1. 名画サロン
  2. 25 モネ「日傘の女」
2025-08-28 17:32

25 モネ「日傘の女」

25 モネ「日傘の女」の深層

00:00
こんにちは。今日は、光の画家として知られるクロード・モネが描いたある一枚の映画、「日傘の女」について、ちょっと深く見ていきたいと思います。
一見すると、すごく明るくて穏やかな夏の日の光景に見えますよね。 ですけど、その筆使いの奥には、画家の個人的な思いですとか、
あと少し切ない物語が隠されているんじゃないかと。 今回はですね、この「日傘の女」1886年版の作品ですけど、これを解説したテキストがありまして、それを元に進めていきます。
この情報源を手がかりにして、作品の背景とか細かい部分、 あとはどうしてこんなに多くの人を惹きつけるのか、その理由を探っていければなと。
この作品、それから印象派とかモネ自身についても、何か新しい見方とか発見を皆さんにしていただけるように、大事なポイントをキュッとまとめてお届けします。
何というか、単に絵を見るだけじゃなくて、その裏にあるストーリーを知ることで、もっと鑑賞が深まるみたいな。それが今回の目指すところです。
えー、そうですね。この絵なんですけど、実はちょっとした謎というかポイントがありまして、描かれている女性、あの、もしかしたら多くの人が思っている人物とは違うかもしれないということなんですよ。
えー、そうなんですか?
ええ。なので、このちょっと意表をつくような部分から一緒に解き明かしていきましょうか。
へー、それは画前興味が湧きますね。じゃあ早速その基本情報からいきましょうか。作品名は「日傘の女」。作者はクロード・モネ。
制作されたのが1886年。油彩画で、今はパリのオルセイ美術館にありますね。
そうですね、オルセイですね。
大きさは縦が131センチ、横が88.7センチ。まあ印象派を代表する作品の一つということでいいんですよね。
はい、その通りです。傑作の一つですね。モネといえばご存知の通り、常にこう、移り変わっていく光、これを色彩で捉えようとした、まあ印象派の創始者であり中心人物です。
で、彼の画業の中では特に最初の奥さんだったカミユ、彼女がすごく重要なモデルで、カミユを描いた作品というのは本当にたくさん残ってますよね。
うーん、カミユ、はいはい。で、ここでさっきおっしゃっていた謎に繋がる話が出てくるわけですか。
この1886年の日傘の女、よくモネが妻カミユを描いた代表作みたいに言われることありますけど。
ええ、ありますね。
実はこれちょっと違うかもしれないと。
そうなんです。そこが結構大きなポイントで、というのもカミユは1879年にもう亡くなっているんですよね、32歳で。
そうなんですよ。
つまりこの絵はカミユが亡くなった後に描かれたということですよね。
まさにそこが確信なんです。なのでこの絵のモデルはカミユではない。
ああ、なるほど。じゃあ誰なのかっていうと、モネの後援者であり、その後2番目の奥官になるアリス・オッシュデという女性がいるんですが、その連れ子、シュザンネ・オッシュデという女性なんです。
03:11
シュザンネ・オッシュデ、へえ。
ええ、でも作品をちょっとよく見ていただくと、彼女の顔立ちってなんていうか意図的なのか、かなり曖昧にぼかして描かれてるんですよ。
本当ですね。確かに表情がはっきりとは読み取れない。なんでわざわざそんな描き方を。単純にその特定の個人じゃなくて、光の中にいる人物っていう印象を強調したかったとかそういう可能性は?
うーん、まあそれを解釈としてはあり得るかもしれませんけど、もっと有力視されているのはですね、モネが亡くなった奥さん、カミユのおももけをそのシュザンネの姿に重ねて描いたんじゃないかっていう説なんです。
ああ、なるほど。
モネの前にいるモデルはシュザンヌだけども、画家の心の中にはやっぱり失われたカミユの姿があったんじゃないかと。
そう考えると、このちょっとぼかされた顔に何かこう深い感傷というか、追憶の念が込められているようにも見える、ちょっと切ない背景ですよね。
うーん、なるほどな。モデルは別の人でも、画家の気持ちはその過去の愛した人にこう向いていたかもしれないと。
それを知ると、このすごく明るい光に満ちた絵ですけど、どこかちょっとメランコリックな影を感じるような気もしますね。
この解釈をじゃあもう少し深めるために、モネが描いた他の関連作品と比較してみると何か見えてくるかもしれませんね。
ええ、比較はすごく有効だと思います。いくつか鍵になる作品がありまして、まず絶対的に重要なのが1875年に描かれた同じ膝を刺す女性というタイトルの作品ですね。
あ、1875年版、はいはい。
ええ、これは今回テーマにしている1886年のとは全く別物で、こっちには若き日のカミユ本人と、あと二人の長男のジャンが描かれています。
ああ、あれですね。あの有名な緑の丘の上で白いドレスのカミユがこう振り返る、本当に生き生きとした感じの。
そうそう、あれです。
資料を見ると、モネがちょっと先を歩いている二人を呼び止めて、カミユが何?って振り返ったその瞬間を描いたものだとか。
ええ、そう言われてますね。光とか風とか、あと家族の親密な空気感がすごく伝わってきますよね。カミユの表情もこっちははっきり描かれている。
そうですね、全然違いますね。
まずに幸せな生活の一場面っていうのが鮮やかに切り取られている。その翌年、1876年にはラジャポネーズ。
ああ、ラジャポネーズ。
これはかなり異色作ですよね。奥さんのカミユが日本の豪華な歌わきを羽織って、金髪のかつらをかぶってポーズをとっている。
06:00
金髪のかつら。
そうです。当時のヨーロッパで大流行したそのジャポニズムの影響がすごく色濃く出ている作品ですね。ここでもカミユの顔ははっきり描かれています。
ジャポニズム確かにすごいですね。着物の柄とか選手とかポーズもなんか異国調子ありますよね。
ええ。
そして忘れてはいけないのが、カミユの最後を描いたとされる1879年の死の床のカミユ。これはちょっと見るのがつらいというか。
そうですね。
深い悲しみと、でもそれでもなお色彩を捉えようとする画家の執念みたいなものが感じられて痛ましい作品ですよね。
本当にモネの道国が聞こえてくるようです。でも同時に、死の淵にある奥さんの顔に落ちる光とか影とか、その色彩の変化をやっぱり画家として革命に記録しようとしているんですよね。
なんていうか芸術家の行王みたいなものすら感じさせます。
そして今回注目している1886年、この年には今話題にしている膝の女のほかにもう一枚ほとんど同じ構図で同じモデルシュザンネで描かれた膝の女左向きっていう作品も存在するんです。
そうなんですか。同じ年に同じモデルで何かタイになるような感じで。
そうなんです。これらの作品群、特にカミユが生きていた頃のあの幸福感あふれる1875年の散歩、膝のを指す女性と、カミユが亡くなった後にシュザンネをモデルに描かれた1886年の膝の女、この2点を並べてみるとその違いってもう歴然としていると思うんですよ。
後者には前者にないある種の儚さとかノスタルジーとか、あとやっぱり不在の存在、つまりカミユへの強い思いみたいなものが感じられませんか。
確かに。
同じ膝の女っていうテーマを扱っていても、画家の置かれた状況とか心境の変化でこれほどまでに作品の雰囲気が変わるのかと、これは実に興味深い対比ですよね。
本当にそうですね。1875年版はスナップ写真みたいな明るさとその場の空気感がありますけど、1886年版はもっと夢の中の景色というか遠い記憶を呼び起こすような静かな感じがしますね。
ではその1886年の日傘の女について、もう少し映画的な要素、つまり構図とか色彩・質色、そういった点からちょっと分析を深めていきましょうか。
はい。まず構図ですけど、画面の中央、やや右寄りにモデルのシューザンが立っていますね。
少し前鏡になって、右手に日傘を掲げている。この日傘を持つ右手、ちょっと緊張しているような、あるいは何かを支えているような、この表現が結構見る人の視線を引きつけますよね。
09:03
ああ、確かに。言われてみれば。
背景には広い草原が広がっていて、足元の草花はこう風にそよいでいるみたいに描かれています。
視線はこっちを見ているわけじゃなくて、少し右の方、画面の外に向いてますね。そして表揚は、さっきも話に出ましたけど、意図的に曖昧にされている。喜びとも悲しみともつかない、なんか静かな雰囲気。
そうですね。次に色彩。これはもう本当に印象派の魅力がギュッと詰まっていると言っていいと思います。全体にすごく明るくて爽やかな色彩が支配的ですよね。
ええ、白いドレスなんて夏の強い日差しを反射して本当に眩しいくらいに輝いています。ただの白じゃなくて、光の当たり方でちょっと青みがかった影とか黄色っぽいハイライトが見えますね。
そうそう。
日傘の内柄にもなんか反射光なのかな、淡い緑とか青っぽい色味を感じます。背景の草原の緑と空の青さとの対比もすごく綺麗ですね。
ええ、肌の色もすごく自然で温かみのある感じで描かれてますよね。光が当たっている部分と影になっている部分のその微妙な色の変化とか陰影の表現も見事だと思います。
紙は暗いブラウンですけど、ここにもちゃんと光沢と影が描き分けられていて、風に少し乱れているような動きも感じられる。画面全体が外の柔らかな自然光に満たされていて、暖かいんだけどでもどこか儚いような、そんな雰囲気を出している。まさに色彩の魔術師、モネらしい部分ですよね。
その色彩を実現しているのが特徴的な筆色、タッチですよね。絵の具をパレットであんまり混ぜないで、短いストロークで色を置いていくような感じ。
まさにそれです。特に背景の草原とか空の部分を見ると、細かくてリズミカルに置かれた筆のタッチが、まるでそよ風が吹き抜けていくような軽やかさとか光の粒がきらめいているような効果を生み出してますよね。
絵の表面が絵の具そのものの物質感で、ちょっとザラッとしているような独特な質感があります。
こういう色彩を分割したり、自由な筆色を使ったりする技法っていうのは、やっぱり当時の美術界の流れ、つまり印象派の登場とすごく関係が深いわけですよね。
その通りです。この絵が描かれた19世紀後半のフランスっていうのは、美術の歴史の中でも大きな転換期だったんですね。
それまで絶対的な権威を持ってたアカデミズム絵画、歴史とか神話をテーマにして、写実的でかっちり仕上げる絵画ですね。
それに対してNOを突きつけたのが印象派なんです。
モネをはじめとする画家たちは、アトリエの中で描くんじゃなくて、外に出て太陽の光の下で見たままの世界、特に光によってここ特に変わる色彩の印象、これを捉えようとしたわけです。
12:07
そのために明るい色をたくさん使ったり、絵の具を混ぜずに短いタッチで並べておく筆色分割みたいな技法を使った。
このヒサムの女はまさにそういう印象派の考え方と技術が結実した代表的な例と言えるでしょうね。
なるほど。じゃあモネ自身はこの作品で一体何を表現しようとしたのか。
その光の追求っていう面と個人的な感情っていう面と両方ありそうですけど。
まず基本としてはモネが生涯かけて追い求めたのは自然光の美しさ、それと光がもたらす色彩の変化ですよね。都外の明るい日差しの中で人とか風景がどう見えるのか、その見た目の真実を探求するっていうのが彼の最大の関心事だったわけです。
この作品でもドレスとか日傘、肌、背景の草や空に降り注ぐ光の表現にその純粋な探求心というのははっきりと現れていると思います。
光そのものへの悪なき探求心、それがまず根底にあると。
それに加えてやっぱり無視できないのがさっきから話している亡くなった奥さん、神ゆえの追憶っていう側面ですね。
シュザンネという実在のモデルを目の前にしながらも、かつて愛した妻の面影をそこに重ねて、失われた時間へのノスタルジーとか愛情を表現しようとしたっていう解釈はかなり説得力があると思います。
顔をはっきり描かなかったのも、特定の個人としてのシュザンヌっていうよりは、記憶の中の理想化された神ゆうとか、あるいはもっと普遍的な女性像みたいな儚くて美しい存在を描きたかったからかもしれないとも考えられますね。
そう考えると、単なる肖像画とか風景画っていうジャンル分けを超えて、画家のすごく個人的な記憶とか感情が深く刻まれた、なんていうかパーソナルな作品っていうふうに捉えられますね。
この作品がモネの代表作として、また印象派全体を象徴する名画として今でも高く評価され続けている理由も、もしかしたらそこにあるのかもしれないですね。
自然環境との調和を光と色彩を通じて、これほどまでに繊細かつ大胆に描き出した点。
それから伝統的な絵画のルールから離れて、見た目の印象を捉えるっていう、当時の新しい芸術の方向性を力強く示した点。
そういったところが挙げられると思います。
日常的な何気ない風景の中に隠れている美しさとか、逸ろいよく光と色彩のきらめきをこれほど詩的に表現した作品っていうのはやっぱり珍しいですよね。
だからこそ時代を越えて多くの人の心を打ち続けるんじゃないかなと思います。
こうして一枚の絵の背景にある物語とか、画家の人生、それから時代の空気みたいなものまで探っていくと、見慣れたはずの作品が全然違う顔を見せてくれるっていうか。
15:04
これが私たちが届けたい情報への近道であり、知ること自体の面白さですよね。
そうですね。特にこの絵のモデルが神優じゃないっていう事実を知って上で、改めてあのぼかされた顔を見つめるとどうでしょう。
以前とは全然違う感情とか物語が皆さんの中に立ち上がってくるんじゃないでしょうか。
不在の人の影を感じたりとか、画家の秘めた思いにちょっと共感したりとか、そこに皆さんそれぞれのあっていう発見の瞬間、知的興奮があるんじゃないかなと。
はい。今回はクロード・モネの「ひさまの女」、特に1886年にシュザンネ・オシュデをモデルに描かれたバージョンを深く掘り下げてきました。
美しい光と色彩、印象派ならではの革新的な表現、そして亡き妻神優への複雑な思いが込められているかもしれないという可能性。非常にいろんな層があって奥深い作品でしたね。
ええ。芸術作品に触れるとき、その美しさとか技術に感心するだけじゃなくて、それが生まれた背景、つまり画家の人生とか意図、描かれた時代の文脈、そういうものを知ることで感傷っていうのが単に一方的に見るだけじゃなくて、もっと対話的で個人的な体験に深まっていくんですよね。
知識っていうのは皆さんの感性をより豊かにしてくれる、いわば補助船みたいなものだと思うんです。
なるほど。さて最後に一つ、皆さんの心にちょっと問いかけてみてほしいことがあります。
今日、この1886年の日傘の女のモデルが、実は神威ではなくて、彼女が亡くなった後に別の女性をモデルにして描かれたものであること。
そしてそこに亡き妻への追慮が込められているかもしれない、という話を聞きましたよね。
その上でもう一度、あのぼかされたシュザンネの顔を思い浮かべてみてください。
あなたの心には今どんな感情が湧き上がってきますか?
それは、若き日の神威本人が生き生きと描かれた1875年の散歩、日傘を差す女性を見た時と同じ感じでしょうか?
それとも何か質的に違う、もっと複雑な感情でしょうか?
その違いについて少し考えてみるのも面白いかもしれませんね。
はい、今回の探究はここまでといたします。
また次回の情報探索で、新たな発見を求めてご一緒できればと思います。
17:32

コメント

スクロール