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こんにちは、わかまろです。世間ではゴールデンウィークで連休を楽しんでいる方も多いようですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
うちはですね、おっとも土日祝休みなので、一応休みではあるんですけれども、私が出産間近なので、近所の公園とか行って過ごしております。
うちの近所はですね、ジャブジャブ池っていうんですかね。水で遊べる公園が結構豊富でして、5月からちょうど池が始まったところも多かったりするので、
ちょっと娘とそんなところを回ったりして過ごしております。 今日はですね、私が何回聞いても励まされる
ある異人のお話をしたいなと思います。それが誰かっていうと、ヘレン・ケラー
有名ですよね。ヘレン・ケラーの家庭教師であったサリバン先生に関するお話です。
ヘレン・ケラーって多分皆さん聞いたことある方が多いと思うんですけども、あんまりどんな方か知らなかった。
ましてやそのサリバン先生、その家庭教師だったサリバン先生がどういう方だったかっていうのは、全然あまり詳しくは知らなかったんですけれども、
私がハマって聞いている古典ラジオでですね、ヘレン・ケラーを
とかしてお話をされていた回がありまして、もうそれを聞いてですね、もうすごく感動してしまって、すごくすっかりお気に入りの回になり、
何回聞いても感動して涙が出るぐらい、すごくお気に入りでして、私が心を動かされたポイントについてちょっとお話をしてみたいなと思いますし、
もしちょっと興味を持っていただいて、より詳しく知りたいなと思っていただいた方には、古典ラジオ、ちょっとリンクを貼っておきますので、ぜひ聞いていただければなと思います。
ヘレン・ケラーって皆さんどんなイメージがありますかね。
目と耳が聞こえない女性で、ただその障害者福祉に尽力した女性っていうイメージをお持ちの方が多いんじゃないかなと思います。
目も耳も聞こえない、で数その障害者福祉がですね、今より全然充実していない時代に、ヘレンを自立させて、言葉とかを学ばせていったサリバン先生っていう方がいて、
そのサリバン先生のことも知っている方が多いんじゃないかな、名前は知っている方が多いんじゃないかなと思うんですけども、
彼女の生い立ちだったりとか、どんな意気込みで、ヘレンと伴奏していったかっていうのは、あまり知らない方が多いんじゃないかなと思っていて、
私も知らなかったので、それでちょっと感動したことを共有をしたいなと思います。
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サリバン先生ってどんなイメージをお持ちですかね。
結構厳しいおばちゃんっていうイメージを私は持ってました。
目が見えない、耳が聞こえないけれども、ヘレンに対して伴奏し尽くして厳しく教育をしてきた、愛情あふれる、結構経験豊富な女性なのかなっていうイメージを持っていたんですけれども、実はそうではなかったんですよね。
ヘレン・キレアの家庭教師に就いた当時、初めて就職先がヘレンのお家で、でかつ若干20歳の若い女性だったらしいです。
そもそもの生い立ちが結構壮絶でして、割と貧しいお家に生まれて、幼い頃に母が、お母さんが亡くなってしまうんですね。
その後、お父さんがいるわけなんですけれども、お父さんがアルコール依存症で、サリバン先生と当時まだ幼かった弟を捨ててしまった。
で、その弟と一緒に給品院っていうところに入るんですけれども、そこも今私たちがイメージするような、個人院とか養護施設みたいなイメージでは全くなくて、
当時、南北戦争が終わったばかりのアメリカなので、今とは全然時代が違いますので、もう本当にならずもの人たち、ドラッグ中毒の人たちとか、
あとはその売春をなりわいにしている女性たち、その方たちが悪い仕事だというわけではないけれども、
そういった環境的には、子どもが育つ環境としては良くないようなところに預けられて、幼少期を過ごしたそうです。
かつですね、サリバン先生自身も目が不自由だったそうなんですね。
何回も手術をしてやっと見えるようにはなったけれども、そういったハンディキャップを抱えていて、
その給品院の中で、たった唯一の家族である弟を亡くしてしまうわけです。
そこから、まだ幼かったサリバン先生自身も鬱のような状態になってしまって、かなりすごく苦労をした幼少期だったようです。
そこからすごいのがですね、反骨精神で自分で勉強したいというのを訴えて、
学校に通い始めます。盲学校に通い始めて、そこで勉強をして知識を身につけていったということなんですよね。
そこから、縁があって初めて就いた仕事というのが、ヘレンケラーの家庭教師だったということです。
一方のヘレンはですね、すごく裕福な家に育ったそうなんですよね。
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ただ2歳になる前くらいに高熱病気になってしまって、その後から目も耳も聞こえなくなってしまったと。
当然その言葉を習得する前ですので、そこからヘレンは7歳くらいまでその言葉というものを知らずにずっと育っていくわけです。
ただ裕福な家庭で、お父さんとお母さんの愛情を目いっぱい受けて育ったので、すごく天真爛漫に健康に育ってはいたけれども、
やっぱりその会話はもちろん通じない、物の概念もわからない。
それがすごくヘレン自身もストレスになって感触を起こしたりとかですね、結構暴れん坊な子供だったようなんですよね。
そんなヘレンを助けてほしいということで、呼ばれたのがサリバン先生で、サリバン先生はその時若干学校出たばかりの20歳で、
当然初めての仕事で、先生の経験もないという状態で、ヘレンのお家にやってきたということです。
そこからがすごいんですけれども、ヘレンは動物のような状態なわけです。
家族もどうしてしていいかわからずに、結構甘やかし放題だったらしいんですよね。
ただ、そこに全く経験のなかった若干20歳のサリバン先生は、ヘレンが将来自立するためにこの環境絶対良くないっていうのを両親に解き伏せて、
2人だけの環境を作って、泣いて暴れるヘレン。だってヘレンは目も耳も聞こえないわけですから、
サリバン先生が何でやってきたかとか、どんな目的があって自分のそばにいるかとかが全然わからない状態のヘレンに対して、
根気強く、時には歯がいじめにしながら、格闘を繰り返しながら接していって、そこからどんどんどんどん
ヘレンが文字というものを習得して、文章を習得して、手紙が書けるようになり、そして最終的にはなんと今のハーバード大学に入学をして、
その後、障害者福祉の充実っていうのに尽力をする人物になっていくということなんですよね。
で、これ文章というか、私が淡々とお話しするとなんか淡々と聞こえてしまいますけれども、すごいことですよね。
まずそもそも目が見えない、耳が聞こえない少女っていう状況を想像するのは難しいですし、
その時代っていうのは、そういったヘレンに対してどういう教育をしていいかとか、どういうふうに施していったら良いのかっていうメソッドが何もないわけです。
お父さんとお母さんも話せるようになるとか、文章書けるようになるっていうのは当然思っていなかったわけなんですけれども、
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外からやってきた若干二十歳のサリバン先生は、ヘレンの自立っていうところを目指して、
ヘレンのことを徹底的に観察して、徹底的に向き合って、自分が良かれと思うことを繰り返し繰り返しやっていくわけなんですよね。
物に名前があるっていうことすら知らないヘレンに対して、例えば、パンがあったらブレードと指文字っていうんですかね、手に指をでアルファウェットをとにかく永遠に永遠に書き続けて、
その具体的な名詞から抽象的な形容詞から色々色々こう教えていって、最終的に
物の概念を伝えて、自然の美しさを伝えて、そこから数のことも伝えて、
きっとヘレンはサリバン先生に出会ってなかったとしたら、多分全く違う人生を送っていたんじゃないかなというふうに思います。
ヘレンが話せるようになったりっていうのは誰も期待をしていなかったので、サリバン先生も例えばその給料だけもらってですね、適当に
甘やかして接していればそれで済んでいたと思うんですよね。
ただそれをサリバン先生はヘレンの将来のことを本当に考えて、愛情を持って厳しく接した結果、ヘレンの人生に大きな影響を与えたというところが、
もう本当にこれですね、何回聞いても涙が出てくる、すごく勇気をもらえる話になっていますので、
ちょっとここまで聞いて、もうちょっと知りたいと思っていただいた方は、コテンラジオリンク貼っておくので、ぜひお時間あるときに聞いていただきたいなと思います。
ということで、すいません、あまりうまく話せた気がしないのですが、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
明日は土曜日なんですけれども、私はですね、週明けの月曜日にテオ世界で次女を出産予定になっておりまして、明日入院をする予定になっています。
お腹を切って子供を出すってすごい行為ですよね。
一応、上野娘の時にテオ世界経験しているものの、お腹を切るっていう声がすごく怖くて、ちょっと今から緊張しております。
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。また次回も聞いていただけると幸いです。