1. ひとり声日記
  2. #114 なんとなく続いている
2025-06-14 08:49

#114 なんとなく続いている

サマリー

このエピソードでは、朝のルーチンとして食事や言語学習、家庭菜園の様子が紹介されています。また、革製品の手入れを通じて、彼らの生活スタイルや価値観について考察しています。

朝のルーチン
10時8分、今日の声日記です。 今日は、6時過ぎに目を覚ました。
その後、朝食を作って食べました。 今朝は、白いご飯と納豆と味噌汁です。
その後、洗濯をして、 語学アプリを
3つしました。一つが、DUOLINGOと、もう一つが、ダーダーダーダーと、 あともう一つ新しいのを始めました。
それぞれやっている言語はバラバラで、DUOLINGOは、
チェスとロシア語をずっとやっています。 ロシア語は、これは始めたきっかけは、
とあるアニメを見て、
日本人だけどロシア語、綺麗にこんなに発音できているのすごいなぁというのに感銘を受けて、 ロシア語のことは全くわからないのですが、
そういう、もともとが、
日本語を喋っている人が、こんなに綺麗な音を出るような言語って、 どんなのだろうなぁというところで興味を持って、
ロシア語の隅っこに今触れているような感じです。 あとはダーダーダーダーは、
台湾華語でやってます。
あともう一つの新しいアプリは、これは英語です。 英語が身につけたらいいなぁというよりは、
ほんと日頃喋らないので筋肉を動かそうという、そういう感じの筋トレに近い感じでやっています。
そしてこういう会話タイプのアプリをやって思うのが、 言語が何語だろうと、
喋る話題はすぐになくなるし、どう思う感じがどの言語でもあって、 私は日本語でも
割とすぐ、言葉が詰まるのですが、
英語で喋っても、I、アイーみたいに、 一つ何かの単語というか、最初の音だけ
行ってしまうとか詰まるというのが、
ちょいちょいあります。というのが、 目に見えるのが、語学アプリの
良いんだか悲しいんだかなぁというところです。 その後は家庭菜園の様子を見に行ったりしていました。
革製品と生活スタイル
家庭菜園は、今はジャガイモが花を付けて咲き出しまして、
あとはミニトマトも植えてたのが、 これまた花が咲いてきてます。
あとニンジンは伸びてきて、 青じそは相変わらず、色といい、背丈といい、大丈夫かなぁという感じなんですけども、
よく見ると、あの花のつぼみらしきものがちょっとついてきてて、 少しずつ成長はしています。それから、
何の気なしに、おそらく玉ねぎだと思うんですけど、 玉ねぎの芽を植えたら、
それが意外と伸びてきてて、 これからどうなるかなぁというのがちょっと気になっています。
今はまだ見た目といい背丈といい、その辺に生えている草とあまり変わりなくて、 気を抜くと一緒に雑草だと思って抜いちゃいそうなぐらいの大きさなんですが、
多分、ちょっとあの葉の形とか色が周りの生えているの雑草と違うから、玉ねぎが伸びてきたのかなぁということで見守っています。
それで家庭菜園というか、そういう草木に触れていると、 ここは余分だから引っこ抜こうとか、
これは成長するかなと思ったら、ああ意外と枯れてしまったとか、 これはもう伸びないんじゃないかなと思ったのが意外とこう生き延びて、
あの丈夫になってきたりとかを見ていると、 なんか人間もこうだよなぁと思って、
まあ自分は引っこ抜かれる方かなぁとか思うとしょんぼりした気持ちになるんですが、 思わぬ方に成長したり、
意外な方向に育つもんだなぁと思って、 雑念とともに草木を見ています。
意外とその植物に触れている時は雑念が湧いてきて、 あんまり無という感じではないんですが、
まだ外にいて何かやってる分、ちょっと憂鬱に引っ張られにくいとこがあるかなという感じです。
その後は家に入って革製品の手入れをしました。
革製品の手入れをしたというと、 なんかすごくマメそうだなって自分で言って思ったんですが、
基本的にその家庭菜園をやっているのも、 その革の財布の手入れをするのも丁寧にやりたいからとかじゃなくて、
何かすごくやりたくないことがあって、やってきたうちに、 残っていったものがそれだったという感覚が近い気がします。
例えばその財布の手入れも、 今使っている財布が、いつ買ったか忘れたんですけど、
でも使い始めてからもう15年以上は経っていると思うんですが、
財布がたまたま丈夫だったということと、
あとだんだん買い替えるのも、 なんか面倒くさいからいいやというのが続いていたりとか、
革の手入れも、例えば革の靴は前持ってたこともありましたが、
全然手入れも面倒くさいなぁと思ってやらなくなったり、
あとそもそも生活環境と革の靴が合わなくて、 履かなくなってしまって、
もうほったらかしという風になってしまって、 もう自分には革製品はダメだなぁ、こりゃぁと思ってやってました。
でもなんで財布は使い続けているのかなぁと思った時に、
手入れをしなくてもなんとかなってるし、
手入れ自体も財布だからそこまで大がかりでもないし、
適当にやってもなんとかなってるという、 その適当にやってもいいし、
雑にやっても使い続けられているという、 そこがたまたま相性が良くて使い続けているのかなぁ、
手入れもなんとなくできているのかなぁという気がします。
こまめさはなくて、自分にとって楽な方法で、 自分にとって簡単な方法で続けられるものって、
何かなぁとやっていっている末に残っていっているものが、 だんだん増えていっている気がします。
この前テレビで見ていた時に、干し野菜とか作っているの、 丁寧な暮らしみたいな、ちょっと揶揄するような感じも、
表現もあったんですけど、 私も多分野菜干すなぁと思ってやったことないですけど、
でもじゃあなんで干すのかって丁寧な暮らしをしたいんじゃなくて、
何か他にもっと面倒くさくてやりたくないことがあるから、 それをやりたくないから、
野菜を干すという選択肢を取るんじゃないかなという風に思います。
だからこの干すとかそういう行為が、 自分にとって面倒くさいことを上回ったらやらないだろうし、
干しているからって誰でも丁寧なわけではないというのは、 問題だよなぁというのを思いながらテレビを見ていました。
今日の声日記はここまでです。
08:49

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