1. 高橋ツカサ/中間管理職の為のラジオ
  2. 諦める事、は「出来ない事」を..
2025-03-17 07:36

諦める事、は「出来ない事」を明らかにする事。そしてそれを言語化する事。


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6180a65c3db982af522db745
00:06
はい、皆さんこんばんは。
2025年3月16日、日曜日、ツカサです。
この放送は、ベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、
そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
皆さんこんばんは。
今日は大変遅くなりまして、申し訳ございません。
現在、2時45分。
放送しそびれてしまって、深夜に放送しております。
とりあえず、日曜日の26時46分ということで、ご容赦いただきたいなと思っております。
今日はね、週日私、家にいまして、いろいろと、すいません、家のことをしてたんですけども、
今日シェアしたい話っていうのはね、ありまして、
それは、急なトラブルにあなたはどう対応しますかっていう話なんですよね。
これね、私の身に起こったことなんですけど、トラブルはつきものなんですよね。
ただね、今日はね、たまたまというか、親戚に不幸がありまして、
今度の20日、祝日ですけども、この日にね、葬儀に行ってこなきゃいけないんですよね。
その葬儀に、100キロ離れた義理の母親が参列したいと。
ただ、足も不自由だし、車の運転もできないので、迎えに来て送り迎えしてくれということなんですね。
これはね、それを妻に、義理の母親が言うんですけども、
妻からしてみると、100キロ迎えに行って、また100キロ戻ってきて、葬儀に出て、
また100キロ行って、送り届けて、また100キロ戻ってきて、
その後ね、懇親会があるらしいので、そこに参加するということで、
03:02
合計ですね、400キロ以上ドライブしないといけないということで、
ほぼ1日、車の中っていうことがあるんですよね。
それを、負担ですよね、かなりね。
でも、どうしようもないですよね。
かなり、義理の母親も妻もですね、ちょっと感情的になってきていたというような話なんですね。
それに対しての私の考え方というか、思っていたことなんですけど、
それはね、何かと言いますと、
自分の力ではどうにもならないような環境変化というものはあるわけですよね。
これ、数学で言えば変数であって、自分ではどうにもならない。
こういうことが起きたときに、どう対処するのかというのがとても大事だと思うんですよね。
人が亡くなるとか、両親が車が運転できなくなるとか、
これはしょうがないという領域なんですよね。
なので、その中でどうするのかという話で、自分の意思決定が及ぶところというのは限られているんですよね。
その中でベストを尽くすしかないと言ってしまうと、今回のパターンでいくと400キロ走るしかないんですよね。
ただ、それは自分がやるのか他人がやるのかというところになると思うんですよね。
例えばだけど、全部自分が運転するのか、それとも私も行って半分半分ドライブするのか、
それとも他の手段があるのかないのかという話になるんですけども、
いずれにせよ、できることとできないことは分かっていて、できないことを嘆いてもしょうがないし、
06:01
すごくストレスにしかならないんですよね、自分に対しても周りに対しても。
だから、諦めるということもとても大事なんじゃないのかなと思っています。
諦めるというのは仏教用語で明らかにするという意味なんですよね。
だから、できることとできないことを明らかにして、できないことはやれないから、
できることをどの程度選択肢を持って望むのかということだと思うんですよね。
それが現実的な問題の解決の方法になるんじゃないのかなと思っています。
できないことに対してストレスを感じているとき、できないことをできないと説明する言語家から僕は逃げていると思うんですよね。
できないことはできない。なぜならばというところを明らかにしていく。
その言語家から逃げないということが僕は諦めるということの本質なんじゃないのかなと思っています。
ということで、今日の放送は以上です。この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいなと思っています。
それではまた皆さん。さようなら。バイバイ。
07:36

コメント

スクロール