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皆さん、おはようございます。わだきなこです。
今日のゆるりラジオ、ゆるりラジオやって、悩んでんなゆるりラジオって。
今日のラジオのテーマは、その謙虚さで自分を殺してないですか?っていうのをテーマにお話ししていこうと思います。
私は1歳の男の子と女の子の双子の子育てをしながら活動しているフリーランスの漢方ライフコーチです。
漢方の考えを使って、その人が本当に送りたい人生づくりのお手伝いをさせていただいております。
今ですね、滞在先のベランダから、オーストラリアはシドニーのところからお届けしております。
これ、体感10度ぐらい。めっちゃ寒い。
今、オペラハウスを、すごいね、すごい流なんですけど、ここからお届けさせてもらってます。
私は右脳人間なので、気づいたことを今、とりあえず、何のまとまりもなくとりあえず喋っていこうということで、今喋っております。
シドニー、昨日1日滞在しまして、早速なんですが、やっぱりね、面白いですね。
全然違うところに行くと価値観点ぶっ壊れますね。
今日はそんなところで、その大きなテーマの1つが、その謙虚さで自分を殺してませんか?っていうテーマです。
ちょっとタイトル聞いてギクッとした方もいらっしゃると思うんですが、私たち日本人、ねばならないっていうのがとても多いですよね。
謙虚と謙虚さと感謝を持って生きるっていうのは素晴らしいことなんだけれども、
生きすぎて自分の本当の心の声、そして本当の自分っていうのを殺して生きている方っていうのが本当に多いですよね。
昨日、私はそれを割と解き放ってきた方だと思ってたんですよ。
本当に今まで、自由に。
日本でも伸び伸び過ごしている方で、まだまだ解放できるなっていうのは思ってたんですが、
自分の価値観をまだまだぶっ壊されていないところがきっとあるやろうなっていうのを持って、
このノリと勢いでシドニーに来たんですけれども、
その旅の大きな目的が、私自分の価値観をぶっ壊すため、可能性を広げるためにこの異国に乗り込んだっていうところがあるんですけど、
早速もう壊れていってますね。
自分ってなんて小さい世界で生きてきたんだろうなっていうのはすごく思います。
やっぱり世界は広いなって。
まず最初に思ったのが、こっち寒いんですよ。
同じ地球上で、暑いと思って、むし暑い日本で生きてて、
南半球は真冬なんですよね。
だから、そういう意味でも物理的に世界って広いなって思ったし、
私ね、小さい時から自分、割と自由な方だと思うんですよ。
とにかく親の言うことは聞かへんかったし、やりたいことあったらすぐに、
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35歳になっても電光石火でシドニーに来るぐらいやから。
でもそれがね、それが日本でいう普通に当てはめると、
それって母親としてどうなのか。
旦那さんにかわいい双子を預けて単身の旅に出るなんてどうなんだ。
それこそ子供がまだ小さいのに、子供と関わる時間を仕事に充ててね。
0歳から独立して復帰して、それってどうなのか。
やっぱりね、自分のやりたいことを貫くんだけど、
それっていわゆる私たちの当たり前に逆らってるから、
それって良くないことみたいな感覚がまだちょっと残ってたんでしょうね。
昨日、シドニーの街中で現地に住んでらっしゃる日本人の方、
いろんな方のストーリー、ヒストリー聞いてきました。
どうして母国を離れてこっちに住むことを決めたのかって。
やっぱりみんなそれぞれストーリーは違うんですけれども、
そこに居心地の良さを感じたり、何かやりたいことっていうのがね、
腹をくくった出来事が全員あるんですよね。
で、そうなった時に、そういう方と喋ってると、
自分で意志を持って、自分はこう生きるって決めた人と喋る時にね、
なんだろうな、今日はまとまりのないまま喋ってるんですけど。
自分が、キナちゃんのストーリーも聞かせてって言われて、いろいろ喋るんですけど、
その中に私が随所随所で、手を抜いてばっかりですわーとか、
手を抜くことがネガティブなことっていうニュアンスで喋ってる自分がいたんですよ。
家事の手抜きとかね。
それは良いことってもちろん思ってるんだけど、頭では思ってるし、
クライアントさんにはもっと肩の力を抜いて脱力して生きていってほしいって思ってるから、
この仕事を選んだんだけど、
なんかね、ちょっとまだ残ってた。自分の中にその呪いが。
ちゃんとしなきゃいけないみたいな。
で、お弁当作りとかもね、もう全然ですよみたいな。
旦那さんのお弁当とかもマジで適当でーみたいな感じで、
なんていうのかな、詐欺あいみたいな感じ?
私なんて全然、いや私なんて全然みたいな感じの。
なんかテスト勉強やってへん?俺も全然やってへんみたいな感じじゃないけど。
で、それをやった時に、そのお友達のうちの一人に、
え、なんでダメなんて、もうサラッと言われたんですよ。
手を抜くことが、え、なんでダメなんですか、いいじゃないですか、素敵じゃないですかって。
言える?そんな。
心の中でダメってわかっててもいいのよっていうのと、
本心から、いいやん別に。適当に生きて何が悪いみたいな。
適当が、実はダメなことで背徳感だけど、
自分を守るために必要なものみたいな感覚ありません?
日本人生きてて。
いいことなのよ、真面目なのはいいことなんだけど、
でも結局、手を抜きたいって自分がそう思ってるからじゃないですか。
じゃああなたがそう思うなら、なんでそれってダメなことなの?
みたいな感覚を本気で言われるんですよ。
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で、なんか、シティで昨日もご飯食べてた時に、
なんかもうね、子供がちっちゃいうちにもっと関わってあげたいなとか、
いろいろ思うこともあるんですけど、みたいな。
でも、やっぱり私は私でやりたいことあるし、とか言って、
喋ってたりしたら、なんかね、申し訳ないなとか思うんだけど、
母としてみたいなのがあるんですよね、って言ったら、
それを言った時に、え?なんで?って。
でも、キナちゃんそうしたいんでしょ?って。
でも別に、母としてっていうのは別に人それぞれだから、
いいんじゃない?って言って、私は母としてっていうよりも、
私という人間はこうだからっていうのを、
もう子供に見せていくでいいんじゃない?って言われた時に、
自分はなんで狭い世界の中でまだ生きてたんだろう?って思って、
なんかね、昨日それにすごく気づかされて、
自分はこうしたいんです、自分はこう生きたいんですっていう願いとともに、
それって自分のいるところから違うところへ行きたいってわけじゃないですか。
そうなった時に、やっぱりそれに同じぐらい、もしくは強い
引き戻す力って働くんだよな、潜在意識みたいな。
そういう時に、なんかね、やっぱり自分を守るためにじゃわからへんけど、
いや、とはいえね、適当にやってるんですけどね、みたいな。
ちょっとこう、ネガティブなニュアンスを払わせた適当とか、
ネガティブなニュアンスを払わせた謙虚さみたいな。
それがあくまでダメなことみたいな。
私なんてまだまだなんですけどね、みたいな感じで言ったりしてる。
口々にね、なんか言った時に、ちょっと1、夢を語る時に、
1、それに対するネガティブな謙虚、謙虚を超えた卑屈。
なおとさんもよく言いますよね。
謙虚は大事だけど、謙虚を超えて卑屈な人が日本人多すぎるって言ってあるけど、
その卑屈、妖怪卑屈が結構ちょいちょい頭出してたのね。
で、やっぱり現地に在住の人たちはそこをキャッチするのがすごく上手で、
なんか多分違和感なんでしょうね。
なんでそう思って悪いの?みたいな。
自分がそう思うならそれでいいやん、別に、みたいな。
手を抜いて何が悪いの?自由に生きて何が悪いの?っていうのを本気で思ってはるんですよ。
だから、なんかね、やっぱりまだ私の中にはこうしなければならないっていう、
なんか狭い価値観の中で生きてきたんだなっていうのを早速1日やってて、
しかもその言霊ってあるからね。
まだまだ私はそっちにはなれないと思うんですけど、とか言うんですよ。
自分で姿勢の凄さも広めていきたいっていうのもあって、
私、今ね、師匠のご縁があって、今、首都に来てるんですけど、
私は師匠たちみたいな素晴らしい人たちにはまだまだなれない、
そこまでは到底たどり着けないと思うんですけどって、
多分謙虚の意味で言ってるけど、半分卑屈未満になってますよね。
で、そう言った時に同じ友達の方に、
え?キノちゃん凄いやんって。もう凄いやんって。
え?全然そんなことないよって。
何々さんたちと比べて凄くないなんてことないよって。
え?そんなことない。なんでそんなこと言うの?凄いじゃんって普通に言われるんですよ。
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全然凄いし、もっとこれから凄くなるんだからいいじゃん。
だって凄くなりたいんでしょって言われた時に、あ、そうですねって。
なんかこう、いや私なんてまだまだですって言うじゃないですか。
いや私なんて私なんてっていうのがまだちょっとあったなと思って。
でもそれって、それを言葉に出して言ってるってことは、
私はもっと自由に行きたい、羽ばたきたい、伸び伸びに行きたいのに、
私は到底そっちにはなれないんですけど、自分で言ってるんですよ。
これアクセルとブレーキ同時に踏んでるから、
多分自分の中の意識が、あのー、まだ突っ込まれきってないんやろうなって。
ブレーキの方が勝ってるなってことに気づけたのが一番大きかったなって思います。
今右脳のままに思いつくまま喋ってるから、これ伝わる人いてるかなって感じなんですけど。
きっと皆さんもあると思うんだよな。
なんかこういう方向に行きたいとか、こういう暮らし方がしたいとか、
本当はこうしたいとか、ぶっちゃけ嫌とか。
会った時にそれと同じか、いやもしくは強い力で、
いやいやとはいえっていう妖怪とはいえが、
あと妖怪まだまだとかが出てくると思うんですよ。
でも多分それ妖怪って気づいてないのよ。
それが謙虚って思ってるから。
でも結局それって自分の貴重な命とか、自分の限られた人生、
みんなね、一秒一秒死に向かって歩いてるのは間違いないから、
その貴重な時間を妖怪たちに食いつぶされてるのに気がつかないまま、
時間を溶かしていくのか、
それともちょっと勇気いるかもしれへんけど、妖怪の存在に気づいて、
でも自分の向かいたいのはこっちなんだからそれでいいじゃないっていう、
自分を受け入れる、それもね肩の力を抜いてね。
あ、いいんだって。自分はこれでいいんだわって。
で、自分はこれとこれが好きだから、
それをちゃんと好きを好きって言える。
欲しいをちゃんと欲しいって言える。
欲しがる自分は悪いことではないっていうのを本気で思う。
で、まだまだそんな風にはなれないっていう風に思わない。
全然なれるし、なんだらなりにいく。
そんな自分が好き、そんな自分を愛してるっていう風に思えると、
もっと羽根を伸ばせるのかなって思いました。
っていう話をしてたらチェックアウトの時間がめっちゃ近づいてきたので、
止まらへん。
とりあえずこの辺で切ろうかなと思います。
いやー狭い世界で生きてきたなーって思います。
妖怪に気づけただけでも、
まずは1日進歩したなーということで、
もうちょっと自分の中の妖怪を見つけて、
妖怪を適当にみなすのではなくてね、
それも受け入れて、
でもそんなことを受け入れながら前へ進んでいく自分っていいよねって
思えるように過ごしていけたら、
まさにさらに私の中の人生RPG化にまた磨きがかかるのでは?
なんて思いました。
ということで冬のシドニーからお届けしました。
そちらは暑いのかな?真夏なのかな?
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皆さん熱中症、脱水気をつけてくださいね。
ということでまた放送します。
それではそれではまたねー。