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ということで、農家ニンゲンを紹介する番組 パート2に行きたいと思います。今回パート2、パフまりこさんから
なんかめちゃくちゃ急に実家に呼び戻されて、朝4時から来いって言われて、というところをスタートして、今のバームクー編とか
そういったところまで話が上がっていければなというふうに思っております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。ちょっと確認なんですけど、戻られた時はお米ってどれぐらいの面積やられてたんですか?
戻った時は20ヘクぐらいですね。
20丁やってりゃなかなか個人の限界みたいな、そんな感覚もありますね。
20丁をそもそもで、お父様が主にやられたので、それを引き受けるというか、引き継ぐというか、だけでも大変な気がしますけど。
そうですよね。
そうですね。
なのに、スパラをやるっつって、やり始めたんですよ。
っつってっていうのもお父様に対する、
ちょっとしたあれがありますよね、トゲが。
まあでもなんだろうな、春先さえ乗り切れば何とかなるのかもしれないなとは思ったりもしたんですけど、作期的に。
これがですね、アスパラと米ってめっちゃ重なるんですよ。
まあそうなんですね。
4月めちゃめちゃアスパラ、この地域ではなのかもしれないんですけど、めちゃくちゃ忙しくって、アスパラも米も忙しくなっていて、
9月の収穫期とかもめちゃくちゃ忙しくって、
そうなんですよ。
だからそれが、それがすごい最初、すごいきつくて、
最初もう本当に朝4時起きて夜11時までずっとアスパラの選別してるみたいな、
なんかそういう生活がずっと続いていて、
子供も下の子が2歳とかだったんで、
もうなんかもうむちゃくちゃですよね。
で、今でいくとご主人とまりこさんが完全に事業所計というか、もう代替わりはされている状態。
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そうです。
ということで、アスパラも辞めて、お米だけになっている。
それがちょっとドラマがあって、
で、まあそのやっぱ大変だったわけですよ、1年目やりましたと。
ちょっとその、前その東京にいたときに監査法人にいたので、
なんとなく数字がわかるというか少し。
なんで入ってすぐに3ヶ月ぐらいでExcelを弾いてみたんですよ。
そしたらむちゃくちゃ儲かってないっていう。
で、その決算書も見せてもらえなくって最初。
最初というかずっと見せてくれなかったんですけど。
どうなってるかわかんなくって、実際これが収支が合ってんのかとかもわからなかったんで、
Excel弾いたらむちゃくちゃ特にアスパラがうちは合ってなかった。
結構収益上がるんだけど、高収益作物とか言われるじゃないですか。
収益上がるんだけどその分ジャブジャブ出ていくっていうのがあって、
合ってないっていうのがわかって、じゃあお米はどうかって言ったらお米なんかほぼほぼ儲かんないようなもんなんで、今はいいですけど。
そうですね、2025年から6年にかけてはお米の値段がだいぶ高騰した年になってますんで、売り上げがだいぶそれまでとは変わってますね。
そうですよね。そうなんですって、まあ儲かんないっていうところで、
それでもやっぱり合にいってはみたいなところで1年間はやろうってことでやったんだけど、
やっぱ無理やわこれと思って。
で、土に、もうこれいろいろビッグサイトとかも言って、
どういう可能性があるかっていうのをすごい模索したんですけど、
ちょっとうちには向かないなっていうふうに思ったんで、じゃあどっちを残すかっていうふうになって、
で、じゃあお米、私たちとしてはいっぱい何ていうかやってくれって言って頼まれてたりもするし、
やっぱお米残すことって大事じゃないかなっていうのを思ったんで、
父にアスパラやめますっつって。
やめます?やめない?
やめます、やめないとかじゃなくて、やめますっつって。
で、やめるって言ったんですよ。
そしたらそこの近くにあった、もう左反射麻痺なんですね、父。
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その近くにあったハサミを右手で持って、バンって机にザーってハサミ刺して、
やってくれよっつって。
そういうふうに言われて、ちょっといろいろ迷ったんですけど、
でもやっぱりできないって言って、ごめんお父さん無理っつって。
これは収益合ってないし、私たちはやらんからなって言って、
一時期本当に親子喧嘩で、もうちょっと目も合わせないみたいな時期があったんです。
そういうのでお米に絞りましたね。
お父様なりにアスパラへの強い思いがあったっていうところですかね。
普通アスパラやるって言ったら、言っても最初一端ぐらいとかで始めるじゃないですか。
最初少しずつやろうかなみたいな感じで。
アスパラ多分聞いてる方でイメージわからない気がするんですけど、
収穫がとりあえず大変なんですよね。
収穫めちゃくちゃ大変です。
毎日毎日ニュキニュキニュキ生えてくるのを大きすぎると固くなっちゃうから、
決まった長さになったら切る。
なったら切るをひたすらやっていかないといけないということなので、
一端千平米もやったら、売上はもちろんニュキニュキ出てくるかあり気がしますけど、
労働時間的には一端、二端とかやったら専業レベルな気がしますね。
労働時間的に。
そうなんです。
今はロボットの収穫機があったりもしますけど、基本的には人力ですもんね。
そうです。そうなんですよ。
それをね、あの親父はね、いきなり5ターンやったんですよ。
いきなり5ターンやり始めて、倒れてお前らに任せるみたいな感じだったんで、
もうちょっと本当に想像を絶する忙しさというか、それは慣れてなかったっていうのもあるんですけど、
当時は那須地域って共同専科場がなかったんですよ。
なんで各農家でアスパラって選別するのに11カテゴリー、なんていうか11ランクがあるんですよ。
企画がそんだけ分けられてるってことですね。
そうなんですよ。むちゃくちゃ大変でそれが。
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ある程度は機械でやるんですけど、そこからはさっきは手作業で。
スーパーに並んでるのに11企画を通って並べてあって、そんなの知らなくて。
むちゃくちゃそれが大変で時間かかってっていうところなんですけど、
共同専科場がなかったんで各校でやってて、それも大変だった理由っていうのもあるんですけど、
そう、むちゃくちゃ大変だと。
ちょっと私には向いてなかったかなっていうところですね。
私にはというか、人数の問題なきもめちゃくちゃしますけど、
さっき言った通り、たぶんその半分ぐらいでも専業の方っていらっしゃるレベルだと思うので、その忙しさ的にはですね。
そうですね。そうなんですよ。
そしてそれと並行してお米が20ヘクタール、だから機械でバーってやるにしてもおそらく個人の限界ぐらいの。
そうですね。
ちょっとおかしいですよね。
そうですね。それを両立させるんだったら、人間は3倍いてもいいんじゃないかなと。
そうなんですよね。
勇気はしますね。
母はもう完全に介護で抜けちゃったので、私と夫と昔からいた従業員3人で全部やるっていう。
あとパートさんが、パートのおばあちゃんが来てくれるみたいな。
なんかそんなんでやってて限界を迎えたと。
それでそのままアスパラを辞めるっていうところになりまして、お米だけになって、
じゃあ大体それぐらいの時にもう事業生計と言いますか、代替わりみたいになったっていう感じですかね。
そこではまだ実は代替わりしてなくて、お米喧嘩してたっていうのもあって、
お米を主軸に行こうと。
じゃあお米主軸に行くって言ったってJA一本でやってたんですよ。
ゆかさきが。
どうやってお米で収益上げていくのみたいなところにぶち当たって、
最初はECサイトで直販への道だっていうふうに思って、ECサイトの立ち上げをして、
それも自力でECサイトを立ち上げたんですけど。
やって、あとは那須って観光地だったりするので、ホテルへの営業みたいなところでやってたんですよ。
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だけどこれが売れない。
もうむちゃくちゃお米ってコモディティー商品なので、むちゃくちゃ当時売れなかったんですよね。
ECも1年間の売り上げが、もう本当に兄の友達とかだけみたいな感じで。
60万ぐらいかな、そんなぐらいで全然売り上がんないし、
ホテルはもう全然うちも決まった人いるんでいらないですみたいな感じで、門前払いっていう感じで。
しかもそのお米も自分たち育ててるんですよ。
なんですけど、それを父から買って、それで直販をするっていう感じでやっていったんですけど、
その時にティンツっていう会社を立ち上げたんです。
父から、そういうお米の営業とか直販とかに、そういう営業活動に出すお金はないからなって言われて。
じゃあ、立ち上げようかって言って、企業をして、父からお米を買って、
それをホテルとかに営業して、ECとかでなんとか売るっていうのを開始したのが、
初めての会社というか、そういう会社ですね。それでやっていったんですね。
はい。だんだんと、パート1から続いていく、稲作本店とたぬき舎に近づいていって。
だんだん、ちょっと長いですね。ごめんなさい。
いやいや、全然。長いとかっていうよりは、やっぱり波乱万丈すぎて、本当はいろいろ突っ込みたいんですけど。
とりあえず、たぬき舎と稲作本店までは聞かないと。
そうですね。たどり着かないと。
じゃあ、変な話だから、作っているのは自分なんだけども、仕入れて売るっていう、ちょっといびつなというか、
ところが、最初の形だったという、最初というか。
そうですそうです。
最初の形はそれでいったんですけど、やっぱ売れないんですよ。全然売れない。
そこで、アスパラ農家の友達に、早稲田大学卒のアスパラ農家の友達がいて、近くに。
その人に、どうしたらいいかなって相談したら、当時流行っていたTwitterをやれって言われて。
まず、認知されなきゃダメだろうみたいな話になって、で、Twitterやれって言われて。
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その頃Twitterも伸びてはいたんだが、ちょっとオワコン感があったんですけど。
でもやってみようと思って、Twitterを始めていったんですね。
一つの流れとしてはそれがあって。
あとは、お米そのものじゃ絶対売れんっていう風なのが分かったんで、加工をやっていかなきゃいけないっていうことで。
その頃、どんどん岡山でやってたお店は買ったんですけど、売ったお金が300万あったんですよ。
それを全部ぶち込んで会社を作ったんですけど、もう1年経つ頃にはお米買ったりなんだりしてて、
もうほとんど残高がなくなっちゃって。
どうするどうするっていうところで、加工するためのポンガ式40万を買ったんですよ。
バンと。
売れる保証も何もないのに、それを買ったんですよね。
もうお米をとりあえずお菓子にするにはこれだろうみたいな感じで買って、
とにかく何だかよく分かんないんだけど、右も左も分かんないんだけどやり始めたのが加工への道の第一歩っていうところで。
そしてお名前にパフが突き出したと。
そうです。やっととどり着いた。
そうなんですよ。
でもポンガ式もそんなにメチャメチャメジャーなお菓子な方ではないじゃないですか。
そうですよね。なんでそれ選んだって話ですよね。
なんでっていうこともないんですけども、それを売るのも大変そうな気がするというか。
そんなメチャクチャ付加価値がつくタイプのお菓子ではなさそうな気がしますね。
はい。
どうやってそのポンガ式を売っていったのかっていうところで。
はい。そうなんです。売れるかどうか分かんなくて、ナスにクララっていう味噌屋さんがあるんです。
お味噌屋さん。
お味噌屋さん。
お味噌屋さんと、お酒とお味噌を売ってるお店があるんですけど、そこの大将がちょっと仲良くしてもらってて。
そこの大将にポンガ式作ったから食べてって言ったら、このままでピリッとやめてガッて食べて。
うまいじゃん。いくら?うち置くわって言って。
そっから、いくらにしたらいいですか?みたいな感じで。値付きもそこで決まって。
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そっから始まったんですよ。
始まって、そこで売れるようになっていって、お米の営業っていうのもまだ続けてて。
その時にポンガ式を持って、もう1箱米とポンガ式持っているようにいったら、ポンガ式はめちゃくちゃ食いつくんですよ。
え、なにこれ。いいじゃん、みたいな。
メインのお米ではなく。
お米はもう全然身向きもしなかったくせに、ポンガ式すごい身向き、お、そうですか?みたいな感じで、どんどん置かれるようになっていって。
あるタイミングで、リゾナーレナスっていう星野リゾートさんとかでも置かれ出し始まって。
で、なんか知らないけど、なんかそのうちポンガ式がきっかけになって、お米もじゃあちょっとやる人いなくなったから、お米も卸してよ、みたいな感じでお米卸させてもらうようになったりとかして。
そんな感じで、なんかその、なってったんですね。
でも、それでもやっぱり、あんまり売れてなくって。
で、あるとき、そのお米を卸してたレストランがあって、
そのレストランに来てたお客さんが、
なんだこれ、米は、つって、マジでおいしい、みたいになって、なんなんですかこれは、っていう感じで、
ちょっと紹介してくださいって言って、で、うちに来たんですよ。
そのレストランから。
そのレストランのお客さんがうちに来てくれて、じゃあお話ししましょう、みたいな感じになったら、
なんとその人は、占い界で、占い界隈で、
飴風呂とかで、かなり上位の占い師さんだったんですよ。
はい。
それで、それで、その占い師さんが、なんかその、これは神前だって、
ゴッドの神ですね。神前だから、これを紹介させてほしいって言ってくださって、
そんでその、何千人ってフォロワーがいる飴風呂で、紹介してくれたんですよ。
はい。
そしたら、むちゃくちゃEC売れるようになって、
それきっかけで、なんかECが軌道に乗り始めたんですよ。
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意味不明なんですが、でなんかその占い師さんが言うには、
あなたたちは、もう神の、お米の伝道師だから、もう今つらいかもしれないけど、
絶対にお米をやめずに、やりなさいとかって言って、
言ってくれて、やった方がいいですよ。それでそれを信じて、
はい。
お米一本に行こうっていう感じで、なんかそこからこう、
うまく回り始めたっていう感じですね。
そうですね。
じゃあ、2018年に戻られて、
コロナぐらいのタイミングですか?
そうですね、コロナちょっと前ぐらいに占い師さんに紹介してもらって、
で、同時にその星野リゾートさんとかの、その星野リゾートさん、
ナスさんの中に、お米、田んぼがあるんですよ、その中に。
で、その田んぼの監修をやってくれないかとかって言われたりとかして、
で、なんかその、そういうことをやったりとかしていって、
っていうのが2019年、20年ぐらいですね。
で、そうそう、それでなんとなく回り始めたんだけども、
やっぱりまだまだ、まだまだっていうところがあって、
で、その、まあその、稲作やる中で見えてくるところもすごいあって、
農家2年目ぐらいかな。
で、やっぱりその一時産業が置かれている状況とか、
なんかそういうのってやっぱり厳しいじゃないですか。
普通の工業とか商業とかに比べると、ずっとずっと厳しい状況が続いていて、
こういう状況、私も就農するまでそこまで知らなかったし、
知って欲しいなっていう思いもあって、
で、2020年にそのクラファンをやったんですよ。
で、その稲作革命で日本の原風景を守りたいみたいな感じで、
クラファンをやって、で、その100万目標に対して、
その3倍の300万ぐらいを達成っていう感じで、
すごい多くの共感を得られて、得ることができて、
やっぱりみんなその農業とか、そういうことに少なからずも、
都会の方も関心があるんだなって、なんていうか、
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その手応えみたいなのを感じることができて、
そういう思いを結びつけられないかなっていうのをもって、
もっと加工を充実させていこうっていうような動きに、
なってたんですよね。
そう、で、そのクラファンとかで集めたお金で、
キッチンカーとか、あとは直売所、本当にちっちゃい直売所を買って、
DIYして作ったりとかして、で、そのキッチンカーを田んぼの真ん中に置いて、
田んぼのタンカフェっていうのをやったりとかして、
ギタリストを呼んで、イベント、マルシェみたいな感じでやってみたりとか、
あとは田んぼの中、11月以降田んぼ使わないんで、
田んぼの中でキャンプ、タンキャンっていうのを丸々一つの田んぼを貸し出して、
勝手にやってくださいみたいな感じの楽しんでくださいっていう感じの、
タンキャンっていうのも企画してやったんですよね。
そしたらそれをむちゃくちゃテレビとか取材されて、していただいて、
それですごい新聞とかいろいろ載るようになったんですよ。
で、それで何となく回り始めて、表彰とかもすごいされるようになって、
っていう感じですね。
さあ、だんだんバムくん編に近づいてきましたね。
だんだん近づいてきた、だんだん近づいてきた。
そうそう、そうなんです。
で、その表彰されだして、父のところに電話が来るんですよ。
今その表彰された時点ではまだ消去してなかったんですけども、
父のところに、お前のとこの娘がんばってるらしいじゃんみたいな、
すごいすごいみたいな感じで、父も農作業やってからずっと家の中に閉じこもってたんですけど、
これきっかけで父のところに訪ねてくれる人とかが増えだして、
なんか父の中でも、あれあいつらやるんじゃないかみたいな、
ちょっといいんじゃないみたいな。
何も知らずにっていう、読んどいてあれですっていう言い方はあるかもしれないですけど、
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農業なんかやったこともないみたいな、そういう感覚だったお父様の意識が、
いろんな方からね、そっと第三者目線のところで変わってきたっていうところですかね。
じゃあそれがきっかけで、いわゆる事業生計につながっていったと。
そうです。それがきっかけで周りの評価が変わったことで父の意識も変わって、
じゃあもう消去してもいいんじゃないかっていう感じで、消去していっていうふうに変わりましたね。
変わったというか、なってきました。
代替わりを無事にというか。
そうです。無事に。
その頃になるとだんだん結果越しじゃなくなってきてるような感じなんでしょうか。
そうですね。もうその頃になると、もうなんか父も応援するみたいな感じなんですけど、
ですけど。
もう消去する前が本当に大変で、なんか隣の家の人が軽トラ買ったら買っちゃうんですよ。
これのほかあるあるだと思うんですよ。
トラクター買ったら新品で買っちゃうみたいな。
自分は初代だし、周りにそういう人がそんなにいないので感覚的には全然ないんですけど、
お米の方ってなんですかね、みんなで同じ作業するから見えちゃうっていうのはありますよね。
そうなんですよ。もうそれで、
いらない、今その新品いらんやろみたいな時に買っちゃって、
母親も母親で、老後の資金をそんなところにみたいな感じで感官に怒っちゃって、
その母親と手を組んで、ちょっと証券した方がいいんじゃないみたいな感じに持っていったっていうのがあります、実際。
まあまあ、その前まではお父様は、お母様はお父様派というか、お父様が言ってる信頼な。
だから世代間対立じゃないけど、そういう組だったのが、
ついにお母様を仲間に引き込むことが。
そうです、そうです。
成功し。
そうなんですよ、母を仲間に連れ込んで、
で、しかも70になるとローンが組みにくくなるんですよね。
うんうん。
っていうので、ちょっとこれもう70になるし、ちょっと世代交代した方がいいんじゃないって言う感じで、
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しかもそれを農協さんと、農協のなんかその、消刑部門みたいな人たちと、
あとはその、いろんな関係者を交えた席で、
わざわざそういう場を作って、で、消刑した方がいいんじゃないっていう話を持ち出したんですよ。
周りに人がいる中で。
いる中で。
もちろん事前に、その消刑についてちょっと関係者を呼んで話聞いてみない?みたいな感じのジャブは打ってるんですけど、
一度に返した中で。
お父様からしても、そこでね、まだまだ早いなんてちょっと言いにくいと言ったらですけどね、
ある程度やっぱ器のデカさも対外的に示さないといけない。
そうですね、そうですね。そういうのもあると思います。
あと、事業消刑って農家の中では結構大きなテーマの一つになっていて、
基本的には親子の消刑が多いので、
あんまりちゃんとされないって言ったらあれですけど、
引き継ぎがちゃんとできないパターンって結構多いんですよね、全国的に。
そうですね。
なので農協さんを含めて、事業消刑っていうのをちゃんとスペシャリストを置くみたいな、
フォローをするみたいなそういう方がいらっしゃったりする農協もあるので、
ただ代替わりするのにこんな大げさな感覚もあるかもしれないですけども、
農業っていうのがそんなにそれをちゃんとしてこなかったので、ノウハウがない。
なので、今改めて一般企業でやってるような消刑を農業でもちゃんとやろうみたいな流れになってきているよっていう、
そういう流れですよっていうのは、ご認識いただけると今の話が多いかもしれないですね。
これあと何分かでズームが切れちゃうかもしれないですね。
そうですね、ちょっとパート3に行く可能性なんですけども、
事業消刑の直後ぐらいまで、もしお伺いできたらと思いますね。
実際どうなりました、事業消刑、そうやって。
うんって言ってもらったという。
はい、言ってもらって3社集めて、3社4社集めてやっていった中で、
父も納得して、論が汲めないんだったら仕方がないねっていうところで、
事業消刑をしましょうっていうふうになったんですね。
じゃあいざ事業消刑しようってなったら、法人か個人かみたいな話になってくると思うんですけど、
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やっぱり稲作って結構投資額が多かったりするんですよ。
コンパインが1台今2500万とか、
そういうような感じになってきてるので、
やっぱり投資額が大きいってところで、その中で補助金っていうのが欠かせないファクターだったりするんですけど、
その補助金を得るためには、やっぱり今は法人が有利だねっていう感じのことと、
プラス女性代表だと加点されるっていう。
そうなんですよ。
それ知らなかったですね。
そうなんです。女性代表だと加点されるので、じゃあ私が代表になりましょうという感じで、
夫はその前立てたティンツっていう会社の代表なんですね。
じゃあファーム稲作が森子さん。
で、ティンツが桐野さん。
そうなんです。やっとここまで来ました。
という形に落ち着きました。
だけどその2つあると、
2つあると対外的に見ると分かりにくいよねっていう話。
冒頭に戻ります。
ようやく冒頭に戻るんですが。
それでじゃあ2つまとめて稲作本店っていうブランドを作ろうっていう話で、
別に何にもないんです。コーポレート、ホールディングスになってるとかそういうわけでもないんですけど、
稲作本店という野号、ブランド名を名乗ろうっていうので稲作本店っていう感じで決まっていったという感じ。
稲作本店はあくまでブランド名であると。
そうです。
なので実在、稲作本店株式会社とかがあるということではなくて、
ファーム稲作とティンツが稲作本店という野号を掲げてますよという。
そういうことです。
なるほどですね。ようやく今の形に。
お待たせしました。
長いとかでは全然なくて、それだけのご経験と、あとはドラマって話もありましたけども流れも普通にありますから。
やっぱりここまで来て、古典ラジオ的に言うと前提条件、背景がここで揃ったので、ようやく今のファームクレーム話にいけるかなといったところで。
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パート3ではそこから今の形になって、まさに今ないし、今年というか取り組まれているファーム空編について詳しくお伺いをしていければなというふうに思っております。
パート2もありがとうございました。
ありがとうございました。
お聞きいただいている皆さんのもう一つありますので、ぜひ最後まで。おそらく最終話聞いていただければ、すぐインスタでいいねしたくなっちゃうと思いますので。
ぜひぜひお聞きいただけたらというふうに思っております。お聞きいただきましてありがとうございました。