サマリー
バーチャルなゲーム体験が現実生活や教育をつなぐ重要性について語られています。特に、子どもたちがプログラミングを学ぶ場における教育の断絶とその解決策にも触れられています。
バーチャルから現実への橋渡し
こんにちは。 今回はですね、ある方の個人的な作想をちょっと追いかけてみたいと思うんです。
バーチャルな世界、ゲームなんかの体験がですね、どうやって僕たちの現実の世界とか、あるいは学び、 コミュニティにこう橋をかけていくのか、そのね意外な繋がりを一緒に見ていきましょう。
さていきなりですけど、こんな問いから始めてみましょうか。 ゲームって現実をより良くすることなんてできるのって。
うーん、なんかとっぴな質問に聞こえますよね。 でもその答えのヒントが、ある静かな浜辺への旅から見えてくるんです。
その物語の舞台というのが、岩手県の普代浜、普代浜。 オフシーズンでほとんど誰もいない静かな場所です。
でもね、ある人にとってはここがすごく深い意味を持つ場所だったんですね。 この話の筆者はですね、港町の横浜に住んでいる方なんですけど、
15年ぶりにこの普代浜を訪れてすごく感動するんですよ。 でもふと気づくんです。
あれ、この感動って一体どこから来てるんだろうって。 その答えがね、もう本当に意外なところにあったんです。
実はそれ、ゲームの中で魚を釣ったり、砂浜でキャラクターを戦わせたり、 そう、バーチャルなビーチで過ごした、もう数えきれないほどの時間、そこから来ていたんですね。
この気づきが、今回の話のまさに革新部分につながっていきます。 それがこの言葉、ファーストタッチはバーチャルから。
これどういうことかというと、バーチャルな体験って現実の代わりになるって話じゃないんです。 そうじゃなくて、むしろ現実をより深く豊かに味わうための、なんていうか強力な予習になるんだということなんですね。
つまりこういうことなんです。 ゲームとかネットで先に最初の接触、ファーストタッチを済ませておく。
そうすると、いざ本物に触れた時、その体験の解像度がぐっと上がるんですよ。 バーチャルが現実世界への素晴らしい橋渡し役になってくれるというわけです。
さあ、この体験への橋を架けるっていう考え方、面白いですよね。 これが今度はビーチから全く別の場所、そう子どもたちの教育の現場へとつながっていくんです。
教育と地域の断絶
実は、筆者の方、中学生向けのプログラミング教室で先生もしているんです。 Scratchとかジャパスクリプトを教えていると、中にはもう本当にびっくりするようなオリジナル作品を作る子もいるんですね。
でも彼は気づいていました。この授業が終わった先に存在しているある大きな断絶に。 ちょっと皆さんも想像してみてください。この教室が終わった後、
やる気に満ち溢れた子どもたちが、じゃあ一体どこで学びを続けたらいいんでしょうか。 下手をすると、次にプログラミングに触れるのが2年後なんてことにもなりかねないんです。
ここにはかなり深刻な機械の格差があるわけです。 東京みたいな大都市の中心部なら、高打道場みたいな学びのコミュニティって結構すぐ見つかるんですよね。
でも、普代村みたいな地方はもちろん、驚くことに横浜みたいな大都市のちょっと郊外のエリアでさえ、 子どもが一人で通える場所ってほとんどないんですよ。
じゃあ、この断絶されちゃった場所にどうやって橋を架ければいいのか。 そのヒントが遠く北海道で活動しているある団体の哲学の中にあったんです。
その団体というのが一般社団法人LOCAL。 彼らはですね、もう15年以上もあの広大な北海道のあちこちで地域のITコミュニティをずっと支え続けてきたんです。
交通費の補助から機材の提供まで、必要なものがあれば何でもサポートする。 まさに縁の下の力持ちですよね。
で、彼らの活動の根っこにはすごくユニークで力強い理念があるんです。 それがこの言葉サーモンスピリット。
これどういう意味かというと、この一言にすべてが詰まっています。 いつか大きくなって帰ってきてね。
つまり、若い人たちが一度地元を離れて広い世界で経験を積むことを、もう全力で応援する。
そして酒が生まれた川に帰ってくるみたいに、いつかその力を故郷のために還元してくれたら嬉しいなぁって。
いやー素晴らしい考え方ですよね。 このサーモンスピリットっていう、まあ一つのレンズを通して世界を見てみた時、
フィッシャーは今まで全く無関係だと思っていた2つの場所にある驚くべき共通点があることに気づくんです。
彼は自分が住んでいる大都市横浜の一角をこう表現するんですね。 陸の孤島だって。
大都市なのに孤島?一体どういうことなんでしょうか。 この比較をちょっと見てみてください。
岩手県の普代村から一番近い町まで、車でまあだいたい30分。 で、横浜の彼の家から都心部まで、これもだいたい30分から40分。
どっちも何か用事を足しに行くのに、よし行くかってちょっと計画を立てて移動しないといけない。 この移動にかかる時間とか手間の間隔が地方の村と大都市の住宅地とでびっくりするくらい似ていたんですよ。
この発見ってすごく重要な視点だと思いませんか。 問題は地方か都会かっていうそういう単純な話じゃないんです。
本当の課題は物理的に孤立してしまっているコミュニティをどうやって機械につなげていくか、 そのための橋をどうやって架けていくかってことなんですね。
でも話はまだここで終わりません。 物理的な距離、機械の格差、そういったギャップが見えてきましたけど、最後に残されていたのは最も厄介で、そして最も人間的な断絶だったんです。
舞台は再び不来村に戻ります。 この村には今地域おこし協力隊といった制度で村を元気にしようと都会から移住してきた新しい住民の方たちがたくさんいるんですね。
彼らはすごく熱意があって素晴らしい活動をしています。 ただ、必至者は一つ懸念を抱きます。
コミュニティには当然ながら昔からいる住民の方々と新しくやってきた移従者の方々がいますよね。 もしかしたらその新しい人たちが移従者同士で固まってしまっているんじゃないかと、せっかく良かれと思って架けた橋が意図せずして、コミュニティの中に見えない水を作ってしまう、そんな皮肉なことだって起こり得るわけです。
昔からその土地に住む人々と新しい風を運んできた人々。 この2つの世界の間に見えない壁ができてしまうのをどうすれば防げるのか。
これこそがどんなコミュニティでも直面し得る本当に難しくて人間的な挑戦なのかもしれないですね。 バーチャルとリアルの橋。学びたい子どもたちとその機会をつなぐ橋。
そして地域に住む人たちの心と心をつなぐ橋。 この物語は本当にいろんな橋を巡ってきましたよね。
そして最後に残るのは私たち自身への問いです。 私たちは自分が今いる場所で一体どんな橋を架ける人になれるんでしょうか。
07:11
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