新米と食事の楽しみ
17時13分、きょうの声日記です。また間が空きました。
きょうの朝食は、何を食べたっけなーと、また記憶をたどっています。
きょうは、玄米の入った白いご飯と納豆と味噌汁を飲みました。
新米が手に入るようになって、玄米を白米に混ぜて食べるのがちょっとしたブームです。
きょうは大体、白米と玄米1対1か、玄米の方を若干少なくするぐらいが好きです。
もちもちとした感じと、玄米のプチプチとした感じが、一緒に食べられるのがいい感じです。
きょうは、その後、洗濯物がたまっていたので、洗濯を何回かしました。
それから、きょうはずっと本を読んでいました。
同じ本をひたすら読み返してました。
本当、今こうやって本を出すとアホだなと思いますが、本当に同じ本を何回も何回も読んでいました。
きっかけは、昔、学生であった頃に読んでいたものをたまたま読み返す機会がありまして、
それを読み返したらすっかりまたはまってしまって、それをひたすら読むのをここ数日やっています。
きょうもまさにそれをしていました。
他にやることあるのに何をしてんだろうという罪悪感。
一方で、この作品のこういうとこが面白いんだよなという、両方の気持ちがぶつかりながら読みました。
そして、昔は紙で読んでいましたが、今はタブレットやスマホを使って電子書籍で読んでいます。
そんな時代の変わりを感じつつ、肩も痛いし目も痛いのも、ちょっと昔と違う。
何なら手首とか膝も、膝じゃなかった肘も痛いと思いながらでも読むのがやめられないというのをずっと繰り返していて、
ほんと何やってんだろうという気持ちになります。
そんな気持ちになりながらも、読ませるのは、この作品を恐るべしというところです。
人前で喋る練習
この頃は、家の前で行われている公共工事が、毎回目処が立って落ち着きつつあります。
とは言っても、隣の家あたりで今度やってるんですけれども、車も出せないとか、そういう状況をちょっと出したので、ほっとしています。
なんで今日また、こうやって声日記で喋っているかと言いますと、近日中に人前で喋る機会が訪れることになったからです。
台本があるので、自分で好きなことを喋るわけではないのにも関わらず、これは練習をしないともう喋れないという危機感を抱いています。
というのも、普段本当に人と喋っていないし、人が集まるところに行かないので、緊張と失敗する確率が他の人よりもぐどーんと高いからです。
なんで本当にこのことを引き受けてしまったのかと、勢いというか、何も考えずにやってしまったんだろうという後悔の念がずっとありますが、そればかり言っていても仕方がないので、
本当に崖から飛び降りるような気持ちで、今こうやって喋る練習をしています。喋る練習というか、口を動かす練習をしています。
コミュニケーションだとか、そういう以前の問題で、本当に口の動かし方ってどうやるんだっけとか、発音って何とか、何なら人の名前が漢字とか字としては認識できるけど、言葉で読めないとか、もうそんな感じです。
毎回こうやって人前に出るときに何か練習しないといけないわけですが、これでよう生きてきたなと、呆れる気持ちと、それを加速させるのが、ここ数日読んでいる、学生時代に読んでいた小説でした。
今日の声日記はここまでです。