成績付けを続けています。
サマリー
3クラス分の採点が終わり、学生からの授業感想を読む中で、特に印象に残った不満の声がありました。それは完全オンライン授業におけるZoomミーティングの出席に関するものでした。私は出席を成績評価に含めない方針を取っていましたが、ある学生から「真面目に出席している者が報われていない」という不満が出ました。私は大学での学びは高校までとは異なり、出席を義務ではなく権利として捉え、学習目標の達成度で評価すべきと考えていますが、この考えと学生の期待との間にギャップがあることに悩んでいます。
採点と学生の感想
2025年1月18日土曜日、夜の9時を過ぎたところです。田中浩朗です。声日記を収録します。
今日は午前中実家にいましたが、昼頃自宅に戻ってきまして、午後はまた採点の続きをやりました。
そして、昨日、今日と続けてきたあるクラスの採点が終わりまして、これで3クラス、半分弱ぐらいの成績付けが終わったことになります。
大体予定通りなんですけれども、成績をつける中で学生が書いた提出物を読んだりしていますけれども、最後の週にこの授業全体の感想などを書いてもらいまして、
学生にとって私の授業がどのようなものだったかということを知るとても良い材料になっているんですけれども、
その多くは、私の授業を歓迎している、そういう内容のものが多かったようですけれども、中には不満を述べているものもありました。
ちょっと私の頭にこびりついて離れないものがありますので、ちょっとここで記録しておきたいんですが、
そのクラスは完全オンライン授業で、毎週1時間程度のZoomのライブ授業がありまして、
あとはオンデマンドのビデオを1時間ぐらい見るという、そういう感じで授業を受けてもらっていますけれども、
その決められた時間割の最初から始まるZoomの授業、授業と言っても私はそれを授業と言わずに、わざわざミーティングというふうに言っているんですが、
というのも授業本体はビデオなのだということを繰り返し学生に伝えているんですけれども、
ですからZoomのミーティングはある意味でおまけのようなもの、授業をサポートするためのものだということを言っているつもりですが、
学生にとってはZoomに参加するということが授業に参加するということだというふうに思っているようですね。
私はZoomに参加するかどうかというのは自由だと、参加してもしなくてもそれは成績には影響しないということを言っているんですけれども、
そのことに対して非常に強い不満を述べているものがありました。
出席するしないはその人の自由でいいけれども、自分のように真面目に出席している者が何もその点に関して成績で良くなることがない、
Zoomに参加していない人よりも良い成績がもらえないというのはおかしいと。
その学生の言葉を使うならば、真面目に出席する人が馬鹿を見ているというふうに言って、
真面目に出席している人が報われるような評価をしてほしいという希望を述べていました。
この真面目に授業に出席するということが成績で報われるべきだという考え方、これが学生にとってはある意味で常識になっているのでしょうか。
おそらく多くの授業ではそのように扱われているんだろうと思うんですね。
これは高校まで出席するということは非常に重要なことで、全て欠席なしに出席すると皆勤賞とか言って褒められたわけですよね。
大学というところはそういうところとは違うと私は思っているんですけれども。
出席するということ、真面目に授業に出るということ、その真面目さというものが評価されるべきだという考え方です。
私は成績評価の基準を明確に学生に示していて、それは授業の目標ですね。
それがきちんと達成できているかどうかであると、その目標の中には真面目に出席するというのは入っていないんですね。
真面目さ、勤勉さというものをこの授業で身につけさせるという、そういう目標は一切ないわけなので、そこは成績評価に反映させないのは私にとっては当然なんですけれども。
なぜかそれが報われない感覚をもたらしているようで、非常に不満感を高めてしまっているということなんですね。
これは本当に何と言って納得させればいいのか、ちょっとよくわからないですね。
私は学生に出席しているからといって、ちゃんと勉強しているわけでもないだろうと、いくらでも内職はできると。
特に教室ではなくて、オンラインでZoomで参加しているときには、単にパソコンをZoomにつないでいるだけで全く違うことをやっていても何もわからない。
真面目にZoomのミーティングに参加している人と、ただ繋いで他のことをしている人と同じように評価されることがよっぽどおかしいんじゃないかというふうに思うんですけれども。
教室だったら、もちろん内職をしている学生はいるでしょうし、また私の大学ではドアのところにあるタッチセンサーを学生帳でピッとタッチすることで出欠を確認するようになっているんですが、
授業が始まる前にドアのところから手だけ伸ばしてそのタッチセンサーにピッとやって、すぐに立ち去ってしまうような学生が各クラス何人かいるんですね。
それでも出席になるわけですね。全然教室にはいなくて、私の話も聞いているわけでもないのに。
でも出席1回は出席1回として、成績に反映されるとすれば、非常にそれはおかしなことだと私は思うので、出欠というのは成績に反映させるべきではないというふうに堅く思っているんですけれども、
この辺、そんなことを言っても学生の不満感は多分解消しないんですね。
なんか馬鹿を見ているような気がするんでしょう。
学び方の自由
授業に参加するということは、義務ではなくて権利なんだという感覚ですね。
だから私はその権利をできるだけ保障しようとして、授業に来れなくてもビデオでちゃんと見られるようにすべて授業サイトに掲載して後から見られるようにしている。
それで教員としてすべきことは、できることはですね、やっているつもりなんですけれども。
その不公平感、これはどうすればいいのかなと思いますが、ちょっと私一人では学生の考え方は変えられないだろうなというふうに思っていますね。
大学全体が変わっていかないと。
ともかく出席するということをものすごく重視しているんですよね。
だから欠席するときは大変なんですね、欠席届を出す。
しかもそれは必ず証拠をつけて、例えば病気であれば病院に行ったという証明を出さなきゃいけないとかですね。
ものすごく大げさなことをやって出席させるようにしているんですが、いいんでしょうかね。
それによって自由な学び方というものが相当制限されているんじゃないかなと思うんですよね。
ただ決められた時間に決められた場所に行って授業を受ける、それが正しいというか望ましい勉強の仕方だという、そういう価値観ですね、これがちょっと今の時代にはそぐわないんじゃないかなという気持ちですね。
たとえある時間にある授業があってそこに出なければいけないという風になっているけれども、でももっと他にそれよりも大事なこと、大事な勉強を自分は今しなければならないとなれば、そちらを優先して授業に出るということは後回しにして、
で、余裕のあるときにできる範囲で授業を受ける、オンデマンドのビデオがあればですね、それを受講すればだいたい今教室にいたのと同じことが学べますから、というか私はもう教室で普通の授業をやってないんですけども、ビデオを見させてるんですけどね。
だから何の問題もない訳でして、こんなことをここで語ってもしょうがないかなとも思うんですが、こういう学生の声はたまに聞くんですよね。
しばらく聞かなかったんで、また久しぶりに聞いてちょっとどうしたもんかなという風に思ってるんですが、来学期も初めに成績評価の方法を説明するときに私の考えを一通り話そうかなとは思ってるんですが、多分ピンとこないんじゃないかなという気がしてしまいます。
ということで、今日の声日記、これで終わりにします。
12:26
コメント
「テストや論文よりも出席を重視する」先生もいれば、「授業をでないと話が分からないので、テストや論文を評価対象にする」という先生もいた記憶があるので、どっちもとるというのは難しいと思いますが、スタンスを決めておくのもいいかもしれませんし、レポート6割出席3割にしてレポートだけでは単位が取れないようにするとか?あとの1割は先生印象点、とかね。批判を浴びるかもしれませんが、社会に出たあとの評価なんて恣意的なものばかりですから、予行演習しておくのはいいかも、と思いました。
コメントありがとうございます。私に不満を述べている学生は,よい成績をとっているのですが,真面目に出席した自分と,出席していない「不真面目な」学生が同じ成績なのは,自分が報われていないという不満なのですね。しかし,出席しないでよい成績を取るためには,それなりに努力が必要なので,からなずしも楽をして良い成績を取っているわけではないと思います。大学では,授業によって出席の必要性は異なるのだということを辛抱強く説明していくしかないのかなと思っているところです。
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