子どもを無力化するシステム
TanaRadio 第15回始めたいと思います。
今回のテーマはですね、前回の続きのようなものなのですが、「無力化されない生き方」ということでちょっとお話ししてみたいと思います。
前回は柳治男さんという方の本をですね、紹介しながら、
学級、クラスというものが、子どもを無力化するシステムになっているという話をしました。
学生、子どもを無力化することによって、マニュアル通りにきちんと仕事ができる、
そういう、言ってみれば機械の部品になるような人間を作り出していく。
それが産業革命期以降の教育のあり方だったんだという、そういう趣旨かと思うんですけれども。
しかしそれは、当初から非常に大きな反発がありましたし、現在でも様々な反発はあるわけです。
例えば、分かりやすいのは、よく学級崩壊という言葉が使われますけれどもね、
最近はあまり聞かなくなりましたけれども、ひと頃はよく言われました。
教員の言うことを聞かないで、もう学級が崩壊し、授業になっていないということ。
これは小学校などでもあるでしょうが、大学でもある意味で学級崩壊しているような授業というのはあるのではないかと思います。
吉藤健太朗さんの経験
そういう無力化がうまくいかない場合、いろいろ問題が起きているわけですけれども、
でも、果たしてそれが本当に問題なのかどうか、ということも改めて考えなければいけません。
私はそういう無力化システムに適応できなかった人でもきちんと学びをし、そして仕事もできるようになっている事例がいろいろあるのではないかと思うわけです。
そういう事例をたくさん知ることがとても大事かなと思うんですが、
最近というか、これは1年前なんですけれども、だから最近というわけではないんですが、
私が読んだ本でとても感銘を受けたものがありますので、その本を紹介しながらですね、学級、学校によって無力化されない生き方というものについてちょっと考えてみたいと思うんです。
その本というのは、吉藤健太朗さん、別名吉藤オリィさんが書いた『「孤独」は消せる。』というタイトルの本です。
副題は「私が『分身ロボット』でかなえたいこと」というふうに書いてありまして、サンマーク出版から2017年に出版されています。
これを私は出版されてから5年後になりますが、昨年の暮れに読んでとても感銘を受けました。
この吉藤さんという方、ご存知の方もいるかと思います。マスコミにも時々出てくることがありました。
ロボットコミュニケーターとご自身では言っています。ロボットを使って人と人とのコミュニケーションを促進する、実現する、そういう役割という意味合いかと思いますが、
商品名がOrihimeという分身ロボットというふうに吉藤さんは言っていますが、分身ロボットを開発し、それを事業として必要な人に提供している、そういう会社を設立した方でもあります。
この方は11歳から14歳の間の3年半、学年で言いますと小学校5年から中学校2年までの間になりますけれども、不登校になったということなんですね。
ある種その学校に適応できなかった、学校というより私の言葉を使えば学級に適応できなかったということなんですね。
この方はあるきっかけによって中学3年の時に登校するようになり、その後高校、専門学校、高専、そして大学とそれなりに学校に通うようになるんですけれども、
ただその通い方も普通の生徒が通うような通い方ではなくて、行ってみれば学校を自分のために使えるところは使うというツールとして使うというんでしょうかね。
必要な時だけ使って、そこで行われるカリキュラムに沿った学習については完全に無視するという、とてもユニークな学校の利用の仕方をされています。
これについてもとても細かく見ていくといろんなことが学べることなんですけれども、ここではその話は置いておきまして、
この方はなぜ不登校になって、しかしその後ロボット開発をすることで自分の人生を非常に意味あるものにされているのかということについて、
この本を少し紹介することでまた考えてみたいんですが、そのことについて書かれているところを読んで紹介したいと思います。
「私にとってワクワクすることはとても重要だ。
心を驚かせること、自分の作りたいものが少しずつ出来上がっていく瞬間、少し未来の誰かが喜んだり驚いたりする反応を期待すること、それがあれば私は本気になれる。
引きこもり不登校を経験してよかったことをあえてあげるとすれば、完全に自分の世界に入り夢中になれる集中力が身についたことだろう」とこう言っています。
ワクワクすることがあれば夢中になれて何時間でも集中して何かができるということですね。
「一方で、学校に行かなかった弊害かもしれないと思っている
私が克服できなかったことは、与えられた仕事ができない、宿題をこなせないことである。
我慢して机にじっとしながら宿題をすることが本当にできない。病的にできないのだ。
覚えていた記憶が飛んでしまう。興味がないというより、ワクワクしないことがほぼできないのである。
大学の一年の頃の単位はAプラスとFしかなかった」というふうに書いているんですね。
ワクワクすることはいくらでもできるけれども、ワクワクしないことには何もできないという、ある種の両極端ですね。
そういう性格というんでしょうか。性質を持った方だということでして。
子どもだったらこういう子どもはですね、本当に学校というのはつらいところだと思うんですね。
ワクワクすることはほとんどないような、そういう状況の中で決められたことを学ばなければいけないとされるわけですから。
もうほとんど苦痛しかないという感じで、そのうち不登校になってしまうということもあるかと思います。
ただ、ワクワクすることについてはいくらでもできるんですね。
ですので、登校しなかったときやっていたことはワクワクすることということなんでしょうか。
ただ、この方は登校できなかったときにですね、よくあることですが、そのことを肯定的に見ることができずにですね、非常に苦しんだようです。
当然だと思いますけどね、親も学校に行ってほしいという願いを持っていたでしょうし、自分も学校に行かなければいけないという気持ちも一方ではあったけれどもいけないという、
そういう中で非常に孤独を感じたということで、自分が生きていても意味がないのではないかというですね、
そういう非常に否定的な考えにもなっていくだろうと思うんです。
ですので、ですが、この方はですね、本当にその後、いろいろこの本には苦労もたくさん書かれているんですが、
苦労しながらですね、最終的には自分の好きなことを仕事にして生き生きと生きておられるということで、ある種ハッピーエンドになっているかなと思うんですが。
無力化システムに適応できない人のために
本当は、そういう苦しみというもの、つまり学校あるいはクラス、学級制というものに適応できなくても、何のひけ目も苦しみも感じずに、
生き生きと生きていけるような、そして生き生きと学べるような、そういう環境がなければいけないのではないかなというふうに思うんですね。
ということで、それをどうやって実現するのかということを、私は考えていきたいなというふうに思っています。
他方で、私はまだ大学の教員ですので、ある種の無力化システムの一端を担っている存在でもありますので、
そういう立場からどうしたら授業がワクワクできるものにできるかという、そういう課題も持っていますけれども、
その両面でですね、いろいろ考えていきたいなというふうに思っています。
ということで、それではまた。