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千利休と天下人たち 第二話 三好長慶
天文十一年、1542年頃、利休は最初の結婚をしています。
妻の出場は定かにわかっていませんが、三好長慶の妹ではないかという俗説があります。
それに従えば、利休と長吉はこれで二兄弟となったのです。
利休、結婚おめでとう。妹を頼む。
長吉様、旧敵木沢長政討ち取り、おめでとうございます。
おう。これで利休も三好の一員だな。一度阿波の国に遊びに来てくれ。
兄上、よろしくお願います。
この洋曲、高佐語は、大阪湾を挟んで互いに対岸のパートナーを思う、
愛宵の松をたたえる能楽ですが、これこそまさに利休と長吉の心情のようでした。
よかったな、利休。夢中になれるものが見つかって。
しかしあのイラチの吉郎が、低発するほど熱中するとはな。茶の湯とはそんなに面白いものか。
長吉様、利休はお前様に茶をひとあん信じたいと思い、それで詫び茶を始めたのです。
俺に?
堺が一向一揆に取り囲まれたあの日から、お前様は仇討ちのためだけに生きている。
お辛くはありませんか?
辛くないと言えば嘘になる。だが、亡きお父上の無念を思うと、今も心が煮えたぎる。
俺は必ず、仇を討つ。ただ、書物を読む暇がないのが一番つらいかな。
仇討ちがすべて終わったら、俺は歌を読み、書を読んで暮らすよ。それを楽しみに今は耐えておる。
フッ、千駒らしい。
三好長吉は文武領土で知られた武将でした。
特に煉瓦を好み、多くの歌を記憶するために、あの工房大師空海も習得したという
虚空像愚文字法という記憶術の荒行に励んでいたと伝わっています。
ああ、思えば南州庵での年少の頃が、我が人生で一番楽しい思い出だった。
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必ずや、仇討ちの対岸上司をお祈り申し上げます。
しかし、天文15年、1546年。
24歳になった三好長吉は、堺に滞在中、再び細川晴本の関係にはまり、大軍の敵勢に取り囲まれました。
それまで細川晴本は、政敵を片付ける汚れ仕事を長吉に押し付けていましたが、
長吉が力をつけすぎたとみるや、仇討ちを恐れて罠を仕掛けたのです。
長吉に、わずかな手勢のみで堺の警備につかせ、その数倍の敵に堺を襲わせたのでした。
長吉の父、三好元長を自陣に追い込んだ、あの卑劣なやり口と同じでした。
この時、堺のエゴー集が天皇寺屋に集い、長吉を挟んで対応を協議しました。
李旧はまだエゴー集のメンバーではありませんでしたが、長吉に呼ばれ参加しました。
長吉殿、堺の町を戦場にするわけにはいかん。何としても和睦してもらうねば。
今堺を包囲する細川宇実の軍勢は二万、対するこちらはせいぜい二千。
大統の和睦とは参らないでしょう。
どういう意味です?
身のしろ金が必要と申されるか。いかおとじゃ。
さよう。まず、税に千元ほどは要求してくるでしょう。
税に千元とは、今のお金で数千万円ほどです。
エゴー集の皆様、どうかその税に、戸戸屋を肩に、この倉益にお貸しください。
その程度なら、この今井だけでも払えぬ額ではない。がしかし。
座を仕切っていた今井曹丘は、言葉を切ってまじまじと長吉を見ました。
今の三好長吉殿に、その値打ちがあるかどうかだ。
そもそも、こたびの戦、細川寛礼家での内紛が原因と見受けられるが、
細川宇実賀様と細川晴本様のいずれに正義があるのでしょう。
いや、我ら堺衆はいずれにつくべきなのか。
大名より大きいと言われた天皇寺屋の後取りで、
一番若い津田壮牛が、素直な疑問を口にしました。
お見受けすると長吉殿は、そのどちらからも斬られてしまおうというような。
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宇実賀様の軍随にとっては憎き敵の大将。
晴本様側から見れば陽炭の憎まれ役。
そんな。
そのようなお方に、果たして戦桓の値打ちがあるかどうか。だが。
曹丘様、それは言い過ぎです。
良いのだ、李久。
曹丘殿の言うとおり、この長吉、ボロ布のように晴本様から捨てられたのよ。
我が命など、もはや何の価値もない。
それより今は、堺の町を守らねば。
どうぞこの三好長吉の首を、敵に差し出して下され。
長吉様。
すると、それまで黙っていた天皇子や津田壮達が口を開きました。
三好長吉殿は、お父上、本長様と同じ道を選ばれるというのだな。
十三年前、十万の一戸一家に取り囲まれた父と我が一族は、堺の町を守るため、抵抗せずに自陣を選びました。
私は、父の仇を討つために、憎き敵である細川春本の家臣に甘んじてなりましたが、
二度までもその関係にはまり、再び堺の町を危機に落とし入れたこと、申し訳のしようもござりません。
堺は、我が愛する第二の故郷、この命に変えてお守り致す。
長吉殿、そのお言葉が聞きたかったのじゃ。
そもそも、阿波三好家と堺は相寄りの松よ。
二つで一つの共同体じゃ。
お父上が一族八十名の命と引き換えにこの堺を守られた御恩を、天皇子や壮達、決して忘れはせん。
また一度ならず二度までも。
堺を戦火に巻き込まんとする細川春本様の拘束なやり口、もう我慢がならん。
壮達様。
壮益、そなたに税人を預けましょう。
敵との和睦交渉をなさい。
ありがとうございます。
長吉殿はなぜこの相益を離宮と呼ばれるのか。
幼き頃、南州寺の大輪総統がお付けになられたあだ名でございます。
面白い名じゃ。離宮殿、税人は必ず返してもらうぞ。
精進なされよ。
はい。
敵との和睦交渉をなさい。
敵との和睦交渉をなさい。
面白い名じゃ。離宮殿、税人は必ず返してもらうぞ。
精進なされよ。
はい。
天皇寺屋壮達は長吉の父、本永の時代から三好一族と共に北家州と連携して瀬戸内の海上物流を掌握していました。
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織田信長が壮達の息子である壮牛に異常なまでの幸遇でもてなすのも、この海上物流ネットワークが欲しかったからでした。
しかし、この事件で長吉を助けたのは、どうも離宮ではないかと想像させる間接的な記録があります。
離宮はこの年の日記に、
財をなくし、祖父の七回寄放用ができず、泣きながら墓を掃除したと記しているのです。
親友を救うため、家業を売り払ったのではないでしょうか。
一方、境を無事脱出した三好長吉は、ついに仇である主君細川晴本との決別を決意するのです。
細川晴本との決戦を前に、三好長吉は離宮の茶室を訪ねました。
ほう、これが離宮の考案したにじり口か。
なるほど、刀を外さねば通れぬな。
長吉様、どうぞ中へ。
おお、中は二畳だけか。
これは何とも互いの胸の鼓動さえも聞こえそうな近さだな。
本当に。三好様の心にまで手が届きそうです。
離宮。
はい。
ありがとう。この通りだ。
もったいない。お手を挙げください。
ところで離宮、小石が手に入らんか。
小石を産する土地は国内に少ないと聞いております。
では、民国はどうだ。
天王寺屋さんか、今井曹丘様であればご存知かと。
その天王寺屋が種ヶ島の鉄砲を堺の刀かじらに複製させたものを百張ばかり購入したが、雛輪が足りんのだ。
雛輪がなければ鉄砲はただの鉄の筒よ。
そして雛輪には、家に練り込む小石が必要だとわかった。
離宮、これからの戦は鉄砲だ。
今から小石を扱えば借りた税にの利息分くらいにはなるかもしれん。
種ヶ島に鉄砲が伝来した1543年から、この5年ほどの間に堺の商人たちはこれをコピーして、商品として戦国大名たちに売り始めていました。
実は長吉の敵細川晴本も鉄砲を購入しています。
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では長吉様はついに天下取りを狙われると。
俺は天下取りに興味はない。父の敵を討ちたいだけだ。
それでは雛輪が売れませんな。離宮はいつになったら儲かるものか。
お茶が入りました。
うん。頂戴する。
うまい。茶膳一味か。
三吉長吉、この味、生涯忘れぬ。
長吉様。
いよいよ誠の敵、細川晴本と一戦交わる。
三吉長吉様は天下人の器です。
さてな。しかしこの茶室はいいな。人の表も裏も見える。
はい。そのように失礼しました。
天文十八年
天文十八年
江口の戦いで三吉長吉は鉄砲隊を編成。
敵八百名を討ち取って大勝利を収めました。
織田信長が長篠の戦いで鉄砲隊を編成し、
天文十八年の戦いで三吉長吉は鉄砲隊を編成し、
敵八百名を討ち取って大勝利を収めました。
織田信長が長篠の戦いで鉄砲隊を組織した四半世紀も前のことでした。
さらに長吉は宿敵細川晴本と将軍足利義晴、義輝親子を京都から追い払い、
翌天文十九年、ついに三吉政権を受立しました。
三吉政権の特徴は三吉自らが正位大将軍などの高いくらいに就くことなく、
足利将軍家を滅ぼさずかといってその威光を傘にするのでもなく、
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全く自立した武家による行政を実現したところでした。
圧倒的な権力による金正的中央集権支配ではなく、
封建的な国衆の総意に基づく中世の連合政権であったのかもしれません。
また、その支配した地域は五岐内に限定されていましたので、
三吉長吉が最初の天下人だと言えるかどうかは、これからの研究を待たねばなりません。
かともかく、黄仁の乱以降続いた戦乱は一旦収束したかに思えました。
ところが…
天文20年、1551年、三吉長吉は二度にわたって暗殺者より命を狙われました。
三吉長吉は当初、細川寛礼家や足利将軍家に代わって自分が天下を取る意図を持っていなかったのです。
長吉はひたすら父の仇を討ちたかっただけでしたが、
儒教的な守住の教えを大切にする人でもありました。
そのため、敵が何度も息を吹き返しては、襲ってきたのです。
作・演出
岡田康史
出演
千利休
斎藤雅俊
三吉長吉
谷沢龍馬
今井壮久
三尾
津田壮吉
平塚蓮
津田壮達
浜崎忍
大輪壮東
梅崎新一
ナレーション
大河原崎
選曲
小河
小佐子
音楽協力
HMIXギャラリー
アマチャ
スタジオ協力
スタッフアネックス
プロデューサー
富山正明
制作
株式会社
ピトパ