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こんばんは、北詰至です。
このポッドキャストは、毎週一つの短歌を取り上げて、短歌の世界の楽しみ方をお話ししています。
毎週金曜、夜8時に配信しています。
今回は恋人にふと疑問を持った瞬間を描いた短歌をご紹介します。
疑問を持った時にどんな行動に出るのか、一緒に短歌の世界を歩きながら見てみましょう。
短歌がもっと楽しくなる15分です。
深夜2時、君の隣を抜け出して、緑に光る猫草をはむ。
はい、今回は北詰至自作の短歌で、深夜2時、君の隣を抜け出して、緑に光る猫草をはむという短歌をご紹介します。
この短歌は、緑というお題に沿って作った短歌です。
最近ね、歌会に参加しているので、お題で短歌を読むということもしています。
結構難しいんですよね、お題があって短歌を作るっていうのは。
なんか短歌を始めたばっかりの頃って、ふとした瞬間に浮かんだ情景とか、気持ちを短歌にすることが多かったんですね。
そういう時って結構作りやすいんですよ。
やっぱり自分の内側から浮き出てきた感情だったり、見えた景色を短歌にするので、割とまとまりやすいんですけど。
やっぱりね、人からお題を与えられると、自分が普段何とも思ってないお題だったりするとね、特にこれをどう短歌に落とし込もうかっていうところが難しかったりします。
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今回のお題、緑だったんですけど、緑って言ってもね、いろいろありますよね。
例えば植物の緑ね、草木の緑とか、色鉛筆の緑とか、緑色の食べ物飲み物。
例えば、実際にあったクリームソーダっていうのを読んだ人もいたし、そういう緑のもの、お茶とかもそうですよね、緑だし。
いろいろある中でね、どれをチョイスするかっていうセンスを問われてる感じがして、結構ドキドキなんですよ。
で、私もね、すごいいろいろ考えて、最終的には、深夜2時、君の隣を抜け出して、緑に光る猫草をはむ、という短歌にしたんですけど、
最初にね、緑って聞いて思いついたのが、猫草っていう単語だったんですね。
で、猫草をはむっていうところまでは、結構すんなり出てきたんです。
で、猫草をはむっていう言葉を入れたいなと思って、そこに何をつなげるかっていう風に考えていって作りました。
でね、この短歌を聞いて、皆さんどう思いましたか?
一番疑いで多かった意見が、この短歌って猫視点の短歌だよねって言われました。
猫が飼い主のそばで寝てるんだけど、夜中にね、こそっと抜け出して猫草を食べに行ってるっていうような情景。
っていう風な感想が、その場にいた全員がそういう感想でした。
で、実はね、私これね、全然違うことを想像して作った短歌なんです。
これがね、もしかしたら聞いてる人の中では、自分も猫視点だと思ったっていう方が多いんじゃないかなと思います。
もしね、猫の感じはしなくて自分はこういう風に思ったよっていう人がいたら、結構なんか感覚が私と似てるかもしれないですね。
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で、これ実は私は、うまくいってない恋人同士。
一緒にはいるんだけど、ふと恋人に対して疑問を持った瞬間を描いた短歌なんですね。
どういうことかというと、恋人同士でね、一緒に住んでるとして、一緒に寝てますよね。同じベッドに寝てます。
なんだけど、一緒にいる人のことを、あれなんでこの人と一緒にいるんだろうって思ったことはありませんか?
嫌いっていうわけじゃない。一応好きだと思ったからこの人の隣にいるんだけど、
なんかふとした時に、あれなんでこの人と一緒にいるんだろうかっていう瞬間がね、あるかなって思って。
で、ふとそんなことを思って、深夜2時、君の隣を抜け出して、で、その先の行動が緑に光る猫草を張る。
これは猫草って、猫がね、自分の飲み込んじゃった毛を、毛玉を吐き出すために食べたりするって言いますよね。
意外となんか最近はその毛玉を吐き出すためじゃなくて、普通にこう、グルメで食べてるみたいな、なんか食感が楽しいからとか、そういう説もあるみたいですけど。
私はね、猫草って聞くと、猫ちゃんが毛玉を吐き出すために食べる草っていうイメージがあったんですね。
で、なので、なんかそのこう、もやもやした毛玉のようにこんがらがった気持ちを吐き出すために、こう、人間なんだけど、本能的に猫草を食べに行くっていうね。
なんかそういう、ちょっとファンタジーなんですけど、そういうファンタジーの世界を、自分の気持ちをファンタジーの世界に投影して描いた単歌です。
深夜2時、君の隣を抜け出して、緑に光る猫草をはむ。
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で、これがその歌会に出してみて、猫草っていう単語で何かを吐き出すみたいな感じを連想してもらえたら嬉しいなと思って出したんですけど、
意外とこの猫草っていう単語から毛玉を吐き出すっていうことを想像する人がいなかったんですね。
じゃなくて、この猫草というキーワードで、これは猫の視点の歌なんだっていうふうに思った人が全員、全員がそう思ったんです。
ね、だから、なんかね、私はその最近すごく単歌で考えるのが、その単歌とか単歌の中に入っている言葉で連想するものっていうのが人によって全く違うんだなっていうことです。
だからこの、私がやってるこの単歌の世界の歩き方でね、お話ししてる私の単歌の読み方っていうのは、これはあの私のね感想だし、
だからその他の方の、他の歌人の方の単歌を取り上げて私がおしゃべりする時も、その作者の方とは全く違うことを言ってるかもしれないですよね。
てかまあそのことの方が多いかもしれないですよね。
で、作者は全然違うことを意図して作ったかもしれないし、これを聞いてる方も自分は違う感想を持ったっていう方もいるかもしれないし、
その本当に一つの単語とってもその方がイメージする意味っていうのは全く変わってくるんだなっていうことを単歌を通してすごく感じています。
これがね単歌だけに限った話じゃないと思うんですよ。
その普段の会話とか文章にしても人によってその言葉文章の捉え方っていうのは全く違うんだと思いました。
例えばこの私の単歌の深夜2時っていう言葉を見て、そんな夜遅くって思う人もいれば、意外と浅い時間だなって思う人もいませんか?
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これはその人の普段の生活スタイルによって深夜2時っていう言葉から受ける感覚っていうのかな?は変わってきますよね。
深夜2時っていう言葉の意味自体はみんな同じように思ってるんですよ。
時計の針が2時を指していて、夜中、夜中ですよね。夜中で時計の針が2時を指している時のことを深夜2時という。
そういう辞典的な辞書的な言葉の意味っていうのはみんな共通でわかってますよね。
だけどその裏で感じる気持ちとか感覚っていうのは人それぞれ全く違うんですよね。
深夜2時、君の隣を抜け出して。
例えば君っていうのも、君っていうのは自分と相対している他人のことを君っていう言葉だと思うんですけど、
君っていう言葉から感じる感覚ってどうかっていうと、君っていうことですごく親しい人、特別な人のことを思う人もいれば、
例えばちょっと君みたいな感じで高圧的なイライラする相手っていうふうに思う人もいるだろうし、
ちょっとよそよそしい相手のことを君って思う人もいるだろうし、これがもう本当にマチマチなんですよね。
そういう流れで猫草っていう単語に対しても、この単語を見て、この歌は猫の世界なんだっていうね。
猫草が登場したことで猫の世界をパッとイメージする人が多かったっていうことなんです。
そう思うと言葉とか文章って本当に難しいなって思いました。
普段の会話でもそうだしね、自分はそんなつもりで言ったんじゃないっていうことが相手に誤解されるっていうことはまあありますよね。
その時にね、やっぱりこう、自分のその言葉の捉え方しか知らないからね、各々は。
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だからなんでわかってくれないんだよっていう気持ちが結構強く出ちゃったりするんですけど、
誤解することもあるっていうことが当たり前のことですごくすごく強く感じてます。
文章にしてもね、そうですよね。
例えばツイッターみたいな140文字しかない中で、自分の伝えたいことを誤解のないように、100%誤解のないように伝えるっていうのは、これはもう無理な話だなって思いました。
単価は31文字ですけど、こういうふうに私は、なんだろう、恋人に疑問を持った瞬間を読んでみたつもりだったけど、これは猫のね、こう、面白さを謳った単価だってみんなが思ったっていうことからわかる通り、
31文字で伝える世界っていうのはこれが限界。
どうなんだろう、私がもうちょっとうまく読めば、もしかしたら私の愛した通りに伝わったかもしれないけど、結構こういうふうに誤解が生じやすいんですよね。
140文字に増えたとしても、やっぱりそれは限界があって、そこに対してこう、なんだろうな、ちょっと諍いが生まれることもあるじゃないですか。
それはやっぱり、言葉の持つイメージというのが人によって全く違って、自分が意図してないように相手が読み取ることもあるっていう当たり前のことが起きてるだけなんですよね。
この解決方法というか、いさかいを起こさずにどういうふうに捉えたらいいかなって考えたんですけど、それはもう誤解が生じるのは当たり前というふうにあらかじめ考えて、
そのうって引っかかったところを対話の出発地点にするっていうのがすごくいいんじゃないかなって思いました。
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私は今回の短歌を通じて、短歌の場合は誤解とかそういうことじゃなくて、人それぞれ読み方が違うっていうのがそこが短歌の面白いところなんですよ。
誤解されて悲しいとかじゃなくて、そういうふうに感じる人もいるんだっていうこの新しい発見ができる喜びっていうのが短歌のいいところなんですね。
例えばこの緑に光るっていう単語で、猫草って緑に発光はしないけど、猫の目から見たらこういうふうに魅力的に見えてるのかなとか、そういう読み方をする人もいれば、
これは実はご主人が疲れ果てて寝て蛍光灯を切り忘れてね、蛍光灯の下で緑に光ってるんだっていうご主人の状態まで想像した人もいたんですね。
それはもうなんかその視点を受けるときに、あーなんかすごくこの人はこの緑に光るっていうところから広い世界を想像したんだっていう大きな発見で、私にはない視点で、それはすごく面白い意見を聞けた場でした。
で、例えばツイッターとかで、ん?これは何を言わんとしてるんだろうって、なんかちょっとわからなかったり、あとは、え?この人何言っちゃってるんだろうって、その自分の感覚で捉えた言葉でね、なんかそう思ったとして、
それを対話の終着地点にしちゃうと、いさかいが起こったり、誤解が生まれたりするんですよね。自分が受け取った時がもう対話の終わりってすると、そうなっちゃうんですけど、
自分が何かを感じたことを対話の出発地点にすると、これって私はこういうふうに思ったんだけど、あなたはどういう気持ちで書いたの?っていうね、これは言い方工夫ですよ。
なんかその高圧的な感じでね、君はどういうつもりでこれを書いたのかね、みたいにすると、いさかいの元になっちゃうけど、もっと柔らかい言い方でね、相手の気持ちを聞いてみるっていう風にすると、いやこれはこうでとかね、あ、そうなの、私はこう思ったよ、みたいな。
で、相手がそんな風に思うなんて思わなかったって言うかもしれないし、なんかそうやって対話をするとすごくね、いさかいを回避するっていうだけじゃなくて、自分の世界が広がると思います。
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新しい発見がね、あると思います。
言葉ってね、本当に不思議ですよね。
意味はね、辞書に書いてある意味は、まああるんだけど、その言葉から受ける感情とか世界っていうのは人によって違うっていうお話でした。
はい、いかがでしたでしょうか。
今回は、北爪至る自作の短歌で、「深夜2時、君の隣を抜け出して、緑に光る猫草をはむ」をご紹介しました。
短歌の世界のある人によっては、自分の世界とは異なります。
それでは、おやすみなさい。