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今回はですね、美術史の中でも特に有名な一枚、レンブラントの夜警。
これについて、あなたが集めてくださった資料をもとに、ぐっと深く掘り下げていこうと思います。
いやもう、誰もが知る名画ですけど、実はタイトルからして、え、大きな誤解があるっていうのは結構驚きじゃないですか。
そうですね。
今日はこの絵が、まあ単なる集団肖像画を超えて、なぜこれほどまでに人々を惹きつけるのか。
その革新性とか、光と影のドラマ、そして生まれた時代の熱気、そのあたりを資料を読み解きながら、一緒に探っていきたいなと。
ええ、まさにレンブラントといえば、光と影の魔術史、なんて言われますけど、この夜警はもうその呼び名にふさわしい代表作ですよね。
しかも、当時の常識を打ち破るかなり大胆な試みでもあったわけです。
そのあたりをじっくり見ていくと、この絵の本当の価値がこう見えてくるんじゃないかなと思いますね。
なるほど。じゃあまずは基本情報からいきましょうか。
正式名称はフランス・バニングコック隊長と、ウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊。通称が夜警。
はい。オランダ語だとディナクト・ワクトですね。
作者はもちろんレンブラント・ファン・レイン。1642年、彼が30代、ハンナバ。まさに塩塾期に入った頃の作品ですね。
そうですね。
様式としてはバロック。当時のヨーロッパ美術を石鹸した劇的で感情豊かな表現が特徴の。
いえいえ、バロックです。そしてこの作品、とにかく大きいんですよ。
あ、大きさ。
油彩でカンバスに描かれてるんですが、寸法が縦363センチ、横が437センチ。
えっと、3メートル63に4メートル37。
そうなんです。ちょっと想像してみてください。大人が両手を広げても、もう全然足りない。
いやー、それはすごいスケール感ですね。
ええ。美術館で実物の前に立つと、まずその大きさに圧倒されます。
今はアムステルダム国立美術館のまさに四方として展示されてますね。
なるほど。さて、ここからが本題というか、面白いところですよね。
この余景っていう広く知られたタイトル、これが実は後から付けられたもので、しかも誤解に基づいていると。
あなたが共有してくださった資料の中でも、この点ははっきり書かれてました。
ええ、そうなんです。だいたい18世紀頃からそう呼ばれるようになったみたいなんですが、
長い年月の間に絵の表面に塗られたワニス、これがまあ暗く変色しちゃったんですね。
ああ、ワニスが。
それで全体がなんかこう、夜の場面みたいに見えたと。
それで余景と呼ばれるようになったわけです。
なるほど、見た目の印象から。
ところが1940年代に大規模な修復が行われて、その暗いワニスが取り除かれたら、
実は昼間の光景を描いたものだったということがはっきりしたんです。
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降り注ぐ光の描写なんかを見ても、これは夜じゃないなっていうのはもう一目瞭然で。
じゃあタイトル自体が、もう絵の歴史そのものを物語っているみたいな。
そういうことになりますね。非常に興味深い点だと思います。
いやー面白いですね。
ではその昼間の光景には、一体誰が何をしている場面が描かれているんでしょうか。
はい、これはですね、当時のアムステルダムにあった市民時計団の一つなんです。
えっとひなじゅう組合に属するフランスバニングコック隊長が率いる隊。
その隊がまあ、いわば出動するその瞬間を描いた集団肖像画なんですね。
市民時計団ですか。なんかちょっと特別な響きがありますね。
ええ、彼らが拠点にしてた組合本部、クローフェニールスドゥールンという建物を飾るために依頼されたということです。
なるほど、時代背景としてはいつ頃なんですか。
まさに17世紀前半、オランダ黄金時代の真っ只です。
ああ、黄金時代。
スペインからの独立戦争、80年戦争を経て、ネーデルランド連邦共和国がヨーロッパでも随一の経済大国としてすごく繁栄していた時代ですね。
はいはい。
特にアムステルダムは、もう世界貿易の中心地としてものすごく活気に満ち溢れていた。
うーん、そういう時代だったんですね。
ええ。で、こういう時代背景の中で、市民自警団というのは、都市の防衛とか治安維持っていう、まあ実施的な役割ももちろんあったんですが、それだけじゃなくて、裕福な市民たちが所属する一種の社交クラブ的な側面もあったんです。
へー、社交クラブ。
ええ。そして、自分たちの富とか地位を示す、まあ象徴でもあったわけですね。
なるほど。
ですから、彼らが自分たちの勇敢しい姿とか団結力を示すために、一流の画家に集団肖像画を依頼するっていうのは、当時特に珍しいことではなかったんです。
なるほどな。当時のアムステルダムの勢いと、市民たちのプライドみたいなものが、この絵の背景にあるわけですね。
まさにその通りだと思います。
ただ、他の集団肖像画と、この夜景がもう決定的に違うのは、その描き方ですよね。
普通、集団肖像画っていうと、なんかこう依頼主の人たちがずらーっと横一列に並んで、みんなこっち向いてるみたいな。
はいはい、わかります。
そういうどっちかというと、静かで記念写真みたいなイメージがありますけど。
そうなんです。まさにあなたが言うように、当時の集団肖像画の多くは、依頼主全員の顔がはっきりわかるようにとか、
あとは身分とか、支払った金額に応じて序列をつけて配置するっていうのが、まあ一般的だったんですね。
記録としての性格が強かった。
ですよね。
ところが、夜景は全然違う。
まるで演劇のワンシーンを切り取ったかのような、あるいは今にも動き出しそうな瞬間のスナップショットみたいな。
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ええ。
あなたの資料にも、集団肖像画を直立不動ではなく、動きを取り入れて描くという、当時としては初めての試み、ってかなり強調されてました。
これは相当革命的だったんじゃないですか。
まさに革命的だったと思いますよ。
レンブラントは、ただ人物を並べて記録するんじゃなくてですね、この時系団っていう組織が持ってるエネルギーとか、その場の熱気、
隊員たちの個々の動きや感情、そこまで描き込もうとしたんだと思うんです。
だからこそ、もう400年近く経った今でも、私たちがこの絵の前に立つと、まるでその場にいるような、
彼らの声とか足音とかが聞こえてきそうな、そういう錯覚さえ覚えるわけです。
いやー、すごいですね。
これは、もう従来の集団肖像画の概念を根本から覆すような、そういう試みだったと言えますね。
そのダイナミズムの中心にいるのが、画面中央の2人ですよね。
ええ。
まず、黒い服に赤い飾り台、そして特徴的な白い左襟、左、左襟をつけた、すごく威厳のある姿の男性。
彼が隊長のフランスバニングコックです。
左手には式錠を持って、これは資料によっては槍とも書かれてますけど、一般的には式錠と解釈されますね。
なるほど、式錠。
で、右手は前に差し伸べて、まさに号令を発しているかのようです。
彼の視線は、我々鑑賞者を真っ直ぐ見てますよね。
確かに、力強い視線ですね。
そして、そのすぐ止まり、明るい黄色のかなり華やかな衣装をまとって、光を一心に浴びているのが、副官のウィレム・ファン・ライテンブルフ。
この人が副官?
ええ。彼はヒナ銃、マスケット銃ですね。これを水平に構えて、やや斜め前方を向いています。
この2人の、まあ対照的な衣装の色とかポーズ、そして光の当たり方、これが画面にすごく強いアクセントを与えています。
本当ですね。黒と黄色、影と光、みたいな対比が鮮やかです。
ええ。そして、この中心の2人を取り巻くように、他の隊員たちが、もう実に生き生きと描かれているんです。
資料によると、主要な人物は16名とされているんですが、実際にはもっとたくさんの人物が画面を埋め尽くしている感じですね。
あ、16人だけじゃないんですね。
ええ。ある者は銃に火薬を込めていたり、ある者は旗を掲げていたり、太鼓を叩き鳴らす少年とか、兜を磨く者、仲間と話している者、みんなそれぞれがバラバラの方向を向いて、思い思いの動作をしているんです。
止まっている人物はほとんどいない。
へえ。
この一見無秩序にも見えるような配置と動き、これこそが集団としての活動とか生命感を生み出しているんだと思います。
でもちょっと意地悪な見方かもしれないですけど、これだけ動きがあって光も一部にしか当たっていないとなると、全員が平等にはっきり描かれているわけじゃないですよね。
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ああ、確かに。
隊長とか副官はすごく目立っているけど、後ろの方の人とか影になっちゃっている人は顔もよく見えない。
これ、当時の依頼主たちから不満とか出なかったんですかね。俺の肖像画なのにって。
いや、それは非常に良いご指摘です。実際この斬新な描き方については、依頼主たちの間で賛否両論あった可能性はよく指摘されるところです。
あ、やっぱり。
特に自分が払った金額に見合うほど自分の姿がはっきり描かれてないと感じた隊員がいたとしても、まあ不思議ではないですよね。
うーん、そりゃそうですよね。
従来の記録としての役割を期待していた人々にとっては、レンブラントの試みはちょっと大胆すぎたのかもしれない。
これが一時期この絵の評価がちょっと低迷した理由の一つじゃないかとも考えられてますね。
なるほどなあ。確信性には常にそういう抵抗が伴うものなんですね。
そうかもしれませんね。
そしてこの絵のドラマ性を決定づけているのが、やっぱりレンブラントの代名詞とも言える光と影の使い方、明暗法キアロスクーロですね。
あなたの資料でもこの点は特に重要なポイントとして挙げられてました。
ええ、まさに光と影の魔術師、レンブラントのもう真骨頂と言っていいでしょう。
彼はこの夜景で光と影を単なる明るいくらいっていう表現じゃなくてですね、物語を語って感情を揺さぶるための、いわば演出装置として使ってるんです。
演出装置ですか?具体的にはどういうふうに?
全体としては深い影、特に黒とか濃い茶色が支配的ですよね。これが画面に奥行きと重厚感を与えています。
でもその暗闇の中から、まるで舞台のスポットライトみたいに強い光が特定の人物とか要素を劇的に照らし出しているわけです。
ああ、なるほど。
さっき触れた体調と服感、それから画面の左側でなんか不思議な存在感を放っている、あの黄金色のドレスを着た少女。
あ、いますね、女の子が。
ええ。さらに隊員たちの顔の一部とか、金属製の兜とか武器の輝きとか、そういうものが暗闇の中に浮かび上がるように描かれているんです。
本当ですね。光が当たっている部分と深い影になっている部分のコントラストがものすごく強い。
そうなんです。
これによって自然と視線が大事なところに導かれるし、登場人物たちが本当に舞台の上にいるみたいにドラマチックに見えますね。
これがバロック絵画の特徴である劇的な光の効果で、レンブラントはその中でも特にも抜群に巧みだったということですね。
まさにその通りです。光は人物を際立たせるだけじゃなくて、質感までも描き出すんですね。
例えば、服感のあの黄色の衣装の光沢感とか、金属の冷たい輝き、そして人物たちの肌のなんというか生々しい質感。
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レンブラントは光と影を操ることで、視覚的な情報だけじゃなくて、何かこう触覚的な感覚までも呼び覚ますような、そういうリアリティを生み出しているんです。
いやーすごい技術ですね。色彩についても体調の黒、服感の黄色、あと他人たちの服に見られる赤とか青とか、深みのある色が印象的です。
これらが当時の社会的な地位とか時系団としての誇りとかを表しているのかもしれないですね。
そうですね。そして表情とか視線もこの絵に深みを与えている重要な要素です。
隊員たちの多くは真剣なあるいはこう集中した表情をしてますよね。
確かに。
これから始まるであろう任務への緊張感とか意気込みみたいなものが伝わってくるようです。
特に隊長のこっちをまっすぐ見据える視線はやっぱり力強いですね。まるで私たち鑑賞者に何かを命じているような。
そうですね。一方で他の隊員の中には視線が画面の外、つまり我々鑑賞者の方を向いている人物もちらほらいるんですよ。
本当だ。
これがまた面白い効果を生んでいて、私たちは単なる傍観者じゃなくて、まるでこの隊の一員であるかのように絵の世界に引き込まれる感覚を思えるんです。
なるほど。
レンブラントは絵画と鑑賞者の間に何かこう対話を生み出そうとしているかのようにも見えますね。
こうして見てくると、レンブラントが目指したのは単に依頼主たちの姿を描き止めるということだけではなかったっていうのがよくわかりますね。
そう考えられますね。彼は依頼された集団肖像画というある種の制約の中で最大の芸術的な挑戦を試したんじゃないでしょうか。
時系団という組織のダイナミズム、そこに集う人々の個性とか人間性、そしてその時代の空気感そのもの、それを光と影、動きと色彩を駆使して一枚のカンガスに凝縮しようとした。
それは単なる記録を超えた、もっと普遍的な人間のドラマを描こうとする試みだったと言えるかもしれないですね。
その革新性のせいで当初は賛否両論あったかもしれないということでしたが、後世の評価っていうのはどうだったんでしょうか。
それがですね、あなたの資料にもあったように興味深いことに、完成当初は確かに大きな注目を集めたみたいなんですけど、その後、特に18世紀なんかにはその進化が見逃されて評価が低迷した時期もあったようなんです。
へーそうなんですか。
さっき話に出た和西の変色による画面の安価もその一因かもしれませんね。
あーなるほど。それがいつごろどういう形で再評価されるようになったんですか。
19世紀に入ってロマン主義が台頭してくるとですね、レンブラントの劇的な表現とか人間描写に対する関心が高まってくるんです。
はいはい。
それで余計も再び脚光を浴びるようになったと。そしてその動的な構図、リアリズム、そして何よりも光と影の卓越した技術、これが再評価されて現在ではもうオランダ黄金時代を代表する、や西洋美術全体を見渡しても屈指の傑作として不動の地位を確立していますね。
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なるほど。ところで資料の中にちょっとユニークな表現がありましたよね。
視覚的なドラマを通じて視覚障害者でもその迫力を感じ取ることができる感覚的な豊かさを持っているっていう記述。これはどう解釈したらいいんでしょうか。ちょっと不思議な表現だなと思ったんですが。
ああ、それですね。これは非常に資産に富んだ表現だと思います。おそらくこの絵が持っている力っていうのが単なる目で見る美しさに留まらないってことを言いたいんじゃないでしょうか。
ほう。
描かれた人物たちの動きのエネルギーとか太鼓の音や号令の声が聞こえてきそうな臨場感、ざわめき、緊張感、そういったものが視覚を超えて他の感覚にも訴えかけてくる。
うーん、なるほど。それほどまでにこの絵は生きた場面を描き出すことに成功しているんだということの証拠というかそういうことなのかもしれないですね。
なるほど。五感に訴える映画以下ですか。それはすごいですね。では今日掘り下げてきたことをちょっとまとめてみましょうか。
はい。まず、「よっけー!」というタイトルは構成の誤解で、実際は活気あふれる昼間の情景を描いたものだったということ。
へえ。
次に従来の集団肖像画の常識を壊すダイナミックで動きに満ちた本当に革新的な構図。
そうですね。
そしてレンブラントの新骨頂である劇的な光と影の使い方、明暗法。これが登場人物に生命感とドラマを与えていること。
まさに。
最後にこの絵が生まれたオランダ黄金時代のアムステルダムという活気と自信に満ちた時代の空気感を色濃く反映しているということ。これらがよけいを理解する上ですごく大事なポイントでしたね。
まさにそうですね。レンブラントはこの一枚で集団肖像画というジャンルに全く新しい可能性を切り開いたわけです。
単なる記録じゃなくて物語を喚起して見るものの感情を揺さぶる力を持った本当に画期的な作品だと思います。
さて最後に一つリスナーのあなたと一緒にさらに深く考えてみたいことがあるんですが、
あなたの資料では描かれた主要人物は16名とされていましたけど、絵をよーく見るとその周りにはもっとたくさんの人々が描かれてますよね。
特にあの左側にいる光を浴びた不思議な少女、この子は一体誰なんだろうとか、あるいは部分的にしか見えない人物とか、背景でざわめきを作っているような名もなき人々。
レンブラントはなぜ主要な隊員たちだけじゃなくて、こういう多様な人物たちを画面に描き込んだんでしょうか。
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彼らは一体誰でどんな役割を果たしているのか。単に場面を賑やかにするためだけなのか。
そうですね。例えば当時のアムステルダム社会の多様性とか、あるいは公的な場面に混在する日常的な要素とか、何かもっと深い意味が込められているのか。
この絵は本当に見れば見るほど新しい問いを投げかけてくる、そういう深さがありますよね。
いや本当にそうですね。もし機会があればぜひ実物を前にして、あなた自身の目でこの謎に満ちた傑作の細部に隠された物語を探ってみてください。きっと尽きることない発見があるはずですよ。