1. 名画サロン
  2. 115 マティス「赤のハーモ..
2025-12-08 13:25

115 マティス「赤のハーモニー」

115 マティス『赤のハーモニー』青から赤への大転換

サマリー

今回のエピソードでは、マティスの「赤のハーモニー」に焦点を当て、視覚障害者にも伝わる表現方法や色彩の意味を探求しています。色の対比や感情の表現、鑑賞者との関係について議論し、視覚芸術の新たな視点を提案しています。マティスが青い調和から赤へと塗り替えた背景や影響を深掘りし、この変更がフォービズムの理念を体現し、作品を歴史的な傑作としたことを考察しています。

マティスの背景と作品の概要
こんにちは。今回は一枚の絵画、155 マティスの「赤のハーモニー」について、お預かりした資料をもとに深く見ていきたいと思います。
はい。
この資料、面白いのが、視覚に障害を持つ方にも作品が伝わるように描かれているという点なんですよね。
ええ。言葉を尽くして一枚の絵を再構築するような、そういう試みですね。
そうなんです。言葉だけでどれだけこの絵の世界に迫れるか、僕たちの腕の見せ所でもありますね。
色や形だけじゃなくて、その絵が放つ、なんていうか、空気感とか温度まで伝えられたらなと。
いいですね。
今回のミッションは、あなたをマティスが作り上げた、あの強烈な赤の世界へとお連れすること。
その空間で何が起きているのか、一緒に体験していきましょう。
それでは早速その世界に飛び込んでみましょうか。
まずこの絵の前に立つと、もう視界のほとんどが、なんかこう燃えるような、でも深みのある赤に支配されるんです。
ええ。
壁をテーブルクロスも同じ模様の入った同じ赤。
資料には壁とテーブルの境界線が曖昧になっているとありますけど、これも溶け合ってるって言ったほうが近いかもしれない。
うんうん。
普通、絵を描くなら奥行きを表現するじゃないですか。でもこの絵にはそれがない。
まるで巨大な一枚の消色的な壁紙を見ているような不思議な感覚になります。
その感覚、まさにマティスが狙ったものなんですよ。
あ、やっぱり。
当時の絵画の常識からすれば、これはまあかなり大胆な裏切り行為なんです。
裏切り?
19世紀までの絵画っていうのは、いかに3次元の世界を2次元のキャンバス上にリアルに再現するかがもう史上名題でしたから、でもマティスたちは違った。
というと?
彼らがやっていたのはフォービズム、日本語で言う野獣派という運動ですね。
野獣派?
ええ。それまでの印象は、光を科学者のように分析して、見たままの光を描こうとしたのに対して、マティスたちはそんな理屈はどうでもいい、もっと直感的でパワフルなものが描きたいんだっていう、そういうエネルギーに満ちていました。
なるほど。
つまり、当時の人々が絵画に期待していた本物らしさをマティスは真っ向から裏切ったわけです。
色彩のダイナミクス
この部屋はこんな色に見えました、じゃなくて。
ではなくて。
この部屋は私にこんな感情を叩きつけてきたんだ、とキャンバスの上で叫んでいる。それがフォービズムの革命だったんです。
なるほど。叫びですか。確かにこの赤は静かにそこにあるというより、何かを雄弁に語りかけてくるような、そういう力強さがありますね。
ええ。
写実からの解放、感情の爆発、それがこの赤に込められていると。
そうなんです。この赤は現実の部屋の色を写し取ったものではなくて、マティスが鑑賞者に感じて欲しかった心地良さとか生命力そのものなんです。
ああ。
彼は鑑賞者のための安楽椅子のような芸術を目指したと言っていますが、この絵はまさに現実の喧騒から離れて心ゆくまで死なれる精神的な安楽椅子としてデザインされているんですね。
その精神的な安楽椅子としての赤い空間。でもその中に人がいますよね。
そうですね。
画面の中央やや左にテーブルに向かって立つ女性が一人。不思議なのは、これだけ色使いが過激で非現実的なのに、描かれているのは果物を並べているらしい女性、というごくありふれた日常の風景なんですよ。
うんうん。
このギャップには何か意図があるんでしょうか。
そこが非常に面白い点ですね。この女性は過激な色彩の世界と我々鑑賞者とをつなぐ、いわば案内人のような役割を果たしています。
案内人。
彼女の服装は穏やかな青で、髪をまとめて落ち着いた表情でテーブルの上の果物に手を伸ばしている。その静かな竜舞が、燃えるような赤の世界に不思議な静寂と物語性を与えているんです。
確かに。彼女がいなかったら、これただの美しい模様というか、抽象画に近くなっていたかもしれないですね。
そうかもしれません。
彼女の存在が、ここが誰かの生活空間なんだということを過労死で教えてくれている。
まさに。そしてもう一つ注目したいのが、背景の左上に描かれた窓です。ここだけが、この閉ざされた赤い室内から外の世界を垣間見せる部分ですよね。
ええ、そう見えます。緑の木々やピンクの建物のようなものが見えて、一瞬外の新鮮な空気が入ってくるような気がします。
でもよく見てください。その窓の外の風景も、どこか平面的で、木の間の曲線なんかは、壁紙のアラベスク模様と交互しているように見えませんか?
あ、本当だ。
マティスは、むしろ外の世界の要素すら、この室内の装飾的な調和に取り込んでしまおうとしているのかもしれません。
なるほど。
内と外の境界さえも曖昧にして、すべてを心地よいハーモニーの中に溶かし込もうとしている。
外の世界ですら、この部屋のインテリアの一部になっている。徹底してますね。すべてを自分の美意識でコントロールしようという、画家の強い意思を感じます。
ええ、この装飾性へのこだわりというのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアールヌゴーとか、工芸やデザインへの関心が高まった時代背景とも無関係ではないんです。
ああ、なるほど。
映画を、もはや窓の向こうの景色を覗くためのものではなく、それ自体が美しいものとして、壁を飾るタペストリーのように捉え直そうとした、その試みの一つの到達点がこの作品なんです。
ここまで話してきて、この絵の主役はやっぱり赤だと思っていましたが、改めて見ると他の色も実に巧みに使われていますね。
そうなんですよ。
先ほど話に出た女性の服の青、この色が赤の中でまるで浮島のように存在している。
ええ、素晴らしい対比ですよね。赤と青は補色に近い関係なので、隣り合わせに置くことでお互いの色をよりさやがら、さばやかに引き立て合う効果があります。
はいはい。
強烈な赤の空間の中で、この青が鑑賞者の目に一瞬の静かさと涼やかさを与えてくれる。
ずっと赤だけを見ていると疲れてしまいますけど、この青があるおかげで視線が心地よく画面を循環できるんです。
音楽でいうと、ずっとフォロテッシモが続く中で、ふっとピアノ、弱音が入るような感じでしょうか。
ああ、いい例えですね。
そしてテーブルの上の果物の黄色やオレンジ、サイルの植物の葉に見える緑も、この赤い世界に生命感を与えているように思います。
その通りです。
暖色である赤が支配する中で、寒色である青や緑がアクセントとして配置されることで、画面にリズムと活気が生まれます。
さらに言えば、花瓶とか女性の髪飾りの白、面積は小さいですけどこれが効いてるんです。
確かに白がありますね。
濁りのない白が鮮やかな色彩の中で光のように輝いて、絵全体に軽やかさと明るさをもたらしているんです。
こうしてみると、一つ一つの色が明確な役割を持って配置された、まるでオーケストラのようですね。
赤が弦楽器の壮大な響きで、青がフルートの静かなソロ、黄色や緑が打楽器のリズミカルなアクセント。
まさに。
色彩のシンフォニーという言葉が浮かびます。
作品の印象と可能性
まさにそうです。
マティスにとって色は単に物の形を塗りつぶすための道具ではなかった。
はい。
赤は情熱、青は精神性、緑は自然、黄色は光。彼は色そのものが持つ感情的な力、あるいは魂のようなものを信じていたんです。
なるほど。
それらの色が互いに響き合うことで、単なる部屋の風景を超えた画家の内的な精神のハーモニー、つまり調和を奏でている。
だからこそ、この絵のタイトルは赤のハーモニーなわけですね。
なるほど。その色彩のハーモニーの中でも、やっぱり赤と青の対比は本当に見事ですが、
ふと思ったんですけど、もしこの部屋全体が女性の服のような青だったら、全く違う印象の上になっていたでしょうね。
ええ。
もっと静かで瞑想的な。
面白い想像ですね。青を貴重とした部屋。それはそれでマティスらしい美しい作品になったかもしれません。
でもご存知ですか?
はい。
あなたが今想像したことはあながちただの空想ではないんですよ。
え?どういうことですか?
マティスの決断
実はこの作品、冒頭で少し触れましたけど、最大の秘密があるんです。
この絵、もともとは青い調和、ハーモニーブルーというタイトルで、画面全体が青を貴重に描かれていたんです。
えっと本当ですか?じゃあ僕が今言った青い部屋は実際に存在したわけですか?
ええ。マティスはパリの重要な展覧会、サロンドトーンヌに出品するために一度この作品を青で完成させていたんです。
はい。
ところが彼はその搬入直前になって突然すべてをこの鮮やかな赤に塗り替えてしまった。そしてタイトルも赤のハーモニーと改めたんです。
展覧会の直前に?一度完成した大作を根底から空すような変更を加えるなんて信じられない決断ですね。
そうですよね。
一体何が彼をそこまで駆り立てたんでしょうか?
そこがこの絵を単なる名画から伝説へと押し上げた最大の謎であり魅力でもあります。隠しな記録はないんですが、いくつかの可能性が考えられますね。
ほう。
一つは、彼が求めていたハーモニーの理想に青ではまだ到達できていなかったという説です。
青の調和では何かが足りなかった。
そうです。青がもたらす静けさとか情緒性だけでは、彼が表現したかった生命の躍動感や、干渉者を包み込むような圧倒的な心地良さには不十分だと土壇場で悟ったのかもしれません。
ああ。
もっと大胆で、もっと直接的に感情に訴えかける色が必要だと。その答えが赤だった。
なるほど。芸術家、特にマティスのような革新者にとって作品は一度完成したら終わりという性的なものじゃないんですね。
ええ。
それは常に作家との対話の中にある動的な存在で、キャンバスと向き合い色が発する声を聞いて、最後の最後で違う、もっと響きわだる声があるはずだと決断した。
まさにその通りです。そこには締め切りに追われる焦りとか、評価への不安といった生々しい葛藤があったはずです。
でも彼はそれらすべてを乗り越えて、自分の内なる声に従った。
そのがかむ執念ともいえる探求心こそが、この作品を美術史に残る傑作へと昇華させたんです。
作品の意義
もしこの作品が青い調和のままだったら、果たして今日のような評価を得られていたかどうか。
確かに。そう考えると、この決断の重みがわかりますよね。
ええ。
青から赤へ。この変更によってフォービズムの理念を最も純粋な形で体現する傑作として、
そしてマティスという画家の代名詞として、アートの歴史にその名が刻まれた。
そう考えると、この赤は単なる絵の具の色じゃなくて、画家の魂の決断の色でもあるんですね。
ええ。この塗り替えのエピソードを知ることで、私たちは作品の表面的な美しさだけじゃなく、
その背後にある芸術家の血の通ったドラマにまで触れることができるんです。
こうして見てくると、この赤のハーモニーという作品が、単に赤い部屋を描いただけの絵ではないことが本当によくわかりますね。
ええ。
まず、色彩そのものは感情を表現するための主役であり、見たままの色からの開放を宣言するフォービズムの革命的な作品であること。
そして、壁紙やテーブルクロスといった装飾的な要素を巧みに使って、現実から切り離された心地よい調和、精神的な安楽椅子として作り出されていること。
そして何より、一度は青として生まれたものが、画家の悪なき探究心の的に赤へと生まれ変わったという劇的な物語を持っていること。
そうですね。
この傑作は現在、サンクトペテルブルグのエルミター寺美術館に所蔵されているそうです。
この物語を知った上で、いつか本物をこの目で見てみたいものです。
ええ、ぜひ。さて最後にあなたに一つ考えてみてほしい問いがあります。
はい。
マティスは展示直前という極限の状況で、作品の角である青を赤に変えるという、キャリアを左右するほどの大きな決断をしました。
もし、あなたが何かを完成させる直前に、その角となる部分を全く別のものに変えるとしたら、それはどんな時でしょうか。
そして、その変更は最終的にどのような新しいハーモニーを生み出す可能性がでしょう。
なるほど。
作品だけでなく、あなたの仕事や人生においても、一つの勇気ある決断が、全体の調和を劇的に、そしてより豊かに変える瞬間があるのかもしれませんね。
13:25

コメント

スクロール