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千利休と天下人たち
第5話
本能寺の変
利休は、三好一族の小髄城から吉野川を遡り、深い谷を下り、険しい山を登って、その隠れ里に着いたのでした。
徳島県三好市の居屋という里に、今も兵士の隠れ里伝説が残っています。
断路裏で入水した安徳天皇は、実は身代わりで、居屋の隠れ里に仮户所されていたという言い伝えです。
居屋で合流した三好将官安永は、千利休を兵家の隠れ里の奥にある古い屋代に案内しました。
そこには御神宝である草薙の剣を入れてあったという箱だけがありました。
箱の中には剣はなく、置き手紙が残されていました。
利休、そなたにじゃ。
これは、長吉様から。
間違いない。
それは長吉の家王じゃ。
利休、ここまで来たということは、天下人を見つけたようだな。
そなたの目利きであれば間違いあるまい。
約束通り、その男に三好の宝を譲ろうと思う。
だが、三好の宝とは宝剣のことではない。
そんなものはないのだ。
三好の宝とは、千利休、そなたのことだ。
長吉様。
それそれ、急げ。
それ、よいしょ。
それ、よいしょ。
急げ。
それ、よいしょ。
それ、よいしょ。
僧侶。
すごい数の船ですな。
おお、九喜の鉄鋼船まで来ておるわ。
家康様、これはすべて信長様三難、信高様ご出陣による張曽壁成罰の船でございます。
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では四国ゼミは信高様だ。
それで明智様はどうされた。京都では大変お世話になったが。
上様より中国ゼミを申し付けられたと聞いております。
明智が橋場の応援にか。
光秀殿は上様よりご布教を買われてしまったようだな。
この家康も気を付けねば。
天章十年、1582年5月末。
天皇寺や僧侶は織田信長の命により堺で徳川家康一行をもてなしました。
堺の港にはちょうど四国ゼミの大群があふれていました。
信長は家康にわざわざそれを見せつけるため堺に立ち寄らせたと思われます。
何、信長様がご上落、誠か。
誠か。
ついたちに、本能寺にて漢博様ら重だった皇家を招き、茶会を開かれるとか。
皇家を開かれる。
で茶道は僧牛。
そなたと。
千僧役が申し付かってございます。
史実ではこの茶会の茶道はわかっていません。
また本能寺の変の時、千利休は堺にいたという説もあります。
妙だな。皇家相手であれば価格からして天能寺屋が茶道を務めるのが筋であろう。
信長様は皇家よりも家康様がお大事なのです。
世事を申すな。
上様急なご上落といい何か奇妙な。
茶会の主客は誰だ。
この会、崎久様と伺っております。
この会様ならば安心だが。
実は家康様。
これをどう思われます。
二十八日にあた子神社の煉瓦会で明智光秀様が読まれたホックだそうです。
時は今雨が親しるさつきかな。
まさか。
やはりそう思われますか。
時は明智の家柄である時詩。
雨が親しるとは天下知る。
すなわち明智が今天下知ると読めます。
ちなみに今まさに制伐されようとしている長祖壁本地下の聖室も時詩です。
もし誰かが皇家との茶会を餌に信長様をおびき出し
明智様にゴム本をそそのかしているとすれば
信長様は今わずかな手勢のみ。
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そなたなぜ手勢のことまで知っておる。
本能寺は北下宗でございますゆえ
この天能寺とは強い絆がございます。
こうしてはおられん。
家康様どちらへ。
知れたこと上様にお知らせに参るのじゃ。
お待ちくださいませ家康様。
何だ。
その誰かとはこの天能寺屋かもしれませんぞ。
何。
家康様はこのまま信長様の天下を望みか。
何だと。
それとも絶好の機会とお考えになりませんか。
その誰かとはもちろんこの天能寺屋ではござらん。
この港を埋め尽くす戦団の大半はこの天能寺屋の沢合。
今信長様を失えば
王尊するのは日を見るより明らかでござる。
ですが飽きないとは長い目で見ることも大切。
信長様の天下を見るのは
長い目で見ることも大切。
信長様の天下が良いのか。
徳川家康様の天下が良いのか。
その頃四国阿波の国より戻った千利休はようやく本能寺に到着していました。
宗益戻ったか。で趣味は。
上様剣は見つかりませんでした。
何も出なかったか。
ただこの手紙が里の屋代に。
これは長吉公から備えてではないか。
うん。美しいの。ではない。
将冠に一杯食わされたのよ。
かもしれません。
だがそれも良かろう。
もともと将冠の子ら話が始まりじゃ。
長吉公。見吉の宝。
しかと将冠捕まつった。
千利休。
すいたちの茶会頼んだぞ。
主客は小野江崎一沙様である。
はあ。
天正元年。
1582年6月1日。
織田信長は本能寺で茶会を開きました。
主客の小野江崎一沙はこの時、
多条大臣を辞したばかりでした。
信長にその地位を譲るためだったと言われています。
信長と朝廷の間で
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官位をめぐる確実があったことを想像させる事実です。
信長が皇室と隕石関係を持ち
平の清盛のようになることを望んでいたとすると、
小野江崎一沙はおそらく
信長にとって良い相談相手でした。
趣味の高がりが同じで
敵味方として争ったこともあり、
互いの器量を分かり合った仲だったのです。
何より崎一沙は
あの三好将冠安永も投げ出した石山本願寺と
織田との講和を成立させ、
信長から絶大な信頼を得ていました。
茶会の後、主演となり
最後に小野江崎一沙だけが居残って、
信長、崎一沙、李旧の三人でまた和尾茶となりました。
面白い。兵家の隠れ里か。
なかなかよくできた話であろう。
で、その封建とやら出てきたのか。
李旧、長吉公の手紙を見せてやれ。
李旧は懐に大切にしまった手紙を取り出しました。
俺は?
手紙を広げた崎一沙は真顔になりました。
三好の宝とは千利休、
そなたのことだ。
なんという思いやりか。
長吉公の優しさが胸に響く。
ありがとうございます、崎一沙様。
李旧、私も若い頃、このような手紙を頂いたことがある。
ほう、聞き捨てならんな。相手は?
上杉謙信子、信虎様よ。
あの頃は正虎と名乗られておったが、
美しい武将であった。
また始まった。
次にこの誤人が言う言葉は、
謙信公が生きておられれば、信長など敵ではない、だぞ。
その通り。
この矢先須多は、一時期上杉謙信と同盟を結び、
共に戦場で戦った盟友でした。
崎一沙は久下でありながら、武家の心を持つ文武両道の人だったのです。
李旧、すまなかったな。大切にしろ。
そう言って崎一沙は、李旧に長吉の手紙を返しました。
さて信長様、わしはそろそろ。
おや、眠られてしもう。
連戦の疲れからか、久しぶりに気心をゆるしたのか、
信長は軽い寝息を立ててしまいました。
まるで頑全ない赤子のような。
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この矢先須多は、しばらく信長の顔を見つめていました。
信長よ、茎はひっそくし腐っている。このわしも含めてな。
貴公の身体が腐っている。
貴公の言うとおり、官博や大将大臣になったところで、それは変わらんかもしれん。
だが正義大将軍とは武家の当領ぞ。
そなたが足利に代わって幕府を開くというのであれば、
帝による御神聖を望む我ら久家の改革派にとって、難しい相手となる。
その時、信長の頬に光るものが伝わった。
その時、信長の頬に光るものが伝わったのを、利休は見逃しませんでした。
森乱丸がそっと来て、信長に羽織をかぶせました。
いとませる。さらばな信長。いずれすぐ会おう。
路地まで見送りに出た利休に、先須多は振り返りました。
利休、今夜はわしに付き合え。
この絵、先須多を本能寺の編の黒幕だとする説があります。
もしそうだとしたら、それはとても悲しい真実です。
信長と先須多とは互いの美学を認め合う仲だったのですから、
友を敵に討った裏切り者のそしりは免れません。
実際、秀吉はずっと先須多を疑っていたようです。
客観的な事実として、先須多は足利将軍家にも近く反身吉でした。
信長が身吉将冠靖長を徴用したことが、
明智光秀同様に先須多の心を変えた可能性はあります。
あるいは、信長がどこかの時点で織田幕府を開くと決心したのだとしたら、
やはり先須多とは相入れなかったでしょう。
それを反信長勢力にうまく利用されただけかもしれません。
この絵亭に招かれた利休は、先須多と語り明かしました。
なるほど。長吉公とは筑波の友だったか。
左様にございます。
友、か。
先須多様も、上様とまるで古い褒美のような。
うん。利休は友のためなら死ねるか。
さてどうでしょう。
これは先須多様、どうなさいました。
先須多の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちています。
世人は織田信長をして残忍な武将であるとさ知りよるが、
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違う。信長は幼き頃より骨肉の争いに苛まれ、
天下大平和を最も願うとる男なのだ。
先ほど、上様の目にも光るものがございました。
信長は、我が裏切りにも気づいておったのかもしれん。
裏切り?
わしは友を裏切った。
利休、本能寺へ急げ。まだ間に合うかもしれん。
それは、むしや。
ごめん。
利休は夜明けの町を本能寺へと駆け出しました。
上様!
武装した兵士がすでに町のつじつじを塞いでいます。
利休はその旗印を確認しました。
あれは、水色貴郷の旗印。
明智光秀の無本であったか。
その時、本能寺の方角に火の手が上がり、
初夏の知らんできた空を赤く染めたのです。
信長様!
作、演出、岡田康史
出演、千利休、斉藤雅俊
三好永吉、谷沢龍馬
津田宗牛、平塚蓮
小田信長、忠津雄貴
三好松岡安永、遠藤圭介
小野栄崎久、稲葉利也
徳川家康、梅崎新一
ナレーション、大河原崎
編曲、甲賀昭太子
音楽協力、HXギャラリー
アマチャ、スタジオ協力
スタッフアネックス、プロデューサー
富山正明
制作、株式会社、ピトパ