児童福祉の取り出である児童相談所は各区に置かれるようになりましたが、人が足りずに設置できないところや、
設置しても内状は職員17人のうち15人新卒みたいな一般企業じゃありえない構成だったりします。
これじゃ子供の命は守れないんです。
でもなんかは勝手に行けばいいですが、選挙の結果は弱い人であればあるほど命に直結していて、
行きたい人が行けばいいというのとは違うものなのかなと思っています。
私としてはいいことしているアピールでもいいし、かっこつけや偽善でもいいから、福祉にも政治にも興味を持ってほしいです。
的外れな興味でもいいです。
子供が虐待で亡くなった後に話題になるのではなく、虐待のこととか話題になるといいなと思っています。
なので誰かが選挙行ってきたよっていう投稿で選挙に行ってくれる人が増えてほしいです。
私の周りはめちゃくちゃ桃山昌司が好きで影響力もあると思うので、
この一言で選挙行ったよと伝えづらくなったら悲しいなと思いお便りを送らせていただきました。
そういうことでした。
この意見を勝手に発言に対してはいくつか他にもいただいているということですね。
これは一つ大前提として、
あの時の佐藤さんの発言って、別に選挙行ったよっていうことを、
例えばSNSに投稿している人のことを非難しているわけじゃなかったんだよね。
そうそう。行きました。行かねえ奴なんなんだということで、
上から目線で行かない奴バカなんじゃないのっていうのがどうなのかなっていうのが、
そのつもりで発言したっていうのがそうなんだけど、
それはそれで一つなんだけど、
こうやって感じている方がいらっしゃるっていうことも一つ、それはそれで真実だと思うので、
それはそれで向き合わなきゃいけないと思うんですよね。
これを受けての佐藤さんの気持ちみたいな、今のところの、聞いてみたいなと思うんですけど、どうですか?
やっぱり政治の話をすると、やっぱりこういう意見を頂戴することもあるんだなっていうのは、
ちょっと他の話題と違ってね。
気軽に話してもいいんじゃないかっていう一方で、やっぱり気軽に話すことで、
いろいろ感じる人がいるっていうのは考えなきゃいけないかなって思うし、
この意見をくれた人に対して立ち向かうというよりかは、
これを受けて自分がどういうスタンスをするかっていうことを、
自分と向き合うっていうことなのかなっていう気はしてますよね。
あとちょっと気になったのは、
投票率が上がるということが、
自分の信じている思想心情が通るようになるっていうことじゃないじゃない?
そうね。
自分が例えば支持する政党が、この投票率が上がったことで、
もしかするとより下がっちゃうかもしれないよね。支持がね。
ああそうだね。政策が合わない人に投票率が上がることによって、
自分がこうしてほしいという政策と合わないものを持っている人が躍進する可能性があるっていうのはあるんでしょうね。
投票率が低いっていうことは、政権に対する支持というふうにも受け取れるわけだよね。
無言のというか。そういうことになるかもしれないよね。
そういうふうには受け取れるから、確かにだから投票率が上がると、
それがひっくり返る可能性っていうのは高まるような気はするんだけど。
これは個人的な考えとしては、一人が自分の責任を持っていくっていうのが基本だと思うから、
これはでもちょっと本当考えは分かれると思うんですけど、
誰々に投票してきたよって話すこともいいと思うけど、
これは本当個人的な話としてはあんまり私の場合は言わないし、
っていうのがあるからこういう発言になったのかもしれない。
選挙に行ったっていうのは誰々に投票してきたっていうことと、
ごめんちょっと俺あんまりSNSに詳しくないから分かんないんだけど、
それセットなんだね。
いやーそこは分かんないな。
でもその選挙に行く自体とこいつを担ごうぜっていうのはちょっとまた別の話だと思うけど、
いずれにしても私のこの属性と体と思想っていうのは出た発言だなっていうことは否定しようがないですね。
それに対してお叱りを受けるっていうのは自分の発言なので、
それはこう引き取らないといけないかなって思いますよね。
あともう一個思ったのは、
佐藤さんだから政治の話したくなかったみたいなことをちょっとLINEのやり取りで言ってたじゃないですか。
そもそも今回のエピソードの収録をする時に私はものすごいネガティブだったんですよ。
反対してたよねむしろ。
割と行政にいたのでそんなに議会とのつながりはなかったんですけど、
ただやっぱり政治に関わった時の人のエネルギーとか発露の仕方っていうのは何となく見てたので、
相当慎重に行かないといろいろあるなって思ってたんですね。
それが結局自分が言っちゃったって話なんで。
単純に自分の行動を批判されたっていうことの批判というか否定されたことに対して反応してるなというふうにも見えたんだけど、
佐藤さんがちょっと嫌だな苦手だなと感じている何かが、
自分自身の投稿からも出てたらどうしようみたいなことをちょっと振り返って思いましたけれど、
そうですね。これに関しては非常に複雑な気持ちがありまして、
一つはね、もちろん自分も文章を書く仕事をしていて、
多少なりとも発信行為ということをしている身としては、
できるだけ自分が選挙行ってください、投票率上げるとか、
もっと言えば自分は予党的なものとは逆の予党的な人を応援することが多いので、
できるだけ数字が結果につながってほしいなということで、
役立てたらみたいな気持ちで発信はしているんですけれど、
ただ、大体ね、この間の選挙、衆議院選挙は別でしたけど、
ちょっと盛り返したって感じだったけど、大体いつも自分が応援している候補は負けてしまうことが多い。
そしてそれが悲しい気持ち、絶望的な気持ちになってどんよりするってことは結構選挙の後に多いんですけど、
その気持ちを因数分解していくと、その選挙に対する絶望を顔も知らない大衆、一般大衆みたいな人のせいにしたくなる気持ちっていうのが正直ちょっとあったりして、
例えば選挙いかないやつなんなのとか、そんなんじゃもう予党の思うツボだぞみたいな、
そういう絶望した気持ちを大衆のせいにしたくなる気持ちっていうのはあって、
もしかしたら佐藤さんが言っていたのは結構その選挙行きましょうとか言ってないやつなんなのっていう書き込みに対する嫌な感じっていうのは、
あそこになんか上から目線というか啓蒙した感じとか、言ってない人をバカにするような気持ちが滲んでるんじゃないかということで、
多分苦手だって言っていたんじゃないかなと解釈しているんですけれど、そういう気持ちが滲ませたくなる気持ちっていうのも自分の中にもちょっとあったりして、
まあそのように書いたりは今のところしてないけど、まあ選挙になんで行かないんだ、行こうよ、行かないとやばいよみたいなことを書いちゃうときには、
なんかその絶望を大衆のせいにしたくなるマインドみたいなのも滲んじゃってるのかなっていう、なんかそんな風に感じるところもある。
一方で自分自身が20代の頃とか、全く選挙に行ってなかったし、何なら他人事というか距離の遠いものだと思っていたので、
私はあんまりイベントには積極的に出るモチベーションはないし、
メディアに露出するモチベーションはないんだけど、
その代わり発言に対してあんまり責任を持ちたくないなっていう感じではいたわけですよ。
でもそうもいかねえなっていうのは今日のあれを聞いてね。
それはそうだよね。だって世界に発信してるんだから。
それはそうだね。
ただの井戸端会議だったらファミレスやってくださいって話だって。
発信するってことは自己顕著欲があるかどうかに関わらず発信してるんだから、
責任かどうか分かんないけど言われるよねっていうのは分かっておかないといけないよね。
だからこそ今日の佐藤さんの回答は、
俺はすごく誠実だなというふうに思ったし、
めちゃくちゃいいなというふうに思いながら聞いてましたけどね。
きついですよ。ダサいしね。こうやって弁解弁明してるのって。
弁解弁明でもないなとは思ったけどね。
分かんないけど。
だって自分の思想はブレてないじゃん。
ただ変化したこともあって、やっぱりこの言葉の使い方とか、
ちょっと透けて弁明したなっていうのは今回ご指摘を受けて気づかされたことだし、
ちょっとそこは考え直したほうがいい部分もあると思うけど、
ただ基本的に自分の中で完結させるっていうところはあんまり変わってないので。
確かにでも発信するっていうことはね、そういうことだよね。
伴うよね。それは少し気軽にやりすぎてたなって思います。
ただちょっとこれは全部の改装をしなきゃいけないのかっていうことでもないような気がするんだけど、
特に今回政治の話だったので、
そういうセンシティブな話題の時には少し慎重なほうがいいのかなという風に。
一応ただ自分的には政治って何なの?みたいなのが分からなすぎて、
政治の話は難しいとか政治の話は慎重にって言うけど、
これ何なんだろうっていう風に思っていて、
政治っていうものの定義がはっきりしていないというか、
自分の中でね。
一番フラットに書いてそうな、
これはフラットかどうかっていうのはまだいろんな意見があるけれども、
これはですね、高校の政治経済の教科書をちょっと持ってきまして、
東京書籍から出ている教科書ですね。
政治と国家っていうところがあって、項目があって、
社会は多数の人々によって構成される。
人々の考えや意見は様々であり、その利害関係も多様であるし、
どのような価値を重視するかについても争いが起こり得る。
人々が自らの意見や利益を主張しながら、
しかも共存し、安全で豊かな生活を送っていくためには、
社会全体に関わる事柄について決定を行う必要がある。