2022-07-09 08:43

#33 ただ、受け取らない

周りで悲しいこと、辛いことがあったときに、どう対応するのが良いのか。そんなことをお話ししています。
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こんにちは、採用の仕事をして13年のワーキングマザーのわかまろと申します。
今日はですね、身の前にある悲しいことだったり、悪意だったりにどう対応していくかっていうお話をさせていただきたいと思います。
昨日ですね、歴史的にとっても悲しい事件がありましたよね。
歴代で一番長く首相を務められた安倍晋三さんが銃撃されて亡くなりました。
この事件ですね、日本人だけではなくて世界中ですごく大きな衝撃だったんじゃないかなというふうに思います。
こういうことが、こういうね、信じられないような悲しいことが起こった時に、どう対応していくべきかっていうのをちょっと考えたんですよね。
私はといえば、昨日ですね、結構落ち込んでしまって、落ち込んでしまったっていうのは、やっぱりすごく親しみなじみのある方が、
急に、しかもとんでもない銃撃によって亡くなってしまったっていうのがすごく、そもそもショックだったっていうことと、
不必要にですね、その人たちの立場とか心情とかに立って、物事を考えようとしすぎてしまったんですよね。
例えばその、撃たれたご本人である方は、どういうふうに思われて最後途切られたのかなとか、もっともっと生きていたかったのかなとか、
あとそのご家族、ご家族はどういう心情でいらっしゃるのかな、すごく悲しい気持ちなんだろうな、どういうふうに癒していくのかなとか、
あと犯人のこともいろいろ考えまして、
犯人って、もちろんしたことは悪いことだし、とても悪いことをした悪人だっていうふうに決めつけることはできるんですけれども、
おそらく人間誰しもそこに至った背景とか、背景ってあれですよ、今回の被害者の方には全く関係のないところで、その方の例えば老いたちとか、
周りの方からの接し方とか、何か心に傷があったりとか、例えば脳とか精神に疾患があって、そういう恐慌に及んでしまうっていうことがあるんじゃないかなって思うんですよね。
なのでどういった事情があったのかなとか、あとその加害者の家族、ご家族はどういうふうに思われるんだろうかとか、
あと第3者ですね、周りに取り巻く人たちはこの事件についてどう受け止めてどういうふうに感じているのかなっていうのを、
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結構いろんな人の立場で考えてしまって、そこでちょっといかんいかんっていうのはハッとしたんですよね。
冷たい言い方かもしれないですけども、私の世界は私だけ、そしてある人の世界はある人だけのもので、
他人の世界とか領域とかって絶対にこちらとしては分かりようもない領域というか生域なんですよね。
なので例えば誰かが悲しい思いをしていたとしても、それを私は受け負うことはできないし、誰かがすごく怒っていたとしても、私はその怒りを受け負うことはできない。
当然できないですし、その想像するだけすごく無駄なこと、自分が消耗してしまうだけなんだなっていうのをちょっと昨日感じました。
昨日それで決めたのは、周りの悲しみとか憎しみとか怒りっていうのを自分は受け取らない、受け取らないっていうのを一つ決めました。
今回のように大きな事件じゃなかったとしても、怒りとか悲しみ、憎しみって世界中のあらゆるところに浮遊している、存在しているものだと思うんですよね。
例えばそれが自分に直接向けられることもあれば、直接向けられなくてもすごく身近なところで傷ついたり悲しんでいる人がいるっていうことがあったりします。
でもそういう時にあらゆる人たちの感情とかを予測して、想像して、その立場に立とうとしても絶対に私はその立場には立てないし、その感情を受け負うっていうことは絶対にできないので、
そういったネガティブ、マイナスな感情っていうのは私は受け取ることはできないんだなっていうのを改めて思っています。
ただ、私の中にもそのことに対して、私個人が考えたこと、感じたことっていうのがあるんですよね。
なので、周りの人がどう思っているかとか、どういう心情になったかっていうのは一旦置いておいて、一切考えないで、自分自身がその件についてどう感じたのか、どう思ったのかっていうことにだけ注目したいなというふうに思いました。
なので、私は昨日ニュースを受けてからびっくりして、ニュースサイトとかSNS、ツイッターとかすごく見てしまったんですけど、どんどん引きずられるんですよね。
引きずられるっていうのが、やっぱりいろんな立場の人がいろんな角度からいろんな感情を持っていて、それに全部突き合わされていると、突き合わされているって自分が入り込んでいっただけなんですけど、
それに全部感情を引入していると、やっぱり心も身も持たないので、もうそれはシャットアウト、他の人の感情にはシャットアウトして受け取らない。
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受け取らずに自分がそれに対してどういうふうに思っているのかっていうのを、結構昨日はノートにバーッと書き連ねて、感情の整理っていうのをしていました。
それでですね、昨日はいろいろノートに書いていて、一つ思ったことは、今精一杯生きようと思ったんですよね。
使い古された言葉で、今され言うのもっていう話なんですけども、どんなに元気な人でも、どんなずっと一緒にいたと思っている人でも、
いつ何があって、どんなことがあって、その志がいつ途絶えさせられるかっていうのはわからないんですよね。
それは事件、事故かもしれないし、はたまた病気かもしれないし、それは自分自身もそうだし、自分の家族もそうだし、
当たり前っていうことは全体ないんだよなっていう、本当に当たり前なことを思いました。
今ですね、コロナ禍で会えなかった友人とか、会いたかった人とかって結構いるんですよね。
あと行きたかった場所とか、コロナ開けたら行こうとか、そういうふうに思ってたんですけど、そうじゃなくて、タイミングっていうのは自分で作り出していくものだなっていうふうに思いましたし、
あと例えば夫、一番身近な他人って夫なんですけども、夫に対してネガティブな感情を抱いたまま翌朝を迎えて送り出したことってあるんですよね。
なんですけど、例えば朝当たり前に出て行った人が、もう今日は帰らないかもしれない、もしくは私が迎えられないかもしれないっていうのを改めて認識することができたので、
本当にいちいち悔いないように過ごしていきたいなというふうに思っています。
という感じで、ちょっと暗いような内容になってしまいましたが、ちょっと今のお話、気持ちをお話をさせていただきました。
明日はですね、選挙に行ってきます。
今回のことがあったからというのは、一旦フラットに考えて、民主主義として自分が応援したい、自分の思いを代わりに実現してくれる人は誰なんだっていうのを冷静に見極めて投票をしていきたいなというふうに思います。
それでは今日も最後までお聞きいただいてありがとうございました。また2回。
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