだよな
両親が読書家だったから読書家になった人っていうのは
いっぱい聞きますけど
両親が読書家だったけど俺はなんなかったよって
人については特に声を上げないので
聞けられないじゃないですか
ちなみに俺はガキの頃漫画読め始めたのも
小説読め始めたのも
親の本棚から始まっているところがあるから
前者になるんだけどね
なんでその心理的なハードルをどうやって取り除いていくかって
俺には全くわからないんだよな
ただそこを俺らこれ聞いてる人
俺もそうだけどランニングしてる人多いじゃないですか
そことちょっと共通点があるなと思って
そこを今考えて喋りたいんだけど
ランニングも読書もそうだけど
俺にとってはすごい自然な行為なんだけど
どうやってそれを始めるかどうやって身につけるかについては
全然答えが出てないんですよね
読書もランニングもそうなんですけど
やる人はやるしやらない人はやらないじゃないですか
なんで俺が読書がこんなに面白いかっていうと
小説なんかの読書体験っていうのは
単純に書いてあるだけじゃないんですよ
読み手の想像力や知識教養また読解力
これに委ねられている部分が結構あるわけですよ
それを持ってるか持ってないかによって
だいぶ階層度が変わってくるわけですよね
例えば今面白い漫画があって
アクターの死に際っていう小説の漫画でも
やっぱり同じこと言ってたんですけど
小説家になろうっていう主人公が出てくる漫画
アクターの死に際っていうのがあるんですけど
そこでもやっぱり小説家と
小説家志望の主人公とプロの小説家が話してるんで
小説がタメディアにより優れてる部分って
やっぱり想像力だっていうんですよね
なんでかっていうと
これは俺もよく使うんだけど
例えばハリウッド映画とかで
大爆発が起きて
主人公がそこから逃げ出してくる場面みたいのは
全部映像でやろうとすると
非常に時間とコストがかかりますよね
ただそれが活字だったら
2行くらい説明できたりするわけですよ
その2行の中で自分の想像力使って
どんな風な爆発なのか
どんな風にして主人公が飛び出してくるのか
っていうのを想像してやっていくわけですよね
なので読み手の力によって
解像度がだいぶ変わってくると思うんですよ
これが読者の面白いところだと思っていて
なので誰かが面白かったよって言ったものっていうのが
自分が読んでも
同じ体験になるとは限らないわけですよ
含まれている情報は一緒なんだけど
その情報を得たときに
自分が想像力保管したり
知識だったり教養だったり
あと業界を読み解く力とか
背景まで読み取れる力とかっていうものによって
体験が変わってくるわけですよね
ここで面白いのが
アクターの死に際でも言ってましたけど
何だろう
あなたがこの本つまんなかったっていうのは
あなたに読返力ないからですよっていうのも
またちょっと違うよなっていうのは
俺も同じように思うんですけど
だから本当に優れた作品っていうのは
誰が読んでも面白いのかもしれない
でもさっき言った
想像力で保管するっていうところを考えると
そうじゃないような気もしますよね
これが面白いところだと思います
なので俺は誰かが読んでも面白かったっていうのは
じゃあ興味持ってみようかなっていうのはありますけど
基本的に売れてるとか
なんとか賞とか
他人の評価っていうのは全然気にしないんですよね
この活字っていうのは
読んでれば読んでるほど楽しめるようになる
そういう鍛錬性のあるメディアなんですよね
なので普段読んでない人が楽しめないから読めないし
読めないから時間作んなきゃいけないし
読まなきゃなとかっていうのは自然な流れなわけですよ
これランニングの比喩で言いますと
毎日走ってる人は当たり前じゃないですか
全然走ってない人ってやんなきゃなとか
全然違うわけであって
慣れ、鍛錬、訓練が必要なんですよね
俺よく言ってんのは周りがどんだけ働きかけても
ランナーっていうのは作れないわけですよ
ただ人は勝手にランナーになるんですよね
自分で決めて
それと同じように
俺本を読む人も作れないんじゃないかなって思いますよね
ランニングいくら素晴らしい素晴らしいって言われても
結局本人がその気にならなきゃ
走り出せないじゃないですか
それと非常に似顔った構造があるなっていうのを
昨日ぐらいに考えて気づいたんだよね
最近運動してないな運動しなきゃなって言っている
俺のことと
本読まなきゃな読書の時間作らなきゃなって
この最初に言ったの
これって同じ構造じゃんっていうところですよね
そんなわけであって
ランニングと読書の類似性みたいなのがあるなと思って
面白かったんですけど
そんなわけで俺は本すごく好きですし
さっき言ったように
想像力でいくらでも楽しくできるっていうメディアは
他にはないんじゃないかなと思いますよね
ただそういった一部の
一部のって言っちゃ悪いけど
一定の訓練を積んでいる人たちにとっては
非常に優れたメディアだと俺は思うんだけど
結局そういう訓練が必要なメディアっていうのは
他の訓練がなくても
パッて見た瞬間に分かるようなメディアに
負けちゃうのは当たり前なんですよね
分かりにくくなっちゃっているからね
そんなわけでぶっちゃけ俺好きなメディアですけど
終わったいメディアなんだろうなって思いますよね
みんながどんどん本から離れていくのは
当たり前だなって思いますよね
いやいやいやいや
身も蓋もないんだけどね
面白いのがさっき
読み手の読解力とか
想像力とか知識とか教養っていうのが
要求されるとかって言いましたけど
読書と教養
読書習慣を読む人かどうかっていうのと
学歴だったり職業だったりとかっていう
社会的なステータスっていうのは
全然俺関係ないなと思っていて
皆さんもそうだと思いますけど
大学出てても全然本読まない人たくさんいますし
これはステレオタイプすぎるかもしれないですけど
作業服着たおっさんがすごい読書をしてたりとかって
いろんなことあると思うんですよね
読書してるからその人が深みがある人
なんていうことが結構危ういんで思いませんけど
やっぱ本読んでる人には教養はありますよ
それはそうなんですよ
教養っていうのは結局
言葉に対してどれだけ向き合ってきたかによって
にじんでくるんじゃないかなって思いますけど
そういうところはあるかな
結局ね
そろそろ終わりにしないと
俺仕事が始まっちゃうんですけど
俺的にはこんな音声メディアで配信していて
身も蓋もないんですが
結局文字は最強のメディアだと思うんですよね
読書、小説、活字は最強のメディアだと思うんですよね
自分のペースで読めますし
読められますし
いくらでも想像力で保管できますし
繰り返せるじゃないですか
音とか映像と違って流されることなく
自分の頭の中で音を鳴らしていくことができる
メディアだと思うんですよね
なんで我々は今でも
ツイッターみたいなものを使って
テキストでやり取りしてるわけですよ
これは音声なんで
何を言ってるんだお前は
ってなるんですけどね
そういうことですよ
なんで読書がすごく自由で
強い体験家っていうのはね
文字というメディアの底力そのものだと思うんですよね
てって終わりにすればいいかな
いい感じ
なんですけど
これを音声で配信しているっていう
そこしれぬ矛盾を感じつつ
いかがでしたでしょうか
それではまた
40:50

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