1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
  2. #1-2 アスリートを職員として..
2023-12-14 16:59

#1-2 アスリートを職員として採用!?金融機関が行う“非”金融サービスとは|ゲスト:大前孝太郎さん

【今月のゲスト】

城北信用金庫理事長・東京北区観光協会会長 大前孝太郎さん


【今週のテーマ】 

・ 幅広い非金融の取組の原動力は?

・北区の大イベント「北区花火会」の沿革

東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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00:06
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山
暖炉のある小篠光洋さんの部屋には
未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイディアが交錯した素敵なおしゃべり。
さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今週も前回に引き続き、
上北信用金庫、大前理事長にお話を聞いていきたいと思います。
前回は、理事長が上北信用金庫に入るまでの物語を聞かせていただきましたが、
今回は、上北信用金庫に入ってからのお話を聞いていきたいと思います。
理事長が入られたのは2009年ということでしたんで、
大地信用金庫から上北信用金庫になってました。
合併をして数年という形ですか。
いや、多分10年ぐらいは経っていたのではなかったですかね。
でも、まだまだ金融業界も非常に大変な時期に入られたということだったと思うんですけれども、
いかがでしたか。
金融機関の経験も、大学卒業後少しはあったという話もしたんですけれども、
その後15年ぐらいは霞が関的な感じでちょっと離れていたものですから、
正直わからないところもあったんですが、
ただ問題意識は実はありましてですね。
先週、サバエのお話を少し触れていただいたと思うんですが、
実はそこでちょっと金融に関しての問題意識の部分がございまして、
当時僕らは国の立場でいろんな経営者さんとお話なんかをしたりして、
サバエ氏にとっては結構大きなプロジェクターだったものですから、
結構公開ミーティングとかいろんな形で市長さんも来られてやっていたんですけれども、
その時いろんな会合でいろんな方と会って名刺なんかも交換したんですが、
金融機関の方が全然いなかったんですよね。
メガネ産業というのはあちらの地域の金融機関にとっては、
たぶんその将来像というのは非常に大きなテーマなんじゃないのかなと思うんですが、
ほとんどお目にかかることがなくてですね。
実はそれが非金融の問題意識になったりするんですが、
いや、金融機関ってそういうことに無関心というのはありえないだろうと。
その辺が問題意識にはなっていましたので、
金融機関の現状というのは今一つまだその入った頃わからなかったんですが、
そういった問題意識だけは持って入りましたね。
03:02
リーチョー自身から今お言葉ありましたけれども、
いわゆるその信用金庫としての本業と言われる部分の金融と、
そしてリーチョーから考えたら非金融もおそらく本業というふうにおっしゃるんだと思いますけれども、
当時の感覚から言うと本業から離れている金融ということですよね。
そのことを常務専務の時代からいろいろ本体意識を持って、
そしてリーチョーになられたと。こういうことでしょうか。
そうですね。今言っていただいた金融の部分というのは結構歴史もきっとそれなりにあってですね、
その辺は僕は正直わからないところもあるわけなので、
最初にそっちをいろいろ言うよりは、
まずあんまりやっていなそうなそういういろんな企業さんの側面的な支援といいますか、
販路開拓につながるようなお手伝いとか、
そういう方をまず僕は力を入れようかなというふうに思ったんですね。
私たちこの北区地元の人間というのは、
大地信用金庫時代からもう長年にわたって、
上区信用金庫さんにお世話になっているわけですけれども、
そのおじいさまの時代からお父さまの時代というんですか、
その時代というのは定期積金をたくさん集める。
そしてそれはもちろん無駄遣いをせずに、
コツコツと要するに貯めていくということの手伝いをしていただける。
そしてそこで集めた資金を、
本当に額に汗して頑張っている地域の企業に金融していただけると。
こういうビジネスモデルだったんですよね。
だからその部分というのは、
かなりちゃんとしているという前提の中で非金融ですか。
時代もあると思うんですね。
やっぱり金融自身もそうだし、
企業さん自身もまだまだこれから成長していかなければいけないというような時代には、
今おっしゃったようなところがメインストリームになるんだと思います。
だけどだんだん戦略の立て方が難しい。
社会としてもだんだん成熟してきてという時代。
結構いろいろあって、選択肢も消費者にたくさんあってという時代になってくると、
なかなかそれだけではというか、
そもそもどうやって売っていこうかみたいなところがですね、
やっぱり課題になってくると思うんですけれども。
やっぱりその辺に対しても何かこうお役に立てないと、
時代とはマッチしないのかなというのが僕の認識だったんですね。
あの当時私自身もそれまでの建設業の本業という部分ですね。
言ってみれば建設と非建設じゃないですが、
その建設の部分の旧来通りのやり方に非常に壁のようなものを感じているところだったものですから、
その理事長のおっしゃっている非金融という話を、
もう本当に目から鱗のようにですね、
非建設に置き換えることでそこを乗り越えてこれたという気がしてるんですね。
ですからやっぱりその非建設とか非金融もそうなのかもしれないですけど、
06:02
私の理解ではやっぱりそのお客様に寄り添うとか、
お客様に近づくそのアプローチの変化という部分なのかなというふうに私は理解して自分のことをやったんですけど。
いやもうおっしゃる通りだと思いますね。
それからやっぱり金融のサービスというのは、
例えばじゃあお金をお貸し出しするというのは極めて重要なサービスではあるんですが、
結構重いサービスでもありますよね。
借りた企業様はご返済をしていく。
それが事業のプランがしっかりあっていればうまくいくけれども、
そうじゃなければという、そういうなかなか難しい世界の部分でもあるわけですね。
それはそれでしっかりとやりながらご相談しながらやっていくんですけれども、
日常的なお付き合いでですね、
それだけですと正直お客様といろんな形での盛り上がりというのはですね、
作れないんじゃないのかなと思うんですよね。
そういう意味でいろんなお話ができた方がいい。
今度の新商品売れてますか?みたいなね。
売れることについて何か僕らでお役に立てることありませんか?みたいな。
初期の頃はですね、そういうお声掛けもすごい大事だし、
でも声かけるだけではなくて、
僕らに多少なりともそれを手伝いできるようなフレームワークを作っていかないといけないねと言うようなことでですね、
少しずつそういったお手伝いできるような小さいかもしれないけど、
ソリューションとまでは言いませんがサービスというか、
それを作っていったという感じですね。
ずっと続けられておられているメニューというのは資料を拝見しても本当にたくさんあって、
アスリートの採用されたり、農業助手のプロモーションとか、
それから荒川区町屋のほうのカフェを併設したインキュベーション施設なんていうのも素晴らしいですよね。
これはやっぱり信用金庫という業界の中でもかなり先端的なことだったと思うんですけれども。
ちょっと先端的かどうかわかんないですが、
僕のこの信用金庫業界の印象としては、
そういう取り組みが意外と比営利の地域密着の金融機関ですよという割には少ないなというのが印象であったのでですね、
少なくともうちはそんな大きな話ではないかもしれないけど、
数はいっぱい打たなきゃなという意識は当時すごくありましたですね。
そういう金庫さんの中での動き、そして金庫さんとしての外へ向けての動きということを続けられている中でですね、
区役所のほうで観光協会を作るというお話が持ち上がって、
それで観光協会の会長をどなたにお引き受けいただくかといったときに、
すべての注目が一致してリーチョーにお願いに上がったということだったんですけども、
これをお引き受けいただくにあたってはどうでした?
大変だったと思うんですよ。
北区では観光協会の議論は結構前から問題意識をお持ちの皆さんもいらっしゃって、
09:02
今年の会長も中心だったんじゃないかと思いますけど、
皆さんでやるべきだ、でもやるにあたってこういうことはどうしようか、
いろんな議論がきっとあって、
そういう熟度も少しこうだんだんできてきたところだったんで、
きっとそういう時期だったと思うんですよね。
まさに今年の会長なんかにもご相談をしながら、
どんなことができるかわからないけど、
少なくともきちんと金融機関の職員の資源配分をしっかりしようということは覚悟した上でですね、
お引き受けさせていただいたという感じでしたかね。
本当に物心両面で支えていただいているといってもう過言でないわけですけれども、
ただ観光協会を作られるにあたって、
私も仲間に入れていただいて議論もしましたけれども、
いわゆる昔ながらの観光協会じゃないんだと。
その中にまさにさっきの非金融的なアプローチもあったかと思うんですけれども、
構想を出していかれるところの経緯にお話いただけますか。
はい。いろんな観光協会あると思うんですけれども、
その地方のいわゆる名所、旧席の観光客も多くてというところでは、
例えば何か施設を運営したりということが中心になるケースもあると思うんですけれども、
やっぱり北区はまだまだいろんなことをやりながら、
特にプロモーションをしっかりしながら、
少し字幕を集めなきゃいけないという段階でもあったのかなというふうに思いますので、
そういう意味ではやっぱりプロモーション、PRステーションという名前もそうなんですけれども、
しっかり発信をしていく。
プラス発信をするためには何か面白いことを、事業をやらないといけないわけですから、
そこはちょっと北区では少なくともやっていないとか、
そういうことをしっかりやっていこうねというふうな思いが当時はありましたですね。
北区というものを売り出していくときにことを仕掛けていくとかっていうのはそういうことでしょうかね。
やっぱりいろんな告知ってありますけど、中身も伴わないとですね、
あまり告知してもダメだと思うんですよね。
だから中身もブラッシュアップしながらプロモーションの努力も一生懸命すると。
当然当時からもうすでにSNSとかは勢いがありましたので、
そういったいろんなルートを駆使してですね、
なんとかこう知ってもらえるようにすると。
いうところが一番最初の頃はやっぱり一番の関心事だったと思いますね。
まさにPRステーションという冠があっての東京北区観光協会ですから、
名前にもそこが反映されているということなんでしょうかね。
そういう中で非常に全国的な評価も高い北区の花火会、
こちらも観光協会会長として、そして実行委員長としてずっと務めになるんですけども、
今回10回を迎えてということですけれども、
花火会についての思いはいかがですか。
そうですね、なんとか皆様に、これもまた越野会長にも大変お世話になって10回目を迎えられたというところが本当の実感なんですけど、
12:00
やっぱり最初の時によく議論していましたのは、
もちろん1回目とか2回目というのは周りもですね、
見ていらっしゃる方も今後どうなるのかなこのイベントはみたいな形でですね、
続けられるのみたいな感じもあったと思うんですよね。
もちろん地域で作るイベントなんで、地域の人たちの誇りというか、
そういうことになるようなイベントにならないといけないねっていう部分が半分ぐらいあると思うんですけど、
もう一方はやっぱり地域外の人たちの字幕を集められるようなものに育てていかないと、
結局は継続ができないよね、地域に閉じられていてはというのが、
僕の中では半分半分ぐらいありまして、
地域の外の方に来ていただくっていうのが徐々に回を繰り返すごとに花火会社さんの評価もいただいてですね、
今や北北海道から南は沖縄までわざわざ赤羽根の地に来てくださるようになりましたけれども、
その部分は間違ってはいなかったかなというのが思いとしてはございますね。
そういった仕掛けもあってですね、
赤羽根は2019年に本当に住みたい街ランキングの1位ということでね、
これなんかもやっぱり外からの字幕を集めるっていうことが構想したっていうことかなと思いますけど。
本当に住みたいってのはどういうことなんですか?
そこはよくわかんないけど、
そうですね、でも赤羽根はやっぱり北区の中ではすごいブレイクした街ですよね。
もともと歪雑感という意味ではポテンシャルがあったんじゃないかと思うんですけれども、
これはまあでも民間企業さんのいろんなマンション業者さんもそうなんですけれども、
そういうお力もあってかなり居住者が若い層が増えてきたっていうのもあって、
そういう様子をきっと飲食店さんなんかも見ていてですね、
例えば飲食の供給もかなりバラエティーに富んできて、
それがまた人を呼んで、
あと最近はトヨタ大学さんなんかも引っ越してきたので、
かなり学生も多くなって、
私は赤羽根の住人なんですが、
10年、15年前からすると本当に様変わりした街ではありますよね。
そうですね、細かい話になりますけど、
リーチョンが当時おっしゃってた中で、
やっぱりお店の単価がもう少し上がってくるといいよねっていうお金の循環というか、
地域での活性化にそのことがつながっていくよねっていうことも随分おっしゃってましたね。
徐々に単価も上がってきたみたいで、
この前ちょっととある飲食店の社長さんに聞いたら、
少し高めのゾーンで勝負をするお店を出店したいんで、
みたいな話がありましたけど、
徐々にそういう動きも出てきたみたいなので、
そこはいい巡回になっていけばよろしいかなと。
もちろん安い価格帯のお店もありますので、
そこはいろんな方々がいろんな状況に応じて楽しめるような街になればいいのかなという気がします。
赤羽根の街が大きくなってきましたよね。
15:03
そうですね。
今言った王道を行くような持って行き方と同時に、
王道じゃないと怒られちゃいますけど、
例えばJRの駅の八着メロディーをエレカシにするとか、
そういう細かいところにまで行き届いたようなことで、
手が打たれているような気がしますね。
エレカシさんは信者というか、本当にレジェンドというか、
国民的なバンドなわけですけれども、
すごくメンバーの方の赤羽根の思い入れも強くて、
いろんなことで事務所の方にもご理解をいただいて、
JRの八着メロディーにしたり、
青野トルさんにエレカシさんを描いてもらったようなポスターを、
シティプロモーションのキャンペーンとして行ったり、
この辺はすごく良かったのかなというふうに思いますね。
ということで、赤羽根を中心に盛り上げてきたお話を伺いましたけれども、
実は2019年からは渋沢栄一さんをテーマにしたプロジェクトをスタートしておりまして、
そして、このFMの局長でもある渋沢君ということで、
この辺りのエピソード、取り組みについては来週またお伺いしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
16:59

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