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2025-11-14 34:20

241 和食展に行ったこと、娘との付き合い方

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和食展に行って、静岡県のことを考えた話と、今朝娘を怒ったことを話しています

サマリー

このエピソードでは、和食展への参加経験や静岡の食文化について話されています。また、娘との関係性や静岡県内の多様性、地域差についての考察が共有されています。さらに、子育てにおけるモチベーションの低下や、自分自身のやりたいこととの葛藤についても語られています。生活コストの上昇や子どもとの距離感に関する悩みも紹介され、具体的な約束を守ることの難しさが強調されています。

和食展の体験
YAMATAROFARMの福利厚生、本日は11月の14日ですね。時刻は朝10時になります。
今から御殿場に行くので、その道中で撮ろうと思っています。
今日は軽トラなので、いつもより余計に騒音が入るかもしれません。ご容赦ください。
大きくは2つのトピックがあります。
1つは、和食展に行ってきたところ、もう1つは、今朝あった娘のことですね。
その2つをお話ししたいと思っています。
1つは、和食展に行ってきましたという話から行こうと思います。
和食展は、東京でやったり、いろいろなところでやって、日本の一応最後の開催地が静岡ということで行ってきました。
2年前から始まっているのかなと思うんですけど、
2年前の食べ物ラジオでツアー的に行ったやつの話があったかなと思いますが、
私の時系列というか、8月ぐらいで食べ物ラジオを聞いていたので、ついこの間の出来事みたいになっております。
和食展ということで、日本の食材とか、歴史的なところもそうですし、日本の地理的な、例えば水質とか地形とか、
どんな野菜が採れるとか、どんな魚が採れるとか、あとは発光とかですね、そういったところがまとめられている展示になっていたと思います。
他の会場、例えば東京とかの会場に比べたら、内容とすると縮小されたのかもしれないですけど、それでもかなりの情報量だったかなと思います。
1日、半日あれば身を覆えるぐらいかな、自分にとっては。
12日には食べ物ラジオのご両人が公開収録的にお話をされて、その後、展示物を一緒に回るというのがあるということで、
ついていくみたいなのをやらさせてもらいました。
その中で、大きな日本という国の中ではこういうことなんだろうな、みたいなのがあったんですけど、
静岡の展示ということで、静岡の食みたいなのもあったんですね。
静岡の食って、自分は静岡県民なんですけどもちろん、よくわかってないところがあって、
多分他県の方でも自身の県ですね、自身の生まれとか住んでいる県とかで思われると思うんですけど、県の中の多様性というか違いがめっちゃ多いな、みたいな、そういうことを思ってるんですね。
特に自分は浜松で生まれて、今は富士市に住んでいるわけなんですけど、
例えば県民性みたいなもの、話し方とかもそうだし、そういったものが全然違うっていうところも、
県民性、市民性、地域性というか、まるっきり違うな、みたいなことを思うわけですよね。
それにヒントというか、そういうのがあったらいいな、なんていうのをちょっと期待して見に行ったんですけども、
そういうまとめ方はされてなかったんですね。
ただヒントになることでいうと、いろいろあったんじゃないかなというふうに思ってます。
例えば歴史的に取れたものというか、
例えば港が近くにあるとか、東部がやっぱり多いかな、富士山というものの存在の影響がやっぱり大きいというところとか、
そういうのはね、結局そういうところに起因するんだろうな、みたいなことは思いましたね。
竹川市の副市長さんも来られて、少しだけお話を聞く機会があったんですけど、
竹川市の中でもやっぱり北と南はもう全然違うな、そもそもね、
今は同じかけがわ市ですけど、南の合併してかけがわに入ったというところ、かけがわ市の形ってちょっと踏み入れてるというか、
そういうふうになって、やっぱりちょっと南北の違いっていうのがあるのかな、なんてことをお話を聞かせてもらって思ったんですけど、
そういうのはすごい感じましたね。結局そういう土地に由来するものなのかな。
例えば静岡県っていうのは大きな川が4つありますよね。天竜川、大井川、阿部川、富士川と大きな4つの川があって、
やっぱりそこで結構景品というかね、そういうのは変わってる気がしてます。
川が違うっていうところで、川を渡るっていうこと自体が大変みたいな、そういう人の交流みたいなのもあると思うんですけど、
川があることによって環境が変わって、何ができるできないみたいな、何が取れる取れないとか、食生活っていうのも変わってっていうところもやっぱり結構大きな違いなんだろうな、なんてことを思いましたし、
逆に言うと、よく今の県域を一つの静岡県というものにしたんだなあ、みたいな。それも人為的なものももちろんあると思いますし、どういう経緯かわからないですけど、そういうことを思いましたね。
すげえざっくり言うと、昔はそうだったっていうことかもしれないですけど、あまり静岡県の昔のことを詳しく知らないんですけど、やっぱり阿部川、西阿部川東っていうのはかなり感覚的に大きな違いな気がしますね。
っていうのがあったりとか、あとお茶という存在も、基本的にはその巻の原、今お茶が多い巻の原地域みたいなところっていうのは、後からというかね、結構力技で何とかしたみたいなところもあったかなというふうに記憶してるんですけど、
確か食べ物ラジオでお茶の歴史をやってた時に、かなり多い川から水を踏み上げてて、すげえ大変だったね、そもそも。
そういう、人の営みで生まれたのも茶園などがありましたし、そもそもお茶っていうものでいけば、すごい水をあげないと何とか育たないみたいなものでもない。
果樹一般、結構そういうのはあると思うんですけど、最初根付いてさえしまえば、あとは自然の雨で何とかなるみたいな。
最近はね、なかなかちょっとそうじゃない場合も出てきてるんで、大変ですけど、そういう歴史的なところもやっぱりあって、
お茶というものが、たまたまお茶って決まったわけじゃなくて、その時のその人たちの状況とか、お茶というものの性質上で考慮されてお茶というものに決まったみたいな。
だからすごい、やっぱりなるべくしてなった形だったなって思いつつ、なるべくしてなったっていうところだけじゃなくて、そんな混ざってないというかね。
例えば静岡県っていう一つの国があるわけなので、静岡県の中でもっと静岡っていう気に入った方が進むのかなみたいな。
たぶん進んでると思うんですけど、そんな、やっぱりスピードって速くないんだなみたいな。まだその途中途中で。
例えば今で言ったら、富士ぐらいまでかな、静岡ぐらいまでかもしれないですけど、新幹線を通して、新幹線通勤で東京に行く方って多い。
だからやっぱり東北っていうのは地域的なところも含めて、東京県に影響を受けやすい県ってのもありますし、逆に西部でいけば名古屋。
行きやすいはもちろん行きやすい。中京圏の影響を受けやすいは受けやすいし、県民性、静岡という一つ国に対して凄い領差異動が強い。
だから、静岡県というまとまりというよりも、それの力は働きつつも、領差異動に対応していくというか、力もまだまだ強く働いていて。
だから、静岡県というものの統一感がないのかなってことを思ったって感じですね。
簡単ではないな、みたいなところが。
正直ね、自分も富士に来て10年近く経つわけですけど、未だにあまり富士市に住んでるっていう感覚は強くないですね。
もちろん住んでるんだけども、やっぱり浜松がホームタウンというか、浜松の方が空気が合うというか、馴染むというか、そういう感覚は未だにありますね。
景色がすごい変わるっていうか、そういうことでもないんだけど、変わるは変わるんだけど、気候みたいなところで過ごせる。浜松の方が自分は落ち着くっていうのはまだまだありますね。
なので富士っていうところは、まだ自分の中でもよそ者みたいな感覚は全然ありますね。
娘は富士で生まれて、富士で育つわけで、その感覚が富士に行くはずというか、行くだろうという予想がされるので、また自分とは全然違う感覚で富士という街を見るだろうし、
それが違う人なんだな、みたいな。そういうところにつながるってのもありますね。
やっぱり未だに富士の人に対して仲間意識みたいなのが、自分ですごい好きな気がしますね。浜松の人とか、特に自分の生まれの細江の人っていうのは、細江の人っていうだけで相当、もちろん、
伊那さんの人、旧伊那さんの三日目伊那さん、細江っていう山頂っていうのがずっと人ごっこだったので、何も言わなくても全体感というか一体感というかそういうのがある気がしてるんですけど、
それを自分が浜松の人、例えば旧の浜松の人に感じることも、やっぱりそれからすると薄いんです。
同じ県っていう中でも富士っていうところはまだまだ自分にとっては、この知的な感覚がまだまだ強いなというふうに思います。
同じ静岡っていうことでいくと、またちょっと生まれるかもしれないんだけども、それは他の県ももちろんあると思うんだけども、その地元に対する根強さっていうのが、やっぱり静岡県は強いんだろうな、
静岡県というか、静岡県の中の島地っていうのは強いんだろうなっていう感覚になりますね。
それだけいい言い方をすると、静岡県っていう一つを持ってみると、すごい多様な県な気がするし、きっといいこともあるんだろうなというのもあるんですよね。
そういう感覚にはちょっとなりにくいのかもしれないけど、そういうのはありましたね。
という話です。あまり落ちのないというか、和食店というところに行って、住んでいるところは違うっていう地理的な環境っていうのは、核も大きく影響するのかみたいなことをちょっと実感して帰ってきたみたいな。
地域の多様性
そういうことをちょっと言いたかったですね。
もう一個、娘のことですね。特に次女、さっちゃんのことだったんですけど、今日もね、さっちゃんは一ちゃんとは違う強情さを持っていて、
さっちゃんは自分の気に入らないところになると、スッと動かなくなるんですよね。何もしなくなる。ペンと寝て動かない。そういうストライキ的な行動をよくとるんですけど、
今日も着替えないとかそういうのがあって、それに自分がスッとね、もういいやみたいな気になっちゃったんですよね。
馬鹿らしくなったというか、付き合うのちょっとやめようみたいな、そういう感覚になりましたね。
これはピーチャーピーチャーの何週間前のひぼうじゅうしょう会の話、全体をとるとかじゃなくて、
あの時に古川先生が言ってた、ずっとモチベーションがやる気がなくなって、そういうのに近い感覚なのかなと思ったりしたということを言いたかっただけなんですけど、
子ども育てなんでここまでせんといかんのやろみたいな気になりましたね、今日は。
それは多分ちょっと今も続いているし、いろいろと11月12月、協力してもらうこともいろいろあったりするし、
その代わり12月は味噌作りに一緒に行こうとか、リクエストにいろいろ答えようみたいな。
確率もそういうのもあるんですけど、あるけどなんかもう全部どうでもいいやっていう、そういう気持ちになりましたね、今日は。
それをとはいえ、それでもなおやっていかなくてはいけないのは子育てなので、
どっか気を持ち直して、結果娘たちが育つようにっていう観点でいろいろと考えていかないといけないと思うんですけども、
これをずっと続けるの結構やっぱしんどいなーって思いましたし、
もっと自分でやりたいことをやろうかなっていう気持ちなんですね。
他の家庭がどうなのかわかんないですけど、最近は自分もちょっと本を読んだりしているものの、
基本的に家に行くときは子供たちと何かするみたいなことしかしてないって言うとあれだけど、
基本的に子供が寝るまでは子供の時間みたいな。
別にここまでせんでいいんじゃないかと思ったりとかね、そういう気分ですね。
だから俺がそういうタイミングなのかもしれない、子供との距離感ですね。
もうちょっと話してもいいんじゃないかみたいな、そういう言い方なのかな。
だからですね、ご飯作んないとか、そういうわけでもちろんない。
難しい、難しいなーって思いましたし、
きっと世の中のお父さんお母さんというのはこれに悩みをされ続けているんだろうな、みたいなことも思いましたし、
怒ったきっかけとすると、約束を守らなかったらご飯食べたらお着替えとか準備しようね、みたいなことをして、
その代わりにちょっとおやつを持たしたりして、
じゃあそれ約束ねってやって、食べ終わったから約束通りに着替えしようって言ったら、
5,000円くらいの値段で追っかけてふざけるっていうのが起こったんですけど、
本当ならというかね、うまくやる気にさせるみたいなところが正しいっていう言い方もちょっとわかんないけど、
そういう風潮だと思うんですよね。
子供はなるべく怒らないで、子供をやる気にさせた方がいいよみたいな。
で、そういう科学的なデータもあるみたいなんですけども、
なんかめちゃくちゃ苦手ですね、本当に。
やっぱりそこまでやるコストを払ってまでやりたいかね、みたいな反応でいくと、
全然そんなモチベーションはない。
そういう感じですね。難しいな、なんか。
じゃあやらなきゃいいじゃんっていうわけにももちろんいかないし、
じゃあどこまでやるんだ、みたいな。
そういうオチかな、オチというか落としどころかな、今日のところは。
生活コストと約束の難しさ
もう一つが、11月も7、8、9、10、11と、
最近この5ヶ月はなかなか仕事が厳しいんですよね、実際。
早く仕事に行かないと、みたいな。
たくさん仕事をしないとなりがちなので、それを妨げられるということに対してめちゃくちゃイラっとすることもあるし、
やっぱり娘たちのせいじゃないにしろ、生活コストの上がり方がはっぱないので、
それをクリアするためには、働かないといけないみたいなところで、
スクリやってるんだけども、そこは協力制御みたいなね、
そういう気分になってたみたいなのもありますよね。
もうちょっと参加を、お金に余裕があるみたいな生活をしてるんだったら、そういうと思わなくてもいいし、
そういう金に余裕がないな、みたいなのも思ったし、
でもそんなに余裕なのも難しいし、
一方で3歳だからね、その約束を守るみたいなのが難しいというか、
そんなできることではないみたいなのも上の方の人が経験してるし、なんですけど、
今日はずっとやる気がなくなったので、たまたまそういう感じなのか、
いろんなものが重なってそういう感じなのかということが起きたんですね。
実際、七五三の写真を撮りに行こうみたいなのもあったんですけど、
やろうかやめようか悩んだんですね。
すげえ高いんですよね、実際。
すげえ高いといっても、制御をどれだけするかで金額も飛ばしてくるんだけども、
これをやることにどれだけの価値があるんだろう、みたいなすごい疑問を持ってしまってますね、今。
自分もやった記憶はあるんだけども、
別にやってよかったと思ってないし、自分が。
やること自体に意味をもっと感じていないっていう。
自分が重要だと思っていないっていうのが大きいかな、ちょっとそういうのを思いましたね。
これがどういう決定に、一体どういう思考に結びついたりするかまだわかんないけども、
子どもの接し方と自分と子どもの距離感と、
ちょっと疲れが出てるなっていう話でした。
ということで、とりあえず以上にしようと思います。
これでもう多分14、15、明日明後日11月1025年の農協祭ですね。
土曜日は半日で準備して、日曜日は農協祭本番で、その後打ち上げみたいなのもあるんで、
そんな感じで、バタバタするのでごめんなさい。
34:20

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