2024-06-26 14:44

#265 (雑談)殺人犯の子どもを育てていたら

29日(土)〜こうやさんのお部屋でコラボライブです!キャリア、夫婦関係、副業のことなど色々きいてみたいです🤫
▼こうやさんのチャンネル
https://stand.fm/channels/5f4f2d236a9e5b17f7ec9d83

伝わる言葉で仕事がもっと楽しく、成果が10倍あがる✨5000人以上と働いた営業ワーママがコミュニケーションについて発信


〜こんな方はぜひ聴いてって👂✨〜
*上司・部下とうまくやりたい
*売り込まなくても成果を上げたい
*職場のストレスをなくしたい
*毎日奮闘しているワーママ・ワーパパ
*副業・複業・自分業を育てたい


〜自己紹介〜
・現役の営業職
  ∟4000社以上とはたらく
  ∟200人以上にコミュニケーション研修実施
  ∟売れる営業マニュアル複数作成
  ∟元・社内で2%しかいない女性管理職
  ∟600名中1位のトップセールス


・38歳、2人の娘の母(1歳👶、4歳👧)
  ∟元・目を見て話せないド級のコミュ障
  ∟元・毎日消えたいと思ってたネガティブ
  ∟心理学科卒💝
  ∟本の虫!年間300冊読書📚


ほかにも
会社員の自分業を育てる試行錯誤、
やらかしがちなSNS発信、
育児のあれこれもゆるゆる語っております^^


#コミュニケーション #会話術 #ワーママ
#営業 #パラレルワーク  #複業 #副業
#夫婦関係 #育児 #キャリア #自分業

#氷点
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6216f60462fdf0d800323b94
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こんにちは、わかまろの人間関係がちょっと楽しくなるラジオということで、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
最初にちょっとお知らせがありまして、今週土曜日29日の夜9時から 高野さんという方の
チャンネルでコラボライブをさせていただきます。 高野さんは私と同じ世代で、ワーパパさんで最近大手から
少数精鋭な会社に転職をされて、その会社に入りをする傍ら、
Kindle本を出されたり、 まああとこのフツタイフの発信活動だったり
あといろんな勉強館に行かれたり、いろんな活動を精力的にされていて、一体その 気持ち的なキャパと
意欲っていうのはどこから出てくるんだい?とずっと思っていたので、 今回お話が聞けるのをとっても楽しみにしております。
あとで概要欄に高野さんの チャンネルのリンクを貼っておきますね。
私も コラボライブをするのがこのスタイフ歴2年にして初めてなので、
ちょっと緊張するっていう感じなので、
ゆるく優しく見守っていただきながら、お耳だけでもよかったら遊びに来ていただけると嬉しいです。
今日は何の話かなんですけども、コミュニケーションからはちょっと外れまして、
最近私が心の底でいろいろ思っているけど、リアルの人にはちょっと惹かれてしまいそうで言えない、そんな
ちょっと心の闇ではないですけども、モヤモヤしている、なんか考え込んでしまう話をしたいなと思います。
皆さんは人を殺したことってないですよね。
急に何の話なんだいって思うと思うんですけど、多分ないと思うんですよ。
でも世の中には人、
それが時には家族だったり、友人だったり、親だったり、
殺してしまう人もいるじゃないですか。で、この違いって何なんですかね、とか、
あと今子育て中の方って自分の子供のこと可愛いと思ってますよね、多分。
で、私はすごく可愛いし愛してると思ってるんだけど、それって本当に自分の気持ちなのかなぁとか、
なんか思うことがあって、いやちょっと暗いよ、どうした、何の話だと思われるかもしれませんが、
ちょっと良かったら10分だけお付き合いいただけると嬉しいです。
で、私最近ある小説を読みまして、ちょっといろいろ考えちゃったんですよね。
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その小説が何かっていうと、三浦彩子さんの「ひょうてん」という小説で、あまりにも有名で何回もドラマ化されているような小説なので、
知ってるよっていう方も多いんじゃないかなと思います。
あらすじすらも多分有名なので、ご存知の方が多いかなと思うんですけど、
ざっとネタバレ含むあらすじをお話ししますと、あるところに夫婦がいて、そこには息子と娘がいたんですね。
その娘がわずか3歳のルリ子ちゃんという女の子。
ある日悲しいことに殺人犯に殺されてしまって、そこからちょっと夫婦間のいざこざの中、
夫側が妻に内緒で妻に復讐のつもりで、
そのルリ子ちゃんを殺害した犯人の子供が乳児院に預けられていることを知って、
その犯人の子供を、その素性を偽ったまま、その赤ちゃんを引き取ってきて妻に育てさせる。
そして当然妻は知らないまま、その子供をルリ子ちゃんの代わりに女の子、かわいい女の子を育てて、
ただある日その真実を知ってしまい、それからその子供のことがかわいいと思えなくなってしまう。
そしてその子供、女の子も自分の素性を大きくなってから知って、そしてっていう話なんですよ。
この話を聞いて皆さんはどう思われますか?
これは当然フィクションなので、あまりにも現実離れしたストーリー、あらすじだとは思いつつ、
もし自分がこの自分の子供を殺した殺人犯の子供を、そうとは知らずに愛して愛して可愛がって、
毎日も慈しむように自分の身と時間を削って大事に大事に育ててきたその子が、
自分の愛する我が子の命を奪った殺人犯の子供だとしたら、どんなふうに思いますかね?
私それをまざまざとちょっと想像してみたんですよ。
ちょっと想像しきれる範疇を超えているなとは思いつつ、ただ何回想像しても多分愛せなくなるなって思ったんですよね。
そう思った時に、子供を愛しているとか可愛いとか、そう思っている自分の感情って条件付きなのかなっていうのを思ったんですよ。
どういうことかっていうと、今子供を育てている方は、ご自身の子供って可愛いですよね。
愛しているとか、自分の命に向かえてこの子を守りたいって思っているんじゃないかなって思います。
私も今2人の娘がいて、とっても心の底から愛してるってこういうことなんだなってすごく思うし、
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この子たちに愛情をかけるために自分は生まれてきたんじゃなかろうかぐらいに思っている。
そんな大事な大事な娘が、そうやって大事に思っているのは、なぜなら自分の子供だから、
自分が、私は自分のことが大好きで、自分の命が何よりも大事で、その命を半分分け与えた子供だから、可愛いだけであって、
これがもしも、例えばたまに映画でありますよね、そして父になるとか、そういったストーリーだったと思いますが、
取り違えられていた、例えばよその子供だったとか、もしそうなったときに、
この可愛いっていう感情、愛してるっていう感情って変わらないのかなっていうのを、なんか考えちゃうんですよね。
で、取り違えぐらいだったら、まあぐらいだったらっていうのもあれですけど、なんか気持ちが変わらなかったとして、
例えば、なんか子供側だけではなく、子供側にも、あと自分側にも、あと取り巻く環境にも、
なんか乗っ引きならない事情があった場合に、その時も愛情って変わらないのかなっていうのも思うんですよ。
例えば、自分がこう、異色住むところにも、食べるものにも、すっごく困っている状態だったらとか、
例えば、夫がとんでもないDV夫で、自分も子供も毎日暴力による命の危険にさらされているとか、
あと自分が心身ともに病気であるとか、あとは何ですかね、自分の子供なんだけれども、例えばそれが愛する夫ではなくてレープによってできた子供であったらとか、
そういった条件が揃った時に、私は今のような感情で、子供が好きだと愛していると言えるのかなっていうのを考えちゃったんですよね。
私は今、心身ともに健康だし、異色住には困っておらず、夫との関係もそう悪くはないわけです。
なので、逆に言えば、こうしたお膳立てされた環境、たまたま母親をするにあたっては恵まれているであろう環境に入れたから、
子供たちのことを愛していると思えているだけであって、もし環境や状況が違えば自分の気持ちってどうなるんだろうって思うと、
今、子供を愛している、とても愛しいと思っているこの自分って何者なのかなって考えたりします。
だってその愛してるっていうのは自分が考えている、自分のそこから湧き出ているというよりは環境がそうさせてくれているだけであって、
すごく頼りない感情というか、頼りない心情、これっていつ揺らぐかわかんないんだよなって思うんですよね。
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あと例えば、時代が違えば、昔って子供っていう存在って大事にするというよりは保護動力の一つであり、
子供は生まれたら死ぬし、死ぬからたくさん産んでおいて、後々両動力にするって考えてた時代があると思うんですけど、
その時代に生まれてたら、私は今この二人の娘たち、もう同じように大切にしてたのかなとか、
そう思うとやっぱり人間っていうのは環境の奴隷だし、自分が良い人でありたい、子供に愛情をかけたいとか、
それが揺るぎないものと思っていたとしても、それって本当に揺るぎないものなのかなって思うんですよね。
ちょっと何のこっちゃって感じだと思うんですけど、こういうこと考えたことある方いらっしゃいますかね。
そこからちょっと派生して、なんで今自分は人を殺さずにいられているのかっていうのも考えるんですよ。
ちょっと話飛んじゃうかもしれないのですが、私がこれまで生きてきた中で何か道を踏み外そうとした時、
例えば何か物を盗んでしまいたいとか、誰かを殴ってしまいたいとか、
何だろうな、あと何か法律を犯してみたいとか、何か道を踏み外したらどうなるんだろうなって思うことってたまに若い頃は10代くらいかなまで結構あって、
そうなった時に必ず思い浮かぶ場面があってですね。何かっていうと、私幼稚園の年中3の時に万引きをしたことがあるんですよ。
母親と当時弟が生まれていて、3人でスーパーに行ってお菓子を取っちゃったんですよね。
当然年中なので、もうそれが悪いことっていうのは知ってたけど、何かねそう欲しくて取っちゃったんですよね。
それをそのまま幼稚園のカバンに入れて帰ったので、当然母親には見つかりますよね。
私その時に母親がどんな反応するんだろうって思って、母親が笑って面白がってくれるんじゃないかって一瞬思ったんですけど、
まあすっごい怒られたんですよね。 母親が全身全霊で私のこと怒ってる、そして私のために怒ってるんだっていうことが
私もすごく伝わって、そんな泥棒はこんな家にいられないよとか、そんな悪いことする子はうちの子じゃないとか
まあすっごい怒ってくれたんですよね。 その時めちゃくちゃ親に怒られて、私が道を踏み外したら多分このお母さんはすごく悲しむんだろうなっていうのがわかったから
その後の人生において、ふと物を盗んでしまいたいとか、友達のものが欲しいとか
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なんか大声出して暴れたい気がするって思った時に、必ずその時の母親の顔、私が万引きを年中産でしてしまった時の顔が思い浮かんで
いやでも、私がそういうことをしたらお母さんが悲しむっていう心のステッパー?ステッパーじゃないか、ストッパーになってくれて
で、それからね私もいい年になってきたので、そういった変な衝動みたいなのは年を取るごとになくなっていったんだけれども
確実に私がその若い不安定な気持ちだった時代に何かをしでかすのを止めてくれたっていうのは、その時の年中産の時の母親の対応なんですよね
でも逆にじゃあその時母親が私が盗みをした時に怒らなかったらどうなってたのかなっていうのも思うんですよ
笑って許してくれたり、じゃあまた取ってきなさいって言ったり、怒ることもなく無関心だったり、そうなった場合って
私その後盗んだりとか人を傷つけたりって平気でする人間になってた可能性って十分あるなぁと思っていて
それがこうしたら、もしかしたら人を殺すというなんか恐ろしいことをしでかす人間になっていたかもしれないですよね
たまたま私は怒ってくれる母親だったからそうはならなかったけど、いつ人間ってどういうボタンの掛け違いでそうなるかわかんないよなぁっていうのを思ってます
今日は何の結論もなくこんな話です
そうなってくる、今善良に生きていると思っている私自身って誰なんだろうなってすごい思うんですよ
なんか自分って誰なんですかね
なんか自分の名前を取ったら自分じゃなくなる気もするし
この持っている倫理感っていうのも自分が作ったというより周りが作ってくれたものだし
なんか不思議な感覚だなっていうのをこの氷点という小説を読んできっかけにちょっといろいろ考えたので
なんかリアルな人にはちょっと夫とかにも話しづらかったので話してみました
ということで14分ぐらい喋ってしまいましたが
ここまでお付き合いいただいた貴徳な方、そこの貴徳な方本当にありがとうございます
ちょっと今日はここら辺で終わりにしたいなと思いますが
土曜日9時から高谷さんとのライブぜひぜひ来ていただければなと思います
ということでまた次回も聞いていただけると嬉しいです
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