1. ボイスドラマで学ぶ「日本の歴史」
  2. お市の方「戦国一の美女」 エ..
2020-11-30 23:05

お市の方「戦国一の美女」 エピローグ 作者対談

今回はシーズン2お市の方「戦国一の美女」の脚本を書いて頂いた作家「鈴木輝一郎」さんにお越しいただき、この戦国の時代を生き抜いたお市の方のドラマについて、色々とお話をして頂きました。


●出演:  作家:鈴木輝一郎
 ナビゲーター:熊谷要子
●プロデューサー:富山真明
●制作:PitPa(ピトパ)

番組へのご意見ご感想、リクエストはこちらまで
https://forms.gle/Gim8M9erpKsuXANy9

See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

00:00
みなさん、こんにちは。ボイスドラマで学ぶ日本の歴史、ナビゲーターの熊谷 陽子です。
戦国の一番の激動の時を、あの風雲寺、織田信長の妹として生き抜いた、お市の方、戦国一の美女、いかがでしたでしょうか。
まだお聞きになっていないという方は、ぜひ本編もお聞きください。さて、今回はそのシーズン2、お市の方、戦国一の美女の脚本をお書きいただきました。
作家の鈴木喜一郎さんとオンラインでつないでおります。いろいろとドラマで語り尽くせなかったところなどお聞きします。鈴木さん、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。小説家の鈴木喜一郎と申します。今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。本日はオンラインでの収録なので、ちょっと音質が悪くなっているところもあるかもしれないんですが、ご了承いただければと思います。
鈴木さん、普段はですね、岐阜の大垣にお住まいということで、普段から岐阜の大垣の方でお仕事をされていらっしゃるということでしょうか。
はい、そうですね。小説家の仕事というのは基本、対面取材がほとんどないものですから、岐阜県大垣市の自宅で原稿を書いて、普段はだいたい月に一度、一月か二月に一度のペースで状況をして、そこで打ち合わせをする。だいたいそれが普通のペースですね。
なるほど。大垣といえば、今回のドラマでも出てきた阿財永政の小谷城もかなり近い場所なのではと思うのですが、鈴木さんもあのあたりは結構、現地を巡られたりとかはされているんでしょうか。
だいたい車で、そうですね、30分、1時間はかからないところなので、割とちょこまかとこまめに行っています。
いいですね。戦国マニアからすると羨ましい限りの環境ですが、そんな鈴木さんにですね、今回はこのドラマの脚本制作に取り組まれた時の意気込みや、ドラマの中で語り尽くせなかった歴史小話なども挟みながらお聞きしたいと思っております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速なんですが、順番に私の方から質問をさせていただきたいと思いますが、今回題材としたのが、お市の方。脚本を書き上げた時、一番どういった点をリスナーに伝えたいと思っていらっしゃいましたでしょうか。
一番伝えたかったことは、美しく生きるということですね。美しく生きるとはどういうふうなのか、一言で言ってしまいます。
なるほど。美ということに関しては題名にも、戦国一の美女というところですけれども、実際ちょっと私思ったんですけれども、教科書などで見たお市の方、本当に美しかったのだろうかと少し思ってしまうんですが、どうなんでしょうか。
03:19
そうですね。現代の我々とは若干美の基準が違いますので、色が白くてふくよかな女性というのが当時の美人の基準だったということですね。
なるほど。外面的な美しさというのももちろん、人の目を引くという部分があるとは思うんですが、この生き様の美しさというのは、かなり当時求められていたのではないかというふうに思うんですが、いかがでしょうか。
当時、戦国武将の思想として、なこすおしけれという思想があります。
いつ死んでもおかしくない時代ですので、その後何を残すかというところで、名前を残すということが一つの重要なことだったんですよ。
その時に名前というのはどういうものだろうかということで、お市の方の場合だったら、やはり美しく生きることで名前を残すということだったんだろうなというふうに描きました。
なるほど。このお市の方、私のイメージはかなり強気なというか、娘の茶々もイコールするところがあると思うんですけれども、そういうイメージが強くあるんですけれども、そういった史実というのはあるんですかね。
具体的な史実というのは残っていないんですが、状況、証拠として十分残っているんですね。
27歳でお市の方は西永政が死滅して独身になった後、10年ぐらいずっと一人身だった。
十分その年でしたね。
政略結婚の道具としての使い道というのはあったんですけれども、小田信長がああいう性格なので、あっちに行けということは言えたはずなんですけれども、全くそれを言った様子がない。
つまりお市の方が嫌だと言ったら嫌だというふうに断ったという考えが非常に妥当なところですので、だからあの小田信長でも手を出せなかった女性という考え方ができるということですね。
なるほど、そうですね。あの小田信長が手を出せなかった、かなり強いですね。
お市の方は災いにとついだのが二十歳ごろというお話ですけれども、この当時二十歳との結婚ってちょっと遅いんじゃないかなと、その原因というのは今お話しいただいたような。
これは理由は分かっていません。
当時の女性の結婚的歴って大体12歳から16歳ぐらいまでです。
06:06
当時の基準でいくと、二十歳で徳島、25歳で大徳島という言い方をされました。
ですので、なぜこんなに婚期が遅くなったのかという理由は分かってはいません。
そこらへんが理由が分からないからこそ、いろいろ我々が歴史の空白を埋める想像力の入る余地があるかななんていうことは思いますね。
そこにロマンがあるという感じですよね。
この時代は結婚と言っても恋愛結婚ということではなくて、政治的な道具って言ったらちょっとあれですけれども、そういった形で結婚していくというケースが多かったと思うんですけれども、
でも阿財永政と小市というのはすごく仲睦まじくて、3人の娘たちも名を残しておりますし、その辺とかはどうだったのかなって。
二人が結婚した理由というのは明らかに政治的な理由だったんですけれども、実際に本当に仲睦まじかったことは間違いないところですね。
通常ですと小田と阿財の同盟の人質として大石の方は嫁に行ったわけですけれども、阿財と小田が決裂しますね。
決裂すると本来ですと条約が破棄されたので離縁するのは普通なんですけれども、永政は離縁した様子もないんですし、
その後ですね、時政の苦の中に柴田勝家と大石の方が互いにホトトギスの話を苦の中に織り込んでます。
ですのでこの時にこの二人がずっと阿財永政のことを常に強く意識していたということは言えると思います。
なるほど。柴田勝家にとつぐ理由として柴家と柴田家の均衡を保つためという秀吉からの提案という設定で描かれてましたけれども、
実際こういった流れで柴田との婚姻が成立した感じなんでしょうか。
味気も素っ気もなく表に出せる史実から出していくとそういう結論になるんですけれども、
実際には非常に行動が不可解ですので、その前に大石の方と柴田勝家がずっと知り合うきっかけがあって、
ずっとお互いに思いやっていたんじゃないかというふうに、僕は自分の小説では書きました。
人間理解だけでは動かないので、やっぱりそこらへんのところを何とか抑えたいなということですね。
多くの作品の中でこの二人って美女と野獣みたいな感じで描かれてますけれどもね、ちょっとこの辺はなかなか味のある場面かなと。
09:04
この大石の方、三人の娘、超有名人ですよね、三人の娘。長女は茶々豊臣へと継ぐ。
そして三女の郷ですね、徳川に嫁入りと。最終的には徳川の中で子孫を残すことに成功もしておりますし、
この豊臣徳川はどちらに転んでもというこの辺りの血縁関係の作り方、
大石は企んでいたということになるんでしょうか。
年表を作ってチェックしていますと、大石の方が徳川だとか娘たちの縁組にはタッチする年齢ではなかったので、その前に死んでますのでね。
タッチしてなかったかなという。後付けでついついロマンチックに付けがちですけれども、そんなことはないかなというのが実感ですね。
すみません、何かあずけない結論で。
いえいえいえ。でも尾田家の信長の流れの血と、阿財の血が流れている娘たちですからね。そういう運命だったのかというところでしょうか。
こういう時に我々が思うのは、冷静に考えるとあくまでも血があるんですけれども、
その歴史というのは人間の想定の外側で非常にロマンチックに流れるんだなということは痛感しますですね。
そうですよね。その中でもまたちょっと柴田勝家の話に戻りたいと思うんですけれども、
かなりういういしい感じがありましたけれども、少し踏み込んで柴田勝家と尾市の慣れ染めとか、
夫婦の秘話なんかあったら教えていただきたいなと思うんですが。
実際これがほとんど残ってないんですよ。当時の噂ですとかって言うと、柴田勝家がずっと尾市の方を思っていたなんていうようなことは噂では残っているんですけれども、
実際には何も残っていない。そして考えられるのは、二人の自生の苦の中にホトトギスという言葉が深く彫り込まれています。
ホトトギスというのはどういうことかというと、死の世界側の使いという意味と、それが企んでいまして、ホトトギスはウグイスが育てると。
ですので柴田勝家も尾市の方も、阿財永政から預かった娘たちを大切に育っているんだよっていう、そういうことは強く意識していたということはあります。
なるほど。この柴田勝家と尾市の部分はすごく私も興味があるところではあるんですけれども、話は3人の娘のお話に移りたいと思います。
12:02
この3人の娘もかなりですね、歴史的に強烈な印象を残しているお嬢様方だと。これだけね、この歴史上の名を残す結果となった。
その原因はやっぱり教育なんかしっかりされてたのかななんて、その辺はどうだったんでしょうか。
これは十分母親の生き方っていうのを見せる機会はあったんだろうと思います。
だいたい10年ぐらい娘と尾市の方だけで過ごすことができたっていうのが10年ほどあったので、その代わり、もちろん読み書きもそうなんですけれども、
例えば尾田信長からどうかに読みに行かんかって言ってそれを突っ込んでるシーンだとか当然あったでしょうから、そういった母親の姿などをしっかり焼き付けていたんだろうなと。
それからそのことがその後世娘たちの強い生き方に影響してるんだろうなということは推測はできますですね。
尾市の存在というのは、この歴史にどれぐらい関わって影響があったのかなっていうことをすごく考えちゃうんですけれども、尾市がいたということでどんな歴史的な影響があったのかなっていうのは、鈴木さんはどんなふうにお考えですか。
まず直接的に一番大きなところというのは大阪の駅ですね。この何十年か後にその大阪の駅、豊臣秀吉の子供を茶々が払って、豊臣秀吉ですね。
この秀吉は小柄な豊臣秀吉と違って非常に体が大きくて威風堂々としてたということは伝わってます。
この秀吉が阿財長政と非常に見た目がそっくりだったんだろうということは想像がつきますので、その姿を見て徳川家康が非常に恐れをなしたという記録は残ってます。
もし尾市の方が阿財長政との間に茶々を産んでいなければ、豊臣秀吉は潰されずに済んだだろうなということはまずは言えますね。
徳川家康が産んでるんですね。ですので徳川将軍の15代のうちで母親の身元がはっきりわかっているのは確かお坊ぐらい。だからその意味でも非常に歴史的に強く後を残している人だということは言えます。
なるほど、そうなんですね。それは知らないことが今たくさんありました。
鈴木さん、秀吉ですけれども、すごく長政の面影を非常に盛り込んだ体の大きな人だった。これを家康がかなり恐れたと。そんな家康が恐れるような長政の武将としての武力というか、そういうのはあったのかというところをお聞きしたいんです。
非常に人間的な魅力があるということがまず第一と、それから非常に武将として優れていたということがあります。この当時、長政というのは政国武将の例に漏れる父親が出来が悪くて追放しているんですね。
15:16
通常追放するとその父親というのはそのまま遠くに預けられてしまうんですけれども、長政の場合は自分のすぐそばへのところで、同じ大見の国の魅惑の中に地区島というのがあるんですけれども、そこに預けていたと。
そしてある程度自分の生活基盤が固まったところで父親をまた呼び寄せているんですね。親子の場に非常に熱いということは言えます。それから武力に関して言うと非常に強いです。隣の美奈野斉藤達沖の1万の兵を500ぐらいでかき回したという記録が残っています。
それから織田信長が上落している時に二条城が攻められたので、改めて二条城を作ろうじゃないかという時に、阿財長政を手伝いに行ったことがあるんですけれども、その時に阿財長政の家臣たちと織田信長の家臣たちが下の者同士で喧嘩したことがあるんですよ。
その時に阿財長政の家臣たちが織田信長の家臣をボコボコに殴り倒して行ったということが記録から残っていますね。
そうだったんですね。
この歴史の話の中で数々語り継がれている女性たち、例えば茶々とも関連の深い秀吉の奥さん、ねねだったりとか、明智光秀の娘、小柄社だったりとか、あと信長の奥さんですね、貴長ですね。私貴長を好きです。
あと前田利家の奥様、松などですね、戦国武将の女性っていうのは本当に、今私たちの現代から見ても学ぶことが多いなと思う素晴らしい素敵な女性がたくさんいるんですけれども、こうした戦国の女性の中で、
尾市は特別何か他の女性と違った部分、特筆するべき部分というのはどんなところなんでしょうか。
そうですね、一番大きなところはですね、歴史というのは男性によって書き残されるので、どうしても女性が書かれるので、男性の願望によって描かれることって結構あるんですよ。
ですので、そこら辺を歴史の業界から読んでいくと、尾市の方が特に違うところというのは、尾市の方の行動に自分の意思が強く感じられることですね。
だから、嫁に行きたくないところは行かないっていう、はっきりさせるところが伺われるので、尾市の方というのは常に自分の意思で行動し、そして自分はどういうふうに行動したらいいかということを意識し、女として生き妻として生き、最終的に自分は子供も成長したことなので、私は女として美しく生きるんだっていう、そういうところを前面にしだした。
18:23
常に自分の意思を最優先するタイプの、そういう素敵な女性でしたね。
なるほど、そうですよね。
誰々の妻、もちろん尾市も長政の妻ではあるけれども、夫を亡くして一人、自分の意思で何かを決めて生きていくという部分においては、尾市はそういう人生だったと思います。
秀吉はですね、結局茶々を即質として迎えるわけですけれども、これっておそらく尾田の流れが欲しいというようなところもあってのことなのかなというふうに思うんですが、この時ですね、尾市の方っていう茶々ではなくて尾市の方っていう選択もあったんじゃないかなって私常々思ってるんですが、どうだったんでしょうか。
そうですね、嫁にもらおうとしたところで、さあもらおうかなといったところで尾市の方だったら、嫁に行った先で生徒で自害されかねないので、それやったらもう面目丸潰れですからね。
信長でさ、恐れて手を出さなかったっていうところはやっぱり多かったんじゃないでしょうかね。
茶々の場合ですと、茶々を引き取ってもすぐには嫁にもらってないんですよ。何年かかけて丁寧に育っててますので、やはり自分になびくのをずっと待ってるっていう、そこらへんが秀吉がなかなかずるいというか賢いというか、そういうところですね。
秀吉の性質、ねえねえと、もしも側室に尾市だったらなんていうことを考えたりとかしてしまっていたんですけども、そういうことだったんですね。
秀吉は一度細川ガラシャをくどこうとしたことがあるんですが、その時に細川ガラシャがよろしくお願いしますって三つ指をついた瞬間に、わざとらしく担当を秀吉の前にポロッと置こうとしたことがあるんですね。
やりますね、ガラシャ。
それを見て秀吉が震え上がってしまったので、震え上がってそれ以降細川ガラシャはくどかなかったということがありますので、意外と秀吉さんは女に関してはチキンです。
ああ、繊細だったんですね。
気がちっちゃいんですな。
なんかね、傍若無人にみたいな感じのイメージもありますけどね。
女、くどくんだったらもっと腹に決めて書かれと僕は思うんですけども、なびいてくれないと僕は嫌だというふうだったんですね。なんか意外な気がしますけどね。
21:02
そう考えると、ねねが性質で秀吉の土台にいたみたいな感じで考えると正当なのかなと思いますね。
いやもう本当に素晴らしいね、今回お一の方、戦国一の美女を楽しませていただきました。
最後にですね、鈴木さんの方から最近のご活動やリスナーに向けて一言お願いできますでしょうか。
新刊は今出てるんですけども、それもそうなんですけども、お一の方がですね、長いこと絶版だったんですけど電子書籍で手に入るようになりました。
講談社から出てますので、お一の方、鈴木千代で検索をかけていただくと、Kindleですとかその他電子書籍の書店でどこでも手に入るようになりましたので。
やはり鈴木さんの中でお一の方というのは、戦国の大鳥なんでしょうか。
実を言うとね、これ最初に書き始めたのっていうのは別に大した思い入れもなく、実は女性を主人公にするとウケるだろうなと。
話がうまく出来上がったのと、自分で言うのもなんですけど非常に女性向けのいい作品に出来上がったものですから、結構気に入ってると言いますかね。
そこから一つのターニングポイントになったなっていう、20年くらい前に書いた作品なんですけどね、そういう思いではありますですね。
なるほど、ありがとうございます。ぜひ皆様手に取っていただければと思います。鈴木さん今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
それではボイスドラマで学ぶ日本の歴史、次回シーズン3も配信準備しておりますのでお楽しみに。
23:05

コメント

スクロール