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2025-06-30 11:48

スマホにカメラがついたことは良かったのか? #136

サマリー

スマートフォンにカメラが搭載されたことで、写真を撮影してSNSにアップする文化が進化しています。一方で、自己顕示欲や現実からの逸脱についての懸念も生じています。特に、観光地やイベントでの体験への影響や、スマートフォン依存の加速について考察しています。

カメラとSNSの関係
こんにちは、たけのむです。週末はですね、またちょっと万博とかに行ったりして、このね、クソ暑い中、また出かけていたんですけども。
で、まあね、あの、交絡地に行くとね、写真撮影することがね、多いと思うんですけど。
まあ昔はね、カメラっていうか、スマホにカメラがつく前は、デジカメ。そのまた昔はね、もうちょっとでっかい普通のいわゆるカメラっていうのを買ってる人がね、多かったと思うんですけど。
デジカメぐらいからあれですかね、結構みんなカメラを持つようになって、ただデジカメの時はね、まだ今みたいにSNSに直結で写真をアップするっていうことはね、あまりなかったと思うんですけど。
ガラケー時代ぐらいから、スマホというかね、携帯電話にカメラがつき始めたと思うんですよ。
でね、これが何かね、良かったのか悪かったのかっていうところを今日はちょっと話をしてみたいと思うんですけど。
先日ね、万博に行ってる時も、スマホのカメラを起動して、いろんなパビリオンだったりとか、あと料理とかですかね、写真を撮って。
で、私SNSに行くと、インスタとかはね、一応アカウントは持ってるんですけど、ほぼやってないので、Xか、昔でいうツイッターですね。
そこに、大阪関西万博っていうタグをつけてね、写真を撮ってアップするっていうことをね、いくたびにやってるんですけど。
昔というかね、もともと最初カメラがついたタイミングぐらいでは、あまりね、このカメラで写真を撮って、それをSNSにアップするっていうことをね、知ったことはあまりなかったんですけど。
なんかね、気がつけば、これがなんか、やらなければいけないことって言うとあれなんですけど、なんかね、気がつくと、やってると。
で、交絡地に行ってね、なんか写真撮ったりだとか、例えば花火とかもそうですよね。花火撮ったりとか。
あとはね、特別なご飯。普通のご飯というよりは、なんか交絡地とかに行って食べるおいしいご飯とか。
ちょっとね、写真写りのいいようなご飯。いわゆる映えるご飯というかね。そういうのも写真撮ったりするようになったんですけど。
で、ちょっと考えてるとですね、これって果たしてね、幸せなのかどうかっていうところなんですよね。
結局、写真撮って、それを見返すことはあるんですけど、SNSにアップするのって基本的にはね、自己顕著欲というか、証言欲求の現れだとは思うんですよね。
インスタをね、メインでやってる人は特にそうなのかな。インスタって基本的には写真をなんかアップして公開してっていうのが流れになると思うんですけど。
Xはね、文字だけっていうのももちろん多いので、ちょっとね、まだインスタの方がそっちの気が強いのかもしれないんですけど。
あれですよ、遊びに行ってですね、直接目で見るものを楽しめばいいんですけど、なんか気がつけばね、スマホのファインダー越しというかプレビュー越しにね、景色というかいろいろ見てるっていうのをね、やってて。
いやなんかこれってね、ちょっと毒されてるというか、なんかあんまりいい傾向じゃないなってちょっと思ったんですよね。
子どもとかと遊びに行くのでね、子どもを目配せしながら写真を撮ったりするんですけど。
なんかね、気がつけば写真を撮る方に集中というかね、してしまうと、せっかくなんか子どもと遊びに来てるのになんか子どもがない場所になってる感もありつつですね。
っていうのもあって、果たしてね、誰がスマホにカメラをつけたのか知んないんですけど、スマホでSNSができるので余計に親和性があるんですよね。
なのでちょっとね、これが幸せにつながってるのかというとちょっと微妙な気もするんですよね。
もちろんね、メモ側に写真撮ったりとかするのはすごい便利なんで、カメラがないとね、そもそも困るっていうのはあるはあるんですけど。
まあちょっとね、遊びに行くときにスマホを持たないことはないですけど、ちょっと意識して遠ざけるっていうことも現代人には必要な気がしますね。
よくね、デジタルデトックスとかっていう言葉もあると思うんですけど、なんかね、気がつけばスマホを触ってるとかね、電車で移動してる時間でスマホを触ってない時間なんか基本的にないですよね。
そのまた昔、スマホがない時代は本を読んだりだとか、あとは窓からぼーっと景色を眺めたりだとか、そういう時間が多かったというかあったと思うんですけど、
まあそれがなくなってね、私仕事でもスマホじゃないな、パソコン、画面をずっと見続けてるので、そう考えるとね、24時間中何時間画面見てるんだっていう感じなんですよね。
もうね、このスマホのカメラっていうのがなくなることはないでしょうけど、ちょっと考えさせられるものがあるなというふうに、この間写真をパシャパシャ撮ってて気がつけばっていうふうにちょっと思ったんですよ。
未来のテクノロジー
インスタなんかは特にいいところしか基本的にはアップしないですよね。その綺麗な建物、美味しそうなご飯。たまにはそういうアカウントもあるんでしょうけど、もうガチの日々の生活の写真をあげる人っていうのはそんなにいないと思うので。
今更ながらね、インスタはやってないんですけど、今更ながらあまりいいものではないなっていうふうにちょっと感じましたね。
なんかね、iPhoneとか基本カメラついてますけど、軍隊向けに出してるiPhoneとかはセキュリティ上カメラとかないらしいっていうのをネットで見ましたけどね。デマなのか何なのかわかんないですけど。
なのでちょっとね、意識的に遊びに行くときにスマートフォンを遠ざけるっていうのもなんか卑怯なんですけど、リアルタイムで情報収集したりだとか、そういうのは結構スマホを使ったりするし。
あんまりね、写真撮ること自体に夢中になりすぎずに楽しむことができるんであればもちろん便利なものなんですけど。
だからね、ゆくゆくは、今ってもうね、バンバグとかでもそうですけど、スマホがないと基本的にパビリオンの予約とかもできないようになってますし。
この間ね、マイナンバーカードとかもスマホに入るっていう話で入れてみたりもしたんですけど。スマホがないと生活は基本的には成り立たないというか。
神はね、もう過去の文明というか、ものとして使われる時代がいつか来るのかなと。
次に来るのは何でしょうね。今スマホで手に持って手塞がった状態で文字を打ったりするじゃないですか。
なので、一応あるにはありますけど、あんまりまだ浸透してない。スマートグラスとか。
あとはどうでしょうね。もっともっと時代が進歩すれば、ちょっとSFの世界ですけど、脳内にチップじゃないけど埋め込んでですね。
直接頭の中で思考、それこそGoogle検索とか、GPTに投げるとか、脳内で完結するように何かいずれなりそうな気がしますよね。
そうするとどうかな。そこまで行き着くと、写真を撮影するっていう行為はもうなくて、
自分の見えてる視界そのものが外部メモリーに記憶されていくみたいな時代が、あんまりそんな遠くない将来に来そうな気がしますよね。
それこそ何ていうのかな。自分の生まれた時からずっと動画が録画されてるみたいな感じ。
それはちょっと怖いっちゃ怖いですけどね。何か思い出だから美しいみたいなものもあったりするじゃないですか。
それを何か後で見返してみれば何だこんなことかみたいなね。結構あると思うんですよね。思いは美化されるので。
そこまで行くとちょっとね、全人生、全録画される人生っていうのは、事故とかの映像とかで現場検証というか、後で検証してこっちが悪いねとかね、そういうのは犯罪抑止とかには使えそうな気はしますけど、
子供の頃の両親との思い出とか、思い出すから美しいものであって、
あんまり全部が全部録画されて見返せるようになると、それはそれで凶ざめしそうなので、そっちは進歩してほしいようなしてほしくないような感じはしますね。
でもこの手のテクノロジーって、人の思いとは別で、誰かしらがやっちゃうんですよね。
クローン技術なんかもそうですけど、中国だったかな、が全く同じヤギみたいなのを作ったりしましたよね。
それを人でやってないかというと、おそらくやってんじゃないかなとかって想像しちゃうんですけど、テクノロジーに歯止めはないので、
ルールとかを作っても結局裏でやっちゃうのが誰かしらやってしまうと思うので、そこまでいくとちょっとディストピア感ありますけれども。
今日はスマホにカメラがついたことで人が幸せになったのかという話を漠然と考えてみました。
本日は以上です。ありがとうございました。
11:48

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