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お疲れ様です、たけのむです。昼休みなので、今日も放送してみようと思うんですけども、今日はですね、Xのトレンドを最近グダグダ喋ってたんですけど、今日はですね、サニーさんがスタイフでね、放送してた内容にちょっと影響されてですね、その話をしたいと思うんですけども。
タイトルはね、世界の真理ってことでちょっと大げさに書きましたが、八方美人は自滅するっていう話ですね。
で、これは誰の話かっていうと、紛れもない自分のことなんですけども、昔からですね、八方美人なんですよね。八方美人っていうのかな、なんていうのか。あんまり舐め風立てたくないというか、よく最近話題になってるHSPってあるじゃないですか。
まあ、繊細さんってやつですね。本でも繊細さんの本だったかなとかも売ってて、私読んだこともあるんですけども。
なんかね、外でもそうなんですけど、例えばお店で、例えばマクロナルドとか行ったりするんですけど、お客さんが店員と揉めてるのを聞くのとかがすごい苦痛というか、聞いてられないというか。
なんか後ろの方で揉めてるなとかってなると、おちおち食事もままならんという状態になることがよくあってですね。
で、これ昔からなんですよね。仕事でもそうなんですけど、例えば課長か部長か上司がですね、他の社員に対してすごい怒ってるというのを、目にしなくても聞こえてるだけでもね、すごい苦痛というかしんどいんですよ。
で、発泡美人とはちょっと話違うかもしれないですけど、これってなんかHSPっていう、ちょっと敏感になってしまう人はこういうのがあるらしいんですけど、そういうのがすごいストレスに昔から感じるんですよね。
で、それが関係するのかどうかわかんないんですけど、誰からも嫌われたくないっていう考えで、こういう考えだとポジションが取れないんですよね。
白か黒かっていうポジションはあんまないのかもしれないんですけど、イエスかノーかっていうポジションを取るときがあるんですけど、なんかこう波風立てたくないからこの人と相反したくないということで、実際はノーって考えてても曖昧な返答というかポジションを取ることが昔からよくあってですね。
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それが自分としては生きる諸星術かなというふうに思ってたんですけど、いつぐらいからですかね。遅いんですけど、もうちょっと手前からはさすがに気づいてたかな。
この生き方をしてるとですね、周りのいろんな声の大きい人の意見に左右されてですね、左へ行ったり右へ行ったりうろちょろうろちょろしてると、なんかね、自分が逆に自滅するんですよね。
波風立てないんですけど、強い味方も作れないっていう、どっちつかずのパターンになることがあって、これってね、やっぱり良くないんですよね。
いろんな発信者とかいろんな本とか読んでても、ポジションを取ることの重要性みたいなのってね、結構語られることがあると思うんですけど。
40歳になって初めてってわけじゃないんですけど、ポジションを取ることっていうのが大事なんだなというふうに考えるようになったんですよね。
なので、いろんなニュースとか読んで意見を述べたりだとか、自分はこうだというふうに意見を発信するっていうことが、さすがに40とかになると怖くなくなるというか、
全員10人が10人いたら、いろんな意見があって当たり前っていうのがね、最近ね、多様性とかダイバーシティとかっていうキーワードもね、よく出てきますけど、
それがね、当たり前に感じるようになってきて初めて自分の意見を発信してもいいんだっていうことと、
ポジションを取って、それがきっかけで相手にどう思われようが別にそれはいいんだっていうことにようやくね、この歳になって気づいたっていうことがあるんですよね。
そもそもね、左へ行ったり右へ行ったりうろうろしてて、どっちからも好かれようなんてね、絶対無理なんですよね。
なので、そもそもみんなから好かれよって考えてること自体が愚かというか、絶対無理な話なんですよね。
なんかね、その好き嫌いの比率じゃないですけど、パレートの法則とかではないかな。
10人いたら1人2人3人は自分のこと嫌うというか、意見が違って当たり前と。
それがね、自然なことなんですよね。
10人いて、10人から好かれるというか、10人から支持されるポジションっていうのは存在しないし、
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そこを汲み取ろうとして変に自分の意思を曲げてポジションを取るっていうことは、自分に嘘をつくことになるので、
逆にすごいしんどいんですよね。
あ、みなさんこんにちは。ありがとうございます。
はい、ちょっとライブでさせてもらってます。
なので、自分の意思を曲げてまでポジションを曲げたりだとか、相手の意見に同調する。
相手の意見を聞いて納得して、その意見に変えるっていう偏説、それはいいと思うんですよね。
もともとこうだと思ってたけど、その人の意見を聞いて、自分の意見、やっぱりこう思ってたけどこっちだなということで意見を変えるのは、いいのかなって思うんですけど。
一番良くないのはね、自分に嘘をつき続けるっていうことですよね。
嘘をつき続けるか、あるいは自分の意思をなくしてしまう。
それでね、ずっと人生を歩んできて最後にというか、もっとこうすればよかったなとかああすればよかったなって、一番最後にね、人生の終わりに悔やむってよく言いますよね。
もっとこうすればよかったっていうのは一番言いたくないスリフの一つだと思うんですけど。
なので、そういう発泡美人だとか、ポジション取らないっていうことはね、自分の人生に嘘をつくっていうことなのかなということで、
今日ね、サギンさんがポジション取りの話をちょっとされてたので、ちょっと触発されてね、その辺を語ってみました。
これね、突き詰めるとどうなんでしょうね。やっぱり昔からこの両親の顔色を見て生きてたってことなのかな。
ちょっとね、その辺真相真理はわからないんですけど。
こういうこと言ったらこう思われるかなみたいなことはね、すごい昔から気にしてた気はするんですよね。
親を見てどうこうっていうのはあったかな。ちょっとそこまで記憶はないんですけど。
普段の人生を歩んでる中でも、こういう意見言ったらこっちでハレーションが起きるんじゃないかなとか、こういう意見を言ったらあの人が実はいい気持ちにならないかなとかね。
そういうことを考えながら、ビビりながら意見を発信しててもですね。
もうそれってそもそも自分の意見を発信していることにもならないですし。
自分がね、擦り減って、タイトルにも変えましたけど自滅するっていうことにもね、何かねないので。
ポジションを取るっていうのはね、すごい大事だし、何も考えずにポジションを取るっていうのはちょっと違うのかなと思ってて。
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いろいろ考えた末で、やっぱり自分はこういう意見だとかこういうポジションだということでポジションを取るというのはね、やっぱり大事なのかなという感じはしますね。
自分もね、そんななんかじっくり考えてというか、考えることは好きは好きなんですけど、なのでちゃんとね、考え続けて意見を発信できてるかっていうところまではね、ちょっと難しいんですけど。
あまりね、嫌われてもいいやって思う。
なんかそんな本ありましたよね。なんだろうな、嫌われる勇気か。なんかありましたよね。
嫌われる。うん、ありますね。
同じようなタイトルのやつがいっぱいそうですけど、まあ嫌われる勇気。
まあ自己啓発本系ですけど。
まあね、やっぱ人って嫌われたくないんですけど、知らんうちにね、嫌われてるし、自分もね、その人が知らないところでその人のことを嫌ってたりもしますし、そんなの気にしてたらね、どうしようもないので。
もうちょっとね、気楽に意見を発信したりだとか、ポジションを表明するっていうことをしてもいいのかなというふうに思いました。
はい、まあなんかちょっと取り留めもない話になりましたけれども、お聞きいただいた方ありがとうございました。お疲れ様でした。