サマリー
第33回のエピソードでは、ゲームハードに関する個人的な体験や思い出が語られています。特に、ファミコンから始まるゲーム環境についての話が中心です。また、母親とのゲームに関わる影響が強調されており、その影響はゲームプレイのスタイルにも反映されています。さらに、プレイステーションや任天堂ハードの購入や使用についての体験が紹介されており、子ども向けのゲーム環境としての任天堂の重要性も強調されています。
ゲーム環境の始まり
高見知英のゲームの話しかしないポッドキャスト、始まりました。
第33回はゲームハードの話ということで、いろいろ話をしていこうと思います。
自分が買ったゲームハード、実際自分が買ってないものも結構あったりするんですが、
家にある実際プレイしたゲーム環境だと、最初はファミコンから始まって、スーパーファミコンとかゲームボーイとか、
あとはプレイステーション1,2、ゲームギア、Nintendo 64、DSiと3DSとWiiと、あとは今のNintendo Switchぐらいですかね。
あとはプレイステーションポータブルなんかも一時期ありましたかね。
一応自分はファミコンと同い年ということで41歳なのですが、
なんでスーパーファミコン一番にならなかったんですかね、今考えるとちょっと不思議ではあるんですが、
もともと自分が当時小学生ぐらいの時に大事故で、小脳出血で入院をしたことがあって、
リハビリ的に始めたのがファミコンだったんですね。
ファミコンでそういうゲームにハマって、どちらかというと自分がハマったのもあるんですけども、
母の方がハマりまして、それ以降母がやったものをお下がり的に自分が遊ぶという感じがほとんど一般的になってきていたりします。
自分の母方はもう本当にゲームの家系になっていて、
母は今もゲームは当然やってますし、今回のSwitchの抽選予約の条件も余裕でクリアしていて、
もちろんね、それの100倍ぐらいは普通にプレイしてますよっていうのぐらいいろいろやってますし、
何なら本当にまだ予約購入サイトが不安定なんだけど、
いつ予約購入しても抽選の可能性は変わりないですよってアナウンスがあって、
そんな時に予約購入したよっていうね、そんなLINEが届いてびっくりしたぐらい早いんですけども、
そういうようなことをしてますし、
祖母も晩年まではドクターマリオをずっとやってました。
本当に当時ブラウン管のテレビが田舎にはあったんですけども、
そのブラウン管テレビにドクターマリオのビーカーが焼き付くぐらいとにかく遊び込んでいましたね。
だからその後ね、本当にいくつか他のパズルゲームとかも進めたんですけど、
頑なにドクターマリオしかやらないっていう感じでやってましたね。
そんな感じで本当に母方はそんなゲームの家系だったりはします。
まあ自分は普通にだから、まあ母ほどじゃないけどっていう感じには今はなりますがね、
母とゲームの関わり
まあいつも自分は実家なのでね、母はゲームやってるのを横に見たりとか、
あとはたまになんかどんな感じのゲームなのかっていうのは話をしたりとかしていたりします。
で、まあ当時本当に小学生とかそのぐらいの当時からもうすごくゲームはやっていて、
まあ先ほどの通り母がゲームを買って、でそれのまあお下がりをというか、
一緒にプレイするとかそんな感じでやってたりもしてました。
協力プレイなんかも当時はしてましたかね。
なんか例えば聖剣伝説とかね、複数人でプレイできるようになっていて、
まあ1Pは当然主人公なんですが、2Pを他の人が操作するみたいなことができてて、
それをやってたりもしてました。
まあ自分はねどっちかというとまあ足手まといだかなんだかなんだかわからないぐらいのサポート役をやってたんですけれども、
そんなことをやってたのもあります。
夜中あたりにね、聖剣伝説3で最終戦に入って、で終わったのがわりと夜が更けた頃で、
なんかエンディングとともに寝落ちしたのをよく覚えています。
その他はね、女神転生ifあたりだったかな。
戦闘の準備があまりにも足りなくて、最終戦に入った途端に銃弾が切れて以降消耗戦。
不思議なことにこれから押されすぎるなんてこともなく、なんとかして3,4時間ぐらいかかったんじゃないかな。
なんとかボスを倒してとかいうようなことをやったのも覚えています。
そんなことを結構いろいろやってて、その他にもね、学びにつながったっていうシーンなんかもあったりしました。
自分もここ最近、ゲームから学べることとかそういうのを話題にすることが多いですが、
それの原点もこの辺にあったのかなーなんていうふうに思っています。
例えば、昔の頃だと、例えばラストバイブル3っていうゲームで、
主人公がその中で世界で行われている戦争を止めたということで、
小さな祝賞会を開いてたところに、なんか知らない謎のおじさんが現れて、
いきなり握手を求めに来て、その間に隙を見計らって主人公を襲いかかってきた。
なんでこの人たちで襲ってきたの?実はこの人たちで 武器商人なんですよ。
平和になられると困るからねっていう話があって、
ああ、こういうことを言う人がいるんだっていうのが、すごいあの時印象に残ってますね。
今もしっかり覚えてます。
その他、基本的にお下がりでゲームをやっているので、
自分がやっているゲームと母がやっているゲームは割と近いものが多かったり、
同じものをやっていたりっていうことも多いんですね。
その時は、自分はRPGをやっていることが多いんですが、
RPGで一時期戦闘不能回数とかその辺をカウントするっていう機能を教えてくれるゲームが結構あったりしたんですよね。
エストポリス伝記だったかな。
その時、自分は本当に戦闘不能回数1人だいたい2桁中盤ぐらいは行っててもおかしくないとかいう人が多かったのに対して、
母はほとんどゼロだったっていうのがすごく印象に残ってます。
で、どうしたらこんなに上手くなれるんだろうって思ったのがすごく思い出に残ってますね。
まあ、今考えるとそれは単純に例えば属性の相性を見るとか、
あと安全マージンをとってちょっとレベルを上げてから次に進むようにするとか、
そういうごくごく基本的なことをやっているだけだったんですけれども。
なんかね、そういうのをあんまり考えない、猪突猛進タイプのゲームプレイをしていた当時の自分は、
そういうのを見て、ああ、こういうやり方があるんだ、どうすればそこまで上手くなれるんだろうっていうのをすごく思ったところでしたね。
で、まあ、それから特にそういうのを一緒に同じゲームをやって、その戦績を見るなんていうシーンはなかったんですが、
やっぱりそれ以降も、例えばノーダメージクリアを目指そうとか、
あとは戦略を練って少しでも相性のいい攻撃をしようとか、
そういうふうに考え出したのは母の影響だったんだろうなっていうふうには思っています。
だからそれだけいろんなところで、母の影響を受けて自分のゲームのプレイスタイルも変わってきたなというふうには思っています。
あとはそうですね、なんかシミュレーションゲームかなんかだったと思うんですが、
いくらゲームの中でも痛いものは嫌でしょっていうようなことを言われたことがあって、
それ以来ね戦闘の被害を最小限に抑えられるようにしようとか、
そういう思考ルーティンに変わっていったなっていうような感覚もありますよね。
だから本当に、ここ最近だとファイアーエムブレムとかでもそういうシーンは多いですが、
少しでも自分がダメージを受けなくて済む。
まあやられないからセーフだろうみたいなそういうプレイスタイルじゃなくて、
ダメージをそもそも受けないように立ち回るっていうのは方針に変わったのは多分それが影響だったんだろうなっていうふうに思います。
本当にそういうふうにゲームから何かのエッセンスを取って現実に適応できるんじゃないかとか、
そういうふうに思い出したのは間違いなく母の影響だったんだろうなっていうふうには思っています。
ゲーム購入の思い出
そして次、ゲームやハードを買うタイミングについてですかね。
特にゲーム、ハードを買うタイミングっていうのは小さい頃は自分はほとんど決定権がなかったというか、決定する気がなかったという感じですかね。
というより、自分はだいたいゲームとかを買わなかったんですよ。
なぜなら母が全部やってるから。
母が買ったもので、自分が気に入ったものだったらそれを遊ぶとか。
そんな感じだったなーっていうふうに覚えています。
だから自分が買ったゲームって本当に数えるほどしかなかったんじゃないですかね。
例えば母が絶対やらないようなジャンルのRPGツクールとか、
あとは趣味的に合わないっていうことで桃太郎伝説とかね。
そういうようなものは自分が買ったなっていうのは明らかに記憶に残ってますが、
それ以外のものはほとんど母のお下がりっていうような感じだったなというふうに思ってます。
自分が母がプレイしているのを見て、あれやりたいなと思ったものとか、
自分が遊ぶものが終わったっていうときに、空いてるときに母が溜めてるものの中でこれやりたいなってものを見つけたとか、
そんな感じだったんじゃないかなというふうに思っています。
ゲームハードもね、母がいつの間にか買い足してたっていう感じだったりしましたね。
プレイステーションの1か2だったかはね、なぜか家に数台あってね。
当時は祖母の家に持って行ってたっていう分もあったと思うんですけども、
それも含めても数が多すぎないっていうぐらい数があって。
正直ね、当時プレイステーション2が動かなくなったときとかも、
修理する予定とかないから勝手に直してもらっていいよっていうことで、
自分に勝手に渡されたっていうことがありましたね。
実際自分は蓋を開けてみて中見たらホコリが詰まってるだけだったから、
それを全部きれいに拭き取ってあげたら、
1、2ヶ月ぐらいは延命したっていうようなことがあったりしたかなっていうのがあります。
そういうようなことがあって、それ以来ですかね、パソコンの方とかに興味を持ち始めたの。
ハード周りとかには全然手をつけないくなりましたけどね、自分はね。
ハード周りから入ったのにね、自分がパソコンの蓋を開けると絶対不幸なことが起こるから、
絶対開けないとかいうことを言いたがるような人になりましたけどね。
でもまあそういうところからは結構パソコンを使うことが多くなったっていうのも原点はそこかもしれません。
どうなんでしょうね、今後どういうようなゲームを買っていくんでしょう。
どういうようなゲームハードを買っていくんでしょう。
まあ正直ね、自分はあんまりわからないですね、何を買うことになるんだろうか。
ゲームは好きとは言っても遊ぶ時間がそんなにあるわけではないですし、
まあ多分1世代には1ハード買うのが精一杯なんじゃないかなというふうには思っております。
もちろん今のスマートフォンのゲームもちょこちょこ遊んでいるので、それがもうちょっと多くなる可能性もありますよね。
その他パソコンも動画編集とかを行う都合もあってっていうのもあって、
多少スペックは積んでいるはずなんですよね、グラフィックボードなんかもちゃんと別のものを付けてますし。
なのでそちらの方で何かやるっていう可能性もあるかもしれません。
ただ基本的には任天堂系列、Switchとかそちらの後継機とかその先のものとか、
そういうものがメインなんじゃないですかねっていうふうには思っています。
その他ね、山手縁乃庭みたいなところで、街のお茶の子どものフリースペースみたいに、
子どもにゲームを自由に遊んでもらえる場とか、そういうのを展開するっていうこともありますし、
そこがどういうふうな形になるのかっていうのは今後わかんないですけどね。
ただああいうところで子どもさんに遊んでもらえる環境っていうと、
多分任天堂のハードだろうなっていうふうに思いますし、
そういうところもあって、たぶん任天堂ハードずっと買うなら買い続けていくだろうというふうには思います。
改めて考えると、子ども向けっていうところに軸を揃えて、
いろんな体験ができるゲーム環境って任天堂ハードだけなんですよね。
プレイステーションだとね、たまにやっぱり子ども向けっぽいのっていうのはあると思うんですが、
子ども向けゲーム環境
やっぱり体験としてはそういうオリジナルのものっていうのはないですよね。
例えばJoy-Conみたいにちょっと不思議な操作の仕方をするなんていうのもあんまりなかったと思いますし、
せめて言うのだったらタッチパッドがコントローラーについてるぐらいかな。
もちろんその他だとVRとかMeta Questみたいなのもありますが、
一応自分のところでメインに関わるのは小学生が多いんですよね。
一応VRって小学生に非推奨。
この辺はまだ状況がよくわかってないですが、推奨はされてないはずですし、
それもあんまり表に出す機会はないかなってなると、
Switchとかその後継機とかになると思います。
っていう感じですかね。
うちも一応今のところそんなにスペースが取れる環境にないので、
VRのゲームそんなにのびのびとできるわけでもないんですよね。
周辺が見えなくなるという都合上、たたみ4畳ぶんはないとちょっと危ないってなってることもありますしね。
だからっていうので、たぶんこちらをメインにするってことはないだろうという感じ。
時間も余裕もあんまりないけど、ないなりに楽しんでいくってことは変わらないだろうなっていうふうには思っています。
というところで、今日のお話はこれぐらいで終わりにしていきたいと思います。
このゲームの話しかしないポッドキャストは毎週土曜日の17時頃に更新・配信でございます。
その他ちえラジChatやSBCast.や、SBC.オープンマイクなど様々な番組は配信しております。
LISTENのプロフィールのページからそれぞれの配信を見ていただければと思います。
その他にもいろんなところで自分は情報発信等やっていければいいなというふうに思って活動していますので、
たぶんちえラジChatとかが割と最新に情報を流していく予定だと思います。
そちらのほうなんかも聞いていただければいいなというふうに思います。
というところで、今日のお話はおしまい。ありがとうございました。
15:18
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