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日本酒の聖地から 酒の道
こんにちは、パーソナリティーの平田勝です。
この番組は、お酒にまつわるゲストをお招きし、
お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
菊酒史を目指す佐紀さんと共に、今週もお送りします。
佐紀です。今週末、栃木に住んでいるお友達と、
栃木の酒屋さんを巡りをするんです。
それを生き甲斐に、今、仕事を頑張っています。
酒屋さんを巡るの?酒蔵を巡るの?
酒屋巡り
酒屋さんを巡るのね。で、いっぱいお酒を
買い込んで、買えるって感じです。
その場合は、郵送とかもできますので、
這い切れないぐらい買ってあげてください。
わかりました。
ということで、今回も上志郎社長、藤井社長にお越しいただいております。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
全国の酒屋巡り大好きな5代目コラボと藤井でございます。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
前回は藤井さんの幼少期などをお伺いしたのですが、
今回は社会人になってからのお話をお伺いできればと思いますけれども、
現在社長に就任されていますが、
その前はどのようなご経験をなさって、今に至っているのでしょうか。
そうですね。いろんなことをやらせてもらいましたね。
高校までは普通に行きました。
大学もね、当然酒蔵のボンボンなので、東京農業大学へ行くべく
思っていました。
受験もして通っちゃったんですけど、
その時にちょうど、某国営放送のYOUという番組がありまして、
糸井重里さんと坂本隆一さんがパーソナリティで、
若者を会場に呼んできてディスカッションするという番組だったんですけども、
ちょうど自分が見た時がね、今予備校が面白いっていうね、
そういうタイトルだったんです。
僕ね、高校時代、勉強大嫌いで進学だったんですけど、
なんでこいつら勉強楽しいんだろうと思って、
それを経験したくてですね、通ってた農では何と辞退して、
予備校に行きました。
大変恐縮ですけど、酒蔵のボンボンだから予備校に行くのを
許してくれたってことでよろしいですか?
今思うと、当然親復興者です。
1年間無駄に学費を。
はい、大変な金額を損失しております。
でも、そうですよね。
実は僕は両国の中学校を通ってたんですけど、
あの頃、もう線路沿いずらーっと両国っていっても
両国予備校ってありましたよね。
だから、よぜみだとか。
予備校経営者がガンガン儲かってた時代ですよね、多分ね。
CMもたくさん出てましたね。
ですよね。
本当僕はね、東京に行く目的は予備校に行きたいっていう結果、
そうなってしまってですね。
よぜみも行ったんですけど、中央線沿いの小さい予備校に入りました。
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へー。
でね、思ったのは、同じ勉強をするのでも教え方が違うと
こんだけ関心を持つのかと思ってですね。
同じ受験勉強なんですよ。
で、僕化学嫌いだったんです、化学が。
僕のたまたま就いた先生がとてもアウトローな先生でいたので、
で、昔学生運動とかをやられたりみたいで、
大学に行ってもそのまま上に残れるみたいな方だったんですけど、
本当に化学の楽しさというのを受験問題を絡めながら教えてくれて、
人っていうのはこういうふうに関心を持つとこんだけ気持ち悪いんだと思ってですね、
そこでその先生に感動してその仕組みを勉強しようと思って、
もう1年残りました。
この親子のパート2で。
え、待って、だから3回合格してるってことですか?
いや、受験は2年目は辞退します。
言い方違いますね。
6、3、3、2、4。そういう生徒。
今は商売なのに生徒を囲い込まないといけないので、
人気が出るには教えてなおかつ成績が上がらないといけないという厳しいハードルなんですけども、
単に勉強であげる先生だけではダメだと。
やっぱり伝えることと伝わることがちゃんと理解できていないと、
生徒は離れていくとよく分かりましたので。
後にして思うと、そういうことだなという仕組みが分かりました。
やっぱりそういうの大事ですよね。
本当にそう思いました。私は単純なので。
他のこと今全然思い出せないけど、やっぱりそういうことだけ覚えてますもんね。
あとね、植木屋さんもこれは学生のバイトの延長だったんですけども、
これも今の自分に大きい影響があって、
やっぱり植木屋さんその頃はちょうどバブルに向かって
世田谷の農地がどんどんマンションに変わっていくという時期であって、
その地道さんがマンションを建てるとか、
あと公共事業とかで道をきれいにするという自由がたくさんあったんですね。
だからただ予算も決まっているので、
いかに決まった日数を決まった予算で仕上げるかということが、
やっぱり技術以上に大事だったので、
その時よく登場からあったのは、
おい信、仕事は段取り8部、仕事2部と言われてですね。
これずっと未だに残っているし、その通りだなと思ってやってますね。
もう準備、そこですね。
そこが僕足らないんだよな。
今だから言える話です。
いやー、ちょっとこれ覚えておこう。
段取りですね。
ここをどんだけきちっとするかによって、
そこが甘いんだよな。
あとは仕事は相手もあるので100%コントロールできないですけど、
段取りを決めておくといろんなことに対処できるとよく分かりました。
勉強になります。
それコンピューター学校にも通われたんですか?
これはちょっと個人的にやってみたかったので、
将来そういう時代が来ると思って、
酒造りやってしまうとこういう世界に入ってくれないと思いましたから、
今のうちは一通り経験しておこうと思ってやりましたけど、
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ちょっとこれ全然身につかなかった。
身につかなかった。
いやいや、でも後で話しますけどね、
コロナ禍はズーム駆使されて、
世界中とお酒の取引だとか、
やっぱりそういったことに興味ないと、
触るのも嫌っていう方もね。
確かに。
とりあえずやってみると。
チャレンジ精神。
で、ちょっと帰宅としては聞かなきゃいけないお話なんですけれども、
何でしょう。
滝野川の醸造試験場に、
そうなんです。
お仕事してたんですよね。
そうですね。一応出港という形ですから、
上心酒造から出港で滝野川の試験場に行って、
そこで滝野川の試験場の方へ出向いて、
研究員をやるという。
給与は上心から出てるってことなんですけどね。
そういう制度がありました。
それが?いくつぐらい?
大学出てから2年間ちょっとですから、
平成の2年、3年、4年にかけてですね。
どんなことなさってたんでしょう?
僕のいた研究室は原料米の研究を主にやるところで、
山田錦とか尾町とか、
いろいろなお米の蘇生とかですね。
そういうものを研究するという形で、
私はその中で近赤外というか、
画像処理でお米の形を映像処理、画像処理をして、
そこからいろんな法則じゃないですけど、
導き出そうという、
そういう毎日パソコンの画面と睨み合ってるって、
そんな日々でした。
やっぱりそのコンピューター学校に通った経験が、
なんかそこ履歴書にあった、それ見たみたいで、
お前これやれって。
後で聞いたら、お前コンピューターできるんか言われたので。
できるのにはいって言っちゃったんで。
大変だったんですね。
あれ、今その建物って残ってるものないの?
建物そのものは、ただその赤レンガであるとかね、
そういうものは残ってますけど、
僕たちが研究した建物とかと、
官僚会ですかね、たぶん今はもう、
公演になってる?
公演になってますよね。
年に1回ね、5月に全国新種憲章会っていう時があるときは、
僕たちも総出で会場のセッティングとか、
テーブル並べて、瓶置いて、迎える対象をしたんですけど、
本当に朝6時ぐらいから行列ができるという、
本当にそういう光景を中から見てました。
本当に北高寺って、お酒の聖地でしょ?
日本酒も今世界中で、
神子さんもお酒も飲まれてますけど、
やっぱりここにインバウンドとかもたくさん来てもらえるような、
きっかけの番組になればいいですね。
そうですね。
あの頃でも1000クラ以上出展されてましたから、
大半の蔵元の当時さんとか社長さんとかは、
5月末の新種憲章会当日は、
この大寺に大集結したんです。
だから日本の酒蔵の頭脳の大半が大寺にいたというですね、
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すごい歴史のある街なんですよ、ここは本当は。
本当なんです。
だからお酒の会とか行って、
大寺で居酒屋やってますよって言うと、
ああ懐かしいね、っていう酒蔵さんたくさんいらっしゃって。
大抵の方は大寺を通過してますからね。
経験してますから、
懐かしいねっていうのを、僕もその一人です。
藤井社長が、やっぱこれ日本酒で俺一生仕事していくんだっていう、
興味持ったきっかけなどありますか?
きっかけは正直言っても、
物心ついた頃から酒屋にいたので、
そのタイミングっていうか正直ちょっと今、
それは思い出せないですね。
もう普通に居る風景だったので、
子供の頃から蔵の中で遊んどってですね、
昔本当に古い蔵だったので怖い雰囲気だったんですけど、
蔵人さんに可愛がってもらえたというか、
可愛がりというかいじめられたというかね。
たぶんこいつは将来この蔵のボンになるから、
今のうちにいじめてOKみたいな感じがしてですね、
ボン、かくれんぼしようとか言って、
タンクの中に入れられてみんな帰っちゃうとかですね。
危ない。
小さいタンクですけどね。
入れられていなくなって、
僕だけ真剣にかくれんぼしてるんですけど、
みんないないとかですね。
あと学校帰り、
うちは昔は蔵の中に家があったので、
その蔵を通らないと家に帰らなかったですね。
だから学校帰りに行くとちょうど蔵人の休憩時間なので、
みなさん七輪とかで酒かすを焼きながらですね、
時代劇の再放送を見てるとかですね。
そういうシーンでちょっと行って酒かすを食べたとか、
そういう記憶は断片的にはあるんですけども。
そうやって酒かすをおやつにするというか。
そうでした。普通に食べてましたね。
醤油つけたり砂糖つけたりして。
今度やってみてください。
そうですね。
そういう食べ方があるっていうのを知らなかったので。
クラッカーに乗っけて食べちゃうとかですね。
酒かす焼いたもの乗っけて。
クラッカーごとオーブンでもいいですし。
いいと思いますよ結構。
それと日本酒と合わせたらよりおいしそうな感じが。
もう酒の道ですこれは。
確かに。
またまた貴重なお話を聞いちゃいました。
ありがとうございました。
今回は藤井社長の社会人時代についてお聞きしました。
次回は現在のお仕事について伺っていこうと思います。
また次回もよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
よろしくお願いします。
さあここからは佐紀さんを追い詰めて、追い詰めて、追い詰めていくコーナーになりつつありますが。
クイズどんどん答えて。
イエーイ。
ブーじゃないんだ。
ブーじゃないんだってばさ。
あなたが先週さ。
基礎の基礎をさ。
このコーナーでは聞き酒商を目指す佐紀さんに。
お酒にまつわる問題を答えてもらってるんです。
リスナーの皆さんにもぜひ一緒に考えていただきたいですけれども。
先週はね、麹っていう菌はどういう働きをするかっていうことを聞いたんですね。
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じゃあ麹っていう菌はどういう働きをしますか。
麹は糖に。
何を。
お米を。
お米の何を。
お米の澱粉を糖に変える。
素晴らしい。
細くするとアルファアミラゼっていう酵素がね、澱粉質を糖化させるという。
なるほど。
しっかり覚えます。
しっかり覚えますね。
じゃあ今週の問題はどんどん。
酵母という菌はお酒を作る上でどんな働きをするでしょうか。
いきます。
どどん。
アルコールに変える。
何を。
澱粉が糖になり、その糖になったものたちをアルコールに変える。発酵させて。
じゃあアルコールともう一つ物質が出てきますけどそれは何でしょうか。
アルコールと糖分ではなくて。
糖分はなくなってるんだから。
あ、そっか。で、澱粉もなくなってる。水分。
水分の中にさ、水分は生まれないんだから。
水分は生まれないんだから。
ほら、プチプチしてるでしょお酒って。
炭酸。
二酸化炭素が出ます。
二酸化炭素が出ます。
これ正解にしていいんですかね、この編集。いいですか、正解でいいですか。
丸っておっしゃってます。
あちらの方は本当に優しいですけど、だんだん僕は辛辣になってくるんですよ。
これ前にワンカのセミナーもやったりするとおかしいよな。
復習大事ですねって多分何回か前にも言った気がします。
お米っていうのには何がないから糖に。
澱粉はね、お米はもともと糖分がないので糖分がないとアルコール感は生まれないんです。
だからワインを作るときはアルコール。
アルコール?ワインを作るときは。
今日はもう麹いらないんですよ。
勝手に発生してくれる。
勝手に発生してくれる。だから葡萄糖って言うぐらいだから、葡萄って甘いでしょ。
だからそこに酵母が入れば、葡萄ジュース買ってきてそこら辺にもしかしたらいい酵母菌が飛んでて、
うまくこれはもうなかなかないけれども、家でおいしいワインができちゃう可能性がないわけではないけど大体腐るよっていう。
それセミナーでおっしゃってましたよね。
そうですね、ほんとに。
それは覚えてます、鮮明に。
そうだね、ほんとに。それを思い出して毎回養殖復習してるかなと思ったんですけど。
こんなところで今週も縁も竹縄ではございますが、今日もこの辺りでお開きといたします。
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番組の感想はXで走っておく酒の道で検索してください。
それではまた来週。ありがとうございました。
ありがとうございました。