自立の定義
おはようございます、たけしです。このラジオでは、ブログSNS歴5年で累計6000万円以上稼ぎ、そこから3年間かけてですね、心理学を学んだ僕が、自分らしく自立的に生きるためのヒントを1日1つお伝えしていきます。
はい、というわけで、2日目ですね。ラジオ放送を始めて2日目なんですけども、今日もね、祝々とやっていきたいと思います。
今回のテーマは、「自立とは自己中心性からの脱却である」というテーマでお話ししていこうと思います。
急にね、そんなこと言われても困るよっていう話だと思うんですけど、あなたはですね、皆さんは自立とは何かって聞かれたら、自立とはどういう意味ですか、どういう定義ですかと聞かれたら、なんとお答えするでしょうか。
よくあるのは、やっぱり経済的自立っていう話ですよね。親とか他人とかに経済的に依存していない状態、つまりお金を、金銭的なものを受け取らずに、自分の仕事というか自分の
自分で生計を立てて生きていける状態、これをよくね、自立っていう言葉で、今現代社会ではよく言われているのかなと思いますと。
この定義は確かに間違ってはないというか、それも一つの自立だよねっていう話ではあるんですけども、今回お伝えしたいのは、アドラシン理学から言われる自立とは何かっていう話ですね。
この後の話にもちょっと通じてくる話なんですけども、昨日実は祖父、96歳になるですね、祖父が今介護施設にいるんですけれども、
両親とですね、行ってたんですね、そのお見舞いに。お見舞いに、片道ね、車で3時間ぐらいかかるっていうところで、それ以外のね、交通手段があんまりないっていうところで、
まあちょっとね、まあちょっと遠いというかね、行くのに時間がかかる、まぁだいたい片道3時間ぐらい、往復で6時間ぐらいかけてですね、休憩とか挟んでたらもう
7、8時間ぐらいかかるんですけども、まあ行ってましたと。で、その道中時間があったので、僕ね、自分の車で一人、なんて言うんですか、そのオーディブルでね、音声で
嫌われる勇気と幸せになる勇気っていう2冊の本をね、時間的にすごい余裕で読めたんですよ。もう何ならもう復習しながら聞けるぐらい、もう2、3週ぐらいね、できるぐらいの
時間があったので、まあその聞いてたんですね。で、まあその時に改めてですね、なるほどと、自立とは何かっていうことをですね、改めて考えるきっかけになったので、今回ちょっとね
シェアさせていただこうと思いました。で、アドラシン理学における自立とは何かっていうとですね、もう結論からお伝えすると、これもタイトル通りなんですけど
自己中心性からの脱却なんですよ。自己中心性とは何かっていうと、他者から与えられることを求めている状態のことを自己中心性と言います。
なので、一番わかりやすい例があの子供ですよね。幼児期から、まあ思春期、自立というか社会に出るまでの子供っていうのが本当に一番わかりやすい例で
例えばもう乳幼児とかって、もう人からも全て与えられないと何もできないじゃないですか。
ミルクからおしめから、もう生きていくことをほぼほぼ全てを与えられて生きている状態であると。これはあの子供とか思春期、高校生とか大学ぐらいも
そうっちゃそうですよね。ただ、彼らっていうのはその愛されること、親から愛されることっていうのをめちゃくちゃ求めているわけなんですよね。
なので、親から愛してくれそうなことを必死にやろうとするわけですよ。例えば、学業の成績が良ければ、勉強の成績が良ければ褒めてくれるような
親であればですね、一生懸命頑張ってまずは点数を取ろうとするとか、部活動とかね、その他いろいろなことを親から愛してもらうために自然とですね
子供っていうのは頑張っていくと。これは物質的な面と金銭的な面もそうなんですけど、精神的な面ですよね。
つまり愛されることを求める存在なんですよ。子供っていうのは。これが自己中心性なんですね。
あなたから与えられること、親から与えられることによって初めて私は存在価値を自分で認めることができるっていう状況。
で、これね、つまり大人とかも、いわゆる大人って言われているような人たちも自立できていない人って多いんですね。
というか、僕自身もまだまだそうなんですよね。完全に自立しきれていない。つまり自己中心性が残ってるんですよね。
自己中心性っていうのは、私がこの世界の中心であるっていう感覚で、人から与えられることを求めている状態です。
じゃあ僕の自己中心性とは何かっていうと、分かりやすい言葉で言えば、やっぱりね、承認欲求なんですよね。
人からこういうふうに評価されたいとか、すごい人に見られたいとか、特別な人に見られたいとか、そういうものですよね。
つまり、これってすごいね、与えられることを求めているわけなんですよね。
人から与えられる、愛されることによって、初めて私は私を生きることができるというか、その自我をギリギリ保てるみたいな状態なんですね。
でもね、これね、やっぱりね、自立できてないんですよ。自分の価値は自分で決められてないんですね。
自分はこう生きるっていうふうに決めてですね、その人生を生きれてない状態なんですよ。
人から、あなたすごい人だよね、誰よりも比較競争で負けてないよね、みたいなふうに思われて、やっと自分の人生を生きられるっていうのはね、これね、子供なんですね。
幼児性なんです。自己中心性からの脱却ができていない状況であると。
そう、なので、自立とは何かっていう話で言えば、全然ね、自己中心性からの脱却ができてないっていうことになりますと。
自己中心性の影響
で、僕の場合で言えばですね、やっぱりね、その甘えとか、つまり自分、人から与えられて当たり前だろうと、
あれ何々をやってもらう、自分が損しないために、こういう案にですね、人にこういうことをしてもらう、妻でもいいですし、誰でもいいんですけれども、
っていうのは、やっぱりね、子供なんですよ。まだまだ子供なんですね。
で、一つ言えることがあるとすれば、まずはその自分の自己中心性に気づく必要がある。
つまり、まだ自分は未熟な子供であるっていうことをまず自覚するっていうことが本当にね、ファーストステップとして大切です。
ものすごくね、これはその、直面するのは本当に耳の痛い話なんですけど、まずはね、自分が今どこにいるのかっていうことをやっぱりしっかり客観的に把握するっていうことはものすごいね、大事なことですね。
なので、僕、人が多いんですよ。たぶん8割9割ぐらいの大人はまだ自立できてないんですね。つまり、自己中心性からの脱却をできていないっていう話。
まあもちろんね、これ程度問題なので、じゃあ明確なね、線引きがあるわけではないんですよ。こっからがじゃあ自立できてて、こっからがまだまだ子供ですみたいな、明確な線引きはないんですけれども、
やっぱりね、この自己中心性からの脱却、自分が自分の価値を決めるのに他者の評価とか他者の目っていうものを用いる必要があるっていうのは、まあやっぱりまだまだ子供だし、そういう姿勢っていうのは自分がこう承認されたいので、やっぱりいろんなところに出てくるんですよね。
日常生活でも、やっぱりね、他人を削除することによって自分が得しようとしたいですね。これ甘えだと思うんですけど、ということによって他人から与えられる、何かを与えられることによって初めてこう自分の人生を生きることができている状態っていうのは、いろんな側面で見ることができると思うんで、精神的な面以外でもですね、全部ね、そことね、向き合っていく必要がありますと。
じゃあどうすればですよ。じゃあどうすればその自己中心性から脱却することができるのか。自分の幼児性、子供っぽさっていうところから一歩ずつですね、大人として自立していくことができるのかっていうと、アドラシン理学ではこれはもう結論が出ていて、それは愛することなんですよ。
愛すること。自ら他者を愛するということ。で、他者からもしかしたら愛されないかもしれない。自分はあの人に対してものすごい愛を注いでいるけれども、相手から何の見返りもないかもしれない。もしかしたら嫌われるかもしれない。でもそれでも自分は他者を愛するんだっていうことを決めるっていうことですね。
こういう生き方への態度のことをライフスタイルっていう風にアドラシン理学では言います。つまり、自分は人から与えられることによって初めて自分を生きることができるんだっていうことは、僕らはね、幼少期に決めてしまってるんですね。アドラシン理学では10歳ぐらいまでにその生きる態度っていう、つまりライフスタイルですね、っていうのを決めてしまっているっていうことを言われてるんですけれども、
10歳ぐらいに人からこういうことで承認されることによって自分は初めて認められるんだ、愛されるんだっていう風に決めてしまう。僕の場合だったら人よりも学業とか何かスポーツとかが優れていることによって人から愛されることを求めるライフスタイルっていうのをずっと選んできた。
それが今の大人に、今この現時点までもそのライフスタイルっていうのがずっとね、ずっと続いているってわけなんですね。このライフスタイルを、ライフスタイルっていうのは実は今この瞬間から決意によって変えることができるんですよ。つまり僕は人から特別な存在であると承認されることによる人生っていう生き方を変えてですね、人を愛することを決めるっていうライフスタイルに、
今この瞬間から変えることができるんですよ。仮に失敗した、その生き方に失敗したとしてもまたその失敗したその直後からですね、その瞬間からまたライフスタイルを選ぶことができるんですね。
これがものすごい大事ですと。で、愛するとは何かっていう話ですね。次に愛するとは何かっていう話なんですけど、これね、アドラーもそうですし、エイリッケ・フロムっていう心理学者
も言っていることなんですけど、与えることなんですよ。与えること、愛すること、愛するということっていうのは与えることです。で、もう少し
詳細に言うとですね、他者や社会に純粋な関心を向けると、つまり興味を持つということですね。他者の、あの人はどうしてこういう考え方をするんだろうとか、何が好きで何が嫌いでどういう生き方をしてるんだろう、
で、それはなぜなんだろうっていうふうに他者に興味を持つこと、そして社会全体にも興味を持っていくこと、この社会はどうなっているのかっていうふうに興味を持つこと、そして興味を持って自分ができることで与えることなんですよ。
愛することの重要性
そう、こうすることによって人は初めて精神的に自立していくことができる。
つまり他者の価値観とか他者の、他者とか世間体の物差しではなくて初めて自分の人生を自分の物差しとか自分の基準とか自分の価値観で生きることができる。
なので与えるっていうことはものすごいね、自らを成長させる、強めるってくれるっていうことでもものすごいね、大事なんですね。
で、さらにね、じゃあ与えるって言われてもじゃあ何を与えればいいんですかっていう話になると思うんですよね。
で、ここもね、さらにもう一つ深い話につながっていくんですけれども、僕らは実はですよ、アドラー心理学によると、もう本当は本当はこの存在しているそのものだけですでに社会や他者に与えているんですよね。
で、こういう与えるっていうことをアドラー心理学の言葉で言えば、他者貢献とか貢献観って言ったりするんですけど、僕らは存在しているだけで実は社会にものすごいね、貢献をしています。
で、信じられないと思うんですよね。いやいやお金稼がないと生きていけないからまずお金稼いで人に与えないととか、そんなこと言っても知識とかね、スキルとかなければ人に与えるなんて無理だから、
まずは勉強してスキルを身につけて実績を立てて人に与えなきゃいけないじゃんとかね、まあもちろんそれも人与えるなんですよ。もちろんそれも与えるなんだけど、究極的に言えば僕たちはもう存在そのものが世界に対して貢献している、与えている状態であると。
で、そこに繋がることができると初めて僕らは嫌われる勇気、つまり他者によって立つ生き方ではなくて自分の人生を生き始めることができると。
この貢献感っていうのがすごい大事なんですね。この今の存在しているだけで人は与えているんだっていう話は実はちょっと先ほどお伝えした昨日言ったですね、
あの祖父の施設へのお見舞いの話がちょっと繋がってくるんですけれども、今祖父はもうすぐ96歳になるっていうところで実はですね先日ちょっと顔から
よろけて、顔を打ってですね、手術をしてしまった、手術をしたんですね。今のところ命に別状はないんですけれども、まあでもね昨日ちょっとお見舞いに行ったところもうずっと寝たきりでした。
で、もうご飯もあんまり食べられない、というか食べない状態で意識はあるんだけれどもあんまり喋らないですし、
僕らがね行って面会時間が30分ぐらいしかなかったんですけれども、その間ずっともう目をつぶってですね意識はあったと思うんですけど、でももう会話ができない状態だったんですね。
自分、僕らの声を拾ってなんかちょっと頷いてるかなーみたいな、ちょっと目でピクピク目が動いてたんで、それでちょっと反応はしてるのかなーみたいな感じで、
まあ言ってしまえば、ただそこに生きているだけだったんですよね。自分で立つこともできないし、自分でお氏名を変えることもできないし、自分でご飯を食べることもできないし、着替えることもできない、何もできない状態だったんですよ。
で、まあ僕が孫なので、もうちょっとね若い60代70代の頃のおじいちゃんというのをもちろん知ってはいるんですけども、全然やっぱりねその頃から見れば全然元気も、
元気がないというところの話じゃないですね。もう寝たきりなので、まあ見る影もないっていう感じではあるんですけど、それでもねやっぱりおじいちゃんがいてくれないと困るんですよね。何もできないですよ。
多分物理的には本当に何もできないし、僕らに何かじゃあ金銭とか物質的な面で何か与えてくれるわけでもないし、なんなら施設に入っているので、
施設代のお金はね、僕の父が払っているので、僕は直接的に何か負担がかかっているわけではないんですけれども、父からお金はですね、支払われていると。
金銭的な面で言えば家族に負担をかけているのは間違いないんですね。ただでもそれでも永遠にいいから、おじいちゃんにはもう喋らなくてもいいから、
目を開けなくてもいいから、やっぱり生きててほしいんですよね。そこに生きているぞ、まだいるぞっていうことを感じさせてほしいんですよ。
生きてるんだっていうことに対してものすごい安心感を感じるんですよね。すでに寝たきりではあるんですけどね。これが究極的なやっぱり貢献感なんですよね。
本人はもうそんな意識ないと思うんですけれども、僕らとしてはあえて嬉しい。喋れなくても意思疎通がうまくできなくても、そこに生きてくれるだけで嬉しい。
ありがたい。この気持ちがあるんですよね、僕らには。で、僕らは自覚してないんだけれども、絶対この感覚っていうのを自分の家族とか他の人にも与えているんです。
僕は今こうして喋ってますけど、僕がこうして今生きているっていうだけで、おそらく、もしかしたら調子乗ってるって聞こえるかもしれないですけど、おそらく
僕が今この瞬間生きているっていうだけで、おそらくですね、僕の妻とか僕の両親とか兄弟はですね、きっと自覚はしてないんだろうけども、安心感とか今日も生きててよかったっていう感覚を持ってくれてるはずなんです。
逆から考えればそうなんですよ。父が生きてくれていること。今この瞬間に母が生きていること。で、妻がいてくれること。
で、もちろん息子が生きていてくれていること。存在してくれていること。まだこの世にいるっていうこと。
それだけでやっぱりですね、当たり前じゃ当たり前なんですけども、ものすごいありがたさとか心のぬくもりとか安心感というものをやっぱり感じることができる。
究極僕らは存在しているだけでやっぱり貢献してるんですね。で、そういうふうに感じる、その貢献感。この社会や他者に対する貢献感を感じることができて、初めて僕らは自分の人生を生きるんだっていう勇気を持つことができる。
そしてそれすなわち自己中心性からの脱却。自分はこの世界に既に貢献している。だからもっと人に与えようというふうに思うことができる。
この貢献感と他者へ与えること。そしてそれすなわち他者を愛すること。他者や世の中に興味関心を持って与えること。これができて初めて人は自立的に生きることができるんだなっていうことを今回お伝えしたくてラジオを撮りました。
自己中心性の脱却
ちょっとだいぶ長くなってはしまったんですけれども、少しでも伝わる部分があれば嬉しいなというふうに思います。
こんな感じで僕のラジオではですね、心理学とかビジネスとかね、そういう話を中心に自立的に自分らしく生きるためのヒントっていうのを僕の実体験からお伝えしていきますので、少しも参考になれば嬉しいです。
コメントとかね、いいねとかフォローいただけると励みになります。それではまた次回の放送でお会いしましょう。