スコーンパーティーの振り返りと感謝
みなさん、こんにちは。代々木上原にあるレストランバー、THE SALOONの日常的な楽しい会話をお届けするポッドキャスト、天守の藤島玲子です。
やっつけんです。
どうも、こんにちは。
こんにちは、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
えっと、この今日はですね、ちょうどスコーンパーティー、浦和のスコーンパーティーが終了して、その終了した後の、直後の収録となっているのですけれども、
どうでしたか?
はい、みなさん、ご来場いただきました。みなさん、どうもありがとうございました。
お疲れ様でした。
6日間、ぶっ通しでやり通したんですけれども、非常に今回もご好評で、一番びっくりしたのは、意外と去年来てくれたお客さんが、リピーターですね、サイズのリピーターさんが、
うちのお店をめがけて来てくれて、それでフィードバックを直接、私とかうちのスタッフの顔とかをみんな覚えてくれてて、
お姉さんにすごく熱烈に接客されて買ったらすごくおいしかったんで、ジャムまた買いに来ましたとか、
あとスコーンを去年買った中で一番おいしかったですとか言って、なんで今年も買いに来ましたとかいう声を届けに来てくれて、本当に。
それは嬉しいね。
嬉しいね、もう本当に涙出そう。
涙出そうっていうのはお客さんにも言いましたけれども、本当にありがとうございました。
はるばるね、朝もう毎日私は4時とかに起きて現場に行ってたわけなんですけど、
頑張ってよかったなって、もう毎回これは思うことなんですけれども、本当にこの場を借りてご来場いただいた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
これからもお声がかかれば祭事行ってたいと思ってますので、皆さんどうぞよろしくお願いしますということで。
ダメージは大丈夫ですか、体のダメージは。
腕が腱鞘炎になってしまいまして、
腱鞘炎になっちゃったんですよね。
何スコーン作ったんですか。
何スコーン作ったんだろう、でも1000個とか作ってるんで、
期間中でね、準備からね。
はい、ありますんでね、ちょっと腕を負傷してしまいましたけれども、
まあでもこれは勲章ということですね、もう皆さんのね。
喜んでいただけるからね。
買いがたいので、ちょっとしばらくお店お休みなんで、その間にちょっと十分メンテして、直してから元気に復活したいと思っておりますので、
というわけで、今後ともスコーンね、土日はカフェで同じようにスコーン買ったりとか食べたりできるんで、
バーも別にあれなんですけど、スコーンパーティーの感じのノリで来るんだったら週末がいいと思いますので、皆さんぜひ足をお運びくださいませ。
はい、ということで。
はい。
アート鑑賞体験と韓国・日本の美術館
でも春は各所いろいろイベント事とか、特に美術館の新しい展示とかね、4月スタートのやつが多かったんですか。
あ、多かったですね。
行きましたよ、YBAね。
YBA行きましたね。
あ、YBA行った。
YBAはすごく良かったですね。私的にはなんか、あんまり時間がなかったから、もう1回ぐらい行きたかったかなっていうぐらい、すごくいい展示だったなと思います。
なんか6月はどうですか?
6月はね。
ネアテッドの展示とかあるんですか?
はい、6月はまあその、ちょっとダミアハウストが今韓国で個展をやってるんですよ。
ほうほうほう。
3月ぐらいから。で、6月の末までやってるから、ちょっと間に合えば韓国に行きたいなみたいな、その天井見えに、あの現代美術館で。
へえ。
ちなみに去年はね、そういえば思い出したけど、ロンミュエクって今森美術館でやってるロンミュエクさんの個展が、同じ韓国の現代美術館でやってて、
たまたま私、プライベートはキクちゃんと、キクちゃんと韓国に行って、ロンミュエクさんを楽しんだんですけど、やっぱりそれもやっぱり韓国の現代美術館のクリエーションすごく良くて。
うんうんうん。
あと私、それでちょっと言うと、なんかその時すごい感じたのは、韓国人のアートバリ、今世界的にアートバリだと思うけど、アートの見方っていうのかな、がすごく嫉妬しちゃうぐらい羨ましいと思っちゃったのは、
なんか日本人ってさ、なんか世界のなんとか展とかさ、わかんないじゃん、なんか割と大きい展示が来ちゃうと、なんかおじさんおばさんとかもみんな列をなしていくんだけどさ、
うん、そうだね。
で、大行列で、それは満員で結構なんだけど、みんなさ、なんか順路っていうのをさ、頭から順番に見なきゃいけないとか思っちゃっててさ、すごいルール、勝手に誰も言ってないのにそんなこと。
特に入り口付近は並びがちだよね。
そう。で、なんか、あ、抜かされたとか、私一回おばさんに言われたことあるんだよね。いや、抜かすも何もないからみたいな。これ順路とかは、ダイレクションっていう意味の矢印で一個ずつこなしていかないといけないとかいうルールはないもん。
日本人ってなんかそういうのがあるじゃない。
そうだね。
あと、流行ってるから見に行くとか全然いいんだけど、で、韓国はね、なんか私すごい思ったのは、韓国人の本当になんか市場で働いてそうなおばちゃまたちとかが、なんか朝私は行ったんだけど、5、6人で、すっごい楽しそうになんか、あの、なんだろう、ムービーのインストレーションがあって、それをみんなでこう見るんだけど、
なんか自分のタイミングで、キャハハハハとか笑っててさ、なんか多分おばちゃんたちにはそのあるシーンとかが面白かったんだろうね、みたいな。だけどなんか、そういうそれぞれが自分の楽しみ方をしてる。
だからなんかその、この人はすごく素敵、なんていうの、有名なアーティストだから一旦見に行かなきゃっていうきっかけかもしれないけど、そういうんじゃなくて、なんかアートと自分との解釈っていうのがすごい近い感じがして、なんかいいなと思ったの、なんかすごく受け入れてる体制がものすごくある。
なんかあんまり堅苦しく考えなくて、なんかそもそもアートってそういうものじゃない?自分がどう解釈するかだけじゃん、はっきり言って。そのアーティストがこういう定義でこれを唱えてるっていうのは一応あるけれども、別にそうは思わなくたっていいし、よく思わなくたっていいし、なんか見た人の感想が結局そのアートという存在であるじゃない?
で、まさにそういう感じだったから、で、しかもちっちゃい子供とかもなんかゲラゲラ笑いながら見たりとか、なんかまあ見とれてる人もいるとかそういうので、なんかやっぱアートってこういうふうに楽しむものだよな。で、みんながすごい楽しそうに描いていくのとか見て。
でもなんか私はそのかつてのその日本で経験した、ちょっと何点だったか忘れたけど、そのなんか抜かされたとか、すごい混んでるから嫌だとか、あの人が先に私の後ろに並んでたのにとかっていううるさいおばさんのそのトラウマ的なものがあったから、日本もそういうふうに自由にアートを楽しむ人が増えればいいのになって思ったりして。
私たまに美術館の展覧会の仕事とかもやるんですよ。
それでね、やっぱりその章ごとの説明とかさ、作品の説明文とかって美術館行ったらあるでしょ。
でさ、あれをやっぱり一言一句しっかりと読むんだって日本のお客さんは。
だから順を追ってもうご挨拶パネルから全部バッチリ文字情報をね読んで頭に入れて勉強しに来てるんだよね。
しっかりその情報をたたき込んだ上でその絵画に向き合ってっていうのを順の通りにこなしていく真面目な人たちなの、日本人って。
なるほど。
だからそれがたぶん彼ら、私たちも含めなんだけど、日本流の芸術鑑賞のさ、おさほみたいな。
でもね、別に誰が決めたわけでもないし、匿名制なのよこれ。
そうだね、確かに。
で、やっぱりほら、どこでも並ぶ。
こないだ動物園行ってきたけど、動物園の檻の前でも並んでる。
なんとなく並んでる。
で、なんか、やっぱり先に他のものを見て、さっき並んでて見れなかったところ戻ってもう一回見ようかなと思っても、やっぱり後ろの人たちがさ、列作ってると途中で割り込んで見れなくなっちゃうっていう。
だからこれどこでもそうなんだよね、美術館だけじゃなくて。
そうか。
このやっぱり気まじめさ、学習しに来てるアートをね、っていうアートとの触れ方になってるのかなっていう気はしたりして。
アートの楽しみ方と教育
でもね、行儀がいいのは良いことだからね。おさほって言われたらすごい納得なんだけど。
でもそんなルールはないから。
でもなんか私はアートシーンがいまいち日本では弱い気がするのは、そういうところだと思うんだよね。
この前さ、私たち普通にお店営業してる時にね、あるお客さんにね、なんかすごいですね、アートとか見に行っちゃってとかって言ってきた方がいて。
そんな日常的に行くんですかとかね。
そういうの僕全然わかんないからとか言ってた人いたけど、いやわかんなくていいんだよみたいな。
なんか私すごいそれを日本人というかいろんな人に感じる。
知らないとかそんな全然知識がないし、アートとかわかんないから行かないとかじゃなくて、わかんないからこそ見ればいい話。
だからそんなこの人はどういう印象派の誰々とかって知らなくたっていいし。
それは歴史がそう物語るものがあって、別に知りたければ自分で勉強すればいいだけの話で。
全然なんかね、たまたまそういう海外に行かなきゃ見えない展示が日本に来てるんだったら、見て別にね、面白かったでもいいし、つまんなかったでもいい。
そういうところでなんか感覚を刺激されることとかを、なんか行ったからにはなんか。
そうなの。もう行ったからにはさ、やっぱ全部吸収してなんかうんちくたれるぐらい、これはこうで、あれはあーで、ほら右の画面の上にある、あれがこうで、こうで、この描き方がどうなんじゃいみたいなことをやっぱみんな言ってんだよね。
だけどそれはやっぱりちょっとこう、そうだね、そのアートの教育の仕方もあるよね。
なんかだからやっぱそのものすごい理屈っぽく学んだり表現しなきゃいけないみたいな風にアートを捉えすぎてる。
で、たぶん作家というかアーティストはそう思ってなくて、というのはさ、村上隆がさ、なんかのビデオで、アートと向き合って、もう2秒でいいって。
で、好きか嫌いかみたいな。だけどその2秒の瞬間に、その人に好きにさせる仕掛けをアーティスト側は作ってんだぜと。
要はその2秒の間でもう目が離せないぐらいに、その前で立ち尽くしちゃうぐらいのさ仕掛けを作っていて、そういうことのための表現をやってるんだと。
だからもう2秒見て、好きか嫌いかで嫌いだったら離れていいんだと。
だからそんな難しく、このアートは何を語ってんのか、何をどう表現してんのかみたいなことを勉強しなくていいんだと言っちゃってるぐらいだから。
いや、でもなんかそれ私結構一票同意っていうか、それにつけるよね。
つけるつける。
だってそれは人が、人に何か表現する人は全員、なんでもそう、もしくは私たちもそうかもしれないけど、なんか自分の思うように解釈してもらえるって思うことがなんかすごい、それはちょっとおごりだよね。
そうだ、アーティストはそうなんだよ。ただ美術館のさ、キュレーターとかね。
まあ、もちろん構成があるからね。
構成があって、ちゃんと、特に日本の公立の美術館とかだったら、ほとんど公立だけどさ、やっぱりその美術教育の1個の装置としての美術館みたいなことがあるので、しっかり招立して、解説部書いて。
ご挨拶からね、始まってね。
そうそうそうそう。ということで、やっぱりアートと触れてもらうっていうさ、建前があるんで。
そうね。まあ、でもそれはいいよね。それはその側として。
そう、側として。あとはだからね、見る側の問題って話だよね。
そう。なんか見る側のマインドセットは、なんかもうちょっと、なんだろう、わかんない、小学校とかで美術の時間どういう教育してるのかわかんないけど、なんかそのお勉強は勉強だけど、なんかもうちょっと感覚的に、なんか遊び感覚で楽しむみたいな要素はすごく大事なような気がするなって感じ。
そうだね。
なんか同じ絵を描いて、私なんか美術館のミュージアムショップすごい好きで、なんかパリ行ってもロンドン行っても必ず行くんだけど、なんか子供用のなんかギフトとかあるじゃない?とか本とか置いてあるときに、塗り絵とか置いてあって、たとえばダリのなんか作品とかごっこの作品の塗り絵とか絵本とか置いてあるのね、なんかそういうのをさ見るの好きだからたまに見たりするんだけど、なんかこの絵をどんなふうに解釈するみたいなことを子供に問いかけるような塗り絵とか絵本とかあって、
なんかこれがその美術館に行けば正解の色彩はそこに存在するんだけど、なんか自分で色をつけさせたりとか、あとそういう楽しく質問形式とか自分が感じたことをベースになんかアートを学ばせる教材みたいなのがヨーロッパにはいっぱいあるような気がして。
なんか日本ってそうじゃないと思うんだよね、もうちょっと賢まってるから、なんかそういうところなのかもね、さっき私は韓国が羨ましいと思っちゃったのは、ちょっと言葉が足りないんだけど、なんかいい日本の美術館にもなんかそれこそクリエイターがいいとしてることを全員国民の、来てるアートに詳しい人とか若者とかじゃなくて、来た人みんながなんかすごく楽しいんだよね。
それぞれにね。
それぞれにね、そう、だからやっぱ楽しむがあるの、気持ちとかもっと大事にすればいいのになあ。
そうだね、その自由さは大事だよね。
でもそのYBA行った時に、東京のあれは終わってるからいいと思うんだけど、一番最後にさ、ちょっとアーティストの名前忘れたけどさ、なんかレシート、ファミリーマートのレシートの先、全部白いものを買って、あれはそういうコンセプトのアートなんだけど、そしたらなんかすごい20代の若いカップルの方がさ、わーとか言って、ファミリーマートのレシート貼ってある、超ウケるとか言って。
でもそれも正解だから、コンセプトとかもちろん掲げてるものはあるけど、なんかそういうことでいいんじゃないかなって。
なんかYBA、ヤングブリティッシュアーティストの展示に行って、なんかわかんない、馬がいたと思ったかもしれないし、なんかいろいろ思うことあったかもしれないけど、
そう、なんかどうだったって聞かれた時に、なんか最後ファミリーマートのレシート貼ったってとかでもいいじゃん、それでも。それが後に何だったのかってことがわかって、好きか嫌いかみたいなことだから。
そうだね。特に現代アートはね、説明文読んでも、それがなんでアートとして成立し得るかっていうことまでは書いてないわけです。
あと理解する必要もないしね、もっと言ったらね。
だから美術館でそれを真面目に、解読しようとしなくても良かったりするものもあるよね。
草間彌生とアートの感動
あと、なんかちょっとすごいアートの話になっちゃったけど、もう一個アートつながりって、アートつながりっていうか、私ね、そういうこと言うとさ、別に自分は見るのが好きなだけだから、そんな自分は詳しい人とかではないんだけども、
でもまあ、いろいろ海外行ったりとか日本でも展示によく行くのが好きだから、割と見てるんだけど、でもそういうことをさ、こうやっていいよねとかって話しちゃうとさ、そういう頭でかつなアート本性みたいな人はさ、え、何のアーティストが好きなの?とかって聞いてきたりするじゃん。
はいはいはい、アートマウントね。
そうそう、アートマウントとかする人いるじゃん。でも私なんかそういう人たまにいてさ、あ、来た来たとか思うんだけどさ、もちろんさ、そんなのさ、アートとかってさ、何て言ったらいいんだろう、すごいこう、流行もあるし、自分の気持ちもあるじゃない?だからその時、好きな人とかもいるし、なんか昔から好きな人とかも、それ人それぞれだと思うんだけど、でもね、私意外とね、草まよいが好きなのね。
で、そうするとさ、なんか草まよい好きだって言ってれば、とりあえずアート好きだと思ってんでしょ?的なマウントみたいなのも1回受けたことがあるんだけど、いいえ、そうじゃなくてみたいな。
意地悪だ。
そういう、そういうのがダメなんだよ、だから。
だしなみんなびっくってんだよね。
そうそうそうそう。本当にさ、みんなのものだしさ、どう捉えたっていいじゃんって。で、何が好きなのとかさ、すごい意地悪してきた人がさ、かつていたんだけどさ、でもなんかそれは、なんかもちろんみんな水玉のかぼちゃとかさ、あ、水玉の人でしょ?とかさ、なんか、あ、ルイ・ビトンとコラボした人でしょ?とかさ、言ってるけどさ、なんか、別にそれはそれでもいいんだけど、なんか私はちょっと話すと、昔なんかね、ニューヨークのホイトニ美術館で草まよい展っていうのを昔やってて、
その前に、森美術館のコケ落としの草マトリックスっていうのがすごいもう、何十年前にあったよね。
で、あの時もすごくよかったんだけど、そのホイトニで初めてなんか光の部屋があって、あの光の部屋の展示ってさ、いろんなところで巡回しててさ、見せ方も人それぞれなんだけどさ、
なんか10秒、15秒だったかな。一人で入らせてくれるみたいな。全部2通りで。で、確かね、森美術館の時は通るとかだったのかな。
だけど、なんかホイトニと、あと2カ所言ってるんだけど、あとロサンゼルスの、あ、ど忘れちゃった。すごい、個人の収集家の方の美術館があるんだけど、そこでやっぱその10秒とか、その光の空間に入らせてくれるんだけど、それでなんか私すごい全身のなんか、
おー、毛穴が。
そう、うわーってなっちゃって、なんか言葉では言い笑わせない何かをそれにすごい感じちゃって。
あるよね、そういう。
そういうのあるよね。だから、なんかそういうことで、なんか、あとはホイトニで見た草まよいの初期の頃の作品はもう暗黒、水玉に至る前のもう真っ暗な水彩とか、そういうのもなんか、ちょっと感銘を受けちゃったっていうか、何か感じちゃったわけ。
で、そういうのってすごい一番やっぱり印象的、私にショックを与えた人っていうのはね、好きなんだけどさ。なんか、それって、なんか、そういうことよねってこと、何が言いたいかっていうと、アートって。
うん、なんか究極さ、その感情を揺さぶられるみたいな。
うんうんうん。
ね、なんかそれって、そのどの時代でも誰に対しても感情を揺さぶれるかと言ったらそうではなくて、その時代その時代の見る人にあった、たぶん何かしらの潜在的に思ってるさ、なんか不安だったりとか、もしくはなんか希望なのかわからない。
だけど、その時代その時代のそういう人に何が届くのかっていうことをアーティストが一生懸命考えて表現した結果、鳥肌が立っちゃう人がいるっていう、なんかそれの繰り返しで、なんかずっと。
ね。
ね、中世かもっと前かもしれないけど、
そうだと思う。
そういうふうにやってきてるんじゃないかって思ってて、究極の目標ってなんかそれでもいいんじゃないかって思うよね。
いや、そうだと思う。
じゃあ、くさまやゆいをどう評価すんのってのはさ、俺たちバイヤーじゃねえし。
そうそうそうそう。
私たちただ見て、
必須評論家じゃねえから。
そう、全然業界の全部なんでもないから。
好きって言っていいじゃんって。
そう、そこそこ。いいじゃん、好きで。もうそれに尽きるし、別に、もしね、コレクターとかさ、わかんない、そういう人だったらさ、なんかまたちょっといろんなバイヤーさがかかるのかもしれないけど、これ価値があんのかとかあるかもしれないけど、
私はただそれをね、展示を開催してくれるのを1位、それを来場者、見に行く人だから、それで感じたことを、
でもアーティストの素晴らしさって、誰かの人生にそういうふうに影響を与えるっていうことだし、
そこがね、全てだよね。
全て全て、やっぱ、凡人じゃないっていうかさ、波外れた能力とか、波外れた繊細さとかさ、もちろんその、例えばメンタルにすごく疾患があるからこそ生み出されてる何かとかさ、そういう、自分普通に生きてたら見えない景色を、なんか何かに投影して、私たちに見せてくれるみたいなさ、そういうところじゃない?なんかなんか、そこなのよね。
そう、なんかやっぱ感情よ、感情の揺らぎみたいなものを、なんかこう与えてくれるものっていうふうにね、1位、何て言うんだっけ、干渉者。干渉者、干渉者としてね。干渉者としてはそう思うよね。
そう思う。
なんかそういうものを探しに美術館に行ってる気もするしね。
ね。
アートとの向き合い方と人生
なんか頭でっかちで行くとさ。
そう、なんか見たで終わっちゃうけど、なんか。またさ、こういう話をサルンでしてるとさ、全然アートとかさ、本当に全然見ないですとか言う人がさ、あたしすごいねとか言っちゃうんだけどさ、すごくもうなんともないんだって。
だからこれ自体、もう私が感じてることで、同じことを感じるとは限らないから、何個その後言われたから、なんか展示見に行ってもう何も感じなかった、それも答えだからね。
そうそう。
たまたま見に行ったものが好きじゃなかったら。
ね。
だって、自分調べでしょうもないなって思うものがいっぱいあるじゃん。なんかやってるから見に行ったけど、なんだこれとかさ。でもさ、なんだこれもさ、もうやられちゃってるからね。
そうだ。
健康館。
気になっちゃった。
そうそうそうそう。なんだあれとか。
そもそもさ、なんだこれって気になる人が多ければ多いほど、なんかそれはこう、社会の中でさ、その疑問がどんどん増えてきて、なんか文化の一個になったりさ、そのアートの価値を後で語る上でさ、ね、なんか大事なことだったのかどうかっていう評論になるわけで。
そう思います。
やっぱさ、そうなのよ。で、あるね、この店で俺もう何回かね、マウントじゃないけどチャレンジされたことがある。
チャレンジ。あ、いいね、チャレンジだね。マウントっていうかチャレンジね。
そう、その場合はチャレンジだったんだけど、なんか誰々の、あの人のあれはなんかすごいいいと思ったんだよなみたいな話をしたら、え、どこがどういいんですかみたいな。どういう評価なんですかみたいな。
なんかすごい論戦かけてきて、いやまあ、いや話せるけど、でもなんかそういうことを話し出しちゃったら、なんか俺がいいと思った、なんかこの心のさ、動きみたいなことをさ、もう説明できなくなっちゃうから。
いや、あ、いいよ、別に美術史とかさ、アート史みたいな、ちょっとかじったからね、この大学でさ、建築学ぶ上で、全然話せますよと。
基づいてね、それに基づいてね。
そういう話し出したらさ、もうなんかその、さっきの感動どこ行っちゃったんだよみたいな。
そう、それって、分かる分かる。やっつけんから聞かなくたっていいよね。もうそんなのさ、それこそさ、ジェミーに聞けよみたいな。
そう、そう。
あの、ことになっちゃうから。
それよりはだから、見てこう思ってよかったんですよっていう話を飲み屋でされたら、え、どの部分が一番グサッときましたみたいなこととか。
ね、どの作品でしたみたいな。あ、俺もそれ好きだったんですよみたいなさ。そういう会話でいいのよ。
そうもん。でも私もそれね、いつも思ってる。なんか、そう、やっぱり、その感覚、そんなアート見て全然体が震えるとかないよって言う人。
あーね、そういう方の人。
でも、でもそれもいいじゃん、別に。
そういう、じゃあ私みたいに、なんかもうほんと全身電気走ったみたいな、衝撃受けちゃったって思う人がいるんだ。へーで、全然良いと思うんだよね。
そう。
そう、でも私結構やっぱなんか、アーティストから何か刺激受けることが多いかも。
なんか、そう、前、今その、くさ迷いすぎてたけど、あともう一人ね、なんか、ヒルマー・フクリントさん。去年来てたのかな。
あの、どこだったかな、忘れちゃったけど。
見たかな。
うん、ヒルマー・フクリントさんって。
現美かな。
現美かな、なんか多分そうかもしれないけど、なんかもう1800年代とかすごい昔の人なんだけど、宇宙をもう描いちゃってるわけよ。
もうすごいでっかいキャンバスに、もう宇宙を描いちゃって。
私もその人を見たときに、なんかちょっと、やっぱり、なんか、なんていうの、すごい大きな衝撃を受けちゃって、もう忘れられないんだ。
で、日本の展示は、そう、ちょっと行きたいと思ったけど、結局行かれなかったけど、でもなんかそんなに、全然さ、なんていうの、自分の存在とかも全くない。
もうさ、ほら、同じ時代、全く生きてない人から、なんかメッセージもらっちゃってるわけだからさ、っていうことじゃん、みたいな。
そうだね。
だからその、鳥肌立ったことがない人もさ、行ってみてほしいよね。
行ってみてほしい。
多分なんかそれって、要は体が反応するための訓練をしてないって俺は思ってて、つまり触れ合う機会が少なかったから、なんか見たときにどう反応するかっていうのをまだ知らない状態なのかなと思ってて、だからもう無垢な状態。
だからそういう人がいっぱい触れてね、なんか、でもやっぱさ、さっき言った順番抜かしたとかって言われて、やな思いして帰ってくるみたいな場合もあるかもしれないけどさ、
まあでもそうすると、もしかしたらね、なんか、あ、この子とかみたいな、ぞわぞわぞわみたいなさ、出会いがあるかもしれないよね。
あるかもしれない。あと、なんかその、やっぱり、説明を聞きたいんだったら、そう、ほんと今時その、とてんをやるぐらいのアーティストの作品の説明はいくらでも調べられるじゃない?
だから事前にそれは、なんだろう、調べていって、それで展示では、やっぱりそのスケール感とか、そのクリエイターの人が考えた構成とかを楽しむっていう方が、なんかいいような気がするよね。
なんかこれ全然アートの会になっちゃったね。
いやだってさ、どんな話題でも話したしたら、そりゃ止まらない。
止まんないよね。そう、止まらないのがこのね、サルーン、サルーンということですからね。
これがサルーンなんだよ。
そうそう、でもやっぱり、アートは、アートはいいよねっていうか。
いいよね。このね、初夏の春から初夏にかけてのこの時期にね、アートに触れてみたり、見たいなと思うものがあるよね。なんて話だったんだね、今日は。
なんて話ですね。そう、でも感性をふるわせることで、人生は楽しくなると。そう、あとだから、だめだよ、マウントとか。
そう、アートマウント、アートチャレンジは、ちょっとほどほどに。
ほどほどにしましょう、みんな。
そんな、その見たアーティストの名前が出てこなくたっていいんですよ、それは。
いいのよね。
作品さえ覚えてくれたら、もうその人生きてた意味あるからね、っていうね。
そう、あの6月の、そうね、梅雨の時期をね、なんかちょっと文化的なことで楽しんでもらえたらいいですね。
なんつってね。
なんつって、今回は終わりにしましょうかね。
終わりにしましょう。
じゃあ、次回もお楽しみにということで、天守の藤島玲子と。
やっつけんでした。
どうもありがとうございました。