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2025-04-12 14:43

その849、あっこさんユーカリさんみんな聞いてよみたいな

#自分の無益は誰かの有益 #無益 #有益 #自分のため #人のため #全て必要 #大事なこと #毎日配信 #関西弁
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サマリー

スタイフでの配信を通じて、自分自身と向き合う過程について語り、共感やコミュニケーションの重要性を考察しています。特に、夫婦の会話を公開する際の葛藤や、他人への配慮と自己表現のバランスについて触れています。アッコさんとユーカリさんは、サービスが有益かどうかについて迷いを語り、自己表現の重要性を強調しています。また、誰かにとって無益と思えることが、別の誰かにとっては有益であるというメッセージが伝わっています。

スタイフの活用と自己表現
2025年4月12日土曜日毎度おきにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
4月絶好調タートルでございます。よろしくお願いします。
あのー、スタイフ聞いててね、すごい思ったことあるんですよ。
すごい共感したし、結局みんな一緒なんやなーっていうこと。
これ聞いた皆さんも、あーそうそうって思うことあると思うんですよ。
ちょっと聞いてみてもらっていいですかね。
あのー、僕ちょっと前からね、やっぱスタイフも人生も3歩進んで2歩下がるやなーと思って。
なんか分かったつもりでいるけど、同じことって繰り返すよなーっていうね。
失敗とまでは言わへんけど、気持ちの部分で揺れ動くことって結構あるなーと思ってて。
で、これ思ったんがね。
昨日MSDやって、その前の日の放送で僕は妻と喋ったよっていう話を喋ってるんですよ。
妻と話をして、こういう話をしましたとかね。
妻と喋ってるのが心地いいとかね、そういう話をしたんですよ。
それを出すときに、一応収録して出すときに、いやこれ出そっかなー、出さんとこっかなーって迷ったんですよ。
なんかちょっといつもと毛色。
僕のチャンネルは様々いろんなトピックがありますけど、
なんかこのちょっとすごいプライベートな部分。
妻とのやりとりみたいなのを出すべきかな、出さんべきかなーみたいな。
しかし別ののを取り直してなんか出そうかなーって考えたんですけど、結局出したんですよ。
出したら出したで、それに対してのコメントをいただいたんですよね。
パンさんとマミーさんいただきましてね。本当に嬉しかった。ありがとうございます。
なんかその出すか出さへんか迷ったけど、それの放送に聞いて、ちゃんと何か感じ取ってコメントするまでに至る行動を取ってくれはったんですよね。
他の人の放送を聞いてて、うんうん言うことやなーとか、納得することとか共感することってあっても、うんうんって聞き流すときと、
わざわざコメントするときってあれじゃないですか。
それ多分聞いた熱量の違いやと思うんですよね。なんかコメントしたくなるな、これはっていう。
あるいは関係性があってね、仲いいからいつでもコメントするっていうこともあるかもしれへんけど、
なんかその人をコメントさせるっていうところまで動かすことができたんやなっていう、ちょっと偉そうな聞こえ方するかもしれないけど、
まあそう偉そうに思ってるんじゃなくて、そういうふうに響いたんやなって思ったんですよ。
で僕が出すか出さへんか迷ってたけど、出したことによってその結果になったっていうこと。
これ出さへんかったらその結果を得られなかったですよね。
で、じゃあなんで出さへん、出さんとこかな、出そうかなって迷ったんかっていうことなんですよ。
僕がね。
皆さんはっていう話は後でしますから、まず僕の話聞いてくださいね。
僕がじゃあ夫婦の話をして、それをこれ出そうかな出さんとこかなって思ったときに、
じゃあなんで出さへん理由があるんかな、なんで出す理由があるんかなって考えたときに、
夫婦のコミュニケーション
まあ出すってことはきっと自分のアウトプットでいつも通り吐き出したいっていうね、
こういうことを喋ったっていうのを記録に残すことと、
自分の口からもう一回話すことでもう一回自分に定着させるっていうそのアウトプットの部分ですよね。
だからそういう意味では吐き出したから放送に載せんでもいいじゃないっていう気持ちもちょっとありながら、
でももしかしたらそんなことも聞いてくれる人の何か役に立つかなっていうところもあったりとかして、
出さへん理由って何かな、夫婦の話を放送する出さへん理由って何かなと思ったら、
こんなん聞いて何か役に立つことあんのかなとかね、
あるいはなんか夫婦が仲良い、なんかのろけみたいなこと喋られましても叶いませんわっていう、
もしかしたらちょっと嫌なふうに捉えられるかもしれんなって思ったりとか、
あるいは何にも感じなかったとしてもちょっと時間を、人の時間を取ってしまったなとか、
なんかそういうふうに感じたんですよ。分析をしたんですよ。
出さへん理由を考えたときに。
そして何も得られない、人からのフィードバックみたいなものに何も得られないっていうことにもなるなと思って。
で、そんなその出した方がいい理由、出さへん方がいい理由、自分の中であっちもこっちもあるけど、
もうそんなん考えんと、とりあえず出したらその結果は返ってくるやんと思って。
反応なかったら反応ないやし、反応あったら反応あるやし。
まあ当然のことなんですけど。
そういうのをやったらいいかなと。
で、究極ね、人の反応を気にしたくないんやったら出したっきり見えへんかったらいいやんかって。
アナリティクスやったり、コメントを無視するとかいうのは嫌ですけど、
もうなんかね、スタイフって投稿ボタン押してナンパーナンパーナンパーってなって、
ナミみたいなのがだんだん上に上がっていって公開されましたってなったら、
もう自分の手元から離れたコンテンツじゃないですか。
まあ自分のもんですけど。
一回口から吐き出して、今この誰も言えへん空間に響いただけじゃなくて、
もうそこからは皆さんの耳元に届くコンテンツになってるわけじゃないですか。
もうそうなったら野に放たれた犬と同じじゃないですか。
配信の葛藤と共感
ちがうな。ちょっとちがうな。
もう公衆に晒される僕の思想じゃないですか。
そうなったらもう自分の手に負えへん。ある意味ね。
まあそりゃ消したら終わりとかそんなんじゃない。
そうなんですけど結局は。消したら聞かせられへんのですけど。
公開して後ほったらかししたら、感じる人は感じるし、感じひん人は感じひんし、
無視する人は無視するしで、後のこと考えへんかったらいいんやなって。
結局人のことをやっぱり考えてしまってるっていうね。
そういうことじゃないですか。他人軸ですよ。
人の時間を奪うかなとか、人がどう感じるかなとか、
人にこういう思いをさせるんじゃないかなって。
人のことをすごく考えてしまってるんですよね。
これは全然悪いことじゃなくて、僕は相手のためになることを考えることは好きですし、
人を喜ばしたりすることも好きですから、相手のことを考えるっていうのも大事なんですけど、
時にね、怒り得ない不安みたいなものを抱えても仕方ないわけですよ。
それはもう結果でしかないし、取り越し苦労みたいなこともあるから。
っていうことを自分で感じた一昨日の放送があって、
ここから皆さんにも共通する話だと思います。
喋ることがないとか、今日撮る内容がないなとか、
あるいはさっきの僕みたいに、撮ったけどこれ出そうかな、出さんとこかなとか、
いうことってきっと皆さんあると思うんですよ。
でもそれを乗り越えて、自分はもう出すと心に決めてる。
ありのままの自分なんだから。って出せる時があるけれど、
その数回後、数ヶ月後にはまた同じことで悩んじゃったりしてません?
出していいかなこれ。前の時決意したよね。
そういうことを僕は繰り返してるし、皆さんも繰り返してるんやと思うんですよ。
それが、ちょっと固有名詞出しますけど、
アッコさん、音声配信コンサルタントのアッコさんっていう方もね、
音声配信コンサルタントっていうサービスをスタイフで展開してるわけですよ。
そういうサービス的なことをメインにしてる人が、
実は雑談もしたいんだよねっていう配信をしてるんですよ。
僕からしたら、雑談聞きたいなっていう。
もちろんサービスを受けたいなっていう人もいれば、
雑談を聞きたいなっていう人もいるし、
また雑談がイントロダクションとなって、
サービスに移行されることもあるじゃないですか。
って思います。
だから、聞き手からしたら雑談は必要なもんやと思ってるし、
喋り手も喋りたいと思ってるんだったら、
それは出した方がいいと思うし、
それがサービスの邪魔になってるなんて全く僕は思わないんですよね。
例えばすごく、書面で例えると、
入試案内みたいなガッチリした文章がバッって書いてあるところに、
雑談が挟まってたら、
いやこれなんやろって思いますけど、
ちょっとありえないことですけど、
自己表現の重要性
それはそれでどういうことって気を引くかもしれないですけど、
そういうサービスだからとかカチッと決められるよりかは、
その人間性に惹かれてサービスに誘われるってこともあるから、
全然僕はいいと思うし、やってほしいなと思うし、
きっと彼女もそういうことは一度や二度決意してるはずなんですよ。
うん、自分のありのままでいいんだ。
やりたいふうにやったらいいんだ。
決意してるはずなんですけど、
またここに来て雑談もしたいけど、
してもいいかなどうかなって迷ってらっしゃると思うんですよね。
あともう一人同じようなことで、
このユーカリさんっていうストレングスファインダーの認定コーチの方なんですけど、
この方もね、有益とか無益の放送ってなんだろうっていう迷いを生じてはるんですよね。
このユーカリさんもストレングスファインダーを用いたコーチングで、
ものすごい人の支持を得てはるわけですよね。
人のためになってるし、ユーカリさんの言葉でこういうふうに思いを持てましたとかね、
人のためにむちゃくちゃなってるし、成功体験いっぱいしてはるのに、
でもここに来て有益が何で無益が何かわからなくなりましたみたいな。
結局また迷ってるやんって。
ユーカリさんも絶対わかってらっしゃるんですよ。
自分の功績、人からの信頼度、必要度合いっていうのをわかってらっしゃるけど、
自分の中では結局迷いが生じてしまうんですよ。
だから僕は力強くこのお二人に対して放送のコメント欄で、
その二人、もっともっといいんだと。そんな迷わなくていいんだと。
ちょっと内容を忘れましたけど、自分のやりたいようにやっていいんだと。
僕との違いっていうのは、お二人ともはサービスなんですよね。
僕はただの雑談を出すか出さないか迷ってるだけなんですけど、
このアッコさん、ユーカリさんという方はサービスを展開してらっしゃって、
そちらをメインとして置いてるのであれば、
私の雑談なんてちょっと外れた、いらないもんなんじゃないかなっていう風な思いやと思うんですよね。
だからこそ迷われてる、お仕事とプライベートの境目みたいになってはるんじゃないかなと思うんですけど、
でもね、スタイフにおいてはそういうのは絶対必要やと思うんで、
僕は全然やったらいいし、やらなかった方がいいし、何ならやるべきやと思います。
そう、こういうことを僕は言いました。
発信の役割
出さへんコンテンツはただただもったいない。
自分が出してほしいんだ、例えば今回僕の夫婦の話を出さなかったら、
聞いた人がコメントすることもなかったわけですよ。
コメントすることもなかったどころか、その人がそういうことを感じることすらなかったんですよ。
だから投げておいたら誰かが何か感じるから、自分が無益とか思わなくても、
思ったことを喋ったら誰かが何かを感じるから、出さないだけもったいないって。
出した方がいいね。だから迷うことなく出したらいいじゃんっていうことをコメントで書いたんですけど、
それがちょっと巡り巡って自分にも言えてるなって。
むしろこのお二人に言ってるんじゃなくて、これ自分に対して言ってることなんちゃうかなと思ったから、
もう一回言葉にしてこれ喋っておきたいなと思ったんで、今こうやって喋ってます。
だから皆さん、あなた方一人一人思われたことあると思うんですよ、絶対皆さん。
これを出すべきか出さないべきか、こんなことを喋って誰の何の役に立つんだって思われたことは一度はあると思いますし、
出すたびに思われてるかもしれません。でもきっとそれは誰かの何かになってます。
自分の無益は誰かの有益です。絶対これ。最初からこれ言い続けてます。スタイフはじめて。
リサイクルショップなんて最たるもんでしょう。イメージしやすいのはね。
自分が不要になったものは誰かが買って必要で使うもんなんですよ。
それは分かりやすく物理的に言ったらそうだけど、この思想とか自分の考え、思い、経験っていうものは絶対誰かのためになってるんですよ。
これも子育てに例えると、もう例えば小学生とか中学生のお子さんがいらっしゃるお宅で、赤ちゃんのおむつ替えの本ってもういらなくないですか。
初めてのお風呂みたいな赤ちゃんの扱い方の本とか思想、考えってもういらなくないですか。
自分の中で無くしてしまってもいいじゃないですか。でも今リアルにそれに悩んではったり、その話を求めてはる人って絶対いるんですよね。
自分が過ぎたフェーズでも今そこで立ち止まってはる人たちもいるんで、だから誰の何に刺さるか分からへんから、絶対自分の発信は誰かの役に立ってるから、
喋った方がいい。出さへんだけそう。っていうことを思っているので、自分は毎日意味があるかないかそんなことは考えずにただただ自分の喋りたいように喋らせてもらってるっていうこのタートルのチャンネルでございました。
わかっていただけましたでしょうか。ちょっと長くなりました。14分。もし最後まで聞いていただいてましたら、感想なんか教えていただいたら嬉しいです。よろしくお願いします。
ではまた明日お話しさせていただきます。ありがとうございました。お気に入りでございます。失礼いたします。
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