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#53 美大中退からBEAMS|nonnative藤井隆行が駆け抜けたアパレル青春記
2026-05-21 28:12

#53 美大中退からBEAMS|nonnative藤井隆行が駆け抜けたアパレル青春記

「美大を中退して、建設中だったBEAMS JAPANの前に立ち『俺ここ入るから』って親に宣言したんだよね」と笑うのは、日本を代表するブランド「nonnative」のディレクター藤井隆行さん。彼の伝説的なキャリアの裏側を紐解きます。

国分寺の古着屋でのバイトから、BEAMS時代、1,000人が応募した「SILAS」への転職、そしてnonnativeの立ち上げまで。ブランドの代名詞である美しいシルエットの裏には、藤井さん自身がアメリカ製の服をバラして細くリメイクしていた「お直し」への異様な偏愛がありました。初展示会での悔し涙など、ネットのなかった時代の圧倒的な熱量を、小畑と種市さんが引き出します。

独自のスタイルを築くためのヒントが詰まった30分。あなたはいま、自分のこだわりにどれだけの熱量を注げていますか?

▼藤井 隆行

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00:02
こんにちは、小畑昌吾です。 こんにちは、種市明です。
この番組、テクノロジーとカルチャーの種あかしでは、
ファッション、ウェルネス、食、スポーツ、テクノロジーなど、
感度の高い大人が気になるこれからの話題を、日常目線で緩く語っています。
お届けするのは、Decentierでブロックチェーン、クリプト、AIのコンサルティングや、
デジタル関係サービスSlappsを提供する小畑と、
BEAMS出身で今フリープランナーとして活躍する種市明さん。
それぞれの視点で、ちょっと先のライフスタイルを考えていきます。
お願いします。
お願いします。
ゲスト回です。
いやいや、もうね、効果がわかってるけど。
え?そうっすね。
ちょっと打って湧いた大チャンスというか、大ラッキーなことに。
いやー、そうですね。僕ファンですからね。
おかげだったね。まさかの展開ね、これ。
まさかの、はい。
急遽だもんね、割と。
はい。
緊急で、何とか回してますみたいな。
緊急で、そうですね。
そういう事ではない。
そんな感じ、そうですね、でもそのくらいかもしれない。
それはないでしょう。
いやいや、あるよ。結構急遽だよね。
結構急遽ですね。
それ聞いたらもう、だって他のもやりたい、やりたい。
さっきも言われまして、万能廃止。
こんなもんね。
ということで。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ノンネイティブのディレクターの藤井坂幸です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
何から話そうかなって考えたんですけど。
一応ね、考えたんですけど。
いや、めっちゃ考えましたからね。今回。
何年ぐらい遡るんですかね。
何から聞けばいいのかな。
シンプルにね、だってさ、
アパレルの人はもちろんみんな知ってるから、業界の人はね。
そうじゃない方々で聞いてらっしゃる方がたくさんいらっしゃると思うんで、
いろいろ。
質問が結構あるんですけど。
聞いて。
お願いします。
割と黙って。
割と。
どうぞ。
いや、なんで僕いろいろ聞きたいことあるんですけど、
なんか一番初め、藤井さんどういう人なのかなっていうところから入った方が、
まさに今谷井さんおっしゃったように、知らない人も多分間隔ね半分ぐらいは、
結構そのITとかの人が多いかもしれないんで、
知らない方もいらっしゃる気もするので、
ちょっとそっから行けると、後々の話が分かりやすくなるかもしれないなと思って。
なんでちょっと藤井さんがどんな方なのかなっていう、
幼少期から行く方がむしろ面白い気がしてきたので、
ちょっとそっからお願いできればと思うんですけど、
生まれどこなんですか?
僕は生まれは奈良です。
いつまで奈良?
奈良で小学校2年生の時に天気で大分に引っ越したんです。
中津。
へー。
で、中1までいたの。
で、また奈良戻ってきて。
で、いつまで奈良に?
18で上京したんで、大学の入学で。
なるほどなるほど。
で、東京に来られて何されてたんですか?
東京に来て、大学生です。
武蔵野美術大学。
名門ですね。
03:01
入ったんですけど、遊んだりとか、洋服とかでなんかもう全然行かなくなっちゃって。
あれその時、あれよね、なんか行ったことないお店だったけど、洋服屋さんで。
古着屋さんとセレクトのお店があって、そこにそれこそ時知らずだった一同生くんが。
入江くん?
ビームスの。
一緒に働いてたっていうか、みんなバイトで回してたんです。
そこのお店で?大学生の時に?
そうです。で、客がピンちゃんとかだったんです。
そうなんだ。
みんな国分寺にいたんですよ。
お店が国分寺じゃん。
面白いお店があって、そこでなんかっていうのはチラッと聞いたことがあったような気がしたんだよね。
国分寺の古着屋さん?
古着屋と買い付けと、それこそレッドウィングとかビルゲンやったりとか、
あの時だとエアマックス買ってきたりとか、そういう緩い感じのがあって、そこが18、19時ぐらいですかね。
じゃあ国分寺近辺に住んでたんですね。
そうです。国分寺に住んでて、学校が国分寺だったので、
そっち遊びとかバイトに目覚めちゃって、大学…
3年生、それこそ辞めようと思ったんですよ。
大学を?
洋服屋さんになりたいとか、留学したいとかになって、
もちろん親がうちならいなか者なんで、留学とか、何それみたいな、ありえないみたいな。
じゃあ洋服屋で働くって言って、ビームスジャパンを受けたんですよ。
あ、そういうことなんだ。
それで親父…
それは国分寺にいて大学生になって、留学しようか、大学?大学じゃない、何だっけ?
中大?
中大するのに、もちろん親は反対するじゃないですか。
でも古着屋じゃダメだみたいな。結構厳しいんですよ、うちの親。
なるほど。
で、うちの親父がちょうどその時、新宿で単身婦人だったんですよ。
本社があって、西口であったんですね。
で、ちょうど僕東京にいるじゃないですか。
で、呼び出してビームスジャパンで建設中の時に、
俺ここ入るからって言って、やめていいかって言って。
すーごい!
まあいいかどうかわかんないですけど、一応ちゃんとしてるじゃないですか、言うたら。
建物みたいな。
そうそうそう、でかいし。
それで入った。
すごいストーリーだね。
ああそう、それで押し切って入って。
じゃあそれはなんですか、だから卒業せずに中退して、そこで就職した。
中退した後に入った。
中退するかどうせするんですけど、
するならどうすんだって言うじゃないですか、親だったらきっと。
ああなるほどね。
じゃあなら帰ってくるのかとか。
なるほど。
心配だからお金どうするのとか。
だからビームスだったらいいんじゃないかなって。
いいんじゃないかなって言うとそんな失礼なんじゃないですけど、
06:00
まあ一番でかいのができたじゃないですか。
新宿だし。
そうだったんですね、当時。
そうです。
そこでタネさんに会ってしまうんですけど。
もういいよいいよ。
あんな話はあんな話は。
そこでね、からの。
中退と同時にビームスに社員で入ったんですか。
いやアルバイトですね。
オープニングスタッフでアルバイトで入ったんですね。
地下1階。
新宿の店舗に。
そうですそうです。
入られたんですね。
なるほどなるほど。
それはだから洋服屋やるためにビームスで勉強するみたいな感じだったんですか。
まあとにかくあの時何も考えてなかった。
学校でファッション系のクラスだったんですけど、
もう嫌です。
勉強するのがファッション。
ファッション系のクラスってそういうむさびにあるんだ。
あります。
今はないんですけど。
今は空間室デザイン学部っていうところにいたんですけど、
今だともう辞められた片山さんとかが教授で、
めっちゃ面白そうだなと思ったんですけど、
僕の時は一世宮城系だった方とかがいたんですけど、
モード系じゃないんで、
全然頭に入ってこないから。
でもむさびって憧れの美大ですよね。
僕もそうですね。
本当はでも文化に入りたかったんですよ。
でも高校生ぐらいの時からファッションで完全に行こう。
高校生の時に浦原ブームになったんで、
みんな文化行ってるじゃないですか。
確かに。
文化に行くのが絶対いいと思ってたら、
そこもまたそこで専門学校だったらダメって。
それは言い方悪いかもしれないけど、
むさびに入るって言ったら。
だから東京の大学しか受けなかったんですよ。
みんな関西を受けるんですけど、
東京行きたいだけだったから、
むしろ浪人してもいいぐらいで、
東京の予備校に行ければ良かったんで。
それぐらい朝八日に入っちゃったんで。
入れるってことは。
入るのめちゃくちゃ難しいんですよね。
そうっすね。
なかなか頑張りましたね。
美大の試験って何があるんですか?
デッサンと学科ですかね。
その時は洋服の道に進もうと思ってた?
なんとなくスニーカーとかが好きだったんで。
ラシックスとかミズノとかわからないですけど、
そういうデザイナーにはなりたかったのかもしれないですけど、
でもざっくりしてるし。
年齢的に全部やり方がわかるわけじゃないもんね。
その時デザイナーさんというよりは店員さんがとにかく憧れの職だった。
時代はそうだよね、確かに。
教師になったりとかあったじゃないですか。
だからあんま考えずにやらなかったっすね。
09:00
で、そこから?
で、BEAMSに入って。
BEAMSに入ったのが20歳か21か。
その時にめちゃくちゃ雑誌の取材とか出してもらった。
SNAPとかのイメージだった。
ちょっとプチプチバブルみたいなのが来て。
俺は途中から新宿のお店に配属になって来たんだけど、
その時に新宿にいたメンバーが、
社員の人たちもいたんだけど、
入ってきたんだけど、
アルバイトの奴らの方が目立ってたっていうか。
問題になりましたもんね。
そうなんですね。
ファンみたいのも来てるし。
でも別にめちゃくちゃな時の最後の時代みたいなもんだよね。
もう別にお店で売ってないもんとかも。
気まくって。
夜休みに靴買いに行って、気に入らないから夕方に抜け出してとか。
あと俺覚えてるのが、
今日合わせが気に入らなかったから来ないみたいな。
いやいや、そんなんありましたね。
遅刻じゃないですか。
めちゃくちゃだったよ。
その時の店長さんがすごいいい人だった。
担任の先生みたいな。
担任の先生的なね。
それには助けてもらって。
担任さんとかもこういう感じだから。
俺はフワッとしてたから。
おろいジャンビーなことは言ってくれたんですけど、
よく持ってない方もたくさん。
でも押し切ってたよ。
いわゆるカリスマ定員的な人だった。
そんな感じです。
だから結構来てましたね。
お客さんで今活躍してる人も。
なかなか面白い時代。
自由だったね。
仕事中に、
欲しいスニーカーを別の店に出会わせてたから。
取り置きするとかやってて。
お客中の電話じゃねえじゃねえか。
休憩時間、原宿行ってましたって。
めちゃくちゃだった。
でもやっぱり個性的な。
そっからね、
藤井ちゃんももちろんそうだし。
あと有名なスタイリストになったやつもいるし。
結構集まってたんですね。
加藤さんもいましたよ。
加藤ちゃんもね。
SSでやってたし。
加藤ちゃんは今はWiMSも残ってるけど。
なかなか後々聞くと、
あの時の新宿行ってたんですよっていう。
メンバー結構いて。
三永君もそうだし。
僕も覚えてます。
いろいろやってる。
ポギーとかもアローズができて。
毎日来てて。
すごい。
なかなかだってネットはなかったもんね。
ないですね。
雑誌しかなくて。
スナップで何来てるかみたいな時代があったですね。
12:04
なるほど。
そこに何年いたんですか?
僕結構長くいた風に言ってるんですけど、
1年半しかいなかったです。
そうなんですか?
あれそんなに短かったっけ?
嘘でしょ?
だって僕その次の会社2000年のオープンで入ってるから。
本当に?
何、あの濃厚な時間?
僕はあんたから入ってるけど。
その1年半は完全に重なったんですか?
場所も。
俺はだから半年くらいだよね。
後から多分来てるはずだから。
移動っていうのが社員さんが多いんで。
社員が多いから。
タネさんは柏店から来て。
俺ね、銀座行って渋谷行って柏行って新宿になったんです。
なるほど。
え、1年半だったの?
そうです。
急になんかめちゃくちゃ混んでたんだけど、
お店がでも忙しかったよね。
そうですね。
でもなんかその、あんたファックスだったんで。
はいはいはい。
僕ファックスを受け取っちゃったんですよ、店長を当てないと。
社員1人かバイト2人?
うん。
みたいな、削れみたいな。
俺覚えてるんだけど、本当かどうかわかんない。
FGCと今答え合わせになるかもしれないけど、
とにかく社員、ちょっと人員削減をしなきゃいけない。
そうなんだ。
新宿でってなった時に、
アルバイトが何人?
社員は多分動いたりなんだったりになると思うけど、
言った時に、
割とスター選手でアルバイトもたくさんいたの。
だけど、多分最初の方に、
あ、俺じゃあ出ます。
そうそう、友達と。
って言って、
でも下の子たちにも、
僕はなんとかなるんでみたいな。
俺それ聞いて、
こいつなかなか弾力あんだ。
もう飽きてたのかもしれない。
もうちょっと長くいたら。
1年半でね。
いないんですよ。
あ、そっか。
それ当てがあったんですか?
次これやろうみたいな。
なかったですね。
それ、次の話に繋がるけど、
当てがなくて、あそこに行ったんだ。
あれはだってトラバーイオで募集してた。
マジで?
次はナシ知ってる?
知らないです。
次はどこに行く?
次はサイラス。
サイラスが、
わかりますよ。
世代…
めっちゃ行ってますよ。
ダイカヤマの。
めっちゃ行ってましたよ。
それがオープニングです。
あ、そうなんですか。
あそこのダイカヤマの2階のお店ですか?
そうなんですか。
で、その時、
その後、藤井が辞めた後に、
ちょっとして、
サイラスっていうブランドがめちゃくちゃ人気があって、
とんでもない何時間も行列できるようなお店に、
いきなり入ってて。
そこでも、
もちろんオシャレで、
ってなった時に、
これは決まってたのかって思ったけど、
トラバーイオだったの?
トラバーイオです。
あれすごかったです。
1000人くらい受けてたんだよ。
え、そうなの?
10人で募集。
トラバーイオってこういう…
そうそうそう。
15:00
いろいろ受けましたよ。
他もなんか、
ルイビトンとか、
なんか知らないけど、
バーディーズとか。
トラバーイオってあれか、
求人期?
そうそうそう。
分厚い。
それを毎週買って、
そしたら出てると思って、
受けて、
あ、そう。
で、1000人受けて、
10人なんですけど、
2人もうこの辺で決まっちゃってるって噂を聞いて、
8人じゃんって。
多分ビームスだったから撮ってくれたっぽいっすね。
あ、そう?
ちょっとそういうのがちょっと…
あ、まあもちろんね。
見て知られた。
こいつ結構面白いなっていうのは、
もちろんね。
雑誌の多分、
あれも見てただろうし。
あ、すごい。
あ、それで入ったんだ。
そこは社員で入ったの?
社員ですね。
あ、トラバーイオで社員で、
そうですそうです。
サイラスってサイラスっていう会社?
バングラムっていう。
あ、そっか。
スクリームとサイラスをやってる会社。
今はもうサイラスをやってないですけど、
スクリームの会社ですね。
あ、なるほどね。
それ知らなかったわ全然。
セレクト系とウラハラ系ってやつ。
そうね。
僕はウラハラに飛び込んだみたいな。
なるほどね。
みんな結構つながってなかった。
そうなんですね。
意外と。
それの時はね、
やっぱりセレクトショップの人間は、
ちょっとなんとなく少しフィルターをかけてたかもしれない。
なるほど。
でも、フジイシたちの世代はあんまりそこなかったよね。
見てた感じの時に。
もともとウラハラ好きだったのもあるし、
あの時ちょうどナンバーナインって言われてた。
俺の世代だと自分たちがそこでアメリカ行って見つけてたんだって。
だから後で、
昔ダブルタップスのメンバーとかについて、
ちょうど同じようなところでアメリカを見てたって話をしたことがあって、
だからあんまりそういう意味で交わってはいなかったというか。
なるほど。
そこがないところで、
それで飛び込んでいって、
あ、社員だったんだ。
そうです、そうです。
で、何年いたの?
1年半。
短いっすね。
ちょっと待って、
1個1個意外と短いな。
学校も短かったしね。
あれ?でもさ、
待てよ、
大学中退して1年半でビームス行って、
その後サイラス1年半。
で、これか。
2001年に、
ちょうどそのサイラスの上にノンネティブのオフィスがあったんですよ。
あ、そうなんですか。
僕は創設者じゃないので。
はいはいはい。
佐藤くんがやってて、
佐藤くんがブランドやってますみたいな。
佐藤くんとはどうして知り合ったの?
まあ友達の友達、
結局みんな仲いいからつって、
Tシャツしかやってなかったんで。
服作ったらマジで?みたいな。
どうやって作るの?みたいなとこが、
2001年ですかね。
2001年の初出張が、
初出張が9.11だったんで。
18:01
え?
モロかぶりだったんですよ。
どゆこと?
LAでしたけど。
あ、それはブランドを始めようってなって、
出張行ってみようぜって。
行ってみようぜ、アメリカ行くか。
LA行ってみようぜ、3分帰って。
でもその前もしょっちゅう行ってたもんね。
買い物、買い付け行ったりとかちょっといろいろ。
買ったらちょうど9.11になって、
全部ストップしちゃって。
じゃあずっと向こうにいたんですか?
なんかやっぱ、たまたまホテルの前がH&Sだったんですけど、
すぐ行ってくれて、
今は佐藤氏は英語喋れるので、
勿論全部やってくれて、
僕は結構一番ノリで抑えれたんですよ。
で帰れたんですけど、
佐藤氏はでもその後カナダ行くとか、
なんか旅行してましたけど。
それいくつぐらいだ?年齢で。
24とか5とか。
すごいね。
ずっと店員というかショップスタッフやってて、
そこからいきなり洋服作るようになったんですか?
それともその前からやってたんですか?
やってないです。
でもビームスとかで企画は出してたんですよ。
こういうズボン作ってくださいとか。
そういうことしたの?
めっちゃ絵描いて出してましたよ。
マジで?
あ、わかる。企画してあったよね。
あ、そう。
採用されたことなかったですけど。
それはビームスでプライベートブランドでこういうのやるべき?
オリジナルでこういう血のパン作った方がいいんじゃないかとか、
こういうとこ別注してほしいとか、
いろいろやったりしたりとのと、
あとお腹欲しい。
そう、俺も今言おうと思った。
もうダメですよ。
言っていいの?
ヤバくないですか?
言えないことは言わない方がいい部分は正直あるんだけど、
ただとにかくカスタムするな。
いろんなものをアメリカのものもいいものもあるんだけど、
結局、日本人の体に合うものと合わないものがあったり。
でも、みんな特に俺もそうだけど、
俺よりも体型、俺は大きかったからなんとなく切れたんだけど。
タネさんはアメリカのものとか普通切れちゃうんですけど、
僕とか、たぶんグラミチって当時アメリカ製の、
ちゃんとしたアメリカから買ってたものなんで、
長いんですよ。
なるほど。
長くて切っちゃうと外めっちゃ太いですよ。
それをバラして全部細くするんですよ。
だから、その時にやってたのが今の形と一緒です。
うちでやってる。
いや、そんなにつながってくるなんて。
面白い。
あの時に裾幅21センチとか。
膝何センチ?
ここを締めてるとか。
ちょっと3ポーズ目してるとか。
んなことをずっとやってるんですよ。
で、ちょうどスタイリストになったあいつも、
俺のニットのアシスタントその時やってて、
毎朝会うと、竹これ大丈夫ですか?
裾幅合ってますか?
意見求めてくる。
でも、やっぱりその彼は自分がそんなに背も大きくないから、
割とバランスを、僕はそこが命なんですよ。
なるほど。
やっぱりその細やかなことを、
その時からきちんとやってきてたものがつながってきてるんだ。
21:01
なるほど。
だから僕らはやっぱり小っちゃいというコンプレックスが、
売ってる服はやっぱりインポート合わないですよね。
それをすごく僕は不満に感じてたのが、
割とスッと入れたのかなっていう。
多分そういうこれだったらいいっていうものがずっと出来上がってて、
設計とか。
多分それがサトシと会ってのブランドっていう時に、
具現化したっていうとこがすごいよね。
じゃあ本当に好きで、本当に色々好きでやってたものが、
最終的に自分でブランドで表現するようになったみたいな。
こういうのあったらいいなっていうのの集大成で買い物してたことが、
じゃあ今度は作ってみようって。
いいサンプルだってあるわけじゃん。今までの出席でさ。
このシルエットでこうなったらかっこいいじゃんって。
じゃあこれで作ってこうよっていうことができていくんだもんね。
でもまあ全然できなかったですけどね最初。
いやでもスタートしてからどれぐらいでなったと思った?
俺一番最初の時の事務所なんとなく覚えてるんだよね。
大会屋もの。
上野サトシの部屋から一回行ってやるみたいなとこ行ったじゃん。
八山商業高校の。
そうそうそうそう。
そこっすね。2002年のそこでワールドカップ見たんで。
そこが結構転機ですかね。
スタートしてからどれぐらいで軌道に乗るというのがかかったかな。
2年ぐらいですかね。
かかった?
かかったのと、あの当時結構ブランドも多かったんで。
まあまあまあ確かに。
今も多いですけど本当に多かったんで。
そこで動作を出すかみたいなことを考えてやってたんですかね。
でもそうっすね2年ぐらいか。
最初の展示会とかも僕後泣いてましたもん。
なんでですか?
もうサンプルも3色展開だけど1色しか作れない。
けどみんないっぱい来てくれるんですけど、そのサトシの友達。
まあね仲間たちはね。
誰も服を見てくれなくて。やっぱりサトシに会いに。
まあまあそれもそうだし僕はただの誰も知らないからそういうネットワークをしてくれて。
その時にでもまあもちろんビームスイッチショットした人とか来てくれて、
めちゃめちゃやってくれたりっていうのはあったけどまあ大変でしたよね。
サトシさんっていう方は有名な方ですか?
サトシはモデルをね。
もう昔でいうともうどの雑誌にも出てるぐらい。
モデル超有名。
当時も同い年なんですけど。
まあトップモデルですよね。
そうだね有名で本当に地面で出てると。
なるほど。
でその方が始めたブランドがノンネイティブで。
24:00
ハーフなんでノンネイティブなんですよ。
そういうことなんですか?
ハーフってやべえ知らなかった。
そういうことなんですか?
そうですそうです。
それは知らなかったわ。
ノンネイティブっていうよりネイティブじゃない。
そうなんですね。
その話有名?
いやまあ彼はそんなに語らないから。
言わなそうなもんな。
僕は無所属とか言ってますけど。
そう俺はそのイメージだった。
僕もそういう感じだと思ってました。
でも結局一緒か。
まあ一緒ですね。
確かに確かに。
だからなんか巡ろうみたいな。
まあ腑に落ちる点はいろいろある。
なるほどね確かに。
なるほど。
でそこでさっきの軌道に乗るみたいなところで言うと。
だからサンプルが全職作れるようになったとか。
お金がかかるんですよ。
バレるってその要は。
お金回収できるのが半年後だし。
半年後始まっても2ヶ月後なんでお金をもらえるのは。
だから最初にお金がドーンって。
それができるようになったのが軌道に乗ったっていうイメージですかね。
借金したの最初?
借金ちょっとしてたんじゃないですかね。
僕だからお金部門じゃないから。
そうだよね。
やってくれてるから。
そっかそっかそっか。
それでバランス見ながらこれできるようになった。
大げさなことは地道にちょっとずつできることをやっていこうみたいな。
それそっか25歳。
25歳ですね。
すごいですね。
すごいわ。
なんかそうきっかけとかそういうのあるんですか。
それとも地道にこう上がっていくんですか。
それともバンっていうのがあるんですか。
売れてる卸しをかけるんで。
売れてますみたいな追加がかかってから。
それがこう声が。
当時ファックスなんでやっぱり。
ファックスがバンバン来るんですよ。
これ何枚くださいとか。
なんかさゲームチェンジした時の雑誌に。
これ誰かが来てくれたとか何かの。
何でドーンって来たんですか。
それが2年後?
松田直樹とかが来てくれたりとか。
なるほど。
雑誌にめちゃくちゃ取り上げられるようになって。
それ2年後ぐらい?
そうですね。
急に?
だから例えばスタイリストの友達とかが結構成熟してって借りてくれるようになって。
メンズノンドとかで出してくれるとか。
もうそれしかないじゃないですか。
その時代はね雑誌だもんね。
そうなると地方も同じような流れで。
なるほど。
それ今いいんだ東京みたいな。
でぐんぐんぐんぐんうちも取り扱いたいみたいな。
だから当時のブランドでいうとちょっと僕は変わってたんで。
セレクト系っぽいというか。
そういう見られ方をしてたんで。
ノリじゃないっていうか。
そこは強がってみんなだったかもしれないね。
あと時知らずでやってもらって。
そうだね。
あれ同じぐらいか。
そう僕だからGNP入るって時に一ノ瀬くんにプレゼンしに行きます。
決まった時に。
置いてくれっていう。
27:00
俺ちょうどその時吉田のプロジェクトで。
俺いつも休憩場所として徳島使ってたから。
原宿から来る途中にそこで一回休んでコーヒー飲んで煙草吸って大会場に行くっていう。
言ってましたよね。
その時に順次もいたのが。
ヨッサンも客だったんでビームスンの時の。
そっかそうやね。
来てくれて。
いろいろ点と点が繋がって。
でも面白かったです。
そっかそこからグイグイグイとって。
今何年前の話ですか?20年前ぐらいの話ですか?
今話してるの2002年ぐらい。
2002年。あとはもう23年前。
すげーなー。
すごいっす。
ちょっと一回ここで切って。
この番組、テクノロジーとカネチャーの種明かしは
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ぜひフォローしてお楽しみください。
感想は番組のコメント欄にいただけると嬉しいです。
それでは次回もお楽しみに。
28:12

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