1. タイマーが大好き
  2. #67 人生はチャレンジだ まさ..
2024-04-16 2:23:02

#67 人生はチャレンジだ まさこさん

52人目のゲストに今野 昌子さんをお迎えしお話を伺いました。

 

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  • 誕生日が一緒8/28
  • 出身はオホーツク紋別  
  • 祖父は初孫で女遊びをやめた
  • 小学校の時は背が高かった
  • オホーツクには海水浴場がなかった
  • スキーをやるため1日体育
  • 中学校時代は卓球部からのバスケット部
  • 高校もバスケット部
  • 札幌のドレスメーカー学院で洋服作り 
  • 2年でドレスを作り3年でファッショー 
  • 学生時代はディスコ    
  • 1995にフリーのパタンナー   
  • コンテポラリダンスから体力作りでジムに  
  • 東京マラソンの応援からハリヤーズに入る    
  • 初マラソン大田原  3時間32分
  • 2013にトレイルを始める
  • 2016チーム100マイル
  • 八重山で上野さんと堀米さんと出会う
  • 2014上州武尊30km
  • 2016、2017 CCC
  • 2017 KOUMIのボランティア
  • 2018 UTMFからKOUMI
  • Tomo’spitに入会からUTMF
  • LDA-RC
  • 諦めずに100mileにチャレンジ
  • 走ることは前に進むこと、トレイルは人生そのもの

★編集後記★

「人生はチャレンジだ」あのジャンボ鶴田が座右の銘をまさか今野さんから聞くとは思いませんでした。

いくつになっても色々なことにチャレンジし続けるバイタリティーは見習いたいです。

自分もどこまで走り続けられるかわかりませんが少しでも近づきたいなと思います。

今回はありがとうございました。(アツシ)


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00:05
その1週間前ですね、約3月24日に、今ちょっとX上でもまだ熱い投稿が続いている
厚木大学の学園祭と、あとはATCトレイルが行われまして。あれ、X上で、ごめんごめんごめんね、X上でそんなにあれなの?もう抑えてますかね?
なんかまだみんな、運営の人たちはまだちょっと興奮の中にありますけどね。やっと終わったみたいな。あんまりXでごめんなさい。じゃあその人たちを僕がフォローしてないんでしょうね。
みんな、運営とか。もうちょっと落ち着きましたからね、さすがに。インスタグラムでよくお見かけします。
で、私が七沢江戸でボランティアしてまして、じゃなかさんが応援ランで、はぎさんと一緒に。そうですね、50キロのコースを下車、大山の下車から走ったみたいな感じですね。
はい。で、七沢江戸で会いまして。そうですね、はい。で、七沢江戸にいた、救護施設が七沢江戸はあるんですけども。
あ、そうなんですね、はい。知らなかった。そこの救護にいた、メグ先生っていう先生がいるんですけど。はいはいはい。はぎさんを見ててですね、あれは田中さんの秘書ですか?って言ってました。
いや、やっちゃいますよ。僕より早いスペシャルランナーですね。はい。はい。ついに秘書、トレイル業務からもついに秘書制御とかできてなかったと思いましたけど。いやいやいや、これを聞いたらはぎさんが落ち込んでしまうんで、そんなことはありません。
すいません、申し訳ございません、萩原さん。萩原さんもいろいろと頑張っているそうで。いやいや、もう素晴らしい活躍していると思います、はい。
はぎさんもこの前楽しそうに走ってましたよね。そうですね、うん。やっぱりレースではないからなんでしょうけれども。はい。で、厚木大学の大会自体は結構そうですね、完走率がショートもロングも99%。99%ですごいっすね。はい。
ほぼ1人、確か1人だけ、どっちも1人だけ確かDNFだったかなと、情報としては聞いてます。僕の聞いてる情報だと20キロはお風呂入って、
はいはいはいはい。その人、完走したんですか?その人、あれ途中、あれそれ奈良沢のところですよね。奈良沢、はい、うん。
辞めたのかな確か、辞めたって言ってたような気がしますけど、ちょっと忘れちゃいました。あの途中で、あのー、スイーパーナトリックにあって、はい。1人、あのー、
そうですそうです。お風呂に入ってる人がいるっていう情報を聞いたんで、はい。 奈良沢で入ってた気がします、確か。はいはいはい。
まあでも、来る選手来る選手皆さん楽しそうに走っていた印象がすごく強くて、やっぱりあれですかね、あの初めてトレイルの大会出る人もいれば、
03:06
ランニングの大会が初めてっていう方もいらっしゃったんで、はいはい。 まあそういうやっぱり敷居の低さと言いますか、ちょっとうまく言えないんですけど、
そういう方たちにはすごく、こんなに楽しい大会があっていいの?とか言ってましたし。 おー、いいっすね。はい。結構ハッシュタグでうちの妻が色々検索してたり、やっぱりそういう、このレースが初めてでこんなに楽しいんだったらまた出てみようかなっつって、他のレース、
ボーSJとか出たらもしかしたらショック受けるかもしれないから。 あ、ボーSJ。 ボエルJみたいな。
ちなみに今回ですね、会社の後輩の女性に、厚木トレイルをお勧めして、ショートの方出て、3位ぐらいになってたのかな。
素晴らしいですね。 楽しかったという感想をいただいて、紹介してよかったなと思いますね。
そうですね。で、あと、田中さんのゼミの同期、山口さんも走られてましたし。 5位ぐらい。
すげー楽しそうに山口さんも走ってましたね。 そうですね。僕と萩原くんが行くところで、岩垂れくんと山口くんの情報を逐次教えてもらって、
山口が潰れてないかというのは非常に心配だったんですけど、無事に完走できてよかったなと思います。 終始元気に走られてましたね。
あとあれですよね、レジェンドの石川ひろきさんが。 ひろきさんもすごかったですね。トレインができてましたからね、もう七沢事件で。
石川さんと走りたいという。 そうですそうです。 JJも途中一緒に走ってて。 走ってましたね。ちょっとSNSで見ましたけど。
彼も終わった後の学園祭で、あったんですけど、MCの杉崎さん。 ユコさんですね。 ユコさんのところで雨が降ってテントが張られたんですね。
そこで僕と石塚二郎さんとナミネムくん、あと JJ、あと水木さんですかね。
水木さん、はい。 そこで居酒屋状態になり、そこに石川さんが来てくれて、ひろきさんが来てくれて、 JJにウエスタンステージに向けてのアドバイスをしてくれてたんで、非常に彼にとっては刺激になったんではないかなと思いますね。
そうですね、すごいですね。 この大会前日がボラだけでちょっと飲み会が、飲み会っていうかちょっと会食みたいなのがあったんですけど、
リュウジさんもナミネムさんもいい感じでベロベロだったんですけど、やっぱりちゃんとリュウジさんはスイーパンのお仕事はしてるっていう、
06:00
体の強さをやっぱり感じましたね。 僕はまあレース後、結構ベロベロになりそうだったんで、そのまま行ったらそのままどっかお店に入りそうな勢いになってたんで、普通に帰りました。
良かったです、本当に。 あとはですね、小原さんもマーシャルで走られてて、ただちょっとSNS見たら、何でしたっけ、木が骨にまで刺さりそうになったっていう投稿を見て、
一緒に7歳でエイドをやってた運営の綾子さんですね。 マア君と心配してましたけど。
あれはまあ、なんかそうですね、なんかトレーニング中にやられたらしくて。 みたいですね。
やっていただきたいなと思いますけども。 そうですね、はい。
あとはまあ次、大学、まあ多分来年は確かもうないって言ってたんで。 そうですね、来年はなんかインスタグラム見る感じだともう来年なくて、
さらにもう2026年という。 そうですね、桜田ファミリアが完成する頃にまたやるみたいなんで、もしご興味がある方は是非。
本当に楽しい大会で、そう言われたのがパンもバナナも一気に出てくるんですよね。 一気にじゃない、パンも一本で出てくるんですよ。
で、バナナも一本なんですよ。そういうケチらない大会が素晴らしいなと思って。
なんで、あとオギノパンさんとか、あとはアフリチさんとかもいろいろボラで、
エイドとして提供していただいて、なかなかやっぱりレースとしてはすごい豪華な。 僕がよく言う、ホスピタリティ溢れたレースのその一つじゃないかなというふうに。
そうですね。 僕はレースに参加してないんですけど、応援しながら、あんだけまあそうですね、
誘導とか、きちんとやってもらっているところはなかなかないかなと思うし。
まあ僕はどちらかというと、誘導している人たちを応援しながら走ったりもしたんですけど、いいレースだなと思いましたね。
ですね。ご興味がある方は2026年第2回目お待ちいただければと思いますので、ぜひ。
ぜひということで。
はい、ふるってご参加いただければと思います。
はい、では今日のゲストですね。今もう柳沢慎吾張にリップクリームを塗られてましたけども、今日のゲストは昆野雅子さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
お願いします。
いつも通りでいいと思うので、そんなに緊張する人性は僕はないと思ってますよ。
いやー、なぜに私だったんでしょう。
最初からその話しないほうがいいですよ。
そうですね。徐々に紐解いていけばという感じですね。
はい、お願いいたします。
まあ我々はね、昆野さんのことを昆野さんって呼んだり、まーちゃんって呼んだりしますけど、
まーちゃんと僕の接点っていうのが一つあるんですよね。
一つ接点じゃないですね。共通点。
誕生日が一緒。
09:00
そうですね。
あとあれですよ、シンさんの奥さんとも誕生日一緒なんですよ。
シンさん?
はい、奥様とは。
シンさん知ってます?
はい。
で、あとはあれですよ、ティモシー・オルソンとも誕生日一緒なんですよ。
そうですか。もしや私の友達も一人います。男性ですけど。
そんなに多い誕生日ではないんですけど、近くに8月28日なんですけど。
日本テレビと一緒なんですよね。
え?
日本テレビと。
詳しいですね。
そういうことしか知らないんで。
大丈夫ですか?口数いつもに少なくないですか?大丈夫ですか?
何を見て、どう話せば、自分の顔を見て、あっちゃんの顔を見て話せばいいのかな?
全体的に見て話していただければ。
時々ちょっとトンチンカンなことを言うかもしれませんけど、突っ込んでください。
大丈夫です。大丈夫ですか?始まりますよ。始まってますけど。
始まってますね。
で、コンノさん。いつもこの番組の流れになるんですけども、コンノさんってご所属地どちらになるんですか?
私は北海道なんです。
そうなんですね。
結構いらっしゃいますよね。
チカさんもそうですよね。三本橋チカさんも。
北海道のどちらなんですか?
おほうつく門別。
おほうつく門別ってことはどこら辺ですか?場所で言うと。
あの、おほうつく界ですね。まさに。
早速トンチンカンの話がやったから、ちょっと待ってくださいね。
日本地図を見て。
小原さんのエリアと同じエリアなんですね。
そうなんですね。
おほう、じゃあ結構寒い。
寒い。氷の女です。
サッチャーみたいな感じですね。
サッチャー。そうですね。北国って言うより氷ですかね。
おほうつくって、あれですか、竜峡の町ってことですか?
そうです、そうです。
ちょっと待ってください。
あ、おほう、ここか。なるほど。
サルマ湖の近く。
はいはいはいはいはいはいはいはい。
すげー寒いとこですね、この辺なんか。
すごい寒いですね。
え、雪より氷の町なんですか?ここの。
そうですね、雪はね、そんなんでもないですね。
あ、ここか。これやば。
あ、つい、そう、この前もちょっと帰省してて、ちょっと母の調子が悪くて。
はい。
竜峡ありましたね。ちょっと沖の方に。
へー。
だから船が出れない。カニ漁船が出れないですね。
出たけど、一回また竜峡が戻ってきちゃったから、
そっからまた船が出れないっていう状態みたいでしたよ。
あれですよね、竜峡って裁氷船みたいなやつですよね。
船底がお椀型した、氷に乗っかって割るみたいなやつですよね。
12:01
それはね、ガリンコ号っていう。
あ、それまた違うんですか。
そうですね、あの観光船みたいな。
あ、それ観光船なんですね。
はい。
へー、じゃあそうすると、
てかあれですね、門別って本当に一部しかないんですね。
住めるところっていうんですか、平坦なところっていうのが。
いや、そっかな。そうですかね。
へー。
いやでも山もあり。
はいはいはい。
はい。
そんな、今は人口減って線路もなくなりましたけど、
大津区門別空港っていう。
あ、そういうのがあるんですね。
はいはいはい。
で、そこから15分ぐらい、車で15分ぐらいで家まで着きますので、
そんな、着いてからは不便ではない。
あ、その、あれですね、車でって言われたりがやっぱり地方を感じますね。
あ、そうですか。
車で15分っていうのが。
車で。
あ、でもあるんですね。
ガリン工房が、本当に最高線が出てるところも近いんですね、この港。
へー。
田中さん行ったことあります?大津区とか。
いや、ないです。
これから行きたいと思いますか?
いやー、僕が知ってるのは、大津区に消えゆっていうゲーム知ってます?
知らないです。
あ、知らない。
知らない。
大津区に消えゆっていう、昔アスキーから出したファミコンのあれなんですよね。
へー。
ゲームがあって。
大津区って言ったら、もうそれしかないかなと。
何人ぐらいがそれに、あーっていうか、ちょっと楽しみなところで。
いやー、どうだろうなー。
カニの爪のオブジェとかあるんですか?
あ、そうですね。
昔、鮭もあったんですよ。
船の、あ、流氷の上に浮いてたんです、当時は。
え?
なんか、あの、カニのオブジェが、今は陸にあるんですけど。
当時は、水、おほうつく貝に浮いてて、
おほうつく貝からカニの爪と、ないんですけど。
なんかバブルな匂いがしますね。
そうですかね。
結局なんか流氷で壊れてしまって、陸に上げたっていう。
あれですか、クリオネとかって見たことあるんですか?
ありますあります。
あの、流氷博物館館、科学館、流氷科学館っていうので、流氷を体験するのと、
クリオネが実際、生きてる。
水槽の中で。
でもすごい弱いみたいで、
流氷の下についてクリオネがやってくるので、
肺腰増やしてるのか、ちょっとそんな辺わからないです。
自分、北海道は行ったことがないんで。
ね、行ってらっしゃってましたよね。
そうなんですよ。
なんか行ってみたいなとは思いつつも、
ちょっと急に門別はちょっとハードル高いかなって気がしますね。
15:02
あれに、サロママロソンに、ウルトラチャレンジしてみたらいかがですか?
1年に1回すごいですよ、空港。
ランナーが、門別空港と宿泊する。
ちょっと今んとこまだ、心が動かないってことはありますかね。
いや、ちょっと遠いなっていうよね。
遠いな。
でも一番タイムが出る、フラットなので。
まあそうですよね。
サロママロソンってあれなんですか、大津区門別からに行くって感じなんですね。
そっからも行けるし、あと目満別とか、目満別空港から行ったりですね。
そういうパターンが多いかもしれない。
確かにあれですね、大津区門別空港からサロマが近いですね。
だから門別の宿に泊まって、朝行くとか。
どうしてるのかな、みんな。
ちょっと私も出たことないからわかんないんですけど。
応援には行ったことは一度だけ。
今年知り合いが何人か行きますね、サロマに。
あ、そうですか。
今年?
今年、今年、今年。
なんか空港じゃなくて、会場の近くにテントを張ってる人も結構いました。
100キロ走るのにテントかと思ったんですけど。
宿泊OKなんですか、そのテント張って。
周りにテント場があって。
いや、OKなのかなー、してましたね。
そのときあんまり興味がなかったから、友達の応援だけ、知り合いの応援だけ。
なるほどなるほど。
そこがちょっとですね。
そのときのテントではモンビルのテントを買ったほうがいいですよね。
そうですね、ぜひ。
ぜひモンビルのテントを。
今、石川と自身でもすごく被災地にいろいろと活動されてるっていうのは、ちょっとニュースで見ましたけど。
もっとアピールしていいんですよ。
いや、そこまで大丈夫です。
そんなマーチャーなんですけども、小さい頃は小学校とかってどんなお子様だったんですか?
どんなお子様だったかな。
ちょっと初孫だったんですよ、私。
父の兄弟が男の子ばっかりで、女性が一人しかいなくて。
母の方は、女兄弟いっぱいいたんですけど、私のおじいちゃんにあたる人が、女の子がすごい欲しかったみたいで。
私が長男の長女として生まれたので、女の子。
なのですっごいおじいちゃんにかわいがられて、うちの母はよく女の子を産んでくれたみたいな、普通男の子だと思うんですけど。
だから結構甘やかされて、育ったかもしれないですね。
18:02
そのよくやったっていうのが、ちょっと言い方は悪いですけど、やっぱり時代背景感じますよね。
そうですよね。
やっぱり女の子を産んでくれたっていう。
今のご時世、なかなか聞く子供じゃないかもしれない。
ないですよね。
どんなエピソードがあったんですか?
かわいがられたエピソードとして。
言ったら何でも買ってくれたとか、そんな感じですか?
いや、すごいおじいちゃん、遊びになったらしいんですよ。
お酒もすごい飲めてて。
私が生まれてから飲み屋に行ったり、女遊びが一切やめたらしい。
おばちゃんに。
らしいです。
なかなかのんべいの遊びのおじいちゃんだったから。
肯定にしたんですね。
すごいな。お酒もやめたんですか?
お酒は飲んでました。
まあまあ、それはそうですよね。
そうですね。膝の上に乗せ。お酒は飲んでたみたいですね。
お酒は飲んだけど女遊びはやめたと。
やめた。
すごいです。芸人みたいなおじいちゃんですよね。
そうですよね。
すごいな。
でも機関車に乗ってた、デゴイチ?
運転手さんだったんですか?
運転手ではなく、運転手したり、整備?
ああ、機関手。なるほど。
だったんですよね。
国鉄の職員さんってことですか?
そうですね。職員っていう形なのかな。
デゴイチとか、今は亡きデゴイチとか。
はいはい、機関車ですね。
その写真とかありますね。
確かにここら辺は電気機関車よりも石炭とかのほうが……
そうそう、石炭ですね。
あれ炭鉱ってありましたっけ?北海道って。
炭鉱ありますよね。ありますあります。
ありますか。じゃあ蒸気機関車に売ってつけのところなんですね。
なるほど。
うちの近くにも、置いてあるだけの石炭……
置き場みたいな感じですか?
置き場みたいなところがありましたね。
小さい頃何して遊んでたんですか、小野さんお友達と。
お友達、ちっちゃいときってどのぐらいのとき?
小学生とかですとか。
小学生のとき何してたのかあんまり覚えてない。
私ね、今ちびですけど、小学校まで誰かいましたよね、今まで。
野間さんだったかな。背が高かったんです、私。
自分もそうでした、小学校までは。
あっちゃんもそうだった。首一つ違って。
だから結構親分っぽく、男の子も仕切ってたりなんかしてたと思います、小学校までは。
21:05
顔一つ、写真とか見たら大きくて。ちょっとオマセさんだった。
そっからはもう抜かれたい放題ですもんね、たぶん。
そうですね。もう中学になったらどんどんどんどん抜かれ、一番前になっちゃって。
前習いができない。腰に。
これですよね。
悲しい現実が待ってる。
そうですね、そんな感じ。
よく、「え?」って言われますけど。
海とか山も近いじゃないですか。そこで遊んだりってしないんですか?
海は泳げない。泳げないです。おほつくかいは。
泳げない。いまだに泳げない。
おほつくかいだから泳げないのとも、まーちゃんが泳げないってどっちですか?
いや、おほつくかいは、たぶん北海道の人みんな泳げないじゃん。
みんなじゃないな。
それはたぶんないと思う。
でも泳げない人が多いと思います。
特にうちの北見エリアは寒いので、
夏、泳げる時期って本当に限られてて、プールに入ったのを数えるぐらい。入れる時期って。
夏が短いってことですか?
そうですね。海で泳ぐなんてとんでもない。おほつくかい、波も強いし。
泳ぐ海水浴場っていうのがなかったと思います。
今はなんか、ちょっと作ったみたいで。
遊泳するところもあるんですか?
そうですね。そういうようなところを作ってるようなことを言ってましたけど、どうだろう。
やっぱりあれですか。
ロシアとか上の方から来るんで、水冷たいんですか?あんまりそういうの関係ないですか?
荒いですよね。波が。おほつくかい。
確かにおほつくかい高気圧であっても、張り出しても寒いですもんね。天気良くても。
寒いですね。
じゃあ、もっぱら海ではなく。
山ですね。
何してるんですか?
スキーですか?
それで遊んでたかっていうと、遊んではなかったですね。
授業で小学校の時からあったので、中学校。
そうなんですね。新潟湖とかで一緒なんですね、やっぱり。
そうですね。1日かけて体育の時間っていうのがあって。
1日体育の時間ですか?
だいたい1日ですね、体育の時間。朝から。
午前中に雪ならしをして。
で、午後からやっと滑れるって感じ。
雪ならしってごめんなさい。何するんですか?
除雪?っていうの?雪をならすんですよね。
雪降ってるから積もってるので、それをみんなで横歩きをして。
はいはいはい。なるほど。
ながら雪をならす。ならすって言ってたな。ならすって言うのかな。
ちょっと滑りやすいようにするみたいな感じですね。
24:01
そうですそうです。
雪がなかったら、それでも雪ならしを絶対今思うってやってましたよね。
なかなか重労働っすね、それでも。
重労働ですよ。本当にもうやでやで仕方なかった。
小学生にしてはちょっとハードですよね、それ。
ね。小学校の時はちょっとだったのかな。もう小学校のこと覚えてないですね。
小学校だったかな?高校だったかな?って感じ。
この記憶しかないですね。
えー、まあ北海道ならではな感じですね。
そうですね。それでやっぱり汗かくじゃないですか。
で、今みたいに今の子恵まれてるなぁと思いながらモンベルで販売してますけど、後ろに下着の間に入れるんですね。
はいはいはいはい。
こっちとこっちと後ろの。
布側と背中側のことですよね。
で、午前中それでこう動いて汗かいて。
で、昼になったらそのタオルがピャッと抜くんですよ。
みんな。それがすっごい気持ちよくて。
あ、汗日防止みたいな感じなんですか?
汗日防止なんですよ。午後からは表側のTシャツが濡れてないので。
はいはいはいはい。
そのままなんですけど。
へー、まああれですよね。今みたいにポリみたいなTシャツがないんですから。
コットン100とかですもんね、綿100とかですもんね。
そのタオルがなかったら最悪な状況かってことですもんね。
だと思いますよ。
みんなやってましたね、それね。
着替えるとかしてるんですか?
もん別ではスタンダードな。
スタンダードだと思います。
へー、初めて聞いたな。
はい。多分こっちやってる人いないですよね、今ね。
まあでも知恵の一つですよね、それも。
そうですね。
おおー、面白い。
たまにトレールで冬とか寒い時とか、なんか、
ちっちゃいタオル入れてみたり。
うん。
腹巻きで代用してみたり。その名残かな。
結構腹巻き大好き、私ね。
それで今度進学して中学校になると部活等があると思うんですけど、
覚えてます?何部だったか。さすがに覚えてます?
僕はあんまり覚えてないけど、卓球部に入った記憶はありますね。
ちょっと卓球部。半年の時かわからない。
卓球部ですか?
はい。
また何で卓球部なんてやろうと思ったんですか?
いや、それもあんまり覚えてないですけど、
たぶんお友達が入るから、じゃあ私もって感じになったと思う。
ちなみに、中学校って家からは近かったんですか?
中学はわりと近かったです。
高校は遠かったので。
何クラスぐらいあったんですか?
中学はね、A、B、C、D、E、F、F6、7ですね。
あ、意外とちっちゃいですね。
もっとあるかなと思ったんですけど。
あ、そうですか。
27:00
中学校はA、B、C、D、E、F、G、Hまでありました。
Hクラスっていうのがあったので。
数字じゃなくてアルファベットなんですか?
アルファベットでした。
てっきりイロハにホゲットかと思ったんですけど。
違う。そこまで古くない。
そこまで古くないですか?
そこまで古くない。
そこまで古くなかったんですか?
いやいや、そこまで古くない。
へー、卓球部。
そう、ちょっと入りましたね。
何がきっかけ?何かが流行ってたわけでもなく。
今はちょっと卓球流行ってるとは言わないですけど、若い子がたくさんいて。
ですよね。
多分あれですよね、卓球のラケットもペンシェ…ペンハンドじゃない?こういうやつですか?
あ、そうそうそう。
これもこうなったんですか?こういうやつですよね?
あ、こうです、はい。
ですよね。
田中さん、あんまり言ってますか?
ペンとペンとシェイク…ペン、ペン。
シェイクハンドとペンでしたっけあれ?
両面がシェイク。
そうですよね。
シェイクは何かやめようかなって、やめようっていう頃に何か使ってる人がいて、こんな感じ。
その時代に出てきたっていうか、こんのさんがやめようって思った時にシェイクが出てきた。
何か出てきたような気がしますけどね、やまえからあったのかもしれないですけど。
うちの父親も確か卓球部で何かペン…ペン…ペンラケットって言うんですか?何かペンの何か色々と持つところをこうヤスリで削ったりして何か。
あ、そうそうそう!
してましたよね、そういえば。
思い出した!そうでした!何かそんなことしてて、使い込んでる人は減ってました。
減ってますよね、何かこう…多分ここがエッジに当たっちゃうんですよね、多分このペンの何か人差し指のところが。
うん、懐かしいですね。まさか卓球の話でここまでここを話すとは思いもしなかったので。
今ペンって使ってる人いるのかな?
えっと、世界大会見てたら中国かどっかに、元々中国だった人が、しかしてどっかの国になった人が1人使ってるんですよ。
へぇー。
なんかテレ東の世界卓球で見たことありますよ。
いや、今はもともとシェイクじゃないのだって。
シェイクなんですけど、その方1人はまだペン使ってましたね。何か特殊してましたよ。
へぇー。
年代も本当にいい年代の方で、中国だったかな?どっか忘れちゃいましたけど、何かいましたね。台北かな?アジアか何かの方で。
息子が卓球でシェイクだったんじゃねえかな?
へぇー。
今の子みんなシェイクじゃないですかね。
すごいですよ、今の子ね。もうスピードが、もう目が落ち着かない。すごい横の動きもそうだし。
なんで卓球だったのか覚えてないです、全く。
どのくらい卓球部にいたんですか、在籍は。
いや、1年もいなかったと思います。
辞めちゃった。
はい。で、バスケット、あっちゃんもそうですし、バスケットやってる方多いなと思って聞いてますけど、バスケットに入ったんですよね、3年目で。
30:06
3年生で入ったんですか。なかなか難しいですね。
3年生、それまで卓球やってて、2年か3年にバスケットに入ったんですよね。
もうなんか中学高校のことは全然覚えてないですよ。
ちょっと自分でも遡っても思い出しもしない。
バスケ入ったのは何かきっかけあったんですか?
いや、身長がちょっとやっぱり、今まで大きかったので、バスケットでもやると伸びるかなと思って。
卓球が伸びなそうな感じ。
たぶん伸びそうもないですね。
それを感じたんだと思うんですけど、もうちょっと伸びたいなと思って。
でもどちらかというと、偏見がわからないですけど、バレーの方が女性ってやる人多いじゃないですか、バレーボールの方が。
あとたぶんバレーボールの方が有名じゃないですか、女子バレーって昔から。でもバレーではなかったんですね。
うちのバレー部はあんまり盛んじゃなかったと思います。
そうなんですね。
あんまり魅力的じゃなかったんで、きっとバスケに入ったんですよね、たぶんと思います。
バスケットはレギュラーにはなれたんですか?
人数も少ないので、レギュラーとかっていう人数じゃなかったので、なってました。
じゃあ試合に出て。
はい。
司令塔的なポジションだったんですか?
そうですね。速攻、速攻って言うんですか?
わかります、速攻。
トップと、昔45度、今なんて言うのかな、わかんない。
いろいろ言い方はありますね。
僕45度わかりますよ。
で、なんだっけ、走る、速攻。速攻部隊。すごい緊張してました。
速攻主体のチームっていうことですね。
そうですね。
結構足は速かったんですか?
いや、速くもなかったかもしれない。でもなんか小さいからそこのポジションしかなく。
45度ってガードじゃないですか、どっちかっていうと、背がちっちゃいと。
どうだったんだろう、そうかな。
たぶんそうだと思いますね、ガードってやつだと。
で、球を回して、とにかく走ってた記憶ですね。
スタミナも結構あったんですよね。
あったのかもしれないですね。もう今、高校時代のことは本当に思い出さないですね。
友達と話さない限り。
あれ、今のは中学の話じゃなくて高校の話?
今ね、高校になっちゃった。中学から高校になっちゃった。
中学から高校2年くらいまでやってたんですよね。
卓球が。
バスケット。2年かな。
中学は卓球だったんだけど。
33:02
卓球だって、それからバスケットになった。
ですよね。
そして、バスケット。あれ、どっちだったかな。
でもバスケットをやってたんですよ。
中学のバスケットのボールって小さいじゃないですか。
ちょっと。
ちょっと小さいですね。
ちょっと小さいんですよ。
で、中学までは割と活躍して走って活躍してたような気がする。
高校になって、ボールが大きくなった途端にシュートも入らなくなったり。
7号ボールかな、確か。
あ、そうですね。
で、あんまり好きじゃなくなって。
やめてはないけど。
ちょっと熱量は冷めちゃったんですね。
熱量冷めてますね。
高校になったらレギュラーではなくなったってこと?
ないですね、きっとね。たまに出るみたいな感じ。
どこまで真剣にやってなかったと思います。
高校バスケットだったんだけど、所属化したけどそこまで一生懸命やってなかったって話。
ただお友達もいるから参加してたっていう感じですね。
何か他に高校時代に熱中したものあったんですか?
熱中したものは、洋裁が好きなので、ちっちゃい。
きっかけになるっていうか、手先も器用だったので、縫いぐるみ作ったり、こんな感じでしたね。
作ったりはしてました。
確かに、小野さんの頃とかは1回に1台ミシンとかありそうですもんね。
もうその当時からミシンはあって。
今はあんまりないですよね、ミシンって1回に1台は。
それは足踏みミシンですか?
足踏みは母の足踏みと、普通の家庭用の刺繍とかジグザグとかできるやつを買ってもらって、
それで作ったり、あとチクチクしたり。
雪国なので、冬、スキーにそんなにガンガン行ってたかって言うとそうでもないですし、
なんかつまらない高校時代だったと思います。覚えてないぐらいですもん、だって。
でも遠かったんですよね、さっきちょっと言ってましたけど、学校から。
そうですね、30分かけて。
30分ってどうやって?
歩いて行ってましたね、朝。
歩いて30分って近くないですか?
歩いて行ってました。
結構近いと思いますよ、多分それ。
歩いて30分って近いんじゃないですか?
近いですか?
近いですよ。
あ、そうですか。でも雪、冬とかすごい嫌でした。
まあまあまあ、そりゃそうですけどね、確かに。
友達の家に寄って友達と歩いて行ったので、結構30分長いなと思ってましたけどね。
だって僕中学だって歩いて25分ぐらいかかってましたよ。
36:00
あ、そうですか。
自分も高校時代、電車乗り継いで駅から25分歩いてましたよ。
じゃあそうでもないんですね。
そうでもないですよ、全然違いますよ。
でも深いの、吹雪ですよ。夏はいいですけど、吹雪とか雪道は歩くんですよ。
まあまあ、そうなっちゃうとね、確かに。
僕もすごい嫌でしたね。歩いてる途中に、寒いからマスクをするんですけど、
マスクの息でまつげが凍る、まつげ。凍ってましたね。
そんなにごっかんなんですか、ここら辺。
昔はすごかったですね。
今は割と温暖化のせいか、流氷も少ないですし、縛れるってことはないですね。
でも確かに見てると、ここら辺って道路通りとか遮るものほぼゼロですよね、多分。
そうですね。
頬をつくからの風がやっぱり。
きますね。
直に。
はい。
確かにちょっとシビアな環境だそうな気がしますね。
でも高校時代になってくると、やっぱりあれですか、同級生とかで、漁師の子とか。
いや、まだ高校生いない。
いないんですか、実家が漁師とかそういうこと。
あ、いますいます。
カニ漁とかやっぱり。
あ、いますいます。
やっぱりそういう子たちって家、すげー豪華だったりするんですか。
家ですか。
はい。だってカニ漁って結構命がけじゃないですか。
そうですね。あと、おばがホタテの加工場をしてて、母の姉なんですけど、そこはすごい大きい家で、羽繰りも良かったですね。
やっぱり水産業すごいな。
そうですね。うち漁師町だから、飲み屋街とか行くと漁師が陸に上がってくるじゃないですか。
だから陸に上がってきたときの金の使い方って半端ないんですよ。すごいんですよ。
そうなんですね。
上がってきたときにすごい使うので、そこにたまたま在籍したらもうご馳走になれるぐらいみんな。
すげーな。
ないですね、きっとね、今は。
あ、そうなの。今はもうなくなっちゃったの?
今は難しいと思いますよ。
へー。
そんなことどうでしょう。
今飲みにも行ってないですし、いやー全然その当時の羽繰り、うち漁師じゃなかったからわからないですけど、あんまり話聞かないですね。
今度行ってみてくださいよ。
え?そうですね。
なんだかんだ記憶ちゃんと覚えてますね。
そうですか。
素晴らしいと思いますよ。
今一生懸命思い出してるんですけど、ここまで高校時代のところとか、降り下げられると思わなかったので。
大丈夫ですよ。バッチリですよ。
で、高校後卒業されて、高校ってどうしたんですか。進学したのか、それとも就職でこっちに出てきたのか。
39:07
えーとね、北海道のドレスメーカー学院っていう専門学校に。
え、あの目黒にあるドレメのなんかあるんですか。
そうですね。
あー杉野さんですね。
文化とドレスメーカーってあって、
私はドレスメーカーの方に行ったんですけど、
本別にいたくなくて、とにかく都会にいたくて、札幌ですね。
札幌、はい。
だいぶ街中に来ましたね。
街中に来ましたね。もう遊びたくて仕方なくて。
へー。どんな専門学生をやられてたんですか。専門学校ですよね、それとも4年生の方ですか。
いや、専門学校です。
専門の方ですよね、はいはいはい。
洋服の専門学校ですね。
はい、ドレメは。
で、そこから基本のこの洋服作りっていうのを学び、
そうですね、1年目に基本的なことを学び、2年目にドレスを作ったり、自分で作品作ったり、
3年目にショーとかファッションショーとかですね。
はいはいはいはい。
自分たちでやるんですけど、
ファッションショーといえども音響だったり、照明だったり、
いろいろとファッションショーを作るにあたってただ物を作るだけじゃなくて、
いろんなポジションがあって、そこの段階で3年目なんですけど、卒業作品っていうのを作るんですけど、
その3年目にだいたい進学の方向が決まる感じでしたね。
おー、なるほど。
デザイナーになるかパターンナーになるか、
全く裏方みたいな、なんていうんですか。
洋服界の裏方ってちなみにどういうのがあるんですか。
洋服界の裏方はどういうのだろう。ファッションショーってどういうのがあるのかな。
でもなんかあるんですね。我々が知っているもの以外でちょっとあるんですね。
裏方さんみたいなのが。
私はパターンナーの方を選んだんですけど。
パターンナーさんっていうのは具体的にどんなことをやられるんですか。
パターンナーっていうのは製図を作るんですね。
型の製図みたいなものですか。
型紙を作る形で、デザイナーさんがいて、デザイナーさんがデザインしたものを私のところに降りてきて、
型紙を作るんですね。
その工場に指示をするっていう。
なかなか大変そうなお仕事ですね。
そうですね、大変でしたね。
喋ることもなく。今こんな喋ってますけど、当時はほとんど無口だったと思います。
42:07
でも今と違ってパソコンもないじゃないですか。
多分近藤さんの頃ってどういうふうにパターンとか作られてたんですか。
手書きですよ、手で。手書きでハンドで。
フリーハンド?
フリーハンドで作っていく感じ。
でもなんかいろいろ計算とかするんですよね、もちろん。
計算はないですね。計算ってなんだろう。
なんかこう、この紙に対して端っこから取るけどなんちゃって、それはあんま計算はしないんですか。
それね、生地の幅で何着取れるかっていう計算はします。
ああ、なるほど。
生地によっても違うんで。
はいはいはいはい。
なので、見たような生地で作って、
デザイナーによって修正とかもあって、
それを型紙に落として、今回この生地でいきましょうってなったときに、型紙を型入れっていうのをするんですね。
で、その一着でどのくらい生地を使うかっていう計算をして、
で、それが短ければ短い方がだいたい一端ってあるんです、生地の。
生地の一端ありますね、はい。
一端から何枚取れるかっていう計算ができるので、
だからあんまり無駄に使っちゃうと枚数が取れないので、
まあそうですよね。
テープあたりのコストがすごく高くなっちゃうので、
っていう計算、ここはデザイナーさんにここに切り込み入れてやった方がいいよっていうことを提案したり、
なんかそんな感じですね。
じゃあ結構あれですか、学生時代は、専門学生時代は遊びたいというよりも、結構真剣に。
いやでも遊んでました。いやすごい、そんな真剣にやってませんでした。
それは今の話は仕事としての、仕事になってからの話で、
ドレスメーカー時代は、そうですね、作品作ったりしてましたけど、遊んでもいましたね。
札幌で、遊びたくて仕方なかったので。
どんな遊びだったんですか?確かにそこが気になりますね。
遊びたくて仕方なかったです。
言える範囲でどんな遊びだったんですか?
その当時、なんかディスコとか、私たちの時代、バブルからちょっとずれたあたりで、
ちょっと前ですか?
ちょっと後ですね。
バブルの後?
後です。
前でしょ?
前じゃない。前じゃない。
私の一つ上、二つ上がもうバブルの前世の時だったので。
バブルっていつ弾けたんでしょう?
山市証券とかが破産したのが、たぶんバブルが弾けたぐらいっていう認識ですよね。
30年前ぐらいじゃないですかね。
そうですよね。たぶん今の株価から想定すると。
30年前にバブルが弾けて、そこからの今、依頼の株価の値上げがあるんで。
想定すると30年前って、コンボさんバリバリ普通に学生じゃない気がするんですけどね。
45:05
いや、でもそんな前世一つか二つ下がったような気がする。
私たちはバブルだったのかな?
だと思いますよ。
30年前ってコンボさんだって30代でしょ?
30代ですけど。
学生じゃないでしょ?
学生ではない。
でもたぶん経験はいい頃だと思いますよ。
就職してから遊んでたってなったら別に、学生時代じゃねえんじゃないかなって思うけど。
その辺はまだ記憶が曖昧みたいな感じ?
ここに曖昧ですね。
学生時代はちなみにどんな遊びをしてたの?
学生時代もなおかディスコ行ってたような気がします。
じゃあ学生時代から30代前半にかけてディスコに行ってたっていう。
30代は、でも東京に出てきたのが34だったので。
あ、そうなんですか?
それまで札幌だったの?
札幌です。
専門卒業して?
専門学校卒業ですよね。
ドレスメーカーの卒業して3年行ったんですけど、
それから札幌のアパレルメーカーに勤めるんですね。
それは札幌市内の?
はい、札幌の。
それはパターナーをやられてたってことですよね、札幌のアパレルメーカーで。
パターナーで入ったんです。
それは1年目ですよね。社会人1年目。
はい、社会人1年目。
どうでした?
83年でしたね。
自分が生まれた2年後ですね。
そうですか。
でも時代的には1983年だと40年前ですよね。
ちょっとバブルに入る前なんですかね。
全然前だよ。
ファミコンが出た時代じゃないですかね。
東京ディズニーランドとかが確か83年開業なんで。
日本的には結構景気良かったんじゃないのかなって思うんですよ。
そうかもしれないですね。
やっぱりお給料も良かったですか、この当時。
いや、そう。今はもっといいですね。
本当ですか。
それより話は飛びますけど。
どうぞ。
はい。
整理しますから、本当に。
それから12年ぐらい働いて。
同じところですか、これは。
そうですね。12年ぐらい働いて、1995年にフリーのパターンになるんですよ、私。
独立で。
すいません、その間に東京に来るんですもん、私だって。
95年にフリーになる前に東京に来るんですか。
そうですね。札幌のアパレルメーカーに入って、
83年に卒業して、83年にアパレルメーカーに入って、
48:05
東京に来たのが平成元年ですね。
平成元年って90何年だ。
89年。
89年か、はいはいはい。
そうすると札幌のアパレルメーカーは6年お勤めになられたんですか。
そうです。
それから東京に来て、東京のアパレルメーカーにすぐまた違うメーカーに入るんです。
ちなみにこの転換店って何かあったんですか、東京に行こうかなと思ったっていうきっかけっていうのは。
1988年に主人エイジ君と結婚しまして、
なるほどなるほど。
エイジ君の仕事の関係で東京に来ることになって、
私は同じグループのメーカーに入るんです。
同じグループの東京なんです、なるほどなるほど。
で、東京でパタナをしてたんですね。
はいはいはいはい。
結婚をきっかけに東京に来るっていう。
そうなんです。
結婚してすぐだったので。
エイジさんも北海道出身なんですか。
北海道出身なんです。
札幌、北海道で結婚をして、2人で東京に来たっていう感じですね。
でも、エイジ君のメーカーは別に私好きなメーカーでもブランドでもなかったし。
でも、いずれ札幌に帰って営業所を作るっていう目的で来たので、
仕方なく同じ関連会社に入らなきゃいけなくて、入って。
ですけど、その時にバブルがはじけたのかな。
とにかくその話がなくなったんですね。
じゃあそうかもしれないですね。
なくなったんですよね。
結局、実家で札幌営業所を作るっていう話がなくなり、
それで、え、そんなんだったら私ここのメーカーにいなくてもいいっていうことで辞めて、
違うブランドに入って、って感じ。
意外とそこらへん男気があるんですね。
意外と男気があるっていうか、もういいやみたいな感じでパーンと辞めちゃうんですね。
そうですね。えいじ君はここの会社にいないんですけど。
本野さんはもう別に家宿っていう感じ。
別にそうですね。
好きでもねーしと。
好きでもねーし。
それで、他のところに入って、
で、他のところから今度フリーのパターンナーさんになるまでっていうのはどのくらいあるんですか、それは。
どのくらいあったのかな。
95年だったので、自分の家でやりながら、
51:04
いろんなメーカーの外注って言うんですけど、いろんなメーカーさんの仕事を家でやって、
パターンを作って渡すみたいな。
その時の方が羽振り良かったですね。
一方、パターン引いて結構2万とかその当時でしたので、
時間もかかりますけど、
そうですね。その時は羽振りが良かったです。
じゃああんまり本野さん自身はバブル弾けてもそこまで大きく影響を受けた感じではないですか。
そうですね。
今の話聞いてると。
そうですね。中途半端でしたので。
それがちなみにおいくつぐらいフリーになられたのか。
フリーになったのが、
95年、計算できない。
東京に来てから。
90年は30年前じゃないですか。
30代。
29年前かな。
そうですね。30代ぐらい。32とか。
だったらおかしいですよね。ディケイレスがね。
でも働き盛りの頃ですよね。30代ってことは。
もうバリバリ手伝うとか。
34とか、そうもう平気でしたね。
逆に夜仕事する方が好きでした。静かになって。
シーンとしてて。
だから結構昼間より夜起きて仕事してるって感じでしたね。
これ本当にあれですね。
芸術肌の感じなんですね。
そう言ったらかっこいいですけどね。
そうでもないですよ。
それも一生懸命やってましたね。本当に。
まあそうですよね。フリーになったらやっぱり。
コレクションとかもあって、結構コレクションの手伝いとかもしてて。
ファッションショーのコレクションがあって。
その仕事は結構大変でしたね。
なんか大きい方に会ったことあります?
ビッグネームの方とかって、その業界の。
業界の。伊勢三役さんの仕事とか。
おお、すごい。
すごくもないけど、そうですね。
あとあの当時、そこの話出ると思ったのは、思い出せないけど。
ビギグループのグループ。
ビギっていうブランドがあったんですけど、そのビギグループの仕事もやってましたね。
その当時はテレビのコマーシャルの衣装とか。
で、友達がユーミンの衣装、ステージの衣装をやるっていうので。
それはパターナーではなく、縫製の方で縫いの手伝いだったりとか。
そういうちょこちょこした、一つに固定せずに、いろいろと仕事があるよって言ったときに、
54:02
じゃあやるやるって言って、仕事もらったりとか。
この当時はいろんなものが新鮮で、パターナーってすごい地味なんですけど、
そういう衣装とか、ステージとか、ブレクソとかってちょっと花があるんですよね。
ってものになっちゃうので、結構それは楽しくてやってましたね。
結構あれですね、なかなか普通の人は経験できないような。
お仕事なんですかね。
どうなんでしょう。それから今ずいぶん離れちゃったので、
今の流行界がどうなのかちょっとわからないですけど、
私の時代からCADに。
CAD、はいはい。CADソフトですね。
フリーになる前に最後に勤めてた、ちょっとお値段高めのオートクチュール寄りのメーカーにいたんですけど、
そこでCADになるんですね。
その当時すごい大きいCADなんですよ。
部屋一つ分ぐらいの部屋にCADがあって、そこでパターンを作るんですけど、
実際パソコンでやるじゃないですか。
あの当時はそうじゃなかったんですよ。
ただ一筆、鉛筆で書けばいいだけなんですけど、CADだと点で全部作っていかなきゃいけないので。
あ、そうなんですね。
そうだったんです、その当時はね。
その代わりに作成したパターンは、型紙、製図を型入れっていうのとかも全部計算してくれるので、
自分で自ら動かなくてもよくて、そういう時代でちょっとそれが苦手で。
時代の変換期だったんですね、ちょうどその手書きから。
あんまり好きじゃないじゃないですか、私こういう、できないので。
はいはいはいはいはい。
なので、まあそうですね、IT。
ITが。
なので、多分そこでその会社辞めたんだと思います、今思うと。
まあ確かにいまだにMacもOS9とか使ってる人いますからね、デザインとかっていうか。
そうですよね。
今じゃもうそれないと多分フリーのパターンナーもできない。
そういう時代ですね。
楽でしょうしね。
まあだと思いますよ、やっぱり。
もうアナログ派ですね。
でもパターンナーっていう職業はまだあるので、健在だと思うんですけど。
で、まあそんなね、いろいろとハマった河野さんなんですけど。
57:03
はい。
ランニングをしようと思ったきっかけっていうのは何でなんですか、これ。
ランニングを。
はい。
その前にですね、私ランニングの前になんかダンスですね、このコンテンポラリーダンス。
はい。
わかります?
前衛的な、森山美奈行くとかやってますよね。
そうですね。
で、そのダンスのコンテンポラリーの教えてくれるところがあるからちょっと行かないって言われて。
で、体もコンテンポラリー。
それが近藤良平さんっていうダンサーで、コンドルズとか学生服を着て踊るNHKの体で遊ぼうとか、
番組持ってる方で、その人のところに創作、コンテンポラリーダンスを習いに行くんですね。体験で1回行くんですけど。
行ってすごい楽しくて、でも難しいじゃないですか、コンテンポラリーって。
絵だろうとかと違って、1、2、1、2、3、4とか、1、2とかって基本的な動きじゃないんですよ。
そうですよね。
相手の力を使って体を動かすとか。
合気道みたいな感じになりますね。
そうですね。筋肉の動きで、引っ張られるから体が動くとかっていう体の使い方っていうのを学んで。
で、3回か4回か行ってるときに、私、お尻からついて転んじゃって。
で、尾稽骨打つんですよ。尾稽骨を打って腹筋もないし体力もないし、これはダメだと思い。
そこでスポーツジムに入会するんです。
入会しつつ、近藤良平さんのところでダンスをしばらくやって。
この良平さんがすごい面白い方で、検索すると多分出てくると思ういっぱい。近藤良平で。
この方がやっぱり上手に踊れるダンサーはたくさんいると。じゃなくて、自分らしさを表現できる人っていない。あんまりいない。
だから基本的に、基本で踊れる人っていうのは上手な人たくさんいるじゃないですか。ダンスで。
そうですね。この方なんですね。埼玉芸術劇場の芸術監督の方です。
その人に結構影響を受け、そっか上手に踊れるだけじゃないダンスって表現だから、
表現者として上手に踊るんじゃなくてもいいなっていうのをちょっと学び。
1:00:06
そうしながら体を鍛えてジムに通うんですよね。
そしたらジムに通うと結構いろんなダンスとかやるとかあるじゃないですか。
クラスってことですよね。
トレーニングに入ってきて、スタジオレッスンでいろんなプログラムがあって、
コンドリオヘイさんの方行きながらも、エアロピックスとかもやったことがなかったのでそれに出たり、
ダンス系のものに結構通ってたんですよ。
ラテンもやったし、大体のダンスは一通り全部やってみましたね。
ジム内でのことなんですけど、
ジムに夢中になり、コンドリオヘイさんのところはちょっとお休みして、
ジムのクラスに出てましたね。
その時にインストラクターの方が東京マラソンに当たったってレッスン中に言うわけですよ。
結構つい最近ですよね。
ん?違いますよ。
つい最近じゃないですか、東京マラソン。
最近、そうですね。でも2008年か9年か。
でももう2000年代の話ですもんね。
そうですね。飛びました?
いや全然。東京マラソン当たってそれを聞いたコンドさんが。
そうです。で、えーなんて思って、その時走ることなんて全然興味もなかったですし。
で、応援に来てくださいって言われて。
はいはいはい。
で、応援に行ったんですよ。そこのレッスンに出てる友達と。
はい。
なんかすごい楽しくて見てて。
そんな一生懸命ただ走るだけなんだけど、なんかみんなすごいキラキラしてて、楽しそうと思ったんですよ。
どこら辺で見たんですか?東京マラソンは。
忘れちゃいましたよ、そんな昔は。どこかわかんないです。
途中ですよね。
途中ですよね。
2008年ってほんと始まったばっかですよね。
そうです。どこで応援したかも覚えてないですね。スタートも応援に行ったし、ゴールは行かせんでしたけど新陸の都庁のところ。
あー都庁のところですね。
昔のゴールはあれですよ。小台場ですよね。
小台場でしたね昔は。
昔は。
でもスタートは都庁ですね。都庁に応援ですね。
そうですね。
三原慎太郎が。
その方もチームに入ってたんですよ。そのチームの人たちも一緒にいたりして、応援して。
普通に応援終わり、その先生がダンスの先生だったんですけど、所属してたクラブランニングチームに体験に来ない?みたいな感じになり、
1:03:05
2009年ですね、私。ハリアーズっていうランニングクラブに入ると。
それは体験行ったときにピンとくるものがあったんですか?ビビッとくるものが。
それが小田フィールドだったんですよね。
そのときスニーカーしか持ってなくて、何のスニーカーだったか忘れちゃいましたけど、ランニングシューズではないスニーカーで、
靴だけ持ってジャージで来ればいいからっていう感じで行って、
体験走ったことないからって言われて、何キロ走ったのかな、あのとき。トラック5千ぐらい走ったのかな、ゆっくり。
12.5周。
はい。でもコーチと一緒だったから、全く初めてのトラックを走るっていうことも初めてだったので、ゆっくりだったと思います。
で、走って、その日電車でもう帰れないぐらい気持ち悪くなって、胃が。
途中で本当に吐きそうになるぐらい気持ち悪くなり、そこからはやっぱり苦手だと思ったんですよね、走るの。
それも40代ぐらい?
はい、40代ぐらいですね。
でもまたやりたくなったんですよ、なぜかわからない。周りの人がいたときのコーチがすごい楽しかったから、また走りたいなっていう気持ちになったんですよね。
また練習したいなっていうか、もっと気持ち悪くならずに走るようになりたいなと思って。
はいはいはい。
で、半年ぐらい時間かな。
その体験からってことですね。
はい、体験から。で、ランニングクラブに入会するんです。
同じところですか?
同じところです。
あー、同じところに正式に入会して。
そして、記憶があって、またやりたいなーって。気持ち悪くても嫌だったんですけど、またやりたいなって気持ちになったんですよね。
チームメイトとかもみんなすごい良い方達で、トライアスロンとかの選手とかもいたりして、
ウルトラって言ってもロードのウルトラ走る人がいて、そこに入会して、そこからランニングにハマってしまったっていう。
それが40入ってからランニングにハマると。
そうですね。2010年だから、約10年なのでそうですね。
2012年ですか?
いや、2009年。
2009年。
だから今から15年前。
1:06:02
でも当初はトレイルうんちゃらっていうよりもオンロードを。
そうです。フルマラソンに出たいっていう。
はいはいはい。
ランニングチームとかってみんなそうですよね。フルマラソンに向けて。
そうですね。最近ね、小野さんが後々所属するLDAもありますけど、最初の頃は多分そうじゃないですかね。マラソンチームみたいな感じしかなかったかもしれないですね。
たくさんもなかったんですね。今だからいっぱいあるんですけど、その当時はなく、私が所属してたハリアーズのチームは
アディダスのランニング、アディダスランニングベースにランニングステーションみたいなのがあって、わかります?
わかりますよ。はい。
そこで教えたりもしてたり、原宿のところにアディダスがあった角に、今東急になってるのかな。
はいはいはい。
その当時そこの上にアディダスがあって、そこを拠点で練習があったり。
商店街は白操はしなかったですよね、もちろん。
それはしてないですよね。
それはしてないですね。
してないですよ。よかったですよ。
最初はもう本当にマラソンフルを3操したいで始めたって感じなんですかね。
急にいきなりサブスリーしたいとかそんな目標はもちろん。
ないですね。
なかったんですかね。
最初は練習会に行ってみんなと話したりみんなで練習するのも楽しかった。
コミュニティが終わってからどこか食べに行ったりするっていうのがすごく楽しかったですね。
なんかジム内ではそういうことないじゃないですか。
ジムっていうのはお友達と終わってからどこかっていう。
ないですね。
ないですね。
ないですないです。
なかったんですよ。
ジムで話しかけられたら超やな顔してますね。
あまりお友達同士仲良くいる人もいるかもしれないですけど。
そうですね。
先生がどうしたこうしたとか、なんかそんなんだったような気がする。
でもそうではなく走ることに向けて、じゃあ誰にも応援行こうとか。
一人で走るんだけど、仲間がいて仲間の力で走れるみたいな、
そういうのを体験するって感じですかね。
初めてそういうのを知る。
バスケットとかそういうことやってたのとも違う。
なんて表現したらいいんでしょうね。
みんな社会人で年齢も違うのに。
ただ同じベクトルの方向に向かってるみたいな。
そうですね。
そこのハリアーズに所属して、何ヶ月後ぐらいにはマラソン出たんですか。
1:09:02
結構温存しましたね、私。
温存。
温存して、普通入ってすぐフルマラソン走っちゃう人もいるんですよ。
まあいるでしょうね。伸びというか勢いというか。
そうですね。じゃなくて、年数は1年ちょっとぐらいでフルマラソン走るんですけど、
でも湘南国際の10キロ出て、
それから手が沼ハーフだったかな。
20キロのハーフ出て、大目マラソンの30キロ出て、
でフルマラソンって感じ。
結構段階踏んだんですね。
はい、段階踏んで。
結構性格的に石橋を叩くタイプなんですね。
いや、そうでもないですね。
そうでもないですね。
石橋があってもあることをさえ知らずに渡っちゃうタイプなんですけど、
コーチが順番に出てった方がいいよって言われて。
まあ確かにそうですよね。
なので結構練習会も練習こなしながらも、
10キロハーフ、大目で手応えあって、でフルマラソンってやってたんですけど。
いろんな成功体験を築きながらプロに出てたって感じですね。
ちなみに初は何だったんですか。
大田原だったんです。
茨城での初ですか。
土地議か。土地議ですよね、大田原。
大田原マラソンだったんです。
そこで3時間半切れるかなって言われたんです。
コーチの肌に。
温存もしてきてるし、
湘南も43分だったんですね、10キロ。
ハーフもちょっと忘れちゃいましたけど、
大目のマラソンも30キロも2時間24分。
なので大田原も3時間半切れると。
そうですね、そのまま行くとそんな感じの計算になりますね。
あっちゃん、大田原って3時間半が制限時間なの?
4時間。
4時間なの?
タブ4。
結構厳しいんだよね。
厳しいですね。
女子も少ないし、ストレスなくマラソンを走れるっていうコーチが。
みんなスピードランナーとは言わないですけど、ある程度習熟された人たちが。
体育館からスタートもすぐだし、ギリギリまで体育館の中にいられるし、
前ボトルもスペシャルドリンクも置けるし。
これ作りましたよ、真っ赤の。
取れるように。
取れるようにね。
それを置いて、でも3時間32分で半は切れず。
1:12:06
でも素晴らしいじゃないですか。
なんかすごい悔しかった思いがあります。
風が強いんだよね、大田原って。
そうなんです。
風が強いっていう夢だもんね。
後半すごい風が強くて、向かい風に見えられました。
それが何年ですか?
2010年。
2010年。
これが初フル。
ハリアでに入ってから1年後。
でも理想とは言わないですけど、段階的な感じで。
コンスタントに3ヶ月に1回ぐらいは大会的だったことですもんね。
そうですね。
結構温存じゃないですか。
普通なんかもっと周りの人早くフルマラソンを走ったりしてましたけど、出てない。
でも性格もありますからね、いろいろと。
悪くないじゃないですか。
お褒めの言葉をいただいてますね。
ありがとうございます。
で、そこから今度ちょっとトレイルのお話を聞きたいなと思うんですけど、
トレイルに行くまでは2010年から何年ぐらいだったんですか?
トレイルの初レースが2014年です。
きっかけって何ですか?
今度トレイル走ってみようかなって思ったきっかけなんですけど。
それはそのハリアーズにいた方が鎌倉に住んでて、
その方が、夏で暑くてトレーニングできないよねっていう話をしてたときに、
山入れば涼しいし気持ちいいよって言われ、
鎌倉に別荘があったんですね。
セレブですね。
そうですね。
そこの拠点で鎌倉のトレイルを連れて行ってもらって、
それがきっかけでもうロードなんか日じゃないぐらい楽しくて、
風の音とか、暑かったですけど、
終わってから海に足をつけたり、足を使ったりして、
なんかよくわからない感覚の楽しさですね。
ロードにはない感じの爽快感っていうんでしょうか。
それを感じて楽しいと思ったんです。
下りも結構走れたし、風の音がすごく気持ちよくて。
ソウルが実際もうできてたわけですよね。ある程度は。
だから下りとかも怖くも、怖いっていうイメージは全然なく、楽しいっていうことしかなかったですね。
その当時から割と下りは好きだったので、
早い人について行き、お友達っていうかチームメイトに。
1:15:04
チームメイトもモンブランに行って感想とか知ってる方だったので。
そうなんですね。
それが初めてで2014年でしたっけ。
そうです。レースが2014年なので。
レースが2014年なんですね。
1人前ぐらいだったと思います。
2013年。
2013年。
じゃああれですね、トレイルの始まりはあまり田中さんと変わらないんですね。
そうかもしれないですね、そうですね。
そうだね、俺は2012年かな。
2012年ですもんね、田中さんから。
そこから徐々にトレイルに系統していく感じですか。
それまでは本当に労働でしたね。
労働オンリーだったので。
自分の中でやりたいことがあると学びたいっていう気持ちになるんですか、そこってやっぱり。
そうですね、学ぶことが好きみたい。
結構セミナーに行ったりしてました。
それは1人でもガンガン行ったってことですよね。
そうですね、そこで知り合いになったりするので、
割とそうですね、1人でも興味のあるものは行っちゃうタイプでしたね。
その行動力同じ誕生日なんですけど、俺にはないんですよね。
そうですか。
全然ないんですよ、そういう行動力本当に。
多分ね、血液じゃないですか、血液型。
まあそうですね、僕Bですね。
B型は割と保守的ですね。
ちょっと眺めてて。
あ、そうなんですか。
なかなかすぐ。
小野さん何型?
私?私Bです。
あ、BじゃなくてOです。
行くときは行くんですけどね、行かないときはあんまり行かないですね。
少し聞き慣れ激しいじゃないですか。
普通、たくさんBなのでよくわかります。
すぎきらい激しいです。
すごい激しいですよ。
で、眺めてるんですよね。ちょっとしばらく観察するんですよ。
まあしますね。そう簡単に自分の懐には入れないですよ。
行かないですね。
だから人見知りって言うけど一応合わせ上手なんですけど、B型ね。
疲れるんですよ、それが。
だから、そうですよね。
だからぶっきらぼうな顔をして。
観察してでも楽しんでるっていう感じ。よく見てるんですよ、B型。よく見られるB型。
見てますね。
酸いも甘いも見てますよ、本当に。
見てますよね、ってこうなったらいいんですよ。
よく見てるねって感じですね。
独石大好きなんで。
独石大好きですよね。
大好きです。
その辺似てますよ、B型、うちの旦那さんと。
意外そうです。
なるほど。
で、ハリアーズっていうのは結局まだいるんですか?何年くらいまで所属したんですか、そこは。
何年いたのかな。
1:18:00
そのトレイルに入ってから、スポットでも行けたので。
ウルナイスとかみんな知り合いもいたので。
今でもハリアーズを独立したコーチたちが、小松原公園とかでもやってるので、そこにスポットとして出たり。
今回もフルマラソン、久しぶりのフルマラソンだったので、参加させてもらったり。
今でも交流はあるんですね。
知り合いそうですね。
なるほど。
次にちょっと私が興味があるところなんですけど。
その後、河野さんチーヒャクに入るじゃないですか。
それって何年なんですか。
チーヒャクは2015年に申し込みをして、2016年ですね。
2016年から入会。
はい。
これまた何でチーヒャク入ろうと思ったんですか。
これどこまで話していいのかな。
全部話してもいいですよ。
いいですかね。
政治的な話とかあるんですか。
そんな大切な話ではないんですけど。
まず、トレイルに進めてくれた人が、共通の知り合い。
知り合い、たぶん、なんだっけ。
渡辺孝博さんのことですか。
渡辺孝博さんとかの時代にMBに行ってる人ですね。
はいはいはい。
普通の方に紹介されて、一番どこがいいのって、大根隆水さんの15期。
2014年ですね、きっかけはトレイルのレースがいっぱい出てた。
次に出たのが、6月ですね。八重山トレイル。
沖縄ですか。
違うんです。八重山ってどこでしたっけ。
沖縄じゃない、八重山。
わかるんですか。
沖縄じゃない、八重山って。
沖縄じゃない、八重山。ちょっと難しい。
八重山諸島とかありますよね。
田中さん知らないですか、八重山。
ごめん、わかんない。
これ、上野原。見えます?
上野原。いい感じでモザイクになっちゃってる。ぼかしが入ってる。
上野原ってことは、山梨ですか。
山梨。
見えません?どうしたら見えるのかな。
見えた見えた。
分かった、八重山ね。上野原の次のやつだよね。
八重山って多分上野原が終わった、上野原ってもともとレースがあって、厳しすぎて、その後に開催されたのが八重山っていうレースかな。
なかなかこれ厳しいレースで、きつかったですね。
1:21:04
20キロですけど。
これに出て、20キロだったんですけど、40代で3位だったんですね。
そこで?
なんか突然、走れちゃって。普通のランディングシューズだったような気もするけど。
そこのレースのときに、T100の上野さんと堀込さんっていうお友達も出てて、
お風呂入って、私もお友達と一緒にいたから、わさわさ片付けしながらどうやって帰るのか、ちょっと多いのでどうするこうするっていう話をしてたときに、
車で来たから送ってあげるよって言われて、送ってもらったんです。
そのとき、私まだトレイルの累積やら何やらっていうのもわからないときだったんですよ。
距離しかわからなくて、Dっていうのがわからなかった。
Dプラスのことがよくわからなかったんですね。
Dプラスっていうのがわからなくて、どういうレースがあるのかもわからなくて、
友達ももちろん同じく初めてトレイル派って見たので、全くわからなくて。
いろいろ言って、これ出たらいい、このポイントを取ったらこのレースに出れるよとか。
ポイント数もわからないんですよ。
本当にまったくロードのランナーのように、みんなわかんないでしょ。みんなわかんないのかな。
わかんないと思ってたよ、初めは。
わかんないですよね。そんな感じで全くわからなくて。
いろいろと教えていただいて、その次に9月の上士横鷹。
この出れるよっていう話になって、上士横鷹の30キロに出たんですけど、
それに出た第1回目だったんですよ、このとき。
ポイントがなくても走れるとかどうだったか忘れちゃいましたけど、
そこに友達と上野さんとレイ君ともう一人の友達と出るんです。
上野さんは長い距離で、私たちは30キロで。
でも三角レースって初めてだったんですよ、私。30キロだったんですけど。
上士横鷹なかなかきつかったんですよ。
株主さんのレースだったんですよね。
そのときはね。今は違うけど。
それでゴールまで私いて、上野さんの。
そのときに広道兄さんが優勝したときなんです。
ロングで。
ロングで。
1:24:00
さすが。
初めて見て、なんだこの人って感じだったんですよね。
それもすごく衝撃的でした。
あの太ももはなんだと。
アディダスのシューズで、ランディングパンツだし。
でもそのときの壮太さんが優勝するんじゃないかってみんな言って会場ではざわついてたんですけど、
来たのが、ゴールに来たのが広道兄さんだったんです。
それもすごい衝撃的で。
まあそうでしょうね。
それからですかね、その年。
次の、広木さんがやってるトレールフェスっていうのに出て。
で、年代別一位になって。
もう地役入らなくてよくないですか。その段階で地役入らなくてよくないですか。
そうですね。その段階で、何だっけな。
なんか割とちっちゃい。大目高水はそうでもなかったんですけど、八重山でも3位になってたりしたので、
両州も結構よかったんですよ。
まあいい成績だったんですね。
で、上野さんが、いやそんなに上位取れるんであれば、地役に入ったらいいよって。上野さんの勧めだったんです。
へー。
絶対入るべきだ、みたいな。
で、上位狙って、そういうチームだから、順位を狙うべきだ、みたいな感じで厚く語られ、
地役の申し込みとかも書き方もわかんないし、アピールの方法もわからなかったんですけど、上野さんがこう書いたらいいって。
地役ってそういうのを書かなくちゃいけないんですね。
そうなんですよ。例えばアピールするなら上位なんかの大会でこうだったとかあだったとかって書く欄もあって、
それから株主さんへの熱い思いっていうのを書くんですけど、その書く熱い思いのマニュアルみたいな、こういうことを書くときっと株主さん響くよ、みたいなことが。
なんすかその頂き女子みたいなマニュアルがあるんですかそんな。
それと堀込さんと二人一緒に、私はソータスだったんですけど堀込さんはラビットだったんですよね。申し込んだのが。
でもう一人の私の友達は地役はもう嫌だって言って、その子は地役に入らなかったんですけど、そんな頑張りたくない私みたいな、ゆるくやりたいしみたいな感じだったので、それで申し込みをしまして。
じゃあその熱い思いが。
熱い思いを書きまして、地役に入ることになったんですよね。
1:27:00
それと同時ぐらいに、ハリアーズのメンバーでUTMBに行ってる方もいて、別な人なんですけど、そのMBの魅力をずっと聞いていて、エントリーしたほうがいいって言ってた。目元でエントリーだけしないよって言ってエントリーしてたんです。
あれも抽選なのでCCCなんですけど、同時ぐらいに抽選当選して、2016年ちょうどチーム100マイルにも入っていたので。
CCCに。
はい。
堀込さんがCCC走ってるのは2017年ですね。
2017って書いてますね。
はい。
じゃあ地役の1年後ってことですか、これ。
2年行ってるんですよ、私2回。
あ、そうなんですね。
はい。2016年に行って、リタイアして、2017年に。
完走したってことね。
完走したんですよ。だから地役に入ったとき、1年目ですね。
は、ダメだったけど。
ダメだったんです、はい。
その次の年は大丈夫だった。
みんなに、はい。
ちなみに地役。
きつかったですね。なんか今までやったことのない練習。
サッカーを走るっていうことなんてほとんどロードの選手しないんじゃないですかね。
サッカーを。峠走とか。
どうなんすかね。最近はしてるのかもしれないですけどね。
いや、その当時はしないですね。
昔はないかもしれないですね、確かに。
そうですね。ビルドアップとかそういう感じの真っ直ぐなところでやりましたけど、
たまにサッカー、でもそれは本当に夏場のちょっとの練習だけでしたね、ポイント練習で。
1年。地役で結局何年いたんですか、近藤さん。
4年ですね。
あ、4年いたんですね。
はい。
すげえな、4年ボイルなんて。
いや、そんなことないですよ、そんな。全然ダメダメでしたから。
いやいやいや。
でもその練習。
入った当時は私が初め一人、女子一人かと思ったんですけど、
あの、何でしたっけ。
の、の。
誰ですか。
野田さん。あ、野田さん。あれ誰でしたっけ、田中さん。
マリエちゃん、あ、マリも。
マリエちゃん。
ああ、はいはいはいはい。
マリエちゃんも入部して。
でもマリエちゃんは早いから、私一人なんか取り残されて、いつも車に乗ってました。
あの、車って言ってもサポートカーがあるんですが、サポートカーに乗らされ。
肩叩かれるんでしたっけ、あれ。
そうですね、もう迷惑かけるので乗ってくださいって。
で、えって、今までそんな練習会でお金払ってそんなことになったって。
えっと思って、なんでチームに入ってしまったんだって感じでした。
そこで話を終えると、ちー白がすごい感じ悪い感じに聞こえちゃいますけど。
あ、そうですよね。
聞こえちゃいますけど、いいエピソードになりましたね。
1:30:02
いや、周りの人がすごすぎて。
まあ、そうですよね。
その背中をただただ追う感じでしたね。
まあ、いいエピソードとしては最終的にはコンノさんはサポートカーに乗らずに走れるようになったっていうエピソードがありますね。
新しいですね。
そういうのですよ、コンノさん。
そうですね。
もう話が、もうどうして私なんだろう、話が上手にできない。
まあまあ、そういう、努力した結果そういう風になれるっていうのはあると思うけど。
まあでもね、やっぱ諦めずにやるってことが大事なんですかね。
そうですかね。
まあでも、やっぱり周りの人の力だと思います、私は。
まあでも確かに、周りの人がすごくいいモチベーションとか、そういうチームに入るとやっぱり自ずと自分も底力は上がるって言いますよね。
そうなんですよ、やっぱり環境。
環境が変われば。
環境ですね。
たぶんその企画に入ってなければ、今の私はいないので。
もちろん田中さんにも会えてないし、LDAにも今の私がいないんですね。
チーハクが今の河野さんの礎を作ってくれた部分ですね、トレイルの部分に関しては。
たぶんこのチーハク、ここで上司とかも出て、チーハク入らなかったらどうしてたのかなっていうのが想像ができないです。
たぶんちょこっとやって辛いからって言って、山、普通の登山?トレイルじゃなくて走るけどどうかな、登山になってたのか。
サロモンとかのイベントとかにも出てて、サロモンの選手とかにもすごくお世話になったので。
だからもしかしたら、サロモンのいろんなイベントに出て、なんとなく走ってたのか、上位を目指すんではなく楽しく走ってたのか、それはちょっと微妙ですけど。
今の基本スタンスは上位を狙うってことでいいんですよね。
ちょっとね、それも怪我をしてしまってから、その気持ちがちょっと薄らいかもしれないですね。
怪我は切り捨てにいいですよね、そうですよね。
そうですね。2015年、2016年のときは結構いっぱい、2016年G100に入るんですけど、2015、16って結構レース立て続けに出てますね。
ハセツネ30、今では亡き道志村、デスパトレイル、富士登山競争。
富士登山競争はランニングのチームの日から出てたことがあったので。
1:33:02
ハセツネカップ、美しが原トレイル、伊豆トレイル、コーシュアワルクス。
なかなか詰め込みましたねって感じですよね。
そうですね。
今でもG100入ったばっかりのやつとか、ほんとレース詰め込んでるやつはいるよ。
そうなんですよね。若かったのか、今これやれたら絶対できないですね。
トレイルランニング始めるあるあるなんじゃないですかね。
怖いですね。でも大事なところなんでしょうね、そういう勢いっていうのがやっぱり。
そうですね。疲れもそんなん。逆に2週間前に走ったほうが成績良かったり走れたりしてました、この時は。
まだ50代の真ん中ですもん。まだまだ元気。
言ってみたいセリフですね。
そうですね。CCCに行った時も55歳だったので、初めての海外レース。
今回冒頭で金野さんが、「なんで私なの?」っていうのをおっしゃってたんですけど。
ほんと私ですよ。田中さんにもうほんとにもう勘弁してくださいって何度も言ったんですけど、ほんとに私なのかなっていう感じが。
いや。
今も話してなくて。
やっぱり俺から言うのがなんなんで。田中さんに。
俺から言うの?
なんですか?
やっぱあれですよ。結構年を取ったとしても、走るモチベーションを今でも持って走れるっていうのは金野さんの素晴らしいことだと思って、それを世の中に広めたいなっていうのが僕の思いです。
そうですか。ありがとうございます。
カズハさんとかすごい人がたくさんいるので。
いやでも同世代ですからね。
え?
同世代ですからね。
同世代ですね。あ、そうですか。
だから同世代ですから。
そこからまだまだ学びを、学び続けてるじゃないですか。今ですが。今も。
今ちょっと怠けちゃってるかもしれませんけどね。
知育の後もいろいろとLDAにも入り。
そうですね。でもこれもやっぱり、田中さんがひとつのキーワード。その時期的によって私もきっかけになる方が必ず現れてくれるんですけど。
ハーニングポイントでいい人が現れるっていうのは素晴らしいですね。
そうなんですよね。出会いがあって、それにはもう恵まれてるし感謝しかないんですけど。
田中さんはT100入った時はチームも一緒でもないので、早い人って感じで、秋レースの人って感じ。
1:36:02
あんまり練習会も一緒に走ることもなかったんですけど。
こうみの私、田中さんとの出会いはこうみのボランティアをしたんです。
20何年くらいですかそれは。
2017年。田中さんが優勝したとき。
優勝したときですね。
そのときにT100からすごくこうみを目指す選手たちがたくさんいて、メンバーがたくさんいて。
それも兼ねて、ただ応援行くんであれば、ボラもしてみたいなと思って、ボランティアも始めて。
しがてら応援に行ってたんですね。
そこで初めてトップの人の走りっていうのを見て、これまた衝撃を受けて。
え、何これ、何だろうって、どの人たちはっていう感じで。
エイドワークとか、田中さんのエイドワークもすごかったので、全て新しいものっていうか、見たことのない経験をしまして。
リタイアする人もいたり、T100の中でゴールする人もいたり。
そこで初めて田中さんの存在がすごい印象。田中さんっていう人を知ったって感じですかね。T100にいながら。
そこで初めての交流はその後みだったんですか。
田中さんとは、田中さんとはどうでした?たぶん私が残ってるのはもうこうみしかないですね。
いや、普通に交流してたと思いますけどね。
してたと思いますけどね。あともうちょっと話せない人だったので、話なんかしたことなかったと思います。
で、田中さんがゴールしてからお風呂に誘ってくれたの覚えてます?テイシューさんと一緒に。
あー、はいはいはいはい。
ヤッホーですか?
違う、えっとね。ヤッホーじゃない方。あっちゃんが泊まったホテルかな。
あー、リエックス?
あそこはね、6時からやってんだよ。
あ、やってますね、リエックスさん。
で、私なんでボランティアやってて、私もお風呂入ってなくて、で、お風呂行く?って。
初めてゴールしたばっかりなのに、100マイルも走って、行く?みたいなこと言われて。
で、なんか私行ったんですよね。超緊張しながら。
僕、気にしてなかったんだと思いますよ。だから普通に仲いいと思って話しかけてるだけだと思います。
そうですよね。私もそこまですごい人だと思ってたんですけど、その辺はおばさんですよね。
行って、お風呂に連れてってもらえるみたいな感じで。
同じお風呂に入るわけじゃないですからね、普通に。
それでも緊張するじゃないですか。なんか今思ったらずずしかったなと思いますけど、でも疲れてたんですよ、私もね。
ずずしいなと思って、何話すか覚えてませんけど、お風呂に行って。
1:39:00
で、アイス食べて、お風呂で。お風呂が終わってから、上がってからお風呂。
キャトル衛星ですね。
そうですね。
違う違う違う。あそこのお風呂って、お風呂上がりにアイスをもらえるって言ってたら。
あー!もらえますね、確かに。アイスキャンディーで飲まれます。
アイスキャンディー、スポーツ。
はいはいはい。もらえますね。
で、なんかすごい優しく話しかけられたのを覚えてる。
そうですね。そっから考えると、小野さん参加した劇坂ありき400もそうですけど、そこら辺の後半は、もう結構田中さんありきのランニング。
そうですね。
はい。で、この時はまだコーミー、あ、そうですね、コーミーっていうのはそこで初めて場所と雰囲気とOSでのっていうのが出たこともなかったし、
初めてそのコーミー、みんなが騒ぐコーミーっていうのがすごく印象的で、あまり悪い印象はなかったんです。
すごい良かったな、なんか良い、コーミーのイメージはすごく良いイメージでした。走ってもないし十分。
その時はですよね。
はい、その時は。はい。その時は全然。
はい。で、次に、まあ今度はあれですね、同じチームっていうと、まあちょっとチーハク以下離れてLDAに入ってなんですけども。
まあたぶんその前、たぶんその前に。
その前にあれか。
2019年じゃないかな。
はい。
そうですよね。トモさんと終わりましたね、そういえば。
そうですね。
それは何でだったんですか、トモズピットは。
トモズピットはそのコーミーを、まあこのコーミーがターニングポイントで、で、次の、それから私UTMFを走るんですね。
はい、2018年。
UT。
2018年で、最初18年ですからね。
18年の、あ、そうですね、2018年走って、それで、まあ乾燥はしたんですけど、チーハクらしくない走りをしたんですよ。
もう制限時間ギリギリで。
チーハクらしいとかあるんですね、すごいですね。
やっぱり上位目指すチームだったんで。
はい。
で、エールワークも1時間いて、何してるのって田中さん。
それは言われますね、それは間違いなく言われますね。
はい、寝てたり、あのマッサージしてもらったり、なんかして、まあでも乾燥が目的だったんで乾燥したって感じで。
そうだね。
これじゃダメだと思ったんですね。で、ちゃんとして走りしたいんですって田中さんに私、相談するんですよ。
で、どこがいいですかねって。
で、コウミ、すごいイメージが良かったから、コウミどうですかねって言ったら、無理でしょって言われたんですよ、田中さんにいきなり。
で、え?って思って、なんでこの人が走りもしないのになんでいきなりこんなこと言われたのって思って、カチッと来て。
で、絶対乾燥したいってそこですごく献金の強さが出て、そうですね、コウミにエントリーして、
1:42:08
で、ペイさんもチームメイトにお願いして、同期の方にお願いして、
で、5回?とにかく5週の練習をした方がいいって言われて。
なんででも5ですよね。2018年だっけそれ。
2018年だと思いますね。
で、結局その前、そうですね。で、満音じて練習して挑んだんですけど、
ちょっと4週目に行く時間が10分くらい足りなくて。
で、結構できなかったんです。
でもさ、そもそも2018年のコウミってあれだよね、180キロぐらいだったんじゃないかな。
そうです。逆走になったとき。
テイシューさんが優勝したときでしょ。
そうそう。
あれってコースが台風で崩れちゃって。
崩落しちゃったんですよね。
崩落しちゃったから。
180キロぐらいになったんだよね。
180キロになったんだよ、確か。
逆走になり。
逆走ってか、ニューの純走ではなくて、単純に下るところを登ってリストをして。
タイムスケジュールもめちゃくちゃになっちゃうじゃないですか。
なるね。
臨機応変っていう、アレンジもできないぐらい、今でもできませんけど、臨機応変っていうことができないので、どうしていいかわかんなくて。
割とコウミって区間区間で、ここからここまでの区間を何分で走ればいいっていうタイムスケジュール的なものが出てる。
移動ごとみたいな感じですよね。
それで行く予定が全然行けなくなっちゃって。
そりゃそうだよね、コース違うからね。
そうなんですよ、どうしていいかわかんなくなっちゃって。
それでもその時は走れてたので、まだ。
それでもあれだよね、4周10分ビハインドでもすごいと思うけどね。
そんな感じで。
せっかくペーサーつけたのにダメで、その時は初めてのペーサーだったんですね。
実際感想みたいなもんですよね。
そうでもないんですね、都合ショックで。
だから2回目の100マイルはコウミだったのでダメで。
やっぱりちゃんと走りたいなと思って、また田中さんに相談するんですよ、私ね。
どうしたらいいんですかねって、ちゃんと走りたいんですけどって。
怒られる覚悟で。
そうだその時に、トモさんが独立するトモズピットの時期だったんです。
勉強会ってあるんですね、武田亭で。
チーヒャクの勉強会っていうのがあるんですよ。
1:45:03
今までレースの結果を出した人が、自分の練習はこういう練習だったっていう報告会みたいな感じで、すごく勉強になるんですけど。
そこにトモさんがゲストで来たんですよ。
初めてトモさんっていうのをそこで知るんですね。
トモさんのお話を聞き、チーヒャクって割と上位を目指す人たちの、タイムタイムだったんですけど。
割とそういうチームだったので、上位を目指すっていうことに特化してたんですけど、
トモさんはもっと楽しいっていうか、100マイルは楽しいみたいな。
トレイルの楽しさを話してくれたんですよね。
楽しいって、この人に田中さんのお勧めされたし、この方に学んでみたいなって、指導を受けてみたいなっていうことで、トモズピットに入ったんです。
全ては好み・感想のためにって感じじゃないですか?
そういうわけでもないですね。
好みは置いといて、トモさんの話を聞いて。
100マイルをちゃんと感想したい。
8巻といいますか。
田中さんがそのときに、やっぱりMFがいいんじゃないって。
制限時間も長いし、かぶらきさんのレースでもあるし、MFがいいんじゃないっていうことで、MFで年代別を目指せばっていう話になって、
その当時はまだUTでMFでしたね。
UTMFで年代別優勝を目指してコーチングをお願いしたんです。
結局トモズピットは何年までやってるんですか?
今はやってないです。
何年、どのくらいやられてたんですか?
2019年。
2018年、19年。
ハートまで。
そっか。2002年、1年ですか。
最初に始めたのは2019年。
19年。
ハートだから2022年。
18年後半から、そう2019年。
そうだね。18年後半から。
すげえな。2019年の青梅高水ってあっちゃん知ってる?
はい。
あれでコンドさん総合3位だからね。
あの時はでもすごい。
すげえな。
あの時はでもすごかったよ。
普通に2019年のUTMFも途中で雪が降っちゃって中止になっちゃったけど、
あれ普通に言ってたら多分、年代別で優勝できたかどうかはちょっと分かんないけど、
1:48:06
微妙ですね。1人いたので。
優勝はできたと思うよ、多分。ベスト3には多分入ってたと思うぐらいの走りをしてたかな。
二重曲がりまで行けたので、ちょっとすごい残念だなと思って。
あそこで、そうですよね。
すごいずるい。
自分もその時LDAでサポートしてましたけど、みんな確か椿さんとか美菜子さん、あとはあれか。
コーネル。
佐野さんもみんな二重曲がりで。
もう行けなかったって言ってたんでね。
後半のチームだったと思うんですけど、二重曲がりも結構時間が1時間ぐらいあって、
あそこインとアウトがあって、インのマットがなくて、タイムが計測されてなくて、
アウトしか、そこで時間のちょっとロスがあるかもしれないですね。
でも女子数名しか10人いなかったぐらいだったのかな。
まあでもしにくいことにね、2019年終わった後にすごく晴れましたもんね。
そう、次の日ね、そうですよね。
レース終わった直後にすごい晴れたんですよ。
そうでしたっけ?
そうなんですよ、もうほんとふじさんがすごい綺麗に晴れて、
せつねえな。ほんと30分たってないんじゃないですかね、中止選挙が出てから。
ほんとですか。もうほんとに悔しいね。もう一回あのやつやれたらもうできないぐらい練習しましたね。
そうだね、練習したね。
その頃からですよ、激坂に行きだしたの。
友さんのメニューにあったので。
はいはいはい。
だったメニューが。
2018年からかな、激坂行き始めたの。
メニューにあって、2018年から激坂に行きだしたんですけど、
あっちゃんも通った時思い出しません?もう毎日行く朝、次の日、前の日からなんかゆうつですよね。
まあそうですね、一応月曜日の夜か行くために準備はするものの、
朝、鞄に入れて積み行くものの、楽しいか楽しくないかって言ったら楽しい時間ではないですよね。
終わればそうではないんですけど、夏とかほんと地獄でしたもん。
ね、あっちゃんと一緒に走ったことって多分アキレス腱切るフィッターと同時なのであんまり被ってないかもしれないです。
あーきついっすよ、ほんとに。
最近ですね、ちょっとワープすることを覚えちゃいまして。
なんすかワープする、悪い意味ですか?
悪いかもしれないですね。
全部の坂を登らなくて、ちょっと途中スライドするんですね。ショートカットできるんです。
1:51:06
当たり前のようにショートカットできるんですって言われても、しては良くないと思いますよ。
良くないと思うんですけど、そうじゃないともうついていけないんですね、最近は。
なのでそれでもやっぱり最後の3本と、最初と最初の最後の3本は絶対やりたいんで。
中間の階段も最近3本なかなかみんなにはついていけず、2本だったり。
辛い時は1本にして待ってるとか、そんな感じになっちゃって。今の目標はコンプリートすることですね。
レースより大変かもしれないですね、出したら。
大変ですね、なかなかね。体調を万全に持っていかなきゃいけないので。
そうですね、確かに。
その日の朝、BCAAとか飲んじゃったりして。
昼ご飯から体調を整えないと気持ち悪くなりますからね。
そうですね、オキシアップ絶対伸びますね、その日は。
分かりますよ。
まあそれでも今もちょっと探していただいてありがたい限りです。
まあそこにプラスしてね、新しくLDE。もうLDEも何年ですか、入って。
4年?違う、2004期なので。
20年。
20年?
じゃないかな、多分。
4年目。
4年目ですか。
1、2、3、4、20年。
最近も若い力が入ってきて。
そうですね。
吸収することだらけじゃないですか。
吸収、ついていくのが。
まあそうですよね。
吸収っていうよりも、とにかく背中を追うことですね、今はね。
木曜日はなんとかなんですけど、週末でですね、長い距離になるとなかなかきつくなるので。
待たせてしまうのでね。
これはもうT100。
そうですね、T100でも鍛えられても、待たせちゃいけないっていう。
LDAでは、戻りなさいとか、車に乗りなさいってことはないですけど、
待っててくれたりしてるじゃないですか。
T100の待たせちゃいけない、遅れたら車に乗らなきゃいけないっていうのが染み付いてるので。
怖いって言ってもだって、言い方失礼ですけど、いくと違うんですかって話になりませんね、もう。
それはね、年齢のことはあんまり、走ってる時は感じないですね。
いやいやいやいや、だからそこなんですよ、素晴らしいなと思うのは。
年齢のせいにしないじゃないですか、そこらへんっていうのが。
アホなんじゃないですかね。
そういうわけでもないですけどね、やっぱり、必死に若い子にも食らいついていこうっていう思いが、やっぱりいると思うんですよ。
そうですかね、年齢あんまり感じないですね。
1:54:01
たぶん、今走られてる方でもちょっと年齢感じるのかなって思う人もいると思うんですけど、
小野さんのそういう話を聞いて、年齢なんてただの数字にしか。
いい話、全然できませんでした。
年齢に向けて頑張れっていうのは、あんまり言えませんでしたね。
いいんじゃないですか。
あっちゃん、全然質問してこないんだもん、どうしていいかわかんなくなっちゃう。
質問してますよ。
してます?
してます。小野さんの話をちゃんとじっくり聞いて。
今まですごい方ばっかりタイマーが大好きに出てて、今回にあたって遡って聞いちゃったりしたけど、みんなすごい方ばっかりなんですもん。
あっちゃんのすげーなすげーなっていう話、自分は全然ないから何を話していいのかわからなくて。
自分が。
年齢的ですよ。
それが一番すごいんですよ、やっぱり。
あと学び続けるってことも大事だと思いますし。
コンスタントに20年走ってるわけですよ。
そうですけどね、いますって。
いやいやいや。
確かにトレイルになってからトレイルはあんまりないかもしれないですよね。
それは長く続けてて、その年代別とかもらえるのは、やっぱり60代になると一気に人口が少なくなるので、なんかそれじゃないですか。
いやーだって、コンノさんの上って月岡さんぐらいしかいないと思いますよ。
月岡さんそんなことない。だからカズハさんいいんじゃないですか。
大して変わんないですからね、カズハさんと。
私?カズハさん何歳なのかな。65ぐらい?
生きてたんでしょうね。調べればわかると思うけど。
そんな変わらないですかね。
そんな変わんないと思いますよ。
だったらすごいですよ、カズハさん。すごいと思う。
総合優勝してから、それからサイノ国、サイラーになって、それできないんですよ、私。
その根性どうしたらそれができるのかっていうのが。
今度来年してるかもしれないですよ、サイノ国完走。
そのモチベーションが今ね、あまりないんですね。どうしたらいいんだろう。
そうなんですか、今。
そうなんですよね。
でももう一回100マイル走りたいなっていうのは正直、失敗しても、失敗をちょっと恐れるようになっちゃって。
サイノ国がちょっと100キロでダメだったので、それからちょっとすごく落ちて落ち込んで。
今まではチャレンジしてたと思う、失敗しても。
今すごくいいこと言ってますよ。
知ってたんですけど、失敗を恐れちゃって。
何かあるんですか、その失敗を恐れた原因っていうのは。
失敗することが嫌だなと思うようになったことって何かあるんですか、それ。
1:57:02
そうですね、何かあったんでしょうね。
特に自己分析はしてないですね。
自己分析ありますけど、知ってますけど、ちょっとそれは言えない。
言えないですね。
言えない。
言えない、はい。
でもそうは言っても、残り少ないので、そんな選んでる場合もないし、ぴょよぴょよしてる場合もないので、
ちょっと走りたいなって。
だって一度の人生ですから、そんなね、別に仕事でもないし、だから誰かに何か言われるわけでもないし。
本当にその通りですよ。
チャレンジし続けたいなって。
皆さんレジェンド言ってるじゃないですか。
チャレンジ。
チャレンジ。
ジャンボ鶴田も言ってますよ、人生はチャレンジだって。
鶴田と一緒ですか。鶴田さん。
なのでやっぱり、諦めないんでチャレンジし続けたいなと思います。
ただ今は、とりあえずLDAの練習会に遅れずついていくっていうのが目標ですかね。
でも大事なモチベーションの一つですよね、そういうのって。
そうですね。
女ネバー首相って呼びましょうか、じゃあ。
え?
女ネバー首相って呼びましょうか。
そうですね、ネバー首相、面白いですね。神に出るチームで。
諦めないって素晴らしいですね。
でもあれじゃないですか、この前のFTR、素晴らしく感想して。
そうなんですよ、もう。
最後の君がちょっとアラジしたけど、素晴らしい。
修楽さんより早かったんじゃないですか、だって。
早くないです。
本当ですか。
はい。
ちょっとごめんなさい。修楽さんの名前出したことがごめんなさい、すみません。
いやいや、全然。
でもね、結構ね、FTRだって自分も出たことありますけど、結構きついじゃないですか。
そうですね。
6千人くらい集まったもんね。
アシュラバさんのおかげで歩きで、オール歩きで。
素晴らしいですよ、本当に。
T100のお世話になった、田中さんも知ってる斎藤隊長にも師匠に連れてってもらったりして、歩いて大丈夫なんだよっていうことで、アシュラバさんの歩きの歩き方を練習して。
歩いて感想、そうですね、あんまり走らなかったですね。
でも後半上げれたので、よかったなって思って。
こういうチャレンジってあんまりしたことなかったんで、今まで上位を狙うがあまりに、どっちかというと前半突っ込んでしまって、潰れることが多かったのかもしれないと思いました。
いい、じゃあ、新しいレース展開ができたなって感じなんですね。
歩いてもできるんだなっていうのが自信になりましたね。
2:00:00
大きなアドバンテージになりますよね。
そうですね、師匠もいっぱいいて、核心をついてたので、いけるっていう。もしこれが師匠とかいけないところだったらどうなんでしょうね、って感じはしますけど。
まあ、それじゃあレークビアとか行ってみればいいんじゃない?
そうですね、田中さんにどう?って言われて。
ただ、エントリーするポイントがどうかなっていうのがあるぐらい。
あれ100マイル完走してないとダメなんだっけ?レークビアって。
そうなんですよ。この前一緒に帰り道見てもらって、どうだろうっていう感じでしたね。
ITRAポイントのことですか?
はい。それがもしかして100マイル完走したのがMFの時の2022年の時なんですね。だからそれしか持ってないんですよ。
そっかー。
はい。だからエントリーできないかもしれない。
確かにポイントまでがね、なかなか難しいですよね。ポイントって本当に。出なくても出れないですもんね、本当に。
もしそれがダメだったら、またFTRを今度はちゃんとオール歩きじゃなくてちゃんと走りながら、もうちょっと上位?
ちょっとチャレンジングして。
チャレンジングして。それかちょっと好みですかね。いまだ完走してない好み。
リベンジ。
リベンジ。
素晴らしいですね、でもそれもそれでね。
いやー全然、どうでしょうね。
今年はじゃああれですか、出られたらレイクビは。
そうですね。5月の1日がエントリーなんですけど、それちょっとまだ調べてなくて。ただちょっと母の状態があんまり良くない。
これで今ちょっと躊躇してて、どうでしょうね。今回も帰ってきて、また5月前半も帰るんですけど、もうちょっと痩せちゃってるのでね。
93歳なので、もう老衰かな、苦しまずになるかなって感じしますね。
まあでもね、やっぱりレースよりも大事なものっていうのはありますからね。
ちょっと今年がそんな感じで、あんまり力入れられず迷っているところですね。でもエントリーは先にしなきゃいけないので、うんって感じです。
一応ね、レイクビはだと2019年以降に距離100マイル以上のトレイルランニングレースを完走した実績のあるものだから。
実績、2019年以降。
2020年にUTMFが認められるんであれば、あれだよね。
エントリー権は。
エントリー権はあるんじゃない。2022か。
2:03:04
そうですね。
完走してるから一応要件はあるんじゃない、多分。
エントリーしても外れても外れる可能性もあるし、外れても外れた分だけチケットがあるみたいな感じになるんじゃないかなみたいな話は聞いてるから。
ダメ元でエントリーしてもいいかもしんない。外れる前提として。
まあね、外れてもまた来年。
そうね、外れてもまた来年チャレンジするっていうのがいいんじゃないかな。
走れない年もありますからね、仕事忙しいとか何がなんちゃらっていうのはあると思いますし。
あちゃんは今年は何ですか?
私もちょっと仕事が今、あんまり仕事せずと怒られちゃうんですけど、今年は今度5月が比叡山ですね。
比叡山ですか。
はい。
何キロ?
完走目的で。80、50マイルなんですけど、完走目的で。
完走できるかすらちょっとわかんないですけど。
えー。
まあ頑張りたいなと。
きつそうですよね、比叡山ったらかなり。
そうですね、今体と膝が動くうちにちょっときついレースを倒したいなってなりますし。
別に膝は全然大丈夫なんですけど、若いうちに厳しいレースを倒しといた方が。
ですよね。
倒しとってからさすがにきついですから、まだまだ。
でもサイラーになったし、サイラーですし。
まあそうですけどね。
すごいですよ、ほんと。
もう過去ですけどね、だいぶ。
過去だけど、いやすごいサイラー。おめでとうございます。それも言ってなく、私。
大丈夫ですよ。
やっぱりサイラーはすごいと思います。
いやー、でも真逸完走できないんですからね。
なんでしょうね。
そういうのがあるんで、やっぱり人生何があげられるかわからないですからね。
そうなんですよね。
100万円では本当にわからないです。
今年は真逸行くんでしょう?
行こうかなと思ってるんですけど、なんかあれですね、値上げするんですね、真逸も。
金の問題じゃねえでしょ、そこは。
いや、まあそうなんですけどね。
あ、値上げするんだ。
4万1千円とかだったんですよ。
えー。
いいんですけど、なかなか躊躇する値段じゃないですか、ちょっと。
今までいくらだった?
それ宿がついて。
今まで去年は3万8千円とかだったんですよ。
だから宿ありなしとか多分値段変わってくると思うんですけど。
まあいいんじゃねえ、UTMFみたいに後から荷物預かり1500円とか言うよりは。
あーそうですね、すべて最初の方が確かに。
あれマジ最悪だよね。
確かにそうですね。
いろんな人のこと代表して言っとくけど。
発想がLCCと一緒っすもんね。
ほんとだよ。
ほんとに?
田中さん何か本野さんに抱負ですとか何か聞きたいことってありますか?
2:06:02
いやもうそれはこれからどうするんですか。
これからどうするっていうのはごめんちょっと失礼だけど。
今年の目標とかは?
目標はなのでLDAについていくっていう練習会。
レースは?
ただレースは1回ぐらいもう1回100マイルを走りたいっていうのと
バックルを1つも持ってないので
バックル1つ欲しいなって。
みんながバックルバックルって。
LDAに入ってからですよバックルバックルみんな言って。
それまでメダルとかだったので
あまりバックルとかっていうその認識もなかったし
魅力も感じてなかったんですけど
まともさん言われてすごいみんなバックル持ってるじゃないですか。
僕もいっぱい持ってますけどね。
でも1つぐらい欲しいなと思って。
なので海外はなかなか行けないので
もしTDTとか今まで手も挙げたこともなかったんですけど
挙げてみて初バックルがいただけたら欲しいな。
目指したいなと。
TDTは今年バックルが新しくなるらしいですけどね。
そうなんですね。
きっと何か1つもらったら
情報を見たら色んな色
なんかさんとか全部の色を欲しくなってくるのかなって
思ったりもして。
新しくなったら今までの制度はどうなるかわからないですけど。
そうなんですね。
今までは最初1年目2年目が普通のバックルで
3年目がゴールド、4年目がブラック、5年がピンクかな。
それ以降はもうなんか
チョコがけっていうかもう普通のやつに半分転機抜けたようなやつなんだけど
だけど新しくなるとちょっとわかんないですね。
だからみんなすごいですよね。
その100マイルを何回も
野岡さんと私2回しかしてなくまともに完走したのは1回ぐらいなんですけど
野岡さん23回でしたっけ?
もう全然大人と子供みたいな感じですよ。
TDT込みで23回なのかな。
そんなにいってんのか。
だからひよこだなと思って自分。
そんなに長く生きてますけど
本当に100マイルをまともに完走したことってないので。
僕純粋にレースだけだったら20回も。
レースは完走してないですね。
草みたいなやつだったらもうちょっとあるんだろうけど。
2:09:04
自分なんかあんまり内臓も強くないので
この前も田中さんと話したんですけど
100マイルにこだわらず短い距離とかで走るっていうのもありなのかなって。
ちょっと才能君に感想できなかった時に落ち込んだ時に
そんなことも考えたりしたり。
ただやはり周りの方とかコーチとかも100マイル走ってらっしゃるので
もう1回ぐらいちゃんと走りたいなっていうのは正直ある感じですけどね。
なかなか100キロと100マイルの違いも準備ももろもろ違うので
覚悟してやるとしたら。
バックルだったらレイクビアでバックルもらえるからね。
そうですね。
屋内だと。
屋内だと。
それがお勧めするならそれかな。
僕がお勧めするんだったら。
バンビももらえるけどあれ100マイル間奏したことがない人じゃないと出るのがほぼ無理だから。
こんのさんはちょっと実力的にはバンビではないと思うんで。
ではない。
ではないので。
あとアメリカでそういうもうちょっとね。
間奏できるようなレースあるとは思うけどね。
そこまでしてやりたいかどうかっていう話はもちろんあって。
そうなんですよ。
何でしょうねこれ年齢なのかな最近前は割と新しいことにチャレンジすることが好きだったけどちょっといろいろと躊躇するとかバッと飛び込めなくなったのが最近。
最近の自分みたいな感じですね。
それでもあれで日常が充実して充実してるからで。
そうかもしれないですね。忙しいですよね。
1週間のうちに劇坂行ってLDA行って仕事行って週末連あってなかなか忙しいです。
お家のことやったり。
ジム行ったり。
いいんじゃないですかそれはそれで僕はこんのさんは今充実してるから新しいことチャレンジしなくてもいいんじゃないかなと思いますけどね。
そうなんですねきっとね。
本当に忙しい今考えたら改めて考えると高尾までヨナヨナね。あっちゃんも言ってたと思いますけど。
なかなかエネルギー使いますよねヨナヨナ。
まずあの仕事定時で終わらせるっていうエネルギーを使いますしね。
あーそうですね。でも通ってたんですよねあっちゃんもね。
あの時はまあそうですね仕事定時でこっそり抜けてました。
あ、こっそり。
そうですね。まあ確かに帰りが一番パワーを使いましたね。
ですよね。飲んで。
2:12:01
そうですね。それを未だによくよくやったなと思いますね。
いやLDAでも本当いろんな別の田中さんの顔が見れて面白いですね。
そうですね。興味がある方はぜひ来年。
そうですね。
知事役とLDAは違うっていうことらしいからね。
はいはいはい。
違いますね。
まあそういう意味では今野さんはバックルっていう夢を追いかけてほしいかなと思いますね。
はい。そうですね。なんかもう全然何も話せなかった。もう終わりだと思うんですけど。
いや、めちゃめちゃ話してましたよ。
大丈夫です全然。全然大丈夫です。
なんかもっと質問してくれるのかと思って。
いやいやいやいや。
質問したことに関して。
あ、じゃあごめんごめん。
今までの人の聞いてきっとこういうことかなと思って書き出してみましたけど、なんかあんまり話せませんでした。
これを話しておきたかったっていうのがあったら話してもらってもいいですか。
これを話しておきたかった。
確かに。
これをそうですね。
強いて言われると何ですか。
何でしょうね。なんかランを始めて、前に進むこと、後ろ戻りできないじゃないですか。ランニングのレースとか。
まあね。
ロードから始まったんですけど。
気持ち、洋裁とかやってるときはわりとおしゃべりもしないし、一人でこもって作業する、貯金の上でこもって作業することが多かったので、わりと悶々と考えることが多かったんですよ。
でもランニングを始めて、振り返らない、前に進む、くよくよしないっていうことがランニングと出会って学び、トレイルに出会い、トレイルってこう登ったり下がったりいろんな変化があるじゃないですか。
これで、人生そのものだなみたいな上がり下がったり、辛い時あったり、いろんなことがあり、基本能天気なので、能天気に生きてますんだけど、でもトレイルは人生そのものだなっていうのをすごく感じて、
タイムだけじゃない楽しさもあったり、ロードとは違うコミュニケーション。なので、今はすごい恵まれてるなと思って。
そうですね。
すごい恵まれてると思う。すごい楽しいです。周りに若い子たちが、仕事もそうなんですけど、30とか違う子たちと働いたりするので、そういう意味でもすごく刺激をもらって、なかなか、こういう環境で仕事したり、趣味の世界も年齢関係ない問わず幅広い人たちと付き合い、
2:15:24
できる環境っていうのが、すごい恵まれてるんだなって、改めて。だから、くよくよ悩むこともないですし、悩むっていうか忘れちゃいますからね。
こうなると、この歳になると。いいことも悪いことも忘れちゃうので、ちょっと困っちゃうんですけど。
くよくよ悩んだりとかする暇もないし、今ないですね。悩む暇が。本当、たくさん言うように充実してるからだと思うんですけど、忙しいじゃないですか、だって。
そうですね。
仕事の体のメンテナンスもしなきゃいけないので。
確かに。
なので、いろんな若い人とやっぱり接するっていうことが、あれかな、いいのかもしれないですね。
そうですね。大事なことですね、それは。
若くいれる秘訣だよね。
そうですね。その感じ、すごいエネルギー使いますけどね。
エネルギーが必要だから、ちゃんとよく食べ、よく寝て、体力を出せるように走って鍛えればいいんじゃないですか。
そうですね。
最近やっぱり、たかおベースとか行くと、結構ね、年配の方が初級セミナーみたいなやつに出てるのが結構いるなって思いますよね、見ると。
そういうのを見ると、コンノさんは最先端行ってるんじゃないですか。
そうですか。
カッティングじゃないですかね。
そういうのにも最初から首を突っ込んでるわけだし。
それはきっとファッション関係で、ちょっとこの新しいもの好きだったり、
ファッションって先を行かなきゃいけないので、そういうもしかして感覚っていうのは学生時代から、なんか、訓練したわけじゃないんですけど。
磨いてたのかもしれないですよね、無意識にそういうのって。
そうですよね。今年の流行りとかそういうのは敏感になってなきゃいけなかったので。
なので、わりと新しいもの好きですよ。
そういう意味でそういうのを体現して周りに広めていくっていうのは、ひとつのコンノさんの役目なのかもしれないです。
そうなりたいんですけどね、そういう力が。
そうですね、影響していただければありがたいなと思います。
それが今日の場ということで。
そうですね。
あえて若作りするのもいいかなっていうのもあります。
2:18:05
いい同年代の人が近くにいるじゃないですか。
えっ?
LDAにも一人同年代の人が、元気なお姉さまがいるじゃないですか。
えっ?
元気なお姉さまがLDAにいるじゃないですか、同世代で。
二人?
同世代で。
二人いますよね。一人?
一人いるじゃないですか、俺も知ってる同世代、元気なお姉さまが。
お姉さま二人でしょ?
誰と誰だ?
同世代二人でしょ。
コンノさんとセオさんと、あと誰かいましたっけもう一人。
ユカさん。
あ、そっか。ユカさんちょっと下かなと思ってましたけど。
いや、同じ。
ほぼ同世代ってことでいいですか。
ほぼそうです。
俺完全に後でユカさんに怒られませんよ、これ。
何が?
ユカさんに怒られないですか?
ちょっと同世代に死にないでとか言われないですか?大丈夫ですか?
いや、どっちかというとユカさん忘れてんじゃねーよって。
ユカさん。
いや、ユカさんは若干下目かなと思ったんですけど。
下目と思ったの?じゃあ喜ばれるんじゃないですか?
あ、そうっすか。
うん。喜ばれますよ、きっと。
あ、ほんとですか。
うん。ユカさんのほうが年齢のことにあんまり言っちゃわれたんですけど。
だからまあね、同世代の人たちをね、頑張って引っ張って、この業界を。
そうですね。ババアのバラエティパックって、おばさんが。
言われてます。
アソート。アソートなんですよ。
アソートです。はい。ババアのアソート。
ババアは元気だから。
知ってますよ。知ってます知ってます。
元気ですよね。
知ってます知ってます。
これからもね、ババアのアソートパックを。
ちょっとバラエティパック、キラキラしていかなきゃいけないですね。
そうですね。大事なことですよ、それも。
いずれみんなジジイにババアなってくるんですから。
そうですそうです。
頑張りましょう、お互い。
奥様は元気ですか?
元気ですか?うちらは元気しますよ。
神戸で会ってから会ってないかな。
まあそうですね。
富士で会ったかな。
富士で会ったんじゃないですか。
何かエントリーしてるんですか?なんか出ます?
うちのこの前マラソンだとは。
マラソン早かったんですよね。
いや多分あれじゃないですか。
河野さんの方が早かったんじゃないですか。
勝田?
いやこの前静岡マラソン出てましたけど。
勝田は?
勝田は今年は出てないです。
あらっちゃんも?
僕も出てないです。
あれでも何かのレースに出て割と良かったじゃない?
最近だと新越じゃないですかね、たぶん。
あ、新越か。
新越以来。
雑誌にも取り上げられて。
今年は?
今年は御嶽。とりあえず御嶽と後はやっぱり河野さんと一緒で
引きずられてる神戸に出ようかなとは。
あー。
ね。
2:21:01
呪縛神戸。
そうそうそう一緒に走って。
みんな取り憑かれるんですよ神戸に。
そうですよね。なんだろう。
いや取り憑かなくていいと思うんだけどな俺は。
でも印象的でしたよね。
またパンフレットも田中さんの後ろにいる人も強烈だったし、
角度田中さんのパンフレットも神戸の。
かっこいいですよね。
あの平沢さんでしょ?たぶん。
角度がすごいかっこいい。
後ろの人がちょっと強烈すぎて。
覚えてます?
覚えてる覚えてる覚えてる。
ありましたね。
まあ海外とか行けたらきっと楽しいんだろうなと思うんですけど。
いいんじゃないですか海外。
いつかは海外で。
いつかね、ハートをちょっと。
そうですねまた。
ハートの、なんか全然覚えてない。
ハートのこと。覚えてないですね。
いいっすよ都合の悪いこと忘れたほうがいいっすよね。
ほんとですね。なんか夢みたいな感じですね。未だ。
都合の悪いこと忘れましょう。
そうですね。そうします。
今後も。
あんまりそうですね。
とりあえずコロンさん。
とりあえず一回締めますね。
はい。
大丈夫ですよちゃんと。
はい。
こちらこそありがとうございました。
質問、フィードバック等は、
よりハッシュタグWeLoveタイマー、ハッシュタグタイマーズとつけて、
絵を投稿お待ちしております。
でまたドレンションも引き続き行っておりますので、
よろしければよろしくお願いいたします。
今野まさこさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
02:23:02

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