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ノオト・ブク子
では早速その情熱の炎が灯った瞬間から見ていきましょうか。
ある中学校で行われたプログラミング講座の話です。
まず面白いのが、この講座選択制なんですけど、なんと陶芸とか能といった伝統文化のコースと並んで置かれているんですよ。
ノオト・ブク太郎
伝統文化とプログラミングが同列に、その地点でなんかもう教育の価値観がアップデートされている感じがしますね。
ノオト・ブク子
ですよね。
ノオト・ブク太郎
単なる技術教育じゃないぞと、新しい創造の作法として捉えられてる?
ノオト・ブク子
まさに。このプログラミングBコースと名付けられた講座のアプローチが実にユニークで、理論はもう後回し、まず作ってみようが合言葉なんです。
1日目にScratch、2日目にJavaScriptの本当に基本的な部分だけをやって、残りの3日間はもう、はいじゃあ好きなもの作っていいよと。
かなりこう大胆なやり方ですよね。
ノオト・ブク太郎
いやほとんど法人主義に近いですねそれ。それで結果はどうだったんですか?
ノオト・ブク子
それが驚きで、前年はオリジナルのゲームを完成させた生徒が2人だったのが、このやり方に変えただけで、なんと10人にまで増えたそうなんです。
ノオト・ブク太郎
ほう、10人ですか?
ノオト・ブク子
ええ、5倍ですよ。しかもその中身が、ボタン連打で競う100メートル破損ゲームとか、定番のブロック崩し、地元の横浜をテーマにしたタイピングゲーム。
ノオト・ブク太郎
すごいですね。
ノオト・ブク子
果ては3Dの迷路ゲームまで登場したと。
ノオト・ブク太郎
3Dゲームまで、たった3日でかんでそこまで行きますか?
いや少し前なら専門家がチームで作るようなものですけどね。
ノオト・ブク子
ここでロトを率いててハッとしたんですが、その秘密がAIにあるんです。
生徒たちは学校から支給されたGoogleアカウントで、年齢制限なしにGeminiを使えたと。
ノオト・ブク太郎
ああなるほど。
ノオト・ブク子
彼らにとってAIは、答えを教えてもらう魔法の箱じゃなくて、なんていうかまるで粘土かイノグのように、想像のためのごく自然な素材であり道具なんですよね。
ノオト・ブク太郎
はいはいはい。
ノオト・ブク子
こういう動きをさせたいんだけどどう描けばいい?って、まるで隣にいる先輩に聞くような感覚でAIを使いこなしていたと。
ノオト・ブク太郎
ああもう、AICopilot時代の学び方、まさにそれですね。
かつてのプログラミング教育って、まずアルゴリズムとか、いわば飛行機の設計図の読み解き方から始まったじゃないですか。
ノオト・ブク子
そうでしたね、理論から。
でも今は、とりあえずAIっていう副操縦士と一緒に飛んでみて、操縦の楽しさを体感してから、あれ、この翼ってどういう仕組みなんだろうって、理論に興味を持つという順序が成り立つ。
ノオト・ブク太郎
ログにあったプログラミングAコースの話が、その大秘としてすごく象徴的でした。
ノオト・ブク子
ああ、ツェラーの公式の話ですね。日付を入れると曜日が計算できるっていう。
ノオト・ブク太郎
ええ、もちろんその背後にある論理的思考は重要ですよ。
でも現代の言語なら、ニューデートと書けば一瞬で曜日がわかるわけで。
ノオト・ブク子
まあそうですよね。
ノオト・ブク太郎
これを初心者が最初に乗り越えるべき壁として設定するのが、果たして適切なのかと。
このBコースは、その最初の壁を意図的に取り払うことで、創造性へのアクセルをいきなり全開にさせた。
これは教育における大きなパラダイムシフトだと思います。
ノオト・ブク子
なるほど。
ノオト・ブク太郎
ただ、まあ一つ気になるとすれば。
ノオト・ブク子
気になることですか?
ノオト・ブク太郎
この楽しいところから入るアプローチが、いずれぶつかるであろう地味で面倒で、でも避けては通れない基礎の学習に、果たして耐えられる強さを育むのかという点ですね。
ノオト・ブク子
ああ。
ノオト・ブク太郎
最初に大きな成功体験を得た分、その後の地味な作業でつまづいてしまうリスクはないだろうかと。
まあこれは贅沢な悩みかもしれませんが。
ノオト・ブク子
なるほど。確かにその可能性はありますね。
でもこのログノッシュが直面したのは、もっと手前のもっと深刻な問題でした。
ノオト・ブク太郎
と言いますと?
ノオト・ブク子
講座は大成功。生徒たちの才能が爆発した。でもログはここから一気にトーンダウンするんです。話して自身のAIが生成したという強烈な比喩が出てきます。
ノオト・ブク太郎
ほう。
ノオト・ブク子
学校は点火装置として生徒の情熱に火をつける。しかし地域社会が消火器の役割を果たしてしまっていると。
ノオト・ブク太郎
ああ。点火装置と消火器、これは痛いほどよくわかるメタファーです。
ノオト・ブク子
ですよね。つまりここでの最大の教訓は、子どもの才能を伸ばすには点火するだけじゃ不十分で、その火を守り育てる対火構造のコミュニティが不可欠だということなんです。
ノオト・ブク太郎
なるほど。
ノオト・ブク子
せっかくゲーム作り面白いってなったのに、じゃあ家に帰って続きをやろう、もっと学びたいと思っても、その受け皿が地域に全くないと。
ああ。
例えば気軽に集まって教え合えるCoderDojoみたいな場所もない。
ノオト・ブク太郎
そうなると子どもたちはインターネットというあまりにも広大な情報の大海にたった一人で放り出されることになる。
ノオト・ブク子
まさに。
ノオト・ブク太郎
専門家の中には作りたいなら今すぐ作ればいいじゃないかなんて言う人もいますけど、それはあまりに無責任な言い方ですよ。
ノオト・ブク子
ログにもありましたね。なぜ作らないんだって学生に問い詰めてエツに入っている専門家の話。
ノオト・ブク太郎
ええ。僕も何か新しいことを学ぼうとするとき、まさにこの壁にぶつかりますよ。そもそも何をどんな言葉で検索すればいいのかすらわからない。
ノオト・ブク子
そうなんですよね。
ノオト・ブク太郎
その最初の検索ワードにたどり着くこと自体が、とってつもなく高いハードルなんですよね。
ノオト・ブク子
ええ。そのメタファーを借りるなら、地域社会の役割は消火器じゃなくて、その大きいを渡るための羅針盤とか貝図を提供することのはずなんです。
ノオト・ブク太郎
はい。でも現状はそうなっていない。ただ、ここで一つ注意したいのは、地域社会の誰もが悪意を持って消火器を手にしているわけではないということです。
ノオト・ブク子
悪意じゃない?
ノオト・ブク太郎
ええ。むしろその奥は善意から来ている。
ノオト・ブク子
善意ですか?
ノオト・ブク太郎
ええ。子どもは外で元気に遊ぶべきだとか、ゲームばかりしていないで勉強しなさいとか。
ノオト・ブク子
ああ、なるほど。
ノオト・ブク太郎
これらは子どもの将来を思っての言葉でしょう。でもそれが結果として、プログラミングっていう新しい創造の世界への扉を閉ざして、情熱の炎に水をかけてしまっている。
ノオト・ブク子
悪意なき消火活動ですか?
ノオト・ブク太郎
ええ。これが問題をよりねべかく厄介にしているんです。
ノオト・ブク子
学校が火をつけ、社会がそれを消してしまう。何ともやるせない話ですけど、このログの主はただ嘆くだけじゃなくて、ちゃんと解決の糸口も探していました。
ほう。
他の曜日のログにそのヒントが隠されていたんです。
一つはコミュニティのあり方そのものを問い直すアプローチ。千葉で活動するNOROSHIっていう若者団体の事例が紹介されていました。
ノオト・ブク太郎
NOROSHI。興味深い名前ですね。どんな活動を?
ノオト・ブク子
これが本当に巧みなんです。
まず、アクティボっていうオンラインサービスで広くボランティアを募集する。
ノオト・ブク太郎
はい。
ノオト・ブク子
そして、応募者一人一人とZoomで面談して、何が得意か、どれくらいの時間なら使えるかを丁寧にヒアリングするそうです。
ノオト・ブク太郎
へー。
ノオト・ブク子
その情報をもとに、プロジェクトごとに最適なチームを編成して、メンバーは活動当日に現地で始めましてと顔を合わせる。
ノオト・ブク太郎
面白い。つまり参加のハードルを徹底的に下げているわけですね。
ノオト・ブク子
事前の面倒な会合とか人間関係の構築をすっ飛ばして、いきなり自分にできることから参加できる。
ノオト・ブク太郎
そうなんです。
これは参加への足場、英語でいうスキャフォルディングを提供する非常に洗練されたモデルですね。
へー。
ただ、一方でこんな考え方もできませんか。
そのようにオンラインで効率化された関係性が、逆に地域への本当の意味での根付きとか、ウェットな人間関係から生まれる偶発的な協力を阻害してしまう可能性はないんでしょうか。
ノオト・ブク子
あーなるほど。確かに、手伝いたいという気持ちと、そのコミュニティの一員になりたいという気持ちは必ずしもイコールではないですもんね。
ログの主は、このNOROSHIの仕組みを素晴らしい発明だと絶賛していましたが、その軽さが長期的な関係性の構築という点では弱点になりうる、と、いや深い指摘ですね。
ノオト・ブク太郎
もちろんこれはトレードオフの問題です。最初の一歩としては、このようなく優れたモデルでしょう。
プログラミングを続けたい子どもたちにとっても、こういうちょっとだけ関われる足場があればだいぶ状況は変わるはずです。
ノオト・ブク子
そしてもう一つのヒントが、世代間の断裂をどう繋ぐか、という話でした。
ここで急に大人がゲームに関心を持つ必要性というテーマに飛ぶんですけど、これも根っこは繋がってるんですよね。
ノオト・ブク太郎
断裂を繋ぐためのゲーム、どういうことでしょう?
ノオト・ブク子
中心的な主張は、子どもと関わる大人は彼らの文化を理解するためにゲームを知るべきだ、っていうシンプルだけどドキッとするような提言です。
ノオト・ブク太郎
はい。
ノオト・ブク子
ログにあった例がすごくわかりやすくて、子どものゲーム時間を管理するとき、多くの大人はもう時間だからやめなさい、と一方的に言ってしまう。
ノオト・ブク太郎
まあ言いがちですね。
ノオト・ブク子
でも、ゲームの文脈を少しでも知っていれば、この試合が終わったら終わりにしよう、とかセーブポイントまで進んだら区切りにしようか、と提案できる。
ノオト・ブク太郎
なるほど。それは単なる言い方の問題じゃないですね。
ノオト・ブク子
ええ。
ノオト・ブク太郎
あなたの世界を尊重していますよ、というメッセージになる。これは文化的なリテラシーの問題です。
ノオト・ブク子
そうなんです。
ノオト・ブク太郎
相手が話す言語の文法を理解しようとする姿勢そのものが、信頼関係の土台になるわけですから。
ノオト・ブク子
この小さな違いが子どもの受け取り方を全く変えてしまう、と。
この視点ってまさに先ほどの、善意の消化器を避けるための具体的な方法論じゃないですか。
ノオト・ブク太郎
ああ、繋がりますね。
ノオト・ブク子
子どもの世界を理解しないまま、一方的な正しさを押し付けてしまうことが、結果的に彼らの情熱を消してしまう。
そうならないために、ゲームという文化を学ぶ必要があるんだ、と。
ノオト・ブク太郎
添加装置になった大人が、知らず知らずのうちに消化器の役割を演じてしまわないために、非常に重要な視点です。
ノオト・ブク子
ええ、この見えない壁、つまり世代間の文化的な断絶とか、地域社会という消化器の問題って、実は私たちの身の回りにある他の見えない法則にも通じるものがある気がします。
ログには、まさにそんなテクノロジーの裏側に背む、面白い法則が2つ記録されていました。
ノオト・ブク太郎
あは、モーメントですね。ぜひ聞きたいです。
ノオト・ブク子
1つ目のネーミングセンスがまず最高で、AIシャドウサーバント理論。
ノオト・ブク太郎
シャドウサーバント。
ノオト・ブク子
これ、ゲームのロマンシングサガに出てくる技の名前から取ったそうですよ。思わずニヤリとしてしまいました。
ノオト・ブク太郎
完全に世代がバレますね。自分の影の分身を作り出して2回攻撃する技でしたか?
ノオト・ブク子
そうですそうです。
ノオト・ブク太郎
それをAI勝つように。
ノオト・ブク子
その通りです。具体的には、自分のブログ記事とか、まさにこの音声ログのような配信内容を丸ごとAIに読み込ませて、
この記事を別の視点から要約してとか、初心者に分かりやすく書き直してと指示する。
ノオト・ブク太郎
なるほど。
ノオト・ブク子
すると、自分と全く同じではない、少しだけ視点のぞれた影の分身のようなコンテンツが生まれるというわけです。
ノオト・ブク太郎
自分自身の思考をAIという鏡に写して客観視する、あるいは再解釈させるわけですね。
ノオト・ブク子
はい。話し手によれば、これによって今まで滞らなかった層にも情報が届くようになり、発信力が感覚的に1.2から1.5倍に向上すると。
ノオト・ブク太郎
はいはい。
ノオト・ブク子
これは単にコンテンツの量を増やすというより、発信の角度を増やすという考え方ですよね。
ノオト・ブク太郎
非常に現代的なパートナーシップの形ですね。
ノオト・ブク子
はい。自分の思考の壁打ち相手としてAIを使うと。そして2つ目は何でしょう?
ノオト・ブク太郎
はい。ヌル点の話です。これはあなたが毎日レジで体験しているかもしれない、ちょっとした技術の落とし穴の話で。
ノオト・ブク子
ヌレテン?
ノオト・ブク太郎
ヌルはドリツ語でゼロという意味だそうですが、スマートフォンのNFCチップ、おサイフケータイ機能には電波の感度が文字通りゼロになるヌル点という場所が存在すると。
ノオト・ブク子
へー面白い。電波が全く受信できなくなるポイントがあるんですか?
ノオト・ブク太郎
そうなんです。原因はスマホ自身が出す電波とお店の読み取り機が出す電波が干渉しあってちょうど打ち消しあってしまう領域が生まれるためだとか。
ノオト・ブク子
で、これがどういうことかというと、お店で支払うときしっかりタッチしようと思ってスマホを決済端末にペタッと強く密着させすぎる。
ノオト・ブク太郎
やりますねそれ。
ノオト・ブク子
そうすると、かえってこのヌル点に当たってしまってあれ反応しないとなることがあるそうなんです。
ノオト・ブク太郎
なるほど。良かれと思って密着させることが逆効果になるわけですか?
ノオト・ブク子
そういうことなんです。
ノオト・ブク太郎
そのヌル点の話、教育にも同じことが言えませんか?
良かれと思って知識を詰め込みすぎると、かえって学習効果がゼロになるポイントがあるみたいな。
ノオト・ブク子
あー面白い。まさに善意の消化器じゃないですか。愛情を注ぎすぎるとヌル点に当たってしまって子どものやる気がゼロになってしまう。
ノオト・ブク太郎
うわつながりますね。
ノオト・ブク子
この見えない物理法則が私たちの日常や人間関係のメタファーにもなっている。
いやー面白い。もし支払いがうまくいかなかったら、慌てずにほんの少しだけスマホを浮かせてみるとうまくいくかもしれません。
ノオト・ブク太郎
日常に潜む科学であり、処生術でもあると。非常に興味深い話です。
ノオト・ブク子
さて、1週間分のログをめぐる旅もそろそろ終わりですね。
振り返ってみると、AIを副操縦士にした新しい学びの形に始まり、その情熱の炎を消してしまう消化器としての地域社会といういたせつな課題がありました。