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ピトパ オリジナル 認知症母介護殺人事件
第1話 4時のニュースです。
土砂崩れの現場から一部が白骨化した遺体が見つかりました。 警察などによりますと、午後2時半頃に県内の林道で土砂崩れが起きているのを見つけた
市の職員から、土砂の中に人骨のようなものが見えると通報があり、 現場から一部が白骨化した一人の遺体が見つかりました。
現場は昨晩から非常に強い雨が降っており、市の職員が見回りを強化していたということです。 遺体の性別は不明ですが、衣類などから高齢の女性のものではないかと…
あの… すいません。
その店は、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。 決して広いとは言えないスペースに様々なものが置かれている。
机の上には読み古された雑誌類が重ねられ、 その脇のガラスケースには大小様々な化粧品のボトルが並べられている。
壁の棚には綺麗に畳まれたタオル。 その前に置かれた小さなワゴンには、
随分と年季の入ったシェービング道具が、次の客が来るのを待っているかのように丁寧に並べられていた。
私はそれらをぼんやりと眺めながら、もう一度店の奥にかかったのれんに目をやった。
すいません。
どなたか…
しかし、その声は弱々しく店内を漂ってから、 ビニール製の床に吸い込まれていった。
私はふと壁沿いに目をやった。 そこには、まるでタイムスリップしてきたかのような古めかしいファッションに身を包んだ男女が、
太陽のような笑顔をしてこちらを見つめている。 このポスターが作られた頃、これが最先端のヘアスタイルだったのだろう。
同じように店内の至るところに、 時代作後も、はなはだしい髪型をした男性の顔写真が何枚も飾られていた。
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私は彼らから見られているような気がして、思わず目をそらした。 そして、
目の前の椅子に腰を下ろした。
焦げ茶色した革製の椅子。 いや、きっと革に似せたビニール製だろう。
しかし、大きな肘掛けと立派な背もたれがついた重厚な椅子は、 狭い店内で一段と幅を利かせていた。
私はその椅子に深く腰掛けると、静かに目を閉じて、 もう一度大きく息を吐いた。
それはまるで、長い旅路の末にたどり着いた安息の地にいるかのごとく、 いや、どこかでそう思いたかったのかもしれない。
しかし、しばらくしてゆっくりと目を開けた目線の先にいる貧粗な男には、 何かを成し遂げたような風格は未尽もなかった。
他の者と同様に古ぼけた鏡が疲れ切った私の顔を映し出していた。
やや重長で鼻筋が通っており、 これでも若い頃はいくらかモテた時期もあったのだ。
しかし今はどうだ。 頬はやつれ、
額には多くのシワが刻み込まれている。 白髪の目立つ髪の毛は耳が隠れるほどに伸び、
もう何ヶ月も手入れなどしていなかった。 私は鏡に映った自分の姿を見つめながら、
まるで別人を見ているかのように無表情だった。
「あの…」 不意に背後で声がした。
私は振り向く前に鏡越しに声の主を探した。 椅子から少し離れた位置にいるためか、
鏡の隅からわずかに覗く顔が見えた。 慌てて声を出そうとしたが、私はただぼんやりと口を開けているだけで、
すぐ音にはならなかった。
「もう閉めたところなんです。すいません。」 そう女が言い終えたところで、私はようやく我に帰った。
まるで長い間魔法にかかっていたおとぎ話の主人公のように、 全身の体温が戻ってきたような感覚だった。
私は椅子から腰を上げ、振り向いた。
「あ、いやすいません。こちらこそ。その、勝手に…」
すいません。勘違いさせてしまって。 「勘違い?」
外の… サインポールが回っていたから。
彼女の目線の先には、赤青白の円柱形の看板が窓越しにくるくると回っていた。
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「あ、いや…」 すいません。紛らわしくて。
そう言いながら彼女は入口の扉を開けると、 すぐ脇のスイッチを押して戻ってきた。
「せっかく来ていただいたんですが、 申し訳ありません。」
見ず知らずの私に向かって、ふかぶかと頭を下げた彼女の髪には、 数本の白髪が混じっていた。
肩よりも下まで伸ばした髪を後ろで一つに縛っていたが、 艶のあるその髪の毛はきちんと手入れがされているようだった。
彼女が顔を上げた次の瞬間、 私は鼻の奥で懐かしさを感じた。
それは何とも言えない香りだった。 バニラのようでもあるが、そこまでの甘さはなく、 油のようなベタつきのある感じでもない。
どこか古臭くもあり、しかし私にとって、 そこはかとなく懐かしい匂いだった。
「何か…。」
「ああ、いえ、すいません。 勝手にお邪魔してしまって、
今日はもう締められていたんですね。 すいません、また出直してきます。」
そう言って背を向けようとした私に、 かぶせるように彼女が口を開いた。
「もう、やっていないんです。」
「やっていない…?」 私は立ち止まり、思わず聞き返した。
「実はもう、 しばらく営業していないもので。」
彼女は申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
普段ならこれ以上聞くことなどなかっただろう。 見ず知らずの小さな美容室が店を畳もうが、 私には関係のないことだ。
ただ、なぜだか私は目の前で小さくうつむく彼女を置いて、 立ち去る気にはなれなかった。
客ではないんです。
「え?」
実は昔、 私の母がこの近くで美容室をやっていまして、
たまたま近くを通りかかったんですが、その… なんとなく立ち寄らせていただいたというか。
「お母様が?」
ええ。
ああ、でも自分が生まれる前のことなので、 詳しいことはよく知らないのですが、
以前、母が話していたのを、ふと思い出しまして。
なので、今日は髪を切りに来たわけではないんです。 ただなんとなく…
ああ、まあ、もちろん切っていただけたら、 それはそれで嬉しいのですが、
自分でも何を言ってるのかわからなかった。
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ボサボサの髪の毛を無雑さに触りながら、 見ず知らずの彼女に対してペラペラと素情を話してしまっている自分自身に、
正直驚いていた。
でも、もう営業されていないということでしたら、 それでも全然かまわないんです。
ついフラッと、興味本位で覗かせていただいただけなので…
いや、なんだか日明かしみたいな感じになってしまって、 すいません。
この辺りの方ではないんですか?
ああ、はい。 仕事で、出張で来てまして、たまたま車で前を…
そうですか。
彼女の表情からわずかながら安堵の様子が見てとれた。
日明かし半分でやってきた私に、 彼女がなぜ安心したのかはわからない。
しかし少なくとも私にはそう見えた。
すぐに彼女の心情を理解することはできなかったが、 それよりも仕事でたまたま通りかかった、
ととっさに嘘をついたことの方が気になってしまい、 それをごまかすように会話を続けた。
この辺り、初めて来ましたけど、 いいところですね。
そうですか?
ええ、静かで自然があって。
それは… 何もないってことですよね?
ああ、まあ、そうかもしれませんね。
他愛のない、 本当に当たり障りのない会話だった。
これで終わりにすれば良かったのかもしれない。
軽くえしゃくをし、 入ってきた扉からただ出ていくだけで良かった。
しかし私にはこの何でもない彼女との会話が心地よかった。
ほんの10秒、いや20秒だったか。 奇妙な間が店内に漂った。
今も美容室を?
え?
お母様は?
ああ、いや、今はもう… だいぶ前に病気を患いまして。
そうですか?
それにもうハサミを握る年でもないですから。
彼女の目線が手入れの行き届いていない 白髪混じりの私の髪の毛に向けられたように感じた。
幼い頃はよく切ってもらったりしていたんですけど、
でもいつからかそれも気恥ずかしくなってしまって、
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この年になると忙しさにかまけてろくに手入れも…
いや、すいません。長居をするつもりはないんです。
ちょっと気になっただけで。
すいません、本当にお邪魔しました。失礼します。
よろしければ、お切りしましょうか。
え?
軽く営釈をし、足早に立ち去ろうとした私は、
突然の彼女の申し出に足を止めた。
すでに営業していないと言っていたはずが、
顔見知りでもない、たまたま覗いただけの私を客として迎えるという…
私でよろしければ。
あ、いや、でも…
整えるぐらいしかできませんけど。
そう言うと彼女は窓のカーテンを手際よく閉め、
テキパキと準備を始めた。
彼女の申し出に何の反応をするわけでもなく、
私はただその様子をぼんやりと見つめていた。
どうぞ。
彼女が先ほどの椅子をこちらに向けて待っている。
私は彼女に促されるまま、椅子に腰掛けた。
細長く畳まれたタオルを首元に巻き付け、
サイドテーブルから取り出したケープを私の胸元に広げる。
彼女の顔が私の顔に近づくと、
先ほどと同じほのかな香りを感じた。
きつくないですか?
大丈夫です。
少し濡らしますね。
そう言うと彼女は、
金色の金具がついた古めかしい霧吹きを左手に持ち、
私の額を右手で覆いながら髪を濡らし始めた。
彼女の細い指が私のくたびれた髪の毛に触れるたびに、
鼓動が高なっていくのを感じた。
別香の櫛が絡まった髪の毛をほぐしていき、
その後を覆うように彼女の手のひらが優しく撫でていく。
これまで何人の客の髪の毛に同じことをしてきたのだろう。
これから行われることに許しを乞うかのごとく、
静かで、改まった儀式のようだった。
切りますね。
サイドテーブルの上の三つ折りの黒い布を開くと、
中には銀色に輝くハサミが並んでおり、
彼女はその中の一本を手に取って、
二度三度と歯を動かした。
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左利きなんですね。
え、ええ。
母も同じだったので。
そうですか。
じゃあ、きっとご苦労されたんですね。
苦労?
利用者は左利きだといろいろと不便なことが多いんです。
左利き用のハサミは根も張りますし、
今はそんなことないみたいですけど、
昔は強制的に右利きに直されたこともあったみたいで、
主人もそれでずいぶん苦労してましたから。
ご主人がいらっしゃるんですね。
ええ。
髪の毛を撫でていた彼女の手が、一瞬止まった。
でも、あの人も結局直せなくて、
これ、主人のなんです。
顔が映るほど綺麗に磨かれたそのハサミは、
彼女の細い腕には不釣り合いのほど重量感が感じられた。
すいません。
そう言うと彼女はハサミをそっとテーブルに置いた。
私は慌てて尋ねた。
私、何か失礼なことでも?
いえ、違うんです。すいません。
自分から言い出しておいて。
実は私、資格を持っていないんです。
ですから本当は、切って差し上げられないんです。
すいません。
壁に飾られたカットモデルの男たちの写真と一緒に、
一際立派な額に入れられた利用士免許証が目に入った。
高木昇。そこにはそう記されていた。
大丈夫ですよ。さっき言ったじゃないですか。
僕は客じゃないですから、ただの冷やかしです。
知り合いの髪を触るのに資格は必要ありませんよね。
ええ。
それにおっしゃってましたよね。もう営業されてないって。
なら何も問題ないですよね。
彼女はコクンとうなずくと小さく微笑んだ。
お代目いただけませんので。
大丈夫です。一銭も持ち合わせていませんから。
私がズボンの両ポケットの中身を見せておどけると、
彼女もいたずらっぽく笑いながら、再びハサミを手に取った。
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高志。塩屋高志と言います。
いや、名前がまだ、私たち知り合いですよね。
マリコと言います。
マリコさん。高城マリコさん。
私は先ほどの利用し免許証を見つめながら、
彼女の名前を繰り返した。
出演 石曽ユーヤ
塩屋真由美
上野マナ
脚本 演出 石曽ユーヤ
制作 ピトパでお送りしました。