2023-06-05 11:05

#128 人の悪意に触れたいことに気づいた話と父とメルカリ


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こんにちは、わかまろです。
今日は、自分自身が人の悪意にもっと触れたいと思っている、
人の心を覗き見たいと思っているっていうことに気がついたっていうお話をしたいなと思います。
どういうことかというと、皆さん大人になってからですね、自分の本音をさらけ出したりとか、
人の心の本当に本音の部分、真相の部分に触れる機会ってすごく少なくなっていると思いませんか?
学生の頃とか、あとは20代の頃とかはですね、結構友人たちと忌憚なく、あれやこれやと本音のままで、
ただ話してっていう時間が結構私自身多かったんですけれども、
ただそこからですね、結婚もして子供もいて、
人生のステージがどんどん友達、友人としても変わってきて、
仕事では管理職になり、後輩たちもたくさんできてってなると、なかなか自分の本音をさらけ出す場だったりとか、
人の本音に本当に触れる場所ってすごく少なくなってきているなぁ、
そしてそれがちょっとストレスに感じてきているなぁっていうのを思います。
で、これなんでこれに気づいたか、
人の悪意だったら本音にもっと触れたいと思っていることになぜ気づいたかというと、
好きな小説家さんの傾向を見ていてそう思ったんですね。
私が好きな小説家さんの一人でですね、桐野夏夫さんという方がいます。
桐野夏夫さんはすごく有名な方ですが、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
例えば、柔らかな頬とかですね、ロンリネスとか、いくつか作品を描かれています。
桐野さんの作風というのがですね、すごく人間の心の中の一段階、奥を深ぼった、
人間の心の上積みの部分ではなくて、ちょっとヘドロに近いドロドロした部分っていうのを、
如実に描き出すのにすごく得意な作家さんだなというふうに思ってまして、
人が日常生活を送っている中で感じるような、人に対する悪意だったり不信感だったり、
あと自分自身、自己中心的な考え方だったりとか、そこら辺をすごく言語化されるのがですね、
長けている作家さんだと私は思っているんですね。
なので桐野さんの小説っていうのは、独語感がすっきり爽やかみたいなやつがあんまりなくてですね、
ちょっとじわじわドロドロした中で、ずーんと沈んで終わるみたいな感じの作品が多いんです。
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私あんまりですね、若手の頃は、20代とか30代前半の頃は、ちょっとこの独語感が悪くてあんまり読めなかったんですよね。
人の悪意が重いというか、ちょっとこう、胃もたれしちゃうような感じがあってあんまり読めなかったんですけども、
最近もっぱら桐野さんのその小説、しかもその独語感が悪いものですね、すごく好んで読んでいて、
これはちょっとどうした自分の心境の変化かなというのを考えてみる。
若い頃は自分自身の本音だったり、周りの人の本音を聞く機会っていうのがすごく多かったんですよね。
冒頭でもお話ししたように、友人たちと飲みながら夜通し語り合って、
人の悪口ではないですけど、自分が今こう思っているとか、こういうところが嫌だと思っているとか、
そういうマイナスな話もバンバンバンバンなんかできてたなと思います。
例えばパートナーですね、恋人とかとも結構本音で見にくい喧嘩、見にくい感情をぶつけるような喧嘩をしたりとかして、
自分のその気持ちをバーッと話すみたいなことが結構あったし、相手からぶつけられるっていう機会が多かったと思うんですよ。
ただ、やっぱり結婚をすると、パートナーである夫とは生活を営んでいかなければなりませんので、
そんなに本音をバシバシこちらもぶつけることはないですし、
あちらもすごく気を使って、いい意味で気を使って接してくれてるなというのがわかるので、
なので本当にヘドロのような気持ちの奥底の部分っていうのを出したり、相手のその部分を見るっていうことってあんまりないんですよね。
あと友人も、学生時代からの友人にはいるんですけど、そんなに深いところまで語り合うくらいの時間が持ててない。
オンラインでたまにお茶したりとか、飲みに行ったり飲んだりとかするんですけど、
それでも結構表面的な、お互いの家庭の話とかで終わったりとか、
あと例えば、人生のステージが変わるとちょっと触れづらくなる部分があるんですよね。
例えば私は今結婚して子供が2人いますけど、結婚もしていない友人とか、
もしくは結婚してるけどもまだ子供がいない、まだというか子供を持っていない友人とかですね。
ちょっとステージが変わると、どこまで言っていいのかどうかっていう、
何かしら言うことで相手に嫌なものをさせるんじゃないかっていう、すごく気を巡らせて話をするようになったりするので、
本当に本音の部分っていうのを話す機会っていうのは少なくなってるなと思います。
あと仕事上でも責任ある立場になってくると、本当に自分がいい見本になってるのか、
後輩から見ていい見本になってるのかどうかとか、
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良い中間管理職に上司から見てもなってるのかどうかとかですね。
めちゃくちゃいろいろ気を使いまくって話をしていると、
自分の本音っていうのが本当にどこにあるのかって分からなくなってきちゃってると思うんですよね。
それで日中生活は回って滞りなく進んでますし、
別に自分のドロドロした気持ちをそんなにしょっちゅう相当に出したいっていうわけではないんですけれども、
そこら辺が知らず知らずのうちに自分のうちにストレスになってるのかなっていうのを感じていました。
なので桐野さんの小説っていうのは、人の裏の部分っていうのを続々と見させられる部分があり、
人の読んでいるだけなので、特に私が誰かしらに害を与えるとか、
不快な思いにさせるってことはないんですよね。
なので安心して深い闇、ちょっとドロドロした世界にぼっとできるっていう意味で、
桐野夏夫さんの小説に最近ハマっている。
私は人間の闇深い部分をもっと見たいと思ってるし、
人の悪意にもっと触れたいと思ってるっていう欲求があるんだなっていうことに気が付いたっていうお話を今日はさせていただきました。
皆さんはいかがでしょうか。
気を使う場面ってすごく多いと思うんですよね。
そんな中で自分の本音だったり相手の本音がわからなくなって見えなくなって疲れてるってことないでしょうか。
そんな時にもし小説が好きな方であれば桐野さんの小説すごくお勧めですし、
もし小説を読まないという方であっても、他人の本音だったり自分の本音だったり、
触れる場面、例えばノートに何か書いてみるとかですね。
何かそういうのを作ってみると、何かちょっと気が晴れる部分があるかもしれません。
ここからはちょっと余談なんですけれども、
メルカリって皆さんお使いでしょうか。
私はたまに使ったりしてるんですけども、
この前ですね、父から電話がかかってきまして、
何かというと、自分が昔作った背広類をですね、
メルカリに代わりに出品してくれないかっていう依頼だったんですよね。
何かというと、父が昔作ってた背広がもう着れないんだと。
もう体型も変わってるし、形も古いものだからもう着れないんだけれども、捨てるのはすごく寂しいと。
捨てるのは何かいろいろ思い出もあるし思い入れもあるから、捨てるのはもったいないと思ってるんだけれども、
何かこう誰かにもしそれで使ってもらえるのであれば、
もう全然安くていいから売ってほしいと言うんですよね。
もしその出品してみて売れなければ、それはそれで需要がないということが分かったということだから、
諦めがつくけれども、何かこのまま捨てるのはどうしても寂しいんだみたいな感じでですね。
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私が父の代わりに出品して、もし売れたら売上金はもう入れてもらって構わないから、
とりあえず出品代行してくれないかっていう相談の電話をもらいました。
私、メルカリって何かものをお得に得られる、ゲットできるっていう観点で、
何かすごく面白いなと思ってたんですけども、
何かその自分が今はもう使えないけれども、
その捨てるには忍びないものをどこかで必要としているかもしれない誰かのところに
行き渡らせられる、お渡しできるかもしれないっていう希望を持てるっていう、
何かそういう使い方もあるんだなと思って、
何かこういいなと思いましたので、ちょっと面倒くさいんですけど、
父が送ってくる背広をですね、もう形もありますし、
古いものだと思うので売れるかどうかは分かりませんが、
ちょっとその父の気持ちの浄化のために出品をしてみたいなと思います。
で、ちょっとさらにそこから関係ないんですけど、
父の電話の中でちょっとこうイラッとしたことがあって、
父がですね、その出品代行を私に依頼してきた時に、
今仕事をしてないんだから暇でしょ、みたいな言い方をするわけですよ。
いやいや、おいおいと。
そんな3歳の娘がいて、新生児のお世話をしていて、
暇なわけがないんですよね。
ただうちの父は高齢でもう70過ぎ、
世代的には選挙主婦の母に家事、育児のことは全部任せてきたような世代なので、
多分育児と家事を全うするってことがどれだけ大変か、
父は分からないんだろうなと思ってちょっとイラッとしたけど、
まあ聞き流して、はいはいという感じで受け入れましたが、
ちょっとジェネレーションギャップみたいなのを感じました。
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
また次回も聞いていただけると幸いです。
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