ゲントの祭壇画の概要
こんにちは。今日はですね、美術史の中でも三千と輝く傑作、ファン・エイク兄弟によるゲントの祭壇画、通称神秘の子羊の世界を一緒に探検していきましょう。
はい、よろしくお願いします。
いやー、手元にある資料を読み込んできたんですけどね。
ええ。
これはもう、ただの映画解説じゃないですね。なんていうか、まるで虫眼鏡で細部を覗き込むようなものすごい情報量で。
そうなんですよね。
なので、今回の私たちのミッションは、この絵に何が描かれているかをなぞるだけじゃなくて、15世紀に一体どうやってこんな信じがたいことのリアリティを生み出したのか。
そして、なぜこの一枚が、数多ある傑作の中でも特別な存在として語り継がれるのか。その確信に迫っていきたいなと。
ええ。
まず、この作品、一枚のキャンバスに描かれた絵っていうイメージを一旦捨てた方が良さそうですね。
ええ。そこが全ての出発点です。
これは多翼祭団画といって、複数のパネルを組み合わせた、まあいわば家具のような構造物なんです。
家具ですか?
はい。普段は扉が閉じていて、特別な祝祭の日にだけ観音開きのように開かれる。
なるほど。
つまり、日常と非日常、2つの顔を持っていると。開くという行為そのものが神聖な物語への入り口になる壮大な仕掛けなんですよね。
開けるたびに感動があったわけですね。演劇の幕が上がるような。
まさに。
作品の技術と表現
では、その扉が開かれた先、内側に広がる壮大な物語の中心から見ていきましょうか。テーマはキリストの犠牲と人類の救済。
ええ。
そして中央で全てを受け止めるように佇んでいるのが、あの神秘の子羊ですね。
そうです。祭壇の上に立つ傷つきながらも穏やかな子羊。これがキリストの象徴です。
うんうん。
あの面白いのは、この子羊が絵の中の誰もなく、まっすぐにこちら側、つまり干渉者である私たちを見つめていることです。
ああ、なるほど。
まるでこれはあなたのための物語なのだと語りかけてくるような。
周囲には天使たちが集まって、キリストが受けた苦難の道具、つまり十字架とか槍とかを手にしていますね。
ええ。
そして視線を下にずらすと、うわ、すごい人の数だ。聖職者、騎士、裁判官、巡礼者。
あらゆる身分、あらゆる時代の人々がですね。
まるで緑豊かな楽園に集まって、中央の子羊を礼拝されている。これはもう一枚の絵というより、壮大なオペラのクライマックスシーンを見ているようです。
なさに。そしてこの構図自体が、当時の人々にとっては非常に重要な意味を持っていました。
と言いますと。
中西ヨーロッパでは、誰もが文字を読めたわけではなかったじゃないですか。
ああ、そっか。
だからこそ、教会に掲げられたこういう絵画は、いわば見る聖書だったわけです。
壮大なビジュアルで、神の教えを伝え、信仰を深めるためのメディアだったんですね。
なるほど。文字の壁を越えるための最高の教材だったと。
それで気になったんですが、周囲のパネルには、聖人たちに混じって、ごく普通のフーフラスキー人物も描かれていますよね。これは?
あ、良いところに気づかれましたね。
ええ。
あれが、この祭壇画の制作を依頼した、ヨドクス・フィエト・フサイです。
ああ、鬼神した人たち。
そうです。聖なる物語のすぐ隣に、パトロンの肖像画を描き込む。これは当時のフランドル映画の特徴でもあります。
つまり、スポンサーが作品に出演しているようなものですか?なんだか面白いですね。
まあ、そういう見方もできますね。
でも、そのフィエト・フサイの表情。どこか不安げで、でも非常に敬虔な祈りを捧げている。この生々しい人間なしさまで描けるというのは、やはり何か特別な技術があったんでしょうか?
その通りです。そこがファンエイク革命の革新でして。
ほう。
その驚異的なまでのリアリズムを可能にしたのが、彼らが完成させたとされるゆえの技術なんです。
ゆえ?
ええ。天使が纏う豪華な二色寄りの裁縫の金の刺繍の一本一本。成人の冠にはめ込まれた真珠のしっとりした輝き。
金属のスイサシに映り込んだ窓の格子まで。この描写を読んでいると、まるで手を伸ばせばその質感に触れられそうな錯覚に陥りますよね。
油絵ですか?それ以前の映画とは何がそんなに違ったんでしょう?絵の具が変わるだけで、そこまで表現が変わるものなんですか?
ええ。全くの別物です。それまで主流だったのは、テンペラ画で卵を搭載に使うんですが、これが非常に乾きが早いんですよ。
乾きが早い?
つまり、画家は素早く描かなければならないし、修正も難しい。一発勝負に近い時間との戦いだったわけです。
なるほど。じゃあ油絵は?
油絵具は、その名の通り油を搭載にするため乾燥が非常に遅い。これが画期的なんです。
ああ、なるほど。
画家は時間をかけて絵具を塗り重ね、色を混ぜ合わせ、柔らかくぼかすことができる。
光の滑らかな反射や、人間の肌の微妙な血色、ベルベットのふんわりとした手触りといった表現が、これで初めて可能になったんです。
ファン・エイク兄弟は、この新しい画材のポテンシャルを、まあ120%引き出した最初の天才だったんですね。
記述が表現の扉を開き、時代がそれを求めた、ということですね。
色彩の重要性と修復
まさに。そしてその背景には、当時のフランドル地方の圧倒的な経済力があります。
経済力。
15世紀のゲントやブルッケは、盲織物業と貿易でヨーロッパ随一の富を誇っていました。
いわば、当時のヨーロッパ経済におけるシリコンバレーみたいな場所です。
へえ、シリコンバレー。
ですから、この祭壇画は単なる宗教画ではなくて、その豊かさと文化の高さを世界に示す、一種の株主報告書のような側面もあった。
面白い見方ですね。
この豪華絢爛さは、信仰心と同時に、我々の街はこれほどのものを生み出せるんだ、という経済力のアピールでもあったわけです。
なるほど、信仰と経済が一枚の糸の中で分かちがたく結びついている。
ええ。
そしてその豊かさを表現する上で欠かせないのが、やっぱり色彩の力ですよね。
神の属座の背後にあるタペストリーの信仰、聖母マリアのマントの吸い込まれるような青。
はい。
そして楽園の地面を覆う植物たちの生き生きとした緑。
一つ一つの色がものすごいエネルギーを放っているように感じます。
ええ。
そしてそれらの色は単に美しくだけでなく、一つ一つが言葉を持っています。
言葉ですか?
マリアが的を青は、天の真実や誠実を。
キリストや神を象徴する赤は、神の愛や犠牲の知恵を。
画家は色彩という共通言語を通じて、文字が読めない人々の心にも直接物語の意味や感情を届けようとしたんですね。
でもこれだけ鮮やかな色彩が500年以上も保たれているというのも驚きです。
そこにもう一つのドラマがあるんです。
おお。
実は私たちが今見ているこの鮮やかな色彩は、ごく最近になって初めてささよったものなんですよ。
え、そうなんですか?
ええ。何世紀もの間に塗り重ねられたニスとかロウソクの水溶バレが分厚い黄ばんだ層となって本来の色を追い隠してしまっていたんです。
まるで絵が日焼けしてしまったみたいに。
まさにそんな感じです。
それが21世紀に入ってからの大規模な修復プロジェクトで、一層一層慎重にその汚れのベールが剥がされていきました。
はあ。
そして現れたのはファン・エイク兄弟が描いたであろう本当に目の覚めるような色彩でした。
これは美術史における大事件で、世界中の研究者が言葉を呑んで見守りましたね。
その修復で何か新しい発見はあったんですか?
祭壇画の発見
最大の発見は、あの中央の子羊の顔です。
子羊の顔。
修復前は、後世の誰かが上から描き直した少し動物的でのっぺりとした顔だったんです。
へえ。
ところが、その上塗りを話すと、下から現れたのは驚くほど人間的で、小さくしかし強い意思を感じさせる真っ直ぐな瞳を持ったオリジナルの子羊でした。
うわあ、すごい。
これには世界が衝撃を受けました。
作品の持つメッセージ性が、より深く、よりパーソナルなものになった瞬間でしたね。
描き直されていたなんて、つまり私たちは何百年もの間、ファンエイクが本当に描いた顔を見ていなかった?と、すごい話ですね。
ええ。
壮大な物語、革命的な技術、そして蘇った色彩、これだけの要素が詰まっていると、この作品がただ平穏に教会の片隅にあり続けたとは思えませんね。
その通りです。この祭壇画の歴史は、それ自体がもう一つの冒険小説のようです。
そのあまりの価値と象徴性のゆえに、常に歴史の渦の中心にありました。
確か何度も盗難に遭っているんですよね。
一度や二度ではありません。宗教改革の時代には、偶像とみなされて破壊されそうになる。
ああ。
フランス革命軍に持ち去られて、ルーブル美術館に飾られたこともありました。
ルーブルに。
そして、極めつけは第二次世界大戦です。
ヒトラーが自身の美術館の目玉にするために血がまでで探して、ナチスによって奪われ、
最終的にはオーストリアの岩塩湖の奥深くに隠されていました。
岩塩湖。もう映画の世界ですね。
ええ。
それをモニュメンツメンと呼ばれる連合軍の美術専門家チームが発見して取り戻した。
芸術品が戦争の駒として扱われるというのは、何とも言えない気持ちになりますね。
本当に。火災にあいかけたり、一部のパネルだけが盗まれて、今も一枚は行方不明のままだったりもします。
そうなんですか。
それでもその度に多くの人々が情熱を注ぎ、命がけでこの作品を守り、修復し後世に繋いできた。
この祭壇画の旅路は、欧州の劇道の歴史そのものを写す鏡のようです。
なぜ人々はそこまでして一つの芸術作品を守ろうとするんでしょうか。
単に美しいものだからというだけでは説明がつかない執念を感じますけど。
それはおそらくこの作品が単なるものではなく、
原という街の引いては人類の文化や信仰、そして創造性の偉大な達成を象徴する存在だからでしょうね。
ああ。
それを守ることは、自分たちのアイデンティティそのものを守ることとほとんど同義だったのかもしれません。
破壊や略奪に屈しないという人間の尊厳の証でもあったんだと思います。
なるほど。ありがとうございます。
いや、こうして見てくると、この原刀の祭壇画はキリスト教の壮大な物語を語る視覚的な一大序詞であり、
湯和英という革命の幕開けを告げる記念碑であり、
そして何世紀もの歴史の荒波を乗り越えてきた奇跡の生存者でもあるんですね。
その緻密な描写と豊かな色彩は、今も私たちに人間の成し遂げたことの凄みを静かに語りかけているようです。
最後にリスナーの皆さんに一つ思考の種を投げかけてみたいと思います。
はい。
今日私たちが参考にしてきたこの詳細な解説、
もともとは視覚に障害のある方々が言葉の力だけでこの作品を心の中に思い描けるようにと作られたものなんです。
ああ、そうだったんですね。
このことを思うと、普段当たり前のように目で物を見ている私たちは、
果たしてどれだけ深く物事を見ているのだろうかと考えさせられます。
うーん。
繁益兄弟は一枚の葉の葉脈、宝石に映り込む窓の光、
人物の瞳に宿る微かなフランマで明確な意図を持って描き込みました。
はい。
彼らが私たちに残した挑戦とは、ただ作品を眺めるだけでなく、
彼らが持っていたであろう驚異的な集中力と好奇心を持って、
この世界を改めて見る方法を学ぶことなのかもしれないですね。