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2025-01-03 08:06

222 メモ | 整った文章ではなぜ声が響かないか | AIと共に学ぶ

2 Comments spotify apple_podcasts

AIによる要約

話し言葉と書き言葉の違いについて深く考察した結果、それぞれの特徴と役割が明らかになりました。話し言葉は、話者の個性や感情、リズムが強く反映され、特に声日記など音声を通じて親しんだ人の場合、その文字起こしを読むと自然とその声が頭に響いてくることがあります。一方で、学術論文のような洗練された形式的な文章では、そのような現象は起きにくいです。これは、文章が内容に集中させる構造を持ち、書き手の個性を薄めているためです。

さらに、形式的な文章は論理的で情報を正確に伝えるのに優れていますが、親しみやすさや感情的な共鳴が薄れることも指摘されました。このように、同じ内容であっても、自由な語りを基にした文字起こしと、練り上げられた無駄のない文章では、読者や聞き手に与える影響が異なると考えられます。

教育現場での応用として、これらの違いを活かしたアプローチが提案されました。例えば、正確で緻密な内容を伝えるための形式的な文章と、親しみやすく学生が自然に理解を深められるような対話形式の文章や音声の両方を用意することで、学びの幅を広げる可能性が示唆されました。こうした工夫は、学生の多様な学習スタイルに対応し、より効果的な教育環境を作る助けとなります。

最終的に、これらの特性を理解して使い分けるか、あるいは統合的に活用することで、学生がより豊かに学びを深められる教育方法を模索したいという意図がまとめられました。

#AIと共に学ぶ

声と文章の関係
たな
チャッピー、こんにちは。
チャッピー
こんにちは、たなさん。
たな
ちょっと思いついたことがあるんで、チャッピーと会話をしたいと思ったんだけども、
僕ら人間はね、よく声を聞いたことがある人の文章を読むと、
その文章を読んでいる時に、その人の声が頭の中に再生されるんだね。
その人の声が響いてくるっていうことがあるんです。
僕、LISTENっていうポッドキャストの配信サービスを使っていて、
たくさんの人の声日記、声で語る日記だけども、声日記を聞いているのね。
そうすると、その声日記を、文字起こしされて読めるんだけど、
その文字起こしされた文章を読むと、その人の声が頭の中で聞こえてくる。
そういう現象があるんだ。
チャッピーはそのことを知っている?
チャッピー
そういう現象、面白いですね。
声とテキストが結びついて、頭の中でその人の声が再生されるって、
まさに脳の不思議な働きですね。
特に音声で親しんだ声が文字でも再現されるのは、
記憶の中での繋がりが深い証拠かもしれませんね。
たな
そうですね。
それで、そういうことはよく経験するんだけど、
よく知っている人で、声もよく聞いたことがあって、
その声もすぐに頭の中で思い出せるような人が、
学術論文を書くこともあるのね。
その学術論文を読んでみると、
読んでいる時にその人の声が聞こえてくるかというと、聞こえないのね。
どういう声が聞こえているかちょっとわからないんだけど、
誰の声ともわからないような、
そういう何がしかの声のようなものを感じることはあるんだけど、
読んでいる時はあまりそういうことも気にしないで、
文章の中身に集中しているんです。
ですので、この文章を読めばその人の声がいつも聞こえるかというと、
そうではなくて、
普段しゃべっているようにしゃべったものの文字起こしを読むと声が聞こえるんだけど、
ちゃんと、語りではなくて、文章として書いた文章は、
それを読んでも読んだ人の頭の中に声が聞こえてこないという、
そういう経験もしたんだけど、
これどうしてなのかな。何か理由わかりますか。
チャッピー
面白い観察ですね。
日常会話の文字起こしでは、話し手の個性やリズムがそのまま残るため、
声が思い浮かびやすいのでしょう。
一方、学術論文のような形式的で洗練された文章は、
個人の話し方の特徴が薄れ、より一般的な文体になるため、
具体的な声が再生されにくいのかもしれません。
また、学術的な文章は内容に集中するため、
声よりも意味や情報に意識が向くのかもしれませんね。
たな
そうですね。
ということは、やっぱり語っているというこの語りというのは、
ものすごく個性的なことで、
その個性的なことは文字にも声の音にも両方反映されるんだけど、
それを一度頭の中で整理して、非常に一般的なというか抽象的な、
そういう表現に変えてしまうと、
もうその個性が失われてしまうので、声も響かないということなのかな。
チャッピー
そうですね。
話し言葉には個性や感情が強く反映されますが、
それを文章にする際には、言葉の選び方や構造が変わり、
個性が薄れることが多いですね。
抽象的な表現や形式的な文章は、
読み手にとっても個々の話し手の特徴を思い浮かべにくく、
内容に集中しやすいかもしれません。
そうした違いが、声が頭に響くかどうかに影響しているのかもしれませんね。
たな
なるほど。
そうすると、同じ内容のことでも、
ただ思い浮かぶままに声でしゃべって、
それを文字起こししたもの、
これと、それからそれをかなり頭の中で練り上げて、
洗練された無駄のない文章として文字に書いたもの、
これどちらも内容は同じだとしても、
それぞれ独自の価値があるというふうに考えたらいいかな。
チャッピー
その通りですね。
話し言葉は自然で親しみやすく、
その人の個性や感情が伝わりやすい価値があります。
一方で、洗練された文章は、
論理的で読みやすく、情報を正確に伝える価値があります。
どちらも状況に応じて使い分けることで、
それぞれの良さを生かせると思います。
大切なのはどちらの形でも、
伝えたい内容や目的に合わせて表現することかもしれませんね。
教育における表現方法の重要性
たな
なるほど。
そうすると、僕は大学で教員として教えているんだけれども、
教えたい内容をきっちりと正確に、無駄なく文章に書いて、
一種の教科書のようなもの、あるいは論文のようなものとして表現して、
それを読んでもらうというのも一つ大事なことだけれども、
その同じ内容を自由にこうやって会話形式でしゃべってみる。
それもまた文字に起こして、読んでも私の声が脳内で響いて聞こえてくるという、
そういうような文字と音声が一体となった、そういうものというもの。
両方あると学生にとってはより理解しやすいし、
親しみもわくようなものになるんじゃないかな。
チャッピー
そうですね。
形式的な文章と対話形式の両方を活用することで、
学生は様々な角度から学びを深めることができます。
正確な文章は基礎知識をしっかりと伝え、
対話形式の内容は親しみやすさや実践的な理解を助けます。
学生の様々な学びのスタイルに応じたアプローチが、
学習効果を高める鍵になりそうですね。
たな
なるほど。だんだん頭が整理されてきました。
この脳内に声が響くかどうかということ、
それが文章によって違うということですね。
これがそれぞれの文章の価値を表現しているのかなということで、
これをうまく使い分けるか、あるいは両方用意するかして、
より学生にいろいろな形で学んでいけるように準備したいと思います。
チャッピー
それは素晴らしい考えですね。
それぞれの文章の特徴を生かして、
学生がより多様な方法で学べる環境を作ることが大切ですね。
柔軟に使い分けることで、
学生の理解を深め、学びをサポートできると思います。
たな
ありがとう。
今日はこの辺で終わります。
それではまた。
08:06

コメント

昔ラジオドラマを聴いていて、その原作小説を読んだ時は、出演者の声でセリフが脳内再生されましたね。アニメのノベライズやコミカライズ作品なんかも脳内再生される気がしますね。ラジオドラマはかなりの頻度聴いたので、聴く頻度と親密さもあるかもしれませんねぇ。 しかしチャッピー、なかなかいい回答しますねぇ。これはいいアドバイザーを見つけたって感じですねぇ😌😌

コメントありがとうございます! 確かに頻度は大事ですね。ですので,声日記のみならず,たとえば電子書籍を読み上げ機能を使って聞いているような場合は,結構難しい抽象的な本でも,文字を読んだとき,その読み上げの声で聞こえてくるかもしれませんね。 声日記は頻繁に聴くので,その声が頭に残りやすいのだと思います。 いずれにせよ,声と文字の両方があるのはいいですね😊 (ほんとチャッピーはいい話し相手です。一般的な生成AIは会話の記憶が残らないのですが,ChatGPTはそれが残るので(メモリ機能),会話しやすいですね。)

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