00:05
私は日経新聞で、私の履歴書というのが連載がありまして、これが毎月それぞれ別の方が、自分の反省を語るというものになるんですけど、
今連載しているのが、赤松涼子さんといって、肩書きは日本ユニセス協会会長ということなんですけど、実際に労働省に入って、
最初、すごく女性だからということで、全然仕事任せてもらえなかったりとか、いろんな経験を今綴られているんですね。
昨日の新聞のところで、ちょうど勤労婦人福祉法というのが、その法律ができた時の話ということで、そこで育児休暇についても努力義務として、
その時に初めて法律に文章として載ったということなんですけど、その後これが男女雇用機会均等法に変わったということなんですね。
私自身は会社に入ったのが1986年。この時って男女雇用機会均等法のちょうど施行された、最初の社会人になったのが私たちの世代、私たちの代だったんですね。
その後、育児休業もきちんと制定されて、私が長男を産んだのが1993年で、その時に育休は制度としてはあったんですけど、
私がいた証券会社の視点の中では、それまで誰も取ったことがなくて、私が初めて取ったということで、最初は嫌がらせをされて、今でいう又払わされたりとか、そういうことがあって、本当に取るの?みたいな感じだったんですけど、
私が取ってからは、その後、同じように育休を取って、そのまま辞める人もいれば復帰する人もいましたけども、取るのが当たり前というふうになっていったんですね。
この赤松さんの、私と比べるのはあれなんですけど、赤松さんも前例がないからって言って、諦めずに新しいことをやっていって、それが本当にこうやって苦労して作ったのが育休だったり、男女雇用機会均等法だったり、
03:03
やっぱりその後に続く人にとっては、道ができたっていうことなんですね。
やっぱり最初に何かをやろうとすると、風当たりがきつかったり、うまくいかなかったりっていうのが多いと思うんですけど、そこでどうせ無理だなって諦めてしまうのと、そこで諦めずに、もうちょっと頑張ろうってしていくのとで、
やっぱりそうやって諦めないことが、その後の誰かの道しるべになったり、力になったりすることもやっぱりあるんだなっていうことを、これを読んで思いました。
ということで、今日も最後まで聞いていただきまして、どうもありがとうございました。