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2025-06-01 25:02

#260 たしづんの頃の就活【第二氷河期】

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#72 就職第二氷河期ってなに?
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#就職氷河期 #就活
広島でサラリーマンをやっています。自称プロリーマンを目指して、日々アップデートを続けています。
その過程で考えたことを皆さんにシェアしていきます。
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サマリー

たしづんの就職活動は、第二氷河期と呼ばれる厳しい時期に行われています。リーマンショックの影響で景気が悪化し、多くの学生が内定を得られず、競争が激化しています。その中で、たしづんは自身の経験や戦略を基に、地元企業へのアプローチ方法や採用活動の現状について話します。第二氷河期世代の就職活動については、厳しい状況を乗り越えるための努力や体験が語られています。特に、経済の影響による採用の減少や就活の困難さが強調されています。

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日々考察-ヒビコウラジオ。このチャンネルでは、広島でサラリーマンをやっているたしづんが、日常の出来事について色々と考察をしていきます。
外で収録しているのでね、車の音がかなり入っていると思います。申し訳ございません。
第二氷河期の就活
第260回の放送ということで、今回のテーマが、たしづんの頃の就活というお話をします。
えっとね、10の倍数の切り板では毎回自分語りをしています。
えっと今回は就活のお話ですね。就職活動。
あの、まあ、我々の世代って、就活結構ね厳しい世代でですね、第二氷河期なんて言葉が流行った、一瞬だけ流行った時期です。
で、どういうことかというと、あの、ちょうどね時期が悪かったんですよね。
えっと、私、たしづんは2008年にあの大学に入学しました。
で、2008年何が起きたかというとリーマンショックですよね。
リーマンブラザーズという、えっとね、あれ銀行だったですかね、が経営破綻して、あの、まあそれで
えっとリーマンブラザーズ社にお金を預けてたり、融資を受けていた会社、こういう会社、会社たちが、あの、まあお金の調達が難しくなりましたと。
そういうことで、あの、とてもね、えっと資金繰りに苦労する会社が増えて、あの、いわゆるね、連鎖倒産って言うんですけど、
えっと、リーマンブラザーズ社にお金を借りられなくなったり、預けてたお金がパーになってしまって、お金がなくなって、あの、巻き添いで倒産をしてしまう会社が増えました。
それね、アメリカでの出来事ですね。一番衝撃的だったのが、クライスラーっていう自動車の会社、自動車のメーカーがあの経営破綻したんですよね。
あのニュース見た時に、いよいよヤバいなって、めっちゃ緊張感が走ったのをね、覚えています。
ですから、
まあそういうね、大きな会社が倒産、たくさんしてですね、そうすると、まあ当然、日本の会社にもですね、
そういう悪影響っていうのがね、あの、どんどん連鎖していくんですよね。これがグローバル社会の怖いところですけど、グローバル経済のね。
それで日本の会社、特にあの自動車の会社がね、めちゃめちゃ景気が悪くなりました。 やっぱりトヨタをはじめとして、
日本の経済って、あの自動車産業がかなりの大きな部分を支えているという状況でしたので、
本当にね、グローバル、 すごくね、グローバルで景気が悪くなりました。
ですから、2008年の冬とか2009年の春にね、就職活動をした人たちってめちゃめちゃ大変だったんですよね。
就活の準備と戦略
大手の会社が採用活動をしませんって宣言したりして、 それでね、あの要は上位の東大とか、
東大とかはちょっと関係なかったのかもしれないけど、 あの頭の賢い大学の人たちが、あの大手の一流企業を狙ってたんですけど、
採用取りやめですから、あの地方のね、その 中小企業に流れてくるわけですよ。
ですから、 そうすると、あの
我々地元、地方の大学に通ってた人間は、元から地方の企業を狙って就職活動をしていたわけで、
めちゃめちゃその、 ライバルが増えるんですよね。
そういったことで、 まあ簡単に言うと、えっとなんていうのかな、
ライバル、えっと、 就職活動をしている人に対して、採用の人数がめちゃめちゃね、
少なくなってしまって競争率が上がるので、
あの就職が決まらないまんまの人がね、結構出てしまった年なんですよね。
それがまあ、私の2年上の人たちですよね。 その被害にあったのがね。ですからその、
なんて言うんですかね、えっと、 その人たちが
就職できなくて、次の年に就職するっていうことになって、
ですから、要は我々の1年先輩は、えっと、 2年先輩の人らと一緒に就職活動をしなきゃいけないので、
めちゃめちゃ、またね競争率が上がって、 あの就職できない人がまた出てしまう年になったんですよね。
それが2000、えっと2009年の冬から2010年の、
春夏秋ぐらいまでの就活。 で、2010年の秋冬から我々が、
就職活動を始めますと、 いうことでした。
で、えっと、まあ2010年の冬にその1個上の先輩らと一緒に就職活動をして、
あの、もうね、景気悪いの分かってたので、私はね、 あの、絞ってたんですよ。受ける会社をね。
そもそも、その就職活動も夏から段階的に始めてました。 夏ぐらいに
就職サイトがオープンします。 で、まあリクナビとかマイナビですよね。
そういうのに登録して、で、 あの、会社調べをしてたんですよね。
まだ具体的に、あの、 エントリーとかそういうのはできないんですけど、
世の中にね、どんな会社があるかっていうのを、 結構調べまくってましたね。
まあ夏休み、うーん、 そうですね、特に
夏休みが終わってからかな。確か10月に、あの、 そういう企業の情報がオープンみたいな
時期があって、10月1日か9月1日 でしたので、
めちゃめちゃね、調べました。 それで大手は無理だろうから、その県内
広島県内とか、中国地方の 会社を中心に
調べて、 もうね、あの、お気に入りみたいな登録できるんですよ。
ですからその、お気に入りの会社をめちゃめちゃ作って、 その会社が採用活動を始めた瞬間ですよね。
すぐに応募できるようにしてたって感じです。
んで、 まあね、あとはね、
えーっと、 うーん、
まあでも早かったですね、人より。 よくね、友達に言われました。
まだ企業側が採用活動始めてないから、 俺らにできることないよねって。
結構そういうことを言う友達がたくさんいました。 でも私はその間しかできないことあるじゃんって言ってたんですよ。
ですから企業研究も、 あの序盤でやったし、自己PRの文章も、
もう最初のうちからもう、あの、 どういうんですか、下書きをもう作っておいて、
で、いざ採用活動とか始まったりとか、 あとはキャリアセンターの
あの面談みたいなのがね、オープンした時に、 その自己PR文を、あの、そういういろんな大人たちに読んでもらう。
そういうのがね、すぐできるように、 もう夏とか秋のうちから準備しておいたんですよね。
あの、この時から、えっと、多沈のスケジュール管理で、 あの、余裕を持って前倒しで行う。
内定とその影響
これがですね、今思えば、 就職活動の時からそういうやり方だったように思います。
そう、なので、
人よりもね、ちょっとスタートは早く切れたように思いますね。 それで、
えっと、 合同説明会ね、広島市内であるので、それに何度も参加して、
あ、そう、だからね、福山とかにもね、行ってましたね。 遠かったんですよね、福山。
電車、あの、各駅停車のね、電車で福山に行ってはダメですね。
私の大学があった、その東広島市の西条っていう町ですけど、
西条から福山まで1時間半とか電車で揺られるんですよ。 だからすごく大変でしたね。
まあ、
で、えっと、地元の会社で、あの、とにかくね、 えっと、地元の会社、中小企業って、
そういう景気が悪い時に何を考えていたかというと、 大手が採用を取りやめてますよね。
ってことは、人材が流入してくる可能性が高いって読んで、 あの、景気悪い時期ってね、どの会社も積極採用するんですよ、中小は。
すごいですよね。 ですから、あの、従業員が50人とかしかいない会社なのに、
あの、募集人数5名程度とかね、そんな会社ばっかりで、 一気に1割も増やすのかって感じじゃないですか。
まあ、そういうとこにズバッとこう、 私自身の人材を当てはめていくっていう、
まあそんなことをしてましたね。 いや、本当は、
あの、 今となっては、
規模の大きな会社に行った方が良かったなって思ってます。 なぜかというと、あの、
大手の企業、大企業、 規模の大きい企業、こういうのって、
まあ一言で言うとね、 あの、仕組みがしっかりしてるんですよね。
人材教育の仕組みも精度化されてるし、 人の配置だったり、あの、使い方、
そういうのを、あの、めちゃめちゃ工夫してるんですよね。 つまり、
過去にもうすでに何らかのトラブルとか困り事を経験済みで、 それの解決策がもう出てる状態ですよね。
ですから、あの、そういうしっかりとした教育とか、 しっかりとした人材配置っていうのを、
あの、体験して、あの、 会社側も僕のレベルを上げようとしてくれるみたいな、
あるいは、僕を活躍させようとしてくれてるみたいな、 そのような状況に入ってみたかったんですよね。
そう、まあ、あの、私が結局ね、内定をいただいて、 あの、今でも覚えてますけど、
内内定をもらったのが、2011年の2月18日なんですよね。 かなり早いですよね。
本当は4月1日に採用活動解禁なんですよ。 ですから、
4月1日に改めて、あの、内定を出しますので、 4月1日にその書類を送るので、サインとハンコを押して演奏してくださいと、
いう感じ。でもね、完全に囲い込まれてましたね。
もうね、内内定だから自由に断れるんですけど、 まあ、それでももう内内定承諾書にサインとハンコもやれって言われて、
会社の資料とかも送られてくるんですよ。 なんならね、もう制服はこんな感じになりますみたいなのの話をどんどん進められて、
もう今思うと逃げられなくされてたなって思って。 まあ、
そういうことをする、あの、 結構戦略性のある採用活動をしてた会社。賢いなぁと思ってて、それはそれで良かったです。
なおかつ、 あの、私がそこの会社に入ろうと思った決め手が、
えっと、
あの社長がね、 2代目だったんですけど、結構高齢で、60、あ、ごめん、60歳を高齢って言っちゃいけないんだけど、
あの代替わりを考えていらっしゃる時期ですよね。60歳くらいで、 えーと、まあ、息子さんが
30代後半くらいの方で、営業本部長をされてたんですよね。 ですから、
えーと、その面接は営業本部長が結構メインでやられてました。 その営業本部長が凄みのある方で、
あの、 目の奥がね、怖いんですよね。普段は大人しそうな雰囲気なんですけど、
目が怖くてね、声も怖いんですよ。凄みがあって、 で、あの、
こちらの言った、なんて言うんですかね、言葉に対してズバッと確信を持った答えを返してくれるので、
で、しかもその答えっていうのが、なんとなく合ってるんじゃないかなって思うような、 理論的に破綻してない答えでしたので、
なんか経営者がしっかりしてる会社だなぁと思って、その最初の、 えーと、まあ結局そこの会社に決めました。
内内定を出してくれたのが一番最初だったんですよ。 だから、
まあしかも私も、 なんて言うんですかね、受けた会社の中ではAランクに入れてた。
Aランクが4社あったんですけど、 その中の一つで、この中のどっかに内定をもらったらそこに決めよって思ってた。
そういうグループの中に入れてた会社だったので、もうすぐ決めましたね。 あとは、
あとはですね、だからもっといい条件の会社があれば、 そっちにしようかなっていうところで、
えーと、 ですから、就職活動も、
めちゃめちゃね、その2月18日を境にかなりペースダウンさせました。 他のね、他の就職希望者の邪魔にならないようにね、と思って、
本当に、内定、内々てもらった会社よりも、
あの、めちゃめちゃ明らかにいいっていう条件の会社、 そこだけに絞って
受けていました。まあ結局受からなかったんですけどね。 まあそんなことをしてたら、あの3月11日が来てしまうんですよね。
2011年の3月11日、 えーと、
就職活動の厳しさ
来てしまって、東日本のね会社は、 もうほぼ全社ですよね。
採用を止めてしまうんですよね。 で、そう全国規模の会社も採用取りやめみたいなのが結構多くて、
西日本の会社も、 えーと、影響を受けているとこありましたね。
全国の会社が、西日本の、えーと、全国の、 あの、就職希望者が西日本に集まってきてて、
そう、で、1年上の先輩もいたりしたんで、余計にね、 その、就職活動ができない、そんな時期でしたね。だから、
もしかしたら、私の 年代、私の学年が一番就職に困った年代だったかもしれないですね。
そういうことがあって、 とにかくね、
えーと、もっと条件のいいところをって言って、 あの、
就職活動をしていたものの、もう全滅だったんですよね。 当然ですよね。
3月11日以降に面接を受けた会社は全滅でした。 どれぐらいかなぁ、あの、
ですか、就職活動ね、確か、 えーと、書類とか面接の、
そういう活動のスタートが12月1日だったと思うんで、 12、12、
ってことで3ヶ月半しか就活してないんですよ。 あの、なんて言うんですかね、その具体的に応募をして面接を受けてっていうのが、
3ヶ月半しかなかったんですけど、どれぐらい受けたかなぁ、 書類送った会社50社超えてましたね、すでに。
そう、だからもう氷河期の差、今40代後半くらいの氷河期世代は、 あの100社受けて1社ないてっていう話がありましたけど、
我々もね、本当に100社でリアルに受ける人いたと思います。 書類だけで言うなら、
100社送ったっていうの、ザラにいたと思います。 私も夏まで就活していたら余裕で100社超えてたと思います。
まあね、そんな状況で、 何もかもね、私はもうちょっと話を遡ると、家がめちゃめちゃ貧乏だったんで、
大学もね、家から通える国立大学1個しかなくて、 そこしか行けなかったんで、
だからね、いろんなタイミングが合わない人生なんですよね、ずっと。 もしかしたら、例えばあと2年遅れて、3年遅れて生まれてて、
家がもう少し落ち着いてたら、あれですね、もっともっと有名な大学に入って、 有名な会社に入って、安定した人生を送れてたのかなーとか、
そういうふうに思うことはね、あります実際。 あるけど、
でもその状況ってね、変わらないじゃないですか。 それよりも、この劣勢でいかに挽回していくかっていうのを考えていかないとね、
自分以外のことに、どんだけ思いを馳せたところで、 それを変えられるのは自分しかいないわけです。
まあ、そういったことがあって、 うーん、何と言うんですかね、
だから、 なんかね、置かれた場所で避けっていう話があるんだけど、
これも意見が分かれるとこですけどね、例えば、 酸性の土だったら葉物野菜は育たないし、
水はけが良い土だったら稲は育たないんで、 置く場所を決めるのはめちゃめちゃ重要です。
でも、その場所に、その場所をね、変えられないのであれば、 その場所でどうやって咲いていくかっていうのを考える。
これをしないとね、自分の人生が辛くなりますから。 うーん、そういうことでね、就職活動大変だったんですけど、
その世は社会、世界の経済なんて変えようがないじゃないですか。 だから、
その中で最大限の努力をしました。他の人よりも早く就活を始めて、 研究もめちゃめちゃして、
私のことを欲しいなって思ってそうな会社だけ狙って選んで、 受けて、
それでもないないていただいたのがね、 うーん、2社3社ぐらいでしたかね。
ただ、変えられる状況に関しては積極的に変えてきました。 ですから、私も就職、転職を3回して、
今4社目なんですよね。これは変えられる環境であれば変えてきたし、 転勤の申し出を出たことも何度もあります。
そういったことで、これね、自分語りかいではありますけど、 こうやってね、しんどい状況をどうやって乗り切るか、
それを乗り越えようとしているっていう、 なんかね、他自然というちっぽけな存在がいると、
いうことをですね、皆様、あの、 知っていただいて、自分もちょっとチャレンジしてみようかなと。
そういうふうにね、思ってくれるきっかけにしていただけると嬉しいなって。 そんなふうに思って今回のね、就活のお話をいたしました。
状況を乗り越える方法
ちょっと長くなってしまいましたね。すいません。
えーと、 まあ、そういうことでね、何らかの皆様の役に立つ放送になればね、
これ幸いです。 はい、以下雑談ですけれども。
なんか雑談パート入れるの久しぶりな気がしますね。 以下雑談ですけれどもっていう言葉を言うのが久しぶりな気がします。
序盤ね、ちょっとね、広島県内のね、国道2号を歩きながら収録してたもんで、ものすごいうるさかったですよね。すいません。
車もめちゃめちゃ通るしね、朝の時間帯になったので、 あの、交通量死ぬほど多いし、
なんかね、工事してましたね。 新しい、なんかスーパーかなんかできそうな雰囲気の工事してたし、
あとね、工場が近くにある場所も通ってたんで、 めっちゃ騒音がすごかったですね。
まあ、現場で車を止めて作業ができる場所まで歩くっていう、 その時間をね、活用して収録してるっていう、そんなとこです。
で、今はちょっとね、昼休憩の時間で、 あの、公園に車止めてね、収録を再開させました。
この後ね、適当にお弁当食べて、 えーっと、本当は1時間休憩取りたいんだけど忙しいんでね、また次の、
今度はね、あの、お客様と打ち合わせがあるんで、 ちょっと客先訪問をしてこようと思います。
えーっと、今収録しているのがね、ちなみに5月30日金曜日です。 1週間の最後ね、頑張っていきます。
ガルチャレがね、その、ガルチャレっていう、 あの、チャレンジをしてて、これがね、あの、この放送が配信されるより前の、
5月31日に、あの、 リリースされていると思うんですけど、ちょっとね、もう1回ぐらい収録できたらいいなと思いつつね、
まあ、気に入らない出来だったら、まあそれは、あの、お蔵にして、
今収録、録音したやつを皆様に公開するっていう感じにしようと思います。 はい、ということで日々考察日々考ラジオ第260回の放送
多沈の頃の就活、 第二氷河期世代のお話をいたしました。
ここまで長い時間ありがとうございました。
25:02

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