ウォールフラワーの生存信号。
この番組は、社会の壁際にひっそりと生きる私たちによる生存信号、
つまり、制作活動や日々感じたことなどを発信する番組です。
陶芸などの制作活動をしています、あーちゃんです。
ブログやニュースレターなどで、執筆活動をしています、みーちゃんことみほこです。
よろしくお願いします。
みーちゃん、おかえりなさい。
イギリスから帰ってきました。
そうです、そうです。
ただいまでーす。
オークショー館、よかったね。
よかった。
自己満なのかな?忘れていいか。
いいんじゃない?
楽しかった、ほんとに。
ね、よかった。あれ編集しててもね、なんかなんか面白くて、
なんか私、すごい記憶力が乏しいっていうかさ、短期記憶ができない人だからさ、
なんか微妙に答えになってないみたいなさ、やつとかめっちゃ。
私もさ、なんかほんとはあーちゃんが言ってくれたことに対してのアンサーをさ、言いたいんだけどさ、
もう自分のさ、目の前に起きてることとかをさ、言いたすぎてさ、
わかるよ。
いや、そりゃそうよ。なんか全然そこはうまくできなかったなと思って。
いや、だから一人しゃべりってやっぱ難しいよね。
難しい。
難しかった。とっさに思いつかないっていうか、なんか考えてることはあったんだけど、
だから台本作んないとね、結構ダメだった。
なんかメモ書き、走り書きぐらいでもさ、なんかそういうのあったらね、
でもちょっと聞けるものに。
いや、でもね、あれがなんかよかったと思う。
味があるってよかったと思う。
味があるってすごい便利な言葉だよね。
ほんとだね。
陶芸とかでもほんとよく使えるんだけど、味があるって言うのは便利な言葉ですよ。
文章だとあんまり言わないかも、味があるって。
言わないかもね。
字とかは言うけどね、造形について言うことが多いのかな。
面白いね。
面白いね。初めて気づいた。
確かに。
そんなこんなで楽しい旅行を送ったので、
その模様はぜひシャープ18と19巻の往復書館、まだお聞きになっていない方はぜひ。
ぜひお聞きください。
お願いします。
あとね、みーちゃんのニュースレターなんかでも、ドラマとかニュースレターでも、
もっと詳細に陶芸について書いてますから。
お送りしてますので、ぜひぜひお読みいただけると。
今回は、制作活動をしていると歌っているにもかかわらず、
それについての話を私たちってまるでしてないじゃないかっていうことをね、
みーちゃんからご提案いただきまして、本当にその通りだねっていうことなので。
私6月に初めて出展してきたんです。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
そんなこともあったから、今は喋ることがあるぞっていう状態なので、
今日はそれについて、普段私たちが何してるの?みたいなこととか、
私は出展してみて、いろいろ見えてきたものとかがあったので、
喋ってみたいかなと楽しみ思います。
そもそも、出展って具体的にどういうことだったんでしょうか。
なんか、展示販売。
自分の、私の場合は、自分がお世話になっているお店がもうあるので、
普段はそこにディスプレイとして置いてるんだけど、一応販売もしてて。
けど、陶芸教室をやってる場所で置いてるから、
販売してると思われてなくて、サンプルだと思われたりとか、そんなに売れないし、
お店としても、販売をやってますっていうのを売りにしてるわけではないから、
お客さんも別にそれめがけてやってくるような人はいないので、
実質、初めての展示販売みたいな、外部でやらせてもらうっていう機会で、
これを機に、日常製作の方のアカウントもちゃんと動かして、
告知とかも出したんですけど、
めっちゃ良かった。
ニュートライで。
そうね、ナイストライ。
大変だったけど、やって良かったっていうのがとりあえず、総括ですね。
お店自体は、前からインスタも更新してたりもしてたし、
もう何年くらいになるんだ、お店自体は。
お店は9月で2年ぴったり、2周年になる。
もうすぐだ。
でもなんか、最近ずっと思ってることではあるんだけど、
私の1年間はもう5年くらいやりきったつもりっていうか、
詳しくお願いします。
最近ね、長崎行った後からずっと思ってるんだけど、
1年を5年くらいに感じてるんですよ、私は。
めっちゃ長年やったみたいな気持ち。
というのは、新しいことばっかり起こるっていうか、
今までやったことのないことばかりが毎日こう起こるし、
楽しいのもあるね、多分。
考えもしないようなさ、ことが仕事になっていて。
だから、良くも悪くも大変なことも多いけど、
何というか、新しさによってすごい感じる時間が長いっていうのかな。
あっという間だったって思うことももちろんあるんだけど、
その出展とかで自己評価が高いっていうのかな。
めっちゃ頑張ったみたいな気持ちになれちゃう。
素晴らしいですね。
実際めっちゃ疲れてるしね。
やるたんびにもう向いてないのかなって思うくらい疲れてるし。
だから2年しか経ってないんだけど、お店も。
なんかもうめちゃめちゃ長く、10年ってことはないけど、
めちゃめちゃやったなみたいな気持ちにはなってるね。
出展と日々のお店の教室とか自分の創作みたいな、
違う力っていうかさ、筋肉が違う感じがしそうだなって思うけど。
全然違うね。
そうだよね。
私は作ることをやりたい人だから、手を動かしたいとかってよく言うよね。
だからなんか販売をやりたいっていうのはちょっと違うんだよね。
販売は手段なんだよね、個人的には。
作るための販売だから。
なんか接客もすごい嫌いなわけじゃないんだけど、
もう作るほうが好きすぎて、得意だし好きすぎて、
なんか接客が相対的に苦手だってことを気づいちゃった。
私大学生の時は飲食店でバイトとかめちゃめちゃしてて、
接客どっちかっていうとめちゃ得意だと思ってたのね。
実際できたし、最初はダメダメなんだけど、そっからの伸びしろやばいっていうか、
私初対面の人結構得意だから、その場限りっていう人結構得意なんですよ。
細かいことにも気づくタイプではあるし、失礼なことはそんなにしないから基本的に。
だからそういう意味で、接客は自分はすごい向いてると思ってたのね。
なんだけど、長崎に行って、一人で黙々と淡々とできる作業っていうものを初めてこうやってみて、
なんかあれって、上手くするとって言うと変だけど、
本当に別に隣の席の人とたまーに喋るくらいで、1日終わったりとか全然ある仕事だったから、
それの楽しさと言ったらないみたいな感じで、気づいちゃったみたいな。
開眼しちゃった、そこで。なんか、え、最高みたいな。
で、そうなった後に、鎌本でも販売の仕事とかもあるから、
時々こう制作から抜けて、販売のお店のほうに回ったりとかっていう役回りのある会社にいたんだけど、
もう、それで接客をやりだした時に、私、接客できないかもって思ったの。
もうどうしていいか分からない。
え、やりたくない?みたいな。
おー、やりたくない。
なんか、前はあんなに得意だったし、だから得意だと思い込んでいたから、
なんか、できます、できますって言って店頭立っちゃってたんだけど、
なんか思ったよりできないみたいになって、
うん、なんか話すのも苦手になってたし、
包むのとかも技術のいる仕事だからやっぱり、
それまでやってた接客と違ったっていうのもあるけど、
なんかでも元気に挨拶とかもすごい苦手になっちゃった。
うちにうちにこもる仕事をしまくってたもんだから、
外交的な自分っていうのがいなくなってて気づいたら、
それ3年間ずっとそういう生活をしてたから、
で、それでもまだ懲りずに帰ってきてから、
カフェで5ヶ月だけバイトしたんだよね。
あー、そうだね、知ってたね。
で、その時にそれはお店の携帯も自分に合ってなかったっていうのがあるんだけど、
なんかこれ結構就職する人とかバイト選ぶ人とか参考になる話かもしれないんだけど、
私の働いてたカフェってカウンター式だったの、スタバみたいな。
そういうところって接客の質よりスピードが大事っていうかな。
接客の質ももちろん大事なんだけど、
お客さんと接する時間自体はすごく短いから、
それよりも待たせないことが大事みたいな部分もあるし、
サービスの部分っていうのかな、
接客の質をそんなにすごく求められてるわけじゃないタイプのカフェに働いたもんだから、
一番苦手分野なの、それがスピードで持って動くっていうことが。
それでなんかもう本当に私接客できないんだって気づいちゃったっていうか、
スピード求められるとよりもう無理みたいになって、すごいストレスで。
それでまあ5ヶ月でお店も始まるってなったから辞めたんだけど、
まあそういう経緯で1回作ることに変えがんしたら、
戻れなくなっちゃったんだ。
販売はやりたいことではないなってなっちゃったから、
まあ今正直自分の作ったものをもし誰かが買ってくれるってなったら、
もちろん接客したいなって思うから、
作るのに付随する販売は全然いいんだけど、
まあでも本来やりたいことが販売職ではないっていう話でした。
いやいや。
問題からだいぶそれてしまった。
じゃあこの約2年、2年弱かは、
お店の教室がメインでやってたって感じなのかな。
そうだね、教室がメインでした。
あとは印刷物作る仕事を手伝わせてもらったりもして、
そういう時は本当家にこもって、
接客という接客はなく、メールのやり取りぐらいってさっきとの程度で住んでたから。
出店はさ、そんな教室やっていく日々の中で、
どういうきっかけで出店することになったんですか。
それはお店のオーナーさんが、
もともと仲良くされてる方がそういう出店販売をする場所を作っていらっしゃって、
そこに出してみるなみたいな感じで声をかけてもらって、
オーナーさんも私がずっと作りたいのに全然作んないのみたいなのを多分見かねていたというか、
やっぱりそういう機会がないと作んないんだよね、いくら好きと言っても。
売るものを作るっていう意識でやってないと、
その締め切りもないし、こういうものを作ろうとか、
売るためのこういうものを作ろうみたいなのが、
私がね、そのイマジネーションに乏しいとかもあると思うんだけど、
意欲が、やっぱ怠け者なんで、
ここがゴールがないとなかなか制作も進まなくて、
やりたいやりたいとは言うものの、
それを多分オーナーさんも見てて分かってて、
もうちょっと個人としての活動を頑張ったらって言ってくれて、
そういうふうに背中を押してくれたのがきっかけで、
うん、聞きたかったな。
どういうものがみんなが欲しいのかとかももうちょっとやっぱ考えなきゃいけないって思ったし、
ここに合わせていくだけがでも大事じゃないっていうのもあるっていうか、
自分の色はやっぱり出さない。
でも私はそこはちょっと信じてることがあって、
だからどんなに人の真似をしても絶対自分の色は出るものだと思うから、
あんまり個性を出そう出そうって必死になる必要もないかなっていうのはちょっと思ってるんだけど、
わかる。
なんかもう私なんてさ、自我が歩いてるみたいな感じっていうかさ、
なんかコンセプトはっきりしてる人間としての方だと思ってるから自分で、
なんか別に自分を出さないことの方が逆に意識しないとできないっていうのかな。
でもみんなそうだと思うんだよね大体。
そう?
自分を殺せるってもうそれがもはや個性だし、
言ったらね。
これはあの人のだよねってわかることがそんなに重要かって言われると、
それもちょっと微妙だし隠しきれないものがあるっていうのかなと思うから、
どっちかっていうと自分の個性を意識するよりも、
相手の需要に応えることの方が今の自分は大事かなとかも思ったりするけど。
バランス。
そこがバランス。
でも文章ってそれどうですか?難しいけど。
でも文章こそ自我が持ってなんか。
でも結構わかりやすい文体の人とかいるじゃん。
村上春樹とか。
村上春樹とかはあるし、
なんかねその文章の鍛錬の仕方みたいなので、
プロの作家の文章を書き写すみたいな。
そういうやり方もあるみたいで。
模写みたいな。
模写だね。
文章バージョンの模写なんだけど。
なんかそういうのもあるみたいで、
そればっかりやって文体が似通っちゃったらどうしようみたいな話もあるみたいなんだけど、
やっぱりなかなかそうはならないみたいっていうのはなんか見たね。
だから文章もどうしたって村上春樹にはならないし、
それっぽい何かになっちゃうだけで。
大喜利だよね。
大喜利。
開催っていうのはなんか。
そうだね。
そういう大喜利あるじゃん。
日本風的な。
そういう感じになるだけで、
本人と間違われるほどのものはやっぱり。
ならない。
ならないもんね。
みたいだから。
なんか私も最近、
私はパソコンで打ってただけなんだけど、
好きな作家さんのエッセイとか一遍だけ書き起こしてみたりしてたけど、
なんか勉強にはなれど、
この人はこういう言い回しをするんだとか、
これぐらいの分量だと満足度的にはこれぐらいなのかなとか、
また違う量だったらこの量を書くにはこれぐらい詳細に書かないといけないのかなとか、
っていうのはいろいろ勉強になるけど、
それが自分のものにすぐなるかって言ったらやっぱりならないから、
残るよね、自我はどうしたって。
それを磨いていかないといけないのかなっていうのはね、すごい思った。
そうか、やっぱその読んでるだけと書き起こすのでは本当にやっぱ見えるものが全然違うんだって思った。
私も最近始めたから結構発見だったんだけど、
実際に自分が打ってみると、
文字数とか見えるんだもんね、目で。
そうそう、見えないじゃん、読んでるだけだと。
体感でしかないもんね。
それが全然受け取り方が変わってくるというか、
もちろんそういう視点で見てるからなんだけど、
素直にエッセイを楽しむとかじゃなくて、
よし、何か盗むぞみたいな感じで向き合ってるからっていうのももちろんあると思うんだけど、
なんか面白かった。
でもなんかそうだね、陶芸も写しって言ってさ、
全く同じものを作るみたいな練習があったり、
実際練習っていうか、それで文化財とかになってるのももしかしたらあるのかもしれないけど、
基本的には文化財とかになってるようなものを練習として写しで作るみたいなこととかは全然あるみたいで、
頼まれて写しで作るとかね。
なんかそれとやっぱり似てるのかもね。
こういう技術があるんだみたいな、こういうところってどうやって作るんだろうみたいなことを、
実際にやってみることによってわかるみたいな。
実際にやってみてっていうのはさ、マジでそうで、
出展になってさ、やってみたからわかったことがさ、むちゃむちゃある。
山ほどあります。本当に。
なんか根付けにさ、すごい苦しんでたよね。
うん、苦しかった。
まあ根付けが大変っていうことは、
以前鎌本で働いてた時も実は1枚だけお皿が売れたことがあって、
それ実は人生初販売なんだけど、
なんかその時も値段の付き方全然わかんないなって思って、
苦しんだ末に結局会社の人に付けてもらったんだよ。
だからもう付けてくださいって言って。
なんか雷が。
来た来た。
そうやってさ、サボっちゃったのもあったから今回、
お店オープンした時から根付けはずっと苦しんでたんだけど、
まあでもそうやって苦しみがまあね、
助走の苦しみが2年分あった末に、
今回はもう本当に一人で立たなきゃいけない場所で、
この値段でっていうプレッシャーもあったし、
なんかどういう反応が返ってくるんだろうとかも正直怖くて、
けどまあ物価高だしとか、
単純にね。
とかなんか自分が作った苦労を考えると、
この値段じゃなみたいな値段になりたくなくて、
けどそのバランスってすごく難しいんだよね。
なんか正直そんなに難しいものを作ってるわけではないから、
これでこの値段かって思われてもしょうがないのよ。
本当に。
本当別に器なんてさ、だって正直最低値なんてダイソーだからね。
100円と戦わなきゃいけないんですよ。
そうか。
100均の器だって今可愛いのすごくいっぱいあるから、
丈夫だしね。
一人暮らしで初めての器どこで買ったかって言ったら、
みんな大体みとりかさ、100均で買ったでしょっていうお話って、
器の価値というのはすごく難しいんだよね。
私器好きなわけでもないから、
本当難しくて、
なんか自分のそのお皿にどれだけの価値があるかなんて、
本当にわかんないの。
原価で言ったら本当に大した金額じゃないですよ陶芸なんていうのは。
そうか。
ただそこに自分の人件費として時給とかを載せたら結構高くなっちゃう。
私は作るの遅いから。
けどその作るのが遅いからとかっていうのは技術力の問題でもあるから、
それを本当に馬鹿正直にかかった値段を載せる、
かかった時間数×時給を載せるわけにもいかない。
実際何個に何時間かかってるかなんて測ってないしね。
まあざっくりでつけなきゃいけないから。
というのもあって、なかなか値段つけるっていうのは見え方とかもね。
でもあんまり安くして売れても自分も嬉しくないし、
買う人もこの値段でいいんだって思われちゃうのはちょっと違う。
それは他の作家さんにも迷惑になるし。
そうか。
別に親しい作家さんとかいないから、
賞味そこはそんなに気にしなくていいけど。
ただやっぱ私ハサミって量産の地で修行したこともあって、
陶器ってもうちょっと評価されてもいいんじゃないかっていう気持ちもすごくあるのね。
なんかたとえば作った本人が素人であっても、
下手すると陶器市とかで自分で手作りして、
手作りって言うとろくろとか手びねりとかで土を自分の手で触って、
粘土の状態で触ったもののことを基本的には指すことが多いんだけど、
そうやって手で作って、しかも絵まで手でつけても、
下手すると500円とかで売ってる人とかもいるから、
それは量産の地ならではだと思うし、
それだともちろんみんな喜んで買っていくかもしれないんだけど、
それと戦わなきゃいけないって、作家は大変なんだよねやっぱり。
そうだね。
難しい。
そうなんだよね。
でも、そうそう、それでなんかこう、
値段について考えていくうちに、やっぱ価値について考えて、
でも結局最終的には、
自分がどうありたいかみたいなところにかかってんだな、
みたいなことも思って。
なんか私が好きなエピソードが、
1個ツイッターかなんかで見たやつがあって、
池袋の飲みの市に行った人かなんかのツイートで、
造芝屋かなんかのすごい有名なやつね、たぶん。
クラフトの人とかもああいうところって出すみたいで、
私あんまり行かないからわかんないんだけど、
そこで大きいお皿を3枚だけ並べて、
1枚結構1万越えぐらいの値段とかで、
たぶん広げて出してる人がいて、
可愛いなって思ったけど、値段を見てためらっちゃって、
その投稿主の人が1回その場から去って、
一周した後、やっぱりあの器欲しいってなって、
戻ったらもういなくて、
そういう人がいたっていうね。
そのエピソードめちゃめちゃかっこいいなと思ってて、
私はみんなかっこいいなと思うと思うんだけど、
結局仮にその大皿を1万円で売ってたとしたら、
その日の利益がその短時間で3万円出てるわけね、その人は。
で、しかも戻ったらもういないプレミア館とか、
告知をもし出していなかったとしたら、
いついるかもわかんないプレミア館とか、
そういうものを自分のやり方によって演出できるんだよね。
っていうことを思って、
そもそもなんで私がハサミの生活が楽しかったのにやめたかっていうと、
量産が無理だったからなんでね、
その剥離多倍が向いてないって思ったのがすごい大きかったから、
その上でそのエピソードがめちゃかっこいいと思ってるわけだから、
私がやりたいのは剥離多倍の真逆なんだよね。
で、SNSも苦手だからできればやりたくないんですよ、本当は。
こんなポッドキャストでベラベラ喋ってもあれだけど、
それとこれとは別なんだよね。
別です。
SNSで自分のものバーンって宣伝して、
こういうブランディングでっていうのが難しいし、
どっちかって言ったら向いてるのはその風のようにね、
去っていくみたいな、
させないの。
あんまり謎が多いなみたいな、
そっち系の活動をするのが合ってるのかもしれないって思ったけど、
でももう今回の出展するにあたって結構宣伝とかしちゃったんだよね。
他の人にも手伝ってもらったし、
名前もバンバン出して、
だからそれでここから一切SNSをしませんとかっていうのも難しいっていうか、
いや難しい時代ですよ。
そこに価値があんのか、
そこで本当に価値を生み出せるのかっていう不安ももちろんあるしね。
AIとかにも聞いてみて、
どういう人が人気なわけみたいな思って、
私陶芸家さん詳しくないからとりあえず有名な作家さんについて教えてみたいな感じで教えてもらって、
こういうブランディングして成功してる作家さんがいますよっていうのを出してもらった時に、
本当にいろいろデザイナーさんとして活躍してて、
そもそもね。
でそれが陶芸に専門になってきて、
デザインが可愛いで売ってる人もいれば、
物語を持たせるっていうのかな、ストーリー性。
付随する文章とかにもすごいこだわって、
ちょっと作家性強めというか芸術性の強い作品で売ってるとか、
コンセプトっていうのがね。
とかなんか最初の頃からずっとSNSを日記みたいにして使って、
成長を見届けてもらうみたいな感じで、
もう自分自身に価値を生んでる人とか、
そういうね戦略がありますよみたいなとか思って、
あーなるほどなーってなって、
別に自分がどう売ろうとかは全然考えがまだ及んでないっていうか、
結果的にこうなったっていうのになると思うんだけど、
あーなるほどなーって思って、
ブランディングって大事だっていうか、
なんかある程度こういう方向に行きたいみたいなのを定めとくっていうのは、
大事かなって思ったりとかしました。
いや思い当たる節がありすぎて。
ありました?
ありますねー。
なんかさ、やっぱり世の中の流れみたいなものがあるじゃないですか。
どっちの欲求が強いかで、
たぶん順番が決まるっていうか、
タレントを先にやってて物を書き出す人もいるじゃん。
それはたぶん、前に出たい欲求が強いタイプの物を書ける人だから。
先に物書きとして発車したのに、
めちゃめちゃ顔出したい人は結構珍しいのかもね。
そうだよね。
ただその、漫画家の顔を出さないは、
やっぱ職業柄もあるかなっていうのはあるけどね。
顔を自分で書けちゃうから、
絵を求められてる人たちだから、
じゃあ書けばいいじゃんっていうのもわからなくはないけどね。
漫画家の中でも顔を出す人もゼロでもないしね。
不思議な文化ではあるけど。
そうだよね。
けど最近、歌手とかも絶対実体見せない売りとかすごいあるじゃない?
するね、確かに。
それはそれでプレミアムかもね。
だから本当、自分がどうしたいか、どうありたいかで決めていいんだよね。
グリーンとかすごくない?
グリーン走りじゃない?
懐かしい!
グリーン!
そう、グリーンですけど。
グリーンすごくない?っていう。
歯医者さんだから顔出さないんだよね。
それがわからずの先人みたいになってるのはすごいよね。
ね、なったね。
確かに。
あの時代はさ、無理だったはずじゃん。
そうだね。
ライブ配信なんてさ、なかったし。
あの時代に顔出さずにあんだけ売れたのすごいけどね。
何があったんだろうね。
別に今の若いさ、アドとか、あの辺の方々まだ顔出してないのかな?
ちょっと分かんないけど、
あの辺の方々はグリーンをリスペクトしたとかではなく、
なりゆきでそうなったんだと思うけど、
顔出さないことに、顔出してないから人気なわけじゃないけど、
でもそれが可能だっていうのもすごいしね。
それそれで侍なんだよ。
かっこいいね。
どっちも選べるからね。
どっちが良い悪いってこともないし。
えー、結構熱く語ったね。
ね、面白かったけど全然まだ喋れることもあるしなっていう。
もうこんだけ話のネタにもなったから、
ほんと出展したことは大正解だったしね。
いやー、そうだね。
今後もやっぱやろうって思ったしね。
素晴らしい一歩でした。
じゃあ最後に言ったけど、文振りなしってなりました。
なしです。
で、私は私でちょっと他にももっと出ていってみようかなっていう気持ちがあるから、
次どういう作戦取ろうかみたいな話をちょっとだけしたいな。
いいね、いいね。
なんかどこ、どういうのが理想的?
いやー、私今やってるのがニュースレターと、あとブログか。
ブログやってるんですけど、
最近ニュースレターを今まではメールアドレスを登録してくれた人に読んでもらうためだけの紹介範囲というか。
だったんだけど、それをもう全部誰でも読めますっていう風にしたんだよね。
それをまだ言ってないんだけどね。
そうね、ニュースレターでまだお知らせしてる。
それしないと意味ないんだけど。
もうちょっと広くとりあえず読んでもらう、触れてもらえるようなことをしたいかなって思ってます。
なんかそれはさっき言ってたのとちょっと矛盾するかもしれないけど、
どうやっても今はインスタとかをまずそこで知ってもらう人となりかな。
インスタとかSNSは。
なんかどういう人間、この人面白いなって思ったら、
この人文章書いてたんだみたいな。
そのノリでまず知ってもらえたらいいなって思ってるところがあるのと、
それとは別にずっと書いてる小説とかもあって、
なんかもう書いては消して書いては消してなんだけど、全然進まないんだけど、
やっぱそれを完成させて公募に出す。
それは目標ですね。下半期。
行っちゃった!やばい。
今年だ。やんなきゃ。
やんなきゃ、全然。
まじで昨日もさ、2,3時間粘ってたんだけど。
まじでえらいね。
もうほんとクタクタになって。
えらいよ。
ダメだ。やっぱりダメだって思って。
なんか逃げてしまった結局。
でもその繰り返しで何とかさ、完成する日も来るんだよきっと。
来るのかな。
来るんじゃない。でも文章ってさ、ほんとに再現がないっていうかさ、
どこまででも行ける気がするっていうのかな。
そうね。
終わり見えないみたいな。
これでいいってならないじゃん。
東芸も結構それ近いとかなんだけど、
これでバッチリ読みたいなのって難しいんだよね。
だってプロだってさ、ちゃんと構成をしてくれるプロの人を返して、
あと編集の人も返して、3人で見て、
よし問題ないねって読み出すのに、
仕事がさ、一人でさ、読み出すってやっぱ大変だなって思う。
みんなそれを乗り越えてやってるわけだけど。
だから編集とかは後からついてくる気持ちで出したほうがいいんだろうね。
そうだね。
とりあえずは気の向きのままでいくみたいなんじゃないけど。
そうだね。あともっと読んだ本をレビューするのはやりたいかなって思った。
誰かと電話してた時なんだけど、ニュースレターその人も登録しててくれてて、
ブックレビューもっと見たいかもみたいなことを言ってくれて、
そうなの?みたいな。
見たい見たい。
そうなんだ。
なんかやっぱさ、最近本を読み切るってなかなか大変じゃないですか。
動画だったら早送りできる時代にさ。
1分動画ですからね。
本も要約されたものがさ、世に出回ってたりもするから、
実際その本を最初から最後まで読み切るって体力がさ、なかなか大変な時代になってると思うんだけど、
そんな中でその本紹介を読むと、それでなんか読んだ気になれるみたいな。
そういうのも嬉しいかもみたいな。
本当に気になったら手に取ると思うし、みたいなことを言ってくれて。
需要がそこにあったんだと思って。
そうなんだ。
そうかと思ったら、じゃあもっと読んだ本はちゃんとレビューしていこうかなって思ったりしたね。
書評という仕事があるぐらいだからね。
そうなんですよ。
書評とかさ、評論とか、なかなかハードなイメージありはするけど。
でも言ってしまえばさ、最近のアプリ、読書管理アプリ的なのがあるけど、
そういうので感想を書いてる人もさ、それも一個人の書評って言っちゃ書評だし、あんまり堅苦しく考えず。
意外と本の話すると、面白いね、面白そうって思ってくれるなとは思ってるところもあったから、それもいいなと思って。
でも自分のこととなるとさ、分かんなくなるんだよな。
分かんなくなるね。
道が。
そうなんだよ。コンスタントに示してもらわないとさ。
だから本当にあーちゃんみたいなものを作ってる人が近くにいるってめちゃめちゃ私ついてるなって思う。
こういう話はできるからさ。
まあそうだね。アウトプットがあるかないかでだいぶ。
だいぶ。
それはそうかも。
それこそもっとなりたい自分を明確化して、その手段を一つ一つとっていく形にしていくことと、後、公募に出す。