1. たしづんの日々考察-ヒビコウラジオ
  2. #90 たしづんの学生時代
2024-09-15 24:37

#90 たしづんの学生時代

#72 就職第二氷河期ってなに?(たしづんの造語です)
https://stand.fm/episodes/66bf54ffa85ea2ce3a78d99b

#66 大学のお酒エピソード
https://stand.fm/episodes/66b823c7f1cc67fb33c10243
広島でサラリーマンをやっています。自称プロリーマンを目指して、日々アップデートを続けています。
その過程で考えたことを皆さんにシェアしていきます。
https://stand.fm/channels/664b2900316143a7714c6b99
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日々考察-ヒビコウラジオ。このチャンネルでは、就職第二氷河期世代のたしづんが、
仕事のコミュニケーションを中心に、いろいろと考察をしていきます。
はい、今回は第90回の放送ということで、
えーっと、霧の良い放送回数ですよね。90回ってすごいですね、皆さん。
本当にありがとうございます。いよいよ100回が見えてきたなって感じで、
ね、まさかここまでね、ラジオ配信続けられるとは思ってなかったんで、本当にフォロワーの皆さんにね、とっても感謝してます。
ということで、第90回の放送を始めていくんですけどね、
今回のテーマは、あの、学生時代のたしづんを振り返るっていう回にしようと思います。
まあ、いわゆるたしづんのルーツを探るというか、あの、まあ簡単に言うと自分語り回ですよね。
たまにはね、自分語り回やっていこうと思います。
んで、んーと、まあ、えーっとですね、小学校の頃は、
えっと、なんか今の、今の私のような雰囲気でした。
まあ、要はその初対面の人にも、あの、物応じせずに、えっと、まあいろいろ関わっていって、
まあみんな友達だったらいいなみたいな、そんな気持ちでした。
だから、ほんとね、幼稚園とか小学校の頃の、えっと、スタンスがね、結局、なんかそこに戻ってきてるって感じなんですよね、今。
なんか全員、ジャンプの世界で全員仲間がいいみたいな。
えっと、だから、やっぱ三つ子の魂100までって、昔の人はね、やっぱ上手なこと言ってるなってほんと思います。
で、うん、まあ小学校の頃はね、あんま、あの、毎日楽しかったから記憶ないっていう感じで、
まあ当時はね、ほんとテレビゲームめちゃめちゃ好きでしたし、野球、やっぱ野球好きでしたね。
広島県民はやっぱカープが好きって、もう洗脳みたいな感じなんでね。
うん、なんでサンフレッジは洗脳されなかったんだろうって、そんな感じです。
うん、だからまあまああんまね、特に語ることないんですよね、小学校の頃ってね、ほんとに、もうごく一般的な男子小学生やってました。
で、まあ、中学生、やっぱ中学がちょっとやっぱ転機だったと思うんですよね、みんな、多分皆さんね、中学ぐらいからいろんな人、枝分かれしてくると思うんですよ。
で、まあ、たとえば小学校の頃、うちの同じ地域の、あの、地域に子供がすごく多かったんですよ。
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で、あの、ほんと山ん中の住宅地なんですけど、あの、小学校ね、1000人、あの、児童がいたような、一学年にね、5、6クラスあったんですよね。
その、ほんとにいわゆるニュータウンみたいな、まあ、めっちゃ山ん中ですけど、そんな感じでした。
だから、あの、えっと、同じ地域の、その、自治会で、同級生がね、男子だけでもね、10人近くいたんですよね。
まあ、当然ね、全員友達で、すごくね、みんなで、なんか、バカみたいな遊びやってたんですよ。
山ん中、秘密基地作ったりとかね。男子は秘密基地作るの好きですからね。
山の斜面をね、スコップで削って階段を作ったりとかね。楽しかったですね。
で、えっと、まあ、そんな幼少期だったんですけど、中学になるとやっぱね、枝分かれするんですよ。
だから、小学校の頃に、なんかすごく仲良かった友達が、やっぱりね、不良になるんですよね。いなかってね、中学から不良になるんですよ。
うん、だから同級生の、その、同じ地域の、えっと、同級生、男子10人いたんですけど、やっぱね、3人ぐらいね、とんでもない不良になってですね。
まあ、だから逆に言うと幼馴染だったから、なんかそういう、その幼馴染の不良には絡まれずに仲良くしてもらって、まあ平和に過ごせたみたいな、そんなのもあるんですけどね。
だから、うちの小学校も多かったんですけど、中学も人数多くて、やっぱ1,000人ぐらいいましたね。
えっと、一学年に8クラスから9クラスあったんですよ。で、まあ、どいなかなんですけど。
不思議な街なんですよね、うちの地元って。で、えっと、だからやっぱりね、その、人数多いんでね、不良がたくさんいるんですよ。
1学年にね、20人から30人ぐらい不良がいて、もうね、ほんとね、怖いんですよ。
だから8クラスだから、8クラス20で割ると、1クラスに3人ぐらいやばい不良がいてんで、もうね、すごかったですね。
で、えっと、学年で一番、なんか一番喧嘩強いやつが、
と、えっと、なんか2番目に喧嘩強いやつに嫌われてて、もう、そいつにね、いつ殴られるんじゃないかってめっちゃビクビクしながら過ごしてた、中学。
そんな、ほんとね、怖かったんですよ、ほんとに。で、一番やばいやつと、なんか偶然友達になれたんで、なんかね、
まあまあ、いじめられたとかはなかったんですけど、でもね、めっちゃ、なんかね、当時はやっぱり暴力があったんで、すごくね、あの、すごかったですよ。
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その一番やばい不良の友達から、ちょっとおいでおいでーっつって、おいーってね。
で、なんか手招きされるんですよ。で、めっちゃ嫌な予感するじゃないですか。で、なんかとことか歩いて行ったら、なんかいきなり柔道の技かけられて、あの、バーンって床に叩きつけられて、
おい、お前、ちゃんと受け身取らんと怪我するぞ、みたいなこと言われて、いやいやいや、怪我するような技かけてくんなよ、みたいな、なんかそんな感じで、ほんとね、暴力沙汰がいっぱいあったんですよね、中学校の時。
だから、ある意味、なんか今思うとですね、人の顔色をうかがう性格って、あの、僕の特徴なんですけど、なんかこの中学の時にね、それがすごく、あの、作られていったんじゃないかなっていうのは、なんか思うんですよね。
んで、ま、高校、高校はですね、なんか、あの、いわゆるね、なんちゃって新学校みたいなとこに行ったんですよね。その、地域の中ではちょっとレベルが高いんだけど、ま、でも県内で比べたらそうでもないみたいな、そういうとこに、そういうとこに行けたんですよね、偶然。
なんか、な、なんでか知んないんですけど、定員割れしてて、あのさ、あれ?って思ったら、なんか、まぐれで入れたわ、みたいな、しかも、あ、ま、そうそう、そうなんですよね。その年、なんか言う、人気な学校だったのに、その年だけなぜか定員割れしてて、なんか、滑り込んで入ったんですよ。
そうすると、あの、やっぱりみんな、そうやって、レベルの高いやつらが入ってくるんで、1年生の1学期の、なんか、1学期に模試があったんですよ、早速。でね、その時の模試でね、あの、偏差値、え、なんかすごかったんですよね。なんか、数学だって偏差値40とかだったんですよね、確か。
でも、まあ、うちの姉、姉が同じ高校に通ってたんで、まあ、数学偏差値40って言ったら、まあまあ、そんなもんじゃろうって言ってました。うちの姉、姉貴はね、数学マジで苦手で、その学年200人、200人中180番とかだったんですよね。だから、数学はできるわけないんだけん、そんな気にする必要ないよ、みたいな、そんなこと言われて、でも中学の頃に、中学の頃、英語のテストで、
100点とか取ったことあるのに、英語得意だと思ったんですよ。なのに、高校の模試で、なんか偏差値52、3で、あれ?みたいな、高校の勉強って難しいんだなって、その時にすごくね、あの、びっくりした記憶がありますね。で、なんか、あの、僕が通ってた高校は、すごく、あの、宿題とかがめちゃめちゃ厳しかったんですよ。
だから、宿題忘れたら、その、居残りさせられて、あの、宿題終わるまで帰ら、帰れないとか、あと、なんかテストでも、あの、小テストってあるじゃないですか。定期試験と関係ない小テストあったんですけど、小テストも合格点取れるまでずっと放課後、なんか、放課後受け続けなきゃいけないっていうのがあって、あの、要は、居残りめっちゃするんですよ。
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で、生徒指導も厳しかったんで、なんか、お前、なんか、後で、なんか、生徒指導室に来いみたいな感じで、反省文書かされたりとか、いっぱいあったんですよね。で、1年生の時に、やっぱ、そういう居残りめちゃめちゃ、なんか、あの、やらされて、で、部活に遅れていくんですよ。僕は公式テニス部に入ってたんですけど、公式テニスの練習に遅れていくわけです。
そうすると、その、えーと、まあ、私が通ってた高校って、やっぱり中学と一緒にね、荒れてる地域だったんで、先輩がめちゃめちゃ、もう、怖いんですよ。一言で言うと。なんか、インテリヤクザみたいな。地域ではそこそこの新学校だったから、あの、柄が悪くて、頭の賢い人らがいっぱい入ってくるんですよね。
で、まあ、その、宿題忘れましたとか、なんか、ついしで遅れましたって、何回か遅刻したんですよ。そしたら、ある日、なんか、その、先輩に、なんか、その、報告するじゃないですか。すいません、遅れましたって言って、なんか、まあ、こういう理由で、なんか、居残りさせられてって言ったら、なんか、その、キャプテンの先輩が、3年のキャプテンの先輩ですよ。えー、みたいな。そうなんだ、つって。
えーっと、しずんくん君さ、君さ、それってさ、それでいいと思ってやってるわけ?みたいな。言ってくるんですよ。いや、良くないです。つって。あー、良くない。え、良くないって言うのは分かってんだ。ふーん、みたいな。え、じゃあ、明日からどうすんの?みたいな。聞かれるんですよ。めっちゃ怖ぇーと思って。だから、あの、じゃあ、明日からは真面目に宿題をして、居残りをさせられないように、自分で、が、なんか、努力しますって言ったら、あー、そうな。え、じゃあ、それ、やってよ。つって。
なんか、明日も見とくけん、明日はお前がやってるかどうか、俺見とくけんさ、明日はやるよなって言われて。やりますって言って。めっちゃ怖いわ、この人らと思って。で、しかも、うちの姉が3年生だったんで、めっちゃやりましたもんね。えーって、だるだるさんの弟ってそういうことするんだって言われて、いや、もう今後はしませんみたいな。めっちゃ激詰めされて、怖かったんですよ。
でもね、先輩の、1年生の1学期で、先輩がそういう指導をしてくださったおかげで、もう絶対宿題は忘れちゃいけないし、テストも最低限の点数は取らないといけないなって、そういうね、気持ちがものすごく身に染みたんですよ。だから、そっから勉強を真面目にするようになったんですよね。
で、まあ幸い、あのテニス部の練習ってそんなにきつくなかったんで、そんな家帰ったらなんかもう気絶するように寝るみたいな、そんなことなかったんですよ。でも僕が行った高校は、剣道部とハンドボール部がインターハイ狙うぐらいの競合校で、で、まあそれ以外の部活もね、普通に、まあ剣隊は最低でも出れるみたいな部活ばっかりだったんですよ。
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だから、もうみんなね、1年生の頃は部活の練習のきつさに耐えれなくて、授業中寝るみたいなやつばっかだったんですよね。だから、なんかそんな中で幸い、公式テニス部はそこまできつくなかったから、その家帰ってもね、余力があるんですよ。
まあそういうことで宿題とかもきっちり、夜にきっちり宿題して次の日を迎えるみたいなことができたんですよね。まあでもその経験がすごくね、自分にとってはありがたかったなって思ってるんです。
まあそういうことで、なんか高校生のね、なんか2年生、もう忘れましたけどね、いつからか、なんか突然勉強ができるようになったんですよ。だから学年の200人中、なんか160番とか、えーともう忘れたけどな、たぶん150とかだったんじゃないかな。
でなんかそれがいつの間にかね、上から10番とかになってたんですよ。真剣ゼミの漫画みたいな話なんだけど、不思議ですよね。いつの間にかできるようになってて、でまあそれで、なんかクラスのなんかそのエースみたいな感じになってたんですよ。だからなんか先生がこう当てるじゃないですか。
授業中に当てて、これはどうだって言って、わかりませんって言うんですよみんな。で、やれやれみたいな顔をして、お、じゃあたしずんどうやって言われて、なんとかですって、お、正解みたいな。で言って、あいつすげえなみたいな。なんかそんな感じになってしまってたんですよね。でも周りの人も普通に真面目にやったらできるのになっていう感じでした。まあ部活がきついからしょうがないよなって正直思ってました。
だからなんか特別頭が賢いわけじゃないんだけど、その他の人と比べてなんかコツコツ努力する経験みたいなのを早めに詰めたんですよね。まあもちろん部活もね、テニス部は弱小チームだったけど、でも真面目にやってましたよね。
だから公式テニス部のコボンの先生がちょっと立ち悪いおじさんだったんで、みんな敬遠してたんですよ。だからなんか部長副部長はね、やりたくないみたいな感じがあったんですよね。で、まあみんなやらないから僕はね副部長をやったんですよ、テニス部の。
その時にね、高校のテニス部で副部長をやった経験も多分人生にめちゃめちゃ影響してるんですよ、実はあの1年間。今思うとそうですね。
だからなんか副部長はやっぱり先生とか部長とそれ以外の部員の間に入って、上手いこと角が立たないように日々流していくみたいな、そんな技術が身についたんですよね。なんかすごいやって良かったなって本当に思うんですよ。
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で、まあまあそんなことがあって、高校2年と3年の2年間はなんかね、変に優等生キャラみたいな、そんな感じでしたね。だから高校の同級生は私のことをすごい天才だと勘違いしてるやつが何人もいました。
だから高校生の時はすごく活躍してて面白かったんですよね。高校3年生はすごく輝いてたなって思います。まあでもね勉強も部活も結局しんどかったんでね、今できるかと言われたらもうどうだろうなーって感じです。
まあでもそれで勉強、頑張る経験が詰めたのが良かったかなーって感じですね。で、まあ地元の国立大学に入ったんで、なんか就職の時もね、やっぱり有利ですよね。別に僕的には学歴で人を判断するやつって嫌いなんですよ、ぶっちゃけ。
なんかそうやってその人自身のいろんな要素を丁寧に観察していくっていう作業をサボってるわけじゃないですか。出身校でその人の全てを決めてしまおうっていうのはめちゃめちゃ横着な態度だと思うんですよ。だから学歴で判断するっていう考え方はめちゃめちゃ嫌いなんですよ。
でもやっぱりそうは言っても世間一般的にはその偏差値の高い大学を卒業している人の方が優秀みたいな、そういう錯覚を覚えている人があまりにも多いんで、そういう意味でそこの大学行って良かったなっていうのはありますね。
別の回で話してるんですけど、就職第二氷河期世代なんですよ、我々は。なのでリーマンショックと東日本震災のダブルパンチで就職が全くできない世代だったんですよね。就職が全然なかったんですよ、本当に。
だから結局この大学入っても国立大学行っても有名な企業とかイケてる会社には入れないんだなって、そういうのを実感したんですよ。逆に言うとそこで変にブランド意識みたいなのを持たずに諦めがついたのは良かったかもしれないですね。
そういう肩書とかじゃなくて、自分がどんだけ実力を持ってるか、それで周りにアピールしていくしかないっていうことをものすごく学んだんですよね。
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だからこうやってこんなラジオで意識の高い日頃のコミュニケーションだの、仕事術だの、語れるぐらいまで勉強していったのはやっぱりそういう危機感があったからっていうのがあるんですよね。
まあそういうことで、学生時代はね、高校生の時はまじで優等生キャラで、その後大学生になって人生が狂ってしまうんですよね。これも大学のお酒の失敗エピソードっていう回があるんですけど。
本当にね、大学生でお酒飲めるようになってからひどい目に遭いましたね。授業も行ってないし本当に。
もともと家がめちゃめちゃ貧しかったんですけど、その後僕が大学入ってぐらいに父親が病気になっちゃったんですよね。ずっと糖尿生活してて、結局大学3年生の時に死んでしまったんですよ。
亡くなっちゃったんです。だからずっとね、そういうお金に余裕のない大学生活を過ごしたんです。だから僕が授業に出てないとかっていうのは、その時間にバイトしてたんですよね。他の人とはちょっと違う感じだったんですよね。
だから本当にね、授業を出て、バイトめっちゃしてたんですけど、授業を出てテニスサークルの練習に参加して、そっからバイト行ってっていう毎日をずっと送ってたんですよね。だから本当にね、体力的にも結構きつかったんですよ。メンタルもきつかったけど。
だからその時のやっぱしんどい経験が、こういう今の会社のしんどさに耐えられる土台になってるんじゃないかなって思うんで、その経験はね、無駄じゃなかったなっていうのはものすごく思うんですよ。この大学時代苦労した経験。
大学の頃には二度と戻りたくないかなー。きつすぎたからなーって感じですね。世の中の一般的な人は大学生が一番楽しかったから大学時代に戻りたいっていう人が結構たくさんいるんじゃないかなって思うんですけど、私はね、大学生の時が一番きつくて、どの時代を選べって言われたら絶対大学時代だけはダメだと思ってる。そんな感じなんですよね。
まあでもああいうお酒の飲み方とかね、そういうのはね、知れてよかったなって心から思ってますけどね。だから、だからえっとその鳥取県世名古でその大学の頃の同級生が、同級生がUターンしてたんですよ。
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まあそれで彼がその僕の行きつけのコンカフェに行った時に、なんかこいつを一人にすると大変なことになるからって、僕も急遽そのコンカフェに駆けつけて、まあ二人でバカみたいな飲みをしたんですよね。まあでもそういうのがね、ある程度わかるようになったっていう経験も詰めたんで、大学時代も決して無駄じゃなかったなっていうふうにはね、感じますよねどうしても。
思わないとやってきれないし、しんどいだけで終わりってね、当時頑張ってた自分がかわいそうなんで、やっぱり当時の自分がそのしんどさを乗り越えてくれたおかげで、今なんかちょっとねレベルが上がってるみたいな、そんな風に思いたいじゃないですか。まあまあそういうことなんですよね。
で、まあ広島、前回広島に住んでた頃に、その地域のテニスサークルに入ってたんですよ。で、それも大学の後輩を誘って一緒にテニスやったんですよ。
で、その彼が近所に住んでるっていうのがわかってたんで、だからこの度広島に戻ってきて、その大学時代の後輩がずっとそのテニス続けてるんですよ。で、まあ今日久しぶりに会って、まあテニス面白かったんですよね。
だから結局この飲み勝つの時期は終わって、またテニス趣味っていう、いかにも健全な社会人に戻ってくるんじゃないかなってそんな気がしてます。
いやーちょっとすいません取り留めのない話でもう22分を超えてるんですけど、まあまあたまにはこういう自分語りの回もね、やっていきたいなっていう風に、そんな風に感じます。
はい、第90回の放送ってことで、たまには自分の過去を振り返ってみるっていう放送をしてきました。
まあ皆さんもね、どんな学生時代過ごしたとか、そんなコメントで書いてもらえると嬉しいかなって思います。
はい、以下雑談ですけれども、今収録してるのが2024年9月14日土曜日です。
今日はね、地元の美容院にも久しぶりに行って、またこっち戻ってきたんでよろしくお願いしますって感じでね。
そうそうそう、その美容師さんはうちの姉貴と同級生なんですよね。だからすごくね、かわいがってくれてるしね。
こういうね、もともとあった人間関係っていうか縁というか、それがねまた戻ってくるのってすごく幸せだなっていう風に感じてます。
だから今後またいろんな人間関係を作っていって、この人と仲良くしててよかったなみたいなのをどんどん作っていきたいなって、そんな風に感じますね。
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だから今からまた新しい人間関係どんどん作っていけたらいいなーって、そんな風に思います。
はい、ということで日々考察日々考ラジオ第90回の放送を終わります。ここまで聞いてくれてありがとうございました。
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