1. たまらじっ!!
  2. #38【高野さんゲスト回】Mr.ニ..

多摩ニュータウンの歴史について、多摩ニュータウンの歴史に日本一詳しい!?合同会社MichiLab代表社員、多摩市若者会議代表の高野さんにお話を伺いました。

ここでお話している国の住宅政策の変化に合わせて、街のかたちも変わっていく様は、多摩市若者会議が不定期に開催している多摩ニュータウンまちあるきをしているとよくわかりますよ!

皆様も是非ニュータウンの遊歩道を散歩してみませんか?





サマリー

多摩ニュータウンは、住宅難の解消と自然環境の両立を目指して開発されている巨大な町です。多摩ニュータウン計画には、病院、ごみ焼却場、下水処理場、墓地、火葬場など、必要な施設がすべて含まれています。さらに、補車分離の街づくりが行われ、ペデストリアンデッキで横断歩道を渡らずに移動できる便利な環境が整備されています。また、多摩ニュータウンの歴史や開発の特徴、建て替えや市民活動の現状についての話がされています。これからの展望や管理組合と資産管理の重要性、さらには若い世代の入居者を増やすための取り組みについても話されています。

多摩ニュータウンの開発経緯
たまらじっ
皆さんこんにちは、レッドです。このポッドキャストは、多摩市から関西へ転勤したレッドが、寂しさを解消するため、多摩地域に住む仲間と雑談しつつ、多摩地域のお得な情報を伝えちゃおうという番組です。
本日のゲストは、高野さんです。高野さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、ということで、多摩市若者会議の代表の高野さんに聞いていただいたんですけど、簡単に自己紹介をお願いできればと思います。
はい、高野よしひろと言います。私は、本業はシステムエンジニアをやっていて、プライベートで多摩市若者会議という団体に2017年から関わっていまして、
2020年に若者会議のメンバーで道ラボという会社を作りまして、今そちらの代表をさせていただいていて、若者会議の方は今どちらかというと運営側として関わっています。
はい、ありがとうございます。今日はですね、ようやく高野さん登場という感じではあるんですけれども、私とは多摩市若者会議がきっかけで知り合ったんですけれども、
何といっても、高野さんはもう多摩ニュータウンの歴史に詳しいので、そういった歴史の編成をですね、今日はお話しいただければと思ってゲストとしてご案内いたしました。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあ、すごいざっくりでいいと思うんですけれども、多摩ニュータウンってどうした、どういった経緯で、人口20万近く住む巨大な町ができたのかっていうのを教えていただければと思うんですけれども。
はい、そうですね。多摩ニュータウン、一番最初の目的は1965年に開発計画が決定されたんですけど、
当時の目的は、東京に集まってきた人たちの住宅が足りなかった、住宅難の解消ですね。
もう一つが、郊外の乱開発が始まっていて、特に多摩ニュータウンが開発された多摩丘陵では、乱開発によって土砂崩れが発生したりですとか、
いろいろ問題が起きていたので、多摩ニュータウンとして大きく開発をして、逆にその周辺地域は開発を止めるということで、緑も守ろうということで始まったのが、多摩ニュータウン計画になります。
ありがとうございます。ちょっとざっくり振り返ると、住宅供給ですね。当時、金の卵と言われた人たちが農村から都市に集まってきて、その人たちの住宅を供給するため。
もう一つは、自然環境との両立を目指して開発が進められたという感じでよろしいですか。
はい、そうですね。その通りです。ありがとうございます。
多摩ニュータウンの開発が始まってから、どういった形で進められたかって言ったらあれなんですけれども。
多摩ニュータウンの開発と歴史
歴史ですね。
どういった形で歴史、どういった歴史で実際に計画ができたと。計画ができた後にどういう風に建設が進んでいたか、それが順調だったのか、そのあたりを教えてください。
はい。多摩ニュータウンの開発、当初の計画では、住宅難の解消のために、もう一気に開発をしてしまおうという計画だったんですが、
1971年に、まず多摩市の長山諏訪地域で入居が始まって、その翌年には、もう住宅を受け入れている当時の多摩市、自治体の方から住宅が増えたのに対して、他のインフラが追いついていないということで、一旦住宅建設をストップしてくれということで、ストップがかかります。
いきなり。
はい、いきなりなんです。2年、昭和47年まで入居があったんですけど、その後、約3年くらい入居がストップします。住宅建設がストップするんですが、この3年間で、なんと、東京の住宅難というのが解消してしまったんですね。
じゃあ、そこでもう辞めればよかったっていう話になるんですかね。
そこで、辞められないところが、日本の組織だと思うんですけど、そこで、今まで住宅の数を供給しようとしていたところを、良い住宅を供給しようということで方向が変わってきます。
なるほど、量から質への転換。
そうですね、量から質への転換になります。
その後、一気に開発されるわけではなく、最終的に2006年まで、約30年以上、少しずつ開発が進んでいきます。
その時代背景だったり、それまでの多摩ニュータウン開発の中の経験を、その次の開発に生かして、時代に合った、その時代の理想の住宅というのが次々作られていった。
仙里ニュータウンですとか、戦国ニュータウンみたいな、本当に全てが住宅難の解消のために作られたニュータウンとはまた一味違ったニュータウン。
日本の住宅の歴史の生きた博物館だというようなことを言う方もいるんですけど、そういった町が多摩ニュータウンになります。
そうですね、ありがとうございます。
多摩市の全体像で言うと、京王線、小田急線で長山駅というところと、そこから多摩センター駅、多摩市内で言うとそこまでで、あとは八王子の方までニュータウン続いていくんですけれども、
長山駅から多摩センターに向かってもかなり質的には違うと思うんですけれども、
おおむねだから長山の方はとりあえず利用という感じで、多摩センターに向かって、空に向かって、質ってそんなざっくりした感じなんですかね。
そうですね、東から西へどんどん新しい建物が建てられていったイメージです。
ありがとうございます。
町を作る中で、もともとだから人工的なのかなというのがあるんですけれども、
医者を誘致したりとかそういうのが、団地の中にあるというのがすごいなと思うんですけど、そういう他に、医者村橋という、医者が集まっている場所があるんですけれども、それ以外に何か面白いユニークな地域だったりとかそういうのってありますか。
そうですね、ユニークな地域。
多摩ニュータウンの開発規模になりますと、医者どころか都市に必要なものはすべて作っているというのが実態になりまして、
病院はもちろん、大きな病院も誘致していますし、ごみ焼却場も2つ、下水処理場も作っていますし、
多摩ニュータウンの開発地域って全部、多摩川水系、多摩川に水が流れる場所だけをターゲットに計画されているんですが、
その流域の河川も全部、多摩ニュータウン計画に合わせて作っていますし、墓地、火葬場までニュータウン計画の中で作っています。
もうそこから、もう出なくても生活というか、死ぬまで安心というような街を作っていますね。
そうですね、もう本当に住宅地のところに学校がないとかっていうような公開開発がよくありますけど、
必要なものはすべて作られているというのが多摩ニュータウンです。
ちなみに高野さんは、もう子供の頃からずっと多摩ニュータウンに住んでるんでしたっけ?
そうですね、私は小学校2年生の時に、多摩ニュータウンの豊川岡っていう地域に新しくできた団地に両親が引っ越してきたので、この街に引っ越してきました。
多摩ニュータウンでずっとってわけじゃないんですけど、
多摩に来る前に住んでいたのも横浜の陽光台という町で、ほぼ多摩と同じような街並みのところで育ってますので、
私自身はもう本当にずっと団地で暮らしてるというか、そんな感じの。
だから、もともと団地を作るのに並行して、学校とかそういう公共施設も合わせて作ってましたよね?
そうですね。団地がだんだん建っていくのに合わせて、公共施設も合わせて作っていくという感じです。
ただ最初は1970年代は、学校が追いつかなくて遠い学校まで歩かされたり、電車が通るのが間に合わず、陸の孤島と言われたりとか、そんな時代もありました。
そうですね。だから最初の長山団地ができた時は、まだ慶応も小田急線もなかったというふうに聞いています。
これは体験してるか聞きたいんですけども、ゴミを捨てる穴かな?パイプがあったんですかね?
そうですね。多摩センター駅の近くなんですけど、貫路収集センターというところで、ダクトから吸引するような感じでゴミを収集していた地域がありました。
吸引?
はい。ゴミ袋一つぐらいが入るようなものが出てきて、それを取れるとそのゴミが吸い込まれていくというような設備があって、さすがに自宅にはなかったんですけど、
当時、新都市センタービルの前に誰でも使える場所にあったので、子供の頃そこに入れて遊んでましたね。
それすごいですよね。イメージとしては、ゴミをそこに捨てれば焼却場まで吸引して運んでくれるという。
焼却場までじゃないんですね。
焼却場じゃないんですね。
はい。多摩センター駅の近くのある建物、貫路収集センターって言うんですけど、そこまで集められるだけで、その後はトラックで運んでました。
そうかそうか。
結構ゴミを捨てればそれで焼却場まで運んでくれるのかと思ったら、そこまでは行ってなかったんですね。
そこまでではなかったんですが、鉄製のダストボックスっていうのがあって、24時間いつでも捨てられるっていうのが、当時の多摩センター駅になってました。
すごいですね。
だから多摩センターエリアだけであって、中華館あたりはなかったんですかね。
普通のダストボックス、鉄製の箱に捨てるような感じでした。
そうなんですね。ありがとうございます。
多摩ニュータウンの特徴
あと多摩ニュータウンの特徴として補車分離っていうのがあると思うんですけれども、補車分離についてちょっと説明してもいただいてもよろしいですか。
ちょうど多摩ニュータウンの開発が進んでいた時期というのが、日本で交通戦争って言われてた時期と重なりまして、
多摩ニュータウンでは地形を生かしまして、給料地の高低差を生かして、高い場所に元々団地が作られたので、
橋を開ける形で、その下にある車道と歩行者が歩くところを分離するっていう形で、
生活に必要な場所は基本的にどこに行くの、横断歩道も渡らなくてもいいというような街づくりがされています。
ですので、長山駅の改札を出て、隣の多摩センター駅まで一回も横断歩道を渡らずに、
ペデストリアンデッキからペデストリアンデッキが繋がっているような、そんな感じの場所もあります。
昔は学校に行くのは全くそういう、団地から学校に行くのは横断歩道を渡らないみたいな。
そうですね。ちょうど私が住んでた場所が、団地から横断歩道まで綺麗に車を通る場所を通らないでいいところだったので、
学校で見つけた石を家の前までずっと蹴っていくとか、そんなこともやってました。
さすが、子供の中にすごいなぁと思うんですけど、でもね、それで石を蹴って車に当てたりすることもないんで、安心ですね。
端から落ちちゃったりとかそういうこともありますけど。
そこはあるか。
でも、そういった環境は守られているので、たまに言う多摩の団地の中に家を買えば、学校までは車に合わず帰れるということで、
親にとっても安心できる環境だというふうに思っています。
そうですね。それがあったので、私は実は就職のタイミングで多摩ニュータウンを離れているんですが、
育てを考えた時に、やっぱり自分の子供も多摩ニュータウンで育てたいと思って、結婚後に戻ってきたような感じになります。
そうですね。やっぱりそういうのが現体験あると違いますよね。
奥さん出身違いましたよね、確か。
はい。妻は全く別の地域です。
でもそういった人にちゃんと説明できるんで。
多摩ニュータウンの開発と地域の変化
遊歩道もなかなか駅の近くから繋がっているんですけど、あえて行かない人が多いと思うので、多分市民でも知らない人が多いんじゃないかなと思います。
本当にそうで、コロナ禍で遊歩道を歩いている人が、「え、こんなところにお店があるの?」とか、
驚きながら歩いている光景を見て、本当に地元の人でも遊歩道を歩いていないんだなというのを痛感しました。
そうですよね。高野さんが子供の頃っていうのは、ニュータウンの団地の中って、近隣商店街があったじゃないですか。
あの辺は普通にみなさん外で買い物で使ってたんですかね。
県林センターの商店街ですとか、スーパーは当時まだ元気でしたので、日常の買い物をその辺でしていたんですが、
やはり駅前まで買い物に行くことの方が多かったですね。
住んでいても知らない人もいたかもしれないですね。
そうですね。気軽に車に乗れちゃう人はあまり歩いてなかったかもしれないですね。
そうですよね。いくら歩車分離が進んでいるといっても、普通に車でみなさん生活している時代ですもんね。
そうですね。大人の方が車でどこか行っちゃうのであまり知らなくて、むしろ子供の方が探検をして歩き回っているので、いろんなところを知っていたかもしれないですね。
ちなみに高野さん、豊川岡ってちょうど中山駅と多摩センター駅の中間ぐらいの場所なんですけど、子供の頃、小学生の頃からもうずっと端から端まで行ってたりしたんですか?
そうですね。日尻川岡っていう多摩市の中では一番東側のところから西側の唐木田駅の近くまで、歩道の通じているところはほぼ自転車でみんなで行ってましたし、
今やったら多分大問題になっちゃうでしょうけど、友達なんかで多摩川まで行って、そのまま多摩川を羽田まで折り切って羽田空港の飛行機を見て帰ってきたみたいな、そんな友達がいたりとか思いましたね。
すごい。だいたい羽田空港まで30キロぐらいですか?
そのくらいあると思います。
30キロ往復。すごいですね。
多分、普段多摩ニュータウンの中で鍛えられてるんで、それもうできちゃうってことじゃないのかなと思います。私はやらなかったですけど。
ありがとうございます。今、高野さんは多摩市内じゃなくて八王子の方の住宅には住んでいると思うんですけども、結構今も市内を回ることがあると思うんですけども、
子供の頃と比べてこういうところが変わったなとか、そういうふうに感じてる部分ってありますか?
そうですね。やっぱり住民の高齢化というのが進んでいまして、本当に気に入って住んでる人が多いので、なかなか出ていかないんですね。
結果として、商店街がだいぶ廃れてしまいまして、商店街を歩いているのがシニアの方ばっかり。
そうですね。
そこが一番感じるところで、あと木がみんな切られないんでどんどん大きくなってくるんですね。
10年のブランクがあって、たまに戻ってきて驚いたのが、建物が木に飲まれてるぞみたいなところがあって、その一つの動機でした。
設計当初から森の中に家があるっていうような、今ちょうど高野さんの背景って、Zoomのバーチャル背景がたまに歌うのが絵なんですけど、そこでも木がかなり植わっているような感じなんですけども、そのうちマンションの高さ飛び越えそうですよね。
はい。本当に5階建ての団地は欅の木とかが近い高さまで行ってる木とかありますね。
分帳の住宅と建て替えの進展
その緑地が多いわけなんですけど、実は住宅建設がストップした後、開発を再開するにあたって、たまニュータウンの方針に一つ盛り込まれた目標がありまして、
それは何ですか?
たまニュータウンの開発面積の3割を緑のオープンスペースにするという目標がありまして、
めっちゃ贅沢ですね。
全部が公園ってわけじゃないんですけど、開発面積の2割が公園、緑地、残りの1割の10%の部分が団地の中なんかも含めた緑のスペースですね。
それまで含めるとニュータウンの3割は緑のスペースになるという計画で、その後ずっと作られました。
やっぱりそういう計画変更があって、これだけ緑が多い場所になっているというのもあるんですね。
今、新しく開発されている町と比べて本当に緑が豊かで、
コロナ禍でみんなよくわかったんじゃないですかね。
こんだけ緑、公園が多い町なんだって。
本当に地元の人でもコロナ禍で緑に気がついた人たくさんいるんじゃないかなって思います。
ありがとうございます。
これからの話があったんですけれども、大阪に仙里ニュータウンというのがあるんですけれども、
そこの住宅っていうのは、もともと全て賃貸で分帳がなかったというふうに聞いてたんですけれども、
たまにニュータウンって分帳も結構半分くらいあるじゃないですか。
そうですね。
確か半分、もう賃貸より分帳の方が多かったんじゃないのかなというぐらいだったと思います。
そうですね。どちらかというと分帳の方が多いか、そうか。
それもやっぱり住宅供給が量から質に変わるときにそういうふうに変換したんですかね。
そうですね。やはり初期の地域は賃貸の方が多かった傾向にあります。
おそらく分帳の方が好まれたとか、そういった時代背景もあったと思うんですけど、
企画の変更とか時代背景を受けてそうなってたんじゃないのかなと思います。
ありがとうございます。なので結構賃貸だと人が入れ替わるっていうのがあると思うんですけれども、
分帳だと基本的に売買しない限り人が変わらないので、
その分エリア的に結構分帳エリアの高齢化が進んでるなっていうのが統計でも出てはいると思うんですよね。
はい。明らかに分帳比率の高い地域は高齢化が進みやすいというのは明らかに見えてます。
ありがとうございます。今って多摩ニュータウンができてからちょうど50年ぐらいということで、
マンション、高層マンション、金コンクリートの住宅の対応年数が50年ということで、
今、巣場エリアで一箇所だけ管理区名が合意して建て替えが進んでいるエリアがあるんですけれども、
今後もそういう分帳のエリアっていうのはそうやって建て替えが進んでいくのか、
それともあまり建て替えが進まずに長寿命化みたいな形で残していくのか、
どういう感じになってくるんですかね、これから。
そうですね。今小川さんからお話のあった巣は2丁目住宅というところの建て替えの事例の次に、
実はもう一箇所八王子市なんですけど、高谷っていう地域で一つ分帳が建て替えに成功しています。
この2例があるんですけど、その後もしかすると秘密裏に進められてるかもしれないんですけど、
3例目がなかなか出てこない。
なるほど。
その一方で建物の長寿命化の方の取り組みはよく耳にするようになってきまして、
ですので分帳の住宅については建物の寿命を伸ばしていくという方がトレンドになるんじゃないのかなという様子が見えてきています。
一方で賃貸住宅については、固有住宅が次々建て替えが進みまして、
その次にUR都市機構の方も建て替えに着手し始めました。
URもやってるんですね。
そうですね。まだ実際に新しくできた建物に引っ越した人はいないんですけど、
種地になる土地を確保して、その土地に建物を建てる計画をしているという段階です。
ありがとうございます。ここまでは結構ハードな話を中心にしてきたんですけれども、
市民活動と地域の若返り
たまにURタウンっていろんな地域から人が集まってきて、
街づくりの中でもいろいろ人が集まりやすいような工夫というのがあったんですけれども、
そういう努った市民の人たちが、自分たちの自治活動といったらあれなんですけれども、
そういうのを発展させていったという特徴は何かあります?
そうですね。とにかく大きく開発をされた地域で足りないものだらけだったので、
必要なものは自分たちでどうにかするというのが、たまにURタウンに入居した人たちの動きとして特徴がありまして、
例えば、図書館がなかなかできないから自分たちで本を集めて、
子どもたちに本を読ませる場所を作ろうみたいな、そんな動きなんかも初期からあったりですとか、
本当にそれ以降も、足りないものは市民が自分たちでやっていこうということで、
NPOの法人数も、東京都が確か日本一だと思うんですけど、東京都の中でもNPOの法人数が多い地域だったりとか、
とにかく市民活動が盛ん、女性の市民活動が盛んという特徴があります。
結構、高野さん、統計をいろいろ見られていると思うんですけれども、
今はどちらかというと、東京も共働きの人が増えているんですけれども、
やっぱり市民活動の主体っていうのも、昔はだから、何て言ったらいいんですかね、
専業主婦であった人が、実活動になり手っていうのがあったと思うんですけども、
その辺りはもう今も変わらないんですかね、それともその辺は変わってきていると思いますかね。
ここが変わってきているところで、
もともとあった、盛んだった市民活動の団体は、
世代交代がうまくいっていないところが多いんですね。
でも、高齢化で、解散に至る団体も散見されるようになってきまして、
一方で、我々の世代は、やはりタマニュータウンに住んでいる人でも
共働きの人が、なかなか地域で市民活動がやりやすいかっていうと、
そうではないっていうのが見えてきています。
そういったところの隙間的なところで、
若者会議に集まっている人なんかが、そういう場を求めてきたんじゃないかなとは思っているんですけど。
結構若者会議自体が、それぞれの地元とタイアップして、
いろいろ活動をやっていると思うんですけれども、
そういう自治会で活動している人たちは、同世代の人あまりいないんですかね、逆に言うと。
そうですね。たぶん、新しくできたマンションとかに住めば同世代いるんじゃないかなと思うんですけど、
私なんかも、もともと平成元年にあった団地の中古を買っていますので、
周りに住んでいる人は、平成元年から住んでいる人もたくさんいるんですね。
そうなんですね。
私は今43歳なんですけど、3年前に理事会をやった時は、たぶん理事の中で一番若いか2番目ぐらい。
そんな感じでしたね。
いや、たぶん貝取のエリアだったんですけれども、毎年ランタンフェスティバルっていう豊川区エリアでやっているイベントがあるんです。
その時のアンケートで、やっぱりなかなか若い人が少ないんで、若いと全部実活を任されちゃうみたいな、
そんなアンケートを書かれている部分もありましたけど、
やっぱりそういう意味で言うと、世代間っていうのは結構難しい部分もあるのかもしれないですね。
そうですね。平日の日中に動ける環境のある人に、いろいろ押し付けられちゃうっていうのはありありまして、
PTAの活動なんかを見てても、やはり数少ない今でも動ける人に依存をしてしまっていて、
多摩ニュータウンの歴史と管理組合の役割
やり方が変わってないところは、だいぶ疲弊し始めている様子も見受けられます。
だからこそだと思うんですよね。
今、たまニュータウンの場合って、管理組合がしっかりしてると言えばしっかりしてる。
これも特徴だと思うんですけれども、ニュータウンの団地単位で管理組合っていうのがどこもありますよね。
そうですね。文庄の団地は団地の管理組合、賃貸については自治会があるんですが、
賃貸の方は自治会の組織できてない団地も結構あるんですけど、文庄の方は管理組合、資産管理っていう意味でも必要で、
機能しなくなったマンションなんていうのも東京都内ですとか、
多摩よりももっと郊外の方の団地なんかだと聞くんですけど、多摩についてはしっかりと管理組合は機能している。
そこはしっかりしてるなっていうのは非常に感じます。
今ちょうど50年というのを迎えて、これから多摩ニュータウン、いろいろ活動してると思うんですけれども、
今後このニュータウンっていうのがどういうふうになっていくのかって言ったらあれなんですけれども、
加藤さんから見てこうしていきたいなとか、改めてこういう部分がいいところだとか、そういうのありますか。
そうですね。まず今ちょっとハード面でいろいろお話をしてきたところというのは、
これからこんな大きな開発で理想を求めたような街って新しく作られることないと思うんですね。
多摩と同じぐらいの熱量で作られた街って、ちょっと江北ニュータウンとか千葉ニュータウンとかもありますけど、
どちらよりも多摩の方が熱量高く作られたんじゃないのかなと自分らには思ってました。
ハードプラス住宅の方も、今の新築の建物なんかよりずっと広い家が多いんですね。
良い環境と、うまく自分で好きなようにリフォームさえしてしまえば、住みやすい家は手に入ると思うので。
あとは人のところなんですね。コミュニティ。
いきなり飛び込んで周りシニアの方ばっかりだった。やっぱりちょっと飛び込みにくいと思う。
新たに入ってきた若い人たちの居場所とか繋がりっていうのを作っていくあたりを、私たちの活動なんかでもうまくカバーをしていって、それを魅力にして、
ハードの良さと合わせて多摩の魅力にして、空いたところから若い人が入ってくるような感じにしていきたいなって思ってます。
ありがとうございます。さっきの住環境がすごい大事だと思うんですけれども、すごい広いマンション、ランチが多いですよね。
本当、130平米とか140平米とかの範囲が…
1個だけかっていう。
中高のマンションで出てきますので。
私、実家の家が80平米ないんですけども、100平米のマンションなんてあるの?みたいな。
今本当に、ちょっと蓄年数は経ちますけれども、本当に広いマンション、広い住宅で公園も近くにあって、
本当に子育てをするには最高の環境が整っていると思うんで。
高野さんも含めて若者会議を中心に、そういう人の入りやすい環境を作っていければと思います。
小川さんもたまに…
そうですね。もうちょっとしたら戻りますんで。
私は今、小川さんがたまに帰ってくるのを待っていると。
ありがとうございます。
ありがとうございます。あっという間に30分話をしていて、まだまだ話したいと思いますので、
ぜひぜひ、違った面でまたお話を聞ければと思いますので、本日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。すみません、逆の話になってしまった。
とんでもないです。
今日のゲストは高野さんでした。本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
また今度よろしくお願いします。バイバイ。
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