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2023-06-24 18:40

“関白宣言”“関白失脚”を歌って日本の男性像を斬る

関白宣言
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関白失脚
https://stand.fm/episodes/6496aef5d1693c6f01bf4287
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はい、どうもこんにちは、たからんです。
今日はですね、あのー、ウクレレの弾き語りで、私2つ連続で投稿しました。
ちょっとウクレレで歌うっていう企画がありましたんで、そこで投稿したんですけど、
この2つがですね、佐田雅史さんの関白宣言と関白失脚っていう2つの歌なんですね。
関白宣言が始めにいたされて、
これは1979年、昭和54年で、今43の私が生まれる1年前ですね、ぐらいの曲なんですね。
で、関白失脚の方が94年の平成6年ってことで、私にとっては14歳、中学生みたいな感じですかね。
その頃の曲だったみたいなんですけど、
あのー、関白宣言があって、その後関白失脚っていう歌に、その17年後に繋がるような歌詞になってます。
さらっとこう、ちょっと歌の配信だったので、歌の方もちょっと聞いてみてもらえたらなと思うんですけど、
簡単に内容を紹介すると、関白宣言の方は、結婚するにあたって、お前が嫁に来るにあたってちょっと言いたいことがあるという感じで入るんですね。
で、「俺より先に寝てはいけない。俺より後に起きてはいけない。」と。
そういう感じで、停止感覚っていう感じで。
で、いうセリフ、歌詞が結構多い。
で、「仕事のできない男に家庭守れるはずがないってことを覚えておいてくれ。」というような内容ですね。
で、「女性、奥さんになる人に対しては、お前は家を捨ててくるんだから、もう今日から俺がお前の家になる。」みたいな。
そういう内容になってます。
で、今の8択聴くと、今現在から聴くと時代錯誤な感じがするというか、古い考えというかっていうふうに思うことも多いかなと思うんですけれども、
当時もそれが完全な当たり前だったかというと、
そういう専業主婦で男が仕事を女が家庭っていうことはある程度ベースにあったと思いますけれども、
でも女性が働いてるっていうこともどんどん出始めてるときで、
これが出たときも、「女性べっしーだ。」っていうような感じで叩かれたりもしたみたいなんですね。
それでも大ヒットっていうすごい面白い曲なんですけど。
やっぱりその頃女性の社会進出とか女性がやっていくんだっていうようなものが社会的に強くなってたところがあったのかな。
ちょっとここは調べてないんで、ちょろっと見た情報なんですけれども。
そういう中で男性側としても居場所がなくなりつつあるような雰囲気を感じながらいたけれども、
やっぱり定心感覚みたいな感じでいるのを憧れるというのかなんていうのか、
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そういうふうに強い自分でいたいっていうのかな、そういう思いもあって歌ったから男性側からも共感得られたみたいな、
そんな背景だったのかなというふうに思います。
だから完全定心感覚な感じじゃないんですよ。
いつもお前名称つけるって言うんだけど、できる範囲でいいからっていう言葉を書いたりとかして、
ちょっと優しいというか、ちょっとは控えめに言っているというか気を使っているみたいな、そんなところもあって。
なんかよく聞くと可愛らしい歌という感じがするんですけど。
それでもやっぱり歌詞を聞いていると、その頃の人たちが男性がどういうふうな気持ちで生きようとしていたかというのがなんとなく見えてくる気がします。
本当にさっきも言ったように、本当にその時代に育ったかどうかというのは歌からだけで分からないと言えば分からないけど、
でもやっぱりその歌が出て流行ったとかそういうのってその時代背景があって受け入れられているみたいなところもあると思うんですよね。
私が生まれた時の話だから、私はそんなの今になって分かるわけもなくて、
だから自分の親世代というのかな、その辺の人たちがどんな気持ちだったのかなというのをちょっと歌から感じ取れるかなというのがあってすごく興味のある歌なんですね。
聞いていると、やっぱり男が仕事をするようなものは家で夫の言うことを聞いていればいいんだみたいな感じにも聞こえるんだけども、
男性というか男として外で働く、仕事を得る、稼ぐ、それをもって稼ぎがなくなってしまう女性、
嫁って言って自分の家に入ってもらうっていう立場になってくれる女性に対して、
俺がしっかりやっていく、守るから、だからお前もしっかり俺のこと支えてくれっていうような、そういう形を取っていこうと。
それはそれで一つのやり方というかですよね。
今だったら私はそういうのが一つのやり方って言うけど、当時とかは多分当たり前というか、
男が大国馬車として家を守る、稼ぐ、それが男の責任で、それができないんだったら男じゃないというか、一人前の男じゃないというかしょうもないというか、
家庭を生みもとるような身分じゃないよね、そんなんだったらっていうような感じだったんだろうなと。
今もそれを引きずっているような気もしますけどね。
でも、それが妻や家庭を何かしらにしているかというと、多分そうじゃないんだろうなというのを感じるんですよ、その歌の中から。
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ちょっと冗談めかして浮気するかもしれないけど、ちょっと覚悟しとけみたいなことも言ってるんだけど、
でも、お前から自由を奪うような感じになってるけども、愛する女はお前一人だけだっていうのをはっきりと言ってるっていうところがあって、
最後に死ぬときはお前がいい人生だと必ず言うからっていうふうに言うんですね。
愛してるとか、よかったとか、一緒にいていいんだとか、そんなことは一時口には出さないっていう文化というかね。
出さないで、肺を食いしばって、辛くても辛いのを家庭に持ち込まないで、外で叩かれまくりながらも、
家を支えるために自分がしっかりやっていくと。
それができて、そういう厳しい中でもやっていて、でも家では支えてくれる人がいて、
やっぱり二人でやりたかったから、家庭ができたら結婚してやっていきたいよねっていう人生にしたいっていう、
そういうパートナーシップというか、思って人生をやっていきたいっていう気持ちがあるんですよね。
歌詞の中に、浮気するかもしれないけどちょっと覚悟しておけと言っときながらですね。
幸せはどちらかが苦労して背負うものじゃなくて、二人で分かち合うっていうのかな。
そういうものだっていうふうに言うセリフがあって。
なんかこう、停止感覚って言って、わがまま言って、男上位で女性べしだっていうふうに聞こえるかもしれないけど、
そこは押し付けて命令して従い合わせようとしてるっていう関係性でいるなんて思ってないよっていう気持ちが歌詞の中に現れてるんですね。
だから単純に何もせずに専業主婦になって召使いのように働けって言ってるのとはちょっと違うんですよね。
っていう感じがあるんですけどわかりますかね。なんかそういうのがある気がするんですよ。
だからその、そういう責任感というか、自分の男としての役割というか、それを持って生きるんだっていうような、
そういう宣言をして自分を鼓舞したり、強く持って責任持って頑張っていこうみたいな。
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そういう決意表明みたいな感じなのかなっていうふうに感じるから、それ自体が悪いとは思えないんですよね。
やっぱりそれ自体は悪くないと思う。
だけどというか、やっぱり社会がそれで回ってたからいいと思うんですよ。
昭和の時代、高度経済政治の時代っていうのは、外に行って夫が父親がガッツリガッツリ働いて、
その分給料も入って、家庭も社会も豊かになって、家庭のことをしっかり母親妻が支える役割を持って、
そういう作戦で役割分担をやって、専念する、それぞれがそれぞれのことを専念するという形でうまくやっていくという形が、
家庭でも社会でもうまく成り立ってた。
だからみんなが結構豊かになっていって、旅行も行けて、楽しくできて、すごい苦労して苦労したけど、
たまに休みがあって、専念して、その後は有料自適に夫婦だけで過ごして、
ちょっとしたらぽっくり死んで、いい人生になったねというふうになるっていう、
そういう世界観だったんですよね、日本っていうのは。
それでいいじゃないですか、そういう幸せがあっていいじゃないですか。
みんなそれで幸せになっているのがいいじゃないですか。それで良かったんだと思いますよ。
だけどそれは続かないんです、続かなかった。
なんで続かなかったって言ったら、社会とか世界とかっていうのが変わっていったからだと思ってて、
何がどう変わったかっていうのをちゃんと考えられたかどうかなんですよね。
変わったから、昔から家庭とか夫婦とか幸せになろう、そのためにこういうことをやろう、こういうことを目指そう、
男と女で別れでもいいけども、それぞれの役割というのをこういうふうにやっていこうっていうふうになって、
社会もその形で動いていて、だからそれでやっていくが幸せに続かれるだったんだけど、
だから繋がるためにやっていこうで良かったんだけど、環境とか変わって社会の形が変わったんだったら、
やるべきことは変わると思うんですよね。
それを変えられなかったから、何が変わってどうすればいいっていうのを考えなかったから、
考えきれなかったから、この後の感覚失脚ですね。
感覚失脚の時もそうだし、それがずるずると続いている今の例は今の時代でも、
何かおかしい、何かみんなで一生懸命やることが幸せに繋がっていないというふうになっていると思うんですね。
感覚失脚の方はそこから15年後ぐらいの話で、
結婚した感覚宣言を出した強気な男性が40代くらいになったんだけども、子供もいるんだけども、
12:02
ゴーゴーしていた割には仕事がうまくいっていない感じですね。
94年くらいはバブル経済が崩壊して不景気不景気というのにどんどんどんどん入っていくような、
そんな時代だったと思います。
私も中学生だったからどこまで経済的なことが肌で感じていたかわからないんですけども、
まだちょっとバブルっぽいところは残っていたような気もしないでもないんですが、
でもこの辺から不景気という言葉しか聞かないみたいな、そんな感じになっていった記憶がありますね。
その不景気不景気ってなって仕事もなくなるみたいな、給料もわからないみたいになってきたんじゃないかなと思われる中で、
感覚失脚の方のお父さんは、同じ男性の設定だと思うんですけど、
その人は仕事もろくにできなくて、多分就寝もできなくてみたいな、
家庭でもあまり片身も狭いし、残業して遅くまで帰ってきたのに、
昨日のカレーを家にして食べるとかね、そういうのがあったりして、
わびしい寂しい切ないみたいな、
その場合に奥さんは昼間も喋って、
井戸場とかに行って、テレフォンショッピングして、寝てばかりみたいに見えると、
それであんまりパッとしないビジネスで成功したわけでもない、
そんな自分だけども、それでも家族と一緒にいられるのは幸せなんだよというふうに気持ちが現れている歌で、
最後は頑張れ頑張れという声が入っていて、
早くいちばって頑張っていこうという感じだったんですけども、
その時代で多分苦しかったんだろうなと思いながらですね、
苦しかったからうまくいかなかったりとか、それでも愛情はあるんだとか、
だから頑張っていこうみたいな、それを聞くとすごく気持ちを打たれたりとか、
最初聞いた時は涙が思い上げてきたりとかはしました。
その頃の先輩たちがすごいそういう辛い思いもしながらやってきたんだろうなというのは感じる。
思うように大黒柱として仕事をバリバリやっていればうまくいくっていう社会があったはずなんだけど、
そうじゃなくなっちゃって、同じようにやっててやっててどんなに頑張ってやっても、
カレーぐらいしか食えないという中で、うまくいかないというのがあるんですけども、
だからそれを早くいちばって頑張ってくれたことは感謝しなければなと思いつつですね、先輩方にはね。
だけど、そこでただ頑張れしかなかったその人と、頑張るしか道がなかった社会と、
頑張ったって先がないのに頑張る道しか作れなかった社会というかというか、
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そこは間違ってたんじゃないかな。間違ってたというか、やるべきことが考えなきゃいけないところがあったんだろうなと思うし、
今も考えるべきことがあるんじゃないかなと思ってますね。
やっぱりバブルが崩壊したこととか、あと情報化社会で世の中はネットとかデジタルになったこととか、
情報とか世界の変化がどんどん加速度的に変わったとか、価値観が多様化していったかとか、
そういうことを言葉ではよく聞いてるけども、それに対してどう変わっていくのか。
結局、社会が豊かになって幸せになってみんなが幸せになるやり方としてこういうことをやっていくね。
それで国も社会も人々も幸せになるよねっていうような、そこに向かおうっていうのは、
昭和だろうが平成だろうが令和だろうがもう変わってないと思うんですよね、時代によって。
だけど、環境とか時代によって環境とか社会が変わってるから、やり方は変えなきゃいけなかったんだと思うんだけど、
それもどうもあまり変わってない気がする。
それで苦しいんだり格差が生まれたりとか、格差は別に後もしっかりやるべきだと思うんですけども、
でも差がある中でもそれぞれの幸せっていうのがあっていいと思うんだけど、
そうになってないところがなんとなく社会設計としてというか、
世の中の向かってるみんなの意識がなんかずれてないかみたいな、
そういうことをなんかもっと考えていきたいなーってよく思います。
なので、すごい涙は誘われたけども、そうじゃないだろうっていう気持ちの方がやっぱり強いですね。
その時代はそうだったのかもしれないけど、今は同じことやってらんないよなというか。
頑張る方向っていうのをもっと考えたいなって思いますね。
早く縛って頑張ってとにかくやっていこうではなくて、
何かどこに向かうべきっていうのをもう一回考えてみないっていうのをやっぱり感じるので、
そういうことを考えさせてもらえる歌だなっていうのはこの2つの歌を聴いていてすごく思うんですね、いつも。
あの時代はこうだったから、あの時代はこうだったからと思いながら、今どうなんだろうっていうことをやっぱり考えるきっかけになってて、
そういう意味で私の今考えてる男性像とか社会像とかっていうのとは違うんですけど、この2つ。
だけどすごく好きです。考えさせてくれる。そして考えたいなって思っていて、そういうことを考察していければなと思っています。
この2つの曲ね、結構ずっと前から歌って考察していきたいなと思ってた曲で、この話もちょっと長くはなったんですけれども、
18:08
ぜひちょっと曲の方も聴いてもらってね、いろんな人によっていろんな考え方があるかなと思うので、
いろいろ感じてみながら自分の生き方というか考えるきっかけになったらなと思います。
今日すごく長くなっちゃいましたけど、聞いてくれた方ありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
18:40

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